無限ホンダを提訴..ついに最下位転落した名物チーム一体なにが..?【F1歴史解説】【ミナルディ M195】
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- Опубликовано: 3 окт 2024
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今回は1995年、1996年のミナルディ、M195のや当時のチーム状況について解説していきます。
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フットワーク無限で2年連続ノーポイントだった亜久里の起用を拒否する気持ちはわかるかも。
別に現代のF1を否定するつもりはないけど、この頃のF1はバラエティに富んだ車で面白かったなあ。
1975-76年頃はもっと色々なバリエーションがあって楽しかったですよ。興味があったら是非^^
タキ井上の代わりがフィジケラって今見ればなんか凄い。。
ミナルディかあ。
飯が美味い事で有名でしたね。
モーターホームの食材ケチろうとしたら、周りから怒鳴られたらしい。
アイルトン・セナが立ち寄っていたほど。
ミナルディの事情も分かるけど、無限としては将来的な展望と日本人ドライバーの起用も必要だっただろうしね〜
23年後にホンダエンジンを乗せることができた。
最後のところが以降のトゥルーリ、アロンソ、ウェバーのデビューに繋がると
結果的にフィジケラさんがデビューして、翌年以降ジョーダンで活躍するきっかけになったと思えば、悪くない選択だったのかな?
ミナルディと無限ホンダがもしも組んでたらかなり速かったですよね…もしかしたらチーム初の表彰台もあったかもしれません。マシンに関しては空力的にも優れてたマシンで後にフェラーリに移籍するコスタがミナルディ式ハイノーズをコピーしたぐらいでしたから…M195はエンジンさえ良かったら速かったマシンでしたね。ブリアトーレ、マジで許せません…
しかし、そのブリアトーレが『イタリア人はお互い助け合わないといけません。』と後にミナルディに助けの手を差し伸べたんですけど…『あんたがウチを苦しめたんだろ』って心境でしょうね。ミナルディおじさんは…
何気に歴代マシンかっこいいんだよなあ
ミナルディのシート争いや無限ホンダのエンジン供給争いがありましたタキ井上さんがミナルディのマシンをドライブする姿を見たかったです
よくチームが資金難って聞くけど
それでもチーム運営に何十億も使ってるんだよね それだけお金を回せるって凄いよね
ミナルディの無限エンジン問題は最初から亜久里さんをのせていれば解決してたのでは。バドエルを起用するぐらいなら資金面やチームの直面する問題の諸々も少しは解決してたと思います。
みんなが2番目に好きなミナルディ
もし実現していたら、佐々木マネージャーとの繋がりで童夢も何らかの活動に繋がってたのかなぁ〜
実質童夢F105のセミATはミナルディ製だし…
ミナルディ…大大大好きなチーム。
ジャンカルロの情熱が苦しく辛い時も耐えてきた…それに付いて来た名デザイナーやエンジニアも居たと思うと、弱小チーム……だったかもしれないが愛すべき名門………。時代の波に溺れそうになりながら抗い闘い続けた誇り高き名門………ですね。
マルティニ、チェザリス、ナニーニ、フィジケラ、アルボレート………Mr.ミナルディのマルティニ、イタリア人最後のエンツォが契約した…かつてのフェラーリドライバー…アルボレート………。各々のミナルディドライバーの経緯はよく分かりません………。が、私的に…ドライバーからも愛されたイタリアの情熱100%のチームだったのではないでしょうか……???片山右京氏、中野信治氏……日本人にも馴染みがあるチームですね。無限エンジンや井上隆智穂氏…タラレバもあって印象深い…ホントに好きなチームですね。
アロンソも❗、
ミナルディ・チィー厶からF1デビューしてましたねぇ~👍⁉️
一度はトップグループに入りかけましたが、結局ずるずる下がって行ってしまったわけですがやはり無理してフェラーリエンジンを搭載してしまった事が後々まで響いてしまった印象です。
まあイタリアのチームとしてフェラーリエンジンに憧れがあるのは分かりますが。
それと細かい話で恐縮ですが、ラミーについていたスポンサーはガルフ石油(Gulf)ではなくポルトガルのエネルギー最大手のガルプ(GALP)です。
なんだかんだで後にレッドブルに買収されはしたものの、チームの系譜としては2024年現在でもVCARBとして存続できてる息の長さ。
トーチュウとか神奈クリとかスポンサーになってたなー。
ありましたね〜
そういえば一時期、日本の『CADET』っていうファッション雑誌? が
ミナルディのスポンサーになってましたね。なぜか急に思い出しました。
日本の F1 バブルが落ち着いた頃でしたし、
割とマイナーな雑誌だったので不可解に思った記憶があります。
195は素性は良さそうなマシンだった。幻の無限タキとユニマットの組み合わせ。
レッドブルに買収され今やほぼHONDAエンジンを搭載
ミナルディのパスタは絶品だった🍝
すごい❗実際に食ったんだ?
ラミーが持ち込んだスポンサーはポルトガルのガルプ石油でした。ガルフ石油とは違います。
ラバッジの資金源が気になってしかたない
亜久里さんを嫌がらなかったら、無限ホンダを載せていて、違った歴史になっていたでしょうに。
96年のオーストリアGPにタキ井上さんがいないのは何故何だと思ったがTV放送では全く触れず放送が終わっていた!
日本のマスメディアがいかに不平等で自身のスポンサーに偏向してるかが分かる
有る意味❗、
ラルースには好かれていてミナルディには嫌われていた鈴木亜久里👎⁉️
無限ホンダ問題に関しては…最初から鈴木亜久里さんを乗せていれば…解決できたはずなのに…。
M189に星野さんが乗ってたら... と今でも考える。
怪我をしたマルティニの代役で鈴鹿を走る事が決定したかの様な噂が流れましたが、実際にドライブしたのはバリッラでした。
かなり経った後で、予定していたレースを欠場してまで鈴鹿に行くのは、チーム運営に関わる立場上出来なかった。みたいな話をされてましたね。
タキ井上は、マーシャルカーに跳ねられたことしか記憶に残ってない…w
アロウズ時代ですね…他にもモナコで確か横転か何かしたりイタリアGPではシューマッハとヒルの衝突事故の錯乱役になったりと…まあやってましたよw
中野信治がミナルディのドライバーになった時はもしかして翌年に無限エンジンを乗せるのかなあと思ったけど、こういった過去があるなら契約する訳ないか
ミナルディはF1の宝物だったね
ミナルディは小さいチームながらも世界の大手自動車メーカーが牛耳るF1に長年挑んでましたからね…その姿を見せてみんなに愛されたからレッドブルがチームを買い取ってチームの存在自体を残してくれたのかもしれません。
ミナルディのようなプライベーター チームは、大戦後のフォーミュラーワンにとって草の根の活動でした。そんなチームから若手が育っていったのだろうと思います。私もホンダの第二期参戦でブームに乗って好きになったクチでした。あんなに様々なマシンが走るのは、楽しさも感じたものです。モータースポーツ人気が、また高まってほしいです。
ある年、シーズン半ばにノーポイント。後半はPQ組確定かと思いきや、11番手、15番手の予選タイムから2台入賞。これはビッグなチャンスだったのではないかな。
この翌年の1997年に展開される片山右京先生のミナルディレーシングスクール、ホント好きでしたw
トゥルーリは合格してプロストへ、マルケスは失格してシート喪失……
1998年も見たかったなぁw
レギュレーションに合わせたとは言え殆どM195 そりゃ遅いしラバッジは予選落ちするよ。
たしかにポイント獲得結果がすべてではありますが、それだけで語るのは気の毒な気もします。今のF1は20戦以上ある中20台出走のうち50%以上の10位以内にいればポイント獲得できますが、1996年は16戦しかない中22台中6位以内つまり27%以上上位にいないとポイント獲得できない厳しい世界です。たとえばミナルディは10位以内完走は5回もありますし、38歳でデビューして結果を残せなかったように語られるラバッジもデビュー2戦目で10位完走してます。しかもシューマッハ、アレジ、ベルガー、ヒル、ヴィルヌーブ、ハッキネン、クルサード、バリチェロ、ハーバードなど名立たる強豪ドライバーがいる中です。充分立派だったと思います。
ラバッジ
名前も顔も覚えてない。
ジョバンナ·ラバッジ。
2000年のマシンを亜久里さんが酷評していたな、まあデザイナーがグスタクブルナーだったからな!
なんかいつもよりナレーションのテンポ悪い?
エンジンがフォードで非力だったからね...
カプチョ、イタリア支店の看板あげるぐらい努力しろよな!日本来た時勉強しろよ!パスタとピザは奥が深いから鈴鹿だけでは学べないかもな。
アノブリアトォーオオレ…
ちょっと考えると無限ブランドとはいえこの頃のHONDAエンジンの扱いは何気に寂しい。
ミナルディに搭載とかルノーの代替品としてのリジェ搭載とか扱いがあまりにも雑な気がする。
P-L Martini の雨の豪州GP
のフロントローが記憶に新しい。マルティニは市街地コースが強かったが、高速サーキットでも非力なコスワースV8で中段に持っていく力があった。
片山右京、C.フィッテイパ
ルディ、P·バリッラ、P.ラミー、J.フィジケラ、M.アルボレートまでもが乗りましたが、タキ井上は実力不足の走りが否めなかった。井上はシムテックからの参戦でしたが、リタイア直後に
マーシャルカーに轢かれたりとか······
ミナルディは黙って亜久里を載せればよかったんや
そしたら無限ホンダエンジン獲得出来たのに。
ミナルディ セナ もの美味しいって言っていた😮