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「安全はマネジメント」は社内で紹介しました。少しずつ理解が深まってきているようです。危険源は読んで字の如く、危険の「源」です。墜落の源は高さ(地上で作業すれば高さがないので、墜落は起きようない)、手すりがあるとか関係なく、まずは高いところで行う作業場所を挙げていく。挟まれの源は、開閉する機構(開閉しないなら挟まれようがない)。カバーがあるかないかは置いておき、まずは開閉するような機構部分を挙げていく。これは機械の機構だけでなく、物を持ち上げて下すときも下す場所と物の底面の間が閉じていくポイントになります。危険予知の感覚はいったん忘れて、危険源の特定の際は、対策があるとかないとか一切関係なく、素直に高所(位置エネルギー)、開閉機構(閉じるエネルギー)のポイントを挙げて行き、その危険源と作業がどのような場面で関わるか調べていく。その後で今の対策が有効か否か検証すれば良い。危険探し(対策がまだ出来ていない所を探そうとする)の感覚ではうまく行かないですね。以前、サステナビリティとビジネスというテーマで外部からお越しいただいた講師の方が、あるある話として、日本人はロジックのプロセスを軽視していきなりやることを議論する、これでは良いビジネスモデルは生まれない、事実を整理して分析し課題を見出し…というプロセスを軽視しているとおっしゃっていました。日本の多くの企業で行われているリスクアセスメントも似た状況ではないかと思います。「危ない」は本来、事実を判断基準に照らし合わせた結果として得られる結果であるのに、危ない=事実としてそこに存在しているはず、と言う誤解があるのではないかと思います。
コメント、ご視聴をいただき有難うございます。今回も理解を助ける補足をしていただき有難く存じます。「日本人はロジックのプロセスを軽視していきなりやることを議論する、これでは良いビジネスモデルは生まれない、事実を整理して分析し課題を見出し…というプロセスを軽視している」、は納得できます。RAについても、多くの方々が対策からスタートしてしまいます。危険源→危害→現状の管理策、というプロセスが重要ですよね。今後もご視聴をお願いいたします。
日本人は、科学的な安全よりも主観的な安心を優先する悪い癖があると私は思っています。どんなに科学的に危険でもみんなが主観的に危機感を持たない場合はそれを「絶対安全」とみなしてしまいます。
二酸化炭素や窒素など、窒息リスクは、エネルギーとの関連付けで、何のエネルギーに相当すると解釈すればよろしいのでしょうか?
ご視聴、コメント有難うございます。酸素欠乏症とは、空気中の酸素濃度が12%程度と低くなると、空気中と比較して酸素濃度が高い赤血球から空気中へ酸素が流れることです。ざっくりと化学のエネルギーで良いと考えます。今後もご視聴をお願いいたします。
労働安全衛生規則542条の「つまずき、すべり、踏抜等の危険」の原因は、エネルギーを持たないので、危険源と言う言葉を使うのはおかしいと言うことになるんでしょうか。例えば、段差、通路への突出物、通路に置かれたモノ、路面の濡れ、塵で滑りやすい状態などのことですが。
ご視聴、コメント有難うございます。もちろん、段差、突起物、路面の濡れなども「危険源」です。ご指摘のとおり、わかりにくく恐縮に存じます。「エネルギー」を強調する場合に説明が複雑になるため敢えて触れておりません。たとえば段差での躓きの場合、「人の動き」というエネルギーが原因となります。そのエネルギーを止めるのが段差の持つエネルギーということになります。濡れた路面でのスリップの場合は「人の動き」のエネルギーの方向を変換するエネルギーが必要となり、それが水や油となります。このように広義に言えばエネルギーを持っていると言えます。ただ、前述のとおり説明すると複雑になりますので避けている次第です。大昔の学生時代にE=mc2 など習いましたが忘れてしまい、上手く説明できず申し訳ございません。ご視聴者で可能な方が居られたらご説明をお願いします。今後もご視聴をお願いいたします。
段差があってもただ人が転んだだけでは重大事故につながるリスクは少なくないですか。転倒に伴う転落、感電、巻き込まれ、挟まれ、持っているものが重い、車などにひかれる、化学物質のエネルギーなどの他の高エネルギー源があることが重大事故につながる不可欠の要因でしょう。「重大性」という概念が欠如したリスク評価体系に疑問を持つ文化を目指しましょう。
「安全はマネジメント」は社内で紹介しました。少しずつ理解が深まってきているようです。
危険源は読んで字の如く、危険の「源」です。墜落の源は高さ(地上で作業すれば高さがないので、墜落は起きようない)、手すりがあるとか関係なく、まずは高いところで行う作業場所を挙げていく。挟まれの源は、開閉する機構(開閉しないなら挟まれようがない)。カバーがあるかないかは置いておき、まずは開閉するような機構部分を挙げていく。これは機械の機構だけでなく、物を持ち上げて下すときも下す場所と物の底面の間が閉じていくポイントになります。
危険予知の感覚はいったん忘れて、危険源の特定の際は、対策があるとかないとか一切関係なく、素直に高所(位置エネルギー)、開閉機構(閉じるエネルギー)のポイントを挙げて行き、その危険源と作業がどのような場面で関わるか調べていく。その後で今の対策が有効か否か検証すれば良い。
危険探し(対策がまだ出来ていない所を探そうとする)の感覚ではうまく行かないですね。
以前、サステナビリティとビジネスというテーマで外部からお越しいただいた講師の方が、あるある話として、日本人はロジックのプロセスを軽視していきなりやることを議論する、これでは良いビジネスモデルは生まれない、事実を整理して分析し課題を見出し…というプロセスを軽視しているとおっしゃっていました。
日本の多くの企業で行われているリスクアセスメントも似た状況ではないかと思います。
「危ない」は本来、事実を判断基準に照らし合わせた結果として得られる結果であるのに、危ない=事実としてそこに存在しているはず、と言う誤解があるのではないかと思います。
コメント、ご視聴をいただき有難うございます。
今回も理解を助ける補足をしていただき有難く存じます。
「日本人はロジックのプロセスを軽視していきなりやることを議論する、これでは良いビジネスモデルは生まれない、事実を整理して分析し課題を見出し…というプロセスを軽視している」、は納得できます。
RAについても、多くの方々が対策からスタートしてしまいます。
危険源→危害→現状の管理策、というプロセスが重要ですよね。
今後もご視聴をお願いいたします。
日本人は、科学的な安全よりも主観的な安心を優先する悪い癖があると私は思っています。どんなに科学的に危険でもみんなが主観的に危機感を持たない場合はそれを「絶対安全」とみなしてしまいます。
二酸化炭素や窒素など、窒息リスクは、エネルギーとの関連付けで、何のエネルギーに相当すると解釈すればよろしいのでしょうか?
ご視聴、コメント有難うございます。
酸素欠乏症とは、空気中の酸素濃度が12%程度と低くなると、空気中と比較して酸素濃度が高い赤血球から空気中へ酸素が流れることです。
ざっくりと化学のエネルギーで良いと考えます。
今後もご視聴をお願いいたします。
労働安全衛生規則542条の「つまずき、すべり、踏抜等の危険」の原因は、エネルギーを持たないので、危険源と言う言葉を使うのはおかしいと言うことになるんでしょうか。
例えば、段差、通路への突出物、通路に置かれたモノ、路面の濡れ、塵で滑りやすい状態などのことですが。
ご視聴、コメント有難うございます。
もちろん、段差、突起物、路面の濡れなども「危険源」です。
ご指摘のとおり、わかりにくく恐縮に存じます。「エネルギー」を強調する場合に説明が複雑になるため敢えて触れておりません。
たとえば段差での躓きの場合、「人の動き」というエネルギーが原因となります。そのエネルギーを止めるのが段差の持つエネルギーということになります。
濡れた路面でのスリップの場合は「人の動き」のエネルギーの方向を変換するエネルギーが必要となり、それが水や油となります。
このように広義に言えばエネルギーを持っていると言えます。
ただ、前述のとおり説明すると複雑になりますので避けている次第です。
大昔の学生時代にE=mc2 など習いましたが忘れてしまい、上手く説明できず申し訳ございません。
ご視聴者で可能な方が居られたらご説明をお願いします。
今後もご視聴をお願いいたします。
段差があってもただ人が転んだだけでは重大事故につながるリスクは少なくないですか。転倒に伴う転落、感電、巻き込まれ、挟まれ、持っているものが重い、車などにひかれる、化学物質のエネルギーなどの他の高エネルギー源があることが重大事故につながる不可欠の要因でしょう。「重大性」という概念が欠如したリスク評価体系に疑問を持つ文化を目指しましょう。