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古舘さんのお話を聴きながら人の苦しみは様々な『欲』から来ている気がしました。一方で資本主義は人の欲があるからこそ成り立っているように感じました。
真理を理解するにはある程度長く人生経験を経て、精神的にも熟成して知性を養ってこないと理解することは難しいですよね。若いスタッフお二人の素直な感情に共感しながらも言葉で分かりやすく説明しようとする古館さんの姿勢には感銘を受けます。私も仏教を毎日聴聞して学ばせてもらっています。日本人の心には仏の教えが今の時代も必要だと思いますのでぜひ、仏教チャンネルを立ち上げ釈迦の教えを広めてほしいなと思いました。
とても解り易く話して頂き感謝です。これほど的確に伝えて頂いたのは初めてです。どんな本より人の言葉よりお坊さんの話より的確で有難いです。
古舘さんが語る言葉、本当に美しい
インド仏教の論文を書かないといけなくて、本を読むだけでは凄く難しかったんですけど、おかげさまでよく理解できました。どうもありがとうございます
話が面白くて、引き込まれました!
朝起きてからの描写の所、古舘節が素敵です😊
混沌とした話題が溢れている中、仏教シリーズで一息ついてます。ありがとうございます。「📕人生後半、そろそろ・・」を拝読して静かな週末を過ごします。
古舘さんはたくさんの人がお釈迦様の仏教を知るきかいをつくったと思います。是非このシリーズ続けて欲しい
我が家は 曹洞宗です自身 30代半ばまで 仕事中心にガツガツとやってきました 40代で精神障害となってしまいました このことで 時々ふと立ち止まり無になり 障害が安定し落ち着いてます
古舘さんの話しは飽きない
涅槃は心の欲望が止まり、心が飾り立てられずに生じないし滅しない寂静の状態を言うとも言われます。では欲望が終わりを告げるには、私たちの身体も心も苦(不満足)で出来てると心が認めた時に心が自然と少しづつ欲望の執着の手綱を離していくとのこと。涅槃という静寂は本当の安らぎ、幸せと言われています。
ただの真理記述です。この世は無常であり 必ず変化する。作り上げたものは 崩壊する。人との関係は必ず離別がある。そして生まれた以上老病死は必ずやってくる。人生上においても たとえ 努力をしてトップ、一番になったとしても それを継続する時の苦しみ そこから落下する時の苦しみ苦しみは避けられないと。その原理原則として楽の裏には必ず苦しみが潜んでおり これはセット なんだと よって楽を求めるからには 苦しみも 一緒に背負い込む 前提として その楽 というものを求めなければいけないと世尊はお説きになったとこれは人間関係 もろもろの 享楽、楽しみ そして 自己実現に至るまで全てはこの法則がつきまとうと。求めようとすればするほど必ずその隠されている 苦しみにぶち当たるんだということ。この原理原則を悟った仏は 楽しみも苦しみに変わるわけだから 結局 楽しみを求めてはならないと。楽しみを求めない限り 苦しみも 近寄ってこないと よって苦と楽から 完全に離脱することができると そしてその終局地点として絶対的な自由 幸福 歓喜に至るのだと。絶対に苦しみを味わうことはない これを持って 絶対的な幸福なんだと定義したと仏教で言われる ニルヴァーナ。ここに至るための方法論は 仏教では身、口、心の制御であり ヨーガではエネルギーの強化 エネルギーの上昇 技法 によって達成すると その物理的状態は 精神集中の途切れない状態であるとそして ヨーガにしろ 仏教にしろ これらを実践 して幸福になることは 人生最大の意義であると なぜならば 最初に言った通り この世は無常を根本としてるからであるとそしてたとえその最終地点に到達できなかったとしても 低いレベルの幸福から 順番に通過していくという法則がある以上たとえ 途中で挫折したとしても原始的な幸福というものは低い地点にあると 例えば100点満点を目指して50点しか到達できなかったとしても 50点は取れてるんだと。面白い もんで 欲望にとらわれず ただ淡々と集中できるようになると 様々な欲望が達成 されていくという現象が起きるこれはこの仏の教えが真理であることを表してると全ては自分自身の心の表れであると仏教 ヨーガいや言い方を変えるならば 真理、 真理の実践はこの世の全てであると この世で最上の 意義のある ものであると。最後に原始仏典で繰り返し 記載されること それは 全ての安楽 全ての 幸福 第一原因は 怠惰でないことから出発すると 全ての悩み苦しみ 不幸の 第一原因は怠惰であることから出発すると 怠惰というものは毒を飲むよりも 崖から落ちるよりも 過ぐ。ここまで個人的 私的な見解の発表は一切ありません。原始仏典。真理経典。真実の仏の教え、世尊の説法これらより引用、抜粋。
古舘さんの動画にご縁をいただき心の安らぎを与えていただきました。共鳴することも多々です。また佐々木閑先生の書籍も取り寄せてお釈迦様の説かれたことを少しでも理解したいと読ませていただいております。 ありがとうございます。
人生は苦しむためにあり一切は皆苦である。でも苦しむからこそこの人生の大きな目的の葛藤は解消される。そこにこそ本当の喜びがある。アシスタントさんが言っている喜びとは、頭で思う麻薬的な喜びを言っていて、麻薬だからこそ依存して人生を壊していくという真の苦しみを味わう。アシスタントさんの求める喜びの先には本当の苦しみがあるんだということを、古舘さんはとても優しく伝えてくれていると思う。アシスタントさんもいつかその仕組みを理解する日が来ると思う。頭で求める喜びを求めているからこそ、求めれば求めるほど結局手元には苦しか残らないという現実を。
なるほどねー描写かぁ、イコール自分の肯定って事ですね。腹が立っても自分に目を向けて、腹が立ってる自分がおる。これの認識が大切なんだと思います。
私もお釈迦様のファンです。こういう動画ありがたいです。
面白い!ずっと聞いてたいですね。仏教学び続けます。やはり古舘伊知郎さんの喋りは凄いな。一緒に酒飲んだら楽しそう🎉
説明がとてもわかりやすく、さすがプロの話し手だと思いました。それと同時にいかに人間が自我(エゴ)に支配されているかがとてもわかりやすく表現されいることが見てとれました。エゴだらけと言いながら、何か真理について少しでもわかったと思いたい、それをどうしても言いたい、それが止められない、それこそがまさにエゴだと理解できる動画だなと思いました。エゴがどういうものかとてもわかりやすかったです、ありがとうございます。
生きる指針としての仏教を学び、真理に近づき生きたい南無(機)阿弥陀仏(法)
古舘さんの話されることに成程と思います。鴨長明の歌もそこに共通点を見出しました。苦しみがあればこそ楽しみも感じられる。所詮無常観が心を占めてしまいました。
僕にとっては苦しみは今に至るまで多過ぎて死んだ時にニルヴァーナがあるのではないかと思えてしまいます。苦しみ・絶望がどれだけ続いても人生諦めなかったのは、小さな事にも感謝するようになったからです。僕は古舘さんのように有益な語句を語ることはできませんが、1つ感じた事があります!この内容は古舘さんの原始仏教という感じがしました。『最古の経典スッタニパータ』やダンマパダの内容とは少し違うと思います。最古の経典は、苦しみを無くしていく根本的方法を教えてくれているので、それも素晴らしいと思います。またこのようなワクワクするシリーズがあることを、楽しみにしています!ありがとうございました。
そうですこれは古舘伊知郎の原始仏教であって真実とは違うものです❤
親鸞が弟子にどうしたら極楽浄土に行けますかと問いました。親鸞は行った事がないから分からないと答えています。日本の仏教の真髄だと思います。
今日は仕事でめちゃくちゃ、苦しい感じの仕事だけどアガりっぱなしで楽しかったなあ。古舘お話し瞑想しました。半分寝ました。やっと落ち着きました。おやすみなさい ありがとうございます😪やっぱハタが大事だと思います。交感神経と副交感神経みたいな
猫とネズミの話はいいですね。心を平静に保つ。出来事の見方ひとつで大きく変わる。真実だと思います。
古舘さんの頭の中が覗けて、興奮しちゃいました。言葉の選択、一つ一つが無駄がないですね。いつも頭の中で実況してるからなんですね。
ますます、素晴らしい人生を過ごせられてる事が羨ましいです。😊
2022年にコロナ渦になった結果、佐々木閑先生の仏教講座と古館伊知郎チャンネルの視聴者になり、今「人生後半そろそろ仏教にふれよう」が手元に届きました。ページをめくって冒頭1行目から惹きこまれました。丁寧に拝読したいと思います。
お釈迦様の説かれたお経はたくさんあります 真実に導くための方便のお経もあります心地よいこうであってほしいという話は受け入れやすいですもっとお釈迦様がなにをいわんとしているのか 人によらず法によれるよう もっと古舘さんが 生まれてよかったと思える今生にして欲しいと思います
動画投稿ありがとうございます。古舘さんをきっかけに仏教に興味を持つ人が増えたら幸いです。古舘さんには原始仏教だけでなくぜひインド大乗仏教の歴史と教理も学んで欲しいです。中観、唯識、論理学等を学ぶとさらに仏教に対する理解が深まります。浄土信仰や法華経信仰だけが大乗仏教ではありません。輪廻の理論に関しては原始仏教でも考察されていますが、ミリンダ王の問いやダルマキールティの論書が非常に参考になります。”仏教は霊魂(アートマン、常住なる主体)を否定しているから死後を想定していない”というのは、よくある誤解です。仏教の理論では”主体がないからこそ輪廻する”のです。(詳しくは下記の魚川氏の著書をご覧ください)そもそも解脱とは二度と生まれ変わらない境地を指します。よって前世•来世の存在が前提なのです。(ダンマパダ153,154偈やテーラーガーターをご覧ください)インド世界では生まれ変わることは良いことではないのです。生まれ変わるというは苦しみそのものであり、そこからの脱出が解脱や涅槃という境地です。参考文献:『仏教思想のゼロポイント』 魚川祐司 著『シリーズ大乗仏教9 認識論と論理学』春秋社『新訳 ミリンダ王の問い』宮元啓一 著
待ってました!涅槃寂静!
私もフェイスブックで仏教的ページを掲載していますが、古館さんの解説は大変分かりやすく流石にプロだと思います。布教と言うのはおこがましいですが、古館さんの言葉で多くの人々が救われることを願っています。
古舘さんから仏教を学べたおかげで苦しいことから急には解放されなくても、冷静に苦しみと向き合う自分を持とうと思えました。本当に分かりやすく教えて下さりありがとうございます。何気なく聞いていたお教の教え等勉強したくなるきっかけを苦しみのおかげで得られました。
古舘さんの物体の存在論は「色」ですね。色は無常である、という説明。
「瞑想」この効果は本物です。二ヶ月あたりで感じはじめ、半年経った今になると物理的に脳の形が変わったと認識できています。
古舘さんの原始仏教解説、とてもわかりやすく心にスーッと入って来ました😊少し疑問なのですが、釈迦は自殺についてどう考え、どう解釈していたのか古舘さんの目線でまた機会があれば解説してほしいです🤔
私がやっているのは食事瞑想です。ご飯に青のりをつけて食べる瞬間 88日かけて農家さんが手塩にかけて育てた米を運送屋さんがスーパーへスーパーでは店員さんが心を込めて並べて それを今私は頂いている。ありがたいありがたいなあ🙏私の支払ったお代も役にたっているなあ。いつもじゃないけど 感謝 合掌🙏
最近の哲学者だとマルクス・ガブリエルが面白い存在論を語っています。殆ど無常、無我、縁起に近いと思います。
涅槃寂静 悟には 簡単ではなく 難しいですが 生れて来たと言う事は 宿命として 四苦八苦 生老病死 愛別離苦 これは 何人と言えどもさける事は出来ない事なので 受け入れなさい そう言う事かな でも何時かは お迎えが来て あの世に帰る事が出来る それが 救いだと思います。
どうもありがとうございます❤
🇻🇳のチョン書記長が亡くなり😢古舘さんの言葉が心に染み入ります😢ただただ悲しいですね。
葬式のための寺と坊さん 本来 仏教は生きるための教えのはず 古舘さんのようなお坊さまが増えますように 私も皆さんも幸せでありますように合掌🙏感謝 31:19
36:47 心の実況中継をする古舘伊知郎❤️🔥🪞
ありがとうさま
結局は自分の幸せを一番にしなければ良い
なるほど、深いです😢
執着心を無くすことですね・・・現実は厳しいですが
喜怒哀楽が全て無くなるのが涅槃寂静ではなくて、喜怒哀楽、オールオッケー👌なのが涅槃寂静かなぁ仏道は「諦め」の道ではなく「受け入れ」の道だと思う
古神道も取り上げて下さい‼️
悟りまで5.6年、苦行したら行けましたよ。
道理というのはネガティブに見えてしまうかもしれないのは本当にそうよなぁただ本当はそうネガティブに捉える自我があるだけであって、ただそこには事実としての道理が横たわっているだけよね。自分も死ににいく事を考える事は恐ろしい。これらを理屈では分かっていても、では涅槃に至ろうとなると、本当に難しい。また涅槃に固執する自我も、また苦しみを与えてくる。
そうすね、道理とは法則、定律、真理じゃないでしょうか?
自我はありませんね。我を理解した主体が我がない我。その矛盾を解いたのが釈迦。我があろうが、我がなかろうがどっちでも良い。苦行をしても悟れない。苦行をしようとする我、肉体を嫌がる心。心の錯覚を打ち破った。悟りとは凄いですね。縁起とは、関係性ですね。
何も無いわけではない。無ではなく空。
古舘さんのは、ヴィパッサナー瞑想ですね。観察し集中しているときは、妄想が湧かない、反作用で妄想が湧いたらそこから、またやり直せば良いですね。
誰か教えて欲しいのですが、お釈迦様は弟子から「死んだどうなるのですか?』と訊かれて「死んだことがないのでそんなこは解らないと言ったと聴いたことあるのですが、間違いなのでしょうか?
話聞いてるとなんとなくわかります。 内容が結構 複雑ですね。😮 涅槃寂静 というのは 悟りの行事に似てますね。 話は余談ですが 古舘伊知郎さんといえば 昔の プロレス実況中継 が とても印象深いです。 今思うと その時の実況の喋り方が凄いファンでした😍
欲と執着が苦しみを産みます。
この方は、最強の伝導者だと…思いました…いつの日か、無明の解釈を配信してくださいませ🙏
天国も地獄も死後のあの世にあるんじゃなくて、現世にあるんですよね。死後は喜びも苦しみも感じる主体がないんだから・・・。だから死後の世界を語る宗教はいまいち自分の心に刺さらないんですよね。釈迦にもし死後の世界のことを聞いたら、知らないし興味もないというかもしれませんね。今の生きる苦しみをどう取り除くかを真摯に考えてた人だから…。喜びも苦しみもコインの裏表で、我々はコイントスを繰り返しながら生きていますが、そのコインの表裏の影響が重すぎると辛くなることもあるわけですね。ソシャゲのガチャでSSRやURを引くと至上の喜びに包まれ、大量に課金をして全部外すと地獄の後悔にのたうつようなものですが、あんまりはまりすぎて廃課金で己を苦しめている人は、いっそソシャゲをアンインストールすると、軽く解脱っぽい気分を味わえるかもしれません。心を燃やす喜びも喪失の苦しみも捨てた先に無限の解放感が待っている、という感じでしょうか・・・
六師外道の印象を感じました
ゆっくり過ごしたいですね(*^^*)
涅槃は、気持ちいいものですか?喜怒哀楽がなければ、どういう感覚なのでしょう。「真空」の状態に近いのかな。
即身成仏、最高の人生のゴールただしあまりにも難しい
涅槃と空は違うのですかね?空の概念は宗教、宗派、人によって解釈がバラバラで難しいです
そんな歳とっても苦しいだの楽しいだの…こんな喜びしかないような世界なのに
お話の中で、釈迦仏教には輪廻転生が無くて、大乗仏教にはそれがあると受け取ったのですが、釈迦仏教の涅槃寂静が実社会では難しいので、皆んなに受け入れやすいように、涅槃をあの世に置き換えたのが大乗仏教って考えでよいですか?涅槃があの世なので、輪廻の概念も生まれてきたのでしょうか。
おださんの質問についてですが、死後世界も死後の我も「無記」では?
一切皆苦は一切皆楽としてもいいはずそうでないということは絶対的な苦があるから皆苦が真理としているそれは死の事かと思ったら死ぬことすら苦ではないときた一体何を持って一切皆楽ではなく一切皆苦と断じているの?
梅干しを頭から消せない私は悟りには程遠いのでしょう
普通ですよ。仏道はるか彼方にあらず、足元にあり。
古館さんが石丸さんを批判しないのは「何も言わない」ということが仏陀の教えと似ているからなのかと思いました。「石丸批判をする=仏教批判をする」という風に古館さんの中で無意識になっているのではないかと考えました。
古館さんへ、体操競技選手の19歳の宮田さんが、喫煙、飲酒で叩かれています。RUclipsのルール(定義)をこれからの人達に伝えて欲しいのです。このままでいくと、誹謗中傷問題なし。自殺者が増えていく懸念が耐えません。宜しくお願い致します。
天親は謝ってます随縁不変一念寂照一心三観三島は九識釈迦前世有徳王虚空蔵は地下普遍菩薩は具足
どういう意味ですか?
輪廻について、悟りのときに三明六通を得て、過去世が分かると仏典に書いています。魂の定義が個性とか今の人格であるのであるのならば、それが輪廻するのではなく、主体はカルマこそ輪廻の原動力と思います。お釈迦様は悟りの表現でよく「苦しみの終わり」と言われています。解脱の楽しみを享受したとも書かれています。そして二度と輪廻をすることがないとも。
存在を作り出す無明の種を抜き去ったといわれてますね。主さんがおっしゃるとおり六神通の漏神通によりあらゆる概念から抜け出したと。天眼通、天耳通、他は忘れましたけど。笑無明を切ったのは、本当にすごいことです。ヒンドゥー魂という概念、キリストの神が世界を作り出した。など、間違った考えから抜け出したのは、尊敬されるべき生命?ですね。涅槃の状態を生命と呼ぶこともできませんがね。😅
ハラリ氏は一体どういうスタンスにいるんでしょうね??
涅槃寂静なうです。
🙏釈迦の教えである佐々木閑先生と古舘伊知郎さんとの対談の本が売っていますね❤😃👍
こりゃ苫米地さんとコラボ観たいなー❤
浄土真宗がどうしても世間に理解しづらく勘違いしているのではと思うところは、阿弥陀仏の他力本願のはたらくところは死んだ後ではなく今ここに存在している私の苦悩のうえにあるという「現生正定聚」というところでしょうか?
現代人は麻酔注射を射たれて、痛みを感じない様に生かされております。それが事あるごとに、麻酔が切れていきます。段々と苦悩に気がつきます。それは前からあったのだが、気がつかなかっただけ、麻酔が切れると気がつきます。
ワイが勝手に思ってる事やけど死ぬ寸前が一番快楽を得そうな気がするwどんな死に方でもねw
あなたのように成功者が、仏陀の心情を説明しても なんかねえ
何やら私が長い間学んだ原始仏教と全く違うので反論したいごめんなさい
あなたのお話も聞いてみたいです
三途の川地獄六道輪廻六師外道聖者の階梯は基本中の基本です
天網恢恢疎にして漏らさず地獄はあります
私は二度と母体に入る事はないと説法したブツタ解脱した聖者は二度と輪廻する事は無い他の人は輪廻転生があります
古舘伊知郎の縁起の法に関しては私も同じ考え方です
無神論者ですが とても学びがあります やはり日本人には仏教がココロから しっくり来るのは何故なのでしょうね キリスト教もカジってみましたがイマイチしっくり来ませんでしたね
絶対神が世界を創る。あなたが世界を創る。その違いだけです。
@@津田真佑-h7s 抽象的で意味が分かりません
絶対神が世界を作るなら、絶対神に依存するだけです。あなたが無神論者なら、目の前にある何かを変えようとする力は何なのでしょうか?無神論は成り立ちません。あなたが何かシステムを構築しようとしているのですから。無神論もキリストも一切合切、何かに依存することです。
@@津田真佑-h7s その説明だけでは無神論が成り立たないとは納得出来ませんね 宗教を信じて居ない ソレ以上ソレ以下でもないです。
@@ごまふあざらし-u9l 宗教の定義とはなんでしょうね?(絶対神を信じることでしょうかね)無神論を信じることこそが宗教ではないでしょうかね。もし、無神論こそが絶大的な教えだと思うなら、宗教を定義しなければいけません。あなたがもし、無神論が完璧な教えだと定義できた時、例えば、神はいないと証明できた時、あなたは一体何者ですかね?無神論は役に立たないことがわかるでしょう。
緒の途中で悪いが、人間も動物ももっともっととは成らない。身は欲求が満たされればそれ以上に求めるのはその人は病気だから。苦しみも哀しみも有るが故に、楽しみ歓びが圧倒的に身を進める。死に行ってると感じる事は通常では有り得ない。無理やりの感が有る。仏教は悟りとか当たり前と三途の川とか極端が過ぎる。瞑想も然り。悟りとは大げさな事。仏陀の後の作文は荒唐無稽が過ぎる。成らん事にこだわると地獄に落ちますよ。古舘さんは何故これだけ深堀をしているのか。仏教を善しとして知識も有るし、それが生きる為に今必要だからの事。必要としたらどうしても我田引水的思考におちいる。その知識絶対では有りません。常人は雑多の世の中で楽しく屈託無く生きる事が一番大切なこと。人間は涅槃寂静なんてものを求めるもんじゃ無い。本気で成りたい人は居ないとは思うけど、もし成ってしもうたら世に役立たずの人間に成ります。いやもう生物では無くなる。枯れ木。成仏・極楽なんて詰まらぬ所も無い。行ったら三日で嫌になる。今を逃げない事です!。
全く違います
ん!・ただそれだけ❓。違うって事一つでも言ってみな!。😛
東大の゙名誉教授中村元さんのが信用したほうがいい
輪廻転生や六道輪廻がでてこない唯物論者の外道した
三途の川地獄閻魔大王鬼の概念六道輪廻がでてこない原始仏教ではない
悟りの説明と悟りは全然違います。
浄土真宗などで釈迦の言いそうに無い言葉を「お釈迦の言葉」として使いたがるのが いつも違和感を感じます
🎤🎤🎤🎤
「輪廻転生」でしたっけ?人が〇んだら魂は別の新しく生まれる生命に宿ると昔から謂われていますが、魂が入る「生物」に対しては選択権は無いですよね。例えば「人間」「動物」「植物」「微生物」に転生したとして、後から「それは無理!」って選択は出来ませんもんね。
立教
「釈迦の教えと大乗は違う」?浅い。
この世全知全能でも希望は、手に入らないから(無明の闇)希望あれ(光)で開かれた、この世。争い(悪)もなく、善人しか存在しない世界に、希望はない(機械)感情に波のアル世界が必要で、悪もアルから善人(平和)を、求めて希望が持てる。意識↓(物質アル時(陽)から次のアル時(陽)へ変化して、すぎてくアル時(陽)を、繋がってる流れ(時間)として認識できる)↓☯️陰ロ陽ミ+全体(ク消滅)で、1つの三位一体のリズム=ミロク樹クは、過去と未来、↑↓スピン、につ必要なので、クのヨつ(この世)三位一体☯️では、クはムつ(空の間、無)(明日に希望がアルこの世)↓釈迦は悟ってその内容を、他人に話す必要もなく生まれ変わり(悟っても語られない理由↓希望を感じるのに不都合な事と、来る前と死後は、現在よりも素晴らしい所と思考する意識(希望アル世))自分の内で、無いもの(心)を、育てた過去(愛)と、明日に希望(光)を、感じて(ナミ)生きたらいい。無いもの(普通(ナギ)な状態)を感じられる、素晴らしい世界が、この世(来る前を忘れてないと、この世の意味がないが、忘れてるから見失う(ヨミ))月詠憎しみ(闇)→(光)天照陰陽の荒ぶる(イシ)間の(ナミ)波動を、歩む(スサノオ)この世、陰陽の波動のナミの世で、自ら暴れて闇に入っても自分の意志で闇を、閉じて行動すれば何時かは、出雲の日 結局は、自分を大切にして、生きて過ぎてく日々(過去)を、振り返った時に自分の行動(一日一善?)に愛が、アル過去だったなら明日にも希望がある。
しゃべる瞑想ですね~
古舘さんのお話を聴きながら人の苦しみは様々な『欲』から来ている気がしました。
一方で資本主義は人の欲があるからこそ成り立っているように感じました。
真理を理解するにはある程度長く人生経験を経て、
精神的にも熟成して知性を養ってこないと理解することは難しいですよね。
若いスタッフお二人の素直な感情に共感しながらも
言葉で分かりやすく説明しようとする古館さんの姿勢には感銘を受けます。
私も仏教を毎日聴聞して学ばせてもらっています。
日本人の心には仏の教えが今の時代も必要だと思いますので
ぜひ、仏教チャンネルを立ち上げ釈迦の教えを広めてほしいなと思いました。
とても解り易く話して頂き感謝です。これほど的確に伝えて頂いたのは初めてです。どんな本より人の言葉よりお坊さんの話より的確で有難いです。
古舘さんが語る言葉、本当に美しい
インド仏教の論文を書かないといけなくて、本を読むだけでは凄く難しかったんですけど、おかげさまでよく理解できました。どうもありがとうございます
話が面白くて、引き込まれました!
朝起きてからの描写の所、古舘節が素敵です😊
混沌とした話題が溢れている中、仏教シリーズで一息ついてます。ありがとうございます。「📕人生後半、そろそろ・・」を拝読して静かな週末を過ごします。
古舘さんはたくさんの人がお釈迦様の仏教を知るきかいをつくったと思います。
是非このシリーズ続けて欲しい
我が家は 曹洞宗です
自身 30代半ばまで 仕事中心にガツガツとやってきました 40代で精神障害となってしまいました このことで 時々ふと立ち止まり無になり 障害が安定し落ち着いてます
古舘さんの話しは飽きない
涅槃は心の欲望が止まり、心が飾り立てられずに生じないし滅しない寂静の状態を言うとも言われます。では欲望が終わりを告げるには、私たちの身体も心も苦(不満足)で出来てると心が認めた時に心が自然と少しづつ欲望の執着の手綱を離していくとのこと。涅槃という静寂は本当の安らぎ、幸せと言われています。
ただの真理記述です。
この世は無常であり 必ず変化する。
作り上げたものは 崩壊する。
人との関係は必ず離別がある。
そして生まれた以上老病死は必ずやってくる。
人生上においても たとえ 努力をして
トップ、一番になったとしても それを継続する時の苦しみ
そこから落下する時の苦しみ
苦しみは避けられないと。
その原理原則として楽の裏には必ず苦しみが潜んでおり これはセット なんだと よって楽を求めるからには 苦しみも 一緒に背負い込む 前提として その楽 というものを求めなければいけないと世尊はお説きになったと
これは人間関係 もろもろの 享楽、楽しみ そして 自己実現に至るまで
全てはこの法則がつきまとうと。
求めようとすればするほど必ずその隠されている 苦しみにぶち当たるんだということ。
この原理原則を悟った仏は 楽しみも苦しみに変わるわけだから 結局 楽しみを求めてはならないと。
楽しみを求めない限り 苦しみも 近寄ってこないと
よって苦と楽から 完全に離脱することができると
そしてその終局地点として
絶対的な
自由 幸福 歓喜に至るのだと。
絶対に苦しみを味わうことはない これを持って 絶対的な幸福なんだと定義したと
仏教で言われる ニルヴァーナ。
ここに至るための方法論は 仏教では身、口、心の制御であり
ヨーガではエネルギーの強化 エネルギーの上昇 技法 によって達成すると
その物理的状態は 精神集中の途切れない状態であると
そして ヨーガにしろ 仏教にしろ これらを実践 して幸福になることは 人生最大の意義であると なぜならば 最初に言った通り この世は無常を根本としてるからであると
そしてたとえその最終地点に到達できなかったとしても 低いレベルの幸福から 順番に通過していくという法則がある以上
たとえ 途中で挫折したとしても原始的な幸福というものは低い地点にあると
例えば100点満点を目指して50点しか到達できなかったとしても 50点は取れてるんだと。
面白い もんで 欲望にとらわれず ただ淡々と集中できるようになると 様々な欲望が達成 されていくという現象が起きる
これはこの仏の教えが真理であることを表してると
全ては自分自身の心の表れであると
仏教 ヨーガ
いや言い方を変えるならば 真理、
真理の実践はこの世の全てであると
この世で最上の 意義のある ものであると。
最後に原始仏典で繰り返し 記載されること
それは
全ての安楽 全ての 幸福
第一原因は 怠惰でないことから出発すると
全ての悩み苦しみ 不幸の 第一原因は
怠惰であることから出発すると
怠惰というものは毒を飲むよりも 崖から落ちるよりも 過ぐ。
ここまで個人的 私的な見解の発表は一切ありません。
原始仏典。
真理経典。
真実の仏の教え、
世尊の説法
これらより引用、抜粋。
古舘さんの動画にご縁をいただき心の安らぎを与えていただきました。共鳴すること
も多々です。また佐々木閑先生の書籍も取り寄せてお釈迦様の説かれたことを少しでも
理解したいと読ませていただいております。 ありがとうございます。
人生は苦しむためにあり一切は皆苦である。でも苦しむからこそこの人生の大きな目的の葛藤は解消される。そこにこそ本当の喜びがある。
アシスタントさんが言っている喜びとは、頭で思う麻薬的な喜びを言っていて、麻薬だからこそ依存して人生を壊していくという真の苦しみを味わう。
アシスタントさんの求める喜びの先には本当の苦しみがあるんだということを、古舘さんはとても優しく伝えてくれていると思う。
アシスタントさんもいつかその仕組みを理解する日が来ると思う。頭で求める喜びを求めているからこそ、求めれば求めるほど結局手元には苦しか残らないという現実を。
なるほどねー描写かぁ、イコール自分の肯定って事ですね。
腹が立っても自分に目を向けて、
腹が立ってる自分がおる。これの認識が大切なんだと思います。
私もお釈迦様のファンです。こういう動画ありがたいです。
面白い!ずっと聞いてたいですね。
仏教学び続けます。
やはり古舘伊知郎さんの喋りは凄いな。
一緒に酒飲んだら楽しそう🎉
説明がとてもわかりやすく、さすがプロの話し手だと思いました。それと同時にいかに人間が自我(エゴ)に支配されているかがとてもわかりやすく表現されいることが見てとれました。エゴだらけと言いながら、何か真理について少しでもわかったと思いたい、それをどうしても言いたい、それが止められない、それこそがまさにエゴだと理解できる動画だなと思いました。エゴがどういうものかとてもわかりやすかったです、ありがとうございます。
生きる指針としての仏教を学び、真理に近づき生きたい
南無(機)阿弥陀仏(法)
古舘さんの話されることに成程と思います。鴨長明の歌もそこに共通点を見出しました。
苦しみがあればこそ楽しみも感じられる。所詮無常観が心を占めてしまいました。
僕にとっては苦しみは今に至るまで多過ぎて死んだ時にニルヴァーナがあるのではないかと思えてしまいます。
苦しみ・絶望がどれだけ続いても人生諦めなかったのは、小さな事にも感謝するようになったからです。
僕は古舘さんのように有益な語句を語ることはできませんが、1つ感じた事があります!この内容は古舘さんの原始仏教という感じがしました。
『最古の経典スッタニパータ』やダンマパダの内容とは少し違うと思います。最古の経典は、苦しみを無くしていく根本的方法を教えてくれているので、それも素晴らしいと思います。
またこのようなワクワクするシリーズがあることを、楽しみにしています!
ありがとうございました。
そうですこれは古舘伊知郎の原始仏教であって真実とは違うものです❤
親鸞が弟子にどうしたら極楽浄土に行けますかと問いました。
親鸞は行った事がないから分からないと答えています。
日本の仏教の真髄だと思います。
今日は仕事でめちゃくちゃ、苦しい感じの仕事だけどアガりっぱなしで楽しかったなあ。古舘お話し瞑想しました。半分寝ました。やっと落ち着きました。おやすみなさい ありがとうございます😪
やっぱハタが大事だと思います。交感神経と副交感神経みたいな
猫とネズミの話はいいですね。心を平静に保つ。出来事の見方ひとつで大きく変わる。真実だと思います。
古舘さんの頭の中が覗けて、興奮しちゃいました。
言葉の選択、一つ一つが無駄がないですね。いつも頭の中で実況してるからなんですね。
ますます、素晴らしい人生を過ごせられてる事が羨ましいです。😊
2022年にコロナ渦になった結果、佐々木閑先生の仏教講座と古館伊知郎チャンネルの視聴者になり、今「人生後半そろそろ仏教にふれよう」が手元に届きました。ページをめくって冒頭1行目から惹きこまれました。丁寧に拝読したいと思います。
お釈迦様の説かれたお経はたくさんあります 真実に導くための方便のお経もあります
心地よいこうであってほしいという話は受け入れやすいです
もっとお釈迦様がなにをいわんとしているのか 人によらず法によれるよう もっと古舘さんが 生まれてよかったと思える今生にして欲しいと思います
動画投稿ありがとうございます。古舘さんをきっかけに仏教に興味を持つ人が増えたら幸いです。古舘さんには原始仏教だけでなくぜひインド大乗仏教の歴史と教理も学んで欲しいです。中観、唯識、論理学等を学ぶとさらに仏教に対する理解が深まります。浄土信仰や法華経信仰だけが大乗仏教ではありません。
輪廻の理論に関しては原始仏教でも考察されていますが、ミリンダ王の問いやダルマキールティの論書が非常に参考になります。
”仏教は霊魂(アートマン、常住なる主体)を否定しているから死後を想定していない”というのは、よくある誤解です。仏教の理論では”主体がないからこそ輪廻する”のです。(詳しくは下記の魚川氏の著書をご覧ください)
そもそも解脱とは二度と生まれ変わらない境地を指します。よって前世•来世の存在が前提なのです。(ダンマパダ153,154偈やテーラーガーターをご覧ください)インド世界では生まれ変わることは良いことではないのです。生まれ変わるというは苦しみそのものであり、そこからの脱出が解脱や涅槃という境地です。
参考文献:
『仏教思想のゼロポイント』 魚川祐司 著
『シリーズ大乗仏教9 認識論と論理学』春秋社
『新訳 ミリンダ王の問い』宮元啓一 著
待ってました!涅槃寂静!
私もフェイスブックで仏教的ページを掲載していますが、古館さんの解説は大変分かりやすく流石にプロだと思います。布教と言うのはおこがましいですが、古館さんの言葉で多くの人々が救われることを願っています。
古舘さんから仏教を学べたおかげで苦しいことから急には解放されなくても、冷静に苦しみと向き合う自分を持とうと思えました。本当に分かりやすく教えて下さりありがとうございます。何気なく聞いていたお教の教え等勉強したくなるきっかけを苦しみのおかげで得られました。
古舘さんの物体の存在論は「色」ですね。色は無常である、という説明。
「瞑想」
この効果は本物です。
二ヶ月あたりで感じはじめ、半年経った今になると物理的に脳の形が変わったと認識できています。
古舘さんの原始仏教解説、とてもわかりやすく心にスーッと入って来ました😊
少し疑問なのですが、釈迦は自殺についてどう考え、どう解釈していたのか古舘さんの目線でまた機会があれば解説してほしいです🤔
私がやっているのは食事瞑想です。ご飯に青のりをつけて食べる瞬間 88日かけて農家さんが手塩にかけて育てた米を運送屋さんがスーパーへスーパーでは店員さんが心を込めて並べて それを今私は頂いている。ありがたいありがたいなあ🙏
私の支払ったお代も役にたっているなあ。いつもじゃないけど 感謝 合掌🙏
最近の哲学者だとマルクス・ガブリエルが面白い存在論を語っています。殆ど無常、無我、縁起に近いと思います。
涅槃寂静 悟には 簡単ではなく 難しいですが 生れて来たと言う事は 宿命として 四苦八苦 生老病死 愛別離苦 これは 何人と言えども
さける事は出来ない事なので 受け入れなさい そう言う事かな でも何時かは お迎えが来て あの世に帰る事が出来る それが 救いだと思います。
どうもありがとうございます❤
🇻🇳のチョン書記長が亡くなり😢古舘さんの言葉が心に染み入ります😢ただただ悲しいですね。
葬式のための寺と坊さん 本来 仏教は生きるための教えのはず 古舘さんのようなお坊さまが増えますように 私も皆さんも幸せでありますように
合掌🙏感謝 31:19
36:47 心の実況中継をする古舘伊知郎❤️🔥🪞
ありがとうさま
結局は自分の幸せを一番にしなければ良い
なるほど、深いです😢
執着心を無くすことですね・・・現実は厳しいですが
喜怒哀楽が全て無くなるのが涅槃寂静ではなくて、
喜怒哀楽、オールオッケー👌なのが
涅槃寂静かなぁ
仏道は「諦め」の道ではなく「受け入れ」の道だと思う
古神道も取り上げて下さい‼️
悟りまで5.6年、苦行したら行けましたよ。
道理というのはネガティブに見えてしまうかもしれないのは本当にそうよなぁ
ただ本当はそうネガティブに捉える自我があるだけであって、ただそこには事実としての道理が横たわっているだけよね。
自分も死ににいく事を考える事は恐ろしい。
これらを理屈では分かっていても、では涅槃に至ろうとなると、本当に難しい。また涅槃に固執する自我も、また苦しみを与えてくる。
そうすね、道理とは法則、定律、真理じゃないでしょうか?
自我はありませんね。
我を理解した主体が我がない我。
その矛盾を解いたのが釈迦。
我があろうが、我がなかろうがどっちでも良い。
苦行をしても悟れない。苦行をしようとする我、肉体を嫌がる心。
心の錯覚を打ち破った。悟りとは凄いですね。
縁起とは、関係性ですね。
何も無いわけではない。無ではなく空。
古舘さんのは、ヴィパッサナー瞑想ですね。観察し集中しているときは、妄想が湧かない、反作用で妄想が湧いたらそこから、またやり直せば良いですね。
誰か教えて欲しいのですが、お釈迦様は弟子から「死んだどうなるのですか?』と訊かれて「死んだことがないのでそんなこは解らないと言ったと聴いたことあるのですが、間違いなのでしょうか?
話聞いてるとなんとなくわかります。 内容が結構 複雑ですね。😮 涅槃寂静 というのは 悟りの行事に似てますね。 話は余談ですが 古舘伊知郎さんといえば 昔の プロレス実況中継 が とても印象深いです。 今思うと その時の実況の喋り方が凄いファンでした😍
欲と執着が苦しみを産みます。
この方は、最強の伝導者だと…思いました…いつの日か、無明の解釈を配信してくださいませ🙏
天国も地獄も死後のあの世にあるんじゃなくて、現世にあるんですよね。死後は喜びも苦しみも感じる主体がないんだから・・・。
だから死後の世界を語る宗教はいまいち自分の心に刺さらないんですよね。
釈迦にもし死後の世界のことを聞いたら、知らないし興味もないというかもしれませんね。今の生きる苦しみをどう取り除くかを真摯に考えてた人だから…。
喜びも苦しみもコインの裏表で、我々はコイントスを繰り返しながら生きていますが、そのコインの表裏の影響が重すぎると辛くなることもあるわけですね。
ソシャゲのガチャでSSRやURを引くと至上の喜びに包まれ、大量に課金をして全部外すと地獄の後悔にのたうつようなものですが、あんまりはまりすぎて廃課金で己を苦しめている人は、いっそソシャゲをアンインストールすると、軽く解脱っぽい気分を味わえるかもしれません。
心を燃やす喜びも喪失の苦しみも捨てた先に無限の解放感が待っている、という感じでしょうか・・・
六師外道の印象を感じました
ゆっくり過ごしたいですね(*^^*)
涅槃は、気持ちいいものですか?
喜怒哀楽がなければ、どういう感覚なのでしょう。
「真空」の状態に近いのかな。
即身成仏、最高の人生のゴール
ただしあまりにも難しい
涅槃と空は違うのですかね?空の概念は宗教、宗派、人によって解釈がバラバラで難しいです
そんな歳とっても苦しいだの楽しいだの…
こんな喜びしかないような世界なのに
お話の中で、釈迦仏教には輪廻転生が無くて、大乗仏教にはそれがあると受け取ったのですが、
釈迦仏教の涅槃寂静が実社会では難しいので、皆んなに受け入れやすいように、
涅槃をあの世に置き換えたのが大乗仏教って考えでよいですか?
涅槃があの世なので、輪廻の概念も生まれてきたのでしょうか。
おださんの質問についてですが、死後世界も死後の我も「無記」では?
一切皆苦は一切皆楽としてもいいはず
そうでないということは絶対的な苦があるから皆苦が真理としている
それは死の事かと思ったら死ぬことすら苦ではないときた
一体何を持って一切皆楽ではなく一切皆苦と断じているの?
梅干しを頭から消せない私は悟りには程遠いのでしょう
普通ですよ。仏道はるか彼方にあらず、足元にあり。
古館さんが石丸さんを批判しないのは「何も言わない」ということが仏陀の教えと似ているからなのかと思いました。「石丸批判をする=仏教批判をする」という風に古館さんの中で無意識になっているのではないかと考えました。
古館さんへ、体操競技選手の19歳の宮田さんが、喫煙、飲酒で叩かれています。RUclipsのルール(定義)をこれからの人達に伝えて欲しいのです。このままでいくと、誹謗中傷問題なし。自殺者が増えていく懸念が耐えません。宜しくお願い致します。
天親は謝ってます
随縁不変一念寂照
一心三観
三島は九識
釈迦前世有徳王
虚空蔵は地下普遍
菩薩は具足
どういう意味ですか?
輪廻について、悟りのときに三明六通を得て、過去世が分かると仏典に書いています。魂の定義が個性とか今の人格であるのであるのならば、それが輪廻するのではなく、主体はカルマこそ輪廻の原動力と思います。お釈迦様は悟りの表現でよく「苦しみの終わり」と言われています。解脱の楽しみを享受したとも書かれています。そして二度と輪廻をすることがないとも。
存在を作り出す無明の種を抜き去ったといわれてますね。
主さんがおっしゃるとおり六神通の漏神通によりあらゆる概念から抜け出したと。
天眼通、天耳通、他は忘れましたけど。笑
無明を切ったのは、本当にすごいことです。ヒンドゥー魂という概念、キリストの神が世界を作り出した。など、間違った考えから抜け出したのは、尊敬されるべき
生命?ですね。
涅槃の状態を生命と呼ぶこともできませんがね。😅
ハラリ氏は一体どういうスタンスにいるんでしょうね??
涅槃寂静なうです。
🙏釈迦の教えである佐々木閑先生と古舘伊知郎さんとの対談の本が売っていますね❤😃👍
こりゃ苫米地さんとコラボ観たいなー❤
浄土真宗がどうしても世間に理解しづらく勘違いしているのではと思うところは、阿弥陀仏の他力本願のはたらくところは死んだ後ではなく今ここに存在している私の苦悩のうえにあるという「現生正定聚」というところでしょうか?
現代人は麻酔注射を射たれて、痛みを感じない様に生かされております。
それが事あるごとに、麻酔が切れていきます。段々と苦悩に気がつきます。
それは前からあったのだが、気がつかなかっただけ、麻酔が切れると気がつきます。
ワイが勝手に思ってる事やけど死ぬ寸前が一番快楽を得そうな気がするwどんな死に方でもねw
あなたのように成功者が、仏陀の心情を説明しても なんかねえ
何やら私が長い間学んだ原始仏教と全く違うので反論したいごめんなさい
あなたのお話も聞いてみたいです
三途の川地獄六道輪廻六師外道聖者の階梯は基本中の基本です
天網恢恢疎にして漏らさず地獄はあります
私は二度と母体に入る事はないと説法したブツタ解脱した聖者は二度と輪廻する事は無い他の人は輪廻転生があります
古舘伊知郎の縁起の法に関しては私も同じ考え方です
無神論者ですが とても学びがあります やはり日本人には仏教がココロから しっくり来るのは何故なのでしょうね キリスト教もカジってみましたがイマイチしっくり来ませんでしたね
絶対神が世界を創る。
あなたが世界を創る。
その違いだけです。
@@津田真佑-h7s 抽象的で意味が分かりません
絶対神が世界を作るなら、絶対神に依存するだけです。
あなたが無神論者なら、目の前にある何かを変えようとする力は何なのでしょうか?
無神論は成り立ちません。あなたが何かシステムを構築しようとしているのですから。
無神論もキリストも一切合切、何かに依存することです。
@@津田真佑-h7s その説明だけでは無神論が成り立たないとは納得出来ませんね 宗教を信じて居ない ソレ以上ソレ以下でもないです。
@@ごまふあざらし-u9l 宗教の定義とはなんでしょうね?(絶対神を信じることでしょうかね)
無神論を信じることこそが宗教ではないでしょうかね。
もし、無神論こそが絶大的な教えだと思うなら、宗教を定義しなければいけません。
あなたがもし、無神論が完璧な教えだと定義できた時、
例えば、神はいないと証明できた時、あなたは一体何者ですかね?
無神論は役に立たないことがわかるでしょう。
緒の途中で悪いが、人間も動物ももっともっととは成らない。身は欲求が満たされればそれ以上に求めるのはその人は病気だから。苦しみも哀しみも有るが故に、楽しみ歓びが圧倒的に身を進める。死に行ってると感じる事は通常では有り得ない。無理やりの感が有る。仏教は悟りとか当たり前と三途の川とか極端が過ぎる。瞑想も然り。悟りとは大げさな事。仏陀の後の作文は荒唐無稽が過ぎる。成らん事にこだわると地獄に落ちますよ。古舘さんは何故これだけ深堀をしているのか。仏教を善しとして知識も有るし、それが生きる為に今必要だからの事。必要としたらどうしても我田引水的思考におちいる。その知識絶対では有りません。常人は雑多の世の中で楽しく屈託無く生きる事が一番大切なこと。人間は涅槃寂静なんてものを求めるもんじゃ無い。本気で成りたい人は居ないとは思うけど、もし成ってしもうたら世に役立たずの人間に成ります。いやもう生物では無くなる。枯れ木。成仏・極楽なんて詰まらぬ所も無い。行ったら三日で嫌になる。今を逃げない事です!。
全く違います
ん!・ただそれだけ❓。違うって事一つでも言ってみな!。😛
東大の゙名誉教授中村元さんのが信用したほうがいい
輪廻転生や六道輪廻がでてこない唯物論者の外道した
三途の川地獄閻魔大王鬼の概念六道輪廻がでてこない原始仏教ではない
悟りの説明と悟りは全然違います。
浄土真宗などで釈迦の言いそうに無い言葉を「お釈迦の言葉」として使いたがるのが いつも違和感を感じます
🎤🎤🎤🎤
「輪廻転生」でしたっけ?人が〇んだら魂は別の新しく生まれる生命に宿ると昔から謂われていますが、魂が入る「生物」に対しては選択権は無いですよね。例えば「人間」「動物」「植物」「微生物」に転生したとして、後から「それは無理!」って選択は出来ませんもんね。
立教
「釈迦の教えと大乗は違う」?浅い。
この世
全知全能でも希望は、手に入らないから
(無明の闇)
希望あれ(光)で開かれた、この世。
争い(悪)もなく、善人しか存在しない世界に、希望はない(機械)
感情に波のアル世界が必要で、
悪もアルから善人(平和)を、求めて希望が持てる。
意識↓
(物質アル時(陽)から次のアル時(陽)へ変化して、すぎてくアル時(陽)を、繋がってる流れ(時間)として認識できる)
↓
☯️陰ロ陽ミ+全体(ク消滅)で、1つの三位一体のリズム=ミロク
樹
クは、過去と未来、↑↓スピン、につ必要
なので、
クのヨつ(この世)
三位一体☯️では、クはムつ(空の間、無)
(明日に希望がアルこの世)↓
釈迦は悟って
その内容を、他人に話す必要もなく生まれ変わり
(悟っても語られない理由↓
希望を感じるのに不都合な事と、
来る前と死後は、現在よりも素晴らしい所と思考する意識(希望アル世))
自分の内で、
無いもの(心)を、育てた過去(愛)と、
明日に希望(光)を、感じて(ナミ)生きたらいい。
無いもの(普通(ナギ)な状態)を感じられる、
素晴らしい世界が、この世
(来る前を忘れてないと、この世の意味がないが、忘れてるから見失う(ヨミ))
月詠
憎しみ(闇)→(光)天照
陰陽の荒ぶる(イシ)間の(ナミ)波動を、歩む(スサノオ)
この世、陰陽の波動のナミの世で、自ら暴れて闇に入っても自分の意志で闇を、閉じて行動すれば何時かは、出雲の日
結局は、
自分を大切にして、生きて過ぎてく日々(過去)を、振り返った時に自分の行動(一日一善?)に愛が、アル過去だったなら明日にも希望がある。
しゃべる瞑想ですね~