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初の鈴鹿開催となった87年の日本GPで、ベルガーがF187でポール トゥ ウィンを決めたレース映像を当時見て興奮してた思い出が蘇ります。時を経て、日本でコレクションされてるF187 の個体が鈴鹿ファン感謝デーやサウンドオブエンジンといったイベントで、様々なドライバーがステアリングを握りデモ走行してる姿を見ることが出来ますね。
僕は最初からフェラーリが勝つと思っていました。なぜならF1イコールフェラーリのイメージしかなく、マクラーレン、リジェ、ティレル、ロータス位しか知らなかったので。やはりフェラーリ勝ったなくらいでした。今は興味はないから見てないけど、地上放送がおわって見なくなった。まあ、シューマッハが引退する頃に見なくなった。まだ小さなチームがたくさんあったのは楽しかった。
この時のフェラーリでポストレスウェイトとミジョーが設計してた車が翌年ティレル018としてグランプリを走る事になり、更にハイノーズ化していくと。
アルボレート一番好きなドライバーだったからこの辺の年代は空気となって悲しかった
ベルガーの優勝は美味しいところが多いよね。記録よりも記憶に残るドライバーだよ。
秋に咲くサーキットのコスモス、女好きのチロリアンことベルガー。炎の中からの生還者、鈴鹿の130R大好き男、長らく鈴鹿の予選タイムホルダーだったり、マクラーレンホンダ最後のオーストラリアアデレードでもしょうした、すごい人です。
マクラーレン在籍時に、フジテレビの女子アナをグルービーと勘違いして口説こうとした、なんて話を聞きました。イケメンでオンナ好きでも有名でした。
87年の戦績の良かったシャーシを翌年に流用…89年以降の新規定に狙いを定めて開発リソースをそちらに割く方向性は間違えでは無かった。…が、たった1シーズンのみでも全力出し切った88年のマクラーレン・ホンダが異常過ぎたんですよね
ちなみに88年イタリアGPの3位4位はアロウズ・メガトロンで設計は若き日のロス・ブラウン。
2023年もそうだったけど、チームが混乱期でもなんやかんや1~2回ぐらいは勝っちゃうのがフェラーリだよね。そこは力があるなと思うけど、なまじ力があるせいで自信を付けちゃって改革が進まない...
グダグダしてるのがフェラーリ本来の姿だよ
フェラーリじゃなきゃ空中分解していた話。88年は開発ストップと同時にマシンは3台のみで1年間戦ったチームの力は凄かったんだ。
ベルガーは87年が一番輝いてたと思う
伝説の88イタリア。終盤、燃費マイナススローダウンの指示を無視、ファステスト連発で追い上げたアルボレート。冷遇のエースが見せた最後の矜持。もし、彼がベルガーの前でフィニッシュしていたらイタリアの狂乱はどこまで加熱していただろうか…未だに妄想が捗りますw
だから1988年新興チームのリアルのマシンがF187に似てるんやなー
ホンダの首根っこを押さえるために行ったターボ規制はホンダの追い風にしかならなかったという皮肉な話。
丁度この頃フェラーリのテストドライバーを務めていたのはロベルト・モレノでレギュラーシート確約での契約で加入したんだっけな。でもエンツォが逝去した事でレギュラーの話は雲散霧消したりもする
シュレッサー…後にパリダカで悪名を轟かせる事になる彼ですがここでも一悶着起こしていたんですね
父親の件で日本嫌いたからパリダカの件はもちろん、こちらの接触もわざとなんじゃないかと思います。
@@なバナナ-k2b父じゃなくておじさんですね。モンツァの接触がわざとかどうかは分からないけれど、日系マネーだらけの当時のF1でホンダエンジン搭載車の大記録を潰した以上F1には戻れず、数年ルサンチマンを溜めてあの行動に…は納得。
いつものGTの動画背景が闇夜の烏でちと寂しい
ぜんっぜん今回の動画に関係ないけど、ドライバーの直後にあるロールオーバーバー、やっぱり鋼管パイプで組まれた無骨なアピアランスが好きだなぁ。デザインコンシャスなマシン造りが好きなマーレイさんは、ロールオーバーバーも綺麗でカッコ良いブラバムをデザインしていてそれも好きだったけれど、古き良き時代の「頭、いちおう守るつもりです!」っていう見た目、大好きでした(話が違うねごめんなさい)。
88年最終戦オーストラリアGP、ランキングが確定していたことから燃費無視のブーストアップ。それまでまったく歯が立たなかったマクラーレンをぶっちぎって鬱憤を晴らし、バックマーカーと接触してあっさりリタイアしたベルガーは最高でしたね。
ベルガー曰くアルボレートは意外に気難しい男で「俺がやろうとする反対の事ばかりやっていた」との事。
1:20 バーニー、エンツォ、バレストルの3人揃い踏みの写真の迫力ったらもうね。完全にマフィアの親分の集会だわwww
同じイギリス人でもイタリアに居住することを拒否し母国で仕事をする条件を求めたバーナードと、イタリアに住んでフェラーリのスタッフと積極的に交流を深めていったポスルスウェイトのスタイルは対照的。スタッフとコミュニケーションを取らないバーナードがフェラーリ内部で嫌われるのも仕方ない。
88年は燃費ガン無視でぶっ飛ばしたアデレードや、兎に角全開区間の長い旧シルバーストーンでは予選1-2を獲得する等速さもありましたが、特に燃費性能はホンダと比べると圧倒的に劣っていましたね。シルバーストーンのベルガーは、ポールスタートもレース序盤から燃費懸念のローペースでズルズルと順位を下げて行き、終盤周回遅れになった挙句に最後はガス欠で力尽きて6位入賞を失いました。
F187が初開催のF1日本GPで優勝した。
1988年イタリアGPでのゲルハルトベルガーは最高でしたね。ミハエルシューマッハがフェラーリで移籍してチャンピオンを取る迄はね。
この様な混乱の最中でも勝利を挙げたゲルハルトはフェラーリレギュラーに相応しい本当のプロフェッショナルなのだと言う事を象徴するシーズンでも有ったんですね、ゲルハルトはエンツォ存命中にフェラーリにワークス入りした最後のドライバーでもあったのですよ。^^
F187……今まで登場したフェラーリのマシンではこの車がイチバンカッコいい☆😉👍️
87年、88年のフェラーリは…堕ちた名門…的な雰囲気でしたね…87年に2年振りに鈴鹿で優勝、勢いでアデレードで勝ち2連勝。しかしながら88年はエンツォ亡き後のモンツァで劇的ワンツーのみ。そこそこ良いかと思いますが…フェラーリだから…世は厳しい目で見ちゃいますよね…。まぁ…リタイアが多過ぎ…タイヤ交換まで保てば御の字。フェラーリマジックが見られる!!!と思ったものです。ここからは私見ですが……混乱に陥ったのはエンツォの具合が結構前から悪かったんではないでしょうか……???表現があれですが…生きてるうちに勝つ、チャンピオン獲ると焦って迷走したのかな……って思います。チーム体制も改革に乗り出しましたが、お得意のお家騒動……的な…。そりゃ監督のチェザーレ・フィオリオもお手上げですね。色々ありながらも数年振りの優勝、エンツォ亡き後のモンツァでの劇的勝利。何時何時でも魅せてくれる愛すべき名門………。駿馬も駄馬も、それがスクーデリアフェラーリ……!!!ただただ…ベルガーでなく勝つのはアルボレートだったなら…………と思うのは私だけでしょうか……?!?間違ってなければ、ロレンツォ・バンディーニ以来のイタリア人フェラーリドライバー……そしてエンツォが直接契約した最後のイタリア人ドライバーがアルボレートの筈です……。2年間の3勝をアルボレートが達成していれば……この2年間はもっと違った言い伝えになったかもしれませんね…………。タラレバ好きなオヤジでした!!
BGMが全く無いですね
エースのミケーレ・アルボレートがマスコミにジョン・バーナードのことを聞かれ、「電話機を使って複雑な手術をしようとする脳外科医の様だ」と、発言し物議を醸したことがありました。
この頃は髪フサフサのゲルハルト・ベルガー。今は...😅
ジョンバーナードは今、何をしているのかな?パドリングシフトは今では当たり前だけど、あの当時は衝撃的でした。
ベルガー最高!
所々背景が黒のままになってますよ?
F187がフェラーリで一番美しいべルガーが87年の終盤2戦を続けて勝った時には翌年に向けて期待を抱かせたね。結局反則のようなチーム、ドライバーラインナップで手も足も出なかったけど、モンツァで神業のような勝利は凄かった
F187も美しかったけど、最も美しかったのは90年型の641/2か、92年型のF92Aでしょう。
フェラーリ版お家騒動ですね。
あのプロストさえ、フェラーリには馴染めなかったが。よくしょうとアドバイスするも蚊帳の外だった。最後は揉めて脱退。鈴鹿に来るのか走るのかわからなかった92年。結局は走ったがポイントとは程遠いフィニッシュ。
現代と違って、30年以上前にイタリアとイギリスの2拠点でエンジニアリング開発。そんな効率の悪さを、よく認めたものだよ。
019ぅ~👍!?
初の鈴鹿開催となった87年の日本GPで、ベルガーがF187でポール トゥ ウィンを決めたレース映像を当時見て興奮してた思い出が蘇ります。
時を経て、日本でコレクションされてるF187 の個体が鈴鹿ファン感謝デーやサウンドオブエンジンといったイベントで、様々なドライバーがステアリングを握りデモ走行してる姿を見ることが出来ますね。
僕は最初からフェラーリが勝つと思っていました。なぜならF1イコールフェラーリのイメージしかなく、マクラーレン、リジェ、ティレル、ロータス位しか知らなかったので。やはりフェラーリ勝ったなくらいでした。今は興味はないから見てないけど、地上放送がおわって見なくなった。まあ、シューマッハが引退する頃に見なくなった。まだ小さなチームがたくさんあったのは楽しかった。
この時のフェラーリでポストレスウェイトとミジョーが設計してた車が翌年ティレル018としてグランプリを走る事になり、更にハイノーズ化していくと。
アルボレート一番好きなドライバーだったからこの辺の年代は空気となって悲しかった
ベルガーの優勝は美味しいところが多いよね。記録よりも記憶に残るドライバーだよ。
秋に咲くサーキットのコスモス、女好きのチロリアンことベルガー。炎の中からの生還者、鈴鹿の130R大好き男、長らく鈴鹿の予選タイムホルダーだったり、マクラーレンホンダ最後のオーストラリアアデレードでもしょうした、すごい人です。
マクラーレン在籍時に、フジテレビの女子アナをグルービーと勘違いして口説こうとした、なんて話を聞きました。イケメンでオンナ好きでも有名でした。
87年の戦績の良かったシャーシを翌年に流用…89年以降の新規定に狙いを定めて開発リソースをそちらに割く方向性は間違えでは無かった。
…が、たった1シーズンのみでも全力出し切った88年のマクラーレン・ホンダが異常過ぎたんですよね
ちなみに88年イタリアGPの3位4位はアロウズ・メガトロンで設計は若き日のロス・ブラウン。
2023年もそうだったけど、チームが混乱期でもなんやかんや1~2回ぐらいは勝っちゃうのがフェラーリだよね。そこは力があるなと思うけど、なまじ力があるせいで自信を付けちゃって改革が進まない...
グダグダしてるのがフェラーリ本来の姿だよ
フェラーリじゃなきゃ空中分解していた話。
88年は開発ストップと同時にマシンは3台のみで1年間戦ったチームの力は凄かったんだ。
ベルガーは87年が一番輝いてたと
思う
伝説の88イタリア。
終盤、燃費マイナススローダウンの指示を無視、ファステスト連発で追い上げたアルボレート。
冷遇のエースが見せた最後の矜持。
もし、彼がベルガーの前でフィニッシュしていたらイタリアの狂乱はどこまで加熱していただろうか…
未だに妄想が捗りますw
だから1988年新興チームのリアルのマシンがF187に似てるんやなー
ホンダの首根っこを押さえるために行ったターボ規制はホンダの追い風にしかならなかったという皮肉な話。
丁度この頃フェラーリのテストドライバーを務めていたのはロベルト・モレノでレギュラーシート確約での契約で加入したんだっけな。でもエンツォが逝去した事でレギュラーの話は雲散霧消したりもする
シュレッサー…後にパリダカで悪名を轟かせる事になる彼ですが
ここでも一悶着起こしていたんですね
父親の件で日本嫌いたからパリダカの件はもちろん、こちらの接触もわざとなんじゃないかと思います。
@@なバナナ-k2b父じゃなくておじさんですね。モンツァの接触がわざとかどうかは分からないけれど、日系マネーだらけの当時のF1でホンダエンジン搭載車の大記録を潰した以上F1には戻れず、数年ルサンチマンを溜めてあの行動に…は納得。
いつものGTの動画背景が闇夜の烏でちと寂しい
ぜんっぜん今回の動画に関係ないけど、ドライバーの直後にあるロールオーバーバー、やっぱり鋼管パイプで組まれた無骨なアピアランスが好きだなぁ。デザインコンシャスなマシン造りが好きなマーレイさんは、ロールオーバーバーも綺麗でカッコ良いブラバムをデザインしていてそれも好きだったけれど、古き良き時代の「頭、いちおう守るつもりです!」っていう見た目、大好きでした(話が違うねごめんなさい)。
88年最終戦オーストラリアGP、ランキングが確定していたことから燃費無視のブーストアップ。それまでまったく歯が立たなかったマクラーレンをぶっちぎって鬱憤を晴らし、バックマーカーと接触してあっさりリタイアしたベルガーは最高でしたね。
ベルガー曰くアルボレートは意外に気難しい男で「俺がやろうとする反対の事ばかりやっていた」との事。
1:20 バーニー、エンツォ、バレストルの3人揃い踏みの写真の迫力ったらもうね。完全にマフィアの親分の集会だわwww
同じイギリス人でもイタリアに居住することを拒否し母国で仕事をする条件を求めたバーナードと、イタリアに住んでフェラーリのスタッフと積極的に交流を深めていったポスルスウェイトのスタイルは対照的。スタッフとコミュニケーションを取らないバーナードがフェラーリ内部で嫌われるのも仕方ない。
88年は燃費ガン無視でぶっ飛ばしたアデレードや、兎に角全開区間の長い旧シルバーストーンでは予選1-2を獲得する等速さもありましたが、特に燃費性能はホンダと比べると圧倒的に劣っていましたね。シルバーストーンのベルガーは、ポールスタートもレース序盤から燃費懸念のローペースでズルズルと順位を下げて行き、終盤周回遅れになった挙句に最後はガス欠で力尽きて6位入賞を失いました。
F187が初開催のF1日本GPで優勝した。
1988年イタリアGPでのゲルハルトベルガーは最高でしたね。
ミハエルシューマッハがフェラーリで移籍してチャンピオンを取る迄はね。
この様な混乱の最中でも勝利を挙げたゲルハルトはフェラーリレギュラーに相応しい本当のプロフェッショナルなのだと言う事を象徴するシーズンでも有ったんですね、ゲルハルトはエンツォ存命中にフェラーリにワークス入りした最後のドライバーでもあったのですよ。^^
F187……
今まで登場したフェラーリのマシンでは
この車がイチバンカッコいい☆😉👍️
87年、88年のフェラーリは…堕ちた名門…的な雰囲気でしたね…87年に2年振りに鈴鹿で優勝、勢いでアデレードで勝ち2連勝。しかしながら88年はエンツォ亡き後のモンツァで劇的ワンツーのみ。
そこそこ良いかと思いますが…フェラーリだから…世は厳しい目で見ちゃいますよね…。まぁ…リタイアが多過ぎ…タイヤ交換まで保てば御の字。フェラーリマジックが見られる!!!と思ったものです。
ここからは私見ですが……混乱に陥ったのはエンツォの具合が結構前から悪かったんではないでしょうか……???表現があれですが…生きてるうちに勝つ、チャンピオン獲ると焦って迷走したのかな……って思います。チーム体制も改革に乗り出しましたが、お得意のお家騒動……的な…。そりゃ監督のチェザーレ・フィオリオもお手上げですね。
色々ありながらも数年振りの優勝、エンツォ亡き後のモンツァでの劇的勝利。何時何時でも魅せてくれる愛すべき名門………。駿馬も駄馬も、それがスクーデリアフェラーリ……!!!
ただただ…ベルガーでなく勝つのはアルボレートだったなら…………と思うのは私だけでしょうか……?!?
間違ってなければ、ロレンツォ・バンディーニ以来のイタリア人フェラーリドライバー……そしてエンツォが直接契約した最後のイタリア人ドライバーがアルボレートの筈です……。2年間の3勝をアルボレートが達成していれば……この2年間はもっと違った言い伝えになったかもしれませんね…………。タラレバ好きなオヤジでした!!
BGMが全く無いですね
エースのミケーレ・アルボレートがマスコミにジョン・バーナードのことを聞かれ、
「電話機を使って複雑な手術をしようとする脳外科医の様だ」と、発言し物議を醸したことがありました。
この頃は髪フサフサのゲルハルト・ベルガー。今は...😅
ジョンバーナードは今、何をしているのかな?パドリングシフトは今では当たり前だけど、あの当時は衝撃的でした。
ベルガー最高!
所々背景が黒のままになってますよ?
F187がフェラーリで一番美しい
べルガーが87年の終盤2戦を続けて勝った時には翌年に向けて
期待を抱かせたね。結局反則のようなチーム、ドライバーラインナップで
手も足も出なかったけど、モンツァで神業のような勝利は凄かった
F187も美しかったけど、最も美しかったのは90年型の641/2か、92年型のF92Aでしょう。
フェラーリ版
お家騒動ですね。
あのプロストさえ、フェラーリには馴染めなかったが。よくしょうとアドバイスするも蚊帳の外だった。最後は揉めて脱退。鈴鹿に来るのか走るのかわからなかった92年。結局は走ったがポイントとは程遠いフィニッシュ。
現代と違って、30年以上前にイタリアとイギリスの2拠点でエンジニアリング開発。そんな効率の悪さを、よく認めたものだよ。
019ぅ~👍!?