Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
勝海舟や大久保利通もヒゲ無しとヒゲありの写真が残されているが、ここにも幕府が大政奉還をした影響が出ていると言えよう。
髭が似合うことと、髭が認められることが同一ではないのが悲しいところ。
そういえば海外では、比較的髭蓄えてます。
現役で働いていた若い頃は身だしなみを整える意味で きちんと剃っていましたが、退職した現在あの夏の猛暑の時、グダグダしていたら凄いことになっていました。
猛暑で髭なんか生やしてたらますます暑い
石坂浩二さんも、後半は妥協して、病気療養中に伸びた顎髭を残したという設定にしました。なお、石坂黄門のリアリズムの一連としては、助さんと格さんの序列があります。それまでのシリーズでは、格さんが先輩のイメージでしたが、ここでは史実(助さんが10代程年上)に沿っていました。
大河ドラマ「春日局」では、中条きよし扮する土井利勝は、家光が元服する頃、髷が丁髷に変わると共にヒゲを生やしていた…
水戸黄門は隠居の身であるからヒゲはあったかもしれない。那珂川の川下りをしたり(今の栃木県馬頭は水戸藩領だったのでそこから下ったか)、チンピラっぽい風車の弥七と交流があったりで(実在の人物)、光圀を尊敬した斉昭にヒゲがあったのは今回の動画で初めて気づきました。
40過ぎてから顎の髭に丸いハゲが出来る。そのハゲが日に日にい異動する。そして頭髪も薄くなってきた😥
殿中で髭がなくなったのは土井利勝のせいじゃないの?
脳内BGM「ヒゲダンス」で視聴
福沢諭吉は多くの写真を残しているが、権威を嫌った人らしく明治以降も髭を生やしていない。
自然に生えてきてしまうものを国が規制するというのがなんとも、こういう風土の様なものが今の学生丸刈り強制まで引継がれてるんでしょうね まあ実際は各地の藩ごとに基準全然違ったんでしょうけど
戦の時代は髭面が流行り、平和な時代は流行らないようだ。平安時代の公家もあまり髭のないイメージがある
佐久間象山は幕末とは言え、わりと長い髭を生やしていました。「自分は凡俗とは違う」という象山の自信ぶりがそのまま面に表れていますね
その勇気がすごいですね
いわれてみればおっしゃるとおり。
あの、自信というより傲岸尊大は尋常でない一種の天才です。象山を暗殺した河上彦斎が、今まで何人斬ってきてもなんとも思わなかったが象山に一喝されたときはゾッとした俺はもう人斬りはやめる、と言ったらしい
調子に乗ってると丸ごと規制されるのは今も昔も変わらんなー
秀吉の浮気の件に関する手紙だから、信長もあえてきつい文言にするため、そういう表現にしたのではないでしょうか。天下布武の印まで押してますし。それでも、秀吉の女癖の悪さは治らなかったようですが。
歴史は髭ありと髭なしを繰り返すんですかね?
水野忠邦の肖像画には顎髭があるようですが、剃り跡にも見えます。青髭になりやすい体質だったのかもしれませんね。
確かにヒゲについて深く考えたことはなかったなあ。そういえば相撲の力士はなんでヒゲはダメなんだろう
摩擦による擦傷の防止でしょうな。かなりヒゲはチクチクしますし。ムエタイやキックボクシングなんかでは擦傷防止の為にスネ毛を脱毛した上にローションのようなオイルを塗ったりします。
幕末のように治安が悪化すると法令に関係なく刀も長くなります。
数学か何かの世界大会に出ていたインド人の高校生がノストラダムスみたいな髭で驚いた。日本であんな高校生は見たこともない。
人体のヒゲの存在理由。元々は、顔を衝撃から護る為のもの。他には、低温化での保温。暑い時期の紫外線の遮断などの意味もあるそうです。
そして現代日本はまた江戸時代化したのかヒゲに対して否定的な向きがあるように思います。私の仕事先は堅い所じゃない割に、多少江戸の伝統と関連もあるようで伸ばすなとたしなめられる事もあります。風俗の移り変わりと言えば更に大昔ですが、弥生時代の日本人は一般に入れ墨をしてアクセサリーを多様していたとか?何がきっかけでいつ頃からなくなったんでしょう?
弥生時代の入れ墨は縄文時代からそのまま受け継がれた文化でしょうね。で、何で廃れたかと言えば当時の中国では入れ墨と言えば罪人の証で、前漢建国の功臣・英布が若い頃に罪を犯し入れ墨の刑を受けたので、入れ墨を意味する黥と英をかけて黥布と呼ばれていました。以降、親に頂いた身体に傷をつけるのは不孝という儒教の思想もあって入れ墨などは忌避されるようになります(反社会的な人間は天邪鬼なので入れ墨をします)。江戸時代でも罪人に入れ墨をしていましたね。
明治時代の髭ブームは江戸時代の反動というよりも、髷を落とす代償としての意味が大きかったように思います当時の西洋人は普通に髭をたくわえていましたからね
代償でもあったかもしれませんが、西欧から奇異に見られる事をなるべく避け彼らを真似るべし、という雰囲気もあったのでは?銭湯での混浴の禁止やお歯黒が廃れたのも同じかと
それが昭和になるとチョビ髭になって、さらに昭和40年頃までにチョビ髭すらすっかり消えた。
で、明治に入るとまたヒゲが流行る。昭和になるとヒゲが廃れる。
ヨーロッパなども、17C=髭面、18C=髭無し、19C=髭面というイメージがある。流行り廃りがあるのだろうか。
ブラック校則も治安維持に効果があったんですかね 傾奇者がロクデナシという印象はありますがきちんとしないと就職できないのは今も変わりませんね
確かに江戸時代は安定平和の時代だったから効果あったのかな?でも喧嘩と火事は江戸の華っていわれてたから荒くれ者が減ったわけでもなさそう……そもそも髭を剃ったからって人格が変わるわけじゃないし、荒くれ者は髭を剃っても荒くれ者な気が……………
荒くれ者は髭が禁止されたら今度は刺青でイキがるようになったし、結局やっぱり荒くれ者は荒くれ者やね
風紀の乱れを理由に身だしなみの法令……どこの学校だよ。今も昔も人はあまり変わらんのね。
江戸時代の肖像画にだけ、髭がないなんて考えた事もなかったです。大髭禁止令も初耳でした。大髭禁止令の罰金の金額が気になります。誰もが髭を生やさないので、相当な額ですかね??
具体的な金額までは分かりませんが、かなり高額だったでしょうね。
髭生える人羨ましい。。ところでワックスもジェルもドライヤーもない時代に長岡外史の髭はどうやったのだろう…?😃
たしか洗濯のりか砂糖水とかじゃなかったかなぁ。輸入物のワックスとかポマード系のものはあったかもしれませんが。80年代ごろの駆け出しミュージシャンで金のない人は、砂糖水でツンツン髪を固めていたそうです
卵のしろみ
殿様が髭を剃っている、となれば下の者も従わざるを得ないでしょうね。俗世から離れて出家すれば見逃してくれたのでしょうね。坊主といえば髭ですし、管轄も寺社奉行になりますし。
室町や戦国時代の乱世を形から否定して行ったみたいなものですな。江戸時代は犯罪率が前時代よりグッと下がったから、まあ一定の効果はあったのかな?と。
江戸時代は髭が禁止になったので大工や火消しは粋を見せる為に彫り物を入れて居て小泉純一郎の祖父の実家は横須賀海軍工廠で働く人材斡旋の口入れ屋をしており口入れ屋はヤクザ同然だったので小泉純一郎の祖父は家業で舐められない為に彫り物を入れており後に政治家になって大臣になって入れ墨大臣と言われた。明治時代に髭を生やすのが流行り太平洋戦争後は髭が否定されたので政治家や高級官僚は髭を生やさないが、平成後半にイチローがメジャーリーグに行き無精髭を生やした事で若い人はアゴ髭や無精髭を生やす様になった。
ちなみに籠かきとか前掛け褌姿で働いてた人たちは、下着姿でみっともないから遠目で服を着てるように見えるように全身に刺青を入れるようになったそうです。
いつも楽しい配信をありがとうございます(*^^*)今回もへぇ~と言いながら聞いてました。いつか武士の装束のかみしもと長袴の由来を教えてもらえたらうれしいです(^-^)/
ああ、小泉又次郎衆議院議員兼逓信大臣ね。
黄門さまもひげはやしてるしな。
黄門様は隠居の身やから髭禁止の対象外。現役時代には黄門様も髭は生やしてなかったはず。
信玄の肖像画は家紋等から一時期信玄でないという説が出回りましたが、今はやはり信玄との事で決着したようですただし信玄に会った事のない朝倉氏が信玄を見たことのない絵師に描かせた信玄へのプレゼントらしいので本人には似てないでしょうが
家紋が違うから別人説までは聞いていましたがその後があったんですね
別人説で決着がついたかと見えたがその風潮に新たな異議が出た程度で(信玄の肖像画であるとは)決着はしてない。
長岡さん、翔べますよ😂
勝海舟や大久保利通もヒゲ無しとヒゲありの写真が残されているが、ここにも幕府が大政奉還をした影響が出ていると言えよう。
髭が似合うことと、髭が認められることが同一ではないのが悲しいところ。
そういえば海外では、比較的髭蓄えてます。
現役で働いていた若い頃は身だしなみを整える意味で きちんと剃っていましたが、退職した現在あの夏の猛暑の時、グダグダしていたら凄いことになっていました。
猛暑で髭なんか生やしてたらますます暑い
石坂浩二さんも、後半は妥協して、病気療養中に伸びた顎髭を残したという設定にしました。
なお、石坂黄門のリアリズムの一連としては、助さんと格さんの序列があります。それまでのシリーズでは、格さんが先輩のイメージでしたが、ここでは史実(助さんが10代程年上)に沿っていました。
大河ドラマ「春日局」では、中条きよし扮する土井利勝は、家光が元服する頃、髷が丁髷に変わると共にヒゲを生やしていた…
水戸黄門は隠居の身であるからヒゲはあったかもしれない。那珂川の川下りをしたり(今の栃木県馬頭は水戸藩領だったのでそこから下ったか)、チンピラっぽい風車の弥七と交流があったりで(実在の人物)、光圀を尊敬した斉昭にヒゲがあったのは今回の動画で初めて気づきました。
40過ぎてから顎の髭に丸いハゲが出来る。そのハゲが日に日にい異動する。そして頭髪も薄くなってきた😥
殿中で髭がなくなったのは土井利勝のせいじゃないの?
脳内BGM「ヒゲダンス」で視聴
福沢諭吉は多くの写真を残しているが、権威を嫌った人らしく明治以降も髭を生やしていない。
自然に生えてきてしまうものを国が規制するというのがなんとも、こういう風土の様なものが今の学生丸刈り強制まで引継がれてるんでしょうね
まあ実際は各地の藩ごとに基準全然違ったんでしょうけど
戦の時代は髭面が流行り、平和な時代は流行らないようだ。平安時代の公家もあまり髭のないイメージがある
佐久間象山は幕末とは言え、わりと長い髭を生やしていました。「自分は凡俗とは違う」という象山の自信ぶりがそのまま面に表れていますね
その勇気がすごいですね
いわれてみればおっしゃるとおり。
あの、自信というより傲岸尊大は尋常でない
一種の天才です。
象山を暗殺した河上彦斎が、
今まで何人斬ってきてもなんとも思わなかったが象山に一喝されたときはゾッとした
俺はもう人斬りはやめる、と言ったらしい
調子に乗ってると丸ごと規制されるのは今も昔も変わらんなー
秀吉の浮気の件に関する手紙だから、信長もあえてきつい文言にするため、そういう表現にしたのではないでしょうか。天下布武の印まで押してますし。
それでも、秀吉の女癖の悪さは治らなかったようですが。
歴史は髭ありと髭なしを繰り返すんですかね?
水野忠邦の肖像画には顎髭があるようですが、剃り跡にも見えます。青髭になりやすい体質だったのかもしれませんね。
確かにヒゲについて深く考えたことはなかったなあ。
そういえば相撲の力士はなんでヒゲはダメなんだろう
摩擦による擦傷の防止でしょうな。
かなりヒゲはチクチクしますし。
ムエタイやキックボクシングなんかでは擦傷防止の為にスネ毛を脱毛した上にローションのようなオイルを塗ったりします。
幕末のように治安が悪化すると法令に関係なく刀も長くなります。
数学か何かの世界大会に出ていたインド人の高校生がノストラダムスみたいな髭で驚いた。
日本であんな高校生は見たこともない。
人体のヒゲの存在理由。元々は、顔を衝撃から護る為のもの。他には、低温化での保温。暑い時期の紫外線の遮断などの意味もあるそうです。
そして現代日本はまた江戸時代化したのかヒゲに対して否定的な向きがあるように思います。
私の仕事先は堅い所じゃない割に、
多少江戸の伝統と関連もあるようで
伸ばすなとたしなめられる事もあります。
風俗の移り変わりと言えば更に大昔ですが、
弥生時代の日本人は一般に入れ墨をしてアクセサリーを多様していたとか?
何がきっかけでいつ頃からなくなったんでしょう?
弥生時代の入れ墨は縄文時代からそのまま受け継がれた文化でしょうね。
で、何で廃れたかと言えば当時の中国では入れ墨と言えば罪人の証で、前漢建国の功臣・英布が若い頃に罪を犯し入れ墨の刑を受けたので、入れ墨を意味する黥と英をかけて黥布と呼ばれていました。
以降、親に頂いた身体に傷をつけるのは不孝という儒教の思想もあって入れ墨などは忌避されるようになります(反社会的な人間は天邪鬼なので入れ墨をします)。
江戸時代でも罪人に入れ墨をしていましたね。
明治時代の髭ブームは江戸時代の反動というよりも、髷を落とす代償としての意味が大きかったように思います
当時の西洋人は普通に髭をたくわえていましたからね
代償でもあったかもしれませんが、
西欧から奇異に見られる事をなるべく避け彼らを真似るべし、
という雰囲気もあったのでは?
銭湯での混浴の禁止やお歯黒が廃れたのも同じかと
それが昭和になるとチョビ髭になって、さらに昭和40年頃までにチョビ髭すらすっかり消えた。
で、明治に入るとまたヒゲが流行る。昭和になるとヒゲが廃れる。
ヨーロッパなども、17C=髭面、18C=髭無し、19C=髭面というイメージがある。流行り廃りがあるのだろうか。
ブラック校則も治安維持に効果があったんですかね 傾奇者がロクデナシという印象はありますが
きちんとしないと就職できないのは今も変わりませんね
確かに江戸時代は安定平和の時代だったから効果あったのかな?でも喧嘩と火事は江戸の華っていわれてたから荒くれ者が減ったわけでもなさそう……そもそも髭を剃ったからって人格が変わるわけじゃないし、荒くれ者は髭を剃っても荒くれ者な気が……………
荒くれ者は髭が禁止されたら今度は刺青でイキがるようになったし、
結局やっぱり荒くれ者は荒くれ者やね
風紀の乱れを理由に身だしなみの法令……どこの学校だよ。今も昔も人はあまり変わらんのね。
江戸時代の肖像画にだけ、髭がないなんて考えた事もなかったです。大髭禁止令も初耳でした。
大髭禁止令の罰金の金額が気になります。誰もが髭を生やさないので、相当な額ですかね??
具体的な金額までは分かりませんが、かなり高額だったでしょうね。
髭生える人羨ましい。。
ところでワックスもジェルもドライヤーもない時代に長岡外史の髭はどうやったのだろう…?😃
たしか洗濯のりか砂糖水とかじゃなかったかなぁ。輸入物のワックスとかポマード系のものはあったかもしれませんが。
80年代ごろの駆け出しミュージシャンで金のない人は、砂糖水でツンツン髪を固めていたそうです
卵のしろみ
殿様が髭を剃っている、となれば下の者も従わざるを得ないでしょうね。俗世から離れて出家すれば見逃してくれたのでしょうね。坊主といえば髭ですし、管轄も寺社奉行になりますし。
室町や戦国時代の乱世を形から否定して行ったみたいなものですな。
江戸時代は犯罪率が前時代よりグッと下がったから、まあ一定の効果はあったのかな?と。
江戸時代は髭が禁止になったので大工や火消しは粋を見せる為に彫り物を入れて居て小泉純一郎の祖父の実家は横須賀海軍工廠で働く人材斡旋の口入れ屋をしており口入れ屋はヤクザ同然だったので小泉純一郎の祖父は家業で舐められない為に彫り物を入れており後に政治家になって大臣になって入れ墨大臣と言われた。明治時代に髭を生やすのが流行り太平洋戦争後は髭が否定されたので政治家や高級官僚は髭を生やさないが、平成後半にイチローがメジャーリーグに行き無精髭を生やした事で若い人はアゴ髭や無精髭を生やす様になった。
ちなみに籠かきとか前掛け褌姿で働いてた人たちは、下着姿でみっともないから遠目で服を着てるように見えるように全身に刺青を入れるようになったそうです。
いつも楽しい配信をありがとうございます(*^^*)今回もへぇ~と言いながら聞いてました。
いつか武士の装束のかみしもと長袴の由来を教えてもらえたらうれしいです(^-^)/
ああ、小泉又次郎衆議院議員兼逓信大臣ね。
黄門さまもひげはやしてるしな。
黄門様は隠居の身やから髭禁止の対象外。
現役時代には黄門様も髭は生やしてなかったはず。
信玄の肖像画は家紋等から一時期信玄でないという説が出回りましたが、今はやはり信玄との事で決着したようです
ただし信玄に会った事のない朝倉氏が信玄を見たことのない絵師に描かせた信玄へのプレゼントらしいので本人には似てないでしょうが
家紋が違うから別人説までは聞いていましたがその後があったんですね
別人説で決着がついたかと見えたがその風潮に新たな異議が出た程度で(信玄の肖像画であるとは)決着はしてない。
長岡さん、翔べますよ😂