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寿司に欠かせないものといえば酢。かつて酢は米から作られていたため大変高価だったが、江戸時代の中頃、尾張の酒蔵が酒粕から酢を作る方法を発見し、一気に庶民に広まったことで江戸庶民に寿司が普及するきっかけとなったとか。その酒蔵は酢の製造販売で財を成し、大正12年に株式会社化。それが現在の「ミツカン」であります。
20へぇ!
地元近くだな
美味しい酢を有難う御座います。
玄人の情報源が集まるのがこのRUclipsの良い所。勉強になります!
江戸は武士の街だから切腹は縁起が悪いってことで背開き、大阪は商人の町だから腹を割って話すってことで腹開きになった。
すごい!
はい、その通りです(鰻屋勤務です)
ははあ、「大阪」が坂→阪 と同じような理由か!
@@sepa3435 詳しく教えてクレメンス
士(さむらい)が謀反を起こすとかいて坂だから阪の字に変えた
この動画を見てから鰹の刺身やタタキには辛子をつけて食べてます。結構合うんですよね。昔の人の味覚もなかなかだなと感心しています。
担ぎ屋台のそばは、大きなどんぶりではなく飯茶碗程度の大きさだったとか。「時そば」の客が「一杯だけで悪いな」と言っているように、普通は2・3杯食べていたそうで。
天ぷらの語源はポルトガル語で、野菜などを油で揚げたものをさす「テンプラス」が語源になっている説があるみたいです。
戦史大好きだし、食い物の歴史にも興味あるのでいいチャンネル見つけたなと思ってます
なるほどー。ウナギに毒があるとは知らなかった。というか人間の食への意気込みはすごいなぁ
こんばんは!寿司の漢字の違いの意味を今まで理解出来てなく、且つカラシをつけて食べて居た事は初めて知りました。新しいチャンネルも楽しみにしております!配信ありがとうございました!
八丈島では、今でも寿司に辛子をつけて食べるという話しを聞いたことがあります。
八丈島あたりでは今でもワサビではなくてカラシでお寿司を握るらしいですね。椎名誠のエッセイに書かれてました。
島寿司はマジで美味しいぞ。島以外で食べれる店が少ないのが残念
@@nattousenbei そうですね。でも、だからまた八丈島に行きたいって思うんですよ。
江戸時代の初期は饂飩が好まれていて、富士山の噴火により関東平野に火山灰が降り積もり小麦が取れなくなって、荒れ地でも収穫出来る蕎麦を育てる様になってそれが広まった!と言われております!(^^)
武蔵野台地には、武蔵野うどんが食べられたよ!逆に武蔵野は米が取れず、麦飯・うどん・芋ばかり食べていた。夜は芋入りの水団鍋で、翌朝は芋入りの麦雑炊とか・・・
時間の許す限りUPして下さい❗️楽しみにしてます❣️楽しかったです👍😉
蕎麦のスープはもともと味噌ベースって、私山梨の富士吉田出身でうどんをよく食べるんですけど、何かお祝い事で親戚中集まるみたいな時はうどん屋から大量の生うどんを注文してつけうどんにして食べるんだけど、そのつけ汁は味噌と醤油ベースで千切りにんじんが入ってるやつなんですよ。そんな感じで江戸の人たちもそば食べてたのかな、、
「芋タコ南瓜こんにゃく芝居」って江戸の女たちが好きな物挙げた言葉があるね
七味かけて食べてるのも本に書いてました。実際食べてみましたが、あっさりして美味しかったです😃
「下魚の中でも頭をぶつ切りにして焼いて塩を振れば食えるだけマシ」的な扱いの鰻
お疲れ様です。17~8年前に、ベトナムのクチトンネル観光ツアーでタロイモたくさん食べさせてもらったんですが、見た目はサトイモ、味が無くてモソモソしてるっていう想像を超えてくるシロモノでした…
俺も、食べたよ。甘味のないサツマイモ。
このUp主只者で無いですね。素晴らしいです。
奈良時代から見てきたのでこのシリーズが終わってしまうのが残念です。お疲れさまでした!機会がありましたら、あの有名人は何が好きシリーズとかお願いします。
1300年間も見てた人発見・・・自分もこのシリーズ好きです
違うチャンネルでアレだけど「非株式会社いつかやる」さんの動画シリーズに「偉人飯」というのがあって有名な人が好んでいた食事を再現して作って食べているのがありますよ、もしよかったらお暇な時に見てみてください( ﹡・ᴗ・ )bご存知だったらすみません!
鰻の捌き方は、江戸は武士文化でお腹を捌くと切腹を連想するからと聞いた事あるけど。
大阪は商人の町なので「腹を割って話す」から腹開きだと言いますね。
それが通説として語られてるけど他に関東風は焼く前に蒸す工程があるので、腹開きだと串打ちの両端が柔らかい腹側になると身が崩れやすくなるのでシッカリした背面を両端にするため背開きが主流になったって説もあるらしいです。ちなみに関西風は蒸さずに直焼きにするので身が崩れる云々を心配する必要も無いので腹開きだとか… まぁこれは一説でそういう話があるというだけで本当かどうかは不明ですが
追加で。コノシロ焼くと人を焼いてる時の匂いが~というのもあったそうです。それと最後の晩餐以外にも切腹で死んだ人へのお供え物って言う話もあるそうです。
鰻屋は当時、ラブホとして機能していたので、部屋代込みですね。
メインでもサブでもどちらにせよ、頑張って下さい!応援しています。
以前にウナギをぶつ切りにして塩焼きで食べた事があったが、ブヨブヨで脂っぽくって出汁が出てないのか塩の味がそのままで旨味が無くて一言でいうと「酷く不味かった」のを思い出したよありがとう👊!
高知では、カツオの刺身はわさびにニンニクは絶対で醤油で。カツオのたたきは、ニンニクや玉ねぎ、ネギで、ポン酢か1番は塩です。塩たたきです。
食べ物関係のだと国ごと時代ごとの戦闘糧食とかに興味ありますね
ああ、久しぶりにバッテラ食べたくなったわ。そういや、久しくバッテラを見かけないなぁ。
彦根藩は戦略物資の牛皮加工が幕府から特例で認められていたから江戸時代から牛肉を食べる習慣があったそうだねぇ🤔
中山道を通って江戸まで運ばれ、定期的に将軍に献上もしてたそうですよ
それは有名な逸話ですからね♥ 彦根の赤斑牛の味噌漬けをお歳暮として、贈っているし。御三家の水戸は光圀藩主から、何方かと、肉食や牛乳の飲用などその道の最先端の研究など好む藩主がいたりするから、黄門ラーメン🍜が生まれたりしたのではないか………😄
確か太鼓の皮も名産でした
鰻の捌き方でコメントに通説あるけど、江戸でも魚は普通に腹開きなので鰻だけ背開きなのは調理の過程が関西と違うから(蒸しで串から落ちないように)とも言われていますね。関西には鰻のにぎり寿司あるので、食文化の違いや川魚より海魚が身近とか色々ありますね
戦史も楽しみです😁
戦史系楽しみにしてます!江戸ではキュウリを小口切りにしなかったと言われてますな(切り口が葵の御紋に似てるから不敬という理屈)。ちなみに丼物を頼むと、よくお新香が2きれついてきますが、これにも江戸の侍文化に根差した理由があります。1きれ="人斬れ"に通じて縁起が悪い(当時の武士が江戸市中で人を斬った場合、よほどの理由が無いと重罪に問われた、そもそもケチくさい)3きれ="身斬れ"に通ずるので切腹を連想させる4きれ=ここまでくると多くなってくるし、利益率も悪いで、量的にも縁起的にも一番無難な2きれに落ち着いたんだそうです。
いつも楽しませてもらってます!なに肉食うのが野蛮ってのは傲慢だと思う (こなみ)
犬を食べるのが野蛮という人は鯨を食べるのを批判する欧米人を批判できない
初コメです。とっても勉強になりました✨✨
本わさびは今でも相当高価ですよ。昭和50年ころの刺身のわさびは近似種の西洋わさびを緑色に着色したものが使われていました、スーパーの鮮魚店の親父が缶入りのわさびかえら手で小さな塊をとって練ってトレーにつけてました。今は風味故、本わさびをブレンドしたものが多いです。50%以下で「本わさび入り」、50%以上で「本わさび使用」になるとか。
以前テレビでやってましたね、お鮨屋でワサビではなくカラシを使用しても気付かれないという実験。ほとんどの方が気付かなかったみたいです。
そうなの?! でも確かに目隠してから出されたら気付ける自信ないかも...
カラシがセイヨウワサビに味が近いからとかだったっけ?本ワサビは意外と味が違うのよね
ミリ飯紹介して欲しい
現代の物で溢れた資材を持ち込んでウハウハしてみたい。旨い料理を食いながら皆の前で「腹が減った」と。
関東と関西では調理方法が違う(蒸しを入れる関東、蒸しをしない関西)のでそれぞれ背中裂き、腹裂きに分かれたんじゃないかって言われてますね
切腹も聞いたコトあるけど、調理法の違いも聞いたコトあるよ。腹開きは焼きのみで、蒸してから焼くと腹の身は薄くてボロボロになるから背開きにしたって
武士が切腹を恥じるなら、敵から背中を切りつけられるのも同様だと思うしねぇw
@@あぴよん-i5h 闇討ちやらで背中斬られるよりやらかして切腹の可能性が高かったのではないでしょうか?後は闇討ちやらで背中斬られた事を連想するよりそのまま仏様になりそうですし。
霊夢ちゃん、めちゃ喋って魔理沙との駆け引き楽しいなぁ、勉強にもなるしいいチャンネル。
マグロでは傷みにくくするために漬けマグロの握りずしでした。スシローで店舗によっては再現されてます
さっぱりとした初鰹にカラシをつけるってのは昔モーニングでやってた「おせん」でやってましたね。で、脂の乗った戻りガツオには色々と薬味をつけると
10:50 これは腹から捌くのは切腹を連想させるかららしいですね。大阪は武士があんまりいなくて、武士以外は切腹関係ないので捌きやすい腹から捌いていたのでしょう。
江戸時代のお寿司は、赤酢だったんですよね~今も少ないですが、やってる店舗あります。近所の店もそうなので良く行きます(^▽^)世界に誇る、最高の食・寿司っ!!!
ウナギの割き方は関西は腹開き、関東は背開きこれは腹開きが切腹を連想させて縁起が悪いからだとか後はそれぞれの調理法にあってるという説もあります関西は焼くだけ、関東は蒸してから焼くという違いがありそれぞれの調理法にあった開き方をしているという説ですね
江戸の4大食、全部大好きなんですよ。寿司はマグロの漬けがねっとり美味しく、海老や穴子も大好きです。蕎麦は二八くらいになるとしっかり香るおいしい蕎麦になりますよね。鰻はタレと山椒の味とされていますが、あのふっくら脂の乗った身は豆腐や秋刀魚では再現できませんね。天婦羅は安い店ではなかなかごま油で揚げたものには出会えませんが、「いもや」はごま油でしたね。
【蒸篭蕎麦】 蒸篭蕎麦って繋ぎが少なくて茹でるとドロドロに融けてしまうから蒸したと聞いている。 故に箸で持ち上げて食べるのは難しかったみたい。
いつもくだりでウケて見返しまくって、なかなか本編まで進めない
ねぎや玉ねぎは臭み消し以外に肉の消化を助ける働きがあるので入れられていたと推測されます。当時の人たちは肉のタンパクの消化にはねぎの助けが必要だったでしょう。更に精をつける薬食いなんだから同じく精の付くネギ類を入れるのは薬食いという理由付けを補強するはず
『そばもん ニッポン蕎麦行脚』で赤穂浪士が食べたであろう蕎麦を復元しようと言う話がありましたが、味噌ベースの汁と言いつつ、たまり醤油と味噌が混然一体となったものから造ったものらしいと…
カツオのたたきに和芥子つけて食べますが、旨いよ?どこに住んでた時に覚えたのか忘れたけど、江戸時代の名残だったのか。
面白かったです。ありがとうございました。食文化は興味深いです。江戸時代から肉を食べていたことを知り、初めの頃犬を食べていたのはショックでした。隣の国の文化だと思ってたので、恥ずかしいです。綱吉が犬を大切にするようになってから食べるなんて事は無くなったんでしょうね。犬派の私にとっては辛い話でした。調味料も今とは違っていて興味深く視聴しました。
また時間を奪われてしまいました・・面白い。
サツマイモは栗きんとんにも使われてますからね半ば保存性の問題でもあるが
浜名湖には鰻の刺身を食べられるお店が数軒あります
江戸時代初期は野犬が多くて人が襲われることも多かったそうだから、今みたいに犬が可愛いという感覚もなかったんだろうね。四足の獣を食べる習慣も戦国時代は盛んだったらしい。やはり生類憐れみの令が大きなターニングポイントか。
江戸に関してはそうだと思う>生類憐れみの令がターニングポイント犬を飼う習慣はあったにはあったけど番犬としてというのが大きくて、愛玩動物っていう概念は猫か鳥の専売特許だったっぽい海外の小型犬なんかを飼える金持ち層になるとまた違うけど一般層にとっての犬は恐ろしいものというイメージがあったっぽいこれが東北とか、関東でも群馬栃木くらいまで行くと猟犬の概念が強くなるんで「犬は家族」という現代に比較的近い認識が現れるそうだよ全部聞きかじりだから信用しないでね!
マグロに関しては、取り方の理由もありますね鮪網はスカスカで、網にかからないのに逃げるからと追い込み漁で取られていてカツオとは価値が違うのです
江戸時代、今の愛知県の半田で酒蔵の副産物としてお酢が大量に生産され江戸に運ばれるようになって、握り寿司が江戸で誕生したと聞いてます。半田に本社があるミツカンの資料館でそういう説明がありました。
赤酢ですね
…川越出身者は「九里よりうまい十三里半」と。九里+四里=十三里に江戸から河越までの距離の十三里半で十三里よりも半里ぶん上って感じで教えてますね。また九里とは今の千葉のドコカの名産の栗だとふわっと千葉への対抗心w
【蒲の穂】 当初は鰻を輪切りにして串に刺して焼いていたそうですね。 蒲鉾も始まりは串に魚肉を練ったものを巻き付けて焼いた、今でいうところの竹輪のようなものだったらしい。 蒲鉾や製造し易いように板に張り付けるようになって「板付き蒲鉾」になるのですね。
武士社会の江戸では『腹から捌く=切腹』を連想させるから背開きが主流だったらしい
かば焼きの腹開きは江戸は武士文化だから武士の切腹を連想させるので背開きになったと聞きました
江戸前で獲れる魚以外は流通に時間かかって痛むから、食えたものじゃないだろうな。基本、常温で運んでただろうし。
よく「当時の人は脂っぽいものを好まなかった」って何も考えずに言う人多いけど、鰻や天ぷらが流行ったんだからそんなの嘘っぱちなんだよね。鮪のトロが嫌われたり、鰯とかの青魚が下魚って呼ばれたり、脂の乗った戻り鰹より脂の少ない初鰹好まれたのにしても、要は保存技術が低くて鮮度がガタ落ちした魚の脂が不味くて喰えたものじゃなかったってだけなのに。
長野県の南の方で味噌を大根おろしでといてタレにしたもので、そばを食うのが今でもあります。
蕎麦もうどんも両方美味そうだよ食いたくなってきたよ
9:18海なし県の群馬では「トロを食べると、頭がキュゥーっと締まる」と言われていたそうな脂が腐りかかってたか腐ってたかで、スゲーやばい状態だったらしい!
江戸どころか戦後までそうだったのか
@@山中達雄-j3p さん、こんにちはあ~~まぁ 1970年代ぐらいですかな、私が小学生の頃には冷凍輸送の技術も発達して、海なし県でもトロが食べられるようになったっぽいですね。科学技術の発達って、すごいですなぁww
江戸時代は風情と活気があって楽しそう。うなぎは生だと血とぬめりに毒があるんですね☠️知らなかった。
ワサビの代わりに辛子だけど、八丈島など亜熱帯の離島ではワサビ栽培できずつい最近まで辛子つけていた実は、目をつぶって食べるとワサビと辛子に差が無いから、刺身に辛子つけても遜色ない(酢が入ってない和辛子)。そば湯も最初はシジミ汁を飲んでいたが、信州の習慣取り入れてそば湯に代わった
江戸時代だと三白なんかを掘り下げて欲しいです
動画UPありがとうございます。うなぎの江戸、上方でのさばき方の違い、江戸は侍が多く、腹をさばくのは切腹を連想させ、縁起が悪いとか。また、上方では合理的に腹をさばいていたそうです。一説ですので、ほかにも説があるかも、ですね。
ウナギはいまも昔も同じくらいの値段だったんだなぁ
現代すき
その時代だったらタイムスリップして行っても現代人でもなんとか生きていけそうな気がしますね、あー私はウォシュレットが無いと生きていけませんがw
また、貴重な時間を奪われたふざけんな、もっとやれ江戸が武士文化だからうなぎほ背中から裂く、腹から裂くと切腹で縁起悪いから
戦史ものか・・・。このチャンネルは好きなんだけど、戦史系だと鳥人間さんや俺の世界史chさん、浸透襲撃さんなど魅力的なチャンネルが多くて、これ以上は胃もたれしそうなんだよね・・・。
ウナギの蒲焼をご飯の上に置いて、蓋をするのは保温のためだとか。
こういう、鮨と寿司の漢字の使い分けは江戸時代からなんですか?
江戸の町の需要を満たすため醤油の工場が千葉県に出来て今も続いているキッコーマン、ヤマサ、ヒゲタの醤油メーカーが始まったからね!
「げんなりずし」のある私の一族出身地の伊豆半島は気が長いほうなのですね、つまり(汗)
鰻のさばき方ですが江戸では、武士が多くお腹から捌くのは。切腹のイメージがあり縁起が悪いので背中から捌くようになったそうです。大阪は、商人の町で腹を割って話すという事で腹を捌くと知人から聞きました。
屋台で買い食いは下級武士もしていたようですが、基本的に顔を見られないように世間体を気にしながら食べてたと思われる浮世絵があったりしますね。焼き芋は武士の屋敷の奥方とかも人気があったりしたんですが、さすがに自分が直接買いに行くわけにはいかず、奉公人に買いに行ってもらっていたとのこと
この時代トロは「猫またぎ」と呼ばれて誰も食べなかったという。現代人がトロを喜んで食べるのを見たら、変に思うだろうな。
脂が乗りすぎて下魚と言われたと聞くね
現代と言っても、マグロが本格的に食べられるようになったのは、大体、高度成長期の前後じゃないかな❔よく四大公害病を習う辺りです。 魔理沙と霊夢が食品解説にも、出てましたからね。
【背開き】 江戸で背開きにするのは腹を裂くのが切腹に繋がるから縁起を担いでのことではないのですか。 クサヤも関東では背開きですね。
味噌ベースの蕎麦!?!?醪に近いのかな?すごく気になる
江戸の食べ物の名物といえば
高額を高級とするのはいかがなものか。高級なものはおしなべて高額になる傾向があるが、高額なものになれは高級になると言うわけでは無いから。
八丈島では、今でも辛子で寿司を作っていますよ。
中世ヨーロッパの食事とか気になるなあ
蕎麦が味噌ベースだったのは醤油が高価だったかららしいって話は聞いたことありますね。
島寿司って和辛子を使うけど流刑地じゃなくなった後からなのかな?
江戸で鰻を背開きにする理由は切腹を想起させるからだと聞きましたが。
メモ📝😊江戸時代の食事…「酸し」「鰻」「「冷がけ」「金ぷら」
本当の「江戸前料理」が知りたいです。屋台料理の「鮨、天婦羅」なんかじゃない 諸藩の接待係が大公儀の役職への接待や大商いの店主が食べていた「本物の江戸前料理」が知りたいです! 専門学校で「資料はありません。」と言われました。
江戸前料理そのものは伺いしれませんからね。せいぜい明治・大正・昭和前期に西欧料理を和食化したのが下へ、下へ、と普及した辺りがせいぜい。 今で言う醤油と味噌(砂糖も同じ。塩は別)が一般庶民にまで調味料として使われるようになったのが約百年を要した、暴れん坊将軍で有名な徳川八代将軍が改革中の享保年間(1716~35)辺りから。 つまり、江戸前料理と言う言葉が生まれたのは、醤油や味噌、砂糖が多用されるようになってきた、八代将軍以降のこと。そして、この頃はまだ本当に江戸の前にある近海から穫れる魚介類=魚介料理として刺し身など、新鮮な物を食べる初物好きに繋がっていく。 したがって、現在に近いうなぎ料理、寿司、天麩羅、蕎麦と麺料理、刺し身、穴子料理、泥鰌(臭いので鍋にする)。意外にも遅くて、文化・文政時代(1804~30)の頃から。天麩羅は言わずと知れた南蛮料理の代表格。寿司は粕酢から酢が独立して作られるようになった事が、第一理由で握り寿司が可能になった。佃煮もそうだが、塩煮であったが醤油煮ヘ。それと蕎麦も加えるが全て屋台から始まった。穴子料理、泥鰌(柳川鍋、丸鍋、どじょう汁)、すき焼き(牛鍋が元)、田楽(木の芽田楽と浅芽田楽)とおでん🍢、桜鍋、ねぎま鍋。……これらが、江戸前料理の一部である。
江戸時代の農村は、囲炉裏に煮込むのが多かった。夜は芋入りの水団鍋⇒翌朝は芋入りの麦雑炊とかね・・・※米は年貢・換金作物で、ハレの日にしか口にできなかった。そもそも農村では、また一日2食だった。
江戸の鮨ならあと一つ忘れてます。神田小川町に有る「笹巻きけぬきすし」も有ります。まあ押し寿司に近いですが江戸三鮨の一つでも有ります。
寿司にからしをつける食べ方は今でも「島寿司」などに残ってる。
福岡県民が見ない事を祈ります😱
ワロタwそれ出来たの江戸時代じゃないと思うんだがw
@@koro2ton2 「ひよ子🐤」は、東京土産のイメージですが福岡がさきなんですよね😅💦最近知りました😓🙇
確か、炭坑夫の糖分摂取云々だったようなだから明治以降なんじゃないかとって意味ですw
@@koro2ton2 確かに江戸には、無いんですが💦東京といえばひよ子の様なセリフが地元の方には、あまり良く感じないと思ったんでコメントしてしまいました😅
鮪は犬猫の餌だと聞いた事があります。赤身は貧乏人、大トロ中トロは犬猫行き。葱鮪もはりはり鍋の代替えと聞いたけど本当かな?白身魚にはうるさかったらしい。東京湾では今では超高級魚が獲れていたそうな。食に関したら現代より江戸時代の方が健康的?
10:47 「江戸の背開き 上方の腹開き」といわれ、江戸では腹開きが「切腹」につながると武士に嫌われたからという説がある。12:01 江戸は「そば文化」と思っている人も多いかもしれないが、実は武蔵国はうどん文化の地域が多い。当時の武蔵国は埼玉郡・足立郡(葛飾郡は元は下総国で江戸時代の途中から武蔵国に編入)以外の地域は水利が悪く、稲作に向かない地域も多く、米の代わりに麦を生産していたため、「武蔵野うどん」や「煮ぼうとう」などが発達した。
関東の鰻の背開きと関西の腹開きの理由は有名なのに何故わからないことになったのでしょう? 理由があったのか知りたいです。
庶民の歴史も戦史も大好物だからヾノ≧∀≦)no problem.
寿司に欠かせないものといえば酢。かつて酢は米から作られていたため大変高価だったが、江戸時代の中頃、尾張の酒蔵が酒粕から酢を作る方法を発見し、一気に庶民に広まったことで江戸庶民に寿司が普及するきっかけとなったとか。その酒蔵は酢の製造販売で財を成し、大正12年に株式会社化。それが現在の「ミツカン」であります。
20へぇ!
地元近くだな
美味しい酢を有難う御座います。
玄人の情報源が集まるのがこのRUclipsの良い所。勉強になります!
江戸は武士の街だから切腹は縁起が悪いってことで背開き、大阪は商人の町だから腹を割って話すってことで腹開きになった。
すごい!
はい、その通りです(鰻屋勤務です)
ははあ、「大阪」が坂→阪 と同じような理由か!
@@sepa3435 詳しく教えてクレメンス
士(さむらい)が謀反を起こすとかいて坂だから阪の字に変えた
この動画を見てから鰹の刺身やタタキには辛子をつけて食べてます。
結構合うんですよね。昔の人の味覚もなかなかだなと感心しています。
担ぎ屋台のそばは、大きなどんぶりではなく飯茶碗程度の大きさだったとか。
「時そば」の客が「一杯だけで悪いな」と言っているように、普通は2・3杯食べていたそうで。
天ぷらの語源はポルトガル語で、野菜などを油で揚げたものをさす「テンプラス」が語源になっている説があるみたいです。
戦史大好きだし、食い物の歴史にも興味あるのでいいチャンネル見つけたなと思ってます
なるほどー。ウナギに毒があるとは知らなかった。というか人間の食への意気込みはすごいなぁ
こんばんは!
寿司の漢字の違いの意味を今まで理解出来てなく、且つカラシをつけて食べて居た事は
初めて知りました。
新しいチャンネルも楽しみにしております!
配信ありがとうございました!
八丈島では、今でも寿司に辛子をつけて食べるという話しを聞いたことがあります。
八丈島あたりでは今でもワサビではなくてカラシでお寿司を握るらしいですね。
椎名誠のエッセイに書かれてました。
島寿司はマジで美味しいぞ。島以外で食べれる店が少ないのが残念
@@nattousenbei そうですね。でも、だからまた八丈島に行きたいって思うんですよ。
江戸時代の初期は饂飩が好まれていて、
富士山の噴火により関東平野に
火山灰が降り積もり
小麦が取れなくなって、
荒れ地でも収穫出来る
蕎麦を育てる様になって
それが広まった!と
言われております!(^^)
武蔵野台地には、武蔵野うどんが食べられたよ!
逆に武蔵野は米が取れず、麦飯・うどん・芋ばかり食べていた。
夜は芋入りの水団鍋で、翌朝は芋入りの麦雑炊とか・・・
時間の許す限りUPして下さい❗️楽しみにしてます❣️楽しかったです👍😉
蕎麦のスープはもともと味噌ベースって、私山梨の富士吉田出身でうどんをよく食べるんですけど、何かお祝い事で親戚中集まるみたいな時はうどん屋から大量の生うどんを注文してつけうどんにして食べるんだけど、そのつけ汁は味噌と醤油ベースで千切りにんじんが入ってるやつなんですよ。そんな感じで江戸の人たちもそば食べてたのかな、、
「芋タコ南瓜こんにゃく芝居」って江戸の女たちが好きな物挙げた言葉があるね
七味かけて食べてるのも本に書いてました。
実際食べてみましたが、あっさりして美味しかったです😃
「下魚の中でも頭をぶつ切りにして焼いて塩を振れば食えるだけマシ」的な扱いの鰻
お疲れ様です。17~8年前に、ベトナムのクチトンネル観光ツアーでタロイモたくさん食べさせてもらったんですが、見た目はサトイモ、味が無くてモソモソしてるっていう想像を超えてくるシロモノでした…
俺も、食べたよ。甘味のないサツマイモ。
このUp主只者で無いですね。
素晴らしいです。
奈良時代から見てきたのでこのシリーズが終わってしまうのが残念です。お疲れさまでした!
機会がありましたら、あの有名人は何が好きシリーズとかお願いします。
1300年間も見てた人発見
・・・自分もこのシリーズ好きです
違うチャンネルでアレだけど「非株式会社いつかやる」さんの動画シリーズに「偉人飯」というのがあって有名な人が好んでいた食事を再現して作って食べているのがありますよ、もしよかったらお暇な時に見てみてください( ﹡・ᴗ・ )bご存知だったらすみません!
鰻の捌き方は、江戸は武士文化でお腹を捌くと切腹を連想するからと聞いた事あるけど。
大阪は商人の町なので「腹を割って話す」から腹開きだと言いますね。
それが通説として語られてるけど他に関東風は焼く前に蒸す工程があるので、
腹開きだと串打ちの両端が柔らかい腹側になると身が崩れやすくなるのでシッカリした背面を両端にするため背開きが主流になったって説もあるらしいです。
ちなみに関西風は蒸さずに直焼きにするので身が崩れる云々を心配する必要も無いので腹開きだとか… まぁこれは一説でそういう話があるというだけで本当かどうかは不明ですが
追加で。
コノシロ焼くと人を焼いてる時の匂いが~というのもあったそうです。
それと最後の晩餐以外にも切腹で死んだ人へのお供え物って言う話もあるそうです。
鰻屋は当時、ラブホとして機能していたので、部屋代込みですね。
メインでもサブでもどちらにせよ、頑張って下さい!応援しています。
以前にウナギをぶつ切りにして塩焼きで食べた事があったが、ブヨブヨで脂っぽくって出汁が出てないのか塩の味がそのままで旨味が無くて一言でいうと「酷く不味かった」のを思い出したよありがとう👊!
高知では、カツオの刺身は
わさびにニンニクは絶対で醤油で。
カツオのたたきは、ニンニクや玉ねぎ、ネギで、ポン酢か
1番は塩です。塩たたきです。
食べ物関係のだと国ごと時代ごとの戦闘糧食とかに興味ありますね
ああ、久しぶりにバッテラ食べたくなったわ。
そういや、久しくバッテラを見かけないなぁ。
彦根藩は戦略物資の牛皮加工が幕府から特例で認められていたから江戸時代から牛肉を食べる習慣があったそうだねぇ🤔
中山道を通って江戸まで運ばれ、定期的に将軍に献上もしてたそうですよ
それは有名な逸話ですからね♥
彦根の赤斑牛の味噌漬けをお歳暮として、贈っているし。御三家の水戸は光圀藩主から、何方かと、肉食や牛乳の飲用などその道の最先端の研究など好む藩主がいたりするから、黄門ラーメン🍜が生まれたりしたのではないか………😄
確か太鼓の皮も名産でした
鰻の捌き方でコメントに通説あるけど、江戸でも魚は普通に腹開きなので鰻だけ背開きなのは調理の過程が関西と違うから(蒸しで串から落ちないように)とも言われていますね。
関西には鰻のにぎり寿司あるので、食文化の違いや川魚より海魚が身近とか色々ありますね
戦史も楽しみです😁
戦史系楽しみにしてます!
江戸ではキュウリを小口切りにしなかったと言われてますな(切り口が葵の御紋に似てるから不敬という理屈)。
ちなみに丼物を頼むと、よくお新香が2きれついてきますが、これにも江戸の侍文化に根差した理由があります。
1きれ="人斬れ"に通じて縁起が悪い(当時の武士が江戸市中で人を斬った場合、よほどの理由が無いと重罪に問われた、そもそもケチくさい)
3きれ="身斬れ"に通ずるので切腹を連想させる
4きれ=ここまでくると多くなってくるし、利益率も悪い
で、量的にも縁起的にも一番無難な2きれに落ち着いたんだそうです。
いつも楽しませてもらってます!
なに肉食うのが野蛮ってのは傲慢だと思う (こなみ)
犬を食べるのが野蛮という人は鯨を食べるのを批判する欧米人を批判できない
初コメです。
とっても勉強になりました✨✨
本わさびは今でも相当高価ですよ。昭和50年ころの刺身のわさびは近似種の西洋わさびを緑色に着色したものが使われていました、スーパーの鮮魚店の親父が缶入りのわさびかえら手で小さな塊をとって練ってトレーにつけてました。今は風味故、本わさびをブレンドしたものが多いです。50%以下で「本わさび入り」、50%以上で「本わさび使用」になるとか。
以前テレビでやってましたね、お鮨屋でワサビではなくカラシを使用しても気付かれないという実験。
ほとんどの方が気付かなかったみたいです。
そうなの?! でも確かに目隠してから出されたら気付ける自信ないかも...
カラシがセイヨウワサビに味が近いからとかだったっけ?
本ワサビは意外と味が違うのよね
ミリ飯紹介して欲しい
現代の物で溢れた資材を持ち込んでウハウハしてみたい。
旨い料理を食いながら皆の前で「腹が減った」と。
関東と関西では調理方法が違う(蒸しを入れる関東、蒸しをしない関西)ので
それぞれ背中裂き、腹裂きに分かれたんじゃないかって言われてますね
切腹も聞いたコトあるけど、調理法の違いも聞いたコトあるよ。
腹開きは焼きのみで、蒸してから焼くと腹の身は薄くてボロボロになるから背開きにしたって
武士が切腹を恥じるなら、敵から背中を切りつけられるのも同様だと思うしねぇw
@@あぴよん-i5h 闇討ちやらで背中斬られるよりやらかして切腹の可能性が高かったのではないでしょうか?
後は闇討ちやらで背中斬られた事を連想するよりそのまま仏様になりそうですし。
霊夢ちゃん、めちゃ喋って魔理沙との駆け引き楽しいなぁ、勉強にもなるしいいチャンネル。
マグロでは傷みにくくするために漬けマグロの握りずしでした。スシローで店舗によっては再現されてます
さっぱりとした初鰹にカラシをつけるってのは昔モーニングでやってた「おせん」でやってましたね。
で、脂の乗った戻りガツオには色々と薬味をつけると
10:50 これは腹から捌くのは切腹を連想させるかららしいですね。大阪は武士があんまりいなくて、武士以外は切腹関係ないので捌きやすい腹から捌いていたのでしょう。
江戸時代のお寿司は、赤酢だったんですよね~
今も少ないですが、やってる店舗あります。
近所の店もそうなので良く行きます(^▽^)
世界に誇る、最高の食・寿司っ!!!
ウナギの割き方は関西は腹開き、関東は背開き
これは腹開きが切腹を連想させて縁起が悪いからだとか
後はそれぞれの調理法にあってるという説もあります
関西は焼くだけ、関東は蒸してから焼くという違いがあり
それぞれの調理法にあった開き方をしているという説ですね
江戸の4大食、全部大好きなんですよ。
寿司はマグロの漬けがねっとり美味しく、海老や穴子も大好きです。
蕎麦は二八くらいになるとしっかり香るおいしい蕎麦になりますよね。
鰻はタレと山椒の味とされていますが、あのふっくら脂の乗った身は豆腐や秋刀魚では再現できませんね。
天婦羅は安い店ではなかなかごま油で揚げたものには出会えませんが、「いもや」はごま油でしたね。
【蒸篭蕎麦】
蒸篭蕎麦って繋ぎが少なくて茹でるとドロドロに融けてしまうから蒸したと聞いている。
故に箸で持ち上げて食べるのは難しかったみたい。
いつもくだりでウケて見返しまくって、なかなか本編まで進めない
ねぎや玉ねぎは臭み消し以外に肉の消化を助ける働きがあるので入れられていたと推測されます。当時の人たちは肉のタンパクの消化にはねぎの助けが必要だったでしょう。更に精をつける薬食いなんだから同じく精の付くネギ類を入れるのは薬食いという理由付けを補強するはず
『そばもん ニッポン蕎麦行脚』で赤穂浪士が食べたであろう蕎麦を復元しようと言う話がありましたが、味噌ベースの汁と言いつつ、たまり醤油と味噌が混然一体となったものから造ったものらしいと…
カツオのたたきに和芥子つけて食べますが、旨いよ?
どこに住んでた時に覚えたのか忘れたけど、江戸時代の名残だったのか。
面白かったです。ありがとうございました。食文化は興味深いです。江戸時代から肉を食べていたことを知り、初めの頃犬を食べていたのはショックでした。隣の国の文化だと思ってたので、恥ずかしいです。綱吉が犬を大切にするようになってから食べるなんて事は無くなったんでしょうね。犬派の私にとっては辛い話でした。調味料も今とは違っていて興味深く視聴しました。
また時間を奪われてしまいました・・面白い。
サツマイモは栗きんとんにも使われてますからね
半ば保存性の問題でもあるが
浜名湖には鰻の刺身を食べられるお店が数軒あります
江戸時代初期は野犬が多くて人が襲われることも多かったそうだから、今みたいに犬が可愛いという感覚もなかったんだろうね。四足の獣を食べる習慣も戦国時代は盛んだったらしい。
やはり生類憐れみの令が大きなターニングポイントか。
江戸に関してはそうだと思う
>生類憐れみの令がターニングポイント
犬を飼う習慣はあったにはあったけど番犬としてというのが大きくて、愛玩動物っていう概念は猫か鳥の専売特許だったっぽい
海外の小型犬なんかを飼える金持ち層になるとまた違うけど
一般層にとっての犬は恐ろしいものというイメージがあったっぽい
これが東北とか、関東でも群馬栃木くらいまで行くと猟犬の概念が強くなるんで「犬は家族」という現代に比較的近い認識が現れるそうだよ
全部聞きかじりだから信用しないでね!
マグロに関しては、取り方の理由もありますね
鮪網はスカスカで、網にかからないのに逃げるからと追い込み漁で取られていてカツオとは価値が違うのです
江戸時代、今の愛知県の半田で酒蔵の副産物としてお酢が大量に生産され江戸に運ばれるようになって、握り寿司が江戸で誕生したと聞いてます。半田に本社があるミツカンの資料館でそういう説明がありました。
赤酢ですね
…川越出身者は「九里よりうまい十三里半」と。九里+四里=十三里に江戸から河越までの距離の十三里半で十三里よりも半里ぶん上って感じで教えてますね。また九里とは今の千葉のドコカの名産の栗だとふわっと千葉への対抗心w
【蒲の穂】
当初は鰻を輪切りにして串に刺して焼いていたそうですね。
蒲鉾も始まりは串に魚肉を練ったものを巻き付けて焼いた、今でいうところの竹輪のようなものだったらしい。
蒲鉾や製造し易いように板に張り付けるようになって「板付き蒲鉾」になるのですね。
武士社会の江戸では『腹から捌く=切腹』を連想させるから背開きが主流だったらしい
かば焼きの腹開きは江戸は武士文化だから武士の切腹を連想させるので背開きになったと聞きました
江戸前で獲れる魚以外は流通に時間かかって痛むから、食えたものじゃないだろうな。基本、常温で運んでただろうし。
よく「当時の人は脂っぽいものを好まなかった」って何も考えずに言う人多いけど、鰻や天ぷらが流行ったんだからそんなの嘘っぱちなんだよね。
鮪のトロが嫌われたり、鰯とかの青魚が下魚って呼ばれたり、脂の乗った戻り鰹より脂の少ない初鰹好まれたのにしても、要は保存技術が低くて鮮度がガタ落ちした魚の脂が不味くて喰えたものじゃなかったってだけなのに。
長野県の南の方で味噌を大根おろしでといてタレにしたもので、そばを食うのが今でもあります。
蕎麦もうどんも両方美味そうだよ食いたくなってきたよ
9:18
海なし県の群馬では「トロを食べると、頭がキュゥーっと締まる」と言われていたそうな
脂が腐りかかってたか腐ってたかで、スゲーやばい状態だったらしい!
江戸どころか戦後までそうだったのか
@@山中達雄-j3p さん、こんにちはあ~~
まぁ 1970年代ぐらいですかな、私が小学生の頃には冷凍輸送の技術も発達して、海なし県でもトロが食べられるようになったっぽいですね。
科学技術の発達って、すごいですなぁww
江戸時代は風情と活気があって楽しそう。うなぎは生だと血とぬめりに毒があるんですね☠️知らなかった。
ワサビの代わりに辛子だけど、八丈島など亜熱帯の離島ではワサビ栽培できずつい最近まで辛子つけていた
実は、目をつぶって食べるとワサビと辛子に差が無いから、刺身に辛子つけても遜色ない(酢が入ってない和辛子)。そば湯も最初はシジミ汁を飲んでいたが、信州の習慣取り入れてそば湯に代わった
江戸時代だと三白なんかを掘り下げて欲しいです
動画UPありがとうございます。
うなぎの江戸、上方でのさばき方の違い、江戸は侍が多く、腹をさばくのは切腹を連想させ、縁起が悪いとか。また、上方では合理的に腹をさばいていたそうです。一説ですので、ほかにも説があるかも、ですね。
ウナギはいまも昔も同じくらいの値段だったんだなぁ
現代すき
その時代だったらタイムスリップして行っても現代人でもなんとか生きていけそうな気がしますね、
あー私はウォシュレットが無いと生きていけませんがw
また、貴重な時間を奪われた
ふざけんな、もっとやれ
江戸が武士文化だからうなぎほ背中から裂く、腹から裂くと切腹で縁起悪いから
戦史ものか・・・。このチャンネルは好きなんだけど、戦史系だと鳥人間さんや俺の世界史chさん、浸透襲撃さんなど魅力的なチャンネルが多くて、これ以上は胃もたれしそうなんだよね・・・。
ウナギの蒲焼をご飯の上に置いて、
蓋をするのは保温のためだとか。
こういう、鮨と寿司の漢字の使い分けは江戸時代からなんですか?
江戸の町の需要を満たすため醤油の工場が千葉県に出来て今も続いているキッコーマン、ヤマサ、ヒゲタの醤油メーカーが始まったからね!
「げんなりずし」のある私の一族出身地の伊豆半島は気が長いほうなのですね、つまり(汗)
鰻のさばき方ですが江戸では、武士が多く
お腹から捌くのは。切腹のイメージがあり
縁起が悪いので背中から捌くように
なったそうです。
大阪は、商人の町で腹を割って話すという事で
腹を捌くと知人から聞きました。
屋台で買い食いは下級武士もしていたようですが、基本的に顔を見られないように世間体を気にしながら食べてたと思われる浮世絵があったりしますね。
焼き芋は武士の屋敷の奥方とかも人気があったりしたんですが、さすがに自分が直接買いに行くわけにはいかず、奉公人に買いに行ってもらっていたとのこと
この時代トロは「猫またぎ」と呼ばれて誰も食べなかったという。現代人がトロを喜んで食べるのを見たら、変に思うだろうな。
脂が乗りすぎて下魚と言われたと聞くね
現代と言っても、マグロが本格的に食べられるようになったのは、大体、高度成長期の前後じゃないかな❔よく四大公害病を習う辺りです。
魔理沙と霊夢が食品解説にも、出てましたからね。
【背開き】
江戸で背開きにするのは腹を裂くのが切腹に繋がるから縁起を担いでのことではないのですか。
クサヤも関東では背開きですね。
味噌ベースの蕎麦!?!?
醪に近いのかな?すごく気になる
江戸の食べ物の名物といえば
高額を高級とするのはいかがなものか。高級なものはおしなべて高額になる傾向があるが、高額なものになれは高級になると言うわけでは無いから。
八丈島では、今でも辛子で寿司を作っていますよ。
中世ヨーロッパの食事とか気になるなあ
蕎麦が味噌ベースだったのは醤油が高価だったかららしいって話は聞いたことありますね。
島寿司って和辛子を使うけど流刑地じゃなくなった後からなのかな?
江戸で鰻を背開きにする理由は切腹を想起させるからだと聞きましたが。
メモ📝😊江戸時代の食事…「酸し」「鰻」「「冷がけ」「金ぷら」
本当の「江戸前料理」が知りたいです。
屋台料理の「鮨、天婦羅」なんかじゃない 諸藩の接待係が大公儀の役職への接待や大商いの店主が食べていた「本物の江戸前料理」が知りたいです! 専門学校で「資料はありません。」と言われました。
江戸前料理そのものは伺いしれませんからね。せいぜい明治・大正・昭和前期に西欧料理を和食化したのが下へ、下へ、と普及した辺りがせいぜい。
今で言う醤油と味噌(砂糖も同じ。塩は別)が一般庶民にまで調味料として使われるようになったのが約百年を要した、暴れん坊将軍で有名な徳川八代将軍が改革中の享保年間(1716~35)辺りから。
つまり、江戸前料理と言う言葉が生まれたのは、醤油や味噌、砂糖が多用されるようになってきた、八代将軍以降のこと。そして、この頃はまだ本当に江戸の前にある近海から穫れる魚介類=魚介料理として刺し身など、新鮮な物を食べる初物好きに繋がっていく。
したがって、現在に近いうなぎ料理、寿司、天麩羅、蕎麦と麺料理、刺し身、穴子料理、泥鰌(臭いので鍋にする)。意外にも遅くて、文化・文政時代(1804~30)の頃から。天麩羅は言わずと知れた南蛮料理の代表格。寿司は粕酢から酢が独立して作られるようになった事が、第一理由で握り寿司が可能になった。佃煮もそうだが、塩煮であったが醤油煮ヘ。それと蕎麦も加えるが全て屋台から始まった。穴子料理、泥鰌(柳川鍋、丸鍋、どじょう汁)、すき焼き(牛鍋が元)、田楽(木の芽田楽と浅芽田楽)とおでん🍢、桜鍋、ねぎま鍋。……これらが、江戸前料理の一部である。
江戸時代の農村は、囲炉裏に煮込むのが多かった。
夜は芋入りの水団鍋⇒翌朝は芋入りの麦雑炊とかね・・・
※米は年貢・換金作物で、ハレの日にしか口にできなかった。
そもそも農村では、また一日2食だった。
江戸の鮨ならあと一つ忘れてます。神田小川町に有る「笹巻きけぬきすし」も有ります。まあ押し寿司に近いですが江戸三鮨の一つでも有ります。
寿司にからしをつける食べ方は今でも「島寿司」などに残ってる。
福岡県民が見ない事を祈ります😱
ワロタw
それ出来たの江戸時代じゃないと思うんだがw
@@koro2ton2
「ひよ子🐤」は、東京土産のイメージですが福岡がさきなんですよね😅💦
最近知りました😓🙇
確か、炭坑夫の糖分摂取云々だったような
だから明治以降なんじゃないかとって意味ですw
@@koro2ton2
確かに江戸には、無いんですが💦
東京といえばひよ子の様なセリフが地元の方には、あまり良く感じないと思ったんでコメントしてしまいました😅
鮪は犬猫の餌だと聞いた事があります。赤身は貧乏人、大トロ中トロは犬猫行き。葱鮪もはりはり鍋の代替えと聞いたけど本当かな?白身魚にはうるさかったらしい。東京湾では今では超高級魚が獲れていたそうな。食に関したら現代より江戸時代の方が健康的?
10:47 「江戸の背開き 上方の腹開き」といわれ、江戸では腹開きが「切腹」につながると武士に嫌われたからという説がある。
12:01 江戸は「そば文化」と思っている人も多いかもしれないが、実は武蔵国はうどん文化の地域が多い。当時の武蔵国は埼玉郡・足立郡(葛飾郡は元は下総国で江戸時代の途中から武蔵国に編入)以外の地域は水利が悪く、稲作に向かない地域も多く、米の代わりに麦を生産していたため、「武蔵野うどん」や「煮ぼうとう」などが発達した。
関東の鰻の背開きと関西の腹開きの理由は有名なのに何故わからないことになったのでしょう? 理由があったのか知りたいです。
庶民の歴史も戦史も大好物だからヾノ≧∀≦)no problem.