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最近NOPE見たけど、ジョーダン・ピールが監督だからってのもそういう解釈につながる理由かなって思いました自分はゲット・アウトが大好きなのでそういった作品を期待してたんですがそういう層にはちょっとがっかりかも自分も「ジョーダン・ピール」っていうのが前提にあったので;;だから余計に深読みして解釈したい人が多いのかなあ
チンパンは「自分と目が合っていない」から落ち着いただけです。彼が隠れたテーブルの下、ちょうどクロスが目の位置だけ隠れているんです。さらに靴がおっ立っててそっちに目がいってチンパンと注意が交互になってて。見様によっては全然複雑じゃなくて、「下品に見る、生き残るために見て見無振りをする」これ自体すごい情報量ですが語らないことで裾野を極大に広げるスタイルの一つの成功例じゃないかと。
君たちはどう生きるかを見てからこの動画を見るといろいろ思うことがありました
すぐわさんの話を聞いて、あーマトリックスが公開された時に、同じ感想を持ったなぁと思い出しました笑マトリックスの考察を大学の先輩たちから聞かされまくってお腹いっぱいになって、映画なんてジュースとポップコーン持ちながら、何にも考えずに楽しめてなんぼじゃいと言ったら、これだから馬鹿は…みたいな顔をされました😂
人種というより動物愛護的な話に思えたけどなー勿論ただ面白いSF映画というのはそうなんですが
理屈と膏薬は何処へでも付く
メタファーじゃなくて単なる元ネタなんじゃないかと思う
チンパンジーはただ単に冒頭の馬と同じで、のちの飛行生物と目を合わせたら襲われるという事のヒントだとしか思えない。しかしチンパンジーは人間に演技を教えられていたり飼い慣らされていた記憶もあるので、あの元子役に対し思い出したようにグータッチを求めた。そして子役が大人になったあと、あの飛行生物に対してもその過去の記憶から自分だけはそういう生物の狂気からは逃れられるなんていう都合のよい勘違いをしていた為、喰われてしまった。そこから、あの飛行生物は馬やチンパンジーなんかの人間の手で飼い慣らされていても野性的な一面を垣間見せる動物よりずっと恐ろしい存在で、それら以上に触れてはならぬ領域にいるのもの、また動物すらもろくに飼い慣らせないその動物の内にある狂気をろくに理解しないまま舐めている人間が愚かであるという事を伝えるだけのものではないかと思います。だから田舎で馬の特性をよく理解していた主人公が生き残ったのではないでしょうか?主人公の忠告を聞かず馬を怒らせる冒頭のスタジオの輩しかり、元子役しかり、あまりむやみやたらに違う生物のデリケートな部分には踏み込むなよと。
とても正しい意見だと思います。今日初めて本編観たので今ごろコメントしました。
じゃあ、グータッチはなんだったんだ?
人種差別と言われると無理矢理っぽく感じますが、現代の何でも撮って見せ物にする文化に対しての警鐘、みたいな考察を何処かで読んで、そっちは結構納得しました。やたらと目を合わせるシーンやポラロイドやカメラ、見せ物にされる猿、UFOがいつも雲を纏って隠れている理由など...個人的には全然思いつかなかったからこそ、後付けでも面白いなと思いました。
この映画はつまらなかった。サルの伏線が回収されないまま終わった感じ。
この動画で思い出したのは、昔の2chでちょっとだけ流行った「オッス、おら悟空」のコピペ。「悟空(=ごくう=極右)」を名乗る黒髪の男(=日本人)が、本気を出すと金髪(=白人)となり、両手を空に突き上げる(=万歳)ことで敵をやっつける技を繰り出す。だからこのアニメは子供を洗脳する右翼アニメだってやつ。メタファーがどうのこうのって、このレベルのこじつけだと思う。
ピンと立った靴に一瞬目を取られて、錯乱ゴーディと目が合わなかったから助かったのが"最悪の奇跡"なんだと思ってました。
“最悪の奇跡”でいうと、ほんとは靴やテーブルクロス?で目が合わなかったからというだけなのに、それに気付かず(見ちゃだめを知らない)「自分は特別なんだ、だから空のあいつも俺は吸わないはず」という“奇跡”を信じてしまったから“最悪の”なのかなと思いました。
すごいな。この映画についていろんな考察系の動画見たけど、みんなそれぞれ解釈が全然違うわ。
守鍬さんの映画の中で語られる事から映画を楽しむスタイルが好きですこれまでもこれからも守鍬さんの独自解説楽しみにしてます
NOPEの感想動画10本くらい見たのですけどチンパンジー=アジア人のメタファーと言っている人がいなく、この動画で初めて聞いたので出だしから???という気持ち
僕も人種的な何かを描いたような映画には思えなかったです‥チンパンジーの件は、飼い慣らしてコントロールできてると思ってるものが、実は飼い慣らせてないしコントロールできてないぐらいの見方でいいような気がします。例えそういう人種的なテーマを監督が持っていたとしても、それはあくまで裏テーマであって、もっとちゃんと表で描かれてる部分が語られるべきというか‥。最近だと藤本タツキ先生が短編マンガで、フツーの学生がつくったフツーのラブソングが世界中で深読みな解釈がされまくり、歌詞にあるフツーのメッセージが殆どの人に伝わらないみたいな話をしてましたが、まずはフツーに見た印象から話さないとそのジャンルがなんか敷居が高いものになってしまうよなぁと思います。映画に興味なかった頃の僕にとって映画はまさにそういう存在だったので、メタファーどうこうの話が話題になりすぎるのはあんまり良くない感じがするのはなんとなくわかります。
全く同感でございます。
チンパンジー=アジア人のメタファーは黄色い服を着せられていて笑われている。というのは一つ大きな要素だと思いました。解釈が広いと言われるとそれまでですが。チンパンジーに攻撃されなかったのは、靴が謎の奇跡で立っていて子役はそっちを見ていたから、たまたまテーブル掛けがモザイクになっていたから、という2つの要素があったので、意思疎通が取れたと"思い込んだ"ってところにあると思います。なので、その後子役はその誤解を続け、宇宙船らしき物体を支配下に置こうとしていたというのがあります。その結果食われるわけですが。作品を通して、人種関係なくお互いリスペクトを持って接する。というのがメッセージだとは思いましたね。誰にも支配されない。というのが重要だと思います。
ゴーディくんへの冷笑や差別意識の後、日本人へのリスペクトという点では、後半のアクションパートでの、エヴァ、AKIRAオマージュを通すことで感じられました。この作品は見る見られるの関係というのを超えて、見るときの意識がとても重要なんだと思います。
監督が日本の漫画とアニメとビールが好きなのは分かった
OJ達が麒麟の一番搾り飲んでたのが何だか笑ってしまったよ。
あれやっぱり麒麟なんだ笑ぼやけててそうかなって思ったけど。
@@user-lz9zo9rg7z ぼやけてたけどキリンのマークが見えてましたね!アメリカでも売ってるんですかね?それともお金出してたのかな?
自分も見つけました!最後の晩餐的な場面だったのでなんでここで?って感じで自分はニヤニヤしてしまいました。
@@STraightE 監督が日本大好きらしいからその影響かもしれませんね!
日本のビールはとても人気です。特に私が住む西海岸ではKirin やSapporo 等を提供するビアガーデンが増えています。
後半はまあまあ楽しめましたが、気軽にみちゃったせいか、よく分からない作品って印象が強かったですね。ジョーダンビールは、エンタメ向けの監督ではないですもんね。。
深掘り自体は楽しいが、行き過ぎたメタファーなど考察はただのこじ付けに成り果てるというか、もはや陰謀論者の思考みたいだと感じてしまった…ちなみにチンパンジーがアジア人のメタファー説は今回はじめて知りましたが、その考えは同じく全くなかったし、聞いた今でもそれが正解とは思えないのが個人的な感想です。
定義されてないと困る。わかります。色々な人がここはこれを暗喩してると考察されてるけど、しっくりくるような無理くり結びつけてるような…てところが見受けられる気がする。私がアホで理解出来ないだけかもしれないけど。
私はジョーズみたいだなーと思いながら楽しく見てました。時々、アキラのバイクシーンとかエヴァの使徒の威嚇攻撃シーンみたいなのを見つけながら、監督は日本の映画好きなんだなぁと感じました。色々と知的に解釈しないとダメみたいな風潮がありますが、単純におーやっぱり体の中で爆発させのねージョーズと同じだーやったぜ!でいいとわたしは楽しく観てました。だって映画は娯楽要素強しでいいかと思うからです。仰る通りメタファー定義は私のような凡人でも見つけられないとご都合主義になっちゃいますよね。解説ありがとうございました。
ノープの解説系ほんとメタファー大喜利になってるのうんざりする
さすがにチンパンジー=アジア人のメタファーは飛躍しすぎですよね
16:21仮にチンパンジーの暗喩がアジア人だとして、だとするとチンパンジーとアジア人が「同種だ」、とはならないというか、ずいぶん飛躍を感じますが、ここの守鍬刈雄さんのおっしゃる意味がわかる方、いらっしゃるでしょうか?
非常に同意しました。この映画は質の高いモンスターパニック映画だと思います。全く同じで面白いって思った後映画の感想を見ようとしたら考察とかが出てきてげんなりしました。あえて深読みをするなら、「こんな えいがに まじに なっちゃって どうするの」って考察厨を笑ってるように思えました。その辺はゴジラオマージュっぽい音楽やラストのカウボーイシーンにも表れていると思います。
すごく共感しました。ジョーダン・ピール監督自身の発言や作風からして、何らかの暗喩・メタファーが入っているのはおそらくそうなんでしょうけど深読みした人たちの説の大半は、ハッキリとした証拠はおそらく無いでしょうし・・・そのハッキリしなさもまた魅力、味だとは思いますし観客は「あくまでも自分の解釈」というスタンスで語るべきなのかなと思いました
自分はこの映画からジョジョと同じような人間讃歌を感じました。途方もないGジャンに対して、特徴を分析して自分たちのできることを考えて乗り越えたところに勇気をもらいました!
久しぶりに劇場鑑賞した映画がたまたまこれで、個人的には、じわじわくる恐怖、後半のテンポの良さ、敵のデザイン...予備知識なしでも感覚的な部分で結構楽しめたので後味良かったのですが、本日世間の考察を調べたときに同じような感覚になりました。「え、そんなに監督に忖度したり、映像に映っていないところまで考えてみんな映画見てんの...?」なんかもう、都市伝説の話してんか?感じです。>「作品を観てどう感じるか」が重要深く頷いてます。人と違った奇をてらった考察ができるかの競い合いになっているように感じます。あんなに楽しいジブリですら、そんな色が強くなっていてげんなりしています。演出のおかげで気になって、予備知識を自ら補填して「へぇー」となるくらいが観客のできるレベルで、そこに他の映画や芸術に造詣が深い人が補填し始めて、さらに深みが増す。この中に妄想は入る余地は無いと思います。今回の件でいえば、チンパンジーの事件やオプラが史実とつながったときにすごくすっきりしました。それを「メタファーのメタファーでメタファーを...」って。。。もはやそれは妄想です。だからメタファーをこねくり回して「これはそういう作品だ!」って言い切る人はセンスないと思います。「僕が考えた、最強の映画」だろという。動画のエロの件も、吸い込む未確認飛行物体は「女性器」ともいえるでしょう。血を吐くのも「経血」や「女性の苦しみ」とかに置き換えられる。そしたらテーマも変わってきますよね。こちらのコメでも色々並べている方がいますが、既に破綻しているのに「これが理由だ」って言いきっていることに?がつきます。まあでもこうやって議論が巻き起こるのは良い映画・新しい楽しみ方なんですかね。わたしは、自分の感性で映画を感じたいと思います。
「線引きが無いからメタファー定義が出来ない」個人的にこの目線で映画を観ても何も楽しくない。それは与えられた情報を受けている「想像力の欠如」な気がする…説明や線引きを芸術に求めるの?そんなセンスの無いことある?正解のないことをそれぞれが考えるから、発展して楽しいと思っている。
「チンパンジーはアジア人のメタファー」はそれ自体差別になるので間違いでしょう。誰がそんな考察してるんですかね。その考えで観ると作品がつまらないと言ってるのと同義。そこまでデリカシーの無い監督では無いと思います。あのシーンはあのままで他意はないでしょう。面白い映画は考察したくなり、それを否定しませんがたまにセンスを疑う読みをされてる人がいるので注意が必要です。
映画内で3回以上、同じコンセプトでネタを使ってたら説明がなくても狙いであろうと解釈してよいと思います。(アメリカのシナリオの基本作法で、覚えてもらいたいこと、メッセージは3度入れること、というのがある)ちょうど3回だと無理矢理当てはめられてしまうということや見過ごされることもあるので、だいたい4~5回は入れるようにしているようです。以下、ネタバレを含みます。今作では、白人になろうとするジュープは劇中で4度描かれます。・ドラマは、白人家庭の養子の設定。・ジュープの奥さんは白人。・白人文化の西部劇のテーマパークのオーナー。・白いテンガロンハットをかぶり、カウボーイ姿でいる。広げて、何らかのふりをする(させられる)という描写も何度も描かれる。・ゴーディも人間扱いのチンパンジー。・雲のふりをするアレ。・UFOだと思う。・宇宙人のふりをする人間。・生きている馬のふりをさせられる木馬。・ゴーディはグータッチを求める。(人間のふりをする動物)・いないふり、見ないふりをする人間。・茂みのふりをするホルストたち。・上を見ているふりするパーカー。くわえて、白いもので隠す表現も何度も出てくる。・ジュープの子供らは白い仮面をかぶる。・襲われた女優は顔を白いベールで隠す。・砂ぼこりで姿が見えなくなる人間。・白い壁のふりをする秘密の部屋。・白いテーブルクロスの下にいるジュープ。逆に、メインで助かるのは、色のついたもので覆った者。・ラッキーはグリーンのマスク。・エンジェルはブルーシート。・OJはオレンジのパーカー。・エメラルドは黄色のテープ。これらのことから、有色人種が白人のふりをする、させることの罪を描こうとしている意図があると読み取れる。いままでのテーマと違って、黒人でいることの誇りも強調される。(『ゲット・アウト』は黒人になる白人だったとも言える)チンパンジーがアジア人のメタファーかどうかは映画内では実際は示されていないので、個人の解釈、見方によるところが大きい。
ダレダレの前半はともかく、テンポよく進む後半で、妙に長いカットでブルーシートを見せていたので、これはなにかあるなとは思いました。宇宙生物に対しては、一般とは逆に「派手な色がカモフラージュになる」とか「派手な色を吐き出す」とか
気になっていた点がかなり整理されました。ありがとうございます。
結構強引な解釈が多いのでは…
テーブルクロスはモスグリーン、ベールはピンクだった気がします
@@哀れ-q5s ベールはピンクで白い帽子でしたね。
映画内で語られた事のみで内容を理解するって考え、確か蓮實重彦の「表層批評」がそうでしたっけ?仰る事よくわかります。自分もいろいろNOPEの解説動画観ましたが、そこまで理解出来ないよってのが本音でした。。
よくわかるそれ。「メタファー」は絶対メタファーと相対メタファーに区別した方がいいかもしれないです。絶対メタファー=作中で定義されたもの。相対メタファー=作中で定義はされていないもの。勝手に妄想していいもの。他人の相対メタファーを否定しても無意味。いくらでもあり得るから。逆にその発想を楽しむためのもの。
相対的なメタファーが自由なんてホントにいいのでしょうか、岡田斗司夫の自由なジブリ考察を僕は否定したいですそう言ったものを自由だからと許すことは作った人の人間性を間違った方向に捉えられることを是としてしまいます今回チンパンジーがアジア人のメタファーだと解釈することはこの監督がアジア人とチンパンジーと結びつけるような人間性であることを許してしまうし他の例だと宮崎駿が極度のロリコンであることを良しとしてしまう気がします
作品の中で提示していないものは考慮しづらいのでは?という考え方はとても共感できます。仮にその大前提がないと免許筆記試験のような理不尽なものになりそう。
今日サブスクで観ました。この動画の事を覚えていたので、チンパンジーが東洋人のメタファーになってるのかというのは頭において観てみたのですが、「だったら何??」って感じでした。むしろ、東洋人だけチンパンジーが殺さなかったこととかは、あの宇宙人と「目を合わせない」のが助かる可能性をあげるというのと繋がってなくて、なんか逆にあのときに目を合わせなかったから助かったと聞いていたとかのが、映画の流れとしては良かったのではと思いました。チンパンジーを東洋人と考えてみて、何かそれが監督の言いたいことが伝わってきませんでした。
高評価を100回は押したい動画だった、激しく同意です、すごく面白い映画だったのでほかのレビュー見たら全部メタ的なことしか言ってなかったので悲しかったです
考えることが得意な人は考察は楽しい。が、決めつけるのも野暮だしわかんないからつまんないって開き直るのも野暮。好きに楽しめばいいこんだけ見る人によって考えたり考えなかったりする事が出来るってのは間違いなく傑作
この映画見てウルトラマンレオ思い出した人他にいるだろうか?
自分もあれを見て同じくそう思いました。
あれが女性のアレで風船が男性のアレって意見はどうかと思った
どう捉えたらより納得がいくか、おもしろいかで映画を解釈するタイプですがNOPEは変なメタファーを当てはめない方が楽しめるなあと思います。映像やセリフにヒントがあってこそのメタファーですしね。自分は見たまんまのNOPEが大好きです!
情報って、鵜呑みにしたり真に受けたりしないで箇条書きに並べて「そういうのもあるんだね〜、へぇ〜」くらいに受け止めて寝かせておけばいいと思うの○も✕もつけないで映画の考察もそのくらいの距離感でいいと思うんよね自分の嫌いな考え方に執着しても得られるものなんて無いからね
NOPEを観てパンフ読み込んだ上での米ですが、パンフに記載された内容以上の邪推する様な行き過ぎた思想は無いと思っています。動画内で仰られている様に、これ系の考察の危険性って、言い方や解釈をこねくり回してどんな作品にでも当てはめてくるので、パンフ以上の解釈は無いのと同義だと思います。この作品は何も難しく考えずに観て、空に怯えたり、生理的な不快感を得たりした先のラストでカタルシスを感じて、気持ちよく観た方が良いかなって思いました。
ジョーダンピール監督は映画ファンから深読みできる作品を撮る人だと期待されてますからねほんとはそこまで腕ないよと暗に自虐してたとしたら逆に好感持てます笑
全体的に苦しい解釈だなと感じました。
かるおさんの動画の最初の"単純に面白い"がしっくりきた。初日に観て興奮しながら帰りました。
ん?チンパンジーとアジア人の子供がグータッチしてたが、それがつまり、「俺たち同類」ってことなのでは?
単純に楽しめた/楽しめなかったと思うのも大切ですが,視聴者が見ることで映画として成り立つので、人それぞれいろんな面から見れて語れる映画が面白い映画だとも思います。
この動画観て言われてみれば、5セントは二面性のメタファーだったのではと思いましたね
単純にエンタメとしておもろい映画って感想持ってる。逆にこういう映画見た時に、考察見て、自分の感情が冷めてしまう時あるから、なるたけ見ないようにしてる
社会批判は理解出来たけど、俺はストーリーそのものはあんまり面白いと思えなかったな。
今日、映画館でNOPE観てきました。怖かったし面白かったです。あのシーンやあのセリフの真意は?とか余韻に浸るのは愉しいです。でも、私は守鍬さんとほぼ同様の意見で、映画って娯楽ですものね、あんまり意味づけしたり、すべての物に意味を持たせたりとか、ちょっと…(笑)監督も、そんな意味づけしてねーよ、とか思ってにやにやしてたりして(笑)
俺は、面白かったか面白くなかったかでしか映画観ないからな~みんな、凄いなと思うよ笑NOPEは普通に面白かった
白人と同じことしてるのに上にいけるウェーイは感じなかったのですが、差別された歴史を振りかざしてそこに胡座をかくな、今のお前自身の仕事をちゃんとしろ、今はしっかりとした仕事をすれば白人だって認めてくれるし友達にだってなってくれる。ということを言いたいのかも、と。ラッキーを連れてスタジオで「安全講習」をするシーンで、兄はその前後で馬の後ろに立つなとか携帯を切れとか危険なシーンになってからボソボソ言う。さらに、プロデューサーの馬の向きを変えろという指示にもすぐに反応できずに、モタモタと。で、イザ今から講習始めますって全員がちゃんと話を聞く体制になったら、とたんにキョドった挙げ句に、初めてフィルムに写った黒人の紹介で話が終わって、遅刻してきた妹にバトンタッチしたら、妹も初めてフィルムに写った黒人の名前は伝えられてないとか、自分は歌手でプロデューサーで最後にサンドイッチがほしければ声かけてとか、ホントもう、オマエら何しに来た。撮影でお前のところの馬を使うにあたって安全に撮影を進めるための講習をする場まで用意したのに、肝心の「安全講習」は一切してない上に、馬もまともに制御できてない。で案の定、女優が馬に蹴られそうになる事故が起こってお払い箱。兄弟&馬がお払い箱日なってスタジオ出る時に入れ代わりでCG合成用の模型の馬がスタジオ入りしてた。つまり、現場としては模型(CG)でもイケた、既に用意してあったけど、あえて本物の馬を呼んだ。なぜか?そりゃ本物を使った方がクオリティ上がるのもあるけど、何より親父さんが今まできちんと仕事して信用を培ってきたから。だから、親父さんの代わりに兄がスタジオに来たときも「前の人の(親父さん)方が良い」と監督からチェンジの要望がでた。偉大なる親父さんは黒人だから仕事をもらってたのではなく、きちんとプロとして仕事をして仕事で功績と信用を得ていたからスタジオに馬を派遣する仕事が回って来ていた。もしもハリウッドでありがちの、黒人には仕事をまわさなければならいから、という理由でこの仕事が回ってきた、なら、スタジオに来た息子にチェンジはかからなかった。黒人なら誰でも良いわけではない、親父さんに仕事を頼んだのに見知らぬ若い黒人が来たから「前の人(親父さんに)代えて」。そして、「黒人だから」で依頼されてた仕事なら、失敗後もお払い箱にはなってない。何しろ黒人に仕事を回さなきゃならやいのだから。お払い箱になったということは、現場はちゃんとした仕事として依頼してたのに、それに応えられなかったから。黒人だからではなく、馬のスペシャリストとしてちゃんと期待されてたのにそれに応えられなかったから。そして、本物の馬の代わりにCG用の馬がスタジオ入り。お前らキャストには黒人を必ず入れろって言いつついい加減な演技してたら、そのうち黒人俳優の代わりにCG 使われることになるぞ、と。逆に兄妹が本気でUAPの撮影に取り掛かったとたんに電機屋のエンジェル(白人)と縁ができる。なぜかやたらとフレンドリーで親切で、家をゲロまみれにされた姉弟を自分の家に泊めようとまでしてくれる。そして、伝説の撮影監督のホルスト(白人)はちゃんと姉弟の電話を気に留めてくれてて撮影に駆けつける。真摯に仕事に取り組めば自然に仲間ができる、認めてもらえる、助けてもらえると言いたいのかも、と。
守鍬さんの考え方共感できます。映画を楽しむにはかなり鋭い視点で物事を捕えないといけないのかな…とか理解しづらいと打ちのめされたりします😔目の前の情報だけで楽しみたいです😣
関係ないですが、バイクをakira止めするのあがりました!
「そういうことしちゃダメ」という言い方に引っ掛かりました。作品の観方に間違いも正解もルールもないと思います。
「虐げられた人々」ではなく「見過ごされた人々」でした。以下ネタバレを含みます。また、アジア人子役が襲われなかったのは実は立っている靴を見ていたから目を合わせていなかった説があるみたいです。逆に目を見て心が通じたからパークでアレと意思疎通ができるようになったと思っていた説もあるみたい。これだと真逆の解釈になりますね。また、チ〇パ〇ジーは黒人の暗喩だという説、災害の暗喩、我慢の限界の暗喩、実際の事件説などなど色々あるみたいですね。ただそれらの説を裏付けるものは作品内には存在しないように思います。作品内で明示されていないので、これではまるで全員が別の映画を観た感想のように感じます。僕は監督が黒人だからとか、たとえば女性だから、同性愛者だからというフィルターを通して映画を観ません。誰が撮ろうが面白ければ面白いという感想を持ちます。もし本作が「社会問題・人種差別を扱うのに定評のある黒人監督が撮った映画」という情報を知らなければ気付くことが出来ない暗喩に溢れているのであったら、残念です。そして本作は、そんな情報など必要ない、本編だけを見て楽しめる映画だと僕は思っています。
例のシーンでアジア人だけが救われたのは、アジア人が透明なテーブルクロスカバーを通してチンパンジーを見ていたから救われた。だと考察しました。(スマホの画面から過激な映像を見ている視聴者や、安全が保障されてる映画館で猿の残酷な映像を見ている観客)を意味してるのかな。とか思ったりしてました。ただこれも一個人の一考察なので、他人のこれはこうだからこのメタファーだ。などの意見に左右されないのが大事なのかなとか思ったり。
奇跡的に立ってた靴を思わず見つめてしまって、目が合わなかったからじゃないの?まぁ解釈は人それぞれか。
私はあのチンパンジーがアジア人(もしくは黒人)のメタファーだとすれば、男の子がアジア人だったため仲間意識のようなものを感じて襲わなかったのかなと思いました。そうすればグータッチしようとしてた意味も説明がつく気がします。ただテーブルクロスカバーの考察もなかなか面白いと思います!作品は一義的でありよりかは、みる人によって無数に解釈しうる方が奥深さがあると思うので他人の考察に引きずられすぎない方がいいという意見には同感です。
とても納得が行きました。巷ではたくさんの考察が溢れていますね。しかしあるレビューで「面白かった。つまらなかった。でしか映画を見ない馬鹿な客」とまで他人を嘲りながら考察を展開するのを見て、ここまで狭量で傲慢になれるものかと嫌悪感を覚えました。そうなんですよ、作品は作品そのものであって、誰かが(時には作者自身であっても)こうだと決めつけるものではないと思うんですよね。そうやって見方を狭めることが作品のためにもならない事にもっと目を向けて欲しいと思いました。チャンネル登録させていただきます。
監督含め、作り手の自作への発言というのはあくまで二次資料であって、一次資料は映画であるべきですね。
言うまでも無い事ですが映画の楽しみ方は人それぞれで素直に物語を受け取って楽しむ者と裏を読んで考察を楽しむ者が居て良い物です。現代は1度、映画を観終わった後、考察を経て2度目を観るのがトレンドで、広報も、それを狙って宣伝しています。(その方が儲かりますから)映画を作品として評価する時にも、再考察された方が長期に渡って人々の記憶に残り易くなり作品自体の寿命が延びる事に繋がります。観る側の楽しみ方も人それぞれですが、作る側の監督もそれぞれで、『観た人が自由に解釈したらいい』というスタンスの監督も居れば、『誰もメッセージに気付いてくれない』と嘆く監督も居る訳で正に世は千差万別となる訳です。好きに解釈したら良い映画でも、この監督は古典から影響を受けて~と考察したり、裏にメッセージが秘められた映画でも、あ~面白かったで観終わっても、人それぞれで良い訳です。
エイリアンみたくホラーSFとしてもガチでメタファー云々の考察も面白いものは良いですけど、NOPEは「いやなんだかなあ・・」という感じでした。考察も、人種がどうとかそんなのなら不要だと思います。
ありがとうございます!
単純にみて楽しい映画でいいと思います😃監督のメッセージを考察しながらあれこれ考えてみるのが好きな人がいればそれでいいし、メタファーも明確な表示がないと成立しないという意見もあれば、いや、自分で考えてパズルをとくようにみるのが好きだという人がいてもいいと思います。自分でお金だして観てるんだから好きなように観ればいいのではないかなぁ☺️
途中で主人公が屋根の上にいる豚を見るシーンもあったけどそれも差別表現なのかな…間違ってたらごめんなさい…
豚は筋肉の関係上、空を見上げる動きができない動物。だからUFOを見ることがなく助かった。って解釈もできますってメタファー。
チンパンジーがアジア人の男の子に親近感を持ってるという表現は確かだと思う。それは何故か?と言うことなんじゃないかなぁ~と。
アレも悪い奇跡じゃないの?
深読みレビューに関しては同じ意見です。モンスターパニック映画として普通に楽しめる訳ですから。観客に隠されたテーマを考えさせたければ、そこに何かあると注目させるか、さっぱり解らない映画にしなきゃいけない。この映画で、明らかに不可解なのは1箇所だけ。チンパンジー事件の回想で、理由がなく風船が破裂する~照明が明滅する~靴が直立している一連の描写。それには、軌跡とかじゃなく《合理的な理由》があると思います。
よくわかります。純粋に作品を楽しむ立場というものが、ありますもんね。
この話聞いてて、エヴァの「マリは安野モヨコだ」の件を思い出した。のちに公式に否定されたあれです。
あれか
映画評論の権威で(黒沢清とか立教の映画監督たちの師匠でもある)蓮見重彦先生の表層批評宣言でいうところの、作品内の内容のみで評論するべきってのと似た話ですねただ、明らかな作品内提示がなくてもチンパン=黄色人と解釈するのは個人の自由だと思いますよ蓮見先生の評論は、面白いですけどはっきり言ってぶっ飛んでますし、荒井晴彦からそんな意図で作ってないって突っ込まれるくらいですし、それでも蓮見評論に価値があるってことは評論に正解はないってことですまあチンパン=黄色人っていう解釈は個人的には呑み込めないところはありますねあれを特定の人種と解釈すると、チンパン=黄色人種が暴走したっていう意味わからん解釈になりますもん
チンパンジーがアジア人のメタファーは普通にナンセンスすぎる。パンフレットにそんなこと書いてあるの?多分そうだろう、、、とも思わないだろ
メタファーってこーですよーて書いてあるものじゃないですよ?
@@cyc7779 映画だけ見てチンパンジーはアジア人のメタファーとは受け取れないからパンフレットにでも書いてあるのかな、とまで思ってしまったって意味ですこの解釈は個人的には拡大解釈が過ぎる、不快ですって言いたかったです
チンパンジーは=アジア人ではなく被差別者のメタファーなんじゃないかと思ってますなので黒人もLGBTも入るのかなと
@@df_5565 その解釈は良いと思います、しかしチンパンジー=アジア人のメタファーだと動画冒頭で紹介して、それを肯定したまま動画を進めるのはジョーダンピールがあたかもアジア人を馬鹿にしてるかのような印象を作ってしまうのでよっぽどそのように見える場合ではない限りこの動画の作りは良くないと思います。
@@AI-hr6hm 自分も同意見です。ジョーダン・ピール監督にとって風評被害もいいとこだって分かってるんでしょうかね
ミッドサマーにも裏設定など沢山ありましたがこちらの様に公式できちんと解説するか否かが問題ですかね~
黒人監督だからではなく、ジョーダンピール監督だからこそメタに注目して見なければいけないのだと思います。過去作や、監督の作った他のドキュメンタリーなどから見ても彼の映画製作の上での大きなテーマが必ず有色人種差別です。それを何故映画製作を通して伝えようとしているかと言うと、彼がもともとエンターテイナー出身で、エンタメ作品の中で、人種差別のブラックジョーク、サーカズム的なメタ表現を用いて伝えるということが彼の大きなテーマというか、そのために映像監督になったからです。でも、ここまでの経緯や過去作、また黒人差別の歴史を知らないと正直この映画、ただのエンタメ映像作品としては、講評にあるような、なんじゃこりゃ?な作品だと思います。私は監督の作品が大好きで、歴史にも興味がありましたので、メタに注目して鑑賞しましたが、すぐわさんの言う通り、映画というのは映画そのもののみを淡々と鑑賞すべきだと思うのです。ですから正直この映画は初見殺しの自己満映画と言わざるおえないと思います。そもそも人種差別のブラックジョークやサーカズム的メタは、日本にサーカズムをエンタメとして嗜む文化がありませんから、日本人である我々が理解するのは無理があると思います。
あと私はこの映画、アメリカにおける有色人種の大量逮捕をメタ的テーマにしているのだと思いました。でもRUclipsみてもあまりそのような考察は見つからず、見る人によって感想の変わる面白い映画ですよね。偉大な過去の作品によって素晴らしい映像技術が次々と編み出され、出尽くした感ありますよね。こういう、知識があって感想や見方が変わるというのは鑑賞者側を巻き込んだ新しい技法だと思います。
多くの考察系レビューに当てはまりますよね。表現されてないことを無理矢理こじつけすぎ。国語のテストじゃアウト。
考察遊びをするにはもってこいの映画だと思う。ただし考察に対して絶対の正解があるかどうかは別かな。
守鍬さん、できればこの今回の動画を消さないでほしいです…
予告にアキラのバイクシーンがあったから、"はは〜ん、これはUFOものに見せかけて超能力系の話だな"とか"このアジア人が猿の恐怖で能力に目覚めたのね、はいはいはい、ラストで登場すんのね"とか"あっ、やっぱりただの布っぽい質感やんこれ念力で操ってますわ"とか色々外した笑
予告見てから行って後悔したw
作品が作られた時代背景や当時の世相というものもは制作側と観客側での共通認識になり得ると思います(だから作中での言及不要)、観客側は正解を求めて右往左往して証拠らしきものを見つけようとしますが、製作側は基本的にそんなことは知ったことではないし極端な話、作った本人にしか理解できないものもあるでしょうし。そういったネタのまき散らし方と質と量の塩梅がほどよいのがいい作品なのかもしれませんね。楽しみ方もひとそれぞれでいいと思います。
私も純粋に見てたのしむという考えに賛成です。しかし、、チンパンジー(猿)=アジア人(日本人)のメタファーはある意味映画としては、共通認識な感じも。。
このポリコレの時代そんな差別的な共通認識は無いですよ
@@df_5565 一定以上の年代の人なら、nisshi48さんは「アジア人=猿です」というメタファーではなく、「アジア人を猿呼ばわりして堂々と差別していた時代があった」というメタファーだと言っていると思うのが当たり前だ。逆に言えば、このように受け取るお人もおられるわけだから、もうそれは日本人全世代の共通認識ではないとも言えるわけだが。表現には、その時代に生きた人間には共通認識となっているものが含まれてしまう。だから、映画グレムリンが1950~1960代の映画であれば、守鍬さんの言うように、映画の中で述べられていなかったとしても、グレムリンは原爆を作った科学者のメタファーである可能性が出てくるが、実際には世界中に核兵器が大量にある1980年代の映画なのでその可能性はほぼなく、むしろその時代の中にメタファーとなるものを求めるなら、日本人の方がまだあり得る線だろう。つまり、この例えは少し筋がよくないが、実際にその時代に生きていなかった人達にとってそれは資料を読んで想像するしかないことなのだから無理もない。守鍬さんの言う「作品外の情報がないと楽しめないのは映画としては不完全」という話には賛成する。しかし「裏が取れている作品外の情報を作品解説に使うことがよくない」という話はまた別である。前者は映画単品の完成度の話であり、後者は映画解説をする時の基準についての話である。この説明も視聴者にミスリードをさせるものであり、ちょっと筋がよくない。ご自分で、この動画は消すかもと言っておられるのは、そういう無理筋な部分に薄々に気づいているからではないか。つまり、この動画自体が守鍬さんによる「人間は矛盾や不完全さを持った生き物なんだよ」というメタファーなのだ。
単純に面白い映画、というご意見には大いに同感です。ただクオリティが高いが故に、各場面にもっと意味が隠されているのではないか、と思ってしまうし、実際に隠されているのだろうと思います。私が気になったのは、目が合うと食われる怪物を始め、序盤は人と目を合わせようとしないOJ、目が合うと暴れだす馬、チンパンジーと目が合ったことで襲われなかった子役と、視線・目を合わせるという行為に意味がある、ということでしょうか。じゃあそれが何を意味するかは、浅学非才の身故に推察もできないのですがw
メタファーが、定義されてしまっている映画って、はたして面白いのでしょうか?自然な思考の順序として、この作品世界では『チンパンジーが、アジア人の子役だけ殺さなかった』という事実があって、『それはなぜだろう?』と考えるのが、楽しいのではないでしょうか?そのうえで考えられる理由の一つとして、[チンパンジー=アジア人のメタファー]という説もあるだろうし、それ以外の説もたくさんあるのだと思います。おっしゃるような、先に作品からメタファーの説明を受けてしまったら、映画をみてあれこれ考える楽しみが半減します。ちなみに、個人的には、他の方がおっしゃるように、チンパンジー=アジア人ではなく、もっと広い意味での搾取対象という説に賛成です。
序盤はゆっくりした進み方なので正直ちょっと退屈に感じてしまいましたが、中盤あたりで冒頭のあのシーンについて触れられたりとか飛行物体が正体を現すワクワクする展開になってきて段々楽しめたのでなかなかよかったです。後で考察や解説をたくさん読んで納得できましたが、私は単純にSFスリラーだと思って見てました。
守鍬さん今回は右往左往しすぎかもよ!もっと普通にアタシのウィンコットの久々の出演を喜んでチョ❤️
作品内で語られいないものもメタファーとして扱うことがそもそもの間違いであってー
アスもそうだったのですがジョーダン・ピール作品は、後半でネタが分かる前までの方が面白い。ネタがもっと想像を絶するものか、最後まで分からないようになってたらいいのにと勝手に思います。黒澤清「CURE」は最後まで得体が知れないしジャンル分けできない未規定なものが出てしまっている(たぶん監督自身もどうやって作ったか分からない)。それはエンタメにせよメッセージ性が高い映画にせよ明示してしまったら面白くないし、明示できない何かです。ショットのつなぎかた1つとっても読めてしまうよりは倒置法のように読めない方が面白い(もちろんエンタメで予定調和の安心というのもありますし、読めない手法もクリシェになってしまうのですが)。なのでこの作品は最後まで見るとただただ楽しめればいい作品と思いますが(僕はそれだとちょっと物足りない)、前半の謎めいた、ひっかかる部分を掘ってみたいという気持ちも良く分かります。なお、メタファーが何とでも言えてしまう問題というのは確かにありますが、隠喩である以上は明示ではない(直喩や比喩ではない)ので仕方ないというか、究極には「世界はメタファーで出来ている」「外部世界の客観的な現実は無い」という問題になってしまうと思います。町山智浩氏もたまに深読み・誤読があるように思うけど、カサブランカが後になって再評価されたような誤読も映画受容の内、とも思います。蛇足ですが蓮実重彦的な純粋に映画自体を見る、ことの弊害も実はあるような気がしています。(昔大学で蓮見グループ人脈の教授に教わって影響受けましたが)間テクスト性のようなものが映画史や映画をとりまく社会・世の中の言説全体と関係があるからです。
あそこまで意味深で延々と宇宙船と関係無い話を見せられれば何かあるんだろうなと考えちゃいますね。僕は無駄に考えるの嫌いなのでそのままを受け取ります。
黄色人種がイエローモンキーと差別的に呼ばれた過去があった、ということが今回のメタファーに繋がってるんじゃないですかね
守鍬さん疲れているんじゃない?良い映画を見て、美味しい物を食べて、熟睡すれば大抵は解決するでしょ。テレビも見ない、ヤフーニュースも見ない、好きなモノだけを見る。それでも生活は出来る。
映画の見すぎだから2週間くらい映画見ないでうまいもの食べて脳みそと目を休めてほしいですなまぁ他の人の意見も含めてるので全てがこの人の意見ではないですが
「いらない情報」かもしれないけど、監督は黒人と白人のハーフ。見た目は黒人だけど離婚で白人の母親に育てられたから中身は白人なんですよね。どっちのコミュニティにも馴染めない人生だったと。だんだん自由に作れるようになって、どっちにも中途半端になってるのかなと思いました
自分は純粋に楽しかったのに裏の裏を見るような解説が乱立してなんか変な気持ちになることは確かにたまにありますね。もっと皆純粋な気持ちで楽しんで!って思う。ただ今作はジョーダンピール監督でメタファー、社会批判を含む、メッセージ性がある作品作りをしてきた方なのでそういう見方になるのはしょうがないねとも思います。実際どういうメッセージが込められてるのか期待して見に行きましたし。チンパンジー=黒人だと思ってました。
詩と一緒で映画もメタファーを想起することは避けられないと思っています。妄想や個人の経験が入りますし、正解不正解も判定できないですし、無限に結びつけられます。メタファーの好き嫌いも含め、全部いち視聴者の自由だと思います。ただ「全くそう思えない解釈が潮流に乗ってしまうとなんか嫌だ」という話なのかなと思いました。ちなみに個人的にはチンパンジーはアジア人というより、もっと広義の意味での搾取対象だと思いました。
なるほど!メタファーと言い出したらキリがないというのはわかります。それに関しては答えはないと思います。なぜかというと、それがメタファーかどうか、そして何を暗示したメタファーかどうかは結局ジョーダンピールさんにしかわからないからです。ただ、さまざまなメタファー考察を発信しているのはおかしい事ではないと思います。それはこのNOPEという作品がジョーダンピールさんの3作目という事が大事です!というのはGetoutとUsからの流れを考えると、今回も絶対的に社会問題や人種問題、歴史的問題などを扱い、問題提起をしてくるというのは容易に予測できるし、そこに今まで同様数々のメタファーを散りばめてくると予測できるからです。だから、みんなメタファー考察するのだと思います。正確に言えば、考察したくなる、終演後の考察、メタファー探しも込みでジョーダンピール作品と認識しているのではないかと思います。少なくとも私はそうです(^^)だから、メタファー考察してもいいし、間違った考察でもよし、シンプルホラースリラー映画としてたのしむのもよし!ただ、真実はジョーダンピールの中である。。で良いのではないでしょうか?(^^)
なんて言うか、小難しい事考えないと映画見れないって不幸だなって思いました。捉え方は人それぞれですけど、素直に楽しめばいいのに。
問題のゴーディのシーンですが、皆さん、RUclipsに上がってるオープニング映像ってご覧になってますでしょうか?あのfist bumpって、ETにおける指を合わせるシーンと同等なんですよね。スピルバーグへの憧れはあれど、人種差別を揶揄するつもりは無いはずです。ちなみに、個人的には机の下に隠れた事が功を奏して、直に目を合わせなかったことで難を逃れたジュープがゴーディの射殺を目の当たりにしながら、垂直に立った靴(すなわち、最悪な奇跡)に魅入ってしまい、それを再現したいってのが今回の映画の原点にあると思っています。
チンパンジーがアジア人の子供と仲良くするシーンがチンパンジーイコールアジア人のサジェストなのでは?、すぐわかるおさんはそのシーンはサジェストではないというならその理由はなんでしょう、それこそ何となくサジェストでは無いと言っているような
単純に大暴れして静かになったから落ち着いたのと、じっと目を見て逃げなかった事で襲われなかったんだろうなって観てた時は思いました。
安易な気がしますねチンパンジーがアジア人のメタファーだからアジア人は襲わないって何ですか?
@@df_5565 実際はそうだと思います、すぐわかるおさんは動画で根拠なく結びつけるなとしつこいくらい言っていたのに、自分は根拠を言わないのかと思ったところです
チンパンジー=アジア人??? だとしたら不愉快なのでその説はリジェクトします。ラストシーンの盛り上がりで「良し」とします。
ただ、この監督ゲットアウトでの日系人への偏見のある描き方を見るとやりかねない気もします…
@@df_5565 さまだとしたら不愉快なので、リジェクトします。
最近NOPE見たけど、
ジョーダン・ピールが監督だからってのもそういう
解釈につながる理由かなって思いました
自分はゲット・アウトが大好きなのでそういった作品を期待してたんですが
そういう層にはちょっとがっかりかも
自分も「ジョーダン・ピール」っていうのが前提にあったので;;
だから余計に深読みして解釈したい人が多いのかなあ
チンパンは「自分と目が合っていない」から落ち着いただけです。
彼が隠れたテーブルの下、ちょうどクロスが目の位置だけ隠れているんです。
さらに靴がおっ立っててそっちに目がいってチンパンと注意が交互になってて。
見様によっては全然複雑じゃなくて、「下品に見る、生き残るために見て見無振りをする」これ自体
すごい情報量ですが語らないことで裾野を極大に広げるスタイルの一つの成功例じゃないかと。
君たちはどう生きるかを見てからこの動画を見るといろいろ思うことがありました
すぐわさんの話を聞いて、あーマトリックスが公開された時に、同じ感想を持ったなぁと思い出しました笑
マトリックスの考察を大学の先輩たちから聞かされまくってお腹いっぱいになって、映画なんてジュースとポップコーン持ちながら、何にも考えずに楽しめてなんぼじゃいと言ったら、これだから馬鹿は…みたいな顔をされました😂
人種というより動物愛護的な話に思えたけどなー勿論ただ面白いSF映画というのはそうなんですが
理屈と膏薬は何処へでも付く
メタファーじゃなくて単なる元ネタなんじゃないかと思う
チンパンジーはただ単に冒頭の馬と同じで、のちの飛行生物と目を合わせたら襲われるという事のヒントだとしか思えない。
しかしチンパンジーは人間に演技を教えられていたり飼い慣らされていた記憶もあるので、あの元子役に対し思い出したようにグータッチを求めた。
そして子役が大人になったあと、あの飛行生物に対してもその過去の記憶から自分だけはそういう生物の狂気からは逃れられるなんていう都合のよい勘違いをしていた為、喰われてしまった。
そこから、あの飛行生物は馬やチンパンジーなんかの人間の手で飼い慣らされていても野性的な一面を垣間見せる動物よりずっと恐ろしい存在で、それら以上に触れてはならぬ領域にいるのもの、また動物すらもろくに飼い慣らせないその動物の内にある狂気をろくに理解しないまま舐めている人間が愚かであるという事を伝えるだけのものではないかと思います。
だから田舎で馬の特性をよく理解していた主人公が生き残ったのではないでしょうか?
主人公の忠告を聞かず馬を怒らせる冒頭のスタジオの輩しかり、元子役しかり、あまりむやみやたらに違う生物のデリケートな部分には踏み込むなよと。
とても正しい意見だと思います。
今日初めて本編観たので今ごろコメントしました。
じゃあ、グータッチはなんだったんだ?
人種差別と言われると無理矢理っぽく感じますが、現代の何でも撮って見せ物にする文化に対しての警鐘、みたいな考察を何処かで読んで、そっちは結構納得しました。やたらと目を合わせるシーンやポラロイドやカメラ、見せ物にされる猿、UFOがいつも雲を纏って隠れている理由など...個人的には全然思いつかなかったからこそ、後付けでも面白いなと思いました。
この映画はつまらなかった。サルの伏線が回収されないまま終わった感じ。
この動画で思い出したのは、昔の2chでちょっとだけ流行った「オッス、おら悟空」のコピペ。
「悟空(=ごくう=極右)」を名乗る黒髪の男(=日本人)が、本気を出すと金髪(=白人)となり、両手を空に突き上げる(=万歳)ことで敵をやっつける技を繰り出す。だからこのアニメは子供を洗脳する右翼アニメだってやつ。メタファーがどうのこうのって、このレベルのこじつけだと思う。
ピンと立った靴に一瞬目を取られて、錯乱ゴーディと目が合わなかったから助かったのが"最悪の奇跡"なんだと思ってました。
“最悪の奇跡”でいうと、ほんとは靴やテーブルクロス?で目が合わなかったからというだけなのに、それに気付かず(見ちゃだめを知らない)「自分は特別なんだ、だから空のあいつも俺は吸わないはず」という“奇跡”を信じてしまったから“最悪の”なのかなと思いました。
すごいな。この映画についていろんな考察系の動画見たけど、みんなそれぞれ解釈が全然違うわ。
守鍬さんの映画の中で語られる事から映画を楽しむスタイルが好きです
これまでもこれからも守鍬さんの独自解説楽しみにしてます
NOPEの感想動画10本くらい見たのですけどチンパンジー=アジア人のメタファーと言っている人がいなく、この動画で初めて聞いたので出だしから???という気持ち
僕も人種的な何かを描いたような映画には思えなかったです‥
チンパンジーの件は、飼い慣らしてコントロールできてると思ってるものが、実は飼い慣らせてないしコントロールできてないぐらいの見方でいいような気がします。
例えそういう人種的なテーマを監督が持っていたとしても、それはあくまで裏テーマであって、もっとちゃんと表で描かれてる部分が語られるべきというか‥。
最近だと藤本タツキ先生が短編マンガで、フツーの学生がつくったフツーのラブソングが世界中で深読みな解釈がされまくり、歌詞にあるフツーのメッセージが殆どの人に伝わらないみたいな話をしてましたが、まずはフツーに見た印象から話さないとそのジャンルがなんか敷居が高いものになってしまうよなぁと思います。
映画に興味なかった頃の僕にとって映画はまさにそういう存在だったので、メタファーどうこうの話が話題になりすぎるのはあんまり良くない感じがするのはなんとなくわかります。
全く同感でございます。
チンパンジー=アジア人のメタファーは黄色い服を着せられていて笑われている。というのは一つ大きな要素だと思いました。解釈が広いと言われるとそれまでですが。
チンパンジーに攻撃されなかったのは、
靴が謎の奇跡で立っていて子役はそっちを見ていたから、たまたまテーブル掛けがモザイクになっていたから、という2つの要素があったので、意思疎通が取れたと"思い込んだ"ってところにあると思います。
なので、その後子役はその誤解を続け、宇宙船らしき物体を支配下に置こうとしていたというのがあります。その結果食われるわけですが。
作品を通して、人種関係なくお互いリスペクトを持って接する。というのがメッセージだとは思いましたね。
誰にも支配されない。というのが重要だと思います。
ゴーディくんへの冷笑や差別意識の後、日本人へのリスペクトという点では、後半のアクションパートでの、エヴァ、AKIRAオマージュを通すことで感じられました。
この作品は見る見られるの関係というのを超えて、見るときの意識がとても重要なんだと思います。
監督が日本の漫画とアニメとビールが好きなのは分かった
OJ達が麒麟の一番搾り飲んでたのが何だか笑ってしまったよ。
あれやっぱり麒麟なんだ笑
ぼやけててそうかなって思ったけど。
@@user-lz9zo9rg7z ぼやけてたけどキリンのマークが見えてましたね!アメリカでも売ってるんですかね?それともお金出してたのかな?
自分も見つけました!最後の晩餐的な場面だったので
なんでここで?って感じで自分はニヤニヤしてしまいました。
@@STraightE 監督が日本大好きらしいからその影響かもしれませんね!
日本のビールはとても人気です。特に私が住む西海岸ではKirin やSapporo 等を提供するビアガーデンが増えています。
後半はまあまあ楽しめましたが、気軽にみちゃったせいか、よく分からない作品って印象が強かったですね。
ジョーダンビールは、エンタメ向けの監督ではないですもんね。。
深掘り自体は楽しいが、行き過ぎたメタファーなど考察はただのこじ付けに成り果てるというか、もはや陰謀論者の思考みたいだと感じてしまった…
ちなみにチンパンジーがアジア人のメタファー説は今回はじめて知りましたが、その考えは同じく全くなかったし、聞いた今でもそれが正解とは思えないのが個人的な感想です。
定義されてないと困る。わかります。
色々な人がここはこれを暗喩してると考察されてるけど、しっくりくるような無理くり結びつけてるような…てところが見受けられる気がする。
私がアホで理解出来ないだけかもしれないけど。
私はジョーズみたいだなーと思いながら楽しく見てました。
時々、アキラのバイクシーンとかエヴァの使徒の威嚇攻撃シーンみたいなのを見つけながら、監督は日本の映画好きなんだなぁと感じました。
色々と知的に解釈しないとダメみたいな風潮がありますが、
単純におーやっぱり体の中で爆発させのねージョーズと同じだーやったぜ!でいいとわたしは楽しく観てました。だって映画は娯楽要素強しでいいかと思うからです。
仰る通りメタファー定義は私のような凡人でも見つけられないとご都合主義になっちゃいますよね。
解説ありがとうございました。
ノープの解説系ほんとメタファー大喜利になってるのうんざりする
さすがにチンパンジー=アジア人のメタファーは飛躍しすぎですよね
16:21
仮にチンパンジーの暗喩がアジア人だとして、だとするとチンパンジーとアジア人が「同種だ」、とはならないというか、ずいぶん飛躍を感じますが、ここの守鍬刈雄さんのおっしゃる意味がわかる方、いらっしゃるでしょうか?
非常に同意しました。この映画は質の高いモンスターパニック映画だと思います。
全く同じで面白いって思った後映画の感想を見ようとしたら考察とかが出てきてげんなりしました。
あえて深読みをするなら、「こんな えいがに まじに なっちゃって どうするの」って考察厨を笑ってるように思えました。
その辺はゴジラオマージュっぽい音楽やラストのカウボーイシーンにも表れていると思います。
すごく共感しました。
ジョーダン・ピール監督自身の発言や作風からして、何らかの暗喩・メタファーが入っているのはおそらくそうなんでしょうけど
深読みした人たちの説の大半は、ハッキリとした証拠はおそらく無いでしょうし・・・
そのハッキリしなさもまた魅力、味だとは思いますし
観客は「あくまでも自分の解釈」というスタンスで語るべきなのかなと思いました
自分はこの映画からジョジョと同じような人間讃歌を感じました。
途方もないGジャンに対して、特徴を分析して自分たちのできることを考えて乗り越えたところに勇気をもらいました!
久しぶりに劇場鑑賞した映画がたまたまこれで、個人的には、じわじわくる恐怖、後半のテンポの良さ、敵のデザイン...予備知識なしでも感覚的な部分で結構楽しめたので後味良かったのですが、本日世間の考察を調べたときに同じような感覚になりました。
「え、そんなに監督に忖度したり、映像に映っていないところまで考えてみんな映画見てんの...?」
なんかもう、都市伝説の話してんか?感じです。
>「作品を観てどう感じるか」が重要
深く頷いてます。
人と違った奇をてらった考察ができるかの競い合いになっているように感じます。
あんなに楽しいジブリですら、そんな色が強くなっていてげんなりしています。
演出のおかげで気になって、予備知識を自ら補填して「へぇー」となるくらいが観客のできるレベルで、
そこに他の映画や芸術に造詣が深い人が補填し始めて、さらに深みが増す。
この中に妄想は入る余地は無いと思います。
今回の件でいえば、チンパンジーの事件やオプラが史実とつながったときにすごくすっきりしました。
それを「メタファーのメタファーでメタファーを...」って。。。もはやそれは妄想です。
だからメタファーをこねくり回して「これはそういう作品だ!」って言い切る人はセンスないと思います。
「僕が考えた、最強の映画」だろという。
動画のエロの件も、吸い込む未確認飛行物体は「女性器」ともいえるでしょう。血を吐くのも「経血」や「女性の苦しみ」とかに置き換えられる。
そしたらテーマも変わってきますよね。
こちらのコメでも色々並べている方がいますが、
既に破綻しているのに「これが理由だ」って言いきっていることに?がつきます。
まあでもこうやって議論が巻き起こるのは良い映画・新しい楽しみ方なんですかね。
わたしは、自分の感性で映画を感じたいと思います。
「線引きが無いからメタファー定義が出来ない」
個人的にこの目線で映画を観ても何も楽しくない。それは与えられた情報を受けている「想像力の欠如」な気がする…
説明や線引きを芸術に求めるの?
そんなセンスの無いことある?
正解のないことをそれぞれが考えるから、発展して楽しいと思っている。
「チンパンジーはアジア人のメタファー」はそれ自体差別になるので間違いでしょう。
誰がそんな考察してるんですかね。その考えで観ると作品がつまらないと言ってるのと同義。
そこまでデリカシーの無い監督では無いと思います。あのシーンはあのままで他意はないでしょう。
面白い映画は考察したくなり、それを否定しませんがたまにセンスを疑う読みをされてる人がいるので注意が必要です。
映画内で3回以上、同じコンセプトでネタを使ってたら説明がなくても狙いであろうと解釈してよいと思います。(アメリカのシナリオの基本作法で、覚えてもらいたいこと、メッセージは3度入れること、というのがある)
ちょうど3回だと無理矢理当てはめられてしまうということや見過ごされることもあるので、だいたい4~5回は入れるようにしているようです。
以下、ネタバレを含みます。
今作では、白人になろうとするジュープは劇中で4度描かれます。
・ドラマは、白人家庭の養子の設定。
・ジュープの奥さんは白人。
・白人文化の西部劇のテーマパークのオーナー。
・白いテンガロンハットをかぶり、カウボーイ姿でいる。
広げて、何らかのふりをする(させられる)という描写も何度も描かれる。
・ゴーディも人間扱いのチンパンジー。
・雲のふりをするアレ。
・UFOだと思う。
・宇宙人のふりをする人間。
・生きている馬のふりをさせられる木馬。
・ゴーディはグータッチを求める。(人間のふりをする動物)
・いないふり、見ないふりをする人間。
・茂みのふりをするホルストたち。
・上を見ているふりするパーカー。
くわえて、白いもので隠す表現も何度も出てくる。
・ジュープの子供らは白い仮面をかぶる。
・襲われた女優は顔を白いベールで隠す。
・砂ぼこりで姿が見えなくなる人間。
・白い壁のふりをする秘密の部屋。
・白いテーブルクロスの下にいるジュープ。
逆に、メインで助かるのは、色のついたもので覆った者。
・ラッキーはグリーンのマスク。
・エンジェルはブルーシート。
・OJはオレンジのパーカー。
・エメラルドは黄色のテープ。
これらのことから、有色人種が白人のふりをする、させることの罪を描こうとしている意図があると読み取れる。いままでのテーマと違って、黒人でいることの誇りも強調される。
(『ゲット・アウト』は黒人になる白人だったとも言える)
チンパンジーがアジア人のメタファーかどうかは映画内では実際は示されていないので、個人の解釈、見方によるところが大きい。
ダレダレの前半はともかく、テンポよく進む後半で、妙に長いカットでブルーシートを見せていたので、これはなにかあるなとは思いました。
宇宙生物に対しては、一般とは逆に「派手な色がカモフラージュになる」とか「派手な色を吐き出す」とか
気になっていた点がかなり整理されました。ありがとうございます。
結構強引な解釈が多いのでは…
テーブルクロスはモスグリーン、ベールはピンクだった気がします
@@哀れ-q5s
ベールはピンクで白い帽子でしたね。
映画内で語られた事のみで内容を理解するって考え、確か蓮實重彦の「表層批評」がそうでしたっけ?仰る事よくわかります。
自分もいろいろNOPEの解説動画観ましたが、そこまで理解出来ないよってのが本音でした。。
よくわかるそれ。「メタファー」は絶対メタファーと相対メタファーに区別した方がいいかもしれないです。
絶対メタファー=作中で定義されたもの。
相対メタファー=作中で定義はされていないもの。勝手に妄想していいもの。他人の相対メタファーを否定しても無意味。いくらでもあり得るから。逆にその発想を楽しむためのもの。
相対的なメタファーが自由なんてホントにいいのでしょうか、岡田斗司夫の自由なジブリ考察を僕は否定したいです
そう言ったものを自由だからと許すことは作った人の人間性を間違った方向に捉えられることを是としてしまいます
今回チンパンジーがアジア人のメタファーだと解釈することはこの監督がアジア人とチンパンジーと結びつけるような人間性であることを許してしまうし
他の例だと宮崎駿が極度のロリコンであることを良しとしてしまう気がします
作品の中で提示していないものは考慮しづらいのでは?という考え方はとても共感できます。
仮にその大前提がないと免許筆記試験のような理不尽なものになりそう。
今日サブスクで観ました。この動画の事を覚えていたので、チンパンジーが東洋人のメタファーになってるのかというのは頭において観てみたのですが、「だったら何??」って感じでした。
むしろ、東洋人だけチンパンジーが殺さなかったこととかは、あの宇宙人と「目を合わせない」のが助かる可能性をあげるというのと繋がってなくて、なんか逆にあのときに目を合わせなかったから助かったと聞いていたとかのが、映画の流れとしては良かったのではと思いました。
チンパンジーを東洋人と考えてみて、何かそれが監督の言いたいことが伝わってきませんでした。
高評価を100回は押したい動画だった、激しく同意です、すごく面白い映画だったのでほかのレビュー見たら全部メタ的なことしか言ってなかったので悲しかったです
考えることが得意な人は考察は楽しい。
が、決めつけるのも野暮だし
わかんないからつまんないって開き直るのも野暮。
好きに楽しめばいい
こんだけ見る人によって考えたり考えなかったりする事が出来るってのは間違いなく傑作
この映画見てウルトラマンレオ思い出した人他にいるだろうか?
自分もあれを見て同じくそう思いました。
あれが女性のアレで風船が男性のアレって意見はどうかと思った
どう捉えたらより納得がいくか、おもしろいかで映画を解釈するタイプですが
NOPEは変なメタファーを当てはめない方が楽しめるなあと思います。
映像やセリフにヒントがあってこそのメタファーですしね。
自分は見たまんまのNOPEが大好きです!
情報って、鵜呑みにしたり真に受けたりしないで箇条書きに並べて
「そういうのもあるんだね〜、へぇ〜」
くらいに受け止めて寝かせておけばいいと思うの
○も✕もつけないで
映画の考察もそのくらいの距離感でいいと思うんよね
自分の嫌いな考え方に執着しても得られるものなんて無いからね
NOPEを観てパンフ読み込んだ上での米ですが、パンフに記載された内容以上の邪推する様な行き過ぎた思想は無いと思っています。
動画内で仰られている様に、これ系の考察の危険性って、言い方や解釈をこねくり回してどんな作品にでも当てはめてくるので、パンフ以上の解釈は無いのと同義だと思います。
この作品は何も難しく考えずに観て、空に怯えたり、生理的な不快感を得たりした先のラストでカタルシスを感じて、気持ちよく観た方が良いかなって思いました。
ジョーダンピール監督は映画ファンから深読みできる作品を撮る人だと期待されてますからね
ほんとはそこまで腕ないよと暗に自虐してたとしたら逆に好感持てます笑
全体的に苦しい解釈だなと感じました。
かるおさんの動画の最初の"単純に面白い"がしっくりきた。初日に観て興奮しながら帰りました。
ん?チンパンジーとアジア人の子供がグータッチしてたが、それがつまり、「俺たち同類」ってことなのでは?
単純に楽しめた/楽しめなかったと思うのも大切ですが,
視聴者が見ることで映画として成り立つので、
人それぞれいろんな面から見れて語れる映画が面白い映画だとも思います。
この動画観て言われてみれば、5セントは二面性のメタファーだったのではと思いましたね
単純にエンタメとしておもろい映画って感想持ってる。
逆にこういう映画見た時に、考察見て、自分の感情が冷めてしまう時あるから、なるたけ見ないようにしてる
社会批判は理解出来たけど、俺はストーリーそのものはあんまり面白いと思えなかったな。
今日、映画館でNOPE観てきました。怖かったし面白かったです。あのシーンやあのセリフの真意は?とか余韻に浸るのは愉しいです。でも、私は守鍬さんとほぼ同様の意見で、映画って娯楽ですものね、あんまり意味づけしたり、すべての物に意味を持たせたりとか、ちょっと…(笑)監督も、そんな意味づけしてねーよ、とか思ってにやにやしてたりして(笑)
俺は、面白かったか面白くなかったかでしか映画観ないからな~
みんな、凄いなと思うよ笑
NOPEは普通に面白かった
白人と同じことしてるのに上にいけるウェーイは感じなかったのですが、差別された歴史を振りかざしてそこに胡座をかくな、今のお前自身の仕事をちゃんとしろ、今はしっかりとした仕事をすれば白人だって認めてくれるし友達にだってなってくれる。
ということを言いたいのかも、と。
ラッキーを連れてスタジオで「安全講習」をするシーンで、兄はその前後で馬の後ろに立つなとか携帯を切れとか危険なシーンになってからボソボソ言う。さらに、プロデューサーの馬の向きを変えろという指示にもすぐに反応できずに、モタモタと。
で、イザ今から講習始めますって全員がちゃんと話を聞く体制になったら、とたんにキョドった挙げ句に、初めてフィルムに写った黒人の紹介で話が終わって、遅刻してきた妹にバトンタッチしたら、妹も初めてフィルムに写った黒人の名前は伝えられてないとか、自分は歌手でプロデューサーで最後にサンドイッチがほしければ声かけてとか、ホントもう、オマエら何しに来た。撮影でお前のところの馬を使うにあたって安全に撮影を進めるための講習をする場まで用意したのに、肝心の「安全講習」は一切してない上に、馬もまともに制御できてない。
で案の定、女優が馬に蹴られそうになる事故が起こってお払い箱。
兄弟&馬がお払い箱日なってスタジオ出る時に入れ代わりでCG合成用の模型の馬がスタジオ入りしてた。
つまり、現場としては模型(CG)でもイケた、既に用意してあったけど、あえて本物の馬を呼んだ。なぜか?そりゃ本物を使った方がクオリティ上がるのもあるけど、何より親父さんが今まできちんと仕事して信用を培ってきたから。だから、親父さんの代わりに兄がスタジオに来たときも「前の人の(親父さん)方が良い」と監督からチェンジの要望がでた。偉大なる親父さんは黒人だから仕事をもらってたのではなく、きちんとプロとして仕事をして仕事で功績と信用を得ていたからスタジオに馬を派遣する仕事が回って来ていた。
もしもハリウッドでありがちの、黒人には仕事をまわさなければならいから、という理由でこの仕事が回ってきた、なら、スタジオに来た息子にチェンジはかからなかった。黒人なら誰でも良いわけではない、親父さんに仕事を頼んだのに見知らぬ若い黒人が来たから「前の人(親父さんに)代えて」。
そして、「黒人だから」で依頼されてた仕事なら、失敗後もお払い箱にはなってない。何しろ黒人に仕事を回さなきゃならやいのだから。お払い箱になったということは、現場はちゃんとした仕事として依頼してたのに、それに応えられなかったから。黒人だからではなく、馬のスペシャリストとしてちゃんと期待されてたのにそれに応えられなかったから。
そして、本物の馬の代わりにCG用の馬がスタジオ入り。
お前らキャストには黒人を必ず入れろって言いつついい加減な演技してたら、そのうち黒人俳優の代わりにCG 使われることになるぞ、と。
逆に兄妹が本気でUAPの撮影に取り掛かったとたんに電機屋のエンジェル(白人)と縁ができる。なぜかやたらとフレンドリーで親切で、家をゲロまみれにされた姉弟を自分の家に泊めようとまでしてくれる。そして、伝説の撮影監督のホルスト(白人)はちゃんと姉弟の電話を気に留めてくれてて撮影に駆けつける。
真摯に仕事に取り組めば自然に仲間ができる、認めてもらえる、助けてもらえると言いたいのかも、と。
守鍬さんの考え方共感できます。
映画を楽しむにはかなり鋭い視点で物事を捕えないといけないのかな…とか
理解しづらいと打ちのめされたりします😔
目の前の情報だけで楽しみたいです😣
関係ないですが、バイクをakira止めするのあがりました!
「そういうことしちゃダメ」という言い方に引っ掛かりました。作品の観方に間違いも正解もルールもないと思います。
「虐げられた人々」ではなく「見過ごされた人々」でした。
以下ネタバレを含みます。
また、アジア人子役が襲われなかったのは
実は立っている靴を見ていたから目を合わせていなかった説があるみたいです。
逆に目を見て心が通じたからパークでアレと意思疎通ができるようになったと思っていた説もあるみたい。
これだと真逆の解釈になりますね。
また、チ〇パ〇ジーは黒人の暗喩だという説、災害の暗喩、我慢の限界の暗喩、実際の事件説などなど色々あるみたいですね。
ただそれらの説を裏付けるものは作品内には存在しないように思います。
作品内で明示されていないので、これではまるで全員が別の映画を観た感想のように感じます。
僕は監督が黒人だからとか、たとえば女性だから、同性愛者だからというフィルターを通して映画を観ません。
誰が撮ろうが面白ければ面白いという感想を持ちます。
もし本作が「社会問題・人種差別を扱うのに定評のある黒人監督が撮った映画」という情報を知らなければ気付くことが出来ない暗喩に溢れているのであったら、残念です。
そして本作は、そんな情報など必要ない、本編だけを見て楽しめる映画だと僕は思っています。
例のシーンでアジア人だけが救われたのは、アジア人が透明なテーブルクロスカバーを通してチンパンジーを見ていたから救われた。だと考察しました。(スマホの画面から過激な映像を見ている視聴者や、安全が保障されてる映画館で猿の残酷な映像を見ている観客)を意味してるのかな。とか思ったりしてました。
ただこれも一個人の一考察なので、他人のこれはこうだからこのメタファーだ。などの意見に左右されないのが大事なのかなとか思ったり。
奇跡的に立ってた靴を思わず見つめてしまって、目が合わなかったからじゃないの?
まぁ解釈は人それぞれか。
私はあのチンパンジーがアジア人(もしくは黒人)のメタファーだとすれば、男の子がアジア人だったため仲間意識のようなものを感じて襲わなかったのかなと思いました。そうすればグータッチしようとしてた意味も説明がつく気がします。ただテーブルクロスカバーの考察もなかなか面白いと思います!作品は一義的でありよりかは、みる人によって無数に解釈しうる方が奥深さがあると思うので他人の考察に引きずられすぎない方がいいという意見には同感です。
とても納得が行きました。
巷ではたくさんの考察が溢れていますね。
しかしあるレビューで「面白かった。つまらなかった。でしか映画を見ない馬鹿な客」とまで他人を嘲りながら考察を展開するのを見て、ここまで狭量で傲慢になれるものかと嫌悪感を覚えました。
そうなんですよ、作品は作品そのものであって、誰かが(時には作者自身であっても)こうだと決めつけるものではないと思うんですよね。
そうやって見方を狭めることが作品のためにもならない事にもっと目を向けて欲しいと思いました。
チャンネル登録させていただきます。
監督含め、作り手の自作への発言というのはあくまで二次資料であって、一次資料は映画であるべきですね。
言うまでも無い事ですが映画の楽しみ方
は人それぞれで素直に物語を受け取って
楽しむ者と裏を読んで考察を楽しむ者が
居て良い物です。
現代は1度、映画を観終わった後、考察
を経て2度目を観るのがトレンドで、
広報も、それを狙って宣伝しています。
(その方が儲かりますから)
映画を作品として評価する時にも、再考
察された方が長期に渡って人々の記憶に
残り易くなり作品自体の寿命が延びる事
に繋がります。観る側の楽しみ方も人そ
れぞれですが、作る側の監督もそれぞれ
で、『観た人が自由に解釈したらいい』
というスタンスの監督も居れば、
『誰もメッセージに気付いてくれない』
と嘆く監督も居る訳で正に世は千差万別
となる訳です。
好きに解釈したら良い映画でも、この
監督は古典から影響を受けて~と考察
したり、裏にメッセージが秘められた
映画でも、あ~面白かったで観終わっ
ても、人それぞれで良い訳です。
エイリアンみたくホラーSFとしてもガチで
メタファー云々の考察も面白いものは良いですけど、
NOPEは「いやなんだかなあ・・」という感じでした。
考察も、人種がどうとかそんなのなら不要だと思います。
ありがとうございます!
単純にみて楽しい映画でいいと思います😃
監督のメッセージを考察しながらあれこれ考えてみるのが好きな人がいればそれでいいし、メタファーも明確な表示がないと成立しないという意見もあれば、いや、自分で考えてパズルをとくようにみるのが好きだという人がいてもいいと思います。
自分でお金だして観てるんだから好きなように観ればいいのではないかなぁ☺️
途中で主人公が屋根の上にいる豚を見るシーンもあったけどそれも差別表現なのかな…
間違ってたらごめんなさい…
豚は筋肉の関係上、空を見上げる動きができない動物。だからUFOを見ることがなく助かった。って解釈もできますってメタファー。
チンパンジーがアジア人の男の子に親近感を持ってるという表現は確かだと思う。それは何故か?と言うことなんじゃないかなぁ~と。
アレも悪い奇跡じゃないの?
深読みレビューに関しては同じ意見です。モンスターパニック映画として普通に楽しめる訳ですから。
観客に隠されたテーマを考えさせたければ、そこに何かあると注目させるか、さっぱり解らない映画にしなきゃいけない。
この映画で、明らかに不可解なのは1箇所だけ。
チンパンジー事件の回想で、理由がなく風船が破裂する~照明が明滅する~靴が直立している一連の描写。
それには、軌跡とかじゃなく《合理的な理由》があると思います。
よくわかります。
純粋に作品を楽しむ立場というものが、ありますもんね。
この話聞いてて、エヴァの「マリは安野モヨコだ」の件を思い出した。のちに公式に否定されたあれです。
あれか
映画評論の権威で(黒沢清とか立教の映画監督たちの師匠でもある)蓮見重彦先生の表層批評宣言でいうところの、作品内の内容のみで評論するべきってのと似た話ですね
ただ、明らかな作品内提示がなくてもチンパン=黄色人と解釈するのは個人の自由だと思いますよ
蓮見先生の評論は、面白いですけどはっきり言ってぶっ飛んでますし、荒井晴彦からそんな意図で作ってないって突っ込まれるくらいですし、それでも蓮見評論に価値があるってことは評論に正解はないってことです
まあチンパン=黄色人っていう解釈は個人的には呑み込めないところはありますね
あれを特定の人種と解釈すると、チンパン=黄色人種が暴走したっていう意味わからん解釈になりますもん
チンパンジーがアジア人のメタファーは普通にナンセンスすぎる。
パンフレットにそんなこと書いてあるの?
多分そうだろう、、、とも思わないだろ
メタファーってこーですよーて書いてあるものじゃないですよ?
@@cyc7779 映画だけ見てチンパンジーはアジア人のメタファーとは受け取れないから
パンフレットにでも書いてあるのかな、とまで思ってしまった
って意味です
この解釈は個人的には拡大解釈が過ぎる、不快ですって言いたかったです
チンパンジーは=アジア人ではなく被差別者のメタファーなんじゃないかと思ってます
なので黒人もLGBTも入るのかなと
@@df_5565 その解釈は良いと思います、しかしチンパンジー=アジア人のメタファーだと動画冒頭で紹介して、それを肯定したまま動画を進めるのは
ジョーダンピールがあたかもアジア人を馬鹿にしてるかのような印象を作ってしまうので
よっぽどそのように見える場合ではない限りこの動画の作りは良くないと思います。
@@AI-hr6hm 自分も同意見です。ジョーダン・ピール監督にとって風評被害もいいとこだって分かってるんでしょうかね
ミッドサマーにも裏設定など沢山ありましたがこちらの様に公式できちんと解説するか否かが問題ですかね~
黒人監督だからではなく、ジョーダンピール監督だからこそメタに注目して見なければいけないのだと思います。
過去作や、監督の作った他のドキュメンタリーなどから見ても彼の映画製作の上での大きなテーマが必ず有色人種差別です。
それを何故映画製作を通して伝えようとしているかと言うと、彼がもともとエンターテイナー出身で、エンタメ作品の中で、人種差別のブラックジョーク、サーカズム的なメタ表現を用いて伝えるということが彼の大きなテーマというか、そのために映像監督になったからです。
でも、ここまでの経緯や過去作、また黒人差別の歴史を知らないと正直この映画、ただのエンタメ映像作品としては、講評にあるような、なんじゃこりゃ?な作品だと思います。
私は監督の作品が大好きで、歴史にも興味がありましたので、メタに注目して鑑賞しましたが、
すぐわさんの言う通り、映画というのは映画そのもののみを淡々と鑑賞すべきだと思うのです。
ですから正直この映画は初見殺しの自己満映画と言わざるおえないと思います。
そもそも人種差別のブラックジョークやサーカズム的メタは、日本にサーカズムをエンタメとして嗜む文化がありませんから、日本人である我々が理解するのは無理があると思います。
あと私はこの映画、アメリカにおける有色人種の大量逮捕をメタ的テーマにしているのだと思いました。でもRUclipsみてもあまりそのような考察は見つからず、
見る人によって感想の変わる面白い映画ですよね。
偉大な過去の作品によって素晴らしい映像技術が次々と編み出され、出尽くした感ありますよね。こういう、知識があって感想や見方が変わるというのは鑑賞者側を巻き込んだ新しい技法だと思います。
多くの考察系レビューに当てはまりますよね。
表現されてないことを無理矢理こじつけすぎ。国語のテストじゃアウト。
考察遊びをするにはもってこいの映画だと思う。ただし考察に対して絶対の正解があるかどうかは別かな。
守鍬さん、できればこの今回の動画を消さないでほしいです…
予告にアキラのバイクシーンがあったから、
"はは〜ん、これはUFOものに見せかけて超能力系の話だな"
とか
"このアジア人が猿の恐怖で能力に目覚めたのね、はいはいはい、ラストで登場すんのね"
とか
"あっ、やっぱりただの布っぽい質感やんこれ念力で操ってますわ"
とか
色々外した笑
予告見てから行って後悔したw
作品が作られた時代背景や当時の世相というものもは制作側と観客側での共通認識になり得ると思います(だから作中での言及不要)、観客側は正解を求めて右往左往して証拠らしきものを見つけようとしますが、製作側は基本的にそんなことは知ったことではないし極端な話、作った本人にしか理解できないものもあるでしょうし。そういったネタのまき散らし方と質と量の塩梅がほどよいのがいい作品なのかもしれませんね。楽しみ方もひとそれぞれでいいと思います。
私も純粋に見てたのしむという考えに賛成です。
しかし、、
チンパンジー(猿)=アジア人(日本人)のメタファーはある意味映画としては、共通認識な感じも。。
このポリコレの時代そんな差別的な共通認識は無いですよ
@@df_5565 一定以上の年代の人なら、nisshi48さんは「アジア人=猿です」というメタファーではなく、「アジア人を猿呼ばわりして堂々と差別していた時代があった」というメタファーだと言っていると思うのが当たり前だ。
逆に言えば、このように受け取るお人もおられるわけだから、もうそれは日本人全世代の共通認識ではないとも言えるわけだが。
表現には、その時代に生きた人間には共通認識となっているものが含まれてしまう。
だから、映画グレムリンが1950~1960代の映画であれば、守鍬さんの言うように、映画の中で述べられていなかったとしても、グレムリンは原爆を作った科学者のメタファーである可能性が出てくるが、実際には世界中に核兵器が大量にある1980年代の映画なのでその可能性はほぼなく、むしろその時代の中にメタファーとなるものを求めるなら、日本人の方がまだあり得る線だろう。つまり、この例えは少し筋がよくないが、実際にその時代に生きていなかった人達にとってそれは資料を読んで想像するしかないことなのだから無理もない。
守鍬さんの言う「作品外の情報がないと楽しめないのは映画としては不完全」という話には賛成する。しかし「裏が取れている作品外の情報を作品解説に使うことがよくない」という話はまた別である。前者は映画単品の完成度の話であり、後者は映画解説をする時の基準についての話である。この説明も視聴者にミスリードをさせるものであり、ちょっと筋がよくない。
ご自分で、この動画は消すかもと言っておられるのは、そういう無理筋な部分に薄々に気づいているからではないか。
つまり、この動画自体が守鍬さんによる「人間は矛盾や不完全さを持った生き物なんだよ」というメタファーなのだ。
単純に面白い映画、というご意見には大いに同感です。
ただクオリティが高いが故に、各場面にもっと意味が隠されているのではないか、と思ってしまうし、実際に隠されているのだろうと思います。
私が気になったのは、目が合うと食われる怪物を始め、序盤は人と目を合わせようとしないOJ、目が合うと暴れだす馬、チンパンジーと目が合ったことで襲われなかった子役と、視線・目を合わせるという行為に意味がある、ということでしょうか。
じゃあそれが何を意味するかは、浅学非才の身故に推察もできないのですがw
メタファーが、定義されてしまっている映画って、はたして面白いのでしょうか?
自然な思考の順序として、
この作品世界では『チンパンジーが、アジア人の子役だけ殺さなかった』という事実があって、
『それはなぜだろう?』と考えるのが、楽しいのではないでしょうか?
そのうえで考えられる理由の一つとして、
[チンパンジー=アジア人のメタファー]という説もあるだろうし、それ以外の説もたくさんあるのだと思います。
おっしゃるような、先に作品からメタファーの説明を受けてしまったら、映画をみてあれこれ考える楽しみが半減します。
ちなみに、個人的には、他の方がおっしゃるように、
チンパンジー=アジア人ではなく、もっと広い意味での搾取対象という説に賛成です。
序盤はゆっくりした進み方なので正直ちょっと退屈に感じてしまいましたが、中盤あたりで冒頭のあのシーンについて触れられたりとか飛行物体が正体を現すワクワクする展開になってきて段々楽しめたのでなかなかよかったです。
後で考察や解説をたくさん読んで納得できましたが、私は単純にSFスリラーだと思って見てました。
守鍬さん今回は右往左往しすぎかもよ!
もっと普通にアタシのウィンコットの久々の出演を喜んでチョ❤️
作品内で語られいないものもメタファーとして扱うことが
そもそもの間違いであってー
アスもそうだったのですがジョーダン・ピール作品は、後半でネタが分かる前までの方が面白い。ネタがもっと想像を絶するものか、最後まで分からないようになってたらいいのにと勝手に思います。黒澤清「CURE」は最後まで得体が知れないしジャンル分けできない未規定なものが出てしまっている(たぶん監督自身もどうやって作ったか分からない)。それはエンタメにせよメッセージ性が高い映画にせよ明示してしまったら面白くないし、明示できない何かです。ショットのつなぎかた1つとっても読めてしまうよりは倒置法のように読めない方が面白い(もちろんエンタメで予定調和の安心というのもありますし、読めない手法もクリシェになってしまうのですが)。なのでこの作品は最後まで見るとただただ楽しめればいい作品と思いますが(僕はそれだとちょっと物足りない)、前半の謎めいた、ひっかかる部分を掘ってみたいという気持ちも良く分かります。なお、メタファーが何とでも言えてしまう問題というのは確かにありますが、隠喩である以上は明示ではない(直喩や比喩ではない)ので仕方ないというか、究極には「世界はメタファーで出来ている」「外部世界の客観的な現実は無い」という問題になってしまうと思います。町山智浩氏もたまに深読み・誤読があるように思うけど、カサブランカが後になって再評価されたような誤読も映画受容の内、とも思います。蛇足ですが蓮実重彦的な純粋に映画自体を見る、ことの弊害も実はあるような気がしています。(昔大学で蓮見グループ人脈の教授に教わって影響受けましたが)間テクスト性のようなものが映画史や映画をとりまく社会・世の中の言説全体と関係があるからです。
あそこまで意味深で延々と宇宙船と関係無い話を見せられれば何かあるんだろうなと考えちゃいますね。
僕は無駄に考えるの嫌いなのでそのままを受け取ります。
黄色人種がイエローモンキーと差別的に呼ばれた過去があった、ということが今回のメタファーに繋がってるんじゃないですかね
守鍬さん疲れているんじゃない?
良い映画を見て、美味しい物を食べて、熟睡すれば大抵は解決するでしょ。
テレビも見ない、ヤフーニュースも見ない、好きなモノだけを見る。それでも生活は出来る。
映画の見すぎだから2週間くらい映画見ないでうまいもの食べて脳みそと目を休めてほしいですな
まぁ他の人の意見も含めてるので全てがこの人の意見ではないですが
「いらない情報」かもしれないけど、監督は黒人と白人のハーフ。見た目は黒人だけど離婚で白人の母親に育てられたから中身は白人なんですよね。どっちのコミュニティにも馴染めない人生だったと。だんだん自由に作れるようになって、どっちにも中途半端になってるのかなと思いました
自分は純粋に楽しかったのに裏の裏を見るような解説が乱立してなんか変な気持ちになることは確かにたまにありますね。
もっと皆純粋な気持ちで楽しんで!って思う。
ただ今作はジョーダンピール監督でメタファー、社会批判を含む、メッセージ性がある作品作りをしてきた方なのでそういう見方になるのはしょうがないねとも思います。実際どういうメッセージが込められてるのか期待して見に行きましたし。
チンパンジー=黒人だと思ってました。
詩と一緒で映画もメタファーを想起することは避けられないと思っています。妄想や個人の経験が入りますし、正解不正解も判定できないですし、無限に結びつけられます。メタファーの好き嫌いも含め、全部いち視聴者の自由だと思います。ただ「全くそう思えない解釈が潮流に乗ってしまうとなんか嫌だ」という話なのかなと思いました。ちなみに個人的にはチンパンジーはアジア人というより、もっと広義の意味での搾取対象だと思いました。
なるほど!メタファーと言い出したらキリがないというのはわかります。それに関しては答えはないと思います。なぜかというと、それがメタファーかどうか、そして何を暗示したメタファーかどうかは結局ジョーダンピールさんにしかわからないからで
す。
ただ、さまざまなメタファー考察を発信しているのはおかしい事ではないと思います。それはこのNOPEという作品がジョーダンピールさんの3作目という事が大事です!というのはGetoutとUsからの流れを考えると、今回も絶対的に社会問題や人種問題、歴史的問題などを扱い、問題提起をしてくるというのは容易に予測できるし、そこに今まで同様数々のメタファーを散りばめてくると予測できるからです。だから、みんなメタファー考察するのだと思います。正確に言えば、考察したくなる、終演後の考察、メタファー探しも込みでジョーダンピール作品と認識しているのではないかと思います。少なくとも私はそうです(^^)
だから、メタファー考察してもいいし、間違った考察でもよし、シンプルホラースリラー映画としてたのしむのもよし!ただ、真実はジョーダンピールの中である。。で良いのではないでしょうか?(^^)
なんて言うか、小難しい事考えないと映画見れないって不幸だなって思いました。
捉え方は人それぞれですけど、素直に楽しめばいいのに。
問題のゴーディのシーンですが、皆さん、RUclipsに上がってるオープニング映像ってご覧になってますでしょうか?
あのfist bumpって、ETにおける指を合わせるシーンと同等なんですよね。スピルバーグへの憧れはあれど、人種差別を揶揄するつもりは無いはずです。
ちなみに、個人的には机の下に隠れた事が功を奏して、直に目を合わせなかったことで難を逃れたジュープがゴーディの射殺を目の当たりにしながら、垂直に立った靴(すなわち、最悪な奇跡)に魅入ってしまい、それを再現したいってのが今回の映画の原点にあると思っています。
チンパンジーがアジア人の子供と仲良くするシーンがチンパンジーイコールアジア人のサジェストなのでは?、すぐわかるおさんはそのシーンはサジェストではないというならその理由はなんでしょう、それこそ何となくサジェストでは無いと言っているような
単純に大暴れして静かになったから落ち着いたのと、じっと目を見て逃げなかった事で襲われなかったんだろうなって観てた時は思いました。
安易な気がしますね
チンパンジーがアジア人のメタファーだからアジア人は襲わないって何ですか?
@@df_5565 実際はそうだと思います、すぐわかるおさんは動画で根拠なく結びつけるなとしつこいくらい言っていたのに、自分は根拠を言わないのかと思ったところです
チンパンジー=アジア人??? だとしたら不愉快なので
その説はリジェクトします。
ラストシーンの盛り上がりで「良し」とします。
ただ、この監督ゲットアウトでの日系人への偏見のある描き方を見るとやりかねない気もします…
@@df_5565 さま
だとしたら不愉快なので、リジェクトします。