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【原始仏教④】生きることは全て苦しみ。喜びの根っこと思い通りにならない苦しさ【釈迦の推し活】
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- Опубликовано: 11 июл 2024
- 釈迦の教えを古舘節で解説します。
今回は思い通りにならない苦しみ…
『一切皆苦』です。
①諸行無常
• 【原始仏教①】混迷の世の中で心の免疫機能に。...
②諸法無我 其の壱
• 【原始仏教②】生きる上での苦しみを軽くするた...
③諸法無我 其の弐
• 【原始仏教③】人にどう見られているのか気にな...
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🔽仏教対談シリーズ
・みうらじゅんさん
• みかえり阿弥陀はなぜ美しいのか。地方仏の独特...
・笑い飯 哲夫さん
• 【イッキ見】笑い飯・哲夫さんとじっくり仏教の...
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7月18日(木) 1830開場/2000開演
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◯古舘伊知郎/RUclipsチャンネル『古舘Ch』公式
/ furutachi_live
◯【非公式】TalkingBluesファン倶楽部(仮)
/ talkingblues88
#古舘伊知郎 #解説
#仏教 #お釈迦様 #仏像
#仏陀 #原始仏教 #諸行無常
#諸法無我 #一切皆苦 #涅槃寂静
生きる事は生老病死の苦、苦とは苦しさだけで無く不満足も苦の一つです。人生が不満足の連続である事を認めると期待が無くなり、心に落ち着きと安らぎが現れ、本当の心の平安、すなわち幸せが現れると言われています。自分の心に少しづつ苦を教える事が仏教の実践と言われています
涅槃の事ですね。
すばらしい事ですね!
工藤さんの質問と古舘さんへのスタンスがすごくいい感じで聴きやすい
浄土真宗の僧侶をしている55歳の者です。
学生時代から、古舘様のファンでしたが今回初めてコメントさせて頂きます。
古舘様の四法印のお話、とてもわかりやすく感銘いたしました。
四法印の説明は、非常に難く古舘様ほどわかりやすくお話しくださる方はいないと思います。
この動画を繰り返し拝見させていただき、自分も古舘様のようにわかりやすく法話ができるよう研鑽させて頂きます。
あと、古舘様が今後も「釈迦の代官」という気概を持ってお釈迦様の説かれた法を一人でも多くの方にお伝えくださる事を心より念じております。🙏
小生も「弥陀の代官」という気概を持って精進させて頂きます。😊
最後に、古舘様の新刊、必ず読ませていただきます。
阿弥陀は真実でしょうか?
😅
20年前、母の急死の半年後、精神的にかなり厳しい状況になりました。葬式で読み上げるお経と死者の鎮魂との関係に疑問を持ち、宗派仏教から原始仏教に行きつきました。釈迦(釈尊)の教えは「朝、日が昇れば、夕方には日が沈む、生命が誕生すれば必ず老と死が訪れる」という当たり前のことが出発点となった宗教であり、哲学に近いとも感じました。宗派宗教は江戸初期に葬式仏教に変質しましたが、原始仏教は学びが多々あります。帰依するかどうかは別にして、まずは知識から入り、哲学的な思索を皆さんも試されてはいかがかと思います。
この東洋的な哲学が私にはしっくり来ます。腑に落ちます。
西洋の童話はハッピーエンドで終わりがち(自己中心的)だけど、日本の昔話はマイナスでもプラスでも判断できない終わり方をすることがある。これは仏教の影響を受けている気がします。
プロのお坊さんの説法より、古館さんの語りはわかりやすいです。若かった頃と晩年に入った今と、両方経験している今こそ「一切皆苦」がずっしりと沁みてきます。「諸行無常」「一切皆苦」受け入れるだけで、悲しみ苦しみは消滅はしないけど、和らぐのは確かです。特定の一派の教えでないのが良いです。原始仏教シリーズ次回も楽しみにしています。
現職の末寺の仏僧ですが、お坊さんの説法は、どうしても「我が◯◯宗の教えが一番! どうぞ皆様私たちに温かなご支援を!」という方向に持って行きたがる傾向が大小問わず含まれることが多いですから。😅
「それは説法ですはなく宣伝では?🤔」と言われると正におっしゃる通りとなります。
古舘さんのように「啓蒙したい」という思いで語って下さる方は、本当にありがたい存在だと思う次第です。
古舘さん、良いお話しをありがとうございます😊
聞き入ってしまいました
これからもこのような動画をアップして頂けると有り難いです
人生の一切は思い通りにならない連続というのは分かりますね…生きることは苦しみだと知ることができるから、堂々と人生これ以上恐れず生きて行けるし、ブッダのお話は素晴しい。
真理を追求していくと、究極のマイナスほど究極のプラスになってくれるから、真理は面白い。
ブッダは良い例、悪い例の方法を、一組ずつ教えて下さっているのも楽しい。
ずっと聴いていると、ブッダの『年を取るから大仙人ではない』という言葉を思い出しました!古舘さんの経験値や奥の深さを感じ、次が待ち遠しくなります。ありがとうございました。
とても考えさせられる良い動画です✨
苦しみとは執着なんだろうなぁ
いい時に執着すれば、今が足りてないと思うし、悪い時に執着すれば、俺の人生なんてとなる。
どんな時でも、そこに人生の教えがあるのかも?という視点があれば、この世に学びに来た身として『有難いことですね』となる気がする🍀
起こる出来事、出会う人は全て前世のカルマを解消するために自分で用意した舞台なのだから、『なるほどな、ここでこれが試されるシナリオね』と面白がる気持ちでいられたらいいね🐝
物質的な豊かで誤魔化すのが習慣化してる現代は、
ふとした瞬間に、あれ?形あるもの欲してたけど、これに何の意味があるの?ってなった時に絶望するのかも。
求めなくても、空気、水、風、自然、動物、太陽、本当に素晴らしいものはすでにあるよ☀️
そして何もないこの瞬間こそが幸せの本質なんだと。
ミスチルの曲の歌詞に「残念ですが僕が生きている事に意味はない」,「憎めよ生まれてきた悲劇を」と言うのがあります。今回の古舘さんのお話を聞いて身にしみます。苦しみを積極的に受け入れて、刹那の喜びを噛みしめて余生を送って生きたいと思いました。ネガティブ思考な自分にとってとても有難いお話でした。続きも楽しみにしております。
感情のバブルにいたるくだり、素晴らしいです!この回、ヘビリピです!ありがとうございます!方便として必要でも、フツーにいう約束ごとは罪なものだとおもいました。
背景の移り変わりの古舘の、心映す鏡かな🌜🌌🌠
古館さんへ。
何故、胃ろうが多いのか、私の考えと古館さんの考えが一致したので分かりました。諸行無常、諸法無我。
また、真理の勉強させて下さい😊
大阪市福島区から
釈迦は漢字で書くとインド人というイメージが薄れるが、インドらしく哲学も論理的。感情と哲学がごっちゃになってしまう日本人からすると難解に思えるが、哲学で悩んで行かないと成長しない。ソクラテスもプラトンもみんな悩んで大きくなった!
石丸さん関連動画をきっかけにチャンネル登録させてもらいましたが
仏教哲学も古舘さんが話すとすんなり頭に入ってきますね
最近ではスタッフさんの意見を、
優しく受け入れて見つめる古舘さんの瞳が 仏像のような感じだなと、思います
「苦」を「思い通りにならない」に置き換えは、とても腹に落ちました。確かスッタニパータの中で釈迦は「自分の身体でさえ主人の意思に反して勝手に病気になったり死んだりするのに、貴方の子供達や貴方の財産が、貴方の思い通りになる訳はないでしょう」と語ってましたね。一切皆苦は「思い通りになって欲しい」と思うから「苦」が現れるが、初めから「全ては自分の思い通りになるとは限らない」と捉えれば「苦」は和らぐと思います。「苦」を感じた時は自分を振り返り、自分を客観的に観察して「思い通り」に執着していないか観察する事が大事なのではと感じます。
思い通りにならない事が順調である。
ドーパミンの話のくだりで笑ってしまいました😂
伊知郎さんの話し方が面白くてついつい見入ってしまいます😆
私は今年44歳になりますが釈迦の教えが沁み入るようになってきました。苦しい事があるから楽しい事があり、事象はバイオリズムなんだなとつくづく感じます。
またぜひ釈迦の教えをお話しください。ありがとうございます!
苦しみから解脱する方法が、八正道ですから、これについてお話いただけましたらと思います😊
苦=思い通りにならない
諦=諦めではなく「受け入れ」
と解釈したらとても理解が深まった気がします😊
諦は、じつは諦らか(明らか)にする。
ということが、大切だそうです😊
古舘さんのような著名人がこのような動画をアップして頂けるのはとても有意義ですね。
個人的には結局目の前に起きている事象以外は全て夢だと言う事で腑に落ちた還暦男です😊
配信ありがとうございます。
スゲーぜ。ここまで深い学び・噛みしめただ、ただ圧倒。
頭が下がる。
次回、業。楽しみだぜ❕
本 購入しました❤
拝読しています☆
古館さんの豊かな言語感覚を味わっている今 この瞬間 安堵感と喜びを感じています。
イベント開催、楽しみにしています◎
散る桜 残る桜も散る桜
裏を見せ表を見せて 散る紅葉
なぜか
この2句を思い出しました。
涅槃寂静、楽しみです!
今年もトーキングブルース期待しています😮
”三宝印”は諸行無常・諸法無我・涅槃寂静ですね
無常・苦・無我は”三相”と呼ばれます
四苦と怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦は限定的な苦ですが、五蘊盛苦は無我を我と思い込んでいる故に生じる苦です
”心”を自身の所有物だと認識している限り生じてくるのが五蘊盛苦です
他七苦の発生源と考えられます
世界を認識する心が苦の根源であるから、一切皆苦(世界は苦しみに満ちている)なのでしょうね
心理の言葉で書いてあったと思うんですが、一切皆苦の苦は、サンスクリット語から中国語、日本語に訳されたとき苦しみと訳されるけど、サンスクリット語から英語、日本語で訳すと、苦とは訳さず、満足できない。不満足となるそうです
苦難試練だらけ悩み苦しみ痛み
生きるの非常にキツイです しにたい
ありがとう御座いました😊
釈迦の教えは捉え方によってはどこまでもネガティブで、どこまでもポジティブでもあります。
その本質が中道にあるからで、現状がネガティブな状態にある人からみればポジティブに、ポジティブな状態にある人からみればネガティブに感じてしまうのです。
一切皆苦は諸行無常、諸法無我を根底に話さなければならないため、もし今の段階で一切皆苦を受け入れられない、理解できないと思った方は諸法無我と諸法無我を実感として得られるまで無理せずゆっくりと過ごされたほうがいいと思います。
真理を3つの視点から見たものが無常・無我・苦であって、苦とは苦しいという意味だけでなく、生きることに意味や価値がない、虚しいという意味も包含している。だから解脱して涅槃に達しなさいよ〜、と私は教わりました。
尊いお話有難うございます。
さて、ここまで仏教のご理解が深い古舘さんに是非、親鸞聖人の悪人正機をご研鑽頂きたく存じます。大乗至極の法がそこにあります。
54才僧侶
本派の僧侶である私も同感です。👍
古舘様には、「悪人正機」もわかりやすく伝えて頂きたいですね。
年齢重ねたり、何かをやり抜いたりした時に初めてわかりますよ。
若い頃はわからない。
次もお願いします。❤
古舘さんは、出家して世の中に仏教を説いて欲しい。❤
仏教哲学勉強中です。面白い解釈ありがとうございます。
一切皆苦、皆人生は、思い通りにならないから、努力もする。
その時の達成した喜びが学び。
満たされた世界ほどつまらないですよね。
古館さん 一切皆苦 般若心経の中で説かれている 重要な一説ですね。
これは この世は あの世 天上界とは違い 魂磨きの 修行場なので なんの苦もない 極楽の状態であっては
この世に生まれて来た 目的をかんがえると 具合がわるい訳で 苦しみは魂を磨く 砥石だと思えば それが一番
人間にとっては 幸せな事 有難い事なんだと思います。
古舘さんの実況イズムが沁みるw
出だしから深い
仏教の言葉で一水四見、同じものを見ても様々な見方をし、またそれを固定不変であると勘違いして囚われるのが生命というものですね。
同じ太陽も、人によって綺麗な夕日、暑苦しい西日、ありがたい朝日、お肌の大敵などとポジショントークします。
カルマについての話も聞きたいです!
今回も、素晴らしいお話しで感動しました。大学で聞きたかったと思えます!あと八正道の言わんとする意味がわかりません。本能を抑えて正しい道を歩めということですか?煩悩は良くないということですか?人間は自分の力で本能を抑えていける者でしょうか?もしよろしければ教えてください。
古舘さんの解説が、とてもわかりやすい。ありがたいお話ありがとうございます。仏教シリーズもっと聞きたいです。
テーラワーダ仏教(初期仏教)のスマナサーラ長老と対談して欲しいですm(__)m
人は、一切皆苦は嫌だと言いながら、喜んで苦しみのどツボにはまってしまっているんですよね。過去を悔やんで、未来を心配して、現在を迷って、相対的な価値に振り回されて、右往左往しているのが現実かと思います。
しかし、本人は至って幸せを求めているつもりになっているのでしょう。
一切皆苦、思い通りにならないのは、諸法無我、私はいないんだから、当然で、生きるコントロール権は一切ないという事。コントロール出来ると勘違いしているから苦しい。私の命と思っているから苦しい。「私が命」であり命の側にコントロール権があるのだから、1つなる大元の命に気づいた時それが人生苦しい時の救い、真理を知る事での救いとは、この事かなと思いました
人生はそもそも思いどおりにいかないものだということを受け入れることで苦しみが少し緩和される気がしました。
幸せなことが1つもないのではなく、一切皆苦の世の中に生まれてきたのに幸せがあることがなんという奇跡か、と考えたらいいですね。
綺麗な星になりたいと思って、もしなれたとしても
真の姿は岩石の塊であり、目の前に広がるのは暗黒の宇宙でしかないし
絶世の美人になりたいと思ってもしなれたとしても
鏡を見なければその姿を自分で認識することはできないし
そうした欲求は死ぬまで消えることがないのだろうなと。
結局理想の姿を思い浮かべて行動している自分を褒めてあげることが、幸せに触れる近道なのかなと思いました。
最近まで人は何の為に生きて行くのだろうと思っていました。しかし最近はそのような
ことは考えることも必要でもないと思う心境です。 あるがままに生きる、こうしたい、ああしたい
と思うことで自分を追い込んで苦しんでいくこともない。 生老病死を受け止めてあるがままの
姿でいいと。 そんな心境になっております。これもある程度生きてきた時間があればこそと
との心境かもしれません。
色を見て感じるクオリアがあるから人間には苦しみが生じるんですよね。機械は色を見て認識することはできても何も感じるクオリアがないから苦しむこともないわけで…。
人が苦しみに対して過敏になりすぎるというのはよく分かります。きっとクオリアのせいで苦悩がその実体以上に我々の重荷になりすぎてしまうんですね。
クオリアをもたない哲学的ゾンビになれたらどれほど気楽だろうと思えることもありますが、「ゾンビ」という言われ方をされるように生きている人間にはやっぱり抵抗があります。
小さなことに一喜一憂する不完全な人間だからそれも仕方ないんでしょうね。不完全だから面白いと言える部分もありますし。
釈迦の様にマクロな視点で、自分自身を俯瞰して映画やドラマの人物のように外から見つめれば、少しは気が楽になるのかな、と思ったりします。
一切皆苦 悉有仏性
悉有仏性についてもお話ししてください。
とある地域では、腹が立つことを『ごうがわく』と言います。自分中心に考えるから腹が立つんだよ、という教えなんだと思いました。あっとりますかね?
また みうらじゅんさんとコラボして下さい!みたいです
若い子には新鮮に聞こえるだろうね
と言うか、不完全であるからこその人間と認識しています。
釈尊は、肉体を持つ事の意味を完全に理解したから、肉体を持つ必要がなくなったから肉体を持つ事から「解脱=如来」となったのではないでしょうか?
苦 楽 共にある! 下に落ちると(0になると)あとはゼロ以上ですよ^^ノ こうゆう人もいます^^ノ
東洋思想に着目したショーペンハウアーやニーチェの人生観を調べてみても仏教思想をまた違う視点で考察できると思います また中国の老荘思想や孔子の儒教思想も勉強になりました 私は特に老子の道徳経に魅力を感じました 老子と釈迦の同一人物説という話しがあると聞いて興味深いなとも感じました さらに深掘りして考察してみると 老子と釈迦の教えは違うようで似通っている部分がやっぱりあると思ったからです。釈迦は宗教家なのか?心理学者だという人もいます 老子も宗教家という存在だとはどうにも思えない。
一切皆苦なんて聞くと、生まれ変わったら一切皆苦でしたみたいな俺の自我が今日も奈落に落とされちゃったよな異世界感があって楽しいですね。釈迦はすでにポストモダン以降の考え方で大好き。じゃあそんな異世界感たっぷりの一切皆苦の奈落で今日をどう生きましょうか?!ゲームのようです。プレイしましょう! ありがとうございます♪。話しがおもしろい!!
全てはより良くなりたいという生存本能の仕業?それに振り回されてるのが人間?てことなんでしょうか?お話の趣旨からズレてるかもですが、自分なんていないが腑に落ちた気がします。
私も十数年前より仏教の根本的な教えつまり仏陀の教えに触れ救われたものです。古舘さんはキリスト教系の大学を出られていると思いますがそこでは何かキリスト教の教えはあったのでしょうか。
呼吸をしなければ生きていけない、食べなければ生きていけない、その不自由さがそもそも苦ですよね
生きていることは仮の姿。生きるとい仮の姿がどうせ苦しいなら欲にまみれて生きて行こう!死んだ時に苦しみから解き放たれて涅槃寂静の世界に行けます。
と思っています。
古舘さん💦 ゴゴスマのコメンテーターでは元気無かったですよね🤔 古舘さん☝逃げないで、都知事選の古舘さんのスタンスを改めて仰ってください🙇💦 ご自身の推し活は、正解でしたか❔それとも 反省でしたか❔
苦さを感じられるということは美味さを感じたことがあるということ
人生もコーヒーのように苦さを味わってなんぼ
毎回死ぬほど面白い
四法印は、諸法実相・一念三千の元になる教えで、一念三千の法が真理であり救いです。
お若い方2人の質問疑問が入るのが、良いですね。
2つ前のコメントの追伸です。自力ではなく他力。そして自分はいない。自由意志はないという言葉を私は、発達障害のせいなのか、一面的にとらえて、前よりも、自分を、怠惰にしたりして苦しんだりしてるような気もするのです。自由意志があるからこそ、八正道なるものがあるのでしょうか?幼稚な質問かも知れませんが、ずっとわからずじまいのことです。
菊谷先生の、生死の苦海ほとりなし、という格言とも似てますね。人間はほとりのない大海原に放り出されているのと同じで、次から次に小さい波大きい波が押し寄せてきます。一難去ってまた一難。悲しみ苦しみの連続のように思います。100パ−セント苦しみだと自殺しないといけないので、ほんの少しばかり楽しみもあるように神様が創っているような気がします。真面目に他人に害を与えないように生きていくしかないです。
菊谷先生って親鸞会の人でしょうか。
はい、そのように思います
我々は一切皆苦という刷り込みで洗脳されていたのだと思うのです。ここが仏教の落とし穴ではないかと。「楽しい」「苦しい」という二元の在り方から非二元に回帰する者しか生き残れない時代だと思いますが、如何思われますか?
苦のその処方箋が諸法無我ですから、非二元の梵我一如(真我)でも、苦滅になるメソッドなら似たようなものに思います。
涅槃に入るしかない
これって言葉遊びで結局は前向きに行きたいよねって話ではないのか?
解釈の問題で、発案者が伝えたかった『真理』でもない気がする😐
四苦八苦 迷悟一如
般若心経では「一切皆空」ですが、両者は違う意味ですよね。何故違うんでしょうか。
即出だった…
僕は、釈尊の教えは般若心経に集約されていると思います。
般若心経の教えは「無」です。
古舘さんと共著の仏教学者の佐々木閑先生のNHK100分で名著の解説本を読みますと、目からウロコですよ。無化という虚無主義でもない。
生あるものは皆、生まれた瞬間から死に向かって過ごしていくでしよう。罪のない子供がゴミ収集車に轢かれたり、園児バスに置き去りで亡くなったり、神様は悪魔です、正月に初詣に行き、夕方地震で家、家族を無くした能登の人たちの事を考えると残酷です。どんなに素晴らしい世の中になっても、歴史は繰り返すのです。仏教も不完全です。
⛩️☯🦀 ☯陰陽☯裏表 宇宙の法則
😎😎😎😎
真理は言葉で表す事は難しいそうですが、釈迦はそれを人の役に立つような形で言語化したと考えられますね
好きや嫌いや欲やドーパミンを脳内で激しく働かせると扁桃体辺りが活性化するのだと思います
これはネズミが回し車を走っているような状態で苦しく、藁にもすがるように目の前の物に飛び付く事になります
それが蜘蛛の糸なら良いですが、より激しく苦しい世界に移り、怪我する事も考えられますね
だからブッダは少し落ち着ついて自覚すれば、もっと賢く楽な生き方もできますよと仰ったのだと思います
この宇宙には古館さんの言う概念の完全なる?生命と云うものは無い。物質を持たないものは生命では無い。生命とは宇宙にあるもの全てに有している営みを言う。太陽も地球も植物も動物も同じ原理の下に営んでいるもの。そこに頭脳有る人間が居る。色々と人間は言ってみたい動物。たまには宇宙の原理と同じ営みをする肉体を持っているが故に、痛い時はある。病気もする。死を迎える。この時の苦は全てであるが故に一生が苦だったと思うかもしれないが、圧倒的にそんな事を考え無く生きて来ている。それを悟りとは大げさな話し。釈迦が言ったかその後の人が言ったかは知らないが、よしんば釈迦が言ったからと言ってそれが全てとはならない。全てだと言うのはその人の勝手ではあるが、それを大声で言う事では無い。何故なら釈迦も完全では無い。
間違っていると思います。釈迦の初期の説法の★中核は「空」観です。人々の感じる「苦」も、その本質は「空」なんです。要は★「空」観を悟らなければ★「一切は「苦」となるよ。」と説いているわけです。古館さんの解説の「思い通り」の「思い」も刹那であり、本質は「空」なんです。
尚「生老病死」の解説も、全然、間違っています。「生老病死」のその本質は「空」だと釈迦は説いているんです。
生苦
未生怨 阿私仙人 師 提婆達多 ミリンダ王の問い
肯定して否定して忙しいです
最愛の肉親を亡くし、仏教にすがろうと思ったこともありましたが、釈迦はいかに生きるかを説いた人。亡くなった人に会いたい、自分も死にたいと、ワラをも掴む思いで宗教にすがる者とは相容れないんですよね。お釈迦様は、亡くなった後のことなど語りませんから。もちろん、天国だの地獄だの、助け舟が救ってくれるだのという、取って付けた怪しい教えで思い込みで救おうと見せかける仏教よりは、お釈迦様の教えの方が素晴らしいのは分かるのですが..
古舘さんの推しの石丸さん及び、ヒステリックな石丸さんの支持者の皆様が こんな説教くさい講話、最後まで聞いてくれますか❔ 私は古舘チャネル登録してますので、いつも楽しく聞いてます😊
[無宗派の仏教徒]を自認しております者ですが、
言葉 (事の端) だけで「解説」するのは難しいですね。古館さまだからこそ、でしょうね。わたしは[生きるということは 心と体を傷つけること]という単純な事実を知って納得すればそれでよし、と考えております。具体的に それを[どう生きるか]は人それぞれです。信心を語る上で、言葉は実は不要物で【一切皆苦】【諸法無我】【生死一如】【空】などと口走ったとたんに、ただちに無意味・無価値なものとなる性質のものです、まずは【おこない】ありき、でしょう。釈尊が【対機説法】に徹したのももっともだ、という気がいたします。それにしても、若者たち お二人の「質問」は、ほんとうに自然なものなのでしょうか? あまりの【愚かさ】に心底驚き、あきれ返るばかりなのですが・・・
質問します。石丸さん指示は今でも変わりませんか❔
何か問題でも?
お釈迦さんも人間です。
神様ではないです。
イエスキリストは神様が人間になって
私たちの罪のために身代わりに死んで下さり
3日目に復活した救い主です。
世界のベストセラー聖書をお勧めします。
そういう執着のしくみを説いたのが釈迦です。貴方様が苦悩なくキリスト教の愛で本当に生きらればいいのですよ。聖書も通読しましたけど、釈迦本来のプロト仏教は、それ以上に深い智慧と慈悲の教えで、同じ愛(慈悲、慈愛)の教えがあります。
言語センスは感受性に依存しているのだな。
文春は時代の代弁者とは?むしろ過激派じゃないかな。
古舘さん!
真の理解に八正道の実践を
犀の角の様にただ一人歩め
ふと思うんですが お釈迦様は人間が幸せになる道を 完全に 悟られなかったんではないでしょうか? それを悟ったのが 日蓮大聖人ではなかったんでしょうか ?そう思いますが あくまでこれは個人的な考えです。😊
いいえ、そもそも、釈尊は「幸せ」と言う価値観を否定したんだと、僕は思っています。
般若心経を読んだ事はありますか?
般若心経は、人間の価値観を否定しているんですよ。「無眼耳鼻舌身意」「無色声香味触法」。
人間の五感と、そこから得られる判断を全否定しているんです。
早い話が、人間が自分で判断出来るモノなど気のせいだって言ってるんです。と言う事は、それを基準とした「幸せ」などと言う概念など無意味だと言っていると言う事です。
そういうのを教団に都合よく思い込み洗脳されているのかもしれません。まず仏教の歴史から入り、天台ちぎが何を誤りミス判断したのか、客観的に分析した日本いや世界の仏教学者先生たちが、どういう学術研究の結果が出てるのか学びましょう。果たして唱題なのか、より正確なことが分かるようになります。
たたみかけるように言わないでほしい
すうじょうびょうでしることじゃないから