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大川さん亡くなる直前に自分の資産を渡したからこそ倒産もせずになんとか生き残れたあまり知られてない経営者だと思いますが、本当に偉大な方です
俺もそう思う
最大の敵とも言えたPSも今は苦しい戦いを強いられている。それでもそういう事柄をだから失敗しました残念(笑)みたいなスタンスで卑下し嘲笑うチャンネルと違い一人のゲーム好きとして敬意を込めた挑戦者として称える夜話さんのスタンスが改めて真摯的だと感じました。だから貴方の動画は見ていて気持ちがいい。
結果だけを見て「だから○○は駄目だったんだ」と批評家になるのは簡単だけど、当事者や会社は存亡をかけて必死でもがいていたわけで、そこにうp主さんのように敬意を表するのは大事だと思いますSEGAがライバルとして頑張ってくれたおかげで、当時の新世代ハード戦争はユーザーにとって今振り返っても面白い時代でした
セガはいつだって10年早い。先見の明だけではうまくいかないし、ちょうどいいタイミングっていうのがあるんだなぁ…と。でも僕らはそんなセガが大好き。
テレホーダイの時間縛りのため毎日寝不足だったのも良い思い出。なんだかんだで楽しませてもらいました。
DC版の初代ファンタシースターオンラインをオンラインでプレイした時はゲームの未来を見た気がした
自分はGC版で初めてプレイしたんだけど、ドリームキャストというハードでこのゲームが生まれてきてくれたことを本当に感謝してる。
「ソフトも音楽もDL販売の時代が来る」早い……スレッガーさんばりに早すぎるんだよ会長……
時代を作って来た人たちの話はいつだって身につまされる。大川さんの思い描いた未来の中に生きる身として、彼の無念に哀悼の意を表したい。
ゲーム夜話さんのスタンス最高です。これからも応援します
素晴らしい動画だ…胸が熱くなる
素晴らしい動画、ありがとうございます。撤退を笑うのではなく讃える、素晴らしい今は大手メディア、個人の発言も叩きみたいな風潮が多いですから、特に刺さりましたわサターンからドリームキャスト、まさに夢というか最高のソフトがいっぱいセガの作るゲームには『プレイヤーを楽しませよう』という感じがあって好きでした
ハード撤退の時、会社が潰れる土壇場だったんですね。ソフトメーカーとして生き延びられただけでも僥倖だったのかもしれません。
NECもですがセガも素晴らしいチャレンジを何回もした。それによって潤った業界、会社もたくさんあったでしょうし、何より我々ユーザーに人生そのものと呼べるくらいの喜びを与えてくれた。こういったチャレンジは本当に賞賛すべきだと思います。
宣伝費100億のうち,いくらが秋元康のラスベガスカジノに消えていったのやら。たしかセガに色々あったとき週刊誌が大川さんと秋元康の件をすっぱ抜いていたような記憶がある。
成功だけがすべてじゃないですよね。当時のSEGAの皆さんの勇気ある挑戦に本当に拍手を送りたいです。本当に今回はいつも以上に素晴らしい動画で気持ちが熱くなりました。ゲーム夜話さんのゲームの中身解説も面白いですが、こういう人間ドラマも本当に面白いです。
個人的には、メガドライブもセガサターンもドリームキャストも素晴らしいハードでした。任天堂やソニーなどのライバルに負けるという運命からは逃れられなかったでしょうが、バトンタッチが上手くいかず自らその運命を早めてしまった印象があります。。。願わくば、生きているうちにもう一度セガが設計した新ハードで遊んでみたいものです。
神回でした。大人のビジネスの世界を学べる内容になっていてすごい!
何処かかは忘れましたがセガの有能な技術者だったっけ?任天堂と仕事をする機会があったそうですが、任天堂のゲームに対する考えが社長から社員まで全員が一丸となって真剣に取り組んていたのを目の当たりにして「これは負けて当然だな」っと納得されたようです(メッチャうろ覚えですけど、セガのお偉いさんっぽい技術者な御方だったような覚えがありますね、スマホでそんなコラム?を見たのを覚えてます)
任天堂ゲームキューブでモンキーボールを作った際の名越さんの言葉ですね。のちに龍が如くを作った人です。
ドリームキャスト発売当日のNHK手話ニュースで「しかし、ゲームに夢(ドリーム)を求めるのは困りもの」とハード名にひっかけて皮肉まじりに報じていたのを覚えてる。当時はまだまだテレビゲームに風当たりの強い時代だった。
幼い頃から、SEGAのゲームには数え切れないほどの喜びと感動を与えてもらいました。向いている方向は違えど、ユーザーを楽しませようという思いはきっと一緒だったはず。ハード事業において最後まで懸命に戦い続けた挑戦者たちに敬意を表します。そして、ハード事業を撤退しソフトメーカーとなったSEGAを、かつての商売敵の参入を、受け入れてくれた任天堂とSONYの寛大な対応には感謝してもしきれません。SEGAの作った数多くのソフトに、今もなお喜びと感動を味わわせてもらってます。
新聞の広告のヤツ懐かしい!湯川専務といいインパクトは凄かったよなぁ
本体の箱に顔写真が載ってるのもインパクトある。まるで湯川専務のゲーム機のような。そんなゲーム機本体はDC以降出てない。任天堂は手の写真が載ってますけど。
ドリキャスのチャットで出会った女の子と20年の時を経て奇跡の再会を果たしました。当時は本当にキラキラした夢でしかないマシーンでした。大川さんと佐藤さんに心から感謝と敬意を送ります。
ペンペントライアスロンってそんな気合の入った作品だったのか!めっちゃ好きなゲームでワールドレコードに挑戦してたくらい…すごいゲームだったんだなぁ
感動しました!ありがとうございます。
全力でイイネ押しました、事実に基づいたシビアな解説にハッとさせられます!当時の、消費者側というか、ゲーマーサイドでわちゃわちゃ騒いでいたものからすると、本動画でのゲーム業界を俯瞰した解説はまた全然違う印象で、素晴らしいです。ドリキャスで繋いだセガBBSがインターネットの入り口でしたって人は当時相当数いたし、その当時のネット文化にも少なからず影響を与えていたと思うんですよね。これからも、色んな視点で語られていく、面白い歴史だよなーって思います。
ドリキャスは、クレージータクシーとジェットセットラジオがおもろかったです。
個人的にセガは好きだったけどマニアックなイメージだったな。一方で任天堂やソニーはライトユーザー向けで気軽にやれる感じがしましたね。
動画の質が良いとコメントの質も良い。自分はあらゆる事柄の歴史を見、考えるのが好きですが、その当時失敗した人・事を今の目線で語り、煽り、責めて、笑う動画や本は意外とあります。簡単だからです。ゲーム夜話さんの動画にはそれがない。故に纏めるのは難しく、大変なはず。こういう動画こそもっと多くの人に見てもらいたいなぁ。
ぐるぐる温泉は良いオンラインゲームだったなぁ。3DのゲームもPS2よりジャギが目立たない等、結構良い機種でした。
100時間以上費やしたPSO、回線不良で装備をロスっても何度もやり直してたなぁ。チューチュートレイン、カルドセプト、トレジャーストライク等々、ネトゲーが本当に楽しかった。
チューチューロケットや
@@みつお-l7o 失敬した。我が事ながら恥ずかしい。思い込みってのは恐ろしいね。
チューチューロケット夢中になったなあ
DQとFFがPSに来る時点でPS以外の選択肢はなかった位、当時の二者は強力だった。更にPS2の互換性が決定的。
インターネットの普及率と時代を先見し過ぎた。あとジョジョの奇妙な冒険未来への遺産は神ゲーでした
ネット通信のありがたみが分かるかどうか、という視点で言えば、ピピンアットマークも似たような状況でしたね…とはいえ、ニンテンドーDS以降タッチパネル方式の機械が増えたというように、技術に対してどのように便利であるかというのを示す事ができるか、というのがゲーム機含めて電子機器全般の課題であるのかな…
何事も先駆者となってその後もその分野でリードしてくことは難しいですよね。でもその先駆者がいなければ後が続かない。難しいところですね。
BGMがサクラ大戦なのは、流石分かってる!しかしドリキャスのロンチがコレでは弱い…
こうやって動画になると裏で色々な人間模様がみられてとても面白かったです。FFがサターンにきてたらまた違う未来だったのかなあと考えてしまうことがあります
当時FF7がPSで出る事になって、勝負が決まった感じ、すごく鮮明に覚えてるなあ
@@Touchthesky27 当時、セガ信者だった中3の頃、FF7がPSへ、の報を聞いても、「そんなはずない、絶対にセガにスクウェアは来る」と大人の事情が何も分かってないくせに数ヶ月間頑なに信じ続けたことがありました。その後、受験を終えて結局PS買ってしまったんですが・・・。あの時代のハード戦争は最高に熱かったです。
とても熱い時代でした。。。
個人的には、当時のハードに望んでいた機能は「高速な処理速度」だけでしたねサターンにしろPSにしろあの読み込み時間の長さが苦痛でしたし
なんか感動した( ・´ー・`)大川さんの資産寄贈は当時すごい話題になってましたねぇ
ソニックを真夜中にクリアしサクラを全作品全ルートクリアしPSOで酷使したドリキャス。一時代の思いでの最高のハード
ライトユーザーの方へ向くという方向性は間違ってないのにDVDという家電方面からエグいカーブ飛んでくるんだもの手抜いて負けたわけじゃないのが悔しいところ。そして現在sonyもそういうスパイラルに陥りつつあるコアゲーマーというものはゲーム業界において最も厄介なのだなあ
敗者の美学に感動。ゲーム夜話さんに感謝。
娯楽は作品もその世界に残る人(製作者や演者)も、とにかく大変なんですね
あと少し待って、通信機能がもっと一般的にさえなってくれれば、オラタンがあれ以上の神ゲーになったものを…!夢見ていたんだ…ネットの海で自分用カスタマイズまで可能なバーチャロイドを駆って通信対戦出来る未来を…。
MvsC2とサクオンはよくやってたAM3時くらいだとラグもほとんど無くプレイできた対戦はちっとも勝てなかったが楽しかった
ゲーム夜話さん、ありがとうございました。涙が出てきました。
CMのインパクトもあって当時知らない人はいないハードだったけどPSとPS2が強すぎたからなぁそして湯川専務が既に亡くなってると知って悲しい
マジですか?湯川専務ググってみます
インパクトあってもマジで売ってなかったからなぁそして予約してまで買おうってほどのラインナップがなかったようやく手元に届く頃にはPS2の発売と仕様が発表、買い控えが蔓延る全てが空回りしたって感じ
さりげなくシェンムーのBGMが挿入されているのが嬉しい。
ドリキャスで初めてインターネットに繋ぎましたオプション品だったら手を出してなかったかもしれませんセガBBSは今の5ちゃんねるみたいで楽しかったなぁ
あの自虐CMは絶対やっちゃいけないタイプのCMだったと思う知名度だけは上がるけど、あのCMでドリキャスでゲームやりたいなんて思うはずがないそれをやってしまう社風がドリキャスを潰したんだと思う
セガは一体どうすれば成功できたのかな…毎話、本当に考えさせられる内容でした。中学生〜高校生の頃に出逢ったセガサターンとドリームキャスト。当時は本当に楽しかったよ。
着眼点は悪くなかった、だが実現するには早すぎた。パソコンすらない時代に時代はインターネットだって言ってるぐらい、何言ってんだこいつレベルの先見の目先だけはあっただがアイディアだけが先行して時期を見逃した、それだけのことだと思う
毎夜、「カルドセプトセカンド」のネット対戦をドリキャスでプレイしてた。当時はISDN回線で、初期接続に苦労したけど、あの時間はとても楽しかった事を覚えている。ドリキャス、本当に良いハードだった。
何がしたいのか分からないマシンたったが、そういうことだったのか
ドリキャスの魂はxboxに受け継がれた
結果的にDCは失敗だったとしても自分的には今でも神ハードです。
入交さんは本来はゼネラル・モーターズ(以下GM)に行く所をセガに再就職しました。ですからセガに行かずGMに行った方が正解だったのかも。
1社提供でDAIBAッテキ!!とかやってましたねなんとか大衆受けするイメージを作ろうとしていたようですが・・・
切ない結末だ…
こんな悲しい夜話は初かも
ROOMMANIA203という革新的な神ゲーを生み出したドリームキャストには感謝しかないよ
折角CM大ヒットしてアチアチの状況で次世代機の先陣を切れたのに部品製造にもたついて機を逸したドリキャスちゃん
素晴らしい経営者の方々がSEGAを愛し会社を守りながらも挑戦してきたからこそ、今でもSEGAは愛されているんですよね!また。いつか素晴らしいハードを開発してこのゲーム業界に再挑戦して欲しい!
当時DC持ってたけど、DCとテレビの解像度でネットブラウザとして使うには圧倒的に解像度が足りなくて使い物にならなかったネット、メール、チャットをやる人はその当時からPCを持っていたわけで、出来るけどすべてにおいて中途半端なDCでやろうとする人は皆無だったと思うやっぱり「何でもできる」は「何にもできない」を否定できない
セガはいつも早すぎるんだよなぁ。アイディアや構想が先を見すぎていて技術の進歩が追いつかない。任天堂の枯れた技術の水平思考とは対照的だ。
おっしゃるとおりセガは革新的を求めてたね任天堂は良くも悪くもマリオあの当時、サターンで初めて買ったソフトがブルーシードでドリキャスは買ってすぐに不良品で修理出したの覚えてるなw
任天堂も早すぎることやってるけど、後からそれ回収するからな。セガはそうじゃないから、10年早いと言われ続ける。
任天堂はSEGAと同等以上に早すぎることをやってきてるよね
全員方向性は間違ってなかっただけに悲しいですね…本当に娯楽事業は一寸先は闇。なんて厳しい業界だ…
CMの効果は絶大だった真に受けられ、セガはダサイというイメージが定着した
DCは本当に早すぎたハード あと数年経てばセガのDCでやりたかった事が日本中に普及していったからなぁ 数年前のしくじり先生でセガ特集の時のしくじりは面白かったなぁDC編本当にやって欲しい
ゲームとネット通信の関係を考えると、ソフトベンダーTAKERUのことを思い出します。1980~90年代にパソコンゲームのダウンロード販売を実現させたサービスで、インディーズの取り扱い、旧作の値引き販売、オリジナルソフトなど、今のダウンロード販売に通じる仕組みを既に取り入れていました。でも、こちらのサービスも黒字にするのが難しかったらしく、サービス終了。ゲームとネット通信の融合が成功するかどうかは、やはりタイミングだったのかなと思います。セガはほんのちょっと仕掛けるのが早かったけど、そういう博打を打っていかないと、大成もできないのかもしれませんね。
今思うと一時期セガのゲームばかりしていました#サカつく#シェンムー#バーチャーストライカー#ダービーオーナーズクラブ確かに面白かったそしていつの間にか市場から消えていった
目頭が熱くなった・・・
湯川専務も常務も 降格ですがふたをあければ子会社の社長から外部のクオカードの会長まで出世するって追い出されたみたいなのかもしれませんが他人からすると出世ですよね
はたから見れば安定とか、華やかな世界かもしれませんが、当事者からすれば、ギリギリの世界だったんですね。とにかく業界の為に有難う御座いました?
『JULY』懐かしい😂結構面白かったなぁ
激闘の上でハード事業からは退く事になり、まだ一線級のソフトウェア事業で生き残りをかける事になりましたが過去の資産を活かした「メガドライブミニ」がヒットした反面、肝心の新規ソフトウェアの方は一進一退が続いてあまり良い話は聞かないし、頑張れセガ!!
今だからこそトムスのトップになられた竹崎さんの当時の裏話が聞きたい。
技術的な問題より、事業目的の共有ができてない等の内部統制に問題があったよう
方向性は完璧だったドリキャスただ時代に早すぎた
あの時ZIPドライブがオプションで出ていれば・・・あの時MP3対応ビジュアルメモリが出ていれば・・・。
ドリームキャストが未来を見据えていたハードであったにも関わらず、出荷遅れどころかセガ内部が分裂していた状態では、たとえ先行販売がうまく行っていたとしても、いずれPS2による撤退の道を歩んでいたかもしれません。その点、「PS2 × DVD」というタイミングが絶妙過ぎてPS2が大躍進したのは、SONYの戦略勝ちであった事を裏付けています。しかし、セガがいなければ日米、ひいては世界のゲーム史の歴史は大きく変わっていたので、今回の動画でよりセガについて理解する事が出来ました。任天堂と常にライバルであった事も、今の任天堂がある理由の一つだと思います。今後の動画も楽しみにしています。
友達んちでドリームキャストでマヴカプとかの対戦やってるの見たときは衝撃的だったなぁ。
ドリキャス発売当時はインターネットという未来よりも「DVDが観られる」という今欲しいものを提示したPS2の方が魅力的でした(ドリキャスも持ってました)ドリキャスに勝利したPS陣営も、次世代機PS3で時代を先取りしすぎてほぼ倒産状態になってるのも皮肉な話ですね
番外・もしNECホームエレクトロニクスがPCFXで640×320ピクセルをデフォルトでサポートしてたらどうなってたのだろうか?(画素数だけでなく機能拡張を強調してたのが本当のネック)
時代を先取りしすぎたとよく言われるけどもその時代を作る一歩目になった企業だと思ってる今も昔もやや斜め上だけど
それに当時サイトに接続するのに通信会社ごとなのでAU(えゆー)なのでNTTの回線だとDLのサイトに会社が違うので入れない今はどこからでも入れますが当時ドリキャスのガンダムバトルオンラインってゲームが最初の段階でザクとジムしかなくDLでガンダムなどは後からDLなのでNTTの回線だとサイトにログイン出来ないので追加MSをDL出来ませんでした
ソフトありきのハードでないと厳しいということなんでしょうね。セガサターンにはお世話になりました。セガには感謝しかない。
まあもしサイトに入れたとしても前の文章に書きましたが通信料がかかるので辛いです。せめてADSLが出てからドリキャスを出してほしかったですね アナログ回線からデジタルなんで少しはいいですが早すぎました
サクラ3のOPは今の時代でも古さを感じない 完成度な神アニメーション。シェンムーの種は 龍が如くとして芽吹きセガの代表作に。 DCでのノウハウは無駄では無かった。バーチャ3は移植開発はセガではなく別の会社で販売元がセガだった気が。社内での調整やら、アメリカとのやりとりがネックになってしまったか。サターンの時は真のライバルを見誤り 3Dに遅れをとり DCでは急ぎすぎて十分な量を確保出来ず出足失敗 ネット環境がもう少し整ってから販売すればよかったのにと時代の先を行き過ぎたセガ。
いくらいい物作っても底に穴が開いてちゃ何時まで経っても金は出ていくばかりで会社に余裕は生じない。バーチャファイターは対戦で湯水の如く金をつぎ込んでペイはできるがやっぱり基板価格は他の比ではない。(筐体込みで1台90万は体力無いオペレーターには辛かろう。)そもそもモデル1の技術からして冷戦終結でアメリカ軍で採用予定がフイになったのをセガが騙されて供給されたような物で相当な金額を吹っ掛けられたと推察する。(テトリスといいコイル氏の訴訟といいセガは技術は素晴らしいがそれ以外がダメな呂布や張飛ステの会社の認識。)そりゃ大川さんもキャッシュフロー等でセガの経営について危機感を覚えるのも当然だろう。
メガドライブからSEGAのハード買い続けてました、ドリームキャストは世界一ィィィィ!「SNK入ってるのは愛嬌で」
しくじり系は明らかに無茶な多角経営化とかガバナンスの欠如とかなんなら法に触れる事を裏でやっていたとかの類で、セガはチャレンジした末の結果論であってそれらとは別物。
やっぱりセガはセガだった。
セガ社内クリエイターのインタビューでは振り返ってみて一般に媚びたのは失敗だったみたいなことは言っているね。こんなのでいいのか?ってネットについては予見してたことの殆どを当てているけどネット環境がね…これ伊集院光とファミ通浜村が電話会社が足を引っ張ってるから圧力かけて何とかしろって言っていた。ソフトがろくに開発できなかったこともセガ内の有名クリエイターが言っていた。1本とか3本しか関われなかったとか。
結局一枚岩のチームを作れず自滅した格好ではないでしょうかドリームキャストは良いハードでしたが、なんか残念ですね
3DOのように各メーカーからハードを出したように日本版のDCと北米版のDCを出せばよかったのでは。ぐるぐる温泉はネット対戦の醍醐味でよかったと思うけどな。CMに100億円つぎ込んだんだからシェンムーの開発費70億円は安く思える。
当時のサターンからドリキャス時代を応援してた世代としては今のPS5の迷走は当時のSEGAと被る果たして…そしてミニハードシリーズではある程度実績を残したSEGAは果たしてサターン、ドリキャスをゲームハード歴史遺産出してくれるのか?興味深い
12:06専務にしては顔が若い為CMでは伊達メガネを掛けていた湯川専務
ドリキャスのネット対応ゲームの印象がチューチューロケットだな。
つわものども が 夢の跡か…。こうしてちゃんとした解説を見ると当時の開発者や経営者の人達は色々考えていたんですね。すごい感慨深い。子供のころ友達ん家でドリキャスのパワーストーンを遊んだっけなあ…( ´ ω `)
個人資産820億円ということに一番驚きました
64DDの動画も作って欲しい
いつも素晴らしい動画をありがとうございます。自分としては任天堂がNo.1でしたが、次点でセガが好きなメーカーでしたので、プレステでなくサターンを購入していました。当時はサターンもプレステと遜色ないゲームラインナップだったかと思います。そして新たなハードとしてドリキャスが発表されましたが、あまり魅力を感じませんでした。理由はやはりソフトラインナップだったように思います。もちろん好みは人それぞれでしょうけど、この動画を見てなるほどと、ソフトが充実してこそだという話は納得しました。しかしハードメーカーとしてのSEGAが終わった時はめちゃめちゃ寂しかった記憶があります。
大川さん亡くなる直前に自分の資産を渡したからこそ倒産もせずになんとか生き残れた
あまり知られてない経営者だと思いますが、本当に偉大な方です
俺もそう思う
最大の敵とも言えたPSも今は苦しい戦いを強いられている。
それでもそういう事柄をだから失敗しました残念(笑)みたいなスタンスで卑下し嘲笑うチャンネルと違い一人のゲーム好きとして敬意を込めた挑戦者として称える夜話さんのスタンスが改めて真摯的だと感じました。だから貴方の動画は見ていて気持ちがいい。
結果だけを見て「だから○○は駄目だったんだ」と批評家になるのは簡単だけど、当事者や会社は存亡をかけて必死でもがいていたわけで、そこにうp主さんのように敬意を表するのは大事だと思います
SEGAがライバルとして頑張ってくれたおかげで、当時の新世代ハード戦争はユーザーにとって今振り返っても面白い時代でした
セガはいつだって10年早い。
先見の明だけではうまくいかないし、ちょうどいいタイミングっていうのがあるんだなぁ…と。
でも僕らはそんなセガが大好き。
テレホーダイの時間縛りのため毎日寝不足だったのも良い思い出。なんだかんだで楽しませてもらいました。
DC版の初代ファンタシースターオンラインをオンラインでプレイした時はゲームの未来を見た気がした
自分はGC版で初めてプレイしたんだけど、ドリームキャストというハードでこのゲームが生まれてきてくれたことを本当に感謝してる。
「ソフトも音楽もDL販売の時代が来る」
早い……スレッガーさんばりに早すぎるんだよ会長……
時代を作って来た人たちの話はいつだって身につまされる。
大川さんの思い描いた未来の中に生きる身として、彼の無念に哀悼の意を表したい。
ゲーム夜話さんのスタンス最高です。
これからも応援します
素晴らしい動画だ…胸が熱くなる
素晴らしい動画、ありがとうございます。撤退を笑うのではなく讃える、素晴らしい
今は大手メディア、個人の発言も叩きみたいな風潮が多いですから、特に刺さりましたわ
サターンからドリームキャスト、まさに夢というか最高のソフトがいっぱい
セガの作るゲームには『プレイヤーを楽しませよう』という感じがあって好きでした
ハード撤退の時、会社が潰れる土壇場だったんですね。
ソフトメーカーとして生き延びられただけでも僥倖だったのかもしれません。
NECもですがセガも素晴らしいチャレンジを何回もした。それによって潤った業界、会社もたくさんあったでしょうし、何より我々ユーザーに人生そのものと呼べるくらいの喜びを与えてくれた。こういったチャレンジは本当に賞賛すべきだと思います。
宣伝費100億のうち,いくらが秋元康のラスベガスカジノに消えていったのやら。たしかセガに色々あったとき週刊誌が大川さんと秋元康の件をすっぱ抜いていたような記憶がある。
成功だけがすべてじゃないですよね。
当時のSEGAの皆さんの勇気ある挑戦に本当に拍手を送りたいです。本当に今回はいつも以上に素晴らしい動画で気持ちが熱くなりました。
ゲーム夜話さんのゲームの中身解説も面白いですが、こういう人間ドラマも本当に面白いです。
個人的には、メガドライブもセガサターンもドリームキャストも素晴らしいハードでした。
任天堂やソニーなどのライバルに負けるという運命からは逃れられなかったでしょうが、
バトンタッチが上手くいかず自らその運命を早めてしまった印象があります。。。
願わくば、生きているうちにもう一度セガが設計した新ハードで遊んでみたいものです。
神回でした。大人のビジネスの世界を学べる内容になっていてすごい!
何処かかは忘れましたがセガの有能な技術者だったっけ?任天堂と仕事をする機会があったそうですが、任天堂のゲームに対する考えが社長から社員まで全員が一丸となって真剣に取り組んていたのを目の当たりにして「これは負けて当然だな」っと納得されたようです
(メッチャうろ覚えですけど、セガのお偉いさんっぽい技術者な御方だったような覚えがありますね、スマホでそんなコラム?を見たのを覚えてます)
任天堂ゲームキューブでモンキーボールを作った際の名越さんの言葉ですね。のちに龍が如くを作った人です。
ドリームキャスト発売当日のNHK手話ニュースで「しかし、ゲームに夢(ドリーム)を求めるのは困りもの」とハード名にひっかけて皮肉まじりに報じていたのを覚えてる。
当時はまだまだテレビゲームに風当たりの強い時代だった。
幼い頃から、SEGAのゲームには数え切れないほどの喜びと感動を与えてもらいました。
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ハード事業において最後まで懸命に戦い続けた挑戦者たちに敬意を表します。
そして、ハード事業を撤退しソフトメーカーとなったSEGAを、かつての商売敵の参入を、受け入れてくれた任天堂とSONYの寛大な対応には感謝してもしきれません。
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本体の箱に顔写真が載ってるのもインパクトある。まるで湯川専務のゲーム機のような。そんなゲーム機本体はDC以降出てない。任天堂は手の写真が載ってますけど。
ドリキャスのチャットで出会った女の子と20年の時を経て奇跡の再会を果たしました。当時は本当にキラキラした夢でしかないマシーンでした。大川さんと佐藤さんに心から感謝と敬意を送ります。
ペンペントライアスロンってそんな気合の入った作品だったのか!
めっちゃ好きなゲームでワールドレコードに挑戦してたくらい…すごいゲームだったんだなぁ
感動しました!ありがとうございます。
全力でイイネ押しました、事実に基づいたシビアな解説にハッとさせられます!
当時の、消費者側というか、ゲーマーサイドでわちゃわちゃ騒いでいたものからすると、本動画でのゲーム業界を俯瞰した解説はまた全然違う印象で、素晴らしいです。
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これからも、色んな視点で語られていく、面白い歴史だよなーって思います。
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@@みつお-l7o
失敬した。我が事ながら恥ずかしい。
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チューチューロケット夢中になったなあ
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インターネットの普及率と時代を先見し過ぎた。あとジョジョの奇妙な冒険未来への遺産は神ゲーでした
ネット通信のありがたみが分かるかどうか、という視点で言えば、ピピンアットマークも似たような状況でしたね…
とはいえ、ニンテンドーDS以降タッチパネル方式の機械が増えたというように、技術に対してどのように便利であるかというのを示す事ができるか、というのがゲーム機含めて電子機器全般の課題であるのかな…
何事も先駆者となってその後もその分野でリードしてくことは難しいですよね。でもその先駆者がいなければ後が続かない。難しいところですね。
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当時FF7がPSで出る事になって、勝負が決まった感じ、すごく鮮明に覚えてるなあ
@@Touchthesky27
当時、セガ信者だった中3の頃、FF7がPSへ、の報を聞いても、「そんなはずない、絶対にセガにスクウェアは来る」と大人の事情が何も分かってないくせに数ヶ月間頑なに信じ続けたことがありました。その後、受験を終えて結局PS買ってしまったんですが・・・。あの時代のハード戦争は最高に熱かったです。
とても熱い時代でした。。。
個人的には、当時のハードに望んでいた機能は「高速な処理速度」だけでしたね
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なんか感動した( ・´ー・`)
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一時代の思いでの最高のハード
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敗者の美学に感動。ゲーム夜話さんに感謝。
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CMのインパクトもあって当時知らない人はいないハードだったけどPSとPS2が強すぎたからなぁ
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ようやく手元に届く頃にはPS2の発売と仕様が発表、買い控えが蔓延る
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ドリキャスで初めてインターネットに繋ぎました
オプション品だったら手を出してなかったかもしれません
セガBBSは今の5ちゃんねるみたいで楽しかったなぁ
あの自虐CMは絶対やっちゃいけないタイプのCMだったと思う
知名度だけは上がるけど、あのCMでドリキャスでゲームやりたいなんて思うはずがない
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セガは一体どうすれば成功できたのかな…
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中学生〜高校生の頃に出逢ったセガサターンとドリームキャスト。
当時は本当に楽しかったよ。
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こんな悲しい夜話は初かも
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素晴らしい経営者の方々がSEGAを愛し会社を守りながらも挑戦してきたからこそ、今でもSEGAは愛されているんですよね!
また。いつか素晴らしいハードを開発してこのゲーム業界に再挑戦して欲しい!
当時DC持ってたけど、DCとテレビの解像度でネットブラウザとして使うには圧倒的に解像度が足りなくて使い物にならなかった
ネット、メール、チャットをやる人はその当時からPCを持っていたわけで、出来るけどすべてにおいて中途半端なDCでやろうとする人は皆無だったと思う
やっぱり「何でもできる」は「何にもできない」を否定できない
セガはいつも早すぎるんだよなぁ。
アイディアや構想が先を見すぎていて技術の進歩が追いつかない。
任天堂の枯れた技術の水平思考とは対照的だ。
おっしゃるとおり
セガは革新的を求めてたね
任天堂は良くも悪くもマリオ
あの当時、サターンで初めて買ったソフトがブルーシードでドリキャスは買ってすぐに不良品で修理出したの覚えてるなw
任天堂も早すぎることやってるけど、後からそれ回収するからな。セガはそうじゃないから、10年早いと言われ続ける。
任天堂はSEGAと同等以上に早すぎることをやってきてるよね
全員方向性は間違ってなかっただけに悲しいですね…
本当に娯楽事業は一寸先は闇。
なんて厳しい業界だ…
CMの効果は絶大だった
真に受けられ、セガはダサイというイメージが定着した
DCは本当に早すぎたハード あと数年経てばセガのDCでやりたかった事が日本中に普及していったからなぁ 数年前のしくじり先生でセガ特集の時のしくじりは面白かったなぁDC編本当にやって欲しい
ゲームとネット通信の関係を考えると、
ソフトベンダーTAKERUのことを思い出します。
1980~90年代にパソコンゲームのダウンロード販売を実現させたサービスで、
インディーズの取り扱い、旧作の値引き販売、オリジナルソフトなど、
今のダウンロード販売に通じる仕組みを既に取り入れていました。
でも、こちらのサービスも黒字にするのが難しかったらしく、サービス終了。
ゲームとネット通信の融合が成功するかどうかは、
やはりタイミングだったのかなと思います。
セガはほんのちょっと仕掛けるのが早かったけど、
そういう博打を打っていかないと、大成もできないのかもしれませんね。
今思うと一時期セガのゲームばかりしていました
#サカつく
#シェンムー
#バーチャーストライカー
#ダービーオーナーズクラブ
確かに面白かった
そしていつの間にか市場から消えていった
目頭が熱くなった・・・
湯川専務も常務も 降格ですがふたをあければ子会社の社長から外部のクオカードの会長まで出世するって追い出されたみたいなのかもしれませんが他人からすると出世ですよね
はたから見れば安定とか、華やかな世界かもしれませんが、当事者からすれば、ギリギリの世界だったんですね。とにかく業界の為に有難う御座いました?
『JULY』懐かしい😂
結構面白かったなぁ
激闘の上でハード事業からは退く事になり、まだ一線級のソフトウェア事業で生き残りをかける事になりましたが
過去の資産を活かした「メガドライブミニ」がヒットした反面、肝心の新規ソフトウェアの方は一進一退が続いてあまり良い話は聞かないし、頑張れセガ!!
今だからこそトムスのトップになられた竹崎さんの当時の裏話が聞きたい。
技術的な問題より、事業目的の共有ができてない等の内部統制に問題があったよう
方向性は完璧だったドリキャス
ただ時代に早すぎた
あの時ZIPドライブがオプションで出ていれば・・・あの時MP3対応ビジュアルメモリが出ていれば・・・。
ドリームキャストが未来を見据えていたハードであったにも関わらず、出荷遅れどころかセガ内部が分裂していた状態では、たとえ先行販売がうまく行っていたとしても、いずれPS2による撤退の道を歩んでいたかもしれません。
その点、「PS2 × DVD」というタイミングが絶妙過ぎてPS2が大躍進したのは、SONYの戦略勝ちであった事を裏付けています。
しかし、セガがいなければ日米、ひいては世界のゲーム史の歴史は大きく変わっていたので、今回の動画でよりセガについて理解する事が出来ました。
任天堂と常にライバルであった事も、今の任天堂がある理由の一つだと思います。
今後の動画も楽しみにしています。
友達んちでドリームキャストでマヴカプとかの対戦やってるの見たときは衝撃的だったなぁ。
ドリキャス発売当時はインターネットという未来よりも「DVDが観られる」という今欲しいものを提示したPS2の方が魅力的でした(ドリキャスも持ってました)
ドリキャスに勝利したPS陣営も、次世代機PS3で時代を先取りしすぎてほぼ倒産状態になってるのも皮肉な話ですね
番外・もしNECホームエレクトロニクスがPCFXで640×320ピクセルをデフォルトでサポートしてたらどうなってたのだろうか?
(画素数だけでなく機能拡張を強調してたのが本当のネック)
時代を先取りしすぎたとよく言われるけどもその時代を作る一歩目になった企業だと思ってる
今も昔もやや斜め上だけど
それに当時サイトに接続するのに通信会社ごとなのでAU(えゆー)なのでNTTの回線だとDLのサイトに会社が違うので入れない今はどこからでも入れますが当時ドリキャスのガンダムバトルオンラインってゲームが最初の段階でザクとジムしかなくDLでガンダムなどは後からDLなのでNTTの回線だとサイトにログイン出来ないので追加MSをDL出来ませんでした
ソフトありきのハードでないと厳しいということなんでしょうね。
セガサターンにはお世話になりました。セガには感謝しかない。
まあもしサイトに入れたとしても前の文章に書きましたが通信料がかかるので辛いです。せめてADSLが出てからドリキャスを出してほしかったですね アナログ回線からデジタルなんで少しはいいですが早すぎました
サクラ3のOPは今の時代でも古さを感じない 完成度な神アニメーション。
シェンムーの種は 龍が如くとして芽吹きセガの代表作に。
DCでのノウハウは無駄では無かった。
バーチャ3は移植開発はセガではなく別の会社で販売元がセガだった気が。
社内での調整やら、アメリカとのやりとりがネックになってしまったか。
サターンの時は真のライバルを見誤り 3Dに遅れをとり DCでは急ぎすぎて十分な量を確保出来ず出足失敗 ネット環境がもう少し整ってから販売すればよかったのにと時代の先を行き過ぎたセガ。
いくらいい物作っても底に穴が開いてちゃ何時まで経っても金は出ていくばかりで会社に余裕は生じない。
バーチャファイターは対戦で湯水の如く金をつぎ込んでペイはできるがやっぱり基板価格は他の比ではない。(筐体込みで1台90万は体力無いオペレーターには辛かろう。)
そもそもモデル1の技術からして冷戦終結でアメリカ軍で採用予定がフイになったのをセガが騙されて供給されたような物で相当な金額を吹っ掛けられたと推察する。
(テトリスといいコイル氏の訴訟といいセガは技術は素晴らしいがそれ以外がダメな呂布や張飛ステの会社の認識。)
そりゃ大川さんもキャッシュフロー等でセガの経営について危機感を覚えるのも当然だろう。
メガドライブからSEGAのハード買い続けてました、ドリームキャストは世界一ィィィィ!
「SNK入ってるのは愛嬌で」
しくじり系は明らかに無茶な多角経営化とかガバナンスの欠如とかなんなら法に触れる事を裏でやっていたとかの類で、セガはチャレンジした末の結果論であってそれらとは別物。
やっぱりセガはセガだった。
セガ社内クリエイターのインタビューでは
振り返ってみて一般に媚びたのは失敗だったみたいなことは言っているね。こんなのでいいのか?って
ネットについては予見してたことの殆どを当てているけどネット環境がね…これ伊集院光とファミ通浜村が電話会社が足を引っ張ってるから圧力かけて何とかしろって言っていた。
ソフトがろくに開発できなかったこともセガ内の有名クリエイターが言っていた。1本とか3本しか関われなかったとか。
結局一枚岩のチームを作れず自滅した格好ではないでしょうか
ドリームキャストは良いハードでしたが、なんか残念ですね
3DOのように各メーカーからハードを出したように日本版のDCと北米版のDCを出せばよかったのでは。ぐるぐる温泉はネット対戦の醍醐味でよかったと思うけどな。CMに100億円つぎ込んだんだからシェンムーの開発費70億円は安く思える。
当時のサターンからドリキャス時代を応援してた世代としては
今のPS5の迷走は当時のSEGAと被る果たして…
そしてミニハードシリーズではある程度実績を残したSEGAは果たして
サターン、ドリキャスをゲームハード歴史遺産出してくれるのか?興味深い
12:06
専務にしては顔が若い為CMでは伊達メガネを掛けていた湯川専務
ドリキャスのネット対応ゲームの印象がチューチューロケットだな。
つわものども が 夢の跡か…。
こうしてちゃんとした解説を見ると当時の開発者や経営者の人達は色々考えていたんですね。
すごい感慨深い。
子供のころ友達ん家でドリキャスのパワーストーンを遊んだっけなあ…
( ´ ω `)
個人資産820億円ということに一番驚きました
64DDの動画も作って欲しい
いつも素晴らしい動画をありがとうございます。
自分としては任天堂がNo.1でしたが、次点でセガが好きなメーカーでしたので、プレステでなくサターンを購入していました。
当時はサターンもプレステと遜色ないゲームラインナップだったかと思います。
そして新たなハードとしてドリキャスが発表されましたが、あまり魅力を感じませんでした。
理由はやはりソフトラインナップだったように思います。
もちろん好みは人それぞれでしょうけど、この動画を見てなるほどと、ソフトが充実してこそだという話は納得しました。
しかしハードメーカーとしてのSEGAが終わった時はめちゃめちゃ寂しかった記憶があります。