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3:13のD52の次位の冷蔵車、木製車体の旧世代車ですね。形式はレムではなくレ(積載重量13t以下)と推測します。冷蔵車のボギー車は戦後間もない頃に進駐軍向けのレキ1なんてのもありましたが使い勝手も悪く程なく普通の有蓋車に改造された由。その後時代が下ってEF66の相棒となったレサ10000・レムフ10000で編成された[とびうお][ぎんりん]がMax100km/h で時には急行旅客列車迄待避させ疾走していました。冷蔵車で[ム・ラ・サ・キ]の付いたものは前述のレサ10000・レムフ10000の他には青帯締めたレム5000と確かレサ5000というのがあった筈(85㎞/h)。因みに本邦の冷蔵車は専ら鮮魚輸送が使命でしたが、その構造は走るクーラーボックス。保冷剤として氷やドライアイスを断熱効果のある車内(多くは天井)に積み込む構造でした。尚残念ながらJRに継承された冷蔵車はないとのこと。たから号用のヨ5000は新製車とヨ3500からの改造車があり後者は元番号35XXに10000を加えた番号になっていました。(同様の例がワム23000を2段リンク化してワム90000に編入した個体にも見られ、元番号23XXXに10000を加えていたので中にはワム123456という番号の個体もいました)有蓋車に於いては木製車体のものは早くに淘汰されましたが、無蓋車は側面の煽り戸は後年迄木製のものが少なくありませんでした。これは積み荷を緊縛する際手鉤を使って留めるのに煽り戸が木製の方が都合が良かった為です。一見黒1色に見られる貨物列車ですが規定により意外とカラフルな側面もありました。タンク車の黄色・灰色などは積み荷から来る規定によって塗装が法令で決められていました。またコンテナ車も100㎞走行可能な10000系は青15号、それ以外のコキ50000(95㎞)、コキ5000・5500(85㎞)は赤3号(ワキ5000も)など細かい規定がありました。他にも今では歴史の彼方に消えた[ナ](活魚車)とか、[ヴ](豚積み車)、[カ](家畜車)、[パ](家禽車)、[ポ]陶器車、[リ](土運車)、[ミ](水運車)、[ツ](通風車)、[テ](鉄側有蓋車)、[ス](鉄製有蓋車)なんてのもありました。このうち[ナ]や[ヴ]は[積み荷]である活魚や豚の世話をする人も乗り込んでいたそうですが、ただでさえ狭い有蓋車のそれも端っこの狭苦しい区画、冷暖房は愚かToiletも無い環境。流石に突放まではしていないとは思いますが当時の貨物列車はよく言えば豪快悪く言えば荒っぽい運転でしたから世話係の労働環境は相当に過酷だったものと推測します。また通風車は専ら生鮮野菜の輸送に用いられましたが、クルマの手配が出来なかった時には普通の有蓋車(大概両開きのワム60000・ワラ1など)の側扉を開いたまま、その代わり積み荷が落ちない様に横木を渡して走っていました。C56がまだ現役だった頃の小海線では高原野菜の収穫時には何と畑の傍の本線上に列車を停めてそこで積み込んでいたとか。貨車の世界は客車以上に底なし沼。然し嵌れば嵌る程、面白くなるワンダーランドです(^^)/
@SleeperExpressJNRさん、いつもご視聴、詳細なためになるコメント頂きありがとうございます。貨車の色をどうするか悩むことが多くて参考にさせていただきます。石北本線の玉ねぎ列車に補助金を出しているようですが、現実的に鉄道の貨物輸送ってローカルだと大変なんですね。
画面に写ってた9200は1D コンソリデーション型式で大型だったので別名大コンと呼ばれ、9000型式はボイラーが一回り小型なので小コンと呼ばれてました。
芋谷さん、以前の釧路特集でそのことに触れたのですが、どちらも素敵な機関車ですね。
年代の問題でしょうか、図鑑とトーマスとプラレールの貨物車は今回の動画そのままの雑種雑多で楽しそうだったのに、いざ物心ついて実物の貨物列車を見てみるとコンテナとタンク車ばかりになっていて、貨物列車に深い興味を抱かずここまで来てしまいました。長万部のスワローエンゼルのシーン、ワムとワムの間にツム(通風車)がいますね。青果物を運ぶためにスリットを開けた有蓋車だそうで、中に人が入るとやっぱり涼しいか寒いくらいなのか、それとも風切り音が凄くうるさいのか、今でもチョッと気になってしまう車種です。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。ツムって言うんですね。なんかちょっと変わっているなと思い、せっかく北海道でまとめたからC62を出そうと思ったカットです。確かにコンテナ熱くなりますよね。海上コンテナもそうですが生ものは厳しいです。穴を開けておけばちょっと安心なのですね。
北海道に冷蔵車が多いのは、冬には普通の有蓋貨車では積荷が凍るので、保温性がある冷蔵車が保温車扱いで使われたからですね。
北村さん、ご視聴頂きありがとうございます。今の家では冷蔵庫が保温庫になるようなことは無いでけど、以前はそのような役割をしていましたね。
懐かしいですね。子供の頃はたくさんの種類の貨車が走っていて、殊に幹線だと踏切待ちしていると長編成の黒や白の二軸貨車がコトコトと目の前を走り抜けて、それぞれがどんな遠くの知らない土地まで行くのかと想像して、何だかワクワクしたのを想い出しますね。子供の眼には、各駅での貨物の積み込みとか突放作業とかも興味深かった。山陰では豚積車の中で世話人が一所懸命掃除したり餌をやっている姿を、隣接番線に停車した客車の窓から眺めたこともありました。
KSさん、ご視聴頂きありがとうございました。貨物が無くなってしまい、コンテナとタキばかりで面白くないですが、機関車はそのままなのでまぁ仕方ないかと感じています。確かに貨物列車は夢がありました。
幌内線の9600型石炭列車を見て育ちました。最後尾の車掌車は「中はどうなっているのだろう?一度乗ってみたい」と子供ながらに思いました。懐かしかったです。
同郷だね。
@819man5さん、ご視聴頂きありがとうございました。今でも秩父鉄道のヲキフ100っていうんですか、ホッパ車に車掌のスペースがあるのが駅に来ると中を見てしまいます。1988年から車掌はいないんですって。
やはりSLが貨物列車を牽引するのは、絵になる今と違っていろんな種類の貨車があったけどこんだけ種類が多いと操車場で組成をする時行き先が違うこともあるから操車係は貨車にはめ込んでいる車票を1両づつ確認してそれからハンプなどを使って貨車の仕分けをやらないとならないしもし間違っていたら組成を、やり直しになるし余計な時間と手間が係るからそんなことがないようにしないとならないから結構大変でしょうに
高橋さん、ご視聴頂きありがとうございました。たしかに!操車場の編成作業は凄いシステムだったことでしょうね。 客車と違って外からでは判別難しいですね。
霊夢、シート被せた貨車は材木ではなく「パルプチップ」を積んで製紙工場へ行くトラ90000形で、走行中に飛散しないようにシートが被せてあるの。「レ」は保温性を逆手に取って、冬の季節に凍結するとダメになってしまう貨物(味噌、液体調味料、飲料品、缶詰...)を運ぶこともありましたよ。石炭列車に「ト」が入るのは、増産期だからでしょう。車輌手配でセキ不足、苦肉の策で引っ張り出したものと。九州は名車?トキ900まで使われていましたし。(きめえ丸www)
いあさん、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。いあさんの知見にも助けられています。ありがとうございます。
D52も強力なパワーと以上な重さも有り🔨本州では活躍の場が少なく殆どが東海浜松以降での活躍でしたね。広い北海道では大量の🚜貨物輸送に力を発揮しました❕京都のD52も車庫の中で眠るだけでなく⌛️何時の日か力強い走りを見れる日が来ると良いのですが🌠
塚越さん、いつもご視聴いただきありがとうございます,梅小路で取り輪がオリジナルに戻って戦闘力だか見える様になったなあと思いました。D52やC59は動かせると思うのですが、東海道でコンテナ牽引させたら空は見ものでしょうねえ。
やはり貨物列車はロマンたっぷりでいいですね!無煙化前の四国はほとんどが有蓋車と無蓋車だけの編成が中心で、予讃線ではみかんを運ぶ通風車や魚介を運ぶレム5000も連結されていた感じです。後にディーゼルの時代になってからはラテックスを運ぶタキ、味タムことタム5000、飼料輸送用のホキ2200といった感じでレパートリーが広がり、土讃線では石灰石輸送用のホキ5200やセメント輸送用のタキ1900も使われていました。今ではこれらの貨車は四国から去っていき、全列車がコキ100系列だけで編成されるようになりました。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございました。蒸機の時代は、急行列車>普通客レ>貨物という価値観に支配されていて、私は殆ど貨物はノーマークでした。現在はご存じの通りのありさまなので、過去の姿がもてはやされているのかな。それでも新鶴見で機関車眺めていると、なんか変なもの引っ張ってきてくれるんじゃないかと、夢を持たせてくれるところが機関車って良いですね。
貨物列車の特集ありがとうございました!デコニもたくさん見れてめちゃくちゃ感動しました!😆上紋峠の映像を見させて頂いてキューロクの本線動態保を妄想し上紋峠を後部補機で懸命に押し上げる姿を思い浮かべています☺️貨物用の釜が自分は大好きで、特にセノハチではデコニ重連の後部補機が奮闘してたなんて夢のような光景だっただろうなとこちらも毎晩のように妄想しています!これからも楽しみにしております!ありがとうございました!
冨岡さん、ご視聴頂きありがとうございます。後部補機は二度おいしいので好きなのですが、瀬野八のD52は見てないんです。さぞかしすごかったことでしょう。
狩勝峠を驀進してる画に感動しました!
かずかずさん、ご視聴ありがとうございます。狩勝峠は伝説ですね。私は行かなかったので写真をお借りしてきました。もうここ無いんでんすよね。
出だしの夕鉄蒸機が嬉しかったです。大夕張炭鉱に両親が居た時に私はまだ母親のお腹の中でした。美唄に移ってから生まれましたから鉄道や蒸機は三菱鉱業美唄鉄道の方が薄っすらとした記憶が残っています。小学生の時に買ってもらったHOゲージの二軸貨車、ブリキ製の貨車で同じ形式は買ってもらえず自然とバリエーション豊かな編成になりました。今回、紹介して頂いた写真のように。。。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。夕張の11形は昭和49年の梅雨の時期ごろだったです。その年で蒸気を止めましたのでよく覚えてます。変な機関車で最後まで残ったほうですね。その後長い事個人所有になっていました。
そういえば北海道には、ヨ3500型の保存車が多いですね!旧駅プラットホームが残っているところには殆どあるような感じです。なにか理由があっんですか?
もりわききくおさん、車掌車がいっぱい残っているのは、国鉄が一般に払い下げたからでしょうか。
KatoからNゲージの北海道型のD51、セキ10両セット、車掌車が発売になるらしく、つい先日予約したところでした。生まれた頃はちょうど蒸気機関車からDD51に切り替えが進んでいた時期なので、残念ながら蒸気機関車で旅行した記憶はありませんが、石炭をたくさん積んだ貨車が走っていた記憶はあります。実際の写真を見れて感激です。貴重な写真に加えて魔理沙さんと霊夢さんの掛け合いも楽しくて、毎週アップされる動画を楽しみにしています。
Winniethe Poohさん、ご視聴頂きありがとうございました。楽しみにしていただいていて光栄です。貨車は正直言ってあまりピンと来ないのですが、長い編成って電機でも格好良いなと思います。もう最後の鉄道写真の機関車の聖域なのかもしれませんし、いつか電車になってしまうかもしれませんから、動画を撮って行こうかと思います。
貨物の特集、楽しく拝見しました。こどもの頃は品鶴線の貨物列車をよく見に行っていました。EF10、EF13、EF15、EF58、EF60、EF65、EF66、EH10、こんな機関車が走り回っていたころです。蒸気機関車はもういませんでしたが、新鶴見には転車台やハンプが残っていたと思います。多摩川を渡る貨物列車が鉄道趣味の原点の様に思えます。
ぶん太郎 さん、ご視聴頂きありがとうございました。東京でも私は西の方だったので、八高線が身近でした。都心の方だと越中島とか新鶴見なんでしょうね。新鶴見は近くのスーパーに買い物した時に眺めることがあります。
幼い頃住んでいた近くを走っていたC58に引かれた貨物、冷蔵車のレムにレサ、セメントタキ様々なニ軸貨車が港地区の貨物線を走っていました軸間の違うジョイント音を毎朝聴いて保育園に通っていたのを覚えています。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございました。別の視聴者様も2軸貨車は独特な音と言うご意見でした。
狩勝峠ピックアップありがとうございます🙏❤👍
@7toms786さん、ご視聴頂きありがとうございました。狩勝峠良いですね。大畑が確かによく似ているでしょう?雄大さでは狩勝峠、姥捨なんでしょうけど。
北海道の蒸気は景色も編成も雄大ですね。鉄道模型的には道外禁止の黄帯が鮮やかなセキが映えますが、どうも実車はだいぶくすんでいた様子。煤煙や石炭粉で汚れているのか、黒地に黄色ペンキで描いたので元々そんな感じなのか…。まあ蒸機からして汚れ放題なので推して知るべしでしょうけど。
@abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございました。その通りで、黄色の線がきちんとある方が珍しいです。ですから写真はできるだけ汚く色を入れたんです。機関車もあんなに綺麗じゃないですよね。
興味深く見ました。ありがとうございました。今では信じられない留萌線の長大セキ D51とD61の本務機 後部補機迫力あります。函館線のD52強いですね☺動画の中ではD52にしては編成短い😂といっていましたが、それでも現代で考えられない長さです。東北線のDD51重連をD51が押す写真初めて見ました。一瞬重連で大丈夫?と思いましたがD51が押すのなら心強かったでしょうね。
@user-ce8qx5hg1tさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。留萌本線は現在はあのようになりましたが、良質の炭田が一杯あって活況でした。引きが取れないので後部補機を一緒に撮れたことがありません。その辺が人気イマイチだった理由だと思います。D52は冒頭のナレーションのが長くて立派。動画半ばのはやはりそれと比べるとD52には短いですね。奥中山はDD51x3もありましたし、優等列車はDD51が多いのですが後部補機はD51でした。
室蘭本線の石炭運搬列車はのデゴイチは、1200トン超えのため出発に際して一度絶機の上で再度レギュレータを引いていたと聞いたことがありました。それから追分機関区の火災は残念でした。日本最後の本線蒸機のD51型241号機を始め多くの蒸機が犠牲になりました。残っていれば博物館で見れたかも?保存されたのは間違いないのでは?
もりわききくおさん、ご視聴頂きありがとうございました。セキやホキの同一編成は引き出せればいくらでも牽引できると聞いたことがありますが、室蘭本線は平坦ですからね。以前動画でもやりましたが、追分の事故は残念でした。
貴重な写真を沢さんみれてかんどうしました🥰
ミーくん 、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。後から見返して、ちょっと写真が多くて短時間になってしまっていますね。
2軸貨車の長大貨物は低速で単調なジョイント音を延々と響かせていた印象ですが懐かしいです。狩勝実験線で2軸貨車の競合脱線の試験も行って二段リンクに改良したそうですがそれでも遅かったですね。
シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございました。狩勝実験線でトンネルでの火災の時止まるべきかそのまま突っ走るべきかのテストをC58を使ってやり、NHKのニュースで見ていました。あっ、まだ現役で蒸気が重要なテストに駆り出されているんだと感心したのを覚えてます。
道外禁止車は魅力があります。黄色帯は4310以降ですよね。本州から来たコンテナ車コラ1が好きでした。二軸車では最長でした。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございました。”禁止”と言う言葉をしっかりデカく書いてあるって何か凄いですね。でも現役当時私は黄色線も禁止サインも全然関知していなくて蒸機だけ見ていたんですね。
現在の貨物列車で1200tというとコキ20両になりますが、2軸貨車だと40両程度になるので迫力が違いますな貨車の形状や積載物を示す有蓋車のワや無蓋車のトなどに、重量を示すム、ラ、サ、キも面白いところですな
電光刑事さん、いつもご視聴、コメント頂きありがとうございます。編成が長ければ、それを操車する係員も多く、国鉄は大所帯だったんだなと分かります。皆さん今何をしているのでしょう?
国鉄の末期となる昭和60年代に、本来は熊本へ来ぬ筈のセラ1や北海道用で在る筈なボギー石炭車セキ3000と思わしき貨車が普通貨物列車に混ざった変な光景を数度目撃した事が在ります(^_^;)
んにょんにょ礼子 さん、ご視聴頂きありがとうございました。機関車がくるとなんか変なものが付いていると嬉しいですね。動画の中のDF200のホキの最後にタキが付いていて得した感じしました。
貨車と言ったら昔はとにかく積む荷物によって色々あった。生野菜を運ぶ為スリットが前面にある通風車、魚を活きたまま運ぶ活魚車、陶磁器を運ぶ為バネを強化して揺れなくした陶器車、豚を専門に運ぶ豚積車…なんて貨車が昔あったけどみんな知らないだろうなあ😢😢
芋谷宏さん、ご視聴頂きありがとうございました。C62-2が出てくるかっとの有蓋車がツムだと視聴者様に教えて頂きました。豚の貨物は中国で見たことあります。
映画『新幹線大爆破』で 9600形牽引の貨物列車走行・爆破シーンは『北海道真谷地炭鉱鉄道』『元夕鉄の専用線』で撮影。『皇帝のいない8月』も『三菱石炭鉱業大夕張鉄道線』で 大正期の客車の足回りと台枠に 日車で拵えた14系寝台車のハリボテを載せて『ニセ 特急さくら』として撮影しました。2:41の『雄別炭礦鉄道』の元気動車の客車は シルバーにペイントされ 釧路市内の和菓子屋さんだかの看板になってましたね。
とりりサービスさん、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。私鉄ですので、蒸気を使った映画やコマーシャルって多かったんですね。釧路のは屋上に飾ったんではないですか?以前見た方が教えて呉れた記憶あります。
@@Yukkuri-Lab さまはい。屋上といっても2階位の高さでしたけどね。20数年前に老朽化で処分されましたが その処分費用にも百万単位のお金がかかったとか。
昔はこうやって貨物を引く蒸気機関車もあったけど今じゃ殆ど(全て?)が客車ばかりだからなぁ
石多翻忠朗 さん、ご視聴頂きありがとうございます。貨物列車がこれまで少なくなった現在、蒸機が貨物を牽引するなんて夢物語に近いんですよね。
貨車の世界は沼ですからおいそれと手を出せる世界では無いイメージがあります。特に国鉄時代。ちなみに石炭車はセラ1とセムフ1だけで組んだ編成をD50が牽いてるのが好きでしたが、同時期にED73が牽くセラ1とセムフ1の編成が福間辺りを定期で下ってたのは謎でした。空荷だったから荷下ろししたのを鹿児島線でバイパスし原田経由で回送してたんじゃないかと推理というか妄想してました。
Naruo Kusugawa さん、ご視聴頂きありがとうございました。仰る通りです。客車も難しいですが、貨車は興味もないので頭に入りません。編成単位で良いなぁとかつまんないか、でしたので。石炭車ではセキのほうが堂々としていて好きです。
子供のころ吹田の操車場に沢山貨車があったのを思い出した。SLはすでになかったがディーゼル車が引っ張っていたと思う
@kiyokiyo9230さん、ご視聴頂きありがとうございます。今の吹田はコンテナがわずかに滞留しているぐらいでしょうか。停車している時も在庫になりますからさっさと動かすんでしょうね。
いつまでかは忘れましたけど、狩勝峠のトンネルには出入り口の「カーテン係」がいましたね。思えば北海道で集煙装置つけた蒸機は見た事ないですね。
Homare Jumo213さん、ご視聴頂きありがとうございました。北海道で集煙装置が生きわたらなかったのは謎が多いんですよ。小ぶりなら郡山工場式もありましたし。
トンネルにカーテンが付いてて両端にカーテン係がいる。日本で最初に行ったのは碓氷峠のアプト式路線でした。急勾配の上にトンネルが18箇所もあり通過する度に煙害に乗客は苦しみ対策として列車がトンネルに入った直後、カーテンを閉めて煙がトンネルの上に固まってる隙に高速で通過する。と言った作戦ですが解決にはならず結局最後は電機機関車の登場となった
D51と旅客列車牽引用C55形の重連貨物列車が北海道に存在していたとは驚いた。9600形から始まった貨物用蒸気機関車は、D50形とD51形でほぼ固まった。戦時体制強化蒸気機関車D52形は、決戦蒸気機関車だった。ボイラー不調などで、大量廃車になったりしたが、D60形やD61形とD62形に改造されたのが最後。
大坂さん、ご視聴頂きありがとうございました。コミュニティのC55とD51ナメクジの混合列車は吉都線です。本番を作っていて急遽北海道でまとめたのですね。
@@Yukkuri-Lab さん、やはり北海道はSLの宝庫。根室本線の富良野ー新得間の廃線で狩勝トンネルは廃止されて、バス転換された。残りも経営状態版厳しく、いつ全廃されてもおかしくない。
あの根室本線が途切れるとは。
@@Yukkuri-Lab さん、本当に。台風15号上陸後の豪雨土砂災害で復旧不可能で、沿線自治体は復旧を希望したが、一部自治体は廃止バス転換やむなしと諦めモードだった。
やはり長大編成はロマンを感じるよね〜、俺はガキの頃常磐線の長大編成を眺めながらロマンを感じていたよ
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。機関車の長い列車を見ることがかなわないので、長距離走って山手線をお昼頃やってくる3086レに取り組みたいなと思ってます。
おぉ〜!
港には、ホキ2200(餌ホキ)市場駅には、ツム、レム山間路線は、チキ炭坑は、セキ、セラ 色々と懐かしい😢
小樽築港機関区 さん、ご視聴頂きありがとうございました。何処へ行ってもきれいさっぱり貨車が無くなっていて呆然としたのはつい3,4年前の事でした。凄いことになったんだなあって思いましたよ。
7:27 僕のことですね。今回の動画楽しく拝見させていただきました
京急さん、そうです!ヒント頂きましてかなり研究しましたが、ここまででした。貨物は別の方も仰りましたが、沼ですね。付いていけないですねぇ。
この時代は、二軸貨車はスポーク車輪が多い時代ですね。
赤塚さん、ご視聴頂きありがとうございました。凄い!鋭い観察力ですね。私は車輪まで見てませんでした。
北海道の貨物列車は、石炭列車が多く運行されていた。三菱大夕張炭鉱や歌志内炭鉱、北丹真谷地炭鉱、留萌炭鉱、釧路太平洋炭鉱などで大量の石炭を産出していました。しかし、エネルギー政策が石炭から石油に移り、石炭産業は、斜陽産業になり、閉山が相次ぎ、最後の釧路太平洋炭鉱の閉山で石炭産業は、消滅。石炭産業鉄道や大量のローカル線の廃止につながった。さらには、人口減少に歯止めがかからず、高齢者世帯しか居ない限界消滅集落が多数発生している。昭和30年代は、エネルギー政策の転換点であった。
大坂さん、1975年頃まで炭鉱事故が各地で頻発してそれが原因で閉山、エネルギー転換が進んだ事実って、なんかうらがありそうだと思われませんか?
@@Yukkuri-Lab さん、三菱大夕張炭鉱や北丹真谷地炭鉱や三井歌志内炭鉱や釧路太平洋炭鉱など名高い炭鉱が多かったが、エネルギー政策が石炭から石油に変わり、出光興産(出光昭和シェル石油)や日本石油(ENEOSエナジーグループ)が強力に牛耳った結果、北海道の全炭鉱は閉山した。閉山後夕張市の人口は、5千人に減少して、超高齢化して、限界消滅集落が多発した。若者は早々に札幌市などに移住したりと財政破綻自治体になった。
かえって、そのもっと先に閉山した鉱山のほうが潔く消え去っていきました。
@@Yukkuri-Lab さん、炭鉱夫ももはや死語。😭
狩勝峠の紹介、有りがとう🙏🙏🙏⤵⤵⤵❤
7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございます。狩勝峠は凄かったんですよね。通ったことはあるのですが、いつも夢の中でした。
夕張鉄道11型(8620のボイラー&9600足周り)の特殊な自社発注 計4両。21号機は、自社発注 他7両は 国鉄譲渡(⬅23号機はS型ウェーブ初期型)で、全面に自動開放装置が有りました👍
以前田端機関区を紹介した時に、後年こちらに譲渡された9600が登場します。
EF64 1000番台は、1980~1982年にかけて53機が落成、上越線の旧型電機淘汰用に登場し、全53機が長岡機関区に新製配置されました。ラストナンバーである1053号機は国鉄が一番最後に製造した機関車でもあります。既存のEF64 0番台を上越線に導入しなかったのは、中央本線と上越線では使用する発電ブレーキの抵抗容量が異なるためと冬季の上越線は豪雪地帯のためそれに対抗可能な機関車導入が要求されたためで、0番台と1000番台とでは外観的に異なるなど大分イメージが変わりました。以下はJR貨物EF64に関する経緯です。0番台と同じく2000年代初頭までは全機健在で、JR貨物に引き継がれた45機(1002~1028号機、1033~1050号機)のEF64 1000番台は当初、高崎・岡山機関区に配置されましたが2009年3月改正より愛知機関区にも導入開始、そして2010年3月改正で全機が愛知機関区へ集約配置となった代わりに岡山・高崎からは無配置化されました。運用範囲は高崎配置機が上越・高崎線、東北本線、信越本線、しなの鉄道線、京葉・武蔵野線、常磐線、常磐貨物線、山手貨物線、中央東線等で、岡山配置機がほぼ伯備線専属でした。上述の愛知機関区集約以降は、上越線からは撤退した代わりに、新たに中央西線、鹿島線、東海道貨物線東京貨物タや愛知機関区への出入区を兼ねて2012年3月改正より、東海道本線新鶴見ー稲沢間でも運用開始され、美濃赤坂支線も活躍ステージ進出となりました。山岳線区である上越線、中央・篠ノ井線内では重連総括仕業でしたが、EF64自体の老朽化や鉄路を保有する旅客会社への線路使用料負担軽減及び余分な機関車削減を意図するJR貨物は、これらの線区にも後継のEH200を導入し、EF64 0番台と同じく重連総括仕業を中心に徐々に置き換えられ、2022年3月改正より関東運用から遂に撤退し、同じく全般検査も1046号機を最後に終了し、余命宣告されたも同然となりました。既に検査切れを迎え運用離脱した機体が愛知機関区構内にて、鉄路を去り始めています。なお、伯備線は山岳線区ではあるものの牽引するコキが現車11~12両程度であり、6動軸機関車単機牽引でも充分にカバーできるため、8動軸のEH200を同線に導入すると出力過剰になってしまうことや軸重制限にも引っかかるため、同線には近い将来的にEF210で置き換える方針と聞きました。JR貨物は2010年3月改正でEF64は愛知機関区へ集約配置化、2011年にもEF65が新鶴見機関区へ集約配置化され、2017年に量産先行機が落成し、2018年度より量産開始したDD200も登場時より愛知機関区へ集約配置されていますが、これはJR貨物で進められているエリアごとではなく各形式ごとに配置区を定め、遠方で働く機関車も同じ区所で検修するという考え方です。集約配置化のメリットとしては技術力の維持があり、異形式が少しずつ分散配置されていると、各機関区ではその形式を検査する機会も減り、技術力維持するのが難しくなり、また同一部品を各所に保管する必要が生じ、無駄が大きくなります。旅客会社と異なり全国ネットであるJR貨物は、回送(送り込み・返却)するのに多少時間かかったとしても各工場(車両所)、機関区で同じような構造の機関車を集約して検修する方が有利となっています。愛知から遠く関東首都圏や伯備線仕業のあるEF64や仙台、石巻、新鶴見周辺で活躍するDD200、新鶴見から遠く四国エリアでも仕業するEF65も新鶴見機関区に集約配置しているのはそうした理由からで、逆に愛知のDF200 200番台は北海道苗穂車両所まで回送し、全検施工しています。JR貨物のEF66も発足当初は、吹田・岡山・広島の3区に分散配置されていましたが1996年3月改正で、当時在籍中の全73機(901号機、0番台、100番台)が吹田に集約配置化されました。なお、EF65は2011年1月時点で新鶴見と岡山にそれぞれ配属でしたが、同年3月改正で岡山から新鶴見へ転属したのは、関東仕業で用いるATS-P型保安装置搭載済みの1000番台PFのみが新鶴見集約対象とされ、同装置未搭載の一般形全機と1000番台PF数機は運用離脱し、2012年2月までに廃車されています。このATS-Pは、2008年4月から稼働開始となりました。
小野さん、ご視聴頂きありがとうございます。詳細なEF64のコメントありがとうございました。コミュニティ欄にアップしたEF64なのですが、コメントを読み高崎のEF65?と思いました。視聴者様からEF64だよ!とご回答頂きましたが、なんで上越線を走っているのか?回送ならばどこへ行くのか疑問に思っています。
@@Yukkuri-Lab かつてEF64 1015号機がEF65同様の3色更新色だった時代に、誤って本来EF65PFの仕業にこのEF64 1015号機を充当させてしまったという事例が発生したことも有ります。EF64 1000番台は遠めからだとEF65 1000番台PF型と見分けがつきにくい「らしい」です。
夕張鉄道13型はよく下回りは9600、ボイラーは8620と言われているけど動輪直径は1118ミリでボイラーは8620より一回り小形でつまり全くの別物です。因みに北海道の私鉄は国鉄籍で無い自社発注のC11、12。C56、58。4110、9600型が昭和40年代まで活躍していたのも本州、四国、九州には無い特徴だった。
芋谷さん、ご視聴頂きありがとうございます。日立の機関車でしたね。8620、9600組み合わせというより、中国の上游に似ているとおもいます。
カラス列車
8:58 終焉迫るゲロゲロやくも😂
びゅーんさん、ご視聴頂きありがとうございました。やくもまで見て頂き嬉しいです。やくもは見る分には良いのでしょうが、全然乗って楽しい電車ではないです。
@@Yukkuri-Lab そうですね。乗り心地は酷いものです。昔私が利用した時も戻しそうになって隣席の全然知らない人が戦々恐々としててウケました。
もうすぐ273系に統一される特急やくも。
6月中旬お別れ運転だそうです。
@@Yukkuri-Lab 本当だ。
私も城東貨物線のD52.D52の汽笛を聴きながら育ちました。
ご視聴いただきありがとうございます。貨物線は地味でみんなの目に触れない様にうまくできているんですね。今でも。機関車の汽笛はそれが蒸機ではなくても良いものですが、電車も同じでしたね。
3:13のD52の次位の冷蔵車、木製車体の旧世代車ですね。形式はレムではなくレ(積載重量13t以下)と推測します。
冷蔵車のボギー車は戦後間もない頃に進駐軍向けのレキ1なんてのもありましたが使い勝手も悪く程なく普通の有蓋車に改造された由。
その後時代が下ってEF66の相棒となったレサ10000・レムフ10000で編成された[とびうお][ぎんりん]がMax100km/h で時には急行旅客列車迄待避させ疾走していました。冷蔵車で[ム・ラ・サ・キ]の付いたものは前述のレサ10000・レムフ10000の他には青帯締めたレム5000と確かレサ5000というのがあった筈(85㎞/h)。
因みに本邦の冷蔵車は専ら鮮魚輸送が使命でしたが、その構造は走るクーラーボックス。保冷剤として氷やドライアイスを断熱効果のある車内(多くは天井)に積み込む構造でした。尚残念ながらJRに継承された冷蔵車はないとのこと。
たから号用のヨ5000は新製車とヨ3500からの改造車があり後者は元番号35XXに10000を加えた番号になっていました。
(同様の例がワム23000を2段リンク化してワム90000に編入した個体にも見られ、元番号23XXXに10000を加えていたので中にはワム123456という番号の個体もいました)
有蓋車に於いては木製車体のものは早くに淘汰されましたが、無蓋車は側面の煽り戸は後年迄木製のものが少なくありませんでした。これは積み荷を緊縛する際手鉤を使って留めるのに煽り戸が木製の方が都合が良かった為です。
一見黒1色に見られる貨物列車ですが規定により意外とカラフルな側面もありました。タンク車の黄色・灰色などは積み荷から来る規定によって塗装が法令で決められていました。またコンテナ車も100㎞走行可能な10000系は青15号、それ以外のコキ50000(95㎞)、コキ5000・5500(85㎞)は赤3号(ワキ5000も)など細かい規定がありました。
他にも今では歴史の彼方に消えた[ナ](活魚車)とか、[ヴ](豚積み車)、[カ](家畜車)、[パ](家禽車)、[ポ]陶器車、[リ](土運車)、[ミ](水運車)、[ツ](通風車)、[テ](鉄側有蓋車)、[ス](鉄製有蓋車)なんてのもありました。
このうち[ナ]や[ヴ]は[積み荷]である活魚や豚の世話をする人も乗り込んでいたそうですが、ただでさえ狭い有蓋車のそれも端っこの狭苦しい区画、冷暖房は愚かToiletも無い環境。流石に突放まではしていないとは思いますが当時の貨物列車はよく言えば豪快悪く言えば荒っぽい運転でしたから世話係の労働環境は相当に過酷だったものと推測します。
また通風車は専ら生鮮野菜の輸送に用いられましたが、クルマの手配が出来なかった時には普通の有蓋車(大概両開きのワム60000・ワラ1など)の側扉を開いたまま、その代わり積み荷が落ちない様に横木を渡して走っていました。C56がまだ現役だった頃の小海線では高原野菜の収穫時には何と畑の傍の本線上に列車を停めてそこで積み込んでいたとか。
貨車の世界は客車以上に底なし沼。然し嵌れば嵌る程、面白くなるワンダーランドです(^^)/
@SleeperExpressJNRさん、いつもご視聴、詳細なためになるコメント頂きありがとうございます。貨車の色をどうするか悩むことが多くて参考にさせていただきます。石北本線の玉ねぎ列車に補助金を出しているようですが、現実的に鉄道の貨物輸送ってローカルだと大変なんですね。
画面に写ってた9200は1D コンソリデーション型式で大型だったので別名大コンと呼ばれ、9000型式はボイラーが一回り小型なので小コンと呼ばれてました。
芋谷さん、以前の釧路特集でそのことに触れたのですが、どちらも素敵な機関車ですね。
年代の問題でしょうか、図鑑とトーマスとプラレールの貨物車は今回の動画そのままの雑種雑多で楽しそうだったのに、いざ物心ついて実物の貨物列車を見てみるとコンテナとタンク車ばかりになっていて、貨物列車に深い興味を抱かずここまで来てしまいました。
長万部のスワローエンゼルのシーン、ワムとワムの間にツム(通風車)がいますね。青果物を運ぶためにスリットを開けた有蓋車だそうで、中に人が入るとやっぱり涼しいか寒いくらいなのか、それとも風切り音が凄くうるさいのか、今でもチョッと気になってしまう車種です。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。ツムって言うんですね。なんかちょっと変わっているなと思い、せっかく北海道でまとめたからC62を出そうと思ったカットです。
確かにコンテナ熱くなりますよね。海上コンテナもそうですが生ものは厳しいです。穴を開けておけばちょっと安心なのですね。
北海道に冷蔵車が多いのは、冬には普通の有蓋貨車では積荷が凍るので、保温性がある冷蔵車が保温車扱いで使われたからですね。
北村さん、ご視聴頂きありがとうございます。今の家では冷蔵庫が保温庫になるようなことは無いでけど、以前はそのような役割をしていましたね。
懐かしいですね。子供の頃はたくさんの種類の貨車が走っていて、殊に幹線だと踏切待ちしていると長編成の黒や白の二軸貨車がコトコトと目の前を走り抜けて、それぞれがどんな遠くの知らない土地まで行くのかと想像して、何だかワクワクしたのを想い出しますね。子供の眼には、各駅での貨物の積み込みとか突放作業とかも興味深かった。山陰では豚積車の中で世話人が一所懸命掃除したり餌をやっている姿を、隣接番線に停車した客車の窓から眺めたこともありました。
KSさん、ご視聴頂きありがとうございました。
貨物が無くなってしまい、コンテナとタキばかりで面白くないですが、機関車はそのままなのでまぁ仕方ないかと感じています。確かに貨物列車は夢がありました。
幌内線の9600型石炭列車を見て育ちました。最後尾の車掌車は「中はどうなっているのだろう?一度乗ってみたい」と子供ながらに思いました。懐かしかったです。
同郷だね。
@819man5さん、ご視聴頂きありがとうございました。今でも秩父鉄道のヲキフ100っていうんですか、ホッパ車に車掌のスペースがあるのが駅に来ると中を見てしまいます。1988年から車掌はいないんですって。
やはりSLが貨物列車を牽引する
のは、絵になる
今と違って
いろんな種類の
貨車があったけど
こんだけ種類が多いと
操車場で組成を
する時
行き先が違うこともあるから
操車係は貨車に
はめ込んでいる
車票を1両づつ確認して
それからハンプなどを使って
貨車の仕分けを
やらないとならないし
もし間違っていたら
組成を、やり直しになるし
余計な時間と手間が係るから
そんなことがないように
しないとならないから
結構大変でしょうに
高橋さん、ご視聴頂きありがとうございました。
たしかに!操車場の編成作業は凄いシステムだったことでしょうね。 客車と違って外からでは判別難しいですね。
霊夢、シート被せた貨車は材木ではなく「パルプチップ」を積んで製紙工場へ行くトラ90000形で、走行中に飛散しないようにシートが被せてあるの。
「レ」は保温性を逆手に取って、冬の季節に凍結するとダメになってしまう貨物(味噌、液体調味料、飲料品、缶詰...)を運ぶこともありましたよ。
石炭列車に「ト」が入るのは、増産期だからでしょう。車輌手配でセキ不足、苦肉の策で引っ張り出したものと。
九州は名車?トキ900まで使われていましたし。
(きめえ丸www)
いあさん、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。いあさんの知見にも助けられています。ありがとうございます。
D52も強力なパワーと以上な重さも有り🔨本州では活躍の場が少なく殆どが東海浜松以降での活躍でしたね。
広い北海道では大量の🚜貨物輸送に力を発揮しました❕京都のD52も車庫の中で眠るだけでなく⌛️何時の日か
力強い走りを見れる日が来ると良いのですが🌠
塚越さん、いつもご視聴いただきありがとうございます,
梅小路で取り輪がオリジナルに戻って戦闘力だか見える様になったなあと思いました。D52やC59は動かせると思うのですが、東海道でコンテナ牽引させたら空は見ものでしょうねえ。
やはり貨物列車はロマンたっぷりでいいですね!
無煙化前の四国はほとんどが有蓋車と無蓋車だけの編成が中心で、予讃線ではみかんを運ぶ通風車や魚介を運ぶレム5000も連結されていた感じです。後にディーゼルの時代になってからはラテックスを運ぶタキ、味タムことタム5000、飼料輸送用のホキ2200といった感じでレパートリーが広がり、土讃線では石灰石輸送用のホキ5200やセメント輸送用のタキ1900も使われていました。
今ではこれらの貨車は四国から去っていき、全列車がコキ100系列だけで編成されるようになりました。
かねやん丸のチャンネルさん、ご視聴頂きありがとうございました。
蒸機の時代は、急行列車>普通客レ>貨物という価値観に支配されていて、私は殆ど貨物はノーマークでした。現在はご存じの通りのありさまなので、過去の姿がもてはやされているのかな。
それでも新鶴見で機関車眺めていると、なんか変なもの引っ張ってきてくれるんじゃないかと、夢を持たせてくれるところが機関車って良いですね。
貨物列車の特集ありがとうございました!
デコニもたくさん見れてめちゃくちゃ感動しました!😆
上紋峠の映像を見させて頂いてキューロクの本線動態保を妄想し
上紋峠を後部補機で懸命に押し上げる姿を思い浮かべています☺️
貨物用の釜が自分は大好きで、特にセノハチではデコニ重連の後部補機が奮闘してたなんて夢のような光景だっただろうなとこちらも毎晩のように妄想しています!
これからも楽しみにしております!
ありがとうございました!
冨岡さん、ご視聴頂きありがとうございます。
後部補機は二度おいしいので好きなのですが、瀬野八のD52は見てないんです。さぞかしすごかったことでしょう。
狩勝峠を驀進してる画に感動しました!
かずかずさん、ご視聴ありがとうございます。
狩勝峠は伝説ですね。私は行かなかったので写真をお借りしてきました。もうここ無いんでんすよね。
出だしの夕鉄蒸機が嬉しかったです。大夕張炭鉱に両親が居た時に私はまだ母親のお腹の中でした。
美唄に移ってから生まれましたから鉄道や蒸機は三菱鉱業美唄鉄道の方が薄っすらとした記憶が残っています。
小学生の時に買ってもらったHOゲージの二軸貨車、ブリキ製の貨車で同じ形式は買ってもらえず
自然とバリエーション豊かな編成になりました。今回、紹介して頂いた写真のように。。。
Kei Itoさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
夕張の11形は昭和49年の梅雨の時期ごろだったです。その年で蒸気を止めましたのでよく覚えてます。変な機関車で最後まで残ったほうですね。その後長い事個人所有になっていました。
そういえば北海道には、ヨ3500型の保存車が多いですね!旧駅プラットホームが残っているところには殆どあるような感じです。なにか理由があっんですか?
もりわききくおさん、車掌車がいっぱい残っているのは、国鉄が一般に払い下げたからでしょうか。
KatoからNゲージの北海道型のD51、セキ10両セット、車掌車が発売になるらしく、つい先日予約したところでした。
生まれた頃はちょうど蒸気機関車からDD51に切り替えが進んでいた時期なので、残念ながら蒸気機関車で旅行した記憶はありませんが、
石炭をたくさん積んだ貨車が走っていた記憶はあります。実際の写真を見れて感激です。
貴重な写真に加えて魔理沙さんと霊夢さんの掛け合いも楽しくて、毎週アップされる動画を楽しみにしています。
Winniethe Poohさん、ご視聴頂きありがとうございました。楽しみにしていただいていて光栄です。
貨車は正直言ってあまりピンと来ないのですが、長い編成って電機でも格好良いなと思います。
もう最後の鉄道写真の機関車の聖域なのかもしれませんし、いつか電車になってしまうかもしれませんから、動画を撮って行こうかと思います。
貨物の特集、楽しく拝見しました。
こどもの頃は品鶴線の貨物列車をよく見に行っていました。
EF10、EF13、EF15、EF58、EF60、EF65、EF66、EH10、こんな機関車が走り回っていたころです。
蒸気機関車はもういませんでしたが、新鶴見には転車台やハンプが残っていたと思います。
多摩川を渡る貨物列車が鉄道趣味の原点の様に思えます。
ぶん太郎 さん、ご視聴頂きありがとうございました。
東京でも私は西の方だったので、八高線が身近でした。都心の方だと越中島とか新鶴見なんでしょうね。新鶴見は近くのスーパーに買い物した時に眺めることがあります。
幼い頃住んでいた近くを走っていたC58に引かれた貨物、冷蔵車のレムにレサ、セメントタキ様々なニ軸貨車が港地区の貨物線を走っていました
軸間の違うジョイント音を毎朝聴いて保育園に通っていたのを覚えています。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございました。
別の視聴者様も2軸貨車は独特な音と言うご意見でした。
狩勝峠ピックアップありがとうございます🙏❤👍
@7toms786さん、ご視聴頂きありがとうございました。狩勝峠良いですね。大畑が確かによく似ているでしょう?雄大さでは狩勝峠、姥捨なんでしょうけど。
北海道の蒸気は景色も編成も雄大ですね。鉄道模型的には道外禁止の黄帯が鮮やかなセキが映えますが、どうも実車はだいぶくすんでいた様子。煤煙や石炭粉で汚れているのか、黒地に黄色ペンキで描いたので元々そんな感じなのか…。まあ蒸機からして汚れ放題なので推して知るべしでしょうけど。
@abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございました。
その通りで、黄色の線がきちんとある方が珍しいです。ですから写真はできるだけ汚く色を入れたんです。機関車もあんなに綺麗じゃないですよね。
興味深く見ました。ありがとうございました。今では信じられない留萌線の長大セキ D51とD61の本務機 後部補機迫力あります。函館線のD52強いですね☺動画の中ではD52にしては編成短い😂といっていましたが、それでも現代で考えられない長さです。
東北線のDD51重連をD51が押す写真初めて見ました。一瞬重連で大丈夫?と思いましたがD51が押すのなら心強かったでしょうね。
@user-ce8qx5hg1tさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。留萌本線は現在はあのようになりましたが、良質の炭田が一杯あって活況でした。引きが取れないので後部補機を一緒に撮れたことがありません。その辺が人気イマイチだった理由だと思います。
D52は冒頭のナレーションのが長くて立派。動画半ばのはやはりそれと比べるとD52には短いですね。奥中山はDD51x3もありましたし、優等列車はDD51が多いのですが後部補機はD51でした。
室蘭本線の石炭運搬列車はのデゴイチは、1200トン超えのため出発に際して一度絶機の上で再度レギュレータを引いていたと聞いたことがありました。それから追分機関区の火災は残念でした。日本最後の本線蒸機のD51型241号機を始め多くの蒸機が犠牲になりました。残っていれば博物館で見れたかも?保存されたのは間違いないのでは?
もりわききくおさん、ご視聴頂きありがとうございました。セキやホキの同一編成は引き出せればいくらでも牽引できると聞いたことがありますが、室蘭本線は平坦ですからね。
以前動画でもやりましたが、追分の事故は残念でした。
貴重な写真を沢さんみれてかんどうしました🥰
ミーくん 、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。
後から見返して、ちょっと写真が多くて短時間になってしまっていますね。
2軸貨車の長大貨物は低速で単調なジョイント音を延々と響かせていた印象ですが懐かしいです。
狩勝実験線で2軸貨車の競合脱線の試験も行って二段リンクに改良したそうですがそれでも遅かったですね。
シロクニさん、ご視聴頂きありがとうございました。
狩勝実験線でトンネルでの火災の時止まるべきかそのまま突っ走るべきかのテストをC58を使ってやり、NHKのニュースで見ていました。あっ、まだ現役で蒸気が重要なテストに駆り出されているんだと感心したのを覚えてます。
道外禁止車は魅力があります。黄色帯は4310以降ですよね。本州から来たコンテナ車コラ1が好きでした。二軸車では最長でした。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございました。”禁止”と言う言葉をしっかりデカく書いてあるって何か凄いですね。でも現役当時私は黄色線も禁止サインも全然関知していなくて蒸機だけ見ていたんですね。
現在の貨物列車で1200tというとコキ20両になりますが、2軸貨車だと40両程度になるので迫力が違いますな
貨車の形状や積載物を示す有蓋車のワや無蓋車のトなどに、重量を示すム、ラ、サ、キも面白いところですな
電光刑事さん、いつもご視聴、コメント頂きありがとうございます。編成が長ければ、それを操車する係員も多く、国鉄は大所帯だったんだなと分かります。皆さん今何をしているのでしょう?
国鉄の末期となる昭和60年代に、本来は熊本へ来ぬ筈のセラ1や北海道用で在る筈なボギー石炭車セキ3000と思わしき貨車が普通貨物列車に混ざった変な光景を数度目撃した事が在ります(^_^;)
んにょんにょ礼子 さん、ご視聴頂きありがとうございました。
機関車がくるとなんか変なものが付いていると嬉しいですね。動画の中のDF200のホキの最後にタキが付いていて得した感じしました。
貨車と言ったら昔はとにかく積む荷物によって色々あった。生野菜を運ぶ為スリットが前面にある通風車、魚を活きたまま運ぶ活魚車、陶磁器を運ぶ為バネを強化して揺れなくした陶器車、豚を専門に運ぶ豚積車…なんて貨車が昔あったけどみんな知らないだろうなあ😢😢
芋谷宏さん、ご視聴頂きありがとうございました。C62-2が出てくるかっとの有蓋車がツムだと視聴者様に教えて頂きました。
豚の貨物は中国で見たことあります。
映画『新幹線大爆破』で 9600形牽引の貨物列車走行・爆破シーンは『北海道真谷地炭鉱鉄道』『元夕鉄の専用線』で撮影。
『皇帝のいない8月』も『三菱石炭鉱業大夕張鉄道線』で 大正期の客車の足回りと台枠に 日車で拵えた14系寝台車のハリボテを載せて『ニセ 特急さくら』として撮影しました。
2:41の『雄別炭礦鉄道』の元気動車の客車は シルバーにペイントされ 釧路市内の和菓子屋さんだかの看板になってましたね。
とりりサービスさん、ご支援ご視聴頂きありがとうございます。
私鉄ですので、蒸気を使った映画やコマーシャルって多かったんですね。
釧路のは屋上に飾ったんではないですか?以前見た方が教えて呉れた記憶あります。
@@Yukkuri-Lab さま
はい。屋上といっても2階位の高さでしたけどね。
20数年前に老朽化で処分されましたが その処分費用にも百万単位のお金がかかったとか。
昔はこうやって貨物を引く蒸気機関車もあったけど今じゃ殆ど(全て?)が客車ばかりだからなぁ
石多翻忠朗 さん、ご視聴頂きありがとうございます。
貨物列車がこれまで少なくなった現在、蒸機が貨物を牽引するなんて夢物語に近いんですよね。
貨車の世界は沼ですからおいそれと手を出せる世界では無いイメージがあります。特に国鉄時代。
ちなみに石炭車はセラ1とセムフ1だけで組んだ編成をD50が牽いてるのが好きでしたが、同時期にED73が牽くセラ1とセムフ1の編成が
福間辺りを定期で下ってたのは謎でした。
空荷だったから荷下ろししたのを鹿児島線でバイパスし原田経由で回送してたんじゃないかと推理というか妄想してました。
Naruo Kusugawa さん、ご視聴頂きありがとうございました。
仰る通りです。客車も難しいですが、貨車は興味もないので頭に入りません。
編成単位で良いなぁとかつまんないか、でしたので。
石炭車ではセキのほうが堂々としていて好きです。
子供のころ吹田の操車場に沢山貨車があったのを思い出した。SLはすでになかったがディーゼル車が引っ張っていたと思う
@kiyokiyo9230さん、ご視聴頂きありがとうございます。
今の吹田はコンテナがわずかに滞留しているぐらいでしょうか。
停車している時も在庫になりますからさっさと動かすんでしょうね。
いつまでかは忘れましたけど、狩勝峠のトンネルには出入り口の「カーテン係」がいましたね。
思えば北海道で集煙装置つけた蒸機は見た事ないですね。
Homare Jumo213さん、ご視聴頂きありがとうございました。
北海道で集煙装置が生きわたらなかったのは謎が多いんですよ。
小ぶりなら郡山工場式もありましたし。
トンネルにカーテンが付いてて両端にカーテン係がいる。日本で最初に行ったのは碓氷峠のアプト式路線でした。急勾配の上にトンネルが18箇所もあり通過する度に煙害に乗客は苦しみ対策として列車がトンネルに入った直後、カーテンを閉めて煙がトンネルの上に固まってる隙に高速で通過する。と言った作戦ですが解決にはならず結局最後は電機機関車の登場となった
D51と旅客列車牽引用C55形の重連貨物列車が北海道に存在していたとは驚いた。
9600形から始まった貨物用蒸気機関車は、D50形とD51形でほぼ固まった。
戦時体制強化蒸気機関車D52形は、決戦蒸気機関車だった。
ボイラー不調などで、大量廃車になったりしたが、D60形やD61形とD62形に改造されたのが最後。
大坂さん、ご視聴頂きありがとうございました。
コミュニティのC55とD51ナメクジの混合列車は吉都線です。
本番を作っていて急遽北海道でまとめたのですね。
@@Yukkuri-Lab さん、やはり北海道はSLの宝庫。
根室本線の富良野ー新得間の廃線で狩勝トンネルは廃止されて、バス転換された。
残りも経営状態版厳しく、いつ全廃されてもおかしくない。
あの根室本線が途切れるとは。
@@Yukkuri-Lab さん、本当に。台風15号上陸後の豪雨土砂災害で復旧不可能で、沿線自治体は復旧を希望したが、一部自治体は廃止バス転換やむなしと諦めモードだった。
やはり長大編成はロマンを感じるよね〜、俺はガキの頃常磐線の長大編成を眺めながらロマンを感じていたよ
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
機関車の長い列車を見ることがかなわないので、長距離走って山手線をお昼頃やってくる3086レに取り組みたいなと思ってます。
おぉ〜!
港には、ホキ2200(餌ホキ)
市場駅には、ツム、レム
山間路線は、チキ
炭坑は、セキ、セラ
色々と懐かしい😢
小樽築港機関区 さん、ご視聴頂きありがとうございました。
何処へ行ってもきれいさっぱり貨車が無くなっていて呆然としたのはつい3,4年前の事でした。
凄いことになったんだなあって思いましたよ。
7:27 僕のことですね。今回の動画楽しく拝見させていただきました
京急さん、そうです!ヒント頂きましてかなり研究しましたが、ここまででした。
貨物は別の方も仰りましたが、沼ですね。付いていけないですねぇ。
この時代は、二軸貨車はスポーク車輪が多い時代ですね。
赤塚さん、ご視聴頂きありがとうございました。
凄い!鋭い観察力ですね。私は車輪まで見てませんでした。
北海道の貨物列車は、石炭列車が多く運行されていた。
三菱大夕張炭鉱や歌志内炭鉱、北丹真谷地炭鉱、留萌炭鉱、釧路太平洋炭鉱などで大量の石炭を産出していました。
しかし、エネルギー政策が石炭から石油に移り、石炭産業は、斜陽産業になり、閉山が相次ぎ、最後の釧路太平洋炭鉱の閉山で石炭産業は、消滅。石炭産業鉄道や大量のローカル線の廃止につながった。さらには、人口減少に歯止めがかからず、高齢者世帯しか居ない限界消滅集落が多数発生している。
昭和30年代は、エネルギー政策の転換点であった。
大坂さん、1975年頃まで炭鉱事故が各地で頻発してそれが原因で閉山、エネルギー転換が進んだ事実って、なんかうらがありそうだと思われませんか?
@@Yukkuri-Lab さん、三菱大夕張炭鉱や北丹真谷地炭鉱や三井歌志内炭鉱や釧路太平洋炭鉱など名高い炭鉱が多かったが、エネルギー政策が石炭から石油に変わり、出光興産(出光昭和シェル石油)や日本石油(ENEOSエナジーグループ)が強力に牛耳った結果、北海道の全炭鉱は閉山した。
閉山後夕張市の人口は、5千人に減少して、超高齢化して、限界消滅集落が多発した。
若者は早々に札幌市などに移住したりと財政破綻自治体になった。
かえって、そのもっと先に閉山した鉱山のほうが潔く消え去っていきました。
@@Yukkuri-Lab さん、炭鉱夫ももはや死語。😭
狩勝峠の紹介、有りがとう🙏🙏🙏⤵⤵⤵❤
7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございます。
狩勝峠は凄かったんですよね。通ったことはあるのですが、いつも夢の中でした。
夕張鉄道11型(8620のボイラー&9600足周り)の特殊な自社発注 計4両。21号機は、自社発注 他7両は 国鉄譲渡(⬅23号機はS型ウェーブ初期型)で、全面に自動開放装置が有りました👍
以前田端機関区を紹介した時に、後年こちらに譲渡された9600が登場します。
EF64 1000番台は、1980~1982年にかけて53機が落成、上越線の旧型電機淘汰用に登場し、全53機が長岡機関区に新製配置されました。ラストナンバーである1053号機は国鉄が一番最後に製造した機関車でもあります。既存のEF64 0番台を上越線に導入しなかったのは、中央本線と上越線では使用する発電ブレーキの抵抗容量が異なるためと冬季の上越線は豪雪地帯のためそれに対抗可能な機関車導入が要求されたためで、0番台と1000番台とでは外観的に異なるなど大分イメージが変わりました。
以下はJR貨物EF64に関する経緯です。
0番台と同じく2000年代初頭までは全機健在で、JR貨物に引き継がれた45機(1002~1028号機、1033~1050号機)のEF64 1000番台は当初、高崎・岡山機関区に配置されましたが2009年3月改正より愛知機関区にも導入開始、そして2010年3月改正で全機が愛知機関区へ集約配置となった代わりに岡山・高崎からは無配置化されました。
運用範囲は高崎配置機が上越・高崎線、東北本線、信越本線、しなの鉄道線、京葉・武蔵野線、常磐線、常磐貨物線、山手貨物線、中央東線等で、岡山配置機がほぼ伯備線専属でした。上述の愛知機関区集約以降は、上越線からは撤退した代わりに、新たに中央西線、鹿島線、東海道貨物線東京貨物タや愛知機関区への出入区を兼ねて2012年3月改正より、東海道本線新鶴見ー稲沢間でも運用開始され、美濃赤坂支線も活躍ステージ進出となりました。
山岳線区である上越線、中央・篠ノ井線内では重連総括仕業でしたが、EF64自体の老朽化や鉄路を保有する旅客会社への線路使用料負担軽減及び余分な機関車削減を意図するJR貨物は、これらの線区にも後継のEH200を導入し、EF64 0番台と同じく重連総括仕業を中心に徐々に置き換えられ、2022年3月改正より関東運用から遂に撤退し、同じく全般検査も1046号機を最後に終了し、余命宣告されたも同然となりました。
既に検査切れを迎え運用離脱した機体が愛知機関区構内にて、鉄路を去り始めています。なお、伯備線は山岳線区ではあるものの牽引するコキが現車11~12両程度であり、6動軸機関車単機牽引でも充分にカバーできるため、8動軸のEH200を同線に導入すると出力過剰になってしまうことや軸重制限にも引っかかるため、同線には近い将来的にEF210で置き換える方針と聞きました。
JR貨物は2010年3月改正でEF64は愛知機関区へ集約配置化、2011年にもEF65が新鶴見機関区へ集約配置化され、2017年に量産先行機が落成し、2018年度より量産開始したDD200も登場時より愛知機関区へ集約配置されていますが、これはJR貨物で進められているエリアごとではなく各形式ごとに配置区を定め、遠方で働く機関車も同じ区所で検修するという考え方です。
集約配置化のメリットとしては技術力の維持があり、異形式が少しずつ分散配置されていると、各機関区ではその形式を検査する機会も減り、技術力維持するのが難しくなり、また同一部品を各所に保管する必要が生じ、無駄が大きくなります。
旅客会社と異なり全国ネットであるJR貨物は、回送(送り込み・返却)するのに多少時間かかったとしても各工場(車両所)、機関区で同じような構造の機関車を集約して検修する方が有利となっています。
愛知から遠く関東首都圏や伯備線仕業のあるEF64や仙台、石巻、新鶴見周辺で活躍するDD200、新鶴見から遠く四国エリアでも仕業するEF65も新鶴見機関区に集約配置しているのはそうした理由からで、逆に愛知のDF200 200番台は北海道苗穂車両所まで回送し、全検施工しています。
JR貨物のEF66も発足当初は、吹田・岡山・広島の3区に分散配置されていましたが1996年3月改正で、当時在籍中の全73機(901号機、0番台、100番台)が吹田に集約配置化されました。
なお、EF65は2011年1月時点で新鶴見と岡山にそれぞれ配属でしたが、同年3月改正で岡山から新鶴見へ転属したのは、関東仕業で用いるATS-P型保安装置搭載済みの1000番台PFのみが新鶴見集約対象とされ、同装置未搭載の一般形全機と1000番台PF数機は運用離脱し、2012年2月までに廃車されています。このATS-Pは、2008年4月から稼働開始となりました。
小野さん、ご視聴頂きありがとうございます。詳細なEF64のコメントありがとうございました。
コミュニティ欄にアップしたEF64なのですが、コメントを読み高崎のEF65?と思いました。
視聴者様からEF64だよ!とご回答頂きましたが、なんで上越線を走っているのか?回送ならばどこへ行くのか疑問に思っています。
@@Yukkuri-Lab
かつてEF64 1015号機がEF65同様の3色更新色だった時代に、誤って本来EF65PFの仕業にこのEF64 1015号機を充当させてしまったという事例が発生したことも有ります。
EF64 1000番台は遠めからだとEF65 1000番台PF型と見分けがつきにくい「らしい」です。
夕張鉄道13型はよく下回りは9600、ボイラーは8620と言われているけど動輪直径は1118ミリでボイラーは8620より一回り小形でつまり全くの別物です。因みに北海道の私鉄は国鉄籍で無い自社発注のC11、12。C56、58。4110、9600型が昭和40年代まで活躍していたのも本州、四国、九州には無い特徴だった。
芋谷さん、ご視聴頂きありがとうございます。日立の機関車でしたね。8620、9600組み合わせというより、中国の上游に似ているとおもいます。
カラス列車
8:58 終焉迫るゲロゲロやくも😂
びゅーんさん、ご視聴頂きありがとうございました。やくもまで見て頂き嬉しいです。
やくもは見る分には良いのでしょうが、全然乗って楽しい電車ではないです。
@@Yukkuri-Lab そうですね。乗り心地は酷いものです。
昔私が利用した時も戻しそうになって隣席の全然知らない人が戦々恐々としててウケました。
もうすぐ273系に統一される特急やくも。
6月中旬お別れ運転だそうです。
@@Yukkuri-Lab 本当だ。
私も城東貨物線のD52.D52の汽笛を聴きながら育ちました。
ご視聴いただきありがとうございます。
貨物線は地味でみんなの目に触れない様にうまくできているんですね。今でも。
機関車の汽笛はそれが蒸機ではなくても良いものですが、電車も同じでしたね。