江戸の暖房〜カイロもあった!プチ氷河期を乗り切った人々の知恵〜
HTML-код
- Опубликовано: 20 янв 2025
- 毎日寒いので、暖かくなるようなお話です
オススメ書籍/画像出典
「TOKUGAWA15~徳川将軍15代の歴史がDEEPにわかる本~」草思社・著/堀口茉純
amzn.to/2QIOk5Y
【関連動画】
ANNニュース
• Video
東京二十三区で積雪も
• Video
ほーりーこと堀口茉純の
公式HP
hoollii.com/
⚠本動画で使用しているすべての画像、イラストの無断使用・転載を禁止します
#日本史 #江戸時代 #江戸
#江戸庶民のくらし #ライフスタイル
#節電 #節約 #雪 #防寒
#こたつ
#カイロ
#行火
#長火鉢
#暖房
#江戸
#歴史
#日本史
#雪見
#氷河期
#小氷期
#お江戸ル
#ほーりー
#ほぼほぼ5分でわかる江戸のなんちゃら
江戸時代どころか昭和40年代の中頃まで、我が家では陶器製の丸火鉢や木製の長火鉢、掘り炬燵・豆炭を利用した寝布団に入れるアンカを利用していましたよ。
我が家は豪雪地帯にあり、その掘り炬燵の横のスぺ-スには秋に収穫したサツマイモやクリ・アケビをもみ殻に入れて保存もしていました。
母親の若いころはそこで大豆を藁苞に包んで発酵させみそや納豆を製造していちとのことです。
お江戸は近代化が早かったと思いますが、日本でのへき地山間地域では、大正や昭和の前半まではそのような生活が残っていました。
豆炭アンカ懐かしい!母の実家に泊まりに行くと豆炭アンカと身動き出来ない重たい布団でした。うちはその頃には電気毛布だったので新鮮でした。昭和40年代ですね。
おんなじ世代かも。懐かしいね。
ばーちゃん家も電気こたつじゃなくて炭だった!20年前くらいの話。さすがに最近は電気化したけど。
うどん県民の爺67です。掘り炬燵以外は経験してます。
カイロは記憶が朧気ですが、白金カイロだったような……。中に入れる燃料の臭いが苦手でした。
小さい頃寝るときにはアンカでした。炭団のやつ。暖ったかでしたが、足で挟んだまま寝たら低温火傷になってしまいました😱
春・夏・秋は大きな円形座卓で冬は大きな矢倉炬燵でした。横には練炭火鉢も。いつもデカいヤカンがかけてあってお湯が沸いていました。ご飯の時には干物などを焼いてましたし、お餅も焼いてました。
その後、矢倉炬燵は電気炬燵になりました。
まあ昭和前半の事で江戸時代ではありませんが、懐かしく拝見しました。
ありがとうございます😊
プチ氷河期乗り越えてくれた先祖に感謝
高校の頃に古典の授業で先生が、当時はせんべい布団のような薄いものをかけて寝ていて暖を取るために何の工夫をしたかというと・・・「ガマン」をしたんですね!と教えてくれた思い出です。
20年前位まで昭和3年に建てられた昔ながらの日本家屋に住んでいましたけど障子やガラスがあっても現在の家と違い断熱材が入っていないので夜は外気と2、3度しか変わらないのでとても寒い思いをしました。それを考えれば江戸時代の長屋の様な簡単な家に住んでいた住人は凄い寒さの中どうやって寝て居たのだろうと不思議に思ってしまいました(最近流行りの冬キャンプでも寒くて寝れない人がいるのに)
豆炭こたつに入った記憶が有る。木組みの矢倉が入っていてやけどはしないようになってた。
田舎の爺ちゃんから火鉢もらったから使ってみたけど
デスクの足元に置いとくだけでじんわり温めてくれるのがとてもありがたい…
テレビと電気こたつはほぼ同じ頃の1960年代から家庭に普及し始めた。その前はラジオと火鉢のこたつの時代だった。電気洗濯機も電気冷蔵庫も無くて、洗濯はタライと洗濯板で手洗い、冷蔵庫は木の箱に大きな氷を入れていた。
東京五輪(1964)前後から劇的に電化が進んだが、それまでは東京でも庶民は江戸時代と大差無い生活だった。
子供のころ病院の待合室に火鉢がおいてあったな。畳の部屋でしたね(昭和30年代です)。灰のニオイなんでしょうか、いい匂いがしていた記憶がある。
今でも実家で長火鉢が使われてます。鉄瓶でお湯を沸かしたり、長火鉢の横にお湯になってる所があるので、お酒を熱燗にしてたりします。
江戸期の人たちもそれなりの防寒対策をして、寒い冬を乗り切っている姿が具体的にイメージできました。
都下の借家なので火は焚けませんが、ウチも長年長火鉢愛用してますよ😉実家時代は田舎なので、自室で陶器の火鉢愛用していて、火を焚いて、ちょいと干物炙ったりして楽しんでました😊そして炬燵櫓が桜材の堅牢な掘り炬燵でしたよ😊小鍋立て、何とも粋で良いものですよね😉
江戸や大坂などの太平洋側の都市ではここで描かれているようなことで乗り切れたでしょうが、
奥津軽や上越国境あたりの豪雪地帯では、それこそ雪かきのとき以外は冬中蓄えとともに
家にこもっているような暮らしだったみたいです。
寒さを楽しむみ悦びへ昇華させるしかないようですね。
昭和40年男ですが子供の頃は暖房はコタツでストーブは居間に一つしかありません。
皆、上着を着て白い息を吐きながらコタツで暖を取っていた
廊下に置いてあるミカンが凍っているとか朝起きるとコップの水に氷が張ってるのは笑うしかない。
今も同じですが冬の気温が暖かくなってきてるので助かってます(笑)
埼玉のお寺で家康公が着用されたと言う綿入れを着せて貰った事があります。
今のサッカーのベンチコートみたいなスタイルで裾は足首辺りまで綿が入っていて暖かかった。
コタツも行火も今も需要あるし、なんなら火鉢とか流行り始めてるし非常用のエネルギーとしても炭の素晴らしさは見直されてる
全部昔の人の知恵。 ホント凄いなぁ ってそんな事を教えてくれるこの動画にありがとう
昭和の冬は寒かった、江戸時代はもっと寒かったんでしょうね
でもそんな中寒さを楽しいデいる風情。たくましさの他に粋を感じます
たった一枚の絵から、そういうものを感じさせるとは。ちょっと目からウロコです
火鉢って多くの人が持っているイメージよりずっと暖かいんだよな
初詣などで焚き火を焚いてる神社などに行ったり、現代でも灯油ファンヒーターの暖房力がエアコンとは桁違いなのを見れば分かる通り「直火」というパワーユニットの制御法の確立が人間の進化速度を飛躍的に上げたのも納得できる
後半難しくなった
股火鉢をして親や祖父や祖母に叱られた最後の世代のジジイですが、火鉢に手を翳すだけでも身体の前面は暖かく感じたモノでしたし、囲炉裏で焚き火すると部屋そのものが温もる感じでした。
おっしゃる通り直火のパワーは絶対ですよね🎉😂😂😂
十数年前、島根に旅行に行った時、お堀を船で巡るのに乗ったらこたつがあって驚きました。
道民なのでこたつや行火は馴染みがなく新鮮でした。
昔は火が貴重で衣類に綿を入れるなどでみんな工夫して寒さを凌いだのがわかりました。
私は自宅で火鉢で炭燃やしています。こたつも愛用(これは電気式ですが)車中泊ではアンカ使います。カイロはハッキンですwオガ炭小さくカットして使っています。炭の魅力は本当に遠赤外線で体の芯が温まる事です。なので多少不便ですが、現在の暖房機と併用しています。ただ炭たきすぎると頭痛が良く起きて・・・一酸化炭素中毒怖いです。
ちなみに江戸時代の青森や蝦夷地の越冬は凍死者当たり前の世界。私は宅建士なので古民家見るのが大好きですが、良くもまあ隙間だらけの日本家屋で、青森や北海道の超絶厳しい冬を乗り切った江戸の人ってタフ過ぎます。
江戸時代に日本人で初めて極寒のロシアのシベリアを横断した大黒屋光太夫の映画を見ましたが、やはり当時のロシアの建築の場合、防寒対策が全然違うのですよね。
しかし夏は高温多湿の日本の場合、東北北海道でも、通風重視なのですよね。結局寒さは家や暖房器具や服でしのげますが、夏は素っ裸になるか、水風呂、水まき位しか対処方法が無いので、日本家屋はおのずと夏対策重視なんですよね。
これを見て「豆炭ごたつ」を思い出しました。石綿でつつむので長持ちするんですよね。顔を突っ込んでいると頭が痛くなってくるので「もぐっちゃだめ!」とよく怒られました。
最近暖かいね。
子供ころ(60年以上前)は寒かった。伊勢湾の海辺ですが、夕方にはマイナス5℃なんてこともあった。氷が張るのは珍しくなかった。
江戸時代生まれは地球上には昭和56年1月20日までいた。
火鉢の時代から石油ヒーターもあるから、あまりの様変わりと便利さと温かさに驚きだろうね。
これらは富裕層の寒さ対策ですね。
江戸生まれのワシは、暖を取るのに川に浸かってました
江戸時代は“雪見”というレジャーがあったのが興味深い。 風情があって素敵!!
雪見だいふくはそこに由来していたのか!
雪見、花見、月見と風流ですね。
和室には雪見障子って有るし。。
どれも見たことありますね。火を活用した防寒は昭和まで使われてたので。よく親から一酸化炭素中毒に注意されてました。
いざさらば 雪見に転ぶ所まで
平安時代からありますよ。枕草子や源氏物語に、雪見とか子供が雪だるまを作っている情景があります。
なるほどな、暮らしぶり。
わたしと同じ暮らしぶり。
但し、カナダ製のニットセーター、高山用のダウンを着て
平安様式も取り入れている。進化型なのね。
炬燵に関しては、掘りごたつに分がある
来年、検討してみるか。今日も為になったよ🧡💛🧡🐣🐣🐣🎶
素晴らしい〜😊
天才的な小道具、高品質な炭、実用的で美しい着物が寒さをのりきる鍵だった。
本日も風がつめたいですね。こたつで寝ると、具合悪くなるので寝ないようにしてますが、ついとろとろと眠気が。プチ氷河期で今より建具も隙間多くて寒そうなのに襖取っ払って雪見とか、風情をかんじるのも大変ですね。
子供の頃、大叔父の家に囲炉裏が、親戚のウチに掘り炬燵と火鉢がありましたネ。懐かしいです。(≧∇≦)
5:50
カイロ
金属 木炭の粉 布
石
江戸時代はプチ氷河期だったと前回教えてもらい、暖房はどうなっているのか、気になっていたので、ちょうどタイムリーな内容でうれしいです😃炬燵、カイロ、火鉢と馴染みのある暖房は江戸時代に発展していったんですね😄やっぱ江戸はすごい‼️そして、江戸っ子の「冬は寒いのが当たり前。寒さを楽しむのが、粋ってもんだい!」っていう心意気、さすがですね😄今回も楽しく学ばせていただきました。ほーりー、風邪などひかないようご自愛くださいね❤️
自分も江戸時代の酒や食生活に凄く興味有ります!
いつも思うのは、江戸時代もさることながら戦国時代やもっと遡って平安時代の貴族たちの寒さ対策がほんとに興味がわきます。
平安時代は暖かかったとの記録があります。
米がたくさん採れて豊かだったので文化も花開いたのでしょう。
マウンダー極小期に江戸庶民がこの様な文化的なライフスタイルだったのも興味深いですね
同時期のヨーロッパよりも文化水準が高かったような、ある意味持続社会だったのですね
大変楽しく拝聴いたしました。
とても素敵動画ありがとう✨
猫が布団に入ってくれると暖かいです。心も暖かくなります。
江戸時代で暖を取る手段は火鉢だけなのかと思っておりましたが、
こたつやあんか、カイロまであったことを初めて知りました。
プチ氷河期の中、たくましく生きてきた人たちがいたことを忘れずに、
この冬を乗り切っていこうと思いましたw
自分は江戸長火鉢を現役で使って暖房と酒のツマミ専用のコンロにしてます。
あんか、久しぶりに聞きました。懐かしいです。
初めて見ましたがナレーションの上手さがすごい!聞きやすくて素晴らしいと思います。
江戸時代の人々って体温が高かったと聞きます(昭和中頃まで37度台が平均体温とか)
なので、今より火力が低い暖房器具でも暖かかったのでしょうね。
足袋も履いていなかった様ですし。
私達はあまりにも平均体温が低くなりすぎました。
筋力つけたり食事を気をつけたりして、体温を上げたいですね。
素敵な動画ありがとうございました。
37度台ですか、面白い事教えて頂きました。自分自身が子供の頃は真冬でも下は
半ズボン、ナイロン靴下、上は下着、混紡のセーター、ナイロンのジャンパーでも
鼻はズルズルしてましたがヘッチャラでした。やはり環境に適応するんだと思います。
現代と違って何でも手や足や体を使って生活していた時代ですから 筋肉は今より格段に使って熱量を出していたでしょうし 食べ物も季節の旬の物しかありませんから 体温は高かったでしょうね なんでも機械や電気に頼る現代生活・・人間はどんどん弱くなってしまう かと言って一度便利さを知ってしまうと もう元へは戻れなくなる・・う~ん
冷蔵庫が無かった時代は保存のために塩分たっぷりだったりで血圧高かったりも関係あるのでしょうか?
@@タカ-w3w 様
この時代は天然塩を使用しているのでそれ程血管に負担はなかった思います。
仰る通り、今の基準に照らし合わせれば、とんでもなく高血圧だったとは思いますよ。
ですが、ほんの少し前まで日本は年齢+90が高血圧の基準でした。
高血圧の基準が今の基準値にに引き下げられたのがいつか? を調べてみると面白いかもしれません。
天然塩だと体温が高いのは今でも通じますね。
冬場で冷え込んでますが、この2年間の災いで懐のほうもおもいっきり冷え込んでます。ほーりさん、頑張って下さい。
今晩は!ホーリーさん
江戸時代の暖房アイテムのあれやこれや楽しく拝見させて頂きました。
掘り炬燵、行火、火鉢、実に懐かしいですね。
我が家でも自分が子供の頃に使ってましたね。近所の古い家には囲炉裏なんて物も普通に有りましたよ。
現代は電気、ガス、灯油、を使った暖房器具が主流ですかね。使い捨てカイロやオール電化で床暖房なんて家屋も有ります、本当に便利に為りました。
余談ですが、自分はペットボトルの簡易湯たんぽに、はまってます。
ペットボトル(1,5リットル)に60℃~70℃位のお湯を入れ、タオルで巻きあらかじめ布団の中に入れて置きます、就寝する頃には布団の中がホッカホカで朝方迄暖かいですよ。
ちなみにペットボトルの蓋はしっかりと閉める事、でないとお湯が溢れて布団がビショビショになりますのでご注意を!(一度失敗しました)
ホーリーさんも、一度試されては如何ですか?
当時の人って金は勿論欲しいけどそれより人情とか仲間意識が強かったんでしょうね。従って辛い時にも悲しいときだって皆で助け合って凌いでいたのでしょう。しかも男達は皆粋だったからね。コタツ 火鉢 湯たんぽなんて多分日本だけでしょう。
この時代は短命ではあったものの「身体を冷やす食べ物は少なかった」のでは。身体を冷やさなければ暖をとらなくても、それなりに生きて行ける。
江戸の人は、暖房器具をより使い勝手の良いものへと進化させていったんですね✨
プチ氷河期の江戸時代、暖を取りつつも🔥極寒の環境で🥶雪見を楽しんだ庶民の逞しさに驚きです🎶🙂🎶❕
興味を引く面白い動画でした!
早速チャンネル登録とイイネボタンをクリックしました。
いやあああああああああ 貴重な知見に歓喜
初めて拝見しました‼️ホーリーがRUclipsやっているって、DJ日本史で松ちゃんが言っていたので、探しました❗️
ホーリー、粋な着物ですね🎵
他の動画も視ますね😃
私の子供の頃は木炭を使った掘りコタツを使っていた。炭って火を点けるのは面倒だが火力があるんですよ、😤👍
尾根遺産は行火で身体の中心を暖めてた絵柄でしたね。
温めた石を懐[フトコロ]に入れて、暖をとったのが、「懐石料理」の起源ですね。
その起源は江戸時代よりも早くあるので、カイロの初めはもっと早くからあったと言う事です。
雪見八景かぁ・・近江八景の粟津の晴嵐に掛けてるのか~
洒落が利いてる
見つけましたホーリーさん💕
徳川15代のあの面白い本の方だ!と気付き速攻登録しました😄
着物の着方には、お洒落・着飾り系と、普段着・家事などの着崩し系の2通りがあります。今は着飾り系だけになってしまいましたが、私が子どもの頃は首回りを緩くする着崩し系がほとんどでした。ほーりーさんがお江戸を話すなら、着崩し系の方がリアリティあるかもしれませんね。とは言っても、首回りに汚れ防止の手ぬぐいを巻いたら可愛くありませんです。
忠臣蔵・桜田門外の変は雪だからこそドラマが有りますからねぇ。
まだ小さな頃に行った母の実家に堀こたつがありましたね😃
火傷に気を付けていた覚えがあります😃
家の建て直しの際に取り壊してしまって無くなっていた😲😫😢
こんにちは昭和30年生まれです、子供の頃は掘り炬燵と火鉢でしたね、
たまに靴下に穴が空きました、寝るときは湯たんぽでした、中学生になると白金カイロでしたがたまにお腹を火傷しました、綿入の半纏やチャンチャンコもきてましたね、よそ行き服はジャンパーやコートでしたね、
ズボン下と長袖シャツでしたね、江戸時代とは違いますが、木造平家建でしたから近いものはあった気がします😮
女子は毛糸のパンツを皆さん履いてましたね
ありがとう😺
聞きやすい!
なんか、新潟の人がいってましたが、ずっと寒いと肌が耐寒仕様になるようです。
たしかに、冬に北海道にいって、-20度で、関西に帰ってきたら―5度でいつもより寒いのですが、温かくかんじました。人間って1週間ほどでも、暑さ寒さって慣れるんだーって思いました。(でも雪かきはいやだなあ・・・。) 「枕草子」だったかなあ、冬に火鉢だけでも暖かいみたいな話がありましたよ。
うちは古民家で、すきま風吹きまくり。
ホームセンターでカーテンレールと厚手のカーテン買いまくって襖の上からカーテンしたら温かくなった
夏は外せばいいし
カーテンおすすめ
ただしストーブで燃やさないよう注意しましょう
初見です。昔、杉浦日向子さんがお着物で江戸の諸々に就いて解説してらしたのを思い出しました。
私が子供の頃、家にありました。掘り炬燵の中に炭火が入ってるあり、直接触ると熱いので、炭火を入れる壺みたいな淵に足上手に載せてくつろぎました。ただ、掘り炬燵の木枠が背中にあたり痛いのを覚えています。
今は「野暮」が増えましたね。
自分、時代劇が大好きで今は少ないので
寂しいですが、ほ〜り〜さんの動画を観て満足しております。
(*^^*)✨
品川で積雪2メーターww 隅田川凍結ww 見てみたい。
電気がない時代の庶民の暮らしは暗くなったら基本寝ますんで、現代よりは暖房にエネルギーを使わなくて済むんだな。
ちなみに、電気がない社会では子供がたくさん生まれる。社会が電化されると、夜にやる事が増えるんで子供が産まれにくくなる。現代でもいわゆる発展途上国ではこの現象が起こっています。
俺が子供の頃も(40年前)福岡で5歳児と同じ大きさの雪だるま作れたり、5歳児が池に張った氷の上を歩けたもんだけどなぁ。北国なら今でも当たり前かもだけど、今ではそこまではならないんだよなぁ。
柳川鍋...反射的に「どぜう鍋」が浮んできた.ドジョウ鍋...好きだったんだろう、浮世絵の背景の出会い茶屋(今のデート喫茶)かメイド喫茶だろうねえ。。。。粋だから今も昔も買わrんのね
それでも高校で習った吉田兼好の徒然草には次のような記述があります。「家の作りやうは、夏をむねとすべし、冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」 この様に昔から日本の家屋は夏向けに建てられています。寒いね。
今年、いろんな事考えてたら、水道とガスを止めてみる事の実験してみる事を思いたって只今実験中です、さすがに電気を止める勇気はなかっので契約キロ数を下げるだけにしました。風呂は近くの温泉、食事はストーブとオーブントースター。も少し工夫して江戸時代に近づけたら面白いと思ってます、いい年して独り者なんで出来る、ある種の娯楽も兼ねて。
七里も
@@TAー坊 さん 七輪はCO中毒が怖いので屋外のみにしてます。
水はどこからか汲んでくるのですか❓
こういうローテクを知るのも楽しいな
昔も昔は今よりも
寒いのですごい
銭形平次がよく長火鉢使ってましたね
行く火と書いてあんか!勉強になりまきた!
令和より、すき❤に、なりました!
遠山の金さんを観てると、格好がいつも同じなので季節感が殆ど感じられない。
今、とても寒いのでとても共感をもって見れました。
ありがとうございます。
しかし、品川で2mの積雪とか、東京では大災害ですね。
あと、江戸時代のこたつ・・・火事が怖い。
人間味のある暮らしですね
品があるし、センスも良いし、押し付けがましくないし、チョット可愛いし、
内容も面白いし、今後も期待しております。
機能も気になりますが
絵もとても綺麗ですよね
もっと見たくなります
コタツの魔力は、戦隊シリーズ「ゼンカイジヤー」でも取り上げられてました😄
コタツって、中で炭が酸欠起こして消えないのが不思議だ。
ホーリーファンだよ。何時もめんこいなぁ、オモロイなぁと楽しんで見させてもらってます。
家の母が、ぺらぺら喋る男を男芸者といつてまして、男芸者=幇間?
お酒の席で男の人達の芸で楽しませる。
へらへらした感じかとユーチューブで幇間芸を観たら、凄く洗練された芸だったので驚きました。
現代の日本と百数十年前の日本では、知らない事が多い事かと感じました。
カイロ、腰と背中の出っ張ってる骨の下につけると良いですよー
寒さ対策に夜のスキンシップに励んだ夫婦とかも多かったりね。マジで。
一つの部屋に3人くらいいると、人間の体温だけで結構暖かいですよ。
おばあちゃんの部屋に火鉢がありました。結構暖かだったです
江戸時代では寒さに対する考え方も違うと思う。
現代では寒ければ暖房器具を追加しようと考えるけど、一昔前の人なら更に着込むようにする。
それと同じで冬に寒いのは当たり前として、生命が維持できる程度の暖房で良かったかと思う。
それよりも農作物がダメにならないようにする方が重要だったはず。
動画の行火(あんか)、岐阜県中央部の記憶では瀬戸物のやつを「ばんどこ」と言ってたと聞きました。小氷河期の江戸の人も、今の東京でちょっとした5センチほどの雪で大雪と騒いでいるのを見て「何をそれ位で」と呆れているかもです。 2022/02/18
7:48 The Kanto long hibachi is good.
江戸だと炬燵、火鉢で何とかなったでしょうが、青森とか蝦夷地ではどうしてたんでしょうね?炬燵ごときでは全く間に合わないような気が。
夜行の老師による文献によると毎年絶滅してたみたいだよ
寒さを受け入れるしかないかと。
一軒家にはだいたい囲炉裏があるから。
死ぬ
その地方の昔の暮らしを紹介する博物館がどこにでもあるから、ちょっと行ってみれば分かりますよ。
ホーリーさん、何時も楽しく観てます。ホーリーさんのお話も面白いですが、ホーリーさんも本当に可愛い方ですね。今後とも頑張って下さいね。
寒い冬にはお風呂に薬用オンセンスいれると、風呂上りでも冷えないです
火鉢は暖房としては使われなくなったが今では金魚やメダカなどのアクアリウム用品として活躍しているぞ!
品川で2メートル!
そりゃ凄いわ
炬燵に入ってても全開で雪見してたら絶対寒い😨