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【高天神城の補足】最近は信玄の侵攻ルートも新しく変わり、高天神城も元亀2年に信玄が攻めたのも否定され、翌三年10月つまり侵攻時に降伏したのが明らかになってます。武田家の強さや結束ってちょいちょいイメージと違うところがあるけど、革新的ではないにせよ信玄の強さはマジで本物だと思う。今回、改めて調べてみたけどやっぱり三方ヶ原では巧妙な作戦能力・軍才と経験からくる絶妙な戦争指導が爆発してる!ちょいと慎重なところもあるけど、そこが信玄らしいというかwただ、ちょっと運が弱いように見えるのは副社長だけですかね・・・ちなみに結構前から否定されてるので【信玄上洛説】【戦後の家康の空城の計】はぶっとばしてるのであしからず。あと三方ヶ原における魚鱗の陣や鶴翼の陣もどちらかというと【それっぽい陣形】ぐらいらしいです。まぁ戦国の八陣などは江戸時代に作られたものですし、もっと陣形も汚かったかもしれません。いずれ戦国の陣形の話もするので詳しい話はその時にでも~どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
これは、機動防御を更に発展させ又、機動攻撃を更に戦略的な物に昇華させた戦略なのかと思われます。両面作戦の愚策を避け、片側を粉砕して戦略的な橋頭堡を築き逆に織田を戦略的な包囲に持っていき他勢力に攻勢的な攻撃を仕掛けてもらい一気に崩すのではなく時間を掛けて織田を追い詰める武田の戦略だったのではないかと考察します。ですが、この時点で時間的な差が信玄に味方せず時間的な先が逆に家康や信長に味方したとも言えます。この事を教訓にして言える事は戦略的に理にかなっていても時間的な差やタイミングを逸してしまったら戦略そのものが成り立たなくなると言う教訓の一例なのかもしれません。
今回の動画はめっちゃタイムリーでしたね。(笑)マールバラ公やハンニバルの時もそうでしたが、作戦術の解説ではやはり副社長さんが際立っていますね。とても面白かったです。ちなみに「唐の頭」とは中国から輸入されたヤクの毛皮で出来た飾り兜のことで、おそらく信長さんからの頂き物ではないかと思います。
「信玄も落とせなかった高天神を、勝頼は落とした!」とか「勝頼はその高天神を失って、求心力が無くなった」とか色々言われてたので、補足説明で理解いたしました。勝頼も評価が上がったり、下がったりで、面白い武将ですね。IF歴史ではコアになることも多いですし。
@@onazimuzina 歴史家は戦略家ではないですからね滅びたから無能と決められる結果論者が大半長篠であれだけ大損失くらいながら、またまだ勢力を維持できたので有能であることには間違いないそもそも信玄が最初から決めていた後継者ではなく、信玄の都合で無理やり後継者に指名されたこともあるのでむしろ信玄の負の遺産を背負っておきながら、よくぞここまでと思います
@@2000me それはあります。信玄は対徳川戦において大戦果を上げ、足利義昭を対織田側に回って欲しかったらしいので、生きてたらより強力な包囲網を形成できたと推測してます。そう考えると、やっぱり僕的に一番痛かったのは信玄の寿命という時間です。おそらく信玄は自分の寿命が長くないのを悟り、次代のためにも強大化する織田陣営に対して少しでも対抗できる勢力態勢を築きたかった心理があったと思われます。ただ最終的には時間制限に到達してしまい、構想していた戦略態勢を築くことが叶いませんでした。足利義昭も信長に変わる軍事的ブレーンを失った事で挙兵しても屈服せざるを得なかった。逆に信長の躍進を加速させました。やはり信玄の死というのは戦国の統一期において大きなターニングポイントだったと思います。
これだけ煮え湯を飲まされたにも拘らず、武田の遺臣を召し抱えて軍略を甲州流に改める家康の強かさと度量はすごいと思います。自分の弱さって、受け入れがたいものだから。
すっげえ分かりやすい…。つい最近信玄の西上作戦にまつわる史跡を回ってきたばかりなので感動すらおぼえたこれからも面白い動画お願いします
信玄好きだから25分があっという間だったこのvs家康戦は戦前の準備の戦略面と野戦の的確な采配による戦術面で信玄の完封勝ちだな
しかも体調が優れないのにほぼ完封ですからね。やばすぎですw
やっぱり上手いんだろうなぁ、当たれば飲めると分かってる者の動き方に見えますな
少なくとも、家康は出撃せざる負えない状況になった、と考えるのが地理的にも戦況的にも自然ですねぇ。しかし、敵地で地理を把握して待ち構える信玄の指揮官としての能力の高さを感じますね。
✕負えない○を得ない
いつも楽しく見てます。三方ヶ原の戦いは信玄軍略の真骨頂だと思います。信玄の戦で1番大好きな戦です。これからも日本のみならず世界の戦い解説を楽しみにしてます。
僕も改めて調べてて「すげぇ」ってわなわなしましたw日本も世界もどしどしやりますよ~!次は十字軍!これからもごひいきに~(もみ手
動画を見て流れの主導権がずっと信玄にあるのが凄まじい。事前に朝倉に働きかけたり周辺に調略かけたり準備をしっかりしているところがさすが。後の家康からすると戦の手本みたいに見えたのかな。
まさにそれですw家康もそれなりの思惑がありましたが、完全に信玄の動きに引き摺られてますよね~やっぱり信玄は家康を焦らすポイントを的確に突いて主導権を離さないあたり「これぞ名将!」って感じがします!
副社長の戦いの解説が毎回凄いと思う。信玄を神格化して、すげーすげーで終わらせる人もいるけど、そうじゃないところを引きずり出して偶然性からどう反応するかまで言及するのが凄い。
綺羅星のように並び立つ優れた武将の中でも武田信玄はわたくしにとって特別な方です。動画配信をありがとうございます。
信玄の戦略が天才的にすごすぎるのは言うまでもないですね。でもその天才に戦略で完全に先手を取られて、倍以上の兵力相手に野戦しかない状態になってもどうにかしようとして損害を抑えるあたりが家康もさすが!並の大名や武将なら壊滅してると思います。
家康が領地を素通りされる事に短気を起こしてフルボッコにされる→自画像を描かせ戒めにした。ってずっと思ってました。実際はもっと巧妙な駆け引きがあったのですね。信玄も家康も名将だった事が改めて分かりました。このチャンネルはマジで神。歴史にちょっと興味もった人には「いつかやる観てみ」って言ってます。
こういう授業を受けたかったです😁 体調に気をつけてこれからも宜しくお願いします!
めちゃくちゃ面白い🎉聞けば聞くほど「なるほど、実際その現場やったらそう決断せざるを得ないかも」と思える副社長の解説に、ある種感動しました。こうした解説を引き続き楽しみにしています。
大河ドラマの三方ヶ原回を待ち伏せしていたいつかやるが一番の策士
地図も作りこまれてて、副社長のこだわりを感じます。このシリーズ、やっぱおもしれぇ。
地図でみると面白いですね。毎回ありがとうございます。
本国攻撃か、補給線の寸断か。打って出ざるを得ない状況を作り出した信玄のしたたかさを感じました。この敗戦後、家康はしっかり戦訓を取り入れて先の戦に活かしているから強くなれた。負けから学べる人は強い。
同感です。家康の凄いところは自分や相手の失敗点・良い点を分析して、それを昇華させるのが凄いと思います。特に政治方面は脱帽です。信長や秀吉ほどの革新性はなかったかもしれませんが、天才二人の政治的な思惑や問題点をちゃんと理解して継承する事によって世界屈指の安定した時代を築きました。それを考えると信玄、信長、秀吉から学べる位置にいたっていうのも彼が「豪運だなぁ」と思ったりしますw
副社長の解説毎回本当に面白い。確か徳川侵攻する時に上杉に背後突かれないように越中の本願寺勢力に上杉侵攻を依頼していたような(うる覚えで自信ない)。戦い一辺倒じゃなくて外交や調略にぬかりない信玄の戦い方大好きだからもっと解説見たい。三増峠の戦いとかも見れたらな。
謙信はこの頃、越中で一揆勢と戦ってますね。ちなみに信玄が冬に侵攻したのは謙信に背後を突かれないためでは?っと思ったりします。三増峠もいずれやるので我慢強くお待ちを~
@@非株式会社いつかやる なるほど、雪を壁にしてたってことですねおおやってくれるんだ!めちゃくちゃ楽しみです!!
@@非株式会社いつかやる あともしもの時の越後の抑えとして、信玄と何かとイチャイチャしてる(笑)高坂弾正を確か甲斐に置いてきてますね。
敵同士なのに謎の信頼関係で結ばれてる武田上杉とか少年漫画みたいでカッコいい
か
信玄の遺言 勝頼に 「困ったら謙信を頼れ」だった
凄い,,,詰め将棋を見てるかのよう。美しささえ感じるいつも分かりやすい動画ありがとうございます。
こういう日本の戦解説もっと沢山やって欲しい!!!
今日は三方ヶ原合戦の解説動画が結構上がってて面白いですw5個ほど見ましたが武田の進行ルートは同じで細かい所が結構違うので楽しめましたけど、この動画が個人的に一番しっくりくるかなと思いました
とても面白かった地図付解説見て大変分かりやすかったです信玄の戦略に翻弄される信長と家康痛快な展開その後は…あぁ運命とは残酷だ
地形図を重ねてくれるから非常に分かりやすい!
待ってました!!戦史シリーズ🎉
一コメ感謝です~
こうしてみると、信玄公の戦略構想能力っていうのは凄かった。ただ、徳川方としては地理的に選択肢が無かったのも大きかったのかもしれない。武田軍が出陣した時点で勝敗は決まってたようにも思える。
行軍と布陣こそが戦闘の要だと教えてくれたのはこのシリーズでした
従来説じゃ信玄は高天神を攻略出来なかったとされてましたが、最近じゃ高天神を攻略して浜松向かった説が有力視されてるんですよね今年の大河も新説を採用してましたね
戦況図がすごくわかりやすく、ある意味局地戦のシリーズは毎回楽しみにさせてもらってます。次回も待ってます。
信玄も見事ですがこの敗北から学んだ家康も凄いです、またこの戦いから生き残れたことも凄いです。
漫画センゴクの信玄の「投了よ」がとても印象深いです、三方ヶ原の戦いは心理戦の駆け引きが面白いですよね
いつも興味深く観ています。小牧・長久手の戦いの解説もよろしくお願いします。
小説や歴史物の作品中で、武田信玄の戦い方を表す文章や信玄自身の台詞として、勝敗は戦う前に既に決まっている…戦闘はソレを決する為だけに行う物…などと書いたものを目にしますが、三方原に関しては本当にソレを物語る戦略・起動ですね…。
本当にこういう実に分かりやすく、しかも戦国時代にあまり詳しくない人達でも食い入って見たくなるような紹介動画はいいですね👍🐎🐯⚔️
いまさっき「どうする家康」終わったところやったからめっちゃタイムリーwww
計画通り(ニヤァ
世界史、日本史関係なく戦の解説が好きです!
さっき、どうする家康を見てたからこそ副社長の三方ヶ原の解説が1番しっくりくる。やっぱり謙信と長年争ってるだけあって名将の名は伊達じゃないなと思った。戦うことを想定して入念に準備して戦が始まってる時には勝敗が決まってる状態で戦に臨んでるのを見るといかに信玄が海千山千の凄い将なのか分かる。
後年、家康は五男・信吉に武田姓を与えた上、旧武田家の遺臣を付けさせて常陸国に封ぜられています。おまけに信吉の母は武田氏の支流にして家臣の秋山氏の娘。若い頃ボコボコに叩きのめされた信玄へのリスペクトもあったように感じます。ちなみに信吉は若くして亡くなりますが、その領地と武田家臣団を引き継いだのが異母弟の徳川頼房(家康十一男にして水戸光圀の父)で御三家水戸徳川家の礎となります。
いつも説明が面白くて分かりやすいです
「え?なんで、そんな事したの?」と思える様な無謀に見える行動にも、それなりの理由があったって事を改めて思わされる解説ですね。勉強になります。
副社長のおかげで、赤点だった世界史が好きになりました!また世界史の戦いも楽しみにしてます!
楽しみにしておりました😂🎉
合戦歴史さんという別の方が三方ヶ原の戦いをやってました。そっちでは信玄が「信長が来る前に叩かないと!」と焦っていたというのが印象的でした。同じ戦いを紹介してもやる人によって見どころは変わりますね。
合戦歴史さんは自分も見ています。あちらもこちらと違った魅力がありますよね他にも、よしふじ戦国チャンネルさんなんかも面白いと思いますよ。三河一向一揆の見方がガラッと変わりました。
このへんの、信玄の動きを調べると、用意周到さが凄まじい。戦略、戦術ともに、戦国最高クラスの用兵だと思う。ただ慎重すぎて、家康を仕留めそこなったのが、のちの武田家敗亡につながってくる。
武田信玄ってほんとにすごいんですね!名将ってのがよく分かりました!
面白い。どのRUclipsrより歴史解説がわかりやすい。本買ってみようかな
待ち伏せでボコボコにされた家康が12年後には同じ待ち伏せで羽柴軍をボコボコにするの熱い
確かに。これを参考にしたのが、関ヶ原の戦いで、西軍を誘き寄せたって言われてますよね。
小牧・長久手の戦いで敵に果敢に突っ込んでいったのが、武田リスペクトの井伊の赤備えというのも熱いです。後に関ヶ原で一番槍を勝ち取ったのもその井伊直政と松平忠吉のコンビというのもまた…
@@ニクタ-u6u 関ヶ原は家康は会津に向かった豊臣の軍で、西軍は秀頼のお墨付き持ってない賊軍なんですが…
今思えば武田信玄は家康の師匠だったのかもな事実、徳川家は旧武田家家臣を多く召し抱え石川数正が豊臣出奔の際には軍事を武田流に変えるなどを行っている
@@影の政府 武田とは何かと縁はありますよね。穴山梅雪を引き込んだり、旧武田領を北条や上杉と取り合ったり、真田昌之に二度も煮え湯を飲まされたり、大阪城攻防戦で真田幸村にあわやというところまで差し込まれたり。
武田信玄の戦いの真骨頂みたいな戦いですね。三方ヶ原本戦の前段階ですでに家康は詰み状態で、本戦も初めから勝ち確定状態にしてからの戦いにしか見えません。
こうして見るとこんだけ緻密な信玄の計略と対等に渡り合ってた謙信ってやっぱりヤバいんだなって本当に思う。流石越後の龍って言われるだけ有って伊達じゃない。。。二人の強さって相当だったんだなと思います。
家康は敗戦してしまって、なにも得られてないように見えますが、実は名声というものを手に入れているんですよね。ここで、織田方から武田方に寝返る事もできたのに、それをせずに強者である信玄に挑み、敗れてしまいました。私たちはこの後の歴史を知っているから、「家康が信長を裏切るわけはない」と思い込んでいますが、同時代の人たちからは「律儀な家康」という評価を得る事ができました。私たちは後に家康が豊臣家を滅ぼす事を知っているから、関ケ原の戦いの時に豊臣子飼いの武将たちが「秀頼さまへの忠義」などと唱える家康を信じるのが不思議ですが、実はそれまでの家康はこの三方ヶ原をはじめとして本当に律儀なんですよね。負けてもタタでは起きないというのが家康の強みなのかもしれませんね。
遠江もそれこそ元今川旧臣や国衆もいっぱいいるからそういった者らへの誠意も見せてるし、武田とガチってる中でも織田の援軍にわざわざ実入りの薄い金ヶ崎や姉川とかにも付き合ってあげたりするし、本能寺後も信雄の為に全力働くし、信長存命時から最上や伊達との東北勢の外交窓口やってるから信望もあるし誠意の塊過ぎる
負けたら死ぬ戦いやってるのに、名声を得たとかお花畑かよ信長が援軍出さなかったんだから、信玄と和睦して信長と敵対することくらい普通にあるだろたまたま信玄がおっ死んだのでそうならなかっただけ
@@payboy2265 夜中の3時に貴重なご意見ありがとうございます。勉強になります。博識なあなたが仕事を見つけて、結婚して、子供を産んで、普通の幸せな日々をおくる事を願っています。がんばれ!!
@@payboy2265 夜中の3時には寝て、昼間は仕事をしている普通の労働者です。他人のコメントに誹謗中傷するレスポンスをして、返事をしてもらったら社会に参加していると勘違いしている悲惨な状況から早く抜け出せると良いですね。腐った根性を叩き直せば、人生をやり直せるかもしれませんよ。
三方ヶ原の戦いで多くの家臣が家康を浜松に逃がす為に自ら家康の名を名乗って主を逃がしたのはまさに三河武士。この戦で生き延びたから天下を取れた。
動画ありがとうございます!小和田先生も見なきゃですし、今日の大河はフルコース
まさに軍神信玄将棋も達人レベルだったそうですがでも生き残った家康も凄い
信玄自身はこの戦いに勝ったとは思ってなかったかもしれない。信玄の戦争目的は家康を討つか屈服させる事ですが、戦いの中でも戦いの後でもいずれも果たせていないからです。戦場での大勝が利益に繋がらなければ戦略が未熟か相手(家康)が上回っているという事で、その事は孫子の兵法の体現者である信玄自身が一番よくわかっていただろうからです。
地図付きの解説。距離感とか分かって良いです。ありがとうございます。
神君のイメージってスピキオと同じで「学ぶ人」なんですよね〜軍事的は勿論、あらゆる分野で天才ではないけど、失敗しても負けてもそこから学んでどんどん良くしていく…PDCAというより元のPDSサイクルを回して生きてきたイメージです。この時も浜松に進出したという戦略的失敗から窮地に立たされていますけど、この後はここ手の失敗がなくなります。統治機構もこの頃からよくよく考えていたんでしょうね。それが関東移封の際の躍進につながっているし、一戦場での指揮こそ超一流に劣るけど、大きな視点では太閤殿下と神君の二強だと思っています。
めちゃくちゃ分かりやすいです😊ありがとうございます🙇♀️
待ってました!
解説聞きやすくて楽しかったです😊次回の動画も楽しみにしてます!
分かりやすい!
ありがとうございます!
大河で家康が負けたこのタイミングで上げてくるとは、信玄並みに老練な判断ですなw
やっぱり大河に合わせると伸びますからねぇ(ニチャァ
楽しい解説でした!ありがとうございます!
細かく分かりやすい説明で凄く面白い動画です!
毛利勝永の雄姿も解説して欲しい
いつ見ても副社長の解説おもしろッッ!!
いつも楽しみにしてます❗️
素晴らしい解説です。大変勉強になりました。今後も内容優れた解説を期待しています。
ご期待に応えられるよう頑張ります~
本当に面白かったです。戦略も陣形も分かりやすくて聞きやすいです。次も楽しみしてます。
やっぱり天下を握るレベルの天上に達するには運が絶対ないといけないですよね。才覚と環境と運と、あとは強い意志か。
大河ドラマである程度の概要を知って、この動画で詳しく学ぶ…。今日は三方ヶ原を多くの方が知るきっかけな日になりましたね!!(ちなみに大坂夏の陣の大阪城落城の日が今日だとか…。)
やっぱ信玄すげえや
百戦錬磨の戦国武将。織田徳川とは経歴が違いすぎますね…
@@藤岡山之上 やはり周りの大名とは格が違いますよね…
武田信玄も若手時代に、上田原の戦いで敗戦し重臣を無くしています。本人も死にかけた。家康とはキャリアが違う。けど、それでも徳川を生かしたのは、三河武士団の結束や家康の諦めないしぶとさだと思ってます。
新解説、ありがとうございます。なるほどです!
動画とても面白かったです三増峠の戦いも是非お願いします
終結後、信長もすごい勢いで真偽を確かめに行ったらしいね武田方の城攻めも推奨したって第六天魔王を名乗ってそして広めた関係の二人の大大名の意外な不戦勝だったね
コロナも落ち着いてきたし、また3人での発進みたいです。
どうする家康でもやっていたから、タイムリーなネタですね。かなり勉強になりました💡
初めて拝見しました。戦国時代大好きなんでめちゃくちゃ面白く最高の動画でした😊チャンネル登録しました好みの動画に出会えて最高です🎉
浜松に住んでて三方原古戦場にたまに行ったりしてたのでとてもイメージが湧きやすく楽しい動画でした!
タイムリー過ぎる動画だ(一応来週のネタバレになるの・・・か?)正直今年の大河は両軍の戦略とか駆け引きが不完全燃焼だし肝心な合戦シーンはとにかく描こうとせず手抜きしまくりなので、この動画の方がずっと内容充実してて面白いし見ごたえあります。それはそうと「たけカスさぁ」「ボコすぜぇ」「合戦はよ」のせいでキノコvsタケノコの抗争に見えて仕方ない。
まぁ合戦シーンってものごっつ金かかりそうですもんね。中々、難しいのでしょう。ただ葵徳川三代の関ヶ原の合戦シーンを越えるものをそろそろ作ってくんねぇかなっと思いますわ。
いつも面白い合戦動画ありがとうございます!人気急上昇は当然です
いえいえ、もちろんそれはリピートして視てくれる視聴者さんのおかげでもあるのでありがたい話ですm(__)m
ナポレオン戦争シリーズもみたいです
三方ヶ原の戦いは諸説有るし、最近でも新説が出てくるから面白いですね。脱糞の話も一言坂の戦いという説もあるようですね。
10:25 以後の波(1573年) いつこれ(1月25日)決まる 家の運 耐えて康んじ 三方ヶ原で最大クラスのピンチを乗り切りましたね。
十字軍シリーズも楽しみにしてます!!
1:17カラフルな勢力図のど真ん中で空白な姉小路家🫥
副社長が、やるとここまで面白くなる
いつか影武者シリーズ見てみたいなぁ‥信玄家康どちらにも影武者説があるしあとは謙信女説とかも期待してます!
今日大河を観た後この動画を見たから、面白さ倍増だぁ!!
副社長の解説、いつも楽しみにしています!この頃のひとつひとつの戦がもつ意味がよくわかりました。また次も楽しみにしています!愛知県人なので(私は尾張)ひとつだけ。「三河」のイントネーションが「み」にアクセントがあるけど、地元では「アクセントなし」あるいは「か」にアクセントなんです。つまんない話ししてすいません。これからも応援しています。
それコメでも手ほどきされましたw『ミカワ!』って感じらしいですね。
信玄は謙信に領土を割譲してでも同盟を結んでいたら歴史は変わっていただろうなと思います。謙信なら一度結んだ盟約は謙信から破る事はないだろうし。あと徳川には別働隊を派遣して美濃へ本隊を進軍させてたら、、、楽しい動画でした😊
開戦前の外交、調略から開戦後の三河侵攻の作戦も凄いね。信玄。もう芸術的な美しさを感じるわ。ただ甲斐信濃と京から遠い本拠地と寿命の短さがな。運がなかった。一方家康は長寿だったから対照的だよね。多くの戦国武将で家康並みに高齢まで生きた人いないよね。強運。
家康は血気にはやり敗戦した後、自戒したとされるのが通説でしたが家康というよりは徳川軍の自戒のような気がしますね大将の意向を無視して暴走せず我慢が大切と軍団全体の反省につながったのかと(なお上田合戦)
しかもこの時、上杉謙信は越中で信玄が扇動した一向一揆を鎮圧するため出陣していたため、上杉を攻めると見せかけた行動も、上杉謙信を動揺させるための嫌がらせという徹底ぶり。三増峠の戦いのときも同じようなことして関東に攻め入ったし、武田信玄って絶対に敵にしたくない…。
いつも楽しく参考にしてます!三方ヶ原の戦いは脱糞ばかりが先行しますが、家康と信玄の心理戦もバチバチだったんですね
三方ヶ原から浜松までの追撃って、12キロもあったんだ。。私は川越周辺の城跡や陣城跡などをよく巡りますが、想像以上に広い範囲に展開しているんですよね。よくそこを一気に駆け抜けられたなと当時の人の脚力や体力には驚かされます。12キロを逃げて、追撃してって、行軍や本戦の後のことだから、スゲェなって感じてしまいます。
ちなみに12㎞は直線じゃなくて道のクネクネも合わせて12㎞ぐらいですね。ただ、確かにこの12㎞が少々気になるところでもあります。さすがに一日で12㎞行軍して戦やって追撃してはハードすぎねぇか?とも感じるんですよね~
ちなみにこの戦いの後で絵に描いた橋を使って武田軍の一部を崖下に落とすという仕返しをしました
ハンニバルがローマ軍を誘い出して撃滅した,トラシメヌス湖の戦いを彷彿とさせる。名将はいつの時代も心理まで読み取り,敵が戦わざるをえない状況を作り出すものか(;・`ω・́)
戦う前から勝敗はすでに決してましたね👍😄実際には戦闘になってるけど戦わずして勝つの孫子の教えを体現した信玄の戦略戦術必勝法ですね‼💪
ですよねw僕も今回の戦いはハンニバルとローマ軍の駆け引きに似てる所があるなぁっと思ってました!ただ家康はファビウスにはなれなかったけど・・・
@@非株式会社いつかやる 家康はファビウスにはなれなくても、スキピオにはなれたと思います。(負けた相手のやり方をパクったという意味で)
素晴らしい動画でした。ありがとう。信玄長生きできてればと思うけど、天下まで行けたかどうかは微妙らしいねぇ
【高天神城の補足】最近は信玄の侵攻ルートも新しく変わり、高天神城も元亀2年に信玄が攻めたのも否定され、翌三年10月つまり侵攻時に降伏したのが明らかになってます。
武田家の強さや結束ってちょいちょいイメージと違うところがあるけど、革新的ではないにせよ信玄の強さはマジで本物だと思う。
今回、改めて調べてみたけどやっぱり三方ヶ原では巧妙な作戦能力・軍才と経験からくる絶妙な戦争指導が爆発してる!ちょいと慎重なところもあるけど、そこが信玄らしいというかw
ただ、ちょっと運が弱いように見えるのは副社長だけですかね・・・
ちなみに結構前から否定されてるので【信玄上洛説】【戦後の家康の空城の計】はぶっとばしてるのであしからず。
あと三方ヶ原における魚鱗の陣や鶴翼の陣もどちらかというと【それっぽい陣形】ぐらいらしいです。
まぁ戦国の八陣などは江戸時代に作られたものですし、もっと陣形も汚かったかもしれません。
いずれ戦国の陣形の話もするので詳しい話はその時にでも~
どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
これは、機動防御を更に発展させ又、機動攻撃を更に戦略的な物に昇華させた戦略なのかと思われます。両面作戦の愚策を避け、片側を粉砕して戦略的な橋頭堡を築き逆に織田を戦略的な包囲に持っていき他勢力に攻勢的な攻撃を仕掛けてもらい一気に崩すのではなく時間を掛けて織田を追い詰める武田の戦略だったのではないかと考察します。ですが、この時点で時間的な差が信玄に味方せず時間的な先が逆に家康や信長に味方したとも言えます。この事を教訓にして言える事は戦略的に理にかなっていても時間的な差やタイミングを逸してしまったら戦略そのものが成り立たなくなると言う教訓の一例なのかもしれません。
今回の動画はめっちゃタイムリーでしたね。(笑)
マールバラ公やハンニバルの時もそうでしたが、作戦術の解説ではやはり副社長さんが際立っていますね。
とても面白かったです。
ちなみに「唐の頭」とは中国から輸入されたヤクの毛皮で出来た飾り兜のことで、
おそらく信長さんからの頂き物ではないかと思います。
「信玄も落とせなかった高天神を、勝頼は落とした!」とか「勝頼はその高天神を失って、求心力が無くなった」とか色々言われてたので、補足説明で理解いたしました。勝頼も評価が上がったり、下がったりで、面白い武将ですね。IF歴史ではコアになることも多いですし。
@@onazimuzina 歴史家は戦略家ではないですからね
滅びたから無能と決められる結果論者が大半
長篠であれだけ大損失くらいながら、またまだ勢力を維持できたので有能であることには間違いない
そもそも信玄が最初から決めていた後継者ではなく、信玄の都合で無理やり後継者に指名されたこともあるのでむしろ信玄の負の遺産を背負っておきながら、よくぞここまでと思います
@@2000me それはあります。信玄は対徳川戦において大戦果を上げ、足利義昭を対織田側に回って欲しかったらしいので、生きてたらより強力な包囲網を形成できたと推測してます。そう考えると、やっぱり僕的に一番痛かったのは信玄の寿命という時間です。おそらく信玄は自分の寿命が長くないのを悟り、次代のためにも強大化する織田陣営に対して少しでも対抗できる勢力態勢を築きたかった心理があったと思われます。
ただ最終的には時間制限に到達してしまい、構想していた戦略態勢を築くことが叶いませんでした。足利義昭も信長に変わる軍事的ブレーンを失った事で挙兵しても屈服せざるを得なかった。逆に信長の躍進を加速させました。やはり信玄の死というのは戦国の統一期において大きなターニングポイントだったと思います。
これだけ煮え湯を飲まされたにも拘らず、武田の遺臣を召し抱えて軍略を甲州流に改める家康の強かさと度量はすごいと思います。自分の弱さって、受け入れがたいものだから。
すっげえ分かりやすい…。
つい最近信玄の西上作戦にまつわる史跡を回ってきたばかりなので感動すらおぼえた
これからも面白い動画お願いします
信玄好きだから25分があっという間だった
このvs家康戦は戦前の準備の戦略面と野戦の的確な采配による戦術面で信玄の完封勝ちだな
しかも体調が優れないのにほぼ完封ですからね。やばすぎですw
やっぱり上手いんだろうなぁ、当たれば飲めると分かってる者の動き方に見えますな
少なくとも、家康は出撃せざる負えない状況になった、と考えるのが地理的にも戦況的にも自然ですねぇ。しかし、敵地で地理を把握して待ち構える信玄の指揮官としての能力の高さを感じますね。
✕負えない
○を得ない
いつも楽しく見てます。
三方ヶ原の戦いは信玄軍略の真骨頂だと思います。
信玄の戦で1番大好きな戦です。
これからも日本のみならず世界の戦い解説を楽しみにしてます。
僕も改めて調べてて「すげぇ」ってわなわなしましたw
日本も世界もどしどしやりますよ~!次は十字軍!これからもごひいきに~(もみ手
動画を見て流れの主導権がずっと信玄にあるのが凄まじい。事前に朝倉に働きかけたり周辺に調略かけたり準備をしっかりしているところがさすが。後の家康からすると戦の手本みたいに見えたのかな。
まさにそれですw家康もそれなりの思惑がありましたが、完全に信玄の動きに引き摺られてますよね~
やっぱり信玄は家康を焦らすポイントを的確に突いて主導権を離さないあたり「これぞ名将!」って感じがします!
副社長の戦いの解説が毎回凄いと思う。信玄を神格化して、すげーすげーで終わらせる人もいるけど、そうじゃないところを引きずり出して偶然性からどう反応するかまで言及するのが凄い。
綺羅星のように並び立つ優れた武将の中でも武田信玄はわたくしにとって特別な方です。動画配信をありがとうございます。
信玄の戦略が天才的にすごすぎるのは言うまでもないですね。
でもその天才に戦略で完全に先手を取られて、倍以上の兵力相手に野戦しかない状態になってもどうにかしようとして損害を抑えるあたりが家康もさすが!並の大名や武将なら壊滅してると思います。
家康が領地を素通りされる事に短気を起こしてフルボッコにされる→自画像を描かせ戒めにした。ってずっと思ってました。
実際はもっと巧妙な駆け引きがあったのですね。信玄も家康も名将だった事が改めて分かりました。
このチャンネルはマジで神。歴史にちょっと興味もった人には「いつかやる観てみ」って言ってます。
こういう授業を受けたかったです😁
体調に気をつけてこれからも宜しくお願いします!
めちゃくちゃ面白い🎉
聞けば聞くほど「なるほど、実際その現場やったらそう決断せざるを得ないかも」と思える副社長の解説に、ある種感動しました。こうした解説を引き続き楽しみにしています。
大河ドラマの三方ヶ原回を待ち伏せしていたいつかやるが一番の策士
地図も作りこまれてて、副社長のこだわりを感じます。このシリーズ、やっぱおもしれぇ。
地図でみると面白いですね。毎回ありがとうございます。
本国攻撃か、補給線の寸断か。
打って出ざるを得ない状況を作り出した信玄のしたたかさを感じました。
この敗戦後、家康はしっかり戦訓を取り入れて先の戦に活かしているから強くなれた。負けから学べる人は強い。
同感です。家康の凄いところは自分や相手の失敗点・良い点を分析して、それを昇華させるのが凄いと思います。特に政治方面は脱帽です。
信長や秀吉ほどの革新性はなかったかもしれませんが、天才二人の政治的な思惑や問題点をちゃんと理解して継承する事によって世界屈指の安定した時代を築きました。
それを考えると信玄、信長、秀吉から学べる位置にいたっていうのも彼が「豪運だなぁ」と思ったりしますw
副社長の解説毎回本当に面白い。
確か徳川侵攻する時に上杉に背後突かれないように越中の本願寺勢力に上杉侵攻を依頼していたような(うる覚えで自信ない)。
戦い一辺倒じゃなくて外交や調略にぬかりない信玄の戦い方大好きだからもっと解説見たい。三増峠の戦いとかも見れたらな。
謙信はこの頃、越中で一揆勢と戦ってますね。ちなみに信玄が冬に侵攻したのは謙信に背後を突かれないためでは?っと思ったりします。
三増峠もいずれやるので我慢強くお待ちを~
@@非株式会社いつかやる なるほど、雪を壁にしてたってことですね
おおやってくれるんだ!めちゃくちゃ楽しみです!!
@@非株式会社いつかやる
あともしもの時の越後の抑えとして、信玄と何かとイチャイチャしてる(笑)高坂弾正を確か甲斐に置いてきてますね。
敵同士なのに謎の信頼関係で結ばれてる武田上杉とか少年漫画みたいでカッコいい
か
信玄の遺言 勝頼に 「困ったら謙信を頼れ」だった
凄い,,,詰め将棋を見てるかのよう。美しささえ感じる
いつも分かりやすい動画ありがとうございます。
こういう日本の戦解説もっと沢山やって欲しい!!!
今日は三方ヶ原合戦の解説動画が結構上がってて面白いですw
5個ほど見ましたが武田の進行ルートは同じで細かい所が結構違うので楽しめましたけど、この動画が個人的に一番しっくりくるかなと思いました
とても面白かった
地図付解説見て大変分かりやすかったです
信玄の戦略に翻弄される信長と家康
痛快な展開
その後は…あぁ運命とは残酷だ
地形図を重ねてくれるから非常に分かりやすい!
待ってました!!
戦史シリーズ🎉
一コメ感謝です~
こうしてみると、信玄公の戦略構想能力っていうのは凄かった。
ただ、徳川方としては地理的に選択肢が無かったのも大きかったのかもしれない。
武田軍が出陣した時点で勝敗は決まってたようにも思える。
行軍と布陣こそが戦闘の要だと教えてくれたのはこのシリーズでした
従来説じゃ信玄は高天神を攻略出来なかったとされてましたが、最近じゃ高天神を攻略して浜松向かった説が有力視されてるんですよね
今年の大河も新説を採用してましたね
戦況図がすごくわかりやすく、ある意味局地戦のシリーズは毎回楽しみにさせてもらってます。
次回も待ってます。
信玄も見事ですがこの敗北から学んだ家康も凄いです、またこの戦いから生き残れたことも凄いです。
漫画センゴクの信玄の「投了よ」がとても印象深いです、三方ヶ原の戦いは心理戦の駆け引きが面白いですよね
いつも興味深く観ています。小牧・長久手の戦いの解説もよろしくお願いします。
小説や歴史物の作品中で、武田信玄の戦い方を表す文章や信玄自身の台詞として、
勝敗は戦う前に既に決まっている…
戦闘はソレを決する為だけに行う物…
などと書いたものを目にしますが、三方原に関しては本当にソレを物語る戦略・起動ですね…。
本当にこういう実に分かりやすく、しかも戦国時代にあまり詳しくない人達でも食い入って見たくなるような紹介動画はいいですね👍🐎🐯⚔️
いまさっき「どうする家康」終わったところやったからめっちゃタイムリーwww
計画通り(ニヤァ
世界史、日本史関係なく戦の解説が好きです!
さっき、どうする家康を見てたからこそ副社長の三方ヶ原の解説が1番しっくりくる。やっぱり謙信と長年争ってるだけあって名将の名は伊達じゃないなと思った。戦うことを想定して入念に準備して戦が始まってる時には勝敗が決まってる状態で戦に臨んでるのを見るといかに信玄が海千山千の凄い将なのか分かる。
後年、家康は五男・信吉に武田姓を与えた上、旧武田家の遺臣を付けさせて常陸国に封ぜられています。おまけに信吉の母は武田氏の支流にして家臣の秋山氏の娘。若い頃ボコボコに叩きのめされた信玄へのリスペクトもあったように感じます。
ちなみに信吉は若くして亡くなりますが、その領地と武田家臣団を引き継いだのが異母弟の徳川頼房(家康十一男にして水戸光圀の父)で御三家水戸徳川家の礎となります。
いつも説明が面白くて分かりやすいです
「え?なんで、そんな事したの?」と思える様な無謀に見える行動にも、それなりの理由があったって事を改めて思わされる解説ですね。勉強になります。
副社長のおかげで、赤点だった世界史が好きになりました!
また世界史の戦いも楽しみにしてます!
楽しみにしておりました😂🎉
合戦歴史さんという別の方が三方ヶ原の戦いをやってました。そっちでは信玄が「信長が来る前に叩かないと!」と焦っていたというのが印象的でした。
同じ戦いを紹介してもやる人によって見どころは変わりますね。
合戦歴史さんは自分も見ています。あちらもこちらと違った魅力がありますよね
他にも、よしふじ戦国チャンネルさんなんかも面白いと思いますよ。
三河一向一揆の見方がガラッと変わりました。
このへんの、信玄の動きを調べると、用意周到さが凄まじい。
戦略、戦術ともに、戦国最高クラスの用兵だと思う。
ただ慎重すぎて、家康を仕留めそこなったのが、のちの武田家敗亡につながってくる。
武田信玄ってほんとにすごいんですね!名将ってのがよく分かりました!
面白い。どのRUclipsrより歴史解説がわかりやすい。本買ってみようかな
待ち伏せでボコボコにされた家康が12年後には同じ待ち伏せで羽柴軍をボコボコにするの熱い
確かに。これを参考にしたのが、関ヶ原の戦いで、西軍を誘き寄せたって言われてますよね。
小牧・長久手の戦いで敵に果敢に突っ込んでいったのが、武田リスペクトの井伊の赤備えというのも熱いです。後に関ヶ原で一番槍を勝ち取ったのもその井伊直政と松平忠吉のコンビというのもまた…
@@ニクタ-u6u 関ヶ原は家康は会津に向かった豊臣の軍で、西軍は秀頼のお墨付き持ってない賊軍なんですが…
今思えば武田信玄は家康の師匠だったのかもな事実、徳川家は旧武田家家臣を多く召し抱え石川数正が豊臣出奔の際には軍事を武田流に変えるなどを行っている
@@影の政府
武田とは何かと縁はありますよね。
穴山梅雪を引き込んだり、旧武田領を北条や上杉と取り合ったり、真田昌之に二度も煮え湯を飲まされたり、大阪城攻防戦で真田幸村にあわやというところまで差し込まれたり。
武田信玄の戦いの真骨頂みたいな戦いですね。
三方ヶ原本戦の前段階ですでに家康は詰み状態で、本戦も初めから勝ち確定状態にしてからの戦いにしか見えません。
こうして見るとこんだけ緻密な信玄の計略と対等に渡り合ってた謙信ってやっぱりヤバいんだなって本当に思う。流石越後の龍って言われるだけ有って伊達じゃない。。。二人の強さって相当だったんだなと思います。
家康は敗戦してしまって、なにも得られてないように見えますが、実は名声というものを手に入れているんですよね。ここで、織田方から武田方に寝返る事もできたのに、それをせずに強者である信玄に挑み、敗れてしまいました。私たちはこの後の歴史を知っているから、「家康が信長を裏切るわけはない」と思い込んでいますが、同時代の人たちからは「律儀な家康」という評価を得る事ができました。
私たちは後に家康が豊臣家を滅ぼす事を知っているから、関ケ原の戦いの時に豊臣子飼いの武将たちが「秀頼さまへの忠義」などと唱える家康を信じるのが不思議ですが、実はそれまでの家康はこの三方ヶ原をはじめとして本当に律儀なんですよね。負けてもタタでは起きないというのが家康の強みなのかもしれませんね。
遠江もそれこそ元今川旧臣や国衆もいっぱいいるからそういった者らへの誠意も見せてるし、武田とガチってる中でも織田の援軍にわざわざ実入りの薄い金ヶ崎や姉川とかにも付き合ってあげたりするし、本能寺後も信雄の為に全力働くし、信長存命時から最上や伊達との東北勢の外交窓口やってるから信望もあるし誠意の塊過ぎる
負けたら死ぬ戦いやってるのに、名声を得たとかお花畑かよ
信長が援軍出さなかったんだから、信玄と和睦して信長と敵対することくらい普通にあるだろ
たまたま信玄がおっ死んだのでそうならなかっただけ
@@payboy2265 夜中の3時に貴重なご意見ありがとうございます。勉強になります。博識なあなたが仕事を見つけて、結婚して、子供を産んで、普通の幸せな日々をおくる事を願っています。がんばれ!!
@@payboy2265 夜中の3時には寝て、昼間は仕事をしている普通の労働者です。他人のコメントに誹謗中傷するレスポンスをして、返事をしてもらったら社会に参加していると勘違いしている悲惨な状況から早く抜け出せると良いですね。腐った根性を叩き直せば、人生をやり直せるかもしれませんよ。
三方ヶ原の戦いで多くの家臣が家康を浜松に逃がす為に自ら家康の名を名乗って主を逃がしたのはまさに三河武士。
この戦で生き延びたから天下を取れた。
動画ありがとうございます!小和田先生も見なきゃですし、今日の大河はフルコース
まさに軍神信玄
将棋も達人レベルだったそうですがでも生き残った家康も凄い
信玄自身はこの戦いに勝ったとは思ってなかったかもしれない。信玄の戦争目的は家康を討つか屈服させる事ですが、戦いの中でも戦いの後でもいずれも果たせていないからです。戦場での大勝が利益に繋がらなければ戦略が未熟か相手(家康)が上回っているという事で、その事は孫子の兵法の体現者である信玄自身が一番よくわかっていただろうからです。
地図付きの解説。距離感とか分かって良いです。ありがとうございます。
神君のイメージってスピキオと同じで「学ぶ人」なんですよね〜軍事的は勿論、あらゆる分野で天才ではないけど、失敗しても負けてもそこから学んでどんどん良くしていく…PDCAというより元のPDSサイクルを回して生きてきたイメージです。
この時も浜松に進出したという戦略的失敗から窮地に立たされていますけど、この後はここ手の失敗がなくなります。
統治機構もこの頃からよくよく考えていたんでしょうね。
それが関東移封の際の躍進につながっているし、一戦場での指揮こそ超一流に劣るけど、大きな視点では太閤殿下と神君の二強だと思っています。
めちゃくちゃ分かりやすいです😊
ありがとうございます🙇♀️
待ってました!
解説聞きやすくて楽しかったです😊次回の動画も楽しみにしてます!
分かりやすい!
ありがとうございます!
大河で家康が負けたこのタイミングで上げてくるとは、
信玄並みに老練な判断ですなw
やっぱり大河に合わせると伸びますからねぇ(ニチャァ
楽しい解説でした!
ありがとうございます!
細かく分かりやすい説明で凄く面白い動画です!
毛利勝永の雄姿も解説して欲しい
いつ見ても副社長の解説おもしろッッ!!
いつも楽しみにしてます❗️
素晴らしい解説です。
大変勉強になりました。今後も内容優れた解説を期待しています。
ご期待に応えられるよう頑張ります~
本当に面白かったです。
戦略も陣形も分かりやすくて聞きやすいです。
次も楽しみしてます。
やっぱり天下を握るレベルの天上に達するには運が絶対ないといけないですよね。
才覚と環境と運と、あとは強い意志か。
大河ドラマである程度の概要を知って、この動画で詳しく学ぶ…。今日は三方ヶ原を多くの方が知るきっかけな日になりましたね!!(ちなみに大坂夏の陣の大阪城落城の日が今日だとか…。)
やっぱ信玄すげえや
百戦錬磨の戦国武将。織田徳川とは経歴が違いすぎますね…
@@藤岡山之上
やはり周りの大名とは格が違いますよね…
武田信玄も若手時代に、上田原の戦いで敗戦し重臣を無くしています。本人も死にかけた。家康とはキャリアが違う。
けど、それでも徳川を生かしたのは、三河武士団の結束や家康の諦めないしぶとさだと思ってます。
新解説、ありがとうございます。なるほどです!
動画とても面白かったです
三増峠の戦いも是非お願いします
終結後、信長もすごい勢いで真偽を確かめに行ったらしいね
武田方の城攻めも推奨したって
第六天魔王を名乗ってそして広めた関係の二人の大大名の意外な不戦勝だったね
コロナも落ち着いてきたし、また3人での発進みたいです。
どうする家康でもやっていたから、タイムリーなネタですね。
かなり勉強になりました💡
初めて拝見しました。
戦国時代大好きなんでめちゃくちゃ面白く最高の動画でした😊
チャンネル登録しました
好みの動画に出会えて最高です🎉
浜松に住んでて三方原古戦場にたまに行ったりしてたのでとてもイメージが湧きやすく楽しい動画でした!
タイムリー過ぎる動画だ(一応来週のネタバレになるの・・・か?)
正直今年の大河は両軍の戦略とか駆け引きが不完全燃焼だし肝心な合戦シーンはとにかく描こうとせず手抜きしまくりなので、
この動画の方がずっと内容充実してて面白いし見ごたえあります。
それはそうと「たけカスさぁ」「ボコすぜぇ」「合戦はよ」のせいでキノコvsタケノコの抗争に見えて仕方ない。
まぁ合戦シーンってものごっつ金かかりそうですもんね。中々、難しいのでしょう。
ただ葵徳川三代の関ヶ原の合戦シーンを越えるものをそろそろ作ってくんねぇかなっと思いますわ。
いつも面白い合戦動画ありがとうございます!
人気急上昇は当然です
いえいえ、もちろんそれはリピートして視てくれる視聴者さんのおかげでもあるのでありがたい話ですm(__)m
ナポレオン戦争シリーズもみたいです
三方ヶ原の戦いは諸説有るし、最近でも新説が出てくるから面白いですね。
脱糞の話も一言坂の戦いという説もあるようですね。
10:25 以後の波(1573年) いつこれ(1月25日)決まる 家の運 耐えて康んじ 三方ヶ原で
最大クラスのピンチを乗り切りましたね。
十字軍シリーズも楽しみにしてます!!
1:17カラフルな勢力図のど真ん中で空白な姉小路家🫥
副社長が、やるとここまで面白くなる
いつか影武者シリーズ見てみたいなぁ‥信玄家康どちらにも影武者説があるし
あとは謙信女説とかも期待してます!
今日大河を観た後この動画を見たから、面白さ倍増だぁ!!
副社長の解説、いつも楽しみにしています!
この頃のひとつひとつの戦がもつ意味がよくわかりました。また次も楽しみにしています!
愛知県人なので(私は尾張)ひとつだけ。「三河」のイントネーションが「み」にアクセントがあるけど、地元では「アクセントなし」あるいは「か」にアクセントなんです。
つまんない話ししてすいません。これからも応援しています。
それコメでも手ほどきされましたw『ミカワ!』って感じらしいですね。
信玄は謙信に領土を割譲してでも同盟を結んでいたら歴史は変わっていただろうなと思います。謙信なら一度結んだ盟約は謙信から破る事はないだろうし。
あと徳川には別働隊を派遣して美濃へ本隊を進軍させてたら、、、
楽しい動画でした😊
開戦前の外交、調略から開戦後の三河侵攻の作戦も凄いね。信玄。もう芸術的な美しさを感じるわ。ただ甲斐信濃と京から遠い本拠地と寿命の短さがな。運がなかった。一方家康は長寿だったから対照的だよね。多くの戦国武将で家康並みに高齢まで生きた人いないよね。強運。
家康は血気にはやり敗戦した後、自戒したとされるのが通説でしたが
家康というよりは徳川軍の自戒のような気がしますね
大将の意向を無視して暴走せず我慢が大切と軍団全体の反省につながったのかと(なお上田合戦)
しかもこの時、上杉謙信は越中で信玄が扇動した一向一揆を鎮圧するため出陣していたため、上杉を攻めると見せかけた行動も、上杉謙信を動揺させるための嫌がらせという徹底ぶり。三増峠の戦いのときも同じようなことして関東に攻め入ったし、武田信玄って絶対に敵にしたくない…。
いつも楽しく参考にしてます!三方ヶ原の戦いは脱糞ばかりが先行しますが、家康と信玄の心理戦もバチバチだったんですね
三方ヶ原から浜松までの追撃って、12キロもあったんだ。。私は川越周辺の城跡や陣城跡などをよく巡りますが、想像以上に広い範囲に展開しているんですよね。よくそこを一気に駆け抜けられたなと当時の人の脚力や体力には驚かされます。12キロを逃げて、追撃してって、行軍や本戦の後のことだから、スゲェなって感じてしまいます。
ちなみに12㎞は直線じゃなくて道のクネクネも合わせて12㎞ぐらいですね。ただ、確かにこの12㎞が少々気になるところでもあります。
さすがに一日で12㎞行軍して戦やって追撃してはハードすぎねぇか?とも感じるんですよね~
ちなみにこの戦いの後で絵に描いた橋を使って武田軍の一部を崖下に落とすという仕返しをしました
ハンニバルがローマ軍を誘い出して撃滅した,トラシメヌス湖の戦いを彷彿とさせる。
名将はいつの時代も心理まで読み取り,敵が戦わざるをえない状況を作り出すものか(;・`ω・́)
戦う前から勝敗はすでに決してましたね👍😄
実際には戦闘になってるけど戦わずして勝つの孫子の教えを体現した信玄の戦略戦術必勝法ですね‼💪
ですよねw僕も今回の戦いはハンニバルとローマ軍の駆け引きに似てる所があるなぁっと思ってました!ただ家康はファビウスにはなれなかったけど・・・
@@非株式会社いつかやる
家康はファビウスにはなれなくても、スキピオにはなれたと思います。(負けた相手のやり方をパクったという意味で)
素晴らしい動画でした。ありがとう。信玄長生きできてればと思うけど、天下まで行けたかどうかは微妙らしいねぇ