旅順要塞等、当時のロシア要塞はロシアを代表する築城家、ニコライ工兵大学のウェリチコ中佐(Colonel K I. Velichko 1856-1927)の理論に基づくものでした。ウェリチコ考えた要塞の配置編成は、フランスの支点式または近戦堡塁式と言われる物に属します。堡塁(分派堡塁)を小銃の射程間隔に並べて防御線を編成します。堡塁自体は歩兵などが守備に就き小銃や機関銃で守る事になっていて、基本大砲は置きません。置いても軽砲や機関砲です。堡塁は隣の堡塁同士でシステム化されていました。自分の堡塁の前方と側方は隣接した堡塁がお互い射撃して守る事になっています。これを側防と言います。これは敵火に対して自分は安全であり、攻めてくる敵に対して横から一挙になぎ倒す効果があります。また堡塁には壕が張り巡らしてあり、その前側の壁面に銃眼があり入ってきた敵を撃つ仕組みになっていて日本軍は、これにもっとも悩まされました。敵の陣地や砲台を直接攻撃する長射程の火砲は堡塁の外、後方等の高台などに置きます。こうすることで敵の攻城砲から堡塁が直接狙われなくてすみます。戦術的に歩兵は前方や側方の塹壕陣地でまず敵と対峙します。やがて兵はやむなく後退し堡中に入って戦う、その為の堡塁で初めから堡塁にとどまって戦うものではありません。また敵の動きによって歩兵は堡外へ出て再度通常の機動戦をとります。堡塁の後ろは壊して兵員をすぐ収容出来るよう比較的薄い壁で弱く出来ており、また地下等空気や 光を取り入れやすくするために、窓が沢山付いていました。つまりこのウェリチコのコンセプトは最終段階で敵兵が防御線へ侵入する事を撃退する目的が主で、自軍の歩兵にとっては仮の避難所の様な働きをするコンセプトでした。つまり歩兵戦闘の補助ともいえます。そんな訳で仏独の様に堡塁に装甲板や砲塔は基本装備せず要塞兵もおきません。 また彼の考案の一つに陥穽堡というものがあります。敵兵がまじかに接近しない限り、発見不可能な堡塁や陣地の事です。 実際の旅順要塞では地形や材料、時間の制約などによりうまく作れませんでしたし築城理論どうりに戦えませんでした。火器も軍艦から取り外して使った程で、場所によって水兵が戦いました。
【日露戦争】の解説動画はコチラ↓↓
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【太平洋戦争】の解説動画はコチラ↓↓
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中国でぼったくりに遭いました
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戦後昭和でアメリカのプロパガンダ教育で自虐的史観で一色でした。 国家感を社会的に反動として袋叩きされておりました。 司馬さんが坂の上の雲を描くことで、日本人を感動させて勇気を与えた最大の前世紀の名作とされておりました。 司馬さんは歴史でなく、歴史小説を描いたと語っておりました。 日露戦争は侵略戦争でなく国家防衛と位置付けておりました。
国民に見向きされなかった日露戦争を、名作を描くことで歴史の世界に誘いました。
戦後に屈指の作家🙇😊
わざわざ旅順まで行ってくれて、貴重な動画を作成してくれて、ありがとう。死亡した兵士たちが幕の向こうの世界で平和に暮らしている事と思います。
この世はロシアがある限り平和はない
曾祖父が、乃木第3軍に従軍しました。旅順攻防戦にて松樹山堡塁の突撃隊長として激戦を繰り広げました。😢かなり苦労したようです。
よくぞ現地に行って下さいました。
しかも現地から戦役を紹介して下さって、素晴らしい慰霊にもなったと思います。本当にありがとう。
何度も読んだ日露戦争ですが、現地解説は凛とした説得力ありますね。多くの犠牲が帝国主義の荒波から祖国を護ったのですね。忘れてはいけないですね。
ご訪問と解説お疲れさまでした。
とても良かったです。
ありがとうございました。
歴史は苦手でしたが、興味深く拝見できました。
次の動画も楽しみにしています!
203高地動画ありがとうございます。
私の曽祖父は203高地の戦いを生き残り本土に帰ってきました。母から聞いている話では、乃木希典大将のお側に居たようで、乃木が、乃木がと話していたようです。
乃木大将が亡くなった日は静かに涙を流していたと聞いています。
旅順って昔は軍歌でもお馴染みでしたね
見ることないと思ってましたけど嬉しいです
それからこんな風に保存し慰霊して居た中国人達にも感謝ですよね~
情報ありがとうございました~
それ要らん 旅順を占領した日本軍が大虐殺を行い 2万人の中国人を殺害し わずか 35人だけ生き残ったよ
内容が重たいので、後ろで現地の人が歩いたり大砲のまわりに
いたりすると、今の平和さを実感させられて、なんだか安心します。
映画203高地見ました
あれは傑作ですよ
こうやって現地からの解説だとより分かりやすくていいですよね
日露戦争の慰霊碑を中国が残しているのが意外すぎるな
しかも乃木希典直筆の慰霊碑とか。
Japよく覚えて給え!中国人の心広さ
冒頭でかつて激戦地だった場所が今や子どもの笑い声が聞こえる場所になったんだなってほっこりした。
その平和は日本人が併合し鉄道敷設などの都市開発をしたからこそあるのだと思うと感慨深いですね。
知っていたつもりでしたが、詳しく説明くださり、ありがとうございます。
勉強になりました。
中国の旅順、理解が深まりました。日露戦争というから旅順や203高地は満州よりも北の方なイメージがあったけど緯度的には岩手県の辺りなんですね。
子供の頃二百三高地ってドラマか映画か、見てました。白い山が血で真っ赤に染まって兵士たちもどんどん心を病んでいって、子供心に、戦争反対や!と強く思った歴史だった。
同じくです。
ドラマや映画のタイトルでしか知りませんでした
届いた食糧が血まみれで食べられなかったり、顔面ぐちゃぐちゃの兵士がさまよってたり、キツかった。
その映画、何回もみました!
防人の詩
同じく。小6でしたがテレビで見てました。親が戦争物好きだったので。
高評価ボタンポチりました。
荒井さんのおかげでここ一年でものすごく教養がついてきたと思います。
これからも楽しみにしています🙏✨お疲れ様でした🫡
出オチのヘアスタイルでチャンネル登録しました。
この勝利が、精神論に繋がってしまう😢
素晴らしいレポート、大変有難う御座います!
感謝です🙏
乃木希典大将は息子2人ともこの戦いで失っているから
けっして悠長な会談ではなかったと思う。
でも動画良かったです。
取り上げるお題が毎回どストライクすぎて、、、毎週金曜日を楽しみにしております😊
10年以上前に旅順の203高地に行きましたが、なんだか胸騒ぎがするような場所でした。また海を見下ろす景色が、函館市にある函館山から海を見た景色とそっくり。懐かしい景色、詳しい説明ありがとうございます。
今、『坂の上の雲』再放送していて観てるのでめちゃめちゃ楽しみですー!!🤩👏🏻👏🏻
『坂の上の雲』の主人公は
日本海海戦を勝利に導いた
海軍参謀の『秋山真之』ですけどね
当時は
軍艦をオランダ製、イギリス製しか保有していなかったから
メンテナンスは、上海、香港、ジャカルタに持ち込む必要があったのに
日本国内でメンテナンスできるように横須賀を造った人を知らないのなら
『なぜ日本海海戦を日本が勝てたのか』のを知りたいのなら
群馬に行くしかない
小学校2年生の時に、映画「二百三高地」を観ました。翌年くらいにドラマ化された記憶があります。今現在放映されたとしたら、完全にR指定ですね。
当時犠牲になられた、両国の兵士の方々に、哀悼の意を捧げたいと思います。合掌
日曜日23時から毎週NHKでやってますよ
@user-vbfhygrth46r37 観てみますね😊
何でR指定になるのか意味不明
日露開戦の経緯、陸戦・海戦の戦術戦略を非常に分かり易い説明で秀逸な作品を有り難うございます。
そして貴重な現地の映像❗
作成、ご苦労の多い事だったと拝察致します。
ゴールデンカムイで旅順知りました。
詳しく知れて嬉しいです。
鶴見中尉、ソフィア、土方歳三、それぞれに北海道への思いが有りましたね😢
杉本と谷垣も旅順で大切な人との別れが
大好きなマンガです❤
荒井さん、中国へようこそ❤。
あなたのロケ動画めっちゃハマりました。
十数年前、観光旅行で現地に行きました。改めて、詳細な解説で納得したことが多くありました。最後のご指摘は重いですね。
二百三高地といえば、さだまさしの「防人の詩」。
大正生まれの父親の話では、日本全国各地の市町村に誰か一人以上は旅順要塞攻防戦で亡くなった人がいるそうです。あと現在はなにかと靖国神社参拝が言われますが、市町村の片隅に日露戦争や大東亜戦争で亡くなった方に対する鎮魂碑が必ずあるはずです。誰も見向きもされずに佇んでいる碑を参拝するのもご供養になると思っています。
家の近くにもあるね
ひっそりと
坂の上の雲を見せていただきありがとうございます
今回も頑張って分厚いプルップルの唇を動かしながら解説感動しました!
いつもタメになる動画ありがとうございます!
ロシアは1861年にも対馬を占領したことが有りますからね 日露戦争で勝ててロシアの植民地ならなくて良かったです
遼東半島や203高地のことが詳しくわかりました😊ありがとうございます😊これからも楽しみにしています。
旅順って大連の?すごい!
あそこは軍事施設があるからむやみやたらにカメラで風景撮ってたら最悪拘束されかねないよ。しっかり許可とって撮影したんだろうなぁ。お疲れ様!!
仕事で大連に長らく住みましたので旅順は何十回も行きました。
乃木将軍の息子が撃たれて死んだ場所がロシア軍陣地のあれほど目と鼻の先だとは思いませんでした。あんなとこを走ってたらそりゃ撃たれるわ、みたいな感じ。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」では戦争が終わった時に日本兵とロシア兵が一緒に酒を飲んだり踊ったりしたとあります。悲惨な戦争記録のわずかな救いです。
二百三高地ときたら次は八甲田山雪中行軍遭難事件を期待します!
個人的には良寛さまの生まれた出雲崎に行って欲しいですねぇ。
話が分かりやすく面白い!
何故203高地だったのか、がよくわかった。なんと言っても実際の現地での解説も素晴らしい。
旅順殲滅戦系の映画は坂の上の雲を含み新旧片っ端から見ましたが
やはり東宝の日本海大海戦が最高傑作だと思います。もちろんCGなんかない時代ですが全体の構成が最高です。見終わった後に珍しく爽やかな気分になる稀有な映画ですね。
旅順要塞等、当時のロシア要塞はロシアを代表する築城家、ニコライ工兵大学のウェリチコ中佐(Colonel K I. Velichko 1856-1927)の理論に基づくものでした。ウェリチコ考えた要塞の配置編成は、フランスの支点式または近戦堡塁式と言われる物に属します。堡塁(分派堡塁)を小銃の射程間隔に並べて防御線を編成します。堡塁自体は歩兵などが守備に就き小銃や機関銃で守る事になっていて、基本大砲は置きません。置いても軽砲や機関砲です。堡塁は隣の堡塁同士でシステム化されていました。自分の堡塁の前方と側方は隣接した堡塁がお互い射撃して守る事になっています。これを側防と言います。これは敵火に対して自分は安全であり、攻めてくる敵に対して横から一挙になぎ倒す効果があります。また堡塁には壕が張り巡らしてあり、その前側の壁面に銃眼があり入ってきた敵を撃つ仕組みになっていて日本軍は、これにもっとも悩まされました。敵の陣地や砲台を直接攻撃する長射程の火砲は堡塁の外、後方等の高台などに置きます。こうすることで敵の攻城砲から堡塁が直接狙われなくてすみます。戦術的に歩兵は前方や側方の塹壕陣地でまず敵と対峙します。やがて兵はやむなく後退し堡中に入って戦う、その為の堡塁で初めから堡塁にとどまって戦うものではありません。また敵の動きによって歩兵は堡外へ出て再度通常の機動戦をとります。堡塁の後ろは壊して兵員をすぐ収容出来るよう比較的薄い壁で弱く出来ており、また地下等空気や
光を取り入れやすくするために、窓が沢山付いていました。つまりこのウェリチコのコンセプトは最終段階で敵兵が防御線へ侵入する事を撃退する目的が主で、自軍の歩兵にとっては仮の避難所の様な働きをするコンセプトでした。つまり歩兵戦闘の補助ともいえます。そんな訳で仏独の様に堡塁に装甲板や砲塔は基本装備せず要塞兵もおきません。 また彼の考案の一つに陥穽堡というものがあります。敵兵がまじかに接近しない限り、発見不可能な堡塁や陣地の事です。 実際の旅順要塞では地形や材料、時間の制約などによりうまく作れませんでしたし築城理論どうりに戦えませんでした。火器も軍艦から取り外して使った程で、場所によって水兵が戦いました。
二⚪︎三高地!
坂の上の雲ファンにはたまらない!
児玉さん!!!
わいも源太郎推し。
もう早ここに暮らして、日本とここ行ったり来たりでしたが15年以上もまえに203高地に
慰霊に行きました!
203高地頂上に上る坂道では背中がゾクゾクしていて自分の霊感の強いことをここでも感じていました。
乃木大将は2人の息子さんもここで亡くしておりさぞ無念で遭ったことと推測されます。
よくぞここまで歴史を勉強されて近くて遠い国までやってきて配信してくれたと思います。
昔水師営には流ちょうな日本語で当時のこの会見を当時を語って説明してくれていた中国人のおじいさんが
おり詳しく語り部してくれていました。
我仕事でここに来てからもう17.8年経ちここに骨を埋めるべるべきして中国人愛妻と共に
暮らしております。
当時、私の曾祖父が陸軍の曹長で、
同僚の何人かは、青森の雪中行軍で殉職。
203高地に児玉源太郎さんが参戦するおり、
選抜して頂き、一緒に現地へ行きました。
勲位は何等かちゃんと調べてないけれど、
叙勲された金鵄勲章が、まだ実家にあります。
殉職された?
雪中行軍というのは八甲田山ですかね。
2019年頃まで駐在していたので行きましたが、現地採用人に案内頼んだら、あまり日本語喋らないで、カメラも気を付けて!って言われたのを肌感で怖かったよ。大連市内はあまり危険を感じなかったから尚更。
懐かしく見れました。
くしくも、坂の上の雲の再放送やってますね。そこから旅順港は見えるかー‼️
こんにち また入院してました。元気になりました。
わかりやすかったです!また坂の上の雲を読みたくなりました😮
日露戦争は胸熱で特に好きな歴史の一つですけど、テレビでは絶対やらないですね。戦国時代ばっかりで
良かったんです。大変な犠牲を出しながら旅順戦で日本は勝ったんです。日本海海戦も勝ちました。第1次世界大戦勝利で日本は世界の列強国になった、日本は凄い国だと思います。
おお、以前出したリクエスト通りに旅順要塞に行ってくれたんですね。荒井さんありがとうございます。
毎年初詣する川越市寺尾の諏訪神社奥には、忘れ去られたかの様に明治二十七、八年戦役(日清戦争)から日華事変迄の忠魂碑と出身戦没者の顕彰碑がひっそりと佇んでいます 私はその夥しい声無き勇士の勲を娘と共に黙礼し、感謝の祈りを捧げてます。
日露戦争の天王山は旅順です。旅順陥落時点で将棋でいえばロシアの敗着が決まっていたような戦争です。その勝利を届けてくれた英霊に。
旅順は行ってみたい
解説ありがとうございます
やはり現地で実際に旅順港を観てみるとその入口の狭さがよくわかり、旅順港閉塞作戦も小説読んだだけだと「?」 だったのが「なるほど・・」と思っていまいますね(せっかくなので閉塞作戦で散った廣瀬武夫中佐にも触れてほしかったなぁ)
しかし 露はランドパワー国家なのか陸での闘いは強いが海ではあんまりですねウクライナ戦争でも黒海艦隊即無力化されちゃってるし・・昔も今も変わらずなのか
この闘いで命を落とした日露全ての兵士の皆様に哀悼の意を
言葉だけで中身が分かりませんでした。やっと理解出来ました。ありがとうございます。☺️💕
Netflixのゴールデンカムイの主人公 不死身の杉本は203高地の戦闘に参加しています 北海道のアイスのお宝を探す理由は203高地で戦死した幼馴染の奥さんの治療費を工面する目的がありました
坂の上の雲きたーーー!ありがとうございます!
旅順攻略の動画を待ってました!
ありがとうございます😊
おっしゃる通りです。 悲しいですが、現実なんですよね😢
1904年の旅順港要塞は、いくつもの堅牢な堡塁により囲まれていました。その堡塁群の中でも、乃木第三軍に所属する日本兵の膨大な生き血を吸った最凶の要塞は、東鶏冠山北堡塁だと承知しています。私は両書とも完備し数度にわたり読んでいますが、児島襄氏の「日露戦争」(文庫本で全七巻)は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」よりも数段詳細かつ生々しい記録が膨大なほど詰め込まれています。
是非行ってみたいところですが、解説有難うございます
勝って兜の帯を締めろ! 勝った時こそ気を引き締めて行かなくはならない!日露戦争は良い例だと思いました。それは戦争だけで無く全ての勝負事に大切だと思います。
何時もありがとうございます。203高知の話し映画等は何回か見たのですが大変な闘いが分かりますね。山の上から大砲を撃って戦艦が撃破出来るのか?不思議に感じますが日本の戦略も本間に怖いですね荒井さんの説明が兎に角聞き惚れてしまう程分かりやすく頭の中で分かります。悲しいですね?戦争遺跡等が少なくなって居ますから今こそ見ないと?そう感じてしまいます。日本には精神論が今も有るのは本間に違和感が有りますね?😢😢😢又楽しみに勉強させて下さい。🎌🎌🧑💻🧑💻🧑💻
日露戦争の現場になっていたとは思わなかったです。
すごく丁寧な説明すぎて勉強になります。
曾祖父が歩兵第22連隊で旅順包囲戦に参加していたと父から聞いたことがあります。
「伊予の肉弾連隊」といわれる精鋭部隊で激戦地や前線が多かったようです。
映画「203高地」に出てくる血まみれのご飯も脚色ではなく、実際にそれくらい酷かったそうで生米は血が付くと洗っても落ちず、炊くとピンク色になったそうです。
だから赤飯だと思って知らずに食べていた兵も居たそうですが、分かっていても食べないと
いけないくらい過酷でした。
また「坂の上の雲」で乃木希典は多くの将兵を死なせた愚将っぽく書かれていて、
大山巌や児玉源太郎の活躍が目立ちますが、降伏したロシア兵の処遇や旅順市街で
略奪や暴行がほぼ起きなかった事から戦後に世界的には評価されています。
善通寺(第十一師団)だったんですか?
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そうです!編成地は愛媛の松山ですが
所属は香川の善通寺の第11師団 です。
二百三高地と言われると映画が真っ先に思い浮かびます。
戦場では一兵士の命とはこんなにも軽いのかと、アクション映画とは違う戦争の現実を突きつけられた気がしました。
仲代達矢演じる乃木将軍が最後明治天皇の前で泣くシーンが印象的です。
僕も仕事で大連訪れる事がありまして203高地行ってきました!
元満鉄の建物とかも大連に残ってるので少しでも歴史興味ある方は是非訪れてみて下さい😊
大和ホテル、横浜正銀も残ってる
30年ほど前、私も会社の慰安旅行で大連、203高地行きました。高台まで籠で行きました。出発地で金払いました、普通なら当然山頂まで連れて行きますよね、所が中間地点で「ハイここまでです 」と降ろされ山頂までなら追加料金を請求されました。いかにも中国人がやりそうなやり方だと皆んな笑ってました。資料館が有りますが、中には日本に対する悪口ばかりの資料です。その後映画観て思ったけど、やっとの勝利だよね。この欄で誰かが言ってた様に、この戦いで勝利を得た陸軍がずにのり日中、大東亜戦争ヘとのめり込み2発の原爆の洗礼を受けるんだな〜
大陸編が続いてるので満蒙開拓団をお願いします。
外国人視聴者です。ありがとうございます。素晴らしいです
あなたの動画を視聴させて頂いています。配信有難うございます。
素晴らしいロケ動画をありがとうございました。
乃木希典さん、死に様がすごいですよね。天皇とともに…。私はそれで好きになりました。確か日露戦争で息子さんを亡くされていましたよね…
これからも動画楽しみにしております🎉
映画『二百三高地』見ました
進軍する日本兵が落とし穴に落ちてロシア軍がライト照らして機関銃で滅多打ちしたシーンが強烈に印象に残っています
カポニエールという罠ですね。
白襷隊の面々が皆殺しに遭う場面は凄惨そのものですな。
@@hf8624
この頃から日本の軍隊は無謀な突撃を繰り返す軍隊になっていたのですね。
日露戦争の後さらに1つの作戦行動で3万人死傷するとか桁違いの戦死者を出す戦争するし日本に軍隊なくなって良い時代になった。
奢る平家も庇からず、増長せず常に初心を貫き通しておいたほうが良いかもしれない、相手を知り己を知れ!
ステッセルの除名嘆願、残された家族の面倒を乃木希典が看た事。戦死者の一番の原因が脚気だった森鴎外の罪、司馬遼太郎史観だけでは語れない
現地は榴弾を希望したのに本国は榴散弾を発注していて送りつける。
要塞破壊に向かないので被害が増えた。
しかし、あの被害で要塞を落とせた事に欧米は驚いた。
42:23 なんで日本側にハンデがあったのに要塞戦で彼我の死傷者が1:1なんでしょうか...
ロシア軍にやる気なかったんすか
@
そうなのかもしれませんね。
士気の低さが弱さに現れたのでしょうか?
最後に市街戦をしているので、この被害もあるのでしょうか?
傷病者が多く、水兵どころか民間人(義勇兵)にも戦わせています。
ポーランド人は強制的に徴兵されていて軍内で差別・イジメがあった。(日本が捕虜の収容所を分ける必要があった。士官の多くは貴族なのでこれも分ける必要があった?)
海戦でも士気の低さが目立つ様に感じる。
貴族の保身(旅順には何万発も砲弾が残されていたのに、司令官は本国に砲弾の枯渇を報告している。満州での戦いでも消極的。被害数も水増し?)
私も断片的な知識しか無いので、詳しくは研究者の本を読むしかないでしょうね。
追記
舌足らずになっていますが、旅順攻略戦の総数なので要塞戦では日本軍の被害が多く市街戦ではロシア軍の被害が多かったと思われます。
旅順攻撃に関しては様々な説があるよね。これもその中の一つか。いわゆる司馬史観に異を唱える人がいるんだよね。それぞれが相応の一次資料を基に主張しているはず。最後は好きか嫌いかで各自が決めればいい話。関係ないけど 現地は木が生えていて想像とだいぶ違ってしまっていた。当然だけど。
乃木さんはこの戦いで、大量の死傷者を出した責任を取って明治天皇に死んで責任を取りたいと報告したが、明治天皇がせめて私が死んでからでというので、明治天皇が崩御した日に命を断った事実がある。亡くなった兵士と同じ運命を選んだ姿勢は凄いと思った。
水師営の会見所は現在の場所じゃなくて別の場所にあったと現地のツアーガイドが説明していました。
旅順艦隊や要塞についてそのままにしておいてもよかったはよく聞くんですが、
旅順要塞内の戦力と艦隊をそのま後方に置いたまま満州の奥深くに進軍するのはあまりに危険だとも思うんですよね
情報って大事だよね
弾薬がなくなっても軍艦が役立たずになっても敵さんの知った事じゃない戦術で疑心暗鬼にさせる事ができる。
1860年代にロシア太平洋艦隊の冬の根拠地は長崎で、日清戦争後の1896年まで使用していたので、その代替が遼東半島ですね。ロシア国立歴史資料館の資料と日本側の説明が異なるのは、長州の官軍史観が影響しているのでしょうね。
一人一人兵隊にもドラマがあるはずなのに消耗品の様に扱っていますね太平洋戦争で負けるまで続いたので恐ろしい事ですね、私はあの西国出身の幕末の志士が暗殺されずに明治の政府に参加していたらこんな国にはなっていなかったと思います
これは期待値高すぎ
大人の教養最高
当時の遺構、慰霊塔がまだ残ってるんですね。。知らなかったです。
青島の戦いもやって頂ければ幸い。
内容はすごいいいのに髪型なんとかならんかったんかw
戦争に巻き込まれていない日本国から、この動画をのんびりと見られていることを本当に有り難いと思いました。
すごいとこにいったんですね。登録。😄
親戚が203高地で戦死しているから一度お参りに行ってみたいな
北方領土やサハリンのロケって考えてますか?すごく興味あります
20数年前中国旅行した時はこのエリアは外国人旅行者入れなかった場所 今の中国はなんでもスマホ管理になって旅行しにくくなった
自分が行った時は、現地のツアーガイドが軍人にお金渡してましたね。
バルチック艦隊は日本海軍の二倍ありましたからね。
乃木は写真を撮る時に相手に恥をかかせない様に帯刀を許しましたね。
司馬遼太郎の坂の上の雲では、「あと3ヶ月戦っていたら日本の男子が全部いなくなる」
て書いてたのが印象に残っている。
「一将功成りて万骨枯る」、戦争を格好いいと思うなかれ。
坂の上の雲の司馬史観のせいで乃木希典と第3軍が無能扱いされたんだよなぁ…😮💨
髪型〜っ!
1993年203高地に行きましたまだすいしえいをつくってるところでした
知ってるわ からかなりそうなんやて滅茶苦茶勉強なります
私の祖父が日露戦争へ行き運良く生きて帰ったので今の私がいます。負けていたら日本はロシアの植民地になり、その後ソ連に組み込まれて日本人は哀れな生活をしている。第二次大戦ではソ連兵として弾避けの盾として使われていたでしょう。今の日本はありません。ウクライナの人たちが「二度ロシアの配下になるものか」という思いで戦っているのが良くわかります。
仲代達矢と丹波哲郎が出演している203高地の映画を見れば旅順攻略戦の悲惨がよくわかりますよ。
さらに、この写真では末代まで恥を残してはならないという配慮でロシア将校にも帯刀を許したそうですね。
乃木将軍は阿呆将軍だから毎日同じ攻め戦法で、頂上のロシア軍攻撃したので乃木戦法を知ったロシア軍は同じ守備戦法で守り、日本軍は多数の戦死者を出した。