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一つの戦いについて、これだけ詳細に解説されているのは他に見た事がありません。超マイナーな名前が次々と出てくるのでかなり玄人好みな構成とも思いますが地図を使った進軍経路がとてもわかりやすく、私のような初心者にも勉強になりました。
超マイナー武将は調べるのも一苦労なんですが動画の雰囲気付けで出してますw地図や進軍経路はこだわっているのでおほめ頂き感謝
見応え十分の力作ありがとうございました。
旧説の三方ヶ原の戦いの動画が多いので頑張って新説で作ってみました
信玄はやることが慎重である。一気に京に上るはずがない。手堅く領土を広げていくのが信玄流。勝頼も同じことをしようとしただけだが、信長軍団の成長が凄過ぎた。
当初、日本最弱言われた信長槍軍団が改良や新式取り入れて日本最強なるんだもの!
私も上洛説は否定派というか道から考えるとどうやっても無理w
地図で進軍ルートを見ると面白いですね
道にはかなり力入れてますので嬉しい
大河も物の弾みで観ちゃうと、けっこう面白い。歴史ファンタジーとして。
「今宵はここまでに致しとうござりまする」大河ドラマ 武田信玄が懐かしいですね。
あの終わりが大好きで今でも耳に残ってる気がしたけど、よしふじちゃんはピチピチなので聞いたことないと思うよw
街道が再現された地形図があるとリアリティがあって理解が深まった気になります。色んな戦いでこれを見たい…!
街道は旧街道の実際の道をトレースしてますので一応リアルだったりします
相変わらず当時の地形をなるべく再現した図でどんな機動をしたんだろうと想像しながら示されていて見ごたえがあります!!昔の有力説と近年の有力説で信玄の西上と義昭信長離反の因果関係が逆転してるのも面白いですね。
足利義昭と信長の対立時期ももう三方ヶ原後で決着した感はありますねぇ
今回も最高です
昔の地形が再現されていて面白いです。地形の制約が昔と違うのは重要ですね。しかも、数百年前程度なのに正確な地形もわからないほど今の地形は変わっているというのも興味深いです。
大河のそばは地形が変わりまくって調べるのも大変ですが、当時の地形じゃないと見えてこないコトが多いと思ってますので地図作成は頑張っておりまする
人口動態に注目すれば現代の日本は江戸前半の開墾治水期と明治以降の産業開発期に人の手によって作られた国土だと納得が行きます。戦国時代なら河川は氾濫原を含む膨大な荒野を意味します。これは崩れたら崩れぱなしの中山間地域も併せて甲斐信濃飛騨が尾張や三河西部、越後、近江などとは比べようのない荒蕪地であった事を教えてくれます。武田の武勇とは貧しい地域から略奪を繰り返す徴発作業に過ぎないとも言えます。信濃での武田評価は現代でも高く無い、これは略奪者誘拐者としての武田の伝承が信濃に根強くあるからです。自分も武田嫌い。でも真田厨だから矛盾もありますが。
秋葉を「あきは」と発音しているのに好感が持てます。多くの人は「あきば」と発音しますが、遠州では「あきは」と発音しますから。大河ドラマ「直虎」でも、「あきは」と発音してました。
自分も不思議に思います。東京の秋葉原も「あきはばら」なのに、なんで「あきば」って読む人がいるんでしょう?
ボイロも秋葉を「アキバ」と読んでしまうので全て手打ちで修正してますが、発音が変で困ってたりしますw
@@目白セキレイ 秋葉原は秋葉神社があった原っぱなので、あきばがはら・あきばっぱらと呼ばれていました。「あきはばら」駅が出来た際にこちらが有名になってしまい、地名が変わっています。
自分の歴史認識と大幅に違ったのは驚きと同時に多少ショックですw wでも、歴史考証というものはそんなもんかもしれませんね。よしふじさんの良いところは、話の展開もそうですが、現在の地図に当時の地図を連想させてくれる構成でしょうね。頑張ってね!
信州民です。青崩峠や兵越峠を信玄本隊は超えず駿河経由だったんですねー
青崩峠と兵越峠を通って信州へ行ったことがあります。その時に「ここを信玄の大軍が通過するのは無理がないか?」と思っていたので、この動画を観て納得しました。
塩の道として下手すれば縄文・弥生からありそうな道ですが青崩峠や兵越峠はほんと険しい
武田信玄最後の大博打。名門源氏の意地ですねーカッコ良過ぎる。
名門甲斐源氏の元祖の意地もいつか動画にしたいなぁ
考察が素晴らしい
いまだに旧説の三方ヶ原の戦いの解説が多いので、駿河からの新説が少しでも普及すれば嬉しい
進軍ルートがあるとわかりやすいし面白いです。見ていて感じたのは信玄相手にわりと奮戦しているんだなぁと。
道と進軍ルートはこだわってるので嬉しい
なるほどね。信玄の本体が駿河から進行してきたというのは最近の他の動画でも取り上げられていたけど、それが定着しつつあるのね。確かに、先発隊のみが諏訪方面から来たとした方が合理的に理解できる。高天神城もこの時点で一度武田方になっているわけね。
駿河侵攻説がもう完全に定説化すると思います新たな発見でもない限り覆しようがないかなー
将軍義昭の件は参考になります。要は三方ヶ原で織田・徳川軍が信玄に大敗北したので、義昭が心変わりしたということですね。信長包囲網などではなく、信長の旗色が一時的に悪くなった時期があったので義昭が離れていった。義昭は将軍といっても実態は公家と同じで、ほぼ一文無しですから当然です。
細川藤孝を信じていればねぇ…
本日の大河の内容(三方ヶ原の戦い)に合わせてのアップですかね。進行ルートの定説との違いとか、北条軍の援軍が加わったとかとても面白いですね。
GWなので製作が間に合ったw
ありがとうございます、大変興味深かったです。地形や古道と照合しながら自説や解釈をわかりやすく解説するスタイルは本当に素晴らしいと思いますヨシフジちゃんは、語り手や幕間劇的に出てくるのは全然良いと思うんですが、脈絡なく体操服とかになられると電車で見たり他人に勧めるのに憚られると思ってます。当たり前ですがさじ加減はお任せですし一意見として。
系図等のスキマに彩りとして入れるくらいは許して欲しかったかなー
そこはもう投稿主様のチャンネルでの自身のご意志ですので、そういう作りなら人前で見ない、他人には勧めない、ということではあります。意見表明の機会を頂けてありがとうございます。感想募集と言っておいて、苦労して作ってるのに嫌なら見んな、って返すチャンネル主様もいらっしゃいますから…
地元の陣座峠の名前が出るのは嬉しいことですね。宇利峠とか陣座峠には何もないのが寂しいですが…
そのうち今川滅亡もちゃんと作りたい
北条の援軍が甲斐に来てから出陣はおかしいと思ってましたが、成る程と納得。
援軍来てから甲斐出陣とする本もありますが無いよなーと
@@Yoshifuji-Sengoku さん援軍なんか待つといつなるわかりませんし、陣ぶれしてからの士気にかかわりますからね。
だが、この通説には疑問が残る!
今回はガチなのでネタは封印しました(涙
「ここ3年の鬱憤を晴らす!!!」晴信。家康の武田いじめは度を過ぎた。
世間では信玄が悪者ですが家康も悪いよなーと
非常に面白かった、これからもよろしくお願いしますしかしまぁ、家康の行動は若さ溢れるイケイケですな、三河の一向宗門徒にやったように信玄相手にもイケイケだ
ただ甲三同盟を結んだ際に天竜川で遠江を分割したのに秋山が天竜川を越えて暴れたもんだから家康がブチ切れたって説もある
ここ最近イケイケ家康の動画ばかり作ってますわ
当初の川切が天竜川だったのか大井川だったのかは徳川から見るか武田から見るかでずっと論争で決着つかないと思ってます
この時代の大井川本流は現在の栃山川辺りだったようです。後に山内一豊が治水工事を行い現在の流路になりました。浜名湖から浜岡までの海岸線ですが1707年の地震で大きく変わっています。持船ー滝境ー高天神ー横須賀の海運が有ったようです。
家康のたぬきぶりはこの頃から表すじゃん、面白い
小笠山といえば、エコパスタジアムと団子で有名な法多山ですが、あそこには当時、重要な砦があったんですね。
砦はもうちょっと山の上な感じですが、その辺も徳川軍が掛川攻めでわんさか進軍したんじゃないかと思いますねぇ
BGMの合わせ方銀英伝っぽいな
戦いの場所は変わってもうんちを漏らしたことは変わらないのは草
神君はう〇こしないよ派の徳川家斉により検閲され、脱糞記録の抹消を命じられましたが、その命令と削除内容を律儀に記録してしまったので現代にまで伝わったという…
浜松人です。地元で起きたマイナーな合戦をとりあげて頂きありがとうございます😮よしふじちゃんが居なくても見応え十分でした🎉でも、もう少しよしふじちゃん増やしてほしい笑
よしふじちゃんはちょっと過激すぎない衣装でも増やそうかなと思います(涙
武田は兵力で圧倒し後方も万全、織田は近畿で手一杯であまり援軍は期待できないこれまで無茶を実力で推し通してきた家康もついに年貢の納め時か・・・
ここ最近は家康が無双する動画ばかり作ってましたのでちょっと新鮮かもw
関ヶ原の合戦もお願いします!
多分少ししたらやります
「武田軍は高天神城付近を通過しただけ」と書いた本もありますが、実際には落としていたのですね。
最近の新説だと高天神城は降伏した感じですね
武田信玄、領土は広いけどほとんど山なんだよなあ
金山の豊富な金の甲州金貨が日本で流通し莫大な収入です!
ほんと気の毒なくらい立地最悪wまあ治水の関係で大河周辺の平野の生産性がこの時代は低いのでまだ差は少ないけど、甲府盆地も大概ひどい
食料生産量が少ない土地の大名は兵士が死を恐れないで戦うから次元を越えた強さになるよね。 食を奪えなければ待つのは『死』しかない。 自分だけでなく家族も死ぬ。
大河ドラマでも最新の説に沿っている展開だったので、高天神城が落城、てセリフにあれっと思った。高天神城はこの時に武田側に下ったんだね。でも秋山信友(信繁)の岩村城攻略はいつのことだったの?
後編で岩村城は語りますよー
@@Yoshifuji-Sengoku 楽しみ(⌒∇⌒)
北条から援軍二千とゆうのは初耳でした。
二俣城の陥落で述べますが戦死までしてるんですよね北条の援軍
なんやかんやで三方原の戦いが終わりまして~ 時代考察もメチャクチャなヒューマンドラマがはじまります・・・こちらの動画で押したり引いたりする方が緊迫感あって面白そうなのに
大河は予算がなくて合戦描写が・・・人間ドラマ中心にならざるを得ないのでしょうねぇ
「今宵はここまでにいたしとおござりまする。」大河の若尾文子扮する大井の方の決め台詞。
良い大河には記憶に残る良いセリフがありますよね
よしふじちゃんがいないと脳が疲れて内容が抜けてしまい集中力が維持できないよ~アイキャッチはここで脳を休めてという意味合いもあると思いうの。カレーライスに福神漬け、牛丼に紅生姜、寿司にガリのように味覚をリセットする機能がよしふじちゃんにはあるのだ!
よしふじちゃんはチャンネル主にとっても心の癒し
武田信玄公は、織田信長、徳川家康の領地平定と織田信長、徳川家康滅亡と天下統一目的です🎵武田信玄公は、美濃尾張の経済力と三河武士団が欲しかったです🎵海も欲しかったです🎵あと北条の領地の鎌倉も欲しかったです🎵僕は、武田信玄公と武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵上杉謙信公、明智光秀公、伊達政宗公、後醍醐天皇、大久保利通も大好き💓♥️❤️です🎵青葉城、駿府城、浜松城、岡崎城、清州城、岐阜城、松本城、安土城も大好き💓♥️❤️です🎵 織田信長、徳川家康、足利尊氏、源頼朝、豊臣秀吉、松平容保が一番大嫌い😭💔です🎵
足利義昭絡みの書状の時期比定含め、元亀(信玄期)と天正(勝頼期)がごっちゃになっているのが訂正(?)され浸透したのはここ10年とか20年位かな。そして、かなりマシなモノとは思うが、三河物語のいい加減さも幾分
三河物語は三方ヶ原前後がなんかおかしいので欠損というかわざと廃棄した部分もあるんじゃないかなぁと感じております
加賀の国を、一向一揆が治めているところが凄い。当時の民衆がいかに時勢に不満を持っていたか如実にわかります。
一言坂、二俣城、三方ヶ原
ナイス!
カラノカブトではなくカラノカシラと読むのが正しく、カラノカシラも忠勝の兜の事ではなく内藤信成のことなんですか?
本多忠勝はカラのカシラを兜には付けてないと思われます。唐の頭とは目立った活躍をした将のことですが武田軍は誰だか分からなかったのでしょう。動画で内藤信成としたのは物見だったので旗指物はしていなかったであろう状況からの推測になります
唐の頭ことヤクの毛は大変に高級で希少な輸入物なのですが、若き家康は特にお気に入りで大量購入し家臣にも配って装備させています。武田側から見れば金にまかせてチャラい格好してやがんなチクショーメ、という感じなので家康に過ぎたるものとして挙げたのでしょうね。
ファビアン戦略を徹底できなかったことにまだ若い家康の未熟さと信玄老練さを感じる。率いる兵がローマ兵みたいに統率が取れていたなら信玄も嫌だったろうが
>岡部英一「一言坂の戦い 武田信玄、遠州侵攻す」>地本の郷土史家の考察したストーリーも読みごたえがあり知りませんでした、読んでみます。地元の郷土史家って胡散臭い人が多いイメージだったんですが、そこに長年住んでる人だからこそ感じるものもあるとわかってきたので気にいなりますね。
作者のストーリーは内容を全面的には採用しておりませんが巻末の史料の読み下し分はまじで良いですよ
こうやって見ると、若い頃から家康公は外交上手。
これは天下人だわってくらい若い頃からスーパー
葵三代では無いですが秩序を志向する初期徳川幕府が支配の正当化のために無茶苦茶な権威付けを行い、その過程で膨大な焚書坑儒に励み現代の戦国ファンを困惑させ続けてるのが解りますね。ある意味スターリン化された家康。で幕府は各大名家でもその作業をやらせる事で同輩のリーダーに過ぎなかった戦国大名を主君と臣下の型に嵌めて行きこれによっても戦国時代の実像は後代から見えなくなってる。赤穂事件などは価値の確立期に於ける思想闘争。江戸思想ウルトラとしての忠臣蔵であり実は幕府と義士は隠れた共犯関係にあた
織田・豊臣・徳川だと織田が一番難解な気がしてます、織田も相当焚書してそう
大河に合わせて出してきましたな
この三方原の戦いで真田昌幸とかの因縁の出会いを果たす訳か、、
三方原では真田は史料上で存在感皆無だったりします
締めの台詞何の台詞やっけ?独眼竜?
今宵はこれまで~、ってセリフのことかな武田信玄じゃなかったっけ?
中井貴一が主役やった1988年の大河、武田信玄で合ってる
みんな詳しい、武田信玄ネタです。政宗ネタもたまにやります
よしふじちゃんの霊圧が消えた!?
草
視聴者アンケートの結果減らしてほしいってことになったから仕方がない…
同盟相手をその時々の自分の都合でコロコロ変えてたら信用無くすだろうし、結局勢力は衰退することになるよ。兵法の一つに遠交近攻があるしそれに従えば家康の行動は理に叶ってるよ。
すばり、武田信玄には忠義というものが一番欠けていたということです
実際に家康の外交はさすがと思いますね、まあ誤算は北条がひっくり返るとは思ってなくて短期的にピンチになってしまいましたが、致命的なのは武田の方ですからねー
もう甲斐源氏の伝統かもw
岩村城が一番悲惨
遠山さんはどこも結構悲惨だよねぇ
😊
いつも応援感謝♪ガチ硬派で頑張ったけど三方原動画が溢れてるから厳しい感じ
静岡県民が中部東部西部になんとなく別れてライバル視してるのってこの頃の名残りだったりします? w😅
そもそも3つの地域は文化が違うのであって、それを現代になって一つの地域にしたからなのでは?青森県も3つの地域からなりますが、争いを好まない地域なのでライバル視はありません。一方、静岡は青森と違って地域によって異なりますが好戦的だったり負けず嫌いなのでライバル視しているように見えます。
東部は分からんけど、中部西部はどちらもたぶん大方の人が地元の武将は義元かつ家康だと思ってます。ちなみに井伊谷の人は大河前までは井伊家に特に興味は無かったと思います(井伊性の家は現代にも割とあるのに)。
青森の津軽藩領と盛岡藩領はガチバトル状態と思ってましたがw
伊豆までもが静岡ですからねぇ、ちょっと合体し過ぎかもw
結局漏らしてるんかーい!
本来、合戦中に垂れ流すのは普通のことなのでw
通説って、その時点で分かっている事の積み重ねで細かな所は永遠に謎だと思う。。。出典が何か分からないけど、ここまで言い切るなら論文を発表すれば良いと思うw下手なドラマより面白いから見るけどね♪
前編で私のオリジナルなのは小笠山ルートと一言坂の展開ぐらいで、通説否定の駿河ルートはこの10年ぐらいの各先生方の論文・書籍等で十分に批評された結果の流れになりまする
@@Yoshifuji-Sengoku 新説のうちどれを通説とするかは、学者によっても判断が違いますから。。。別にそこまでの堅苦しさも求めていないので、楽しんでます♪
日本て驚くぐらい平野が少ないんだよな。武田陵の無意味さ。住むには良いところだけど貫高基準の戦国時代では何の価値も生まない場所をいくら支配しても無意味なんだよな
飛騨とかどないせーっちゅー話ですなwずっと飛騨守護の京極さんとかうま味あったんですかと思ってしまいます。
マジで上から見ると甲斐信濃て山だらけで生産性低いのが分かるな
この時代は平野も大河の周辺は水びたしで生産性が低いのでまだ格差は広がってない感じですが、それでもまあ立地最悪ですよねw盆地も大概水がヒドイし
嫡男を殺してまで始めた今川侵攻にも拘わらず、いうほど領土をとれなかったので腹立ってたんだろうな。とは思いますね。
上杉謙信、北条氏康、織田信長、今川氏真に囲まれてどこを攻めようかと考えると・・・ねぇ
@@Yoshifuji-Sengoku その理屈で、弱いものから順に攻める。なんてやっていると、家康からすると外交的に武田を孤立させるしかなくなりますよね。
武田信玄は今川重臣を巧妙に調略し巧みに駿河侵攻を企てたが、下記の重大な誤算があったと思います。①徳川家康はじめから今川氏真を殺す気はなかった。時代の流れで食うか食われるかの時代であるために三河、遠江平定で今川氏と撤退しているものの、幼少期から太原雪斎より武将ととして知識を学んでおり、今川家には恩義を感じていたと思います。あくまでも遠江平定が目的であり掛川城を明け渡せば良しとして今川氏真を殺す気はなかったと思います。それは北条氏康死後今川氏真夫妻を保護し親しく交際したことから明らかです。②今川家と北条家の密接なつながり一時を除いて今川氏親、伊勢宗瑞より今川家と北条家は同盟国であり続けていました。さらに北条氏綱は息子氏康に「義を重んじよ。」と遺言を残して北条家の家訓にしました。長尾景虎の小田原城侵攻で今川氏真は援軍を派遣して恩義を受けたから、武田の駿河侵攻では甲相駿三国同盟を破棄した武田信玄の所業にブチ切れ今川氏真を支援して掛川城開城後今川氏真を保護したと思います。③北条氏規との交流徳川家康と北条氏規は今川の人質として隣の屋敷を与えられて共に励まし合ってきた親友でした。掛川城開城の時、北条氏康の仲立ちが合ったことは明らかであり、北条氏規を通じてお互いの武将としての気質を理解することができたのではないかと思います。武田との盟約に違反することは恐怖を感じていましたが、北条との同盟で武田を封じ込めることができるので、今川氏真を殺す気はなかった家康にとって渡りに船でしたでしょうね。
駿河侵攻もそのうち動画にすると思います
ノッブほんと苦労人。
いやまじホント苦労しとるw
ええ、信長と同盟結んでたんや。酷い信玄笑
信玄ヒドイが一般的ですが、家康もヒドイを少しでも広められれば良いなぁとか思ってます
私の推測によれば、武田信玄は今川領(駿河と遠江)の略奪を狙っていた。しかし、東に北条、西に徳川がいるために、それは難しかった。そこで考えたのが徳川との同盟だった。本来は駿河と遠江の二か国を自分のものにしたかったが、それが無理だと思って、遠江をやるからいっしょに今川領に攻め込もうと徳川を誘ったのだ。だから、武田と徳川の同盟は一時的で、信頼の無いものだった。事実、信玄は徳川軍が遠江に攻め込んだとき、その背後に軍勢を送って、兵站を脅かすなど、背信行為を行っている。だから、北条と同盟を組み、上杉をけん制すると、遠江侵攻を始めたのだ。信玄は、遠江は初めから自分のものだと思っていたのだ。この時期の信玄は、織田信長が畿内に釘付けになっていることを良いことに、やりたい放題だった。信玄の目的は、家康から遠江を略奪すること、できれば家康を討ち取って、三河も欲しかったのだ。
秋山の遠江侵攻が同盟違反だったかは微妙と思ったりしてます川切があったのか、大井川なのか、天竜川なのか。論争は決着つかないと思いますので
最新の研究って、頭の悪いヤツが使うワードだよな。最新か必ずしも正しいとは、限らないのだが。大勢の目でしっかりと検証したならまだしも、新説が出た途端に数字欲しさに使う輩が多い、多い。この動画も、自分の描いたシナリオに都合のイイように、伝説もしっかり使っちゃってるしwww
昔と違って信用出来る史料が増えてるのと、その研究が我々に降りてくる前に研究者間で検証が行われているのでなまぁ歴史なんで新しい史料が来たら手のひら返すくらいのスタンスが正しいわけで
@@matukawatositane 昔と違って信用出来る史料が増えてる……ハア? なんの根拠???1次資料は、時代と共に失われるモノだろwww火災だの、戦争だの、価値のわからん子孫が捨てただの。昔の歴史家が見れていた1次資料が、今は消失して見れないコトの方が遥かに多いわ!!
三方が原への説は信玄の信長への手紙とかの資料が元のはず。頭が悪いと馬鹿にする前に少しは調べてみたら?
@@八坂良太郎 信長への手紙で、三方ヶ原の戦いの詳細が解るってwその手紙には、局地戦の詳細が事細かに書いてあったんですかね?この動画でも、伝説だの伝承だのが使われてるでしょ?肝心の部分は想像でしかなく、講談や軍記物とまったく同じなんすわwwwwそれに、信長への手紙をまず大勢の目を通して、検証する必要がある。歴史を塗り替えるのだから、まずは証拠を示せと。その手紙が捏造でないか確かめる必要があるし(新説を唱えた歴史家の捏造、もしくは武家の子孫の捏造など)、手紙が当時のモノとして、手紙の内容が本当に正しいのかも検証する必要がある。今回の場合、信玄が自分に都合のいいコトばかり書いてないか……など。出たばかりの新設が、検証も無しにまかり通るなんて、日本くらいじゃね?ユーチューバーにしろマスコミにしろ、歴史系の出版社にしろ、ただの数字稼ぎだよ。そいつらの言うコトを鵜呑みにしてる時点で、馬鹿にされても当然なんだわwww
@@エイチヒノモト-y8i 検証検証って上でも言われてるけどすでに研究者たちの間で検証されつくされた結果が世に出回ってるわけでそもそも「研究」ってそういうもんだと思うぞ実際に現場を見たものがいないからこそ書状とかを読み取って起きた出来事の軌道修正をしていくのが「歴史」ってもんじゃないのかなぁ、と俺は思うあとそういう研究によって今までの通説が覆されるの、研究者じゃない素人からしたら「ロマン」めいた物があってとてもいいじゃないか
見入ってしまった面白い
ありがたいです。今後も応援頂けると嬉しいです♪
一つの戦いについて、これだけ詳細に解説されているのは他に見た事がありません。
超マイナーな名前が次々と出てくるのでかなり玄人好みな構成とも思いますが
地図を使った進軍経路がとてもわかりやすく、私のような初心者にも勉強になりました。
超マイナー武将は調べるのも一苦労なんですが動画の雰囲気付けで出してますw地図や進軍経路はこだわっているのでおほめ頂き感謝
見応え十分の力作ありがとうございました。
旧説の三方ヶ原の戦いの動画が多いので頑張って新説で作ってみました
信玄はやることが慎重である。
一気に京に上るはずがない。
手堅く領土を広げていくのが信玄流。
勝頼も同じことをしようとしただけだが、信長軍団の成長が凄過ぎた。
当初、日本最弱言われた信長槍軍団が改良や新式取り入れて日本最強なるんだもの!
私も上洛説は否定派というか道から考えるとどうやっても無理w
地図で進軍ルートを見ると面白いですね
道にはかなり力入れてますので嬉しい
大河も物の弾みで観ちゃうと、けっこう面白い。
歴史ファンタジーとして。
「今宵はここまでに致しとうござりまする」
大河ドラマ 武田信玄が懐かしいですね。
あの終わりが大好きで今でも耳に残ってる気がしたけど、よしふじちゃんはピチピチなので聞いたことないと思うよw
街道が再現された地形図があるとリアリティがあって理解が深まった気になります。色んな戦いでこれを見たい…!
街道は旧街道の実際の道をトレースしてますので一応リアルだったりします
相変わらず当時の地形をなるべく再現した図でどんな機動をしたんだろうと想像しながら示されていて見ごたえがあります!!昔の有力説と近年の有力説で信玄の西上と義昭信長離反の因果関係が逆転してるのも面白いですね。
足利義昭と信長の対立時期ももう三方ヶ原後で決着した感はありますねぇ
今回も最高です
昔の地形が再現されていて面白いです。地形の制約が昔と違うのは重要ですね。しかも、数百年前程度なのに正確な地形もわからないほど今の地形は変わっているというのも興味深いです。
大河のそばは地形が変わりまくって調べるのも大変ですが、当時の地形じゃないと見えてこないコトが多いと思ってますので地図作成は頑張っておりまする
人口動態に注目すれば現代の日本は江戸前半の開墾治水期と明治以降の産業開発期に人の手によって作られた国土だと納得が行きます。戦国時代なら河川は氾濫原を含む膨大な荒野を意味します。これは崩れたら崩れぱなしの中山間地域も併せて甲斐信濃飛騨が
尾張や三河西部、越後、近江などとは比べようのない荒蕪地であった事を教えてくれます。武田の武勇とは貧しい地域から略奪を繰り返す徴発作業に過ぎないとも言えます。
信濃での武田評価は現代でも高く無い、これは略奪者誘拐者としての武田の伝承が信濃に根強くあるからです。自分も武田嫌い。でも真田厨だから矛盾もありますが。
秋葉を「あきは」と発音しているのに好感が持てます。
多くの人は「あきば」と発音しますが、遠州では「あきは」と発音しますから。
大河ドラマ「直虎」でも、「あきは」と発音してました。
自分も不思議に思います。
東京の秋葉原も「あきはばら」なのに、なんで「あきば」って読む人がいるんでしょう?
ボイロも秋葉を「アキバ」と読んでしまうので全て手打ちで修正してますが、発音が変で困ってたりしますw
@@目白セキレイ
秋葉原は秋葉神社があった原っぱなので、あきばがはら・あきばっぱらと呼ばれていました。
「あきはばら」駅が出来た際にこちらが有名になってしまい、地名が変わっています。
自分の歴史認識と大幅に違ったのは驚きと同時に多少ショックですw wでも、歴史考証というものはそんなもんかもしれませんね。
よしふじさんの良いところは、話の展開もそうですが、現在の地図に当時の地図を連想させてくれる構成でしょうね。頑張ってね!
信州民です。
青崩峠や兵越峠を信玄本隊は超えず駿河経由だったんですねー
青崩峠と兵越峠を通って信州へ行ったことがあります。
その時に「ここを信玄の大軍が通過するのは無理がないか?」と思っていたので、この動画を観て納得しました。
塩の道として下手すれば縄文・弥生からありそうな道ですが
青崩峠や兵越峠はほんと険しい
武田信玄最後の大博打。名門源氏の意地ですねーカッコ良過ぎる。
名門甲斐源氏の元祖の意地もいつか動画にしたいなぁ
考察が素晴らしい
いまだに旧説の三方ヶ原の戦いの解説が多いので、駿河からの新説が少しでも普及すれば嬉しい
進軍ルートがあるとわかりやすいし面白いです。
見ていて感じたのは信玄相手にわりと奮戦しているんだなぁと。
道と進軍ルートはこだわってるので嬉しい
なるほどね。信玄の本体が駿河から進行してきたというのは最近の他の動画でも取り上げられていたけど、それが定着しつつあるのね。確かに、先発隊のみが諏訪方面から来たとした方が合理的に理解できる。高天神城もこの時点で一度武田方になっているわけね。
駿河侵攻説がもう完全に定説化すると思います
新たな発見でもない限り覆しようがないかなー
将軍義昭の件は参考になります。
要は三方ヶ原で織田・徳川軍が信玄に大敗北したので、義昭が心変わりしたということですね。
信長包囲網などではなく、信長の旗色が一時的に悪くなった時期があったので義昭が離れていった。
義昭は将軍といっても実態は公家と同じで、ほぼ一文無しですから当然です。
細川藤孝を信じていればねぇ…
本日の大河の内容(三方ヶ原の戦い)に合わせてのアップですかね。
進行ルートの定説との違いとか、北条軍の援軍が加わったとか
とても面白いですね。
GWなので製作が間に合ったw
ありがとうございます、大変興味深かったです。地形や古道と照合しながら自説や解釈をわかりやすく解説するスタイルは本当に素晴らしいと思います
ヨシフジちゃんは、語り手や幕間劇的に出てくるのは全然良いと思うんですが、脈絡なく体操服とかになられると電車で見たり他人に勧めるのに憚られると思ってます。当たり前ですがさじ加減はお任せですし一意見として。
系図等のスキマに彩りとして入れるくらいは許して欲しかったかなー
そこはもう投稿主様のチャンネルでの自身のご意志ですので、そういう作りなら人前で見ない、他人には勧めない、ということではあります。
意見表明の機会を頂けてありがとうございます。感想募集と言っておいて、苦労して作ってるのに嫌なら見んな、って返すチャンネル主様もいらっしゃいますから…
地元の陣座峠の名前が出るのは嬉しいことですね。宇利峠とか陣座峠には何もないのが寂しいですが…
そのうち今川滅亡もちゃんと作りたい
北条の援軍が甲斐に来てから出陣はおかしいと思ってましたが、成る程と納得。
援軍来てから甲斐出陣とする本もありますが無いよなーと
@@Yoshifuji-Sengoku さん
援軍なんか待つといつなるわかりませんし、陣ぶれしてからの士気にかかわりますからね。
だが、この通説には疑問が残る!
今回はガチなのでネタは封印しました(涙
「ここ3年の鬱憤を晴らす!!!」晴信。
家康の武田いじめは度を過ぎた。
世間では信玄が悪者ですが家康も悪いよなーと
非常に面白かった、これからもよろしくお願いします
しかしまぁ、家康の行動は若さ溢れるイケイケですな、三河の一向宗門徒にやったように信玄相手にもイケイケだ
ただ甲三同盟を結んだ際に天竜川で遠江を分割したのに秋山が天竜川を越えて暴れたもんだから家康がブチ切れたって説もある
ここ最近イケイケ家康の動画ばかり作ってますわ
当初の川切が天竜川だったのか大井川だったのかは
徳川から見るか武田から見るかでずっと論争で決着つかないと思ってます
この時代の大井川本流は現在の栃山川辺りだったようです。後に山内一豊が治水工事を行い現在の流路になりました。
浜名湖から浜岡までの海岸線ですが1707年の地震で大きく変わっています。持船ー滝境ー高天神ー横須賀の海運が有ったようです。
家康のたぬきぶりはこの頃から表すじゃん、面白い
小笠山といえば、エコパスタジアムと団子で有名な法多山ですが、あそこには当時、重要な砦があったんですね。
砦はもうちょっと山の上な感じですが、その辺も徳川軍が掛川攻めでわんさか進軍したんじゃないかと思いますねぇ
BGMの合わせ方銀英伝っぽいな
戦いの場所は変わってもうんちを漏らしたことは変わらないのは草
神君はう〇こしないよ派の徳川家斉により検閲され、脱糞記録の抹消を命じられましたが、その命令と削除内容を律儀に記録してしまったので現代にまで伝わったという…
浜松人です。
地元で起きたマイナーな合戦をとりあげて頂きありがとうございます😮
よしふじちゃんが居なくても見応え十分でした🎉
でも、もう少しよしふじちゃん
増やしてほしい笑
よしふじちゃんはちょっと過激すぎない衣装でも増やそうかなと思います(涙
武田は兵力で圧倒し後方も万全、織田は近畿で手一杯であまり援軍は期待できない
これまで無茶を実力で推し通してきた家康もついに年貢の納め時か・・・
ここ最近は家康が無双する動画ばかり作ってましたのでちょっと新鮮かもw
関ヶ原の合戦もお願いします!
多分少ししたらやります
「武田軍は高天神城付近を通過しただけ」と書いた本もありますが、
実際には落としていたのですね。
最近の新説だと高天神城は降伏した感じですね
武田信玄、領土は広いけどほとんど山なんだよなあ
金山の豊富な金の甲州金貨が日本で流通し莫大な収入です!
ほんと気の毒なくらい立地最悪wまあ治水の関係で大河周辺の平野の生産性がこの時代は低いのでまだ差は少ないけど、甲府盆地も大概ひどい
食料生産量が少ない土地の大名は兵士が死を恐れないで戦うから次元を越えた強さになるよね。 食を奪えなければ待つのは『死』しかない。 自分だけでなく家族も死ぬ。
大河ドラマでも最新の説に沿っている展開だったので、高天神城が落城、てセリフにあれっと思った。
高天神城はこの時に武田側に下ったんだね。
でも秋山信友(信繁)の岩村城攻略はいつのことだったの?
後編で岩村城は語りますよー
@@Yoshifuji-Sengoku 楽しみ(⌒∇⌒)
北条から援軍二千とゆうのは初耳でした。
二俣城の陥落で述べますが戦死までしてるんですよね北条の援軍
なんやかんやで三方原の戦いが終わりまして~ 時代考察もメチャクチャなヒューマンドラマがはじまります・・・
こちらの動画で押したり引いたりする方が緊迫感あって面白そうなのに
大河は予算がなくて合戦描写が・・・人間ドラマ中心にならざるを得ないのでしょうねぇ
「今宵はここまでにいたしとおござりまする。」大河の若尾文子扮する大井の方の決め台詞。
良い大河には記憶に残る良いセリフがありますよね
よしふじちゃんがいないと脳が疲れて内容が抜けてしまい集中力が維持できないよ~
アイキャッチはここで脳を休めてという意味合いもあると思いうの。
カレーライスに福神漬け、牛丼に紅生姜、寿司にガリのように味覚をリセットする機能がよしふじちゃんにはあるのだ!
よしふじちゃんはチャンネル主にとっても心の癒し
武田信玄公は、織田信長、徳川家康の領地平定と織田信長、徳川家康滅亡と天下統一目的です🎵
武田信玄公は、美濃尾張の経済力と三河武士団が欲しかったです🎵
海も欲しかったです🎵
あと北条の領地の鎌倉も欲しかったです🎵
僕は、武田信玄公と武田勝頼公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵
上杉謙信公、明智光秀公、伊達政宗公、後醍醐天皇、大久保利通も大好き💓♥️❤️です🎵
青葉城、駿府城、浜松城、岡崎城、清州城、岐阜城、松本城、安土城も大好き💓♥️❤️です🎵
織田信長、徳川家康、足利尊氏、源頼朝、豊臣秀吉、松平容保が一番大嫌い😭💔です🎵
足利義昭絡みの書状の時期比定含め、元亀(信玄期)と天正(勝頼期)がごっちゃになっているのが訂正(?)され浸透したのはここ10年とか20年位かな。
そして、かなりマシなモノとは思うが、三河物語のいい加減さも幾分
三河物語は三方ヶ原前後がなんかおかしいので欠損というかわざと廃棄した部分もあるんじゃないかなぁと感じております
加賀の国を、一向一揆が治めているところが凄い。当時の民衆がいかに時勢に不満を持っていたか如実にわかります。
一言坂、二俣城、三方ヶ原
ナイス!
カラノカブトではなくカラノカシラと読むのが正しく、カラノカシラも忠勝の兜の事ではなく内藤信成のことなんですか?
本多忠勝はカラのカシラを兜には付けてないと思われます。唐の頭とは目立った活躍をした将のことですが武田軍は誰だか分からなかったのでしょう。動画で内藤信成としたのは物見だったので旗指物はしていなかったであろう状況からの推測になります
唐の頭ことヤクの毛は大変に高級で希少な輸入物なのですが、若き家康は特にお気に入りで大量購入し家臣にも配って装備させています。
武田側から見れば金にまかせてチャラい格好してやがんなチクショーメ、という感じなので家康に過ぎたるものとして挙げたのでしょうね。
ファビアン戦略を徹底できなかったことにまだ若い家康の未熟さと信玄老練さを感じる。率いる兵がローマ兵みたいに統率が取れていたなら信玄も嫌だったろうが
>岡部英一「一言坂の戦い 武田信玄、遠州侵攻す」
>地本の郷土史家の考察したストーリーも読みごたえがあり
知りませんでした、読んでみます。
地元の郷土史家って胡散臭い人が多いイメージだったんですが、そこに長年住んでる人だからこそ感じるものもあるとわかってきたので気にいなりますね。
作者のストーリーは内容を全面的には採用しておりませんが
巻末の史料の読み下し分はまじで良いですよ
こうやって見ると、若い頃から家康公は外交上手。
これは天下人だわってくらい若い頃からスーパー
葵三代では無いですが
秩序を志向する初期徳川幕府が支配の正当化のために無茶苦茶な権威付けを行い、その過程で膨大な焚書坑儒に励み
現代の戦国ファンを困惑させ続けてるのが解りますね。ある意味スターリン化された家康。で幕府は各大名家でもその作業をやらせる事で同輩のリーダーに過ぎなかった戦国大名を主君と臣下の型に嵌めて行きこれによっても戦国時代の実像は後代から見えなくなってる。赤穂事件などは価値の確立期に於ける思想闘争。
江戸思想ウルトラとしての
忠臣蔵であり実は幕府と義士は隠れた共犯関係にあた
織田・豊臣・徳川だと織田が一番難解な気がしてます、織田も相当焚書してそう
大河に合わせて出してきましたな
この三方原の戦いで真田昌幸とかの因縁の出会いを果たす訳か、、
三方原では真田は史料上で存在感皆無だったりします
締めの台詞何の台詞やっけ?
独眼竜?
今宵はこれまで~、ってセリフのことかな
武田信玄じゃなかったっけ?
中井貴一が主役やった1988年の大河、武田信玄で合ってる
みんな詳しい、武田信玄ネタです。政宗ネタもたまにやります
よしふじちゃんの霊圧が消えた!?
草
視聴者アンケートの結果減らしてほしいってことになったから仕方がない…
同盟相手をその時々の自分の都合でコロコロ変えてたら信用無くすだろうし、結局勢力は衰退することになるよ。兵法の一つに遠交近攻があるしそれに従えば家康の行動は理に叶ってるよ。
すばり、武田信玄には忠義というものが一番欠けていたということです
実際に家康の外交はさすがと思いますね、まあ誤算は北条がひっくり返るとは思ってなくて短期的にピンチになってしまいましたが、致命的なのは武田の方ですからねー
もう甲斐源氏の伝統かもw
岩村城が一番悲惨
遠山さんはどこも結構悲惨だよねぇ
😊
いつも応援感謝♪ガチ硬派で頑張ったけど三方原動画が溢れてるから厳しい感じ
静岡県民が中部東部西部になんとなく別れてライバル視してるのってこの頃の名残りだったりします? w😅
そもそも3つの地域は文化が違うのであって、それを現代になって一つの地域にしたからなのでは?
青森県も3つの地域からなりますが、争いを好まない地域なのでライバル視はありません。
一方、静岡は青森と違って地域によって異なりますが好戦的だったり負けず嫌いなのでライバル視しているように見えます。
東部は分からんけど、中部西部はどちらもたぶん大方の人が地元の武将は義元かつ家康だと思ってます。
ちなみに井伊谷の人は大河前までは井伊家に特に興味は無かったと思います(井伊性の家は現代にも割とあるのに)。
青森の津軽藩領と盛岡藩領はガチバトル状態と思ってましたがw
伊豆までもが静岡ですからねぇ、ちょっと合体し過ぎかもw
結局漏らしてるんかーい!
本来、合戦中に垂れ流すのは普通のことなのでw
通説って、その時点で分かっている事の積み重ねで細かな所は永遠に謎だと思う。。。
出典が何か分からないけど、ここまで言い切るなら論文を発表すれば良いと思うw
下手なドラマより面白いから見るけどね♪
前編で私のオリジナルなのは小笠山ルートと一言坂の展開ぐらいで、
通説否定の駿河ルートはこの10年ぐらいの各先生方の論文・書籍等で
十分に批評された結果の流れになりまする
@@Yoshifuji-Sengoku
新説のうちどれを通説とするかは、学者によっても判断が違いますから。。。
別にそこまでの堅苦しさも求めていないので、楽しんでます♪
日本て驚くぐらい平野が少ないんだよな。武田陵の無意味さ。住むには良いところだけど貫高基準の戦国時代では何の価値も生まない場所をいくら支配しても無意味なんだよな
飛騨とかどないせーっちゅー話ですなwずっと飛騨守護の京極さんとかうま味あったんですかと思ってしまいます。
マジで上から見ると甲斐信濃て山だらけで生産性低いのが分かるな
この時代は平野も大河の周辺は水びたしで生産性が低いのでまだ格差は広がってない感じですが、それでもまあ立地最悪ですよねw盆地も大概水がヒドイし
嫡男を殺してまで始めた今川侵攻にも拘わらず、
いうほど領土をとれなかったので腹立ってたんだろうな。とは思いますね。
上杉謙信、北条氏康、織田信長、今川氏真に囲まれてどこを攻めようかと考えると・・・ねぇ
@@Yoshifuji-Sengoku その理屈で、弱いものから順に攻める。なんてやっていると、家康からすると外交的に武田を孤立させるしかなくなりますよね。
武田信玄は今川重臣を巧妙に調略し巧みに駿河侵攻を企てたが、下記の重大な誤算があったと思います。
①徳川家康はじめから今川氏真を殺す気はなかった。
時代の流れで食うか食われるかの時代であるために三河、遠江平定で今川氏と撤退しているものの、幼少期から太原雪斎より武将ととして知識を学んでおり、今川家には恩義を感じていたと思います。あくまでも遠江平定が目的であり掛川城を明け渡せば良しとして今川氏真を殺す気はなかったと思います。それは北条氏康死後今川氏真夫妻を保護し親しく交際したことから明らかです。
②今川家と北条家の密接なつながり
一時を除いて今川氏親、伊勢宗瑞より今川家と北条家は同盟国であり続けていました。さらに北条氏綱は息子氏康に「義を重んじよ。」と遺言を残して北条家の家訓にしました。長尾景虎の小田原城侵攻で今川氏真は援軍を派遣して恩義を受けたから、武田の駿河侵攻では甲相駿三国同盟を破棄した武田信玄の所業にブチ切れ今川氏真を支援して掛川城開城後今川氏真を保護したと思います。
③北条氏規との交流
徳川家康と北条氏規は今川の人質として隣の屋敷を与えられて共に励まし合ってきた親友でした。掛川城開城の時、北条氏康の仲立ちが合ったことは明らかであり、北条氏規を通じてお互いの武将としての気質を理解することができたのではないかと思います。武田との盟約に違反することは恐怖を感じていましたが、北条との同盟で武田を封じ込めることができるので、今川氏真を殺す気はなかった家康にとって渡りに船でしたでしょうね。
駿河侵攻もそのうち動画にすると思います
ノッブほんと苦労人。
いやまじホント苦労しとるw
ええ、信長と同盟結んでたんや。酷い信玄笑
信玄ヒドイが一般的ですが、家康もヒドイを少しでも広められれば良いなぁとか思ってます
私の推測によれば、武田信玄は今川領(駿河と遠江)の略奪を狙っていた。しかし、東に北条、西に徳川がいるために、それは難しかった。そこで考えたのが徳川との同盟だった。本来は駿河と遠江の二か国を自分のものにしたかったが、それが無理だと思って、遠江をやるからいっしょに今川領に攻め込もうと徳川を誘ったのだ。だから、武田と徳川の同盟は一時的で、信頼の無いものだった。事実、信玄は徳川軍が遠江に攻め込んだとき、その背後に軍勢を送って、兵站を脅かすなど、背信行為を行っている。だから、北条と同盟を組み、上杉をけん制すると、遠江侵攻を始めたのだ。信玄は、遠江は初めから自分のものだと思っていたのだ。この時期の信玄は、織田信長が畿内に釘付けになっていることを良いことに、やりたい放題だった。信玄の目的は、家康から遠江を略奪すること、できれば家康を討ち取って、三河も欲しかったのだ。
秋山の遠江侵攻が同盟違反だったかは微妙と思ったりしてます
川切があったのか、大井川なのか、天竜川なのか。論争は決着つかないと思いますので
最新の研究って、頭の悪いヤツが使うワードだよな。
最新か必ずしも正しいとは、限らないのだが。
大勢の目でしっかりと検証したならまだしも、新説が出た途端に数字欲しさに使う輩が多い、多い。
この動画も、自分の描いたシナリオに都合のイイように、伝説もしっかり使っちゃってるしwww
昔と違って信用出来る史料が増えてるのと、その研究が我々に降りてくる前に研究者間で検証が行われているのでな
まぁ歴史なんで新しい史料が来たら手のひら返すくらいのスタンスが正しいわけで
@@matukawatositane
昔と違って信用出来る史料が増えてる……ハア? なんの根拠???
1次資料は、時代と共に失われるモノだろwww
火災だの、戦争だの、価値のわからん子孫が捨てただの。
昔の歴史家が見れていた1次資料が、今は消失して見れないコトの方が遥かに多いわ!!
三方が原への説は信玄の信長への手紙とかの資料が元のはず。頭が悪いと馬鹿にする前に少しは調べてみたら?
@@八坂良太郎
信長への手紙で、三方ヶ原の戦いの詳細が解るってw
その手紙には、局地戦の詳細が事細かに書いてあったんですかね?
この動画でも、伝説だの伝承だのが使われてるでしょ?
肝心の部分は想像でしかなく、講談や軍記物とまったく同じなんすわwwww
それに、信長への手紙をまず大勢の目を通して、検証する必要がある。
歴史を塗り替えるのだから、まずは証拠を示せと。
その手紙が捏造でないか確かめる必要があるし(新説を唱えた歴史家の捏造、もしくは武家の子孫の捏造など)、手紙が当時のモノとして、手紙の内容が本当に正しいのかも検証する必要がある。
今回の場合、信玄が自分に都合のいいコトばかり書いてないか……など。
出たばかりの新設が、検証も無しにまかり通るなんて、日本くらいじゃね?
ユーチューバーにしろマスコミにしろ、歴史系の出版社にしろ、ただの数字稼ぎだよ。
そいつらの言うコトを鵜呑みにしてる時点で、馬鹿にされても当然なんだわwww
@@エイチヒノモト-y8i 検証検証って上でも言われてるけどすでに研究者たちの間で検証されつくされた結果が世に出回ってるわけでそもそも「研究」ってそういうもんだと思うぞ
実際に現場を見たものがいないからこそ書状とかを読み取って起きた出来事の軌道修正をしていくのが「歴史」ってもんじゃないのかなぁ、と俺は思う
あとそういう研究によって今までの通説が覆されるの、研究者じゃない素人からしたら「ロマン」めいた物があってとてもいいじゃないか
見入ってしまった面白い
ありがたいです。今後も応援頂けると嬉しいです♪