戦前、技術限界C53

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  • Опубликовано: 21 авг 2024
  • C53が日本で数少ない三気筒の国産蒸気機関車です。絶滅していてその三気筒のサウンドを聞くことが出来ません。
    私は英国で三気筒の蒸機の音を聞いて痺れてしまい、それからC53を注目してみたものの、技術的にかなりお粗末で、そのしりぬぐいでどれほどの関係者の苦労があったのか思い知ったわけです。
    今回は容易に問題の根源がどこにあったのか分かりやすく解説してみました。

Комментарии • 109

  • @user-dt4vi4pn5c
    @user-dt4vi4pn5c 5 месяцев назад +47

    C53は、97両製造されたのに…あっという間に解体されましたが、1両だけでも残っているのが奇跡ですよね。
    梅小路に行ったら、真っ先に逢いに行く機関車の1両です。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +6

      視聴者様からご指摘ありましたが、浜松にカットモデルの1輌ありましたので、2輌ですね。浜松工場のは解体されましたが。私もC53のスタイルは大好きなんです。

  • @user-xf9yc5em7k
    @user-xf9yc5em7k 5 месяцев назад +53

    現在 梅小路に残った45号機は幸運な機関車でしょうね この機関車に限らず保存の多くは強運に恵まれたものだらけだと思います

    • @toriri-service
      @toriri-service 5 месяцев назад +10

      逆に手違いで解体されてしまった『C55 30』には運がなかった。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +6

      多くの機関車は歴史があって、重要なイベントに立ち会ったり、大きな事故の証人だったり、お召機を多くけん引したりしていますが、殆ど解体されていますね。

  • @seijirofto.de2a838
    @seijirofto.de2a838 5 месяцев назад +20

    この設計上の欠陥を抱え整備も困難な機構の機関車を使いこなしていた、名古屋機関区(当時)の人達の凄さ。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      当時の国鉄の現場ってすごいですね。使命感の塊というか。やはり安定した雇用と福利厚生ですかね。

  • @user-tx4hq9ff3j
    @user-tx4hq9ff3j 5 месяцев назад +5

    BGMのラ メールも素敵❗
    つばめC53 シリンダー😮の為だったのですね✨

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 5 месяцев назад +13

    戦前の名特急列車櫻、富士、燕を牽引したC53形。
    大幹線以外使えずに戦後すぐに淘汰された幻の名蒸気機関車。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +7

      完璧の調律されたC53はC59より圧倒的に乗り心地良く速かったそうです。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 5 месяцев назад +3

      @@Yukkuri-Lab さん、後のC59形は、亜幹線用に軽軸重改造されて、C60形に変わったり車両も多い。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +3

      長く使われましたよね。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 5 месяцев назад +4

      @@Yukkuri-Lab さん、亜幹線用に改造されてから長く使われました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +3

      そうですね。

  • @Gainer0311
    @Gainer0311 5 месяцев назад +13

    複雑すぎる構造とメンテナンスの難しさはある意味欠陥と言えるかも。梅小路に行くとはいつくばって覗くのはお約束です

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +2

      梅小路ではたまには外に出して欲しいです。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u 5 месяцев назад +18

    C53は、華やかで、儚い...😢

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +6

      確かに、若くして散った儚い命でした。

  • @user-ts2tm3wk4q
    @user-ts2tm3wk4q 5 месяцев назад +14

    本当はもう1両、カットモデルになったのが浜松にいたんだけどね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +7

      いましたね。2両と言えばよかったです。

  • @user-ws7en7bd5q
    @user-ws7en7bd5q 5 месяцев назад +10

    このぶんでは他の機関車よりもオーバーホールの間隔も短く手間も掛かったのは容易に想像出来ます。3気筒はすりこぎ振動が出るのでリンク部分の摩耗も酷かったのでは無いかと

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +7

      走行中、台枠に潜って油を注す係員がいたとか。

    • @だからすみませんって言ってるじゃないか
      @だからすみませんって言ってるじゃないか 5 месяцев назад +5

      ⁠@@Yukkuri-Lab45が復活したら走行注油体験イベントやって欲しいですね😊
      免責同意書提出必須で😂

    • @toriri-service
      @toriri-service 5 месяцев назад +4

      @@Yukkuri-Lab さま
      池田邦彦さんのコミック『甲組の徹』の第一話『技工』に走行注油 のシーンがありました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +3

      怖いです。

  • @user-ee2ml4yx5g
    @user-ee2ml4yx5g 5 месяцев назад +9

    大宮のモデルは「不出来さ」表した姿ですね、
    見ていて「テコの穴がもっと小さければ…」
    と感じさせてくれます

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      三気筒のメカニズムは時計ですね。合わせ込みの技術はコピーできなかったんですね。

  • @hondola
    @hondola 5 месяцев назад +11

    C53は技術的な弱点が多く、手間がかかって悪く言われることが多いけれど、それでも当時は最速だったのですね

    • @hondola
      @hondola 5 месяцев назад +6

      機械としてはダメな部分も多いけれど、流線形のカバーと合わせて、夢があって私は大好きです

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +4

      まさにその通りですね。超特急燕はそれはもう入念な手入れが必要で、さらに走行中に油さす人が台枠の中で必死に仕事していた時代です。虐待ですね。

    • @hondola
      @hondola 5 месяцев назад +4

      @@Yukkuri-Lab走行中の蒸気機関車の台枠に座って給油し続けるのは命がけですね 。戦前の特急というのはそれほど特別なものだったのでしょうが、反面戦後すぐになくなったのもうなずけます

    • @hondola
      @hondola 5 месяцев назад +4

      鉄道省時代の機関車は現場に過酷な整備や運用を強いるものが多かったのですが、組織的な欠陥からそれが設計者には伝わらなかった為、改善されなかったそうです。色々な面で米国の真似をした南満州鉄道との最大の差はそこにあり、ATCなど新技術開発や機関車や新幹線の開発でも満鉄組が大きな役割を果たしたのも会社そのものの体質の違いがあったようです

    • @hondola
      @hondola 5 месяцев назад +5

      良い意味でも悪い意味でも、戦前の国鉄は「現場の努力」に頼り過ぎていました。それは彼らのプライドでもあったのでしょうが、同時に改革が進まなかった原因でもあると思います

  • @hisakounosuke2474
    @hisakounosuke2474 5 месяцев назад +6

    C53が淘汰されたのもやはり戦後の資材、技術力が窮地に追い込まれた事が原因だろうなあ……

    • @toriri-service
      @toriri-service 5 месяцев назад +6

      それもありますが やはり特殊でデリケートな構造故の整備性の悪さも嫌われたのでしょう。
      戦争がなければ 寧ろもっと早く廃車されていたかもしれません。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      弁装置の関節部分をまず設計変更して全部部品を取り換えることに始まって、やること多すぎますから、とっつきやすいC59が重宝されるのは無理ない事ですね。

    • @user-mb1ob3nn4z
      @user-mb1ob3nn4z 5 месяцев назад +5

      完璧な整備が維持できれば凄い機関車❤

    • @hisakounosuke2474
      @hisakounosuke2474 5 месяцев назад +4

      @@toriri-service さん
      確かに、ボイラーやキャブ、炭水車等を再利用して他の形式に仕立てられたのかもしれません。
      車両不足著しいのにスクラップになったのもC62のような転用すら不経済だったのかもしれません。

    • @toriri-service
      @toriri-service 5 месяцев назад +4

      @@hisakounosuke2474 さま
      炭水車のみ一部が『タキ1600』に改造されて 数年間使われたようです。
      構造が特殊で『トラブル頻発・整備性が悪い・他線へ転用不可』といった理由で折角の高性能を充分発揮出来ずに短命だったのは 東急デハ200や都電5500形等 電車にもありましたね。

  • @toriri-service
    @toriri-service 5 месяцев назад +12

    流線型のカバーは 空力的な効果はともかく 雨よけや煙よけの効果はあったかも。
    シリンダー120°間隔って『2サイクル3気筒エンジン』と同じですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +8

      流線形の最大の効果は子供たちに喜ばれた。だそうです。

    • @user-ym9xm9gq3h
      @user-ym9xm9gq3h 5 месяцев назад +9

      蒸気機関車のピストンは「引く」ときにも力が発生しますので1気筒で2サイクル内燃機関の2気筒相当です。だからC53は「2サイクル6気筒」または「4サイクル12気筒」相当とも言えます。

    • @user-il4oh6ke8u
      @user-il4oh6ke8u 5 месяцев назад +8

      ぴったり120°ではなく少しずれていたため、止まったところによっては起動不能になってしまうそうです。機関車の構造的に難しかったようです

    • @user-ym9xm9gq3h
      @user-ym9xm9gq3h 5 месяцев назад +7

      @@user-il4oh6ke8u お召機に(あまり)使われなかった理由の1つですね(停止位置のドアのところにカーペットが敷かれるのでそこにピッタリ止まると起動できなくなる場合が発生する)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      なるほど。よく分かりました。

  • @だからすみませんって言ってるじゃないか

    模型のピンガッタガタで笑っちゃった

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      大宮の鉄道博物館の展示物ですが、模型でも直せないんだなぁって。

    • @だからすみませんって言ってるじゃないか
      @だからすみませんって言ってるじゃないか 5 месяцев назад +4

      @@Yukkuri-Lab 正しく動作できないのなら倉庫にしまっておいた方がマシですね
      これでは来館者に島秀雄の傑作C53型が弁装置に欠陥を抱えたポンコツ機関車であるという誤った認識を与えかねません👊😡💢

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      それが意図だったりして。実際そうですから。ちゃんと整備されていればすごい実力があるのですが、そのためには莫大な労力を費やす必要がある大変な機関車でした。

  • @user-mj2vy1rn4g
    @user-mj2vy1rn4g 5 месяцев назад +9

    梅小路の45号機は戦後鷹取工場で動態復元され東海道線を走った映像が残ってますよね?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +6

      そうです。三日間大阪を走りました。最後のカットはその時のものです。

  • @user-ye2jl8tx8e
    @user-ye2jl8tx8e 5 месяцев назад +4

    3シリンダーは蒸気の有効活用するためだったのに、日本では普及しなかったんだよな。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +2

      やはり狭軌鉄道なのが災いしたのも原因の一つですね。

  • @TOBUEXPRESSch
    @TOBUEXPRESSch 5 месяцев назад +5

    大阪~名古屋は大軌参急の「日本一の電車」2200系(最高110km/h、33‰の時65km/h)と元関急電1型「緑の弾丸」(最高100km/h)で移動できます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +3

      名古屋、大阪が一時間とは新幹線並みですごいですね!

    • @TOBUEXPRESSch
      @TOBUEXPRESSch 5 месяцев назад +3

      @@Yukkuri-Lab
      あ、そうそうこれは戦前の記録です

  • @user-wg6bc4si6w
    @user-wg6bc4si6w 5 месяцев назад +4

    流線型の奴も一台くらい残しておいて欲しかった

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +3

      あれはカバーですからいつか梅小路がやってくれるかもしれないですね。

  • @mkep82da
    @mkep82da 5 месяцев назад +4

    3シリンダー機関車としては不完全で欠陥もありメンテナンスの手間もかかるのでC59がてきると淘汰されてしまった…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +2

      容易で性能も同等なら仕方ないですね。
      C59は戦中の大傑作機だと思います。

  • @ShunRailwayCh
    @ShunRailwayCh 5 месяцев назад +13

    BGMが気になってしかたないです…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      La Merは戦後直ぐ大ヒットしたシャンソンで、私が大好きは歌です。海ですね。南仏の地中海が瞼に。

    • @ShunRailwayCh
      @ShunRailwayCh 5 месяцев назад +3

      @@Yukkuri-Lab フランス語で海でしたっけ?なんでC53のBGMに?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +4

      戦後直ぐに無くなったところと、戦後直ぐに爆発的にヒットした曲のコントラストからですね。

    • @ShunRailwayCh
      @ShunRailwayCh 5 месяцев назад +3

      @@Yukkuri-Lab なるほどです。え?ラ・メールってそんな前の歌ですか?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +2

      これは原曲ですが、録音の品質も悪くノイズあってかなり古いんです。

  • @yuukisaitousasaki
    @yuukisaitousasaki 5 месяцев назад +4

    C53は良い点も多かったですが、他の2シリンダー機関車とは違い、シリンダー停止位置によっては起動不可になる欠点が致命的でした。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +1

      だからお召し機にはならなかったとか、ですね。

  • @jw1today110
    @jw1today110 5 месяцев назад +9

    不遇な機関車、でもカッコイイ🎉

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +2

      私も格好は大好きなんです。

  • @SleeperExpressJNR
    @SleeperExpressJNR 5 месяцев назад +4

    然し東南アジアの何処だったか、狭軌鉄道で3シリンダーを使いこなした鉄道があった由。彼我の違いが気になります(^^);(なぜ彼らにできて本邦では持て余したのか?)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +1

      オランダかベルギーの機関車ではなかったか思います。それらはコピー機ではないですね。
      満鉄もミカニの三気筒は1980年代まで使われ続けましたから、設計と部品が日本では出来なかったんですね。

  • @MB6809
    @MB6809 5 месяцев назад +2

    2両保存されえていました。梅小路の45号機の他に資料用に浜松機関区に57号機が1970頃まで保存されていました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад

      他の視聴者様からもご指摘ありましたが、2両が残りました。

  • @Kim-li1ed
    @Kim-li1ed 5 месяцев назад +6

    C53はデフ付きのほうがかっこういいな。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +5

      そうですね。梅小路のデフ付きを作ってくれたら嬉しいです。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 5 месяцев назад +9

    C53形は、3シリンダーパシフィック蒸気機関車だったが、軸重が重く、東海道本線と山陽本線でしか活躍出来ずに、地方路線転用不可で、先行すぐに全廃された。
    C5345号機が唯一の生き残りで、交通科学館に展示された後、梅小路蒸気機関車館(京都鉄道博物館)に移って静態保存されている。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +6

      C53を忘れ去ったおかげで、日本には三気筒の蒸気を整備する技術が途絶えました。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 5 месяцев назад +4

      @@Yukkuri-Lab さん、本当に3シリンダー技術が途絶えて、2シリンダー技術しか無くなってしまった。

  • @sunami808
    @sunami808 4 месяца назад +2

    英国ヨークの博物館に収蔵されてる、2003年にボイラーが限界迎えるまで動いていた1938年製造のライナーA4「マラード」も3気筒でしたね。空力性能まで考えたカバーに世界最速を示すプレート。戦前の時計を国産とスイスや英国米国製と比べたら、国産の工作技術はやっぱり低い。服部時計店が作ってたエンパイヤ懐中時計と同年代のΩとロンジン、スミスの時計持ってるが出来という点では雲泥の差。エンパイヤはオーバーホールしても工作が悪すぎて精度が出ない。大日本帝國時代の技術水準なんかそんなもん。海軍と空自を経験した叔父も海軍機はボロばっかりと昔生前言っていた。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  4 месяца назад

      ヨークは行ったことあります。その時はA4はまだどこかで走っていました。A4はあまり好きではないのですが、グレズリー弁3気筒と言うところは良いですね。
      日本は組み合わせ技術と標準化技術に長けているのは間違いなく、素材調達と加工レベルはかなり貧弱だったと思います。

  • @user-ky9wf8nh1o
    @user-ky9wf8nh1o 4 месяца назад +1

    C53、こんなお話があったのですね。
    こんど息子を連れて梅小路で確認してきます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  4 месяца назад +1

      あの模型は大宮の鉄道博物館にあって、梅小路ではありませんのでご注意ください。梅小路のC53は鏡が取り払われていて、第3シリンダーが見にくいので、ぜひじっくり奥の方をご覧ください。

  • @user-bg6lo3mp9x
    @user-bg6lo3mp9x 4 месяца назад +1

    同じ3シリンダー機でもC52の方が故障はすくなかったようですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  4 месяца назад +1

      そのように聞いております。瀬野八の補機運用もしていましたし。きちんと設計されている機関車でしょう。でも動輪が小さいのでスピードが出ないのが残念でした。

  • @user-gh8hd6ev8r
    @user-gh8hd6ev8r 4 месяца назад +1

    デフありもいいな…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  4 месяца назад +1

      デフ付きが急行牽引機関車みたいで良いですね。

  • @user-kx9jx4gp7v
    @user-kx9jx4gp7v 5 месяцев назад +4

    大失敗作C53

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  5 месяцев назад +2

      スタイルが良かったので、蝋人形のようにいつまでも若々しく梅小路に君臨できて良かったです。

    • @user-kx9jx4gp7v
      @user-kx9jx4gp7v 5 месяцев назад +4

      他は戦後の混乱期に
      こっそり処分されて、
      国会で問題になったかと

    • @user-kx9jx4gp7v
      @user-kx9jx4gp7v 5 месяцев назад +3

      梅小路=蝋人形の館w

  • @user-ei4dz5tq5n
    @user-ei4dz5tq5n 3 месяца назад

    設計者が設計を改悪したからね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  3 месяца назад +1

      ちゃんとライセンスを買って、仕様書通りに作れば良かったと思います。