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本当に面白い動画ですねサイコウ🎉😊
わかりやすく、聴きやすく、興味のツボにぴったりはまりました。ありとうございます。登録しました。
ありがとうございます^^
とても勉強になりました!
水戸黄門は最初は「先の中納言」ドラマでは言っていたそうです。でもそれがわかりづらく視聴者に刺さらなかったようで、それで「先の副将軍」と変えたそうです。
助さん役が「杉良太郎さん」でOPに歌が無くカラオケだけだった頃ですね。再放送で見て、驚きました。
石坂浩二版の水戸黄門も「先の中納言」って言っていた気がします。彼が時代考証に結構こだわっていたらしいからだと聞いたことがあります。
中納言を名乗っているときは相手が公家の時だった記憶
最初期は印籠ではなく葵の紋を描いた奉書を見せてたような記憶があるんですよね。
いつもながら面白いなー❢
面白かったです😊チャンネル登録させていただきます🍴
足高制度で、3000石未満の旗本を町奉行に登用。小学生の頃に読んだ、学習雑誌の付録(書いたのは、歴史マニアの漫画家)。その豆本に、そうした記述がありました。それが吉宗時代の政策というのは、この動画で初めて知りました。
本当に面白い動画ですねサイコウ🎉
遠山の金さんこと遠山景元は初御目見の時、父の景晋は勘定奉行でした。それから、西丸小納戸役、西丸小納戸頭取、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行(公事方)を歴任し北町奉行に。その後、水野といろいろあって大目付に左遷。で水野失脚の後、南町奉行に返り咲き。将軍家慶の信頼厚く有能な幕僚だった。
町奉行から公儀の大目付は左遷ではあるまい
@@M_M-k8i その通りで職位としては栄転。ただ当時すでに形骸化した閑職だったので窓際への左遷と見る向きがある。
史実・現実と、ドラマの表現がかなり差がある昭和時代のドラマは、よくよく追及していくと、🤔ウームってなることが多い(ってかほとんど)ですが、ソレはソレとして、面白かったですよね。まぁ中には「時代劇の皮を被った現代への皮肉ドラマ」もあったりして(必殺シリーズ)、そういうのが許されてたというのも面白さのひとつかな。必殺シリーズではもはや製作陣が遊んでいたシーンも多々ありますし(外ロケで新幹線をわざと写り込ませたり電線見えてたりアスファルトどころか車が道を横切ったりともうメチャクチャな回有りwww)刑事ドラマも現実はニックネーム呼ばわりしないし個人専用銃(マグナムとか)あり得ないしあんなにブッ放しまくらない…😂現実にはあり得ないからこその外連味ってのが良かった😊
中村主水がタカる場面、初期では多かったような記憶があります。
商家でお茶を出されたら湯呑みにお茶でなはくお金が入っていたシーンがありましたね…
悪どい事をしていそうな、豪商。そういう奴と出会うと、相手に背中を向けた状態で、指で丸(金の意味)を作る。無言で口止め料を催促する姿が、ユーモラスでした。
@@いさむ-c8t 悪徳商人からカネを出されたところをブッスリとやって「変な勘違いするんじゃねーや、俺は茶が欲しかったんだ」という捨て台詞を吐く回もありましたねーw
吉宗「世の顔を見忘れたか!」大半の悪人「見たことないわ!」これが現実
旗本あたりは生涯に1,2度遠目で挨拶する程度。
「世の顔」ではなく「余の顔」な。
国持大名ですら 謁見する大きな広間の端のほうから 数秒頭を上げ見ることができる程度小大名なら廊下から 上様の顔なんて覚えるいるとは思えない
大岡さん綱吉時代から臨時の復興奉行に任命されてるのでかなり優秀な官僚だったのでしょうねえ
大岡が伊勢神宮の警備が任務だった伊勢山田奉行時代、まだ紀州藩主になる前で四男坊の冷や飯食いだった吉宗が徒党を組み無頼を働いた際にとっ捕まえた、と聞いたことがある。身分は当然知ってるわけで、それでも捕まえることに何の躊躇も見せなかったというから、相手がだれであれ罪は罪としてきっちり裁く公明正大という言葉の象徴みたいな人物。
旗本が本気でやりたくない役職No1=お代官様 だった模様。赴任したら最後、10万石位を40人ぽっきりで切り盛りしないとならないうえ、なんだかんだと言っていっつも幕府から査定されていたらしい。
時代劇のように私腹を肥やす暇なんてなかったそうで😅
交代制なので、交代した後に地元住人から前任者の評価を聞き取りしてたそうです。私腹を肥やしてたなんて地元住人にバレてたらそりゃもう大変。
@@hanamogera13 飛騨の一揆は?
@@kyoko7343商人も賄賂を贈る旨みは無いので時代劇のような袖の下はまず無い。商人が代官に渡しているのは預かったお金を運用したもの
500石は単純計算で年収5000万か経費と税金で色々違うかもだけど
ドラマの中の平次も金銭的に余裕はなかったようで、奥さんのお静がお金を工面するために着物を質に入れるシーンもありました。同心のポケットマネーからもらった(多分多くはない)給金で下っ引きの八五郎も雇わなければならなかったわけですから、当然生活は厳しくなるでしょうね。
岡っ引きは正規の職員では御座いませんから。因みに岡っ引きのルーツは平安時代の検非違使の放免です。
@@ませあきたつ 塩見鮮一郎氏の著者を思い出しました。穢多「長吏」などの研究です。
そんな中、コレでもかと銭を投げつける平次さん…捕物終わったら這いずり回って回収していたのかと思うとなんか笑える(微笑ましい)w
動画を楽しく拝見しました。鬼勘解由こと中山直守もかなり出世しましたね。 ただ時代劇には向いてないけど
大岡越前は旗本で最終的に一万石の大名に成り連続時代劇では1番の出世(水戸黄門と暴れん坊将軍は大名や将軍で除外)で時々時代劇スペシャルで単発の主人公では柳生は一万石の大名に成って居る。
架空ありなら、・白獅子仮面・影の軍団・暴れ八州御用旅・変身忍者 嵐・長七郎江戸日記・魔界転生(柳生あたりを)この辺の考察もお願いします!
大江戸捜査網も是非😄日産自動車のお偉いさんが、「俺も家で時代劇を見たい」と言うわがままで作った時代劇だけどね。
ヘェ~そうなんですか。皆さんマニアックで、楽しいコメント有り難いです。番組は勿論、コメントも為になって楽しいいです。😊
代官は数年おきに交代していたそうですね。江戸と任地を行ったり来たり。
渡辺謙が主演の時代劇、御家人斬九郎は身分は御家人だが先祖が徳川家だから血筋では高貴な位置
斬九郎の祖の大給松平家は徳川史観では家康の4代前の分流となってるけど、実際には別の一族が婚姻関係を結ぶことで松平家に組み込まれたらしい。
いいね。代官は忙しすぎて過労死する人もいたとか。
遠山景元が晩年を過ごした住所はかつて、長谷川平蔵(宣以)が住んでいた場所だった。
水戸黄門の徳川光圀の御三家や徳川一門の親藩で幕末期を除いては政治に関わる事は出来なかったが、例外として徳川家光の異母弟の保科正之は徳川家光が亡くなる前に幼い家綱の後見人として家光から大老を任命された。
暴れん坊将軍の初期に出てくる爺こと「加納五郎左衛門(加納久通がモデルとか)」(御側御用取次)は 紀州藩藩士から1000石の旗本になって加増を重ねて1万石の大名になりました
動画に出てくる人物たちの身分は‥徳川吉宗>徳川光圀>>>大岡忠相>遠山景元>長谷川平蔵>>>中村主水>>>銭形平次黄門様は直接将軍と対面でき、大岡忠助~長谷川平蔵は将軍にお目見えが叶うけど、中村主水は町奉行所の同心で、武士と言っても足軽(犯罪者を取り締まる不浄役人だから)だし、銭形平次の岡っ引きは、素行不良の者が多く町人達から蛇蝎の如く嫌われる存在だった‥
200石以上の旗本は、御目見特でしたから大身と呼ばれていたそうです。足石という制度と役料という制度もありました。
12:34~「悪代官」が滅多にいなかったすなわち「皆無」ではないと。ということはみんな大好きな「悪代官」「悪徳商人」「用心棒の先生」の極悪トリオは実在した可能性もありますね。
いましたよw大原騒動(1771~88)で有名な飛騨天領代官の大原紹正・正純親子がそれで父の紹正は自身の出世のために領民の窮乏をよそに酷政を敷いただけと言えますが、当然ながら一揆が頻発してます。(実際に出世してます)子の正純はまさに悪代官そのもので、年貢納付時の預かり金を返済せずに着服したり村々から金を借りては踏み倒し、ついには天明飢饉の際の年貢免除分を取り立てて着服するなどやりたい放題。判ってるだけで8000両を懐に納めています。当然ながら領民も黙っておらず江戸へ訴えた結果、正純は八丈島へ流罪となり配下の者も死罪2人、流罪1人、追放8人になっていますね。
町方同心は30表2人扶持と屋敷が与えられ世襲した。副業で屋敷の一部を貸部屋とし更に内職(傘紙貼り等)を行い、見廻り担当地区の商家から袖の下を貰って暮らしていた模様。
いや、もっと大胆にやってた。町方同心の拝領屋敷は敷地が100坪程度で屋敷は武家地だが敷地は町人地という変則的な扱いだったので、敷地に町人長屋を建てて町名主に管理させて賃料を取るという荒業をつかってたw中には敷地全てを貸してしまって自分は与力や同僚の敷地を借りて住むツワモノさえ居たよ。
同心は本来世襲では無いけど、町方同心は町人とのつながりも太いので世襲させた方が都合がいいから、なあなあになって世襲している
@@僧兵-x3b 制度上は一代限りのお抱え席で士分でなくてもよい(要試験)ことにはなってたが専門職になってるからね。元服前から見習いとして奉行所へ出仕して雑務をこなしながら知識と経験を蓄えて親の跡を継ぐのが定番だった。
面白かったです。長谷川平蔵の話でふと思ったのですが、息子が成人してたら、その身分はどうなるのでしょうか? 直ぐ旗本とか、御家人と言う身分が貰えるとは思いませんが、どうなったらその身分になるとか、父親が引退?、死亡したらそのまま相続するのかとか、兄弟がいたら?とか、いろいろ疑問が湧いてきます。😅
身分と役職は別なので、役職を離れても旗本の身分は変わりません。息子が家督を継げばそのまま400石の旗本ということになります。
@edojidai-paradise ありがとうございます。親が役職を持って現役でいる限りは、子供は、役職を持てないし、また、旗本と言う身分も貰えないと言う事でしょうか?
@@thehiromi7214 原則的にそうなりますね。諸藩では時に当主が現役でも、子息が学問や武芸、技芸に抜きんでて優れていることから特別に召し出されてということがあったようです。有名な例としては尾張藩に仕えた柳生家(石舟斎長男の厳勝の系統)は初代の兵庫助利方が現役の当主であるうちから次男の厳方や三男の厳包が剣術指南として召し出されていて、厳包などは江戸詰めとして別に30石を与えられました。
鬼平の家は、父親が大火事のとき活躍し、京西町奉行になってる。親子2代で石高以上の働きをしたのに、鬼平の孫の代で御家断絶。
大岡忠相は異例の出世で寺社奉行になった代わりに控えの間では「あんたの石高ならここにいるべきじゃない」と言った様な嫌がらせ受けたらしいですね。大河ドラマ「八代将軍吉宗」で滝田栄演じる忠相が悲哀ある演技をしていました
長谷川平蔵の役高1500石は、火付盗賊改方ではなく、先手組弓頭としての役高ではないでしょうか。火付盗賊改方はあくまでも加役ですので。
ご指摘ありがとうございます。確かに長谷川平蔵は火付盗賊改を命じられる前に先手弓頭に就任していて、そのときに1100石を足高によって支給されています。ただ、先手弓頭について説明していると動画の尺が足りなくなってしまうため、説明を一部省いてしまいました。
越後屋「お代官さま、これからもよろしくお願いいたします😁(賄賂を渡す)」悪代官「越後屋、お主も悪よのう😁」越後屋「お代官さまにはかないませんよ😁」何度この台詞を聴いたことか😂時代劇の定番の台詞😁
桃太郎侍の桃さんこと松平鶴次郎と、銭形平次とどっちが収入が多かったかが気になります。浪人の松村信兵衛は、臨時収入のために時々道場破りをやってましたが、通常の収入は桃さんとどっちがよかったのだろう。
副将軍って役職がなかった事、「先の副将軍」と「黄門」の意味すらわからずに、親父と水戸黄門を観ていました。うちの親父は印籠を出すのを楽しみにしながら観ていましたww
印籠をだして、ハハーッとなる、あのワンパターンが最高なんです^^
「越後屋、お主も悪よのう」発言のお代官様も150石ですか。なんか越後屋の方が財力は上ですね。
許認可権を握る方が上の立場なのはいつの世も変わらん図式w
代官は実は大変だったんだ〰️😅
居ないわけでもなかったようですが、ドラマのように悪代官をやってると一揆を起こされ、仕置き不行き届き(職務失敗)ということで物理的に首が飛ぶこともw旗本・御家人への刑罰には斬首も普通にありましたからね。
御免なさい間違って同じコメント2回送信してしまいました😢
私は江戸時代の歴史にかなり詳しいものです。この時代を解説したユーチューブを時々みますが、中には怪しい、というかいい加減なユーチューブも数多く存在します。しかし、この「江戸時代天国」は、歴史的にはしっかりしたもので良いと思います。この中で、水戸黄門の事について参考までにお知らせします。この中で、江戸幕府の中で、副将軍というポストは無かった、と解説されていました。その通りで、そういったポストはありませんでした。しかし、面白い事に、水戸藩はどうやら、この副将軍というポストを新設して、藩主をそこに付かせたい、との思いで、幕閣に様々な働きかけをしていた節があるのです。勿論その願いはかなわなかったのですが、それは、御三家といっても、水戸藩が他の尾張家、紀州家との石高の違い、官位の違い江戸在府などの要因があったからと想像されます。参考までにお知らせします。
旗本は知行地を与えられている「知行取り」と蔵米を与えられている「蔵米取り」に別れている。
蔵米取りは一定の収入が保証されているけど、知行取りは石高の4割な上に収穫により収入が変わる。が知行取りのほうは文字通り身分の格が違う
「徳田という旗本などおらん」と暴れん坊将軍で台詞がありますが、実際は100石取りの御家人なのに将軍の親衛隊であるがゆえに200石取りの旗本と同じく振る舞わなければならなかったため貧乏旗本と言われたからと聞いています。だから新さんは正しくは御家人です。
水戸藩は万が一幕府が倒されたら徳川が存続する為に、他とは違う立場にしました。天皇に忠誠を誓うという役割です。水戸藩出身の慶喜なども賊軍という立場に戦えなくなります。母親も公家ですし、たまたま幕末のあの時に将軍になってしまったのは運命でしょう。徳川は残りましたから結果良し。
中村主水は、今でいう警視庁?でエリートだと思うけど、夜勤手当やボーナスもあったみたいだし、役職も警部補ぐらいかなあー、でも一両で人を殺すかな?今の闇バイト?今のどのくらい?
エリートと言えなくもないが主水も田中さんも出世とは無縁の立場w主水は巡査部長あたりかな。30俵2人扶持なので年間40俵の手取りとなり、換算は難しいんだけど1両を75000円とすると年収300万円。
鬼平が出世できなかったのは老中の松平定信に嫌われていたから。 もともと鬼平は先手組弓頭に任じられており、加役(兼務)として火盗改めの長官を拝命したのだが、加役である火盗改めの長官に対する役料(給与と経費)は発生しない。 しかし奉行にせよ火盗改めの長官にせよ、多くの人を使い職務を遂行する立場の者は多くの経費を自らが出さねばならないという事情があったために、鬼平は不足する資金を賄うために銭相場に手を出しており、それが松平定信の忌避するところとなったとされる。 実際に松平定信の回顧録『宇下人言』には「長谷川何がしという者は功利をむさぼるために山師(相場師)などというよくないこともあるようで、人々は悪く言う」と記しており、鬼平に対しての嫌忌のさまを見せている。
長谷川平蔵は犯罪人の更生施設である人足寄場を創設した人でもあるけど、幕府は作るのはいいけどカネは出さないと言ってきたので、その費用を相場に投資することで確保したという話もありますね。コミック版の鬼平では時折平蔵が今の幕府の政治に不満を述べているシーンがありますが、もしかしたら本人もそういう不満を持っていたのかも。
遠山の金さん、この身分じゃ江戸城に行くときに駕籠は使えなかったんだけど痔の症状が重く馬に乗れないからって特別に許可もらったりしてるんよな。
黄門様の「副将軍」というのは江戸幕府初期に尾張・紀州という野望満々(笑)の御三家に対して水戸は割と温厚だったので、幕府は牽制の意味で水戸に江戸に在府してもらったから、水戸が勝手に副将軍と思ったという話を読んだことがあります。
同心は副業必須なわけですね。さすがに中村主水みたいに仕事人の副業をする同心はいなかったでしょうがw
同心にも拝領屋敷が与えられましたので自分は片隅に30坪くらいの屋敷を建て、敷地の大半を賃貸物件にしてしまい賃料を取ったりしてた模様。中にはすべて貸してしまって同輩の敷地を賃借する者さえいたとかw
🎉🎉🎉🎉🎉🎉
3000石は現在に当てはめると3000万円くらいかな?
中納言が隠居したら黄門江戸幕府に副将軍の役職はなく水戸は将軍補佐が役目だから自称副将軍
御三家の中で、尾張家紀州家が大納言なのに、水戸家が中納言なのは何故?
水戸家初代の頼房は紀州頼宣の同母弟で家康末子の11男。当初は紀州家の分家扱いで松平姓を名乗ってました。徳川姓は2代藩主光圀から名乗ったそうです。よって尾張・紀州の大納言に対し水戸家は一段下の中納言が極官。
@@益子聡-i1y将軍の子息で徳川を名乗れたのは、御三家に成った家康の子、徳川秀忠の子で徳川忠長、徳川家光の子で徳川綱豊で他の将軍の子は松平と名乗った。注記として徳川綱吉は元服の時は松平綱吉と名乗り兄の徳川家綱の養嗣子と成って徳川綱吉に成った。
子連れ狼の👉️拝一刀の❗️公儀介錯人も、旗本の中の役職なのでしょうか⁉️それと、将軍家指南役の❗️柳生一門も、やはり、旗本なのでしょうか⁉️
公儀介錯人は架空の役職柳生の宗家(指南役の方)は一万石の大名でしたちなみに実際の烈堂義仙は寺領200石の、ただの坊さんでした
代官庄屋というモノが松代藩にあった。庄屋が代官として兵士として村人300人を管理しなきゃならなかった。もちろん名字帯刀馬上本分で朱塗りの長持ちを許可されてる。山間部の五つの村人口3000人にも満たないが鉄砲と弓の兵が100人だぜ?維持しろと命じられるのよ。狩猟者に鉄砲持たせるだろ?熊の胆を税てして取り弾薬買ったり、用水路の普請を主導したり・・カネが動くと、公金を私する裏切り者がでる😂之を処分して報告して家禄と役職を取り上げられるまで付いてくる😂全員打首にならんくて助かったがな。
時代劇が、根強い「徳川史観」─歴史学者を未だに悩ませる─を醸成させたのかな?と思う今日のこの頃。
悪代官今政府なら沢山いるよな
本当に面白い動画ですねサイコウ🎉😊
わかりやすく、聴きやすく、興味のツボにぴったりはまりました。ありとうございます。登録しました。
ありがとうございます^^
とても勉強になりました!
水戸黄門は最初は「先の中納言」ドラマでは言っていたそうです。
でもそれがわかりづらく視聴者に刺さらなかったようで、それで「先の副将軍」と変えたそうです。
助さん役が「杉良太郎さん」で
OPに歌が無くカラオケだけだった頃ですね。
再放送で見て、驚きました。
石坂浩二版の水戸黄門も「先の中納言」って言っていた気がします。彼が時代考証に結構こだわっていたらしいからだと聞いたことがあります。
中納言を名乗っているときは
相手が公家の時だった記憶
最初期は印籠ではなく葵の紋を描いた奉書を見せてたような記憶があるんですよね。
いつもながら
面白いなー❢
面白かったです😊チャンネル登録させていただきます🍴
ありがとうございます^^
足高制度で、3000石未満の旗本を町奉行に登用。小学生の頃に読んだ、学習雑誌の付録(書いたのは、歴史マニアの漫画家)。その豆本に、そうした記述がありました。それが吉宗時代の政策というのは、この動画で初めて知りました。
本当に面白い動画ですねサイコウ🎉
遠山の金さんこと遠山景元は初御目見の時、父の景晋は勘定奉行でした。
それから、西丸小納戸役、西丸小納戸頭取、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行(公事方)を歴任し北町奉行に。
その後、水野といろいろあって大目付に左遷。で水野失脚の後、南町奉行に返り咲き。
将軍家慶の信頼厚く有能な幕僚だった。
町奉行から公儀の大目付は左遷ではあるまい
@@M_M-k8i その通りで職位としては栄転。ただ当時すでに形骸化した閑職だったので窓際への左遷と見る向きがある。
史実・現実と、ドラマの表現がかなり差がある昭和時代のドラマは、よくよく追及していくと、🤔ウームってなることが多い(ってかほとんど)ですが、ソレはソレとして、面白かったですよね。
まぁ中には「時代劇の皮を被った現代への皮肉ドラマ」もあったりして(必殺シリーズ)、そういうのが許されてたというのも面白さのひとつかな。
必殺シリーズではもはや製作陣が遊んでいたシーンも多々ありますし(外ロケで新幹線をわざと写り込ませたり電線見えてたりアスファルトどころか車が道を横切ったりともうメチャクチャな回有りwww)
刑事ドラマも現実はニックネーム呼ばわりしないし個人専用銃(マグナムとか)あり得ないしあんなにブッ放しまくらない…😂
現実にはあり得ないからこその外連味ってのが良かった😊
中村主水がタカる場面、初期では多かったような記憶があります。
商家でお茶を出されたら湯呑みにお茶でなはくお金が入っていたシーンがありましたね…
悪どい事をしていそうな、豪商。そういう奴と出会うと、相手に背中を向けた状態で、指で丸(金の意味)を作る。無言で口止め料を催促する姿が、ユーモラスでした。
@@いさむ-c8t 悪徳商人からカネを出されたところをブッスリとやって「変な勘違いするんじゃねーや、俺は茶が欲しかったんだ」という捨て台詞を吐く回もありましたねーw
吉宗「世の顔を見忘れたか!」
大半の悪人「見たことないわ!」
これが現実
旗本あたりは生涯に1,2度遠目で挨拶する程度。
「世の顔」ではなく「余の顔」な。
国持大名ですら 謁見する大きな広間の端のほうから 数秒頭を上げ見ることができる程度
小大名なら廊下から 上様の顔なんて覚えるいるとは思えない
大岡さん綱吉時代から臨時の復興奉行に任命されてるのでかなり優秀な官僚だったのでしょうねえ
大岡が伊勢神宮の警備が任務だった伊勢山田奉行時代、まだ紀州藩主になる前で四男坊の冷や飯食いだった吉宗が徒党を組み無頼を働いた際にとっ捕まえた、と聞いたことがある。身分は当然知ってるわけで、それでも捕まえることに何の躊躇も見せなかったというから、相手がだれであれ罪は罪としてきっちり裁く公明正大という言葉の象徴みたいな人物。
旗本が本気でやりたくない役職No1=お代官様 だった模様。赴任したら最後、10万石位を40人ぽっきりで切り盛りしないとならないうえ、なんだかんだと言っていっつも幕府から査定されていたらしい。
時代劇のように私腹を肥やす暇なんてなかったそうで😅
交代制なので、交代した後に地元住人から前任者の評価を聞き取りしてたそうです。
私腹を肥やしてたなんて地元住人にバレてたらそりゃもう大変。
@@hanamogera13 飛騨の一揆は?
@@kyoko7343商人も賄賂を贈る旨みは無いので時代劇のような袖の下はまず無い。
商人が代官に渡しているのは預かったお金を運用したもの
500石は単純計算で年収5000万か
経費と税金で色々違うかもだけど
ドラマの中の平次も金銭的に余裕はなかったようで、奥さんのお静がお金を工面するために着物を質に入れるシーンもありました。
同心のポケットマネーからもらった(多分多くはない)給金で下っ引きの八五郎も雇わなければならなかったわけですから、当然生活は厳しくなるでしょうね。
岡っ引きは正規の職員では御座いませんから。
因みに岡っ引きのルーツは平安時代の検非違使の放免です。
@@ませあきたつ
塩見鮮一郎氏の著者を思い出しました。
穢多「長吏」などの研究です。
そんな中、コレでもかと銭を投げつける平次さん…捕物終わったら這いずり回って回収していたのかと思うとなんか笑える(微笑ましい)w
動画を楽しく拝見しました。鬼勘解由こと中山直守もかなり出世しましたね。 ただ時代劇には向いてないけど
大岡越前は旗本で最終的に一万石の大名に成り連続時代劇では1番の出世(水戸黄門と暴れん坊将軍は大名や将軍で除外)で時々時代劇スペシャルで単発の主人公では柳生は一万石の大名に成って居る。
架空ありなら、
・白獅子仮面
・影の軍団
・暴れ八州御用旅
・変身忍者 嵐
・長七郎江戸日記
・魔界転生(柳生あたりを)
この辺の考察もお願いします!
大江戸捜査網も是非😄
日産自動車のお偉いさんが、「俺も家で時代劇を見たい」
と言うわがままで作った時代劇だけどね。
ヘェ~そうなんですか。皆さんマニアックで、楽しいコメント有り難いです。番組は勿論、コメントも為になって楽しいいです。😊
代官は数年おきに交代していたそうですね。
江戸と任地を行ったり来たり。
渡辺謙が主演の時代劇、御家人斬九郎は身分は御家人だが先祖が徳川家だから血筋では高貴な位置
斬九郎の祖の大給松平家は徳川史観では家康の4代前の分流となってるけど、実際には別の一族が婚姻関係を結ぶことで松平家に組み込まれたらしい。
いいね。代官は忙しすぎて過労死する人もいたとか。
遠山景元が晩年を過ごした住所はかつて、長谷川平蔵(宣以)が住んでいた場所だった。
水戸黄門の徳川光圀の御三家や徳川一門の親藩で幕末期を除いては政治に関わる事は出来なかったが、例外として徳川家光の異母弟の保科正之は徳川家光が亡くなる前に幼い家綱の後見人として家光から大老を任命された。
暴れん坊将軍の初期に出てくる爺こと「加納五郎左衛門(加納久通がモデルとか)」(御側御用取次)は 紀州藩藩士から1000石の旗本になって
加増を重ねて1万石の大名になりました
動画に出てくる人物たちの身分は‥
徳川吉宗>徳川光圀>>>大岡忠相>遠山景元>長谷川平蔵>>>中村主水>>>銭形平次
黄門様は直接将軍と対面でき、大岡忠助~長谷川平蔵は将軍にお目見えが叶うけど、
中村主水は町奉行所の同心で、武士と言っても足軽(犯罪者を取り締まる不浄役人だから)だし、
銭形平次の岡っ引きは、素行不良の者が多く町人達から蛇蝎の如く嫌われる存在だった‥
200石以上の旗本は、御目見特でしたから大身と呼ばれていたそうです。足石という制度と役料という制度もありました。
12:34~
「悪代官」が滅多にいなかったすなわち「皆無」ではないと。
ということは
みんな大好きな「悪代官」「悪徳商人」「用心棒の先生」の
極悪トリオは実在した可能性もありますね。
いましたよw
大原騒動(1771~88)で有名な飛騨天領代官の大原紹正・正純親子がそれで父の紹正は自身の出世のために領民の窮乏をよそに酷政を敷いただけと言えますが、当然ながら一揆が頻発してます。(実際に出世してます)
子の正純はまさに悪代官そのもので、年貢納付時の預かり金を返済せずに着服したり村々から金を借りては踏み倒し、ついには天明飢饉の際の年貢免除分を取り立てて着服するなどやりたい放題。判ってるだけで8000両を懐に納めています。
当然ながら領民も黙っておらず江戸へ訴えた結果、正純は八丈島へ流罪となり配下の者も死罪2人、流罪1人、追放8人になっていますね。
町方同心は30表2人扶持と屋敷が与えられ世襲した。副業で屋敷の一部を貸部屋とし更に内職(傘紙貼り等)を行い、見廻り担当地区の商家から袖の下を貰って暮らしていた模様。
いや、もっと大胆にやってた。町方同心の拝領屋敷は敷地が100坪程度で屋敷は武家地だが敷地は町人地という変則的な扱いだったので、敷地に町人長屋を建てて町名主に管理させて賃料を取るという荒業をつかってたw
中には敷地全てを貸してしまって自分は与力や同僚の敷地を借りて住むツワモノさえ居たよ。
同心は本来世襲では無いけど、町方同心は町人とのつながりも太いので世襲させた方が都合がいいから、なあなあになって世襲している
@@僧兵-x3b 制度上は一代限りのお抱え席で士分でなくてもよい(要試験)ことにはなってたが専門職になってるからね。
元服前から見習いとして奉行所へ出仕して雑務をこなしながら知識と経験を蓄えて親の跡を継ぐのが定番だった。
面白かったです。長谷川平蔵の話でふと思ったのですが、息子が成人してたら、その身分はどうなるのでしょうか? 直ぐ旗本とか、御家人と言う身分が貰えるとは思いませんが、どうなったらその身分になるとか、父親が引退?、死亡したらそのまま相続するのかとか、兄弟がいたら?とか、いろいろ疑問が湧いてきます。😅
身分と役職は別なので、役職を離れても旗本の身分は変わりません。息子が家督を継げばそのまま400石の旗本ということになります。
@edojidai-paradise
ありがとうございます。
親が役職を持って現役でいる限りは、子供は、役職を持てないし、また、旗本と言う身分も貰えないと言う事でしょうか?
@@thehiromi7214 原則的にそうなりますね。諸藩では時に当主が現役でも、子息が学問や武芸、技芸に抜きんでて優れていることから特別に召し出されてということがあったようです。
有名な例としては尾張藩に仕えた柳生家(石舟斎長男の厳勝の系統)は初代の兵庫助利方が現役の当主であるうちから次男の厳方や三男の厳包が剣術指南として召し出されていて、厳包などは江戸詰めとして別に30石を与えられました。
鬼平の家は、父親が大火事のとき活躍し、京西町奉行になってる。親子2代で石高以上の働きをしたのに、鬼平の孫の代で御家断絶。
大岡忠相は異例の出世で寺社奉行になった代わりに控えの間では「あんたの石高ならここにいるべきじゃない」と言った様な嫌がらせ受けたらしいですね。大河ドラマ「八代将軍吉宗」で滝田栄演じる忠相が悲哀ある演技をしていました
長谷川平蔵の役高1500石は、火付盗賊改方ではなく、先手組弓頭としての役高ではないでしょうか。火付盗賊改方はあくまでも加役ですので。
ご指摘ありがとうございます。
確かに長谷川平蔵は火付盗賊改を命じられる前に先手弓頭に就任していて、そのときに1100石を足高によって支給されています。
ただ、先手弓頭について説明していると動画の尺が足りなくなってしまうため、説明を一部省いてしまいました。
越後屋
「お代官さま、これからもよろしくお願いいたします😁(賄賂を渡す)」
悪代官
「越後屋、お主も悪よのう😁」
越後屋
「お代官さまにはかないませんよ😁」
何度この台詞を聴いたことか😂
時代劇の定番の台詞😁
桃太郎侍の桃さんこと松平鶴次郎と、銭形平次とどっちが収入が多かったかが気になります。
浪人の松村信兵衛は、臨時収入のために時々道場破りをやってましたが、通常の収入は桃さんとどっちがよかったのだろう。
副将軍って役職がなかった事、「先の副将軍」と「黄門」の意味すらわからずに、親父と水戸黄門を観ていました。
うちの親父は印籠を出すのを楽しみにしながら観ていましたww
印籠をだして、ハハーッとなる、あのワンパターンが最高なんです^^
「越後屋、お主も悪よのう」発言のお代官様も150石ですか。なんか越後屋の方が財力は上ですね。
許認可権を握る方が上の立場なのはいつの世も変わらん図式w
代官は実は大変だったんだ〰️😅
居ないわけでもなかったようですが、ドラマのように悪代官をやってると一揆を起こされ、仕置き不行き届き(職務失敗)ということで物理的に首が飛ぶこともw
旗本・御家人への刑罰には斬首も普通にありましたからね。
御免なさい間違って同じコメント2回送信してしまいました😢
私は江戸時代の歴史にかなり詳しいものです。この時代を解説したユーチューブを時々
みますが、中には怪しい、というかいい加減なユーチューブも数多く存在します。
しかし、この「江戸時代天国」は、歴史的にはしっかりしたもので良いと思います。
この中で、水戸黄門の事について参考までにお知らせします。
この中で、江戸幕府の中で、副将軍というポストは無かった、と解説されていました。
その通りで、そういったポストはありませんでした。しかし、面白い事に、水戸藩はどうやら、この副将軍というポストを新設して、藩主をそこに付かせたい、との思いで、幕閣に様々な働きかけをしていた節があるのです。勿論その願いはかなわなかったのですが、
それは、御三家といっても、水戸藩が他の尾張家、紀州家との石高の違い、官位の違い
江戸在府などの要因があったからと想像されます。
参考までにお知らせします。
旗本は知行地を与えられている「知行取り」と蔵米を与えられている「蔵米取り」に別れている。
蔵米取りは一定の収入が保証されているけど、知行取りは石高の4割な上に収穫により収入が変わる。
が知行取りのほうは文字通り身分の格が違う
「徳田という旗本などおらん」と暴れん坊将軍で台詞がありますが、実際は100石取りの御家人なのに将軍の親衛隊であるがゆえに200石取りの旗本と同じく振る舞わなければならなかったため貧乏旗本と言われたからと聞いています。だから新さんは正しくは御家人です。
水戸藩は万が一幕府が倒されたら徳川が存続する為に、他とは違う立場にしました。
天皇に忠誠を誓うという役割です。
水戸藩出身の慶喜なども賊軍という立場に戦えなくなります。
母親も公家ですし、たまたま幕末のあの時に将軍になってしまったのは運命でしょう。徳川は残りましたから結果良し。
中村主水は、今でいう警視庁?でエリートだと思うけど、夜勤手当やボーナスもあったみたいだし、役職も警部補ぐらいかなあー、でも一両で人を殺すかな?今の闇バイト?今のどのくらい?
エリートと言えなくもないが主水も田中さんも出世とは無縁の立場w
主水は巡査部長あたりかな。30俵2人扶持なので年間40俵の手取りとなり、換算は難しいんだけど1両を75000円とすると年収300万円。
鬼平が出世できなかったのは老中の松平定信に嫌われていたから。
もともと鬼平は先手組弓頭に任じられており、加役(兼務)として火盗改めの長官を拝命したのだが、加役である火盗改めの長官に対する役料(給与と経費)は発生しない。
しかし奉行にせよ火盗改めの長官にせよ、多くの人を使い職務を遂行する立場の者は多くの経費を自らが出さねばならないという事情があったために、鬼平は不足する資金を賄うために銭相場に手を出しており、それが松平定信の忌避するところとなったとされる。
実際に松平定信の回顧録『宇下人言』には「長谷川何がしという者は功利をむさぼるために山師(相場師)などというよくないこともあるようで、人々は悪く言う」と記しており、鬼平に対しての嫌忌のさまを見せている。
長谷川平蔵は犯罪人の更生施設である人足寄場を創設した人でもあるけど、幕府は作るのはいいけどカネは出さないと言ってきたので、その費用を相場に投資することで確保したという話もありますね。
コミック版の鬼平では時折平蔵が今の幕府の政治に不満を述べているシーンがありますが、もしかしたら本人もそういう不満を持っていたのかも。
遠山の金さん、この身分じゃ江戸城に行くときに駕籠は使えなかったんだけど痔の症状が重く馬に乗れないからって特別に許可もらったりしてるんよな。
黄門様の「副将軍」というのは江戸幕府初期に尾張・紀州という野望満々(笑)の御三家に対して水戸は割と温厚だったので、幕府は牽制の意味で水戸に江戸に在府してもらったから、水戸が勝手に副将軍と思ったという話を読んだことがあります。
同心は副業必須なわけですね。さすがに中村主水みたいに仕事人の副業をする同心はいなかったでしょうがw
同心にも拝領屋敷が与えられましたので自分は片隅に30坪くらいの屋敷を建て、敷地の大半を賃貸物件にしてしまい賃料を取ったりしてた模様。
中にはすべて貸してしまって同輩の敷地を賃借する者さえいたとかw
🎉🎉🎉🎉🎉🎉
3000石は現在に当てはめると3000万円くらいかな?
中納言が隠居したら黄門
江戸幕府に副将軍の役職はなく水戸は将軍補佐が役目だから自称副将軍
御三家の中で、尾張家紀州家が大納言なのに、水戸家が中納言なのは何故?
水戸家初代の頼房は紀州頼宣の同母弟で家康末子の11男。当初は紀州家の分家扱いで松平姓を名乗ってました。
徳川姓は2代藩主光圀から名乗ったそうです。
よって尾張・紀州の大納言に対し水戸家は一段下の中納言が極官。
@@益子聡-i1y将軍の子息で徳川を名乗れたのは、御三家に成った家康の子、徳川秀忠の子で徳川忠長、徳川家光の子で徳川綱豊で他の将軍の子は松平と名乗った。注記として徳川綱吉は元服の時は松平綱吉と名乗り兄の徳川家綱の養嗣子と成って徳川綱吉に成った。
子連れ狼の👉️拝一刀の❗️公儀介錯人も、旗本の中の役職なのでしょうか⁉️それと、将軍家指南役の❗️柳生一門も、やはり、旗本なのでしょうか⁉️
公儀介錯人は架空の役職
柳生の宗家(指南役の方)は一万石の大名でした
ちなみに実際の烈堂義仙は寺領200石の、ただの坊さんでした
代官庄屋というモノが松代藩にあった。
庄屋が代官として兵士として村人300人を管理しなきゃならなかった。
もちろん名字帯刀馬上本分で朱塗りの長持ちを許可されてる。山間部の五つの村人口3000人にも満たないが鉄砲と弓の兵が100人だぜ?維持しろと命じられるのよ。狩猟者に鉄砲持たせるだろ?熊の胆を税てして取り弾薬買ったり、用水路の普請を主導したり・・カネが動くと、公金を私する裏切り者がでる😂之を処分して報告して家禄と役職を取り上げられるまで付いてくる😂全員打首にならんくて助かったがな。
時代劇が、根強い「徳川史観」─歴史学者を未だに悩ませる─を醸成させたのかな?と思う今日のこの頃。
悪代官今政府なら
沢山いるよな
本当に面白い動画ですねサイコウ🎉