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どしどしチャンネル登録、高評価、コメよろです~本も絶賛発売中です!一家に一冊いかがですか?→【「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史】 定価1650円戦場マップを描いてる時、ホントは小谷城も横山城も簡単なお城マークですまそうと思ってたけど、気がついたら「はっ!いつのまに縄張りを!?」みたいな勢いで描いちゃってたwさすがに他の支城は描かなかったけど。こんな事してるから作業時間が延びてハードルも上がっていくというのに……。とにかく今回は姉川!正直、戦闘の記録がアナアナボボンな上に考察も多いのでどう解説するか非常に迷ったんだけど、疑問をできるだけ解消するようにどうにかまとめてみました。ちなみにこれは奇襲奇襲いってますが【奇襲説】ではありませんw動画内ででてくる【機動による野外決戦への誘引例】を少し紹介しますと・・・ナポレオン【ウルム会戦】→こちらは背後連絡線の遮断による野外決戦への誘引+ロシア軍との分断・オーストリア軍の包囲という超絶複合技。ハンニバル【トラシメヌス湖畔の戦い】→ハンニバルは背後に進出して防衛軍と首都ローマを分断。加えてローマへ行くと見せかけるエサで防衛軍を野外に誘引して殲滅。ただその後の影響を考えると決戦かは微妙。信長【長篠の戦い】→武田軍の背後にある付け城を攻撃する事によって、勝頼の退路を封じ、攻撃を強要して撃滅する事によって決戦となしました。【ブレンハイムの戦い】マールバラ公とプリンツ・オイゲンも信長と同じく決戦主義者です。→インゴルシュタットの包囲による挑発+機動によってフランス軍の目前へ出現し、野戦を強要。まぁ、紹介した事ある戦いですとこんなもんですかね。ウルムはいずれまた再アップするのでお楽しみに!
まさに、「戦略の失敗を戦術では補えない」ですね。
思いの外高かったコンビニで7~800円くらいなら電車乗る前とかにちょろっと買えたのに
確か信長は敵の弱いとことをとにかく突いて タイミングとって決戦て感じだよね。
縄張り見てニヤニヤしていたので、そう言う事情を聞いたらもっとニヤけてしまう😁定説中の定説に溺れず、最新の考察も取り入れてるのはすごい!
いい感じのイントネーション治せちゃんと日本語学ぼう
攻めるも退くも決断が早い長政は天才。流石、信長が認めた男だな。
一回の勝負で一家存亡の危機になりかねない状況での極限状況の中の駆け引きを、指揮官同士の心理や地理的状況までも含めて解説してくれて、今回もすごく分かりやすく面白かったです。あと最終的には信長に滅ぼされてしまったけど、浅井長政が戦術に優れた名将だったということを改めてわかりました。引き際をわきまえた決断力、軍勢を崩すことなく撤退させた指揮力など、だから信長が味方にしたかったんですね。
ありがとうございます!
Thanks!
副社長の解説、ほんまに面白いしわかりやすい。ぴろすけと掛け合うから話を堅くしない。日本史もっとやってほしい。
副社長の、戦術解説と図解、分かり易いです。有難うごぜーますだ😉。
毎回分かりやすくてわくわくしながら見ています。毎回思いますが授業の資料として使えそうなくらい作り込まれたクオリティの高い動画ですね。男子は絶対こういうの好きだと思います!
はい!!大好きで大好物です😉✌
この新説の姉川の戦いは説得力ありますね。信長の陣が何段も突破されたのは、旧説よりも兵力が少なかったため朝倉と徳川は援軍同士で当事者じゃないから、睨み合いがメインとなった点とか納得の行く戦況推移でした。
軍勢を山影に隠すように下山したことや、夜間での奇襲行動など、浅井軍の機敏な動きや優秀さが知れたのは良かったですね。
浅井軍もどこまでやってやろうかと思ってたかはわかりませんが、それでも勝利への追求を忘れないところ長政の男や戦場の指揮官の根性を感じられます。名将は引き際も大事ですが勝利の追求を探る精神力も大事!
軍の動きとかってどうやって調べるんだろ?とにかく毎回面白い!!
勢力図の一向宗勢ちゃんと描いてるの好き😆
奇襲策とそれが失敗した時のことも考えていた浅井長政とっさに対処して押し返した織田信長前回とは違った展開・解説で面白かったです
どちらも移り変わる戦況の中で意志の強い判断をいくつもしているところ、名将VS名将って感じがしますね
いつも丁寧なMAP助かる助かる…
ここはもう拘りですねw自分でもたまにやりすぎかな?っと思ったりするw
今まで数的劣勢なのに渡河後、しっかり陣を敷いてる信長軍に対して正面からそこまで押し込めれるもんかと疑問に思ってたけど、奇襲(ほぼ)成功してたらそりゃそうなるわと腑に落ちました。ありがとうございます
信長の戦争(藤本著)で信長公記の記述を知っていたので(崖2mの話は今回初めて知ったが)、軍記物の誇大創作が今回の動画では入っておらず安心して見ることができました。
今までの通説と異なり、様々な事象にしっかりとした理由付けや説明がされていて楽しかったです。歴史の敗者側は特にいいように言われがちなので、朝倉軍のポカに関するフォロー等も入っていてありがたかったです(県民並感)
センゴクってマンガで姉川の浅井軍の先鋒大将が「ここが我らの桶狭間よ」って言ってて、カッコよすぎてエレクトしたよね。
確かに姉川の後に浅井・朝倉が即座に滅びなかったのかが合点がいきました。それと冒頭の地図を見るとこの戦略的に浅井の領土が連絡線になっていたのがもしかして織田を脅かせられるという状況が長政を裏切りへと走らせた要因ではないかと勘繰ってしまいました。それと本買いました。
いろいろ可能性の想像するのは面白いですよね
姉川の戦いで浅井に大ダメージを与えたはずなのになんですぐに滅ぼせなかったりもっと致命的な状況に置けなかったのか(もちろん多方面に敵がいたからとも思ってましたけど)そういうことだったんですねまた一つ勉強になりました
徳川バイアスのかかったこれまでの歴史と違って、史実はこんな感じだったのかもしれませんね。特に徳川勢の横やりの話とかは、徳川の世になってから武功をことさら強調するのための創作だったのかもと思いました。
らしいですね、徳川軍はけっして弱いわけじゃありませんが家康アゲがちょいちょいあります。まぁ、ここはどこの世界の歴史でも同じですがw
本買いました❗️これから読もうと楽しみです。
どちらも深手を負わないように不測の事態へ素早く対応できてるのが将たる器を持つ者同士の戦いといった感じだ国内の戦いは詳しく知らないのも多いので学べます
今回の解説、聴いていてとても腑に落ちた気がいたします。この姉川の合戦、いわゆる「夜襲くずれ」、「奇襲くずれ」のようなものだったのですね。歴史に“たられば”は無いのかもしれませんが、最初に浅井・朝倉軍が布陣した大依山(でしたっけ?)に旗指物等を残していけば奇襲の効果は上がったのでは・・・と感じた次第です。(あと松明のポカが無ければ・・・)
地元の話だから地形がよくわかるので解説がいつもより面白かったですー。
歴史小説マニアですが、斬新な解説でとても勉強になりました。ありがとうございます。
徳川軍の実数は3千くらいだったらしく、朝倉郡の渡河包囲を防ぐだけで精一杯だったと思います。のちに脚色化されて徳川軍の御蔭で勝てたなんて感じになってますけど。徳川にとってはこの戦いに勝っても得る物はないですからね。
通説とは違っていたので、戸惑いましたが、これも1つの説なんだと受け入れます。確かに、数で劣る浅井・朝倉連合軍は、野戦をするなら奇襲しかないと思います。奇襲を試みて、うまく行かないから撤退という流れはありうると思います。織田・徳川連合軍は追撃戦で戦果をあげたと思いますが、壊滅的な損害を与えることができなかった。
知ってる話と全然違うwしかし姉川で完勝できなかったから、その後の小谷城攻略に時間が掛かったのが良く理解できました。
ぼくも昔は姉川に勝ったのにずいぶん浅井も朝倉も元気だな~ってちょっと不思議に思ってましたw
結局動画の通り、姉川決戦ではなく姉川の会戦で信長軍の限定的勝利、浅井朝倉方も戦力維持で次回に続くというような感じですね。昔教科書なら姉川で壊滅してその後に滅んだというような流れですもんねえ
検証すると、姉川の決戦は、定番の『浅井家滅亡の悲劇』前の決戦ではなく、両軍が拮抗した『合戦』を展開したと言えるんですね🤓。『陣』構えを変形し、敵を迎え撃つのは、兵の動揺を鎮めるのも含めかなり時間が掛かるんですね😮。面白かったー!有難うございます🙏。
「一気に懐に飛び込んだ。インファイト!」信長さんチョーカッコいいww
実は観音寺城攻めの時に同じ手法を使ったりしてます。ようは信長の技の一つですね
『センゴク』で描かれた姉川もまさにこの解釈でしたね。長政の「これが我らの桶狭間よ!」のセリフが印象に残ってる。
実はセンゴクは読んでないのでわかりませんが、一緒の結論に至ったなら光栄!
この人たちの動画はいつも面白い
横山城は秀吉の出世のきっかけになった場所のみならず、浅井による連絡線の遮断を防ぐためにも重要な拠点となるんですよね。また、横山城の麓に石田町という場所がありますが、ここが石田三成の出生地です。
横山城をめぐる仕事は対浅井の最前線な上に、連絡線と確保と旧浅井領の維持など非常に能力が問われる所だと思います。そこを秀吉に任せたあたり信長の評価と期待が見えますよね
買いました~😊結構な文字の数に驚いてます。ゆっくり読まさせて頂きます。
当時とは少々地形や起伏は変わっているだろうけどマップで検索して見つけやすいからストリートビューで現地を見ると戦場の臨場感が分かりやすいですね今となっては住んでる地域の地形すら建物で分からず想像するしかないですが昔はまた見え方が違ったんだろうな・・・
わかりますw僕も戦史を調べるときストリートビューとかグーグルアースで見て「なるほど~高低差はこんあもんで~あっちからはこういう風に見えて~」とか思ってたりするw
新しい学びがありました。有難うございます‼️
ここまで調べ上げたの凄いし、戦国好きさが伝わります!いつの日か、ドラマ映画つくって😂
あいかわらず分かりやすい解説でした ありがとうございました!
この時の朝倉家っていうのは、将軍家の仲介で加賀の一向一揆とも和睦し、全力を近江に向けることが出来ましたからね。この初動の姉川決戦が1番動員が少ないくらいで。浅井も根こそぎ動員掛けてたら一気に信長の首を取れなくもなかったともいえる解釈ですよね。遠藤直経の計略も強ち苦し紛れではなかったってことなんですね・・・(捻り首帳に名前があるから太田牛一の創作でもなさそうですし)。
和解しても100年争った相手ですからね加賀一向一揆…ましてこの時は旗幟が不鮮明ですし
壇之浦の戦いから 本動画に来ました🐢 時代が変わって 平家の流れをくむ ( ? ) 織田信長公 戦況をひっくり返せるって凄い✨
攻め時と引き時の判断ってホントに難しいんですね!
名将は引き際をしっている者っていう名言もあるぐらい引き際は難しい。やっぱパチンコと一緒で「もう少し頑張ったら状況が変わるかも」って思ってしまうので
織田も横山城落として機内との連絡線は確保できたんで戦略的には最低限の戦果はきっちり確保してるんだなこの手の細かい損益の勘定うまいことやってるから信長は不利な状況からの仕切り直しが出来たんだろう
今までの通説とだいぶ違う内容なので新鮮でしたね朝倉軍の真柄直隆と徳川軍の向坂兄弟の戦いや浅井軍の遠藤直経のあの逸話も実は無かったりするのかな?
逸話は誇張やない可能性が大いにありますが、逸話はロマンの塊なのであった事にしてますw
姉川の戦い自体が参戦した徳川家(初代の家康、二代秀忠の妻の実家だからか)に脚色されますよね、織田浅井からだと野村の戦いですね後の志賀の陣で浅井朝倉連合が大規模な軍事活動が出来る点で、姉川の戦いはこれまで伝わる様な大きな合戦では無くあまり大きな戦いでは無かったと
尾張半国から一代で20ヵ国強まで広げた信長はやっぱ異常
まぁ尾張は今川全領より石高高いとも言われてますね
@@bristol_._VPN そうですね、反面豊かだった為に尾張兵は弱兵と言われてました。強兵だった薩摩はかなり厳しかったみたいなので…九州自体が強兵の集まりですが
農民から天下人になった秀吉のほうが異常
信長は山ほど不利な状況をはねのけてるから、やっぱり天才だと思う。
@@オクセンシェルナ これ、現在のアメリカ軍にも言えるかもしれないです。元海自特殊部隊の指揮官だった人が書いていた本に、アメリカ軍が最強なのは兵士一人一人の強さからではない。一人の兵士の能力で見た場合、アメリカ軍より自衛隊のほうが明らかに能力が高い。しかし自衛隊の場合、兵員が欠けてしまうと次の補充人員が中々埋まらないけど、アメリカ軍はすぐに次の補充人員が用意できる。どんな状況でも組織全体で戦えるからアメリカ軍は最強なんだということが書いていました。織田軍もアメリカ軍と同じような兵站能力や軍事ドクトリンみたいなのがあったのかと思う次第です。
素晴らしい。大したものだ。本も買いたい。
リクエストに答えてくれてありがとうございます😊
浅井三代記にある十三段の記述ですが、段は備が十三もの梯団で並んでいたのではなく距離の単位の事で、140m(一段=約11m)という説もありますね。浅井に向かったのは織田信長率いる馬廻衆と美濃三人衆の4つの備しか無い筈なので、残りの9つの備はどこから飛んで来たのかという話になってしまいますが、浅井の先手が渡河して140mだけ押して撃退され、織田諸隊の逆襲により浅井長政が本陣を置く野村城(館)で死闘が演じられた感じでしょうか。
段が備か距離かは意見はわかれるところですが、備なら馬廻衆がいくつかの隊に別れてたので合わせて13段(備)あったかもしれないし、距離でいう「13段説」も大いにあると思います。まぁどちらにせよ戦場自体そこまで深くなく兵力的にも分厚い陣形は敷けないだろうし、時間を稼ぎたい信長が河川戦闘で縦隊(長蛇の陣)を敷く理由もわかりません。川を渡ってくる敵を包囲的に対処できるように展開すべきです。なのでイメージよりずっと縦深は薄くなるはずです。なので仰る通り浅井はその短い140m~200mぐらいを抜けなかった事になります。浅井軍の戦闘は前半は姉川南岸、後半はの追撃戦で野村あたりになるのではないでしょうか。
司馬遼太郎が金ケ崎の現地へ行って「よくぞここで凌いだものだ」と涙したという記述があったが、僕もその行動力と感受性を見習いたいものでした。
本買わせていただいて、愛読してます! 今回の解説も楽しく拝見しました今後も可能な限りで配信お願いします
あいどくぅぅ!?かんしゃぁぁぁぁぁ!
買いますー!奥さんにお願いして、読まさせて頂きます。
おもしろかったです。これからも動画投稿がんばってください。
確かに昔見知った通説とはやや違うな 徳川の奮戦や浅井の織田本陣にまで迫る猛攻で隊列が伸びきった浅井軍の側面を城攻めに割いてた別動隊に横槍を入れさせたとか信長の戦術がハマった戦いかと思ってた
いつも楽しく視聴させてもらってます。本は電子書籍あったら欲しいですね〜!ネットを中心に活動してらっしゃるのでユーザーもそちらの方がとっつきやすいかも〜
電子書籍化もされてますよ!是非!
最近登録しました!歴史戦国時代に興味がでて、2年目です。わかりやすく、へぇ〜そうなんだ〜と呟きながら拝見しています。年寄りなので、たまに若者言葉が理解できないこともありますが💧
劣勢ながら見事な指揮っぷり。浅井長政もまた名将よ。
最高、わかりやすい、もちろんの高評価
決戦についての本も出版してほしいです!
今まで気付かなかっただけかもですが、マップに銃声が入ったんですねw地形の話を入れてくると、現代の地形を見て思いを馳せることができますね!「決戦に誘いたい→城から出したい→なるべく手早く終わらせたい」から逆算すると、織田勢にとっては、浅井長政勢の戦力を落とせず、もう1度城に籠られることが嫌な手だったろうと思います。当初の戦局を見失わずに戦えてるところが凄い。。
「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史、購入しましたよ〜〜〜💞
姉川合戦は、知っていましたがこんな駆け引きあったの始めて知りました。有り難うございます。是非是非大阪夏冬や、関ヶ原、小牧・長久手の戦い!で、川中島お願いします。
センゴクも基本そういう描写でしたね。割と近年、昔の戦争の詳細分析がすすんで、昔の人の有能さが定量評価できるようになったことはいいことだと思います。滋賀県民ですが、浅井、六角は無能扱いされてますけど、浅井長政は野良田の戦いと9かでもみれるようになかなかの器量人。六角も観音寺城、楽市楽座など戦争面ではだめでしたが政治面などでは十分に評価できたと思うんですよねー。日本人は結構、司馬史観やら昔の印象で歴史事実の誤認をしすぎてるところがあるので、もうちょいこういう再評価をしていきたいもんです。
定説が変わっていくのが歴史の楽しみでもあるんですよね。
それなw
この戦いは、織田家や浅井家の中では「三田村合戦」、朝倉家の中では「野村合戦」と言われていたようで、徳川家が後に天下をとったので徳川家呼称の「姉川の戦い」という表現で一般的に言われるようになったとか。朝倉軍が松明をたかずに上手く進撃していたら、河越の野戦や桶狭間の戦いみたいなことになっていた可能性もあるね。通説だと朝倉軍は徳川軍の奮戦で押されていたような感じだったけど、この動画を観た限りでは、手伝い戦でしかも国主の朝倉義景が参陣しなかったわりにはそれなりに仕事してるよね。
昨日(4月8日)、届きましたよ~!
勇猛徳川家康,三河武士、浅井の軍も好き
こういった戦いがあったとは勉強になるな~
昨日本買ってきました!もちろん社長の地政学も買ってます!これからも楽しみにしています!!!
あざっすー!(ドゲザズサ-!
編集お疲れ様です。地形とか、部隊の動きとかどうやって編集しているのですか?何個も部隊があるのに一つ一つが自我を持ってるような動きをしててすごいとおもいました。編集方法を教えていただきたいです!
いつも熱弁ありがとうございます。あっと言うまの時間でした。朝倉と対峙した徳川、この戦いで有名だと思うのですが、 鬼真柄VS本田忠勝・向坂兄弟の話も入れて欲しかったです。この後の戦いも解説楽しみにしています。 後の叡山焼き討ちも、浅井朝倉が原因ですよね。
浅井もなかなかやりますねー引きどころが上手い渡河した部隊が徳川を攻めてたら行けましたかね
信玄が病死するタイミング良過ぎて信長の豪運に震える。三方ヶ原で家康を粉砕した武田勢が尾張に雪崩れ込めば四面に敵を抱えた信長は一貫の終わりだったろう。
あっちこっちで予想外のことが起きてドタバタしてる戦場が目に浮かぶ
近代戦もやってほしいです地元でなら田原坂とか
田原坂いいですね
@@一羊-m8i みたいっす
田原坂はぴろすけからリクエストされてるのでやる予定です。できれば今年中にやるかも・・・
うぽつです!分かりやすく詳細な展開図にはいつ見てもワクワクさせられます!リクエストですが後北条家の戦闘を解説して頂きたいです!
ありがたい!そのワクワクを起こしたい!と思って動画を作ってるので嬉しい!
琵琶湖に流れる川は天井川が多いけど姉川も土手の高さは結構高い天井川だからお互いに相手の様子は見えにくいから信長チームの敵側に流れが突き出てる場所で密集してどちらの方向にも攻撃可能な布陣対土手に沿って横に長く布陣しないと防衛しにくい浅井チームの布陣だからそもそも浅井チームは劣勢な気がしますね。
大寄山から撤退を装って迂回しての奇襲はセンゴクでも描写されてましたね
「合戦においてどう野戦に引っ張り出すか?」の件はサッカーにおける「引いて守る相手をどう崩すか?」という問いに似ている、というよりはこの時代の課題がそのまま現代に残されていると言っても過言ではない。
マップがわかりやすすぎるw
万を超える軍勢での、大規模奇襲。これが成功したら、世界戦史にも刻まれたかもしれない。長政の軍事的有能さが、窺える。
本、買います!!それとは別に、解説、ありがとうございました。この戦い、織田方、徳川方、一応勝利のような記録を残されているけど、何か渋い感じの書き方で、どこかの大本営みたいな書き方ではないので謎な決戦に思っていました。この解説で、なるほど、と思うこともあり、勉強になりました、特に、迂回戦術の困難さ、負けた浅井方の考え方には、なるほど!、と思いました。個人的な注文です、浅井氏の小谷城の現地ロケ、お願いします!!、どうなるか分からないけど、是非とも解説して欲しいです!!
迂回はどの場面でも狙うために敵には警戒されてますwなので迂回を成功させるためには地形の把握とタイミングと欺瞞は重要ですw小谷城は行きたいです。もちろん横山城も!いずれいく!!
家康君を、褒め称える様な中身に成っちゃってるからね。勝つには勝てたけれどって感じなのね。
やっぱりおもろい。取材力と現実にマッチングさせる力がすごい。
分かりやすかった。色々と定説って変わってきてますよね。それにしても浅井長政の戦上手が目立ってますね。六角相手に名を上げたのは伊達じゃ無い。
わかりやすくとてもいい解説でしたので高評価押しました('ω')資料によっては兵力が織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍とほぼ互角になっているのは横山城に兵力を割かれていたのですね('ω')朝倉軍と徳川軍は姉川を挟んで対峙してたということは姉川で一騎打ちをしたとされる本多忠勝と真柄直隆は実際には虚構ということでしょうかね('ω')(追撃戦で行った可能性はありますが)
本買いましたー😊
戦国の合戦の動画、いいですねえ😊
9:53 かなり良い戦略だな(実行できる条件であれば)
長政が少しかわいそうだけど、一部だけ松明をつけた事で誤認させることも出来たのか
家康は癒し
いや~面白い!!
兵を分散したスキを突いたというよりは、包囲されてる味方城の後詰めに入らないと、士気崩壊の罠ってとこでは?
戦場の霧に影響されつつ双方なるべくしてなった展開今回のMVPは浅井長政かな?
僕も長政に一票です
姉川の合戦の大敗はは徳川家康を持ち上げる為に作られた説が濃厚。これほどの大敗から何故数か月後に志賀の陣が起きたのか、そこを考えるとわかる。
懐かしい 若い頃を思い出すわ
本日!この本を近くの書店で予約しました。非株式会社いつかやるの、宣伝もしました!🤗🤗🤗
さいこー(*・ω・*)
いや~勉強になりますねー。大河ドラマとかだと脚色が入っちゃうから、本当の史実はわからないんですよね。助かります。
まぁ、これも史実かどうかわからないけどw歴史ってホント、タイムマシーンがないかぎり正解はわからないですからねw
これ、松明でばれる事までは想定してたんじゃあないかな?撤退が鮮やかですし
家康さんはここでいいところを見せて、ワンチャンお市さんを迎えられると考えたのでしょうか。
どしどしチャンネル登録、高評価、コメよろです~
本も絶賛発売中です!一家に一冊いかがですか?→【「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史】 定価1650円
戦場マップを描いてる時、ホントは小谷城も横山城も簡単なお城マークですまそうと思ってたけど、気がついたら「はっ!いつのまに縄張りを!?」みたいな勢いで描いちゃってたwさすがに他の支城は描かなかったけど。
こんな事してるから作業時間が延びてハードルも上がっていくというのに……。
とにかく今回は姉川!
正直、戦闘の記録がアナアナボボンな上に考察も多いのでどう解説するか非常に迷ったんだけど、疑問をできるだけ解消するようにどうにかまとめてみました。
ちなみにこれは奇襲奇襲いってますが【奇襲説】ではありませんw
動画内ででてくる【機動による野外決戦への誘引例】を少し紹介しますと・・・
ナポレオン【ウルム会戦】
→こちらは背後連絡線の遮断による野外決戦への誘引+ロシア軍との分断・オーストリア軍の包囲という超絶複合技。
ハンニバル【トラシメヌス湖畔の戦い】
→ハンニバルは背後に進出して防衛軍と首都ローマを分断。加えてローマへ行くと見せかけるエサで防衛軍を野外に誘引して殲滅。ただその後の影響を考えると決戦かは微妙。
信長【長篠の戦い】
→武田軍の背後にある付け城を攻撃する事によって、勝頼の退路を封じ、攻撃を強要して撃滅する事によって決戦となしました。
【ブレンハイムの戦い】マールバラ公とプリンツ・オイゲンも信長と同じく決戦主義者です。
→インゴルシュタットの包囲による挑発+機動によってフランス軍の目前へ出現し、野戦を強要。
まぁ、紹介した事ある戦いですとこんなもんですかね。ウルムはいずれまた再アップするのでお楽しみに!
まさに、「戦略の失敗を戦術では補えない」ですね。
思いの外高かった
コンビニで7~800円くらいなら電車乗る前とかにちょろっと買えたのに
確か信長は敵の弱いとことをとにかく突いて タイミングとって決戦て感じだよね。
縄張り見てニヤニヤしていたので、そう言う事情を聞いたらもっとニヤけてしまう😁
定説中の定説に溺れず、最新の考察も取り入れてるのはすごい!
いい感じのイントネーション治せ
ちゃんと日本語学ぼう
攻めるも退くも決断が早い長政は天才。流石、信長が認めた男だな。
一回の勝負で一家存亡の危機になりかねない状況での極限状況の中の駆け引きを、
指揮官同士の心理や地理的状況までも含めて解説してくれて、今回もすごく分かりやすく面白かったです。
あと最終的には信長に滅ぼされてしまったけど、浅井長政が戦術に優れた名将だったということを改めてわかりました。
引き際をわきまえた決断力、軍勢を崩すことなく撤退させた指揮力など、だから信長が味方にしたかったんですね。
ありがとうございます!
Thanks!
副社長の解説、ほんまに面白いしわかりやすい。
ぴろすけと掛け合うから話を堅くしない。
日本史もっとやってほしい。
副社長の、戦術解説と図解、分かり易いです。有難うごぜーますだ😉。
毎回分かりやすくてわくわくしながら見ています。毎回思いますが授業の資料として使えそうなくらい作り込まれたクオリティの高い動画ですね。男子は絶対こういうの好きだと思います!
はい!!大好きで大好物です😉✌
この新説の姉川の戦いは説得力ありますね。
信長の陣が何段も突破されたのは、旧説よりも兵力が少なかったため
朝倉と徳川は援軍同士で当事者じゃないから、睨み合いがメインとなった点
とか納得の行く戦況推移でした。
軍勢を山影に隠すように下山したことや、夜間での奇襲行動など、浅井軍の機敏な動きや優秀さが知れたのは良かったですね。
浅井軍もどこまでやってやろうかと思ってたかはわかりませんが、それでも勝利への追求を忘れないところ長政の男や戦場の指揮官の根性を感じられます。名将は引き際も大事ですが勝利の追求を探る精神力も大事!
軍の動きとかってどうやって調べるんだろ?
とにかく毎回面白い!!
勢力図の一向宗勢ちゃんと描いてるの好き😆
奇襲策とそれが失敗した時のことも考えていた浅井長政
とっさに対処して押し返した織田信長
前回とは違った展開・解説で面白かったです
どちらも移り変わる戦況の中で意志の強い判断をいくつもしているところ、名将VS名将って感じがしますね
いつも丁寧なMAP助かる助かる…
ここはもう拘りですねw自分でもたまにやりすぎかな?っと思ったりするw
今まで数的劣勢なのに渡河後、しっかり陣を敷いてる信長軍に対して正面からそこまで押し込めれるもんかと疑問に思ってたけど、奇襲(ほぼ)成功してたらそりゃそうなるわと腑に落ちました。
ありがとうございます
信長の戦争(藤本著)で信長公記の記述を知っていたので(崖2mの話は今回初めて知ったが)、軍記物の誇大創作が今回の動画では入っておらず安心して見ることができました。
今までの通説と異なり、様々な事象にしっかりとした理由付けや説明がされていて楽しかったです。
歴史の敗者側は特にいいように言われがちなので、朝倉軍のポカに関するフォロー等も入っていてありがたかったです(県民並感)
センゴクってマンガで姉川の浅井軍の先鋒大将が「ここが我らの桶狭間よ」って言ってて、カッコよすぎてエレクトしたよね。
確かに姉川の後に浅井・朝倉が即座に滅びなかったのかが合点がいきました。それと冒頭の地図を見るとこの戦略的に浅井の領土が連絡線になっていたのがもしかして織田を脅かせられるという状況が長政を裏切りへと走らせた要因ではないかと勘繰ってしまいました。それと本買いました。
いろいろ可能性の想像するのは面白いですよね
姉川の戦いで浅井に大ダメージを与えたはずなのに
なんですぐに滅ぼせなかったりもっと致命的な状況に置けなかったのか(もちろん多方面に敵がいたからとも思ってましたけど)
そういうことだったんですね
また一つ勉強になりました
徳川バイアスのかかったこれまでの歴史と違って、史実はこんな感じだったのかもしれませんね。特に徳川勢の横やりの話とかは、徳川の世になってから武功をことさら強調するのための創作だったのかもと思いました。
らしいですね、徳川軍はけっして弱いわけじゃありませんが家康アゲがちょいちょいあります。まぁ、ここはどこの世界の歴史でも同じですがw
本買いました❗️
これから読もうと楽しみです。
どちらも深手を負わないように不測の事態へ素早く対応できてるのが将たる器を持つ者同士の戦いといった感じだ
国内の戦いは詳しく知らないのも多いので学べます
今回の解説、聴いていてとても腑に落ちた気がいたします。
この姉川の合戦、いわゆる「夜襲くずれ」、「奇襲くずれ」のようなものだったのですね。
歴史に“たられば”は無いのかもしれませんが、最初に浅井・朝倉軍が布陣した大依山(でしたっけ?)に旗指物等を残していけば奇襲の効果は上がったのでは・・・と感じた次第です。(あと松明のポカが無ければ・・・)
地元の話だから地形がよくわかるので解説がいつもより面白かったですー。
歴史小説マニアですが、斬新な解説でとても勉強になりました。ありがとうございます。
徳川軍の実数は3千くらいだったらしく、朝倉郡の渡河包囲を防ぐだけで精一杯だったと思います。のちに脚色化されて徳川軍の御蔭で勝てたなんて感じになってますけど。徳川にとってはこの戦いに勝っても得る物はないですからね。
通説とは違っていたので、戸惑いましたが、これも1つの説なんだと受け入れます。確かに、数で劣る浅井・朝倉連合軍は、野戦をするなら奇襲しかないと思います。奇襲を試みて、うまく行かないから撤退という流れはありうると思います。織田・徳川連合軍は追撃戦で戦果をあげたと思いますが、壊滅的な損害を与えることができなかった。
知ってる話と全然違うw
しかし姉川で完勝できなかったから、その後の小谷城攻略に時間が掛かったのが良く理解できました。
ぼくも昔は姉川に勝ったのにずいぶん浅井も朝倉も元気だな~ってちょっと不思議に思ってましたw
結局動画の通り、姉川決戦ではなく姉川の会戦で信長軍の限定的勝利、浅井朝倉方も戦力維持で次回に続くというような感じですね。
昔教科書なら姉川で壊滅してその後に滅んだというような流れですもんねえ
検証すると、姉川の決戦は、定番の『浅井家滅亡の悲劇』前の決戦ではなく、両軍が拮抗した『合戦』を展開したと言えるんですね🤓。『陣』構えを変形し、敵を迎え撃つのは、兵の動揺を鎮めるのも含めかなり時間が掛かるんですね😮。面白かったー!有難うございます🙏。
「一気に懐に飛び込んだ。インファイト!」
信長さんチョーカッコいいww
実は観音寺城攻めの時に同じ手法を使ったりしてます。ようは信長の技の一つですね
『センゴク』で描かれた姉川もまさにこの解釈でしたね。
長政の「これが我らの桶狭間よ!」のセリフが印象に残ってる。
実はセンゴクは読んでないのでわかりませんが、一緒の結論に至ったなら光栄!
この人たちの動画はいつも面白い
横山城は秀吉の出世のきっかけになった場所のみならず、浅井による連絡線の遮断を防ぐためにも重要な拠点となるんですよね。また、横山城の麓に石田町という場所がありますが、ここが石田三成の出生地です。
横山城をめぐる仕事は対浅井の最前線な上に、連絡線と確保と旧浅井領の維持など非常に能力が問われる所だと思います。そこを秀吉に任せたあたり信長の評価と期待が見えますよね
買いました~😊
結構な文字の数に驚いてます。
ゆっくり読まさせて頂きます。
当時とは少々地形や起伏は変わっているだろうけどマップで検索して見つけやすいから
ストリートビューで現地を見ると戦場の臨場感が分かりやすいですね
今となっては住んでる地域の地形すら建物で分からず想像するしかないですが昔はまた見え方が違ったんだろうな・・・
わかりますw僕も戦史を調べるときストリートビューとかグーグルアースで見て「なるほど~高低差はこんあもんで~あっちからはこういう風に見えて~」とか思ってたりするw
新しい学びがありました。有難うございます‼️
ここまで調べ上げたの凄いし、戦国好きさが伝わります!いつの日か、ドラマ映画つくって😂
あいかわらず分かりやすい解説でした ありがとうございました!
この時の朝倉家っていうのは、将軍家の仲介で加賀の一向一揆とも和睦し、全力を近江に向けることが出来ましたからね。この初動の姉川決戦が1番動員が少ないくらいで。浅井も根こそぎ動員掛けてたら一気に信長の首を取れなくもなかったともいえる解釈ですよね。遠藤直経の計略も強ち苦し紛れではなかったってことなんですね・・・(捻り首帳に名前があるから太田牛一の創作でもなさそうですし)。
和解しても100年争った相手ですからね加賀一向一揆…ましてこの時は旗幟が不鮮明ですし
壇之浦の戦いから 本動画に来ました🐢 時代が変わって 平家の流れをくむ ( ? ) 織田信長公 戦況をひっくり返せるって凄い✨
攻め時と引き時の判断ってホントに難しいんですね!
名将は引き際をしっている者っていう名言もあるぐらい引き際は難しい。やっぱパチンコと一緒で「もう少し頑張ったら状況が変わるかも」って思ってしまうので
織田も横山城落として機内との連絡線は確保できたんで戦略的には最低限の戦果はきっちり確保してるんだな
この手の細かい損益の勘定うまいことやってるから信長は不利な状況からの仕切り直しが出来たんだろう
今までの通説とだいぶ違う内容なので新鮮でしたね
朝倉軍の真柄直隆と徳川軍の向坂兄弟の戦いや浅井軍の遠藤直経のあの逸話も実は無かったりするのかな?
逸話は誇張やない可能性が大いにありますが、逸話はロマンの塊なのであった事にしてますw
姉川の戦い自体が参戦した徳川家(初代の家康、二代秀忠の妻の実家だからか)に脚色されますよね、織田浅井からだと野村の戦いですね
後の志賀の陣で浅井朝倉連合が大規模な軍事活動が出来る点で、姉川の戦いはこれまで伝わる様な大きな合戦では無くあまり大きな戦いでは無かったと
尾張半国から一代で20ヵ国強まで広げた信長はやっぱ異常
まぁ尾張は今川全領より石高高いとも言われてますね
@@bristol_._VPN そうですね、反面豊かだった為に尾張兵は弱兵と言われてました。
強兵だった薩摩はかなり厳しかったみたいなので…九州自体が強兵の集まりですが
農民から天下人になった秀吉のほうが異常
信長は山ほど不利な状況をはねのけてるから、やっぱり天才だと思う。
@@オクセンシェルナ
これ、現在のアメリカ軍にも言えるかもしれないです。
元海自特殊部隊の指揮官だった人が書いていた本に、
アメリカ軍が最強なのは兵士一人一人の強さからではない。
一人の兵士の能力で見た場合、アメリカ軍より自衛隊のほうが明らかに能力が高い。
しかし自衛隊の場合、兵員が欠けてしまうと次の補充人員が中々埋まらないけど、
アメリカ軍はすぐに次の補充人員が用意できる。
どんな状況でも組織全体で戦えるからアメリカ軍は最強なんだということが書いていました。
織田軍もアメリカ軍と同じような兵站能力や軍事ドクトリンみたいなのがあったのかと思う次第です。
素晴らしい。大したものだ。本も買いたい。
リクエストに答えてくれてありがとうございます😊
浅井三代記にある十三段の記述ですが、段は備が十三もの梯団で並んでいたのではなく距離の単位の事で、140m(一段=約11m)という説もありますね。
浅井に向かったのは織田信長率いる馬廻衆と美濃三人衆の4つの備しか無い筈なので、残りの9つの備はどこから飛んで来たのかという話になってしまいますが、浅井の先手が渡河して140mだけ押して撃退され、織田諸隊の逆襲により浅井長政が本陣を置く野村城(館)で死闘が演じられた感じでしょうか。
段が備か距離かは意見はわかれるところですが、備なら馬廻衆がいくつかの隊に別れてたので合わせて13段(備)あったかもしれないし、距離でいう「13段説」も大いにあると思います。
まぁどちらにせよ戦場自体そこまで深くなく兵力的にも分厚い陣形は敷けないだろうし、時間を稼ぎたい信長が河川戦闘で縦隊(長蛇の陣)を敷く理由もわかりません。川を渡ってくる敵を包囲的に対処できるように展開すべきです。なのでイメージよりずっと縦深は薄くなるはずです。
なので仰る通り浅井はその短い140m~200mぐらいを抜けなかった事になります。浅井軍の戦闘は前半は姉川南岸、後半はの追撃戦で野村あたりになるのではないでしょうか。
司馬遼太郎が金ケ崎の現地へ行って「よくぞここで凌いだものだ」と涙したという記述があったが、僕もその行動力と感受性を見習いたいものでした。
本買わせていただいて、愛読してます!
今回の解説も楽しく拝見しました
今後も可能な限りで配信お願いします
あいどくぅぅ!?かんしゃぁぁぁぁぁ!
買いますー!
奥さんにお願いして、読まさせて頂きます。
おもしろかったです。これからも動画投稿がんばってください。
確かに昔見知った通説とはやや違うな 徳川の奮戦や浅井の織田本陣にまで迫る猛攻で隊列が伸びきった浅井軍の側面を城攻めに割いてた別動隊に横槍を入れさせたとか信長の戦術がハマった戦いかと思ってた
いつも楽しく視聴させてもらってます。
本は電子書籍あったら欲しいですね〜!
ネットを中心に活動してらっしゃるので
ユーザーもそちらの方がとっつきやすいかも〜
電子書籍化もされてますよ!是非!
最近登録しました!
歴史戦国時代に興味がでて、2年目です。
わかりやすく、へぇ〜そうなんだ〜と呟きながら拝見しています。
年寄りなので、たまに若者言葉が理解できないこともありますが💧
劣勢ながら見事な指揮っぷり。浅井長政もまた名将よ。
最高、わかりやすい、もちろんの高評価
決戦についての本も出版してほしいです!
今まで気付かなかっただけかもですが、マップに銃声が入ったんですねw
地形の話を入れてくると、現代の地形を見て思いを馳せることができますね!
「決戦に誘いたい→城から出したい→なるべく手早く終わらせたい」から逆算すると、
織田勢にとっては、浅井長政勢の戦力を落とせず、もう1度城に籠られることが嫌な手だったろうと思います。
当初の戦局を見失わずに戦えてるところが凄い。。
「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史、購入しましたよ〜〜〜💞
姉川合戦は、知っていましたがこんな駆け引きあったの始めて知りました。有り難うございます。是非是非大阪夏冬や、関ヶ原、小牧・長久手の戦い!で、川中島お願いします。
センゴクも基本そういう描写でしたね。割と近年、昔の戦争の詳細分析がすすんで、
昔の人の有能さが定量評価できるようになったことはいいことだと思います。
滋賀県民ですが、浅井、六角は無能扱いされてますけど、浅井長政は野良田の戦いと9かでもみれるようになかなかの器量人。
六角も観音寺城、楽市楽座など戦争面ではだめでしたが政治面などでは十分に評価できたと思うんですよねー。
日本人は結構、司馬史観やら昔の印象で歴史事実の誤認をしすぎてるところがあるので、もうちょいこういう再評価をしていきたいもんです。
定説が変わっていくのが歴史の楽しみでもあるんですよね。
それなw
この戦いは、織田家や浅井家の中では「三田村合戦」、朝倉家の中では「野村合戦」と言われていたようで、徳川家が後に天下をとったので徳川家呼称の「姉川の戦い」という表現で一般的に言われるようになったとか。
朝倉軍が松明をたかずに上手く進撃していたら、河越の野戦や桶狭間の戦いみたいなことになっていた可能性もあるね。通説だと朝倉軍は徳川軍の奮戦で押されていたような感じだったけど、この動画を観た限りでは、手伝い戦でしかも国主の朝倉義景が参陣しなかったわりにはそれなりに仕事してるよね。
昨日(4月8日)、届きましたよ~!
勇猛徳川家康,三河武士、浅井の軍も好き
こういった戦いがあったとは
勉強になるな~
昨日本買ってきました!もちろん社長の地政学も買ってます!
これからも楽しみにしています!!!
あざっすー!(ドゲザズサ-!
編集お疲れ様です。
地形とか、部隊の動きとかどうやって編集しているのですか?
何個も部隊があるのに一つ一つが自我を持ってるような動きをしててすごいとおもいました。
編集方法を教えていただきたいです!
いつも熱弁ありがとうございます。あっと言うまの時間でした。
朝倉と対峙した徳川、この戦いで有名だと思うのですが、
鬼真柄VS本田忠勝・向坂兄弟の話も入れて欲しかったです。
この後の戦いも解説楽しみにしています。
後の叡山焼き討ちも、浅井朝倉が原因ですよね。
浅井もなかなかやりますねー
引きどころが上手い
渡河した部隊が徳川を攻めてたら行けましたかね
信玄が病死するタイミング良過ぎて信長の豪運に震える。
三方ヶ原で家康を粉砕した武田勢が尾張に雪崩れ込めば四面に敵を抱えた信長は一貫の終わりだったろう。
あっちこっちで予想外のことが起きてドタバタしてる戦場が目に浮かぶ
近代戦もやってほしいです
地元でなら田原坂とか
田原坂いいですね
@@一羊-m8i みたいっす
田原坂はぴろすけからリクエストされてるのでやる予定です。できれば今年中にやるかも・・・
うぽつです!
分かりやすく詳細な展開図にはいつ見てもワクワクさせられます!
リクエストですが後北条家の戦闘を解説して頂きたいです!
ありがたい!そのワクワクを起こしたい!と思って動画を作ってるので嬉しい!
琵琶湖に流れる川は天井川が多いけど姉川も土手の高さは結構高い天井川だからお互いに相手の様子は見えにくいから信長チームの敵側に流れが突き出てる場所で密集してどちらの方向にも攻撃可能な布陣対土手に沿って横に長く布陣しないと防衛しにくい浅井チームの布陣だからそもそも浅井チームは劣勢な気がしますね。
大寄山から撤退を装って迂回しての奇襲はセンゴクでも描写されてましたね
「合戦においてどう野戦に引っ張り出すか?」の件はサッカーにおける「引いて守る相手をどう崩すか?」という問いに似ている、というよりはこの時代の課題がそのまま現代に残されていると言っても過言ではない。
マップがわかりやすすぎるw
万を超える軍勢での、大規模奇襲。
これが成功したら、世界戦史にも刻まれたかもしれない。
長政の軍事的有能さが、窺える。
本、買います!!
それとは別に、解説、ありがとうございました。この戦い、織田方、徳川方、一応勝利のような記録を残されているけど、何か渋い感じの書き方で、どこかの大本営みたいな書き方ではないので謎な決戦に思っていました。この解説で、なるほど、と思うこともあり、勉強になりました、特に、迂回戦術の困難さ、負けた浅井方の考え方には、なるほど!、と思いました。
個人的な注文です、浅井氏の小谷城の現地ロケ、お願いします!!、どうなるか分からないけど、是非とも解説して欲しいです!!
迂回はどの場面でも狙うために敵には警戒されてますwなので迂回を成功させるためには地形の把握とタイミングと欺瞞は重要ですw
小谷城は行きたいです。もちろん横山城も!いずれいく!!
家康君を、褒め称える様な中身に成っちゃってるからね。勝つには勝てたけれどって感じなのね。
やっぱりおもろい。取材力と現実にマッチングさせる力がすごい。
分かりやすかった。
色々と定説って変わってきてますよね。
それにしても浅井長政の戦上手が目立ってますね。六角相手に名を上げたのは伊達じゃ無い。
わかりやすくとてもいい解説でしたので高評価押しました('ω')
資料によっては兵力が織田徳川連合軍が浅井朝倉連合軍とほぼ互角になっているのは
横山城に兵力を割かれていたのですね('ω')
朝倉軍と徳川軍は姉川を挟んで対峙してたということは姉川で一騎打ちをしたとされる
本多忠勝と真柄直隆は実際には虚構ということでしょうかね('ω')
(追撃戦で行った可能性はありますが)
本買いましたー😊
戦国の合戦の動画、いいですねえ😊
9:53 かなり良い戦略だな(実行できる条件であれば)
長政が少しかわいそうだけど、一部だけ松明をつけた事で誤認させることも出来たのか
家康は癒し
いや~面白い!!
兵を分散したスキを突いたというよりは、包囲されてる味方城の
後詰めに入らないと、士気崩壊の罠ってとこでは?
戦場の霧に影響されつつ双方なるべくしてなった展開
今回のMVPは浅井長政かな?
僕も長政に一票です
姉川の合戦の大敗はは徳川家康を持ち上げる為に作られた説が濃厚。
これほどの大敗から何故数か月後に志賀の陣が起きたのか、そこを考えるとわかる。
懐かしい 若い頃を思い出すわ
本日!この本を近くの書店で予約しました。
非株式会社いつかやるの、宣伝もしました!
🤗🤗🤗
さいこー(*・ω・*)
いや~勉強になりますねー。
大河ドラマとかだと脚色が入っちゃうから、本当の史実はわからないんですよね。
助かります。
まぁ、これも史実かどうかわからないけどw歴史ってホント、タイムマシーンがないかぎり正解はわからないですからねw
これ、松明でばれる事までは想定してたんじゃあないかな?撤退が鮮やかですし
家康さんはここでいいところを見せて、ワンチャンお市さんを迎えられると考えたのでしょうか。