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危ない場所での撮影、乙でした。地元民より7:01 のマンションが建つ前には、「のせでんスイミングスクール」なんてのもあったなぁ。
能勢電の廃線跡という超地味ネタを、わかりやすくも淡々とした解説で、どんどん引き込まれました。あと、カメラのズーム性能の高さには驚きました。
お褒めのコメントありがとうございます。能勢電鉄の廃線跡は以前から気になっていたので訪問した次第です。引き続きよろしくお願いいたします。
ようこそ❗️木村の実家の能勢電鉄へぇーバス停🚏🚌でバス待って居たら地元のおばあちゃんが昔はな❗️鶯駅は今の陸橋違って話していてバス来たら違う椅子に座ったら追いかけて座って来て‼️まあ‼️話ししてましたわ❗️ほんまに詳しく現地怖くなかったかなあ‼️丁寧にありがとうございます❗️また妹😃やら姪っ子に話ししますね
イヤ鼓が滝の駅の話し陸橋がなんたら話ししてましたわ‼️訂正します‼️
懐かしく拝見させていただきました。私は紹介された廃線すべて乗った記憶があります。あちこちの急カーブや加速や登り坂で白熱電球の車内照明が暗くなることを思い出し、とても懐かしく思いました。ありがとうございました。
中学校時代の友達も同じ事いってました。もう50年ほど前のことです。
おすすめからきました。能勢電沿線住民なので、興味深く拝見してました。こうしてみると能勢電はあちこちでルートを変えてますね。鶯の森駅から鼓滝駅までの撮影は大変だったと思います。今は池田寄りにバイパス道路が出来て、多少車は流れやすくなりましたが、ほとんど歩道がないせまい道ですから。現在の鉄橋よりも先に廃線跡があるんですね。車に乗ってると全然わからないんです。山下駅から笹部駅〜光風台駅間は、線路に通じる道が見当たらないので、廃線跡まで行けないのは仕方ないですね。一ノ鳥居駅の横の道路が昔は線路だったとは。今はもの凄い車の量ですから。
能勢電に廃線跡があること自体知りませんでした。ですので、すごく興味深く見ることができました。能勢電に併用軌道なんかあったんですね。ここの道路、結構交通量が多いんですよね。危険が伴う取材だったと思いますが、とても分かりやすくて興味引かれる内容でした。ありがとうございました。
これだけ多くの大工事を能勢電鉄という中小私鉄がやってのけたというのがすごいですね。最も治山や踏切解消関連で補助を受けた箇所もあるでしょうけど。
複線化の際にトンネルを掘り、急カーブの緩和や迂回ルートの解消を行ったために大工事になったそうです。大工事により最高速度が40km/hから60km/hに引き上げられています。
実家が鼓ヶ滝の近くなんやけど子供の時に河辺にある構造物はなんやろうって思ってた記憶がありますこの動画を見てすごいスッキリしましたありがとうございます
30年ほど前に『関西の鉄道』という本で写真と文章だけで読んだ記憶がよみがえりました。よく調べておられ、動画の内容も完成度が高いと思います。元々は関西に住んでおりましたので、時間が有れば行って見てみたい気持ちが有るのですが、この動画で十分満足できました。
お褒めコメントありがとうございます。資料調査と現地踏査の時間をかけてた甲斐がありました。引き続きよろしくお願いいたします。
鶯の森〜鼓滝間の猪名川鉄橋付近の単線時代の築堤は今でも何となく段がありますね。80年の歴史を支えた阪急の車両達のVHSで単線時代を走るP5型や猪名川鉄橋を渡る映像が収録されてますね。この場所を50型や阪急320型なども走ったんですね。私も以前この区間の廃線跡を訪ね、この上を上りたかったんですが無理でした。当時は簡単に上れた事は聞いてました。廃線跡巡りは楽しいですよね。
いつも利用しているので ワクワクして拝見しました、光風台駅のエレベーターホールの窓から北側を見ると水中から地上へ続く 階段があります。使用していない隧道は、何年か前 能勢電の職員の方が 案内して隧道の見学をさせてもらったのを サイトで見ました 、その昔 鼓ケ滝あたりの川をせき止めて 遊泳場があったとか 旧ダイエーの屋上に水を撒いて天然のアイスリンクがあったとか 河川が増水したらよく止まったとか聞きました。
30年近く川西市に住んでいたけど、廃線跡が一の鳥居から山下の間に存在していたのは驚きました。
旧猪名川橋梁を電車が渡っている動画もありましたよ。妙見口駅の近くを走っているのは酷道477号ですね。あと、川西能勢口から国鉄池田駅(現 川西池田駅)までは本当の廃線になってます。
川西能勢口駅から現川西池田駅までに路線があったことは過去に父から聞いたことがありましたが、勝手に阪急電鉄の路線だと思っていましたが能勢電鉄の路線での運行だったんですか?
@@AppleChan819 そうです。平野から平野水(三ツ矢サイダー)を国鉄まで輸送するために使われてました。
山下駅の跡をずっと知りたかったので、とても良かったです。
鼓滝あたりの旧線結構残っていますね。機会があれば行こうと思います。
廃線になっても路線が無くなってしまった訳ではないので「便利になって良いじゃん」気分で見られましたです。
鶯の森駅の横の道路は県道12号線の旧道で、さらに古くは尼崎城下から篠山へ続く旧街道でした。猪名川を渡った先の元併用軌道のところは国道173号線の元になった旧街道ですね。
この辺の当時の写真とかを見たい場合、「能勢電鉄80年史」、「能勢電鉄100年史」辺りが図書館で閲覧出来たりするので(自分が中学生の頃川西の図書館で見た時は貸出禁止でした)、興味ある方は一読してみて下さい。
初見です能勢電鉄に廃線があったなんて知りませんでした
国鉄前線とここの矢問のとこですね。あ、私は元西武新宿線沿線民でもありますw
1:37 猪名川橋梁を・・・の所。出来れば、上からの様子を見たかったです。立ち入り禁止等だったら残念でしたね。でも、中々の交通量で緊張の連続だったと思います。必要経費が出る訳でも無いのに、わざわざ電車賃を使ってまでの詳細情報、お疲れ様でした。どうか、交通事故にはご注意を。
ご視聴ありがとうございます。コメントの場所はどうっているのか気になると事ですが、さすがに入る事はできませんでした。おっしゃる通り中々の交通量でした(苦笑)
仏具屋さんの近くの狭い道が旧線があった道であり、そこの駐車場が移設前の鼓滝電停があったというホームページをみたことがあります。
年に1回ぐらい能勢方へ行くのでいつも石垣が気になってました。
現役の頃一番楽しかった笹部からときわ台の川沿いの区間はさすがに無理でしたか当時は光風台はなくトンネル掘ってるなと思いながら乗ってました
楽しかったですね。車両の連結部の渡りの鉄板が急カーブで立ち上がってバッタンバッタンバッタンするのは大迫力でした。前にも後にも見たことないです。
その区間の路線図を掲載した書籍がありまして、その本のタイトルは忘れましたがR40m~120mの急カーブが連続する区間です。光風台トンネル手前の山から山沿いに走っていますのでGoogle Earthなどで確認できると思います。光風台~ときわ台間のR150mのS字カーブも現役です。
今からおおよそ50年近く前に初めて「能勢電」に乗った記憶があります。何系の電車だったかまでは記憶にないのですが、夜間に川西能勢口から乗車しましました、白熱灯の明かりで車内は薄暗く「幽霊電車」に乗ったような錯覚に陥り大変恐怖を感じました。車内は帰宅途中の通勤客で満員状態でした。揺れもひどく、急カーヴの連続であったように覚えています。
最近50年ぶりに能勢電にのる機会がありました。のせでんと言えば、2両編成で、川を渡るとき、90度にカーブしていたところがあったイメージしかありませんでした。今回、畦野まで乗りましたが、90度カーブしたところがなかったので、不思議に思っていました。この動画を見て納得しました。
確か、50年ほど前の能勢電は、走行中つり輪が荷台にあたりカチャンカチャンと無茶苦茶賑やかだったことが記憶にある。真っ直ぐにすることで、スピードアップと安定した走りに改善していたんですね!
そういえば、妙見ケーブル山上駅から先にリフトがありますね。そのリフトの真下も、旧ケーブルカー軌道敷なので、廃線跡と云えば廃線跡なのかも。
単線当時の猪名川橋梁を渡った経験がある(小学校🎒の遠足で)。今は日生エクスプレスが梅田まで直通~別世界❗️
猪名川が綺麗や!能勢電は何年か前に阪急が乗り入れて、乗り換えナッシングで行けるようになった。
笹部〜ときわ台間のルートは本当に謎ですね。初谷川の際を電車が走れるスペースはどう見ても分からない。今の河川がコンクリートで護岸されてるので河川拡張とかで消滅したのかも知れないですね。出来ればドローン飛ばせば謎が解明されるかも知れませんね。
因みに私にとって最も馴染み深い能勢電鉄妙見線の廃線跡と言えば、主に光風台駅近くの川沿いに有る廃線跡で今から約42年前程に初めてお目にかかったのですが、その当時は光風台駅近くの廃線跡がハッキリ見える状態でしたね。その廃線跡も現在は森林が聳え立って痕跡が確認し辛くなりましたが。それ以外では主に旧笹部随道も幼少時代に何度も通行した記憶が有るので大変馴染み深いものにも思えましたが、まさか旧笹部随道までもが廃線になるとは想像も付きませんでした。あと、幼少時代に能勢電鉄の川西能勢口駅を利用していた頃に廃止前の川西国鉄前行き路線のホームを何度もお目にかかった事が有りますが、その川西国鉄前行き電車は運行本数自体が極端に少なかった為、廃止時まで乗車する機会を得られませんでした(厳密に言えば、地上駅時代の川西能勢口駅も一応、廃線の一つと言えますが)。つい最近、Wikipediaで能勢電鉄に関する情報を検索して見ると、それ以外にも能勢電鉄の廃線や廃駅が意外な程数多く存在しているのには大変驚きました。
ご視聴ありがとうございます。川西能勢口~川西国鉄前駅までの廃線跡も3年前に調査しておりますので併せてご視聴していただければ幸いです。
14:30 付近の駐車場には近頃 スーパーのサンディが建つ予定です。
川西能勢口能勢電車鶯の森駅懐かしい🚉です。僕の地元です。能勢電車🚃🚆は、小学生から中学生の頃よく用事がある時は乗っていました。
3:51 で見えるマンションの所そのマンションの裏側の法面は私が小学生低学年くらいの時に大雨で崖崩れが起こって電車事故があったことを覚えています35年くらい前かな?あの辺りの道は未だに帰省しても気持ち悪いです
「鶯の森駅」〜「鼓滝駅」間のあの道路は交通量が多く、少し危険であったでしょうがご苦労様でした。この区間の最大の謎は、やはり昭和28年に鶯の森駅と入れ替わる形で廃止された「矢問駅」でしょう。もはや能勢電鉄社内にも写真などの記録が一切残っておりません。この映像からもおおよその場所は推定できますが、恐らく現在の猪名川橋梁と旧橋梁跡横のフェンスが設置されている間の木々が生い茂る辺りですが、全く痕跡は分かりません。まさしく『幻の駅』です🙂🚋🚉
ご視聴ありがとうございます。能勢電鉄は比較的新しいトンネルや橋梁が多く、何らかのルート跡が残っていると思い調査した次第です。「矢問駅」は存在すら知りませんでした。ありがとうございました。
わずかに矢問駅が映っている映像が池田の美術館で公開されていましたよ。
コーナンの裏手の踏切奥の不思議な地形はそういうことだったのね
戦前は妙見口~能勢町を経て京都府亀岡市迄延伸する気計画がありましたが太平洋戦争激化で建設資材が不足したため計画は中止に追い込まれてしまいました。
とても判り易いです。「確かに、そこに橋の跡らしきものがある」「確かに、そこに変な形の空き地がある」「確かに その辺り 道が異常に広くなっている」などとつぶやきながらみていました。
ご視聴ありがとうございます。今回、資料調査・現地調査になかりの時間を費やした甲斐がありました。引き続きよろしくお願いいたします。
能勢電鉄はヘアピンカーブでヤバかったと祖父に聞かされていたのですが理由が分かった気がしました
よく見たら橋跡とかあるねいつも176使うけど気が付かなかったです
いつも通っている所なのに知りませんでした!へぇーって言いながら見ました‼️‼️
ご視聴ありがとうございます。「へぇー」って言っていただけて幸いです。引き続きよろしくお願いいたします。
先日、この横の道路を通る機会がありました。この動画の事を思い出し、キョロキョロ・・・・危ない運転をしました!(^^)確かに見ました!!
自転車で道路側に通した事は何回もありました。能勢電鉄の鉄橋の下に通してきっかけで所持のNゲージ鉄道模型の広大立体交差レイアウトで高架橋、鉄橋などを付けました。山側は池田方面。ある日、車と車の正面衝突してペチャクチャして血塗れ酷かった。
確かに国道173号線に行く途中にあります。ただ能勢電あんまし乗らないのであまり知りませんけど‼️
うおおお!能勢電鉄にこんな遺跡が残ってるなんて感激する〜(*゚▽゚*)
この沿線は県道12号線、国道173号線があります。この道路はいわゆる「ダンプ街道」と呼ばれるぐらいダンプカーが多く走ります。
公式がやっと追い付いた…!!
能勢電鉄と言えば大阪難波を拠点としたアイドルグループNMB 48に在籍していた山本彩加さんのことを思い出す、どの駅を利用しているかは知りませんが一度訪れたい沿線ですね
足で調べられてすごいですね。昔、川西能勢口は地上駅の頃があり高架にした際にルート変更しているのはご存じですか?
ご視聴ありがとうございます。川西能勢口駅が高架にした際にルート変更している事は知りませんでしたが、国鉄への連絡線があった事は覚えており、廃線跡も訪問しております。引き続きよろしくお願いいたします。
@@masakotteri キッチンカーが来たりイベントで賑わうことが多い「藤ノ木さんかく広場」は旧ルート上にあります。子供の頃川西能勢口の曲線半径47mの超急カーブ途中の踏切で慎重ながら大迫力に通過する電車を見て感動した覚えがあります。今は西に移動した分曲線半径が100mになりました。
鼓滝ー多田は昔国道173号との併用軌道(いわゆる路面電車の感じではなくかつての美濃町線や現在も残るくまモン電気鉄道で見られるタイプ)で、今の173号はかなりの部分でいじられています。鶯の森ー鼓滝(かつては鼓ヶ滝で微妙に変わっている)の旧猪名川橋梁は能勢電の名所的な存在で絵葉書になったりしていました。笹部トンネルは1500系の導入でトンネルを拡張するか新たに掘るかで揉めて結局トンネルを新たに掘る(旧トンネルのままだと走れない)事になったそうです。
小学校6年生の時、大阪万博が終わった次の年(1971年)に畦野駅近くに引っ越ししてきました。旧畦野駅の話も入れて欲しかった。(笑)当時の能勢電は、平野駅までが単線でした。駅には、改札のおばちゃんがいて、こじんまりとした、のどかな風景を思い出します。廃線跡が道路(国道173号線)になって道幅が大きく広がったので、車の運転が非常に楽になったそうです。なんせ、対向車が来ると対向するのに難儀したそうですから。(笑)高校の通学で、能勢電を常時利用することになりましたが、この頃には新線になっており、畦野駅も移転した後で、当時としてはおしゃれな駅舎に一新。朝のラッシュが地獄で、車幅が狭いうえに3両編成。今の世になって本当に楽になりました。運行の間隔は、ラッシュ時を除くと1時間に3本、20分に1列車でした。現在でも、笹部から妙見口終点までが単線の上、ひたすら林の中を駆け抜けていき、民家をほとんど見かけない山岳列車の様相(光風台やときわ台といったニュータウンは、視界から離れて上の方に在る)は、ノスタルジーを感じますね。
ご視聴及びコメントありがとうございます。畦野駅も昔の写真で移転している事は知っていたのですが、当時の位置を特定できる資料がなかったので触れませんでした。能勢電も昔は阪急の古い車両(今よりもっと古い)が走っていた記憶があったのですが、乗客も増え、施設も新しくなったと思います。引き続きよろしくお願いいたします。
畦野の廃線あとはもう一本下の道だった気が・・間違ってたらごめんなさい。
ご視聴ありがとうございます。国土地理院の地図及び航空写真ではそうだと思ったのですが、何せ大昔の事なので私が間違っているかもしれません。
土砂崩れの防ぐためお引っ越し
昔、能勢電に乗ったけど、川へ振り落とされるように走っていく。箱根登山電車よりも怖かったwww。また乗ってみたい。
南海本線に高架化と同時に廃止された旧線があるようです。調査願いますm(__)m
危ない場所での撮影、乙でした。地元民より
7:01 のマンションが建つ前には、「のせでんスイミングスクール」なんてのもあったなぁ。
能勢電の廃線跡という超地味ネタを、わかりやすくも淡々とした解説で、どんどん引き込まれました。あと、カメラのズーム性能の高さには驚きました。
お褒めのコメントありがとうございます。
能勢電鉄の廃線跡は以前から気になっていたので訪問した次第です。
引き続きよろしくお願いいたします。
ようこそ❗️木村の実家の能勢電鉄へぇー
バス停🚏🚌でバス待って居たら地元のおばあちゃんが昔はな❗️
鶯駅は今の陸橋違って話していて
バス来たら違う椅子に座ったら追いかけて座って来て‼️
まあ‼️話ししてましたわ❗️
ほんまに詳しく現地怖くなかったかなあ‼️
丁寧にありがとうございます❗️
また妹😃やら姪っ子に話ししますね
イヤ鼓が滝の駅の話し陸橋がなんたら話ししてましたわ‼️訂正します‼️
懐かしく拝見させていただきました。
私は紹介された廃線すべて乗った記憶があります。
あちこちの急カーブや加速や登り坂で白熱電球の車内照明が暗くなることを思い出し、とても懐かしく思いました。
ありがとうございました。
中学校時代の友達も同じ事いってました。もう50年ほど前のことです。
おすすめからきました。能勢電沿線住民なので、興味深く拝見してました。
こうしてみると能勢電はあちこちでルートを変えてますね。
鶯の森駅から鼓滝駅までの撮影は大変だったと思います。今は池田寄りにバイパス道路が出来て、多少車は流れやすくなりましたが、ほとんど歩道がないせまい道ですから。現在の鉄橋よりも先に廃線跡があるんですね。車に乗ってると全然わからないんです。山下駅から笹部駅〜光風台駅間は、線路に通じる道が見当たらないので、廃線跡まで行けないのは仕方ないですね。一ノ鳥居駅の横の道路が昔は線路だったとは。今はもの凄い車の量ですから。
能勢電に廃線跡があること自体知りませんでした。ですので、すごく興味深く見ることができました。能勢電に併用軌道なんかあったんですね。
ここの道路、結構交通量が多いんですよね。危険が伴う取材だったと思いますが、とても分かりやすくて興味引かれる内容でした。
ありがとうございました。
これだけ多くの大工事を能勢電鉄という中小私鉄がやってのけたというのがすごいですね。
最も治山や踏切解消関連で補助を受けた箇所もあるでしょうけど。
複線化の際にトンネルを掘り、急カーブの緩和や迂回ルートの解消を行ったために大工事になったそうです。
大工事により最高速度が40km/hから60km/hに引き上げられています。
実家が鼓ヶ滝の近くなんやけど
子供の時に河辺にある構造物はなんやろうって思ってた記憶があります
この動画を見て
すごいスッキリしました
ありがとうございます
30年ほど前に『関西の鉄道』という本で写真と文章だけで読んだ記憶がよみがえりました。よく調べておられ、動画の内容も完成度が高いと思います。元々は関西に住んでおりましたので、時間が有れば行って見てみたい気持ちが有るのですが、この動画で十分満足できました。
お褒めコメントありがとうございます。
資料調査と現地踏査の時間をかけてた甲斐がありました。
引き続きよろしくお願いいたします。
鶯の森〜鼓滝間の猪名川鉄橋付近の単線時代の築堤は今でも何となく段がありますね。80年の歴史を支えた阪急の車両達のVHSで単線時代を走るP5型や猪名川鉄橋を渡る映像が収録されてますね。この場所を50型や阪急320型なども走ったんですね。私も以前この区間の廃線跡を訪ね、この上を上りたかったんですが無理でした。当時は簡単に上れた事は聞いてました。
廃線跡巡りは楽しいですよね。
いつも利用しているので ワクワクして拝見しました、光風台駅のエレベーターホールの窓から北側を見ると水中から地上へ続く 階段があります。使用していない隧道は、何年か前 能勢電の職員の方が 案内して隧道の見学をさせてもらったのを サイトで見ました 、その昔 鼓ケ滝あたりの川をせき止めて 遊泳場があったとか 旧ダイエーの屋上に水を撒いて天然のアイスリンクがあったとか 河川が増水したらよく止まったとか聞きました。
30年近く川西市に住んでいたけど、廃線跡が一の鳥居から山下の間に存在していたのは驚きました。
旧猪名川橋梁を電車が渡っている動画もありましたよ。
妙見口駅の近くを走っているのは酷道477号ですね。
あと、川西能勢口から国鉄池田駅(現 川西池田駅)までは本当の廃線になってます。
川西能勢口駅から現川西池田駅までに路線があったことは過去に父から聞いたことがありましたが、勝手に阪急電鉄の路線だと思っていましたが能勢電鉄の路線での運行だったんですか?
@@AppleChan819 そうです。平野から平野水(三ツ矢サイダー)を国鉄まで輸送するために使われてました。
山下駅の跡をずっと知りたかったので、とても良かったです。
鼓滝あたりの旧線結構残っていますね。
機会があれば行こうと思います。
廃線になっても路線が無くなってしまった訳ではないので「便利になって良いじゃん」気分で見られましたです。
鶯の森駅の横の道路は県道12号線の旧道で、さらに古くは尼崎城下から篠山へ続く旧街道でした。猪名川を渡った先の元併用軌道のところは国道173号線の元になった旧街道ですね。
この辺の当時の写真とかを見たい場合、「能勢電鉄80年史」、「能勢電鉄100年史」辺りが図書館で閲覧出来たりするので(自分が中学生の頃川西の図書館で見た時は貸出禁止でした)、興味ある方は一読してみて下さい。
初見です
能勢電鉄に廃線があったなんて知りませんでした
国鉄前線とここの矢問のとこですね。あ、私は元西武新宿線沿線民でもありますw
1:37 猪名川橋梁を・・・の所。
出来れば、上からの様子を見たかったです。
立ち入り禁止等だったら残念でしたね。
でも、中々の交通量で緊張の連続だったと思います。
必要経費が出る訳でも無いのに、わざわざ電車賃を使ってまでの詳細情報、お疲れ様でした。
どうか、交通事故にはご注意を。
ご視聴ありがとうございます。
コメントの場所はどうっているのか気になると事ですが、さすがに入る事はできませんでした。
おっしゃる通り中々の交通量でした(苦笑)
仏具屋さんの近くの狭い道が旧線があった道であり、そこの駐車場が移設前の鼓滝電停があったというホームページをみたことがあります。
年に1回ぐらい能勢方へ行くのでいつも石垣が気になってました。
現役の頃一番楽しかった笹部からときわ台の川沿いの区間はさすがに無理でしたか
当時は光風台はなくトンネル掘ってるなと思いながら乗ってました
楽しかったですね。
車両の連結部の渡りの鉄板が急カーブで立ち上がってバッタンバッタンバッタンするのは大迫力でした。
前にも後にも見たことないです。
その区間の路線図を掲載した書籍がありまして、その本のタイトルは忘れましたがR40m~120mの急カーブが連続する区間です。
光風台トンネル手前の山から山沿いに走っていますのでGoogle Earthなどで確認できると思います。
光風台~ときわ台間のR150mのS字カーブも現役です。
今からおおよそ50年近く前に初めて「能勢電」に乗った記憶があります。何系の電車だったかまでは記憶にないのですが、夜間に川西能勢口から乗車しましました、白熱灯の明かりで車内は薄暗く「幽霊電車」に乗ったような錯覚に陥り大変恐怖を感じました。車内は帰宅途中の通勤客で満員状態でした。揺れもひどく、急カーヴの連続であったように覚えています。
最近50年ぶりに能勢電にのる機会がありました。のせでんと言えば、2両編成で、川を渡るとき、90度にカーブしていたところがあったイメージしかありませんでした。
今回、畦野まで乗りましたが、90度カーブしたところがなかったので、不思議に思っていました。この動画を見て納得しました。
確か、50年ほど前の能勢電は、走行中つり輪が荷台にあたりカチャンカチャンと無茶苦茶賑やかだったことが記憶にある。
真っ直ぐにすることで、スピードアップと安定した走りに改善していたんですね!
そういえば、妙見ケーブル山上駅から先にリフトがありますね。そのリフトの真下も、旧ケーブルカー軌道敷なので、
廃線跡と云えば廃線跡なのかも。
単線当時の猪名川橋梁を渡った経験がある(小学校🎒の遠足で)。今は日生エクスプレスが梅田まで直通~別世界❗️
猪名川が綺麗や!能勢電は何年か前に阪急が乗り入れて、乗り換えナッシングで行けるようになった。
笹部〜ときわ台間のルートは本当に謎ですね。
初谷川の際を電車が走れるスペースはどう見ても分からない。
今の河川がコンクリートで護岸されてるので河川拡張とかで消滅したのかも知れないですね。
出来ればドローン飛ばせば謎が解明されるかも知れませんね。
因みに私にとって最も馴染み深い能勢電鉄妙見線の廃線跡と言えば、主に光風台駅近くの川沿いに有る廃線跡で今から約42年前程に初めてお目にかかったのですが、その当時は光風台駅近くの廃線跡がハッキリ見える状態でしたね。その廃線跡も現在は森林が聳え立って痕跡が確認し辛くなりましたが。それ以外では主に旧笹部随道も幼少時代に何度も通行した記憶が有るので大変馴染み深いものにも思えましたが、まさか旧笹部随道までもが廃線になるとは想像も付きませんでした。あと、幼少時代に能勢電鉄の川西能勢口駅を利用していた頃に廃止前の川西国鉄前行き路線のホームを何度もお目にかかった事が有りますが、その川西国鉄前行き電車は運行本数自体が極端に少なかった為、廃止時まで乗車する機会を得られませんでした(厳密に言えば、地上駅時代の川西能勢口駅も一応、廃線の一つと言えますが)。つい最近、Wikipediaで能勢電鉄に関する情報を検索して見ると、それ以外にも能勢電鉄の廃線や廃駅が意外な程数多く存在しているのには大変驚きました。
ご視聴ありがとうございます。
川西能勢口~川西国鉄前駅までの廃線跡も3年前に調査しておりますので併せてご視聴していただければ幸いです。
14:30 付近の駐車場には近頃 スーパーのサンディが建つ予定です。
川西能勢口能勢電車鶯の森駅懐かしい🚉です。僕の地元です。能勢電車🚃🚆は、小学生から中学生の頃よく用事がある時は乗っていました。
3:51 で見えるマンションの所そのマンションの裏側の法面は私が小学生低学年くらいの時に大雨で崖崩れが起こって電車事故があったことを覚えています35年くらい前かな?
あの辺りの道は未だに帰省しても気持ち悪いです
「鶯の森駅」〜「鼓滝駅」間のあの道路は交通量が多く、少し危険であったでしょうがご苦労様でした。この区間の最大の謎は、やはり昭和28年に鶯の森駅と入れ替わる形で廃止された「矢問駅」でしょう。もはや能勢電鉄社内にも写真などの記録が一切残っておりません。この映像からもおおよその場所は推定できますが、恐らく現在の猪名川橋梁と旧橋梁跡横のフェンスが設置されている間の木々が生い茂る辺りですが、全く痕跡は分かりません。まさしく『幻の駅』です🙂🚋🚉
ご視聴ありがとうございます。
能勢電鉄は比較的新しいトンネルや橋梁が多く、何らかのルート跡が残っていると思い調査した次第です。「矢問駅」は存在すら知りませんでした。
ありがとうございました。
わずかに矢問駅が映っている映像が池田の美術館で公開されていましたよ。
コーナンの裏手の踏切奥の不思議な地形はそういうことだったのね
戦前は妙見口~能勢町を経て京都府亀岡市迄延伸する気計画がありましたが太平洋戦争激化で建設資材が不足したため計画は中止に追い込まれてしまいました。
とても判り易いです。「確かに、そこに橋の跡らしきものがある」「確かに、そこに変な形の空き地がある」「確かに その辺り 道が異常に広くなっている」などとつぶやきながらみていました。
ご視聴ありがとうございます。
今回、資料調査・現地調査になかりの時間を費やした甲斐がありました。
引き続きよろしくお願いいたします。
能勢電鉄はヘアピンカーブでヤバかったと祖父に聞かされていたのですが理由が分かった気がしました
よく見たら橋跡とかあるね
いつも176使うけど気が付かなかったです
いつも通っている所なのに知りませんでした!
へぇーって言いながら見ました‼️‼️
ご視聴ありがとうございます。
「へぇー」って言っていただけて幸いです。
引き続きよろしくお願いいたします。
先日、この横の道路を通る機会がありました。この動画の事を思い出し、キョロキョロ・・・・危ない運転をしました!(^^)確かに見ました!!
自転車で道路側に通した事は何回もありました。能勢電鉄の鉄橋の下に通してきっかけで所持のNゲージ鉄道模型の広大立体交差レイアウトで高架橋、鉄橋などを付けました。
山側は池田方面。ある日、車と車の正面衝突してペチャクチャして血塗れ酷かった。
確かに国道173号線に行く途中にあります。
ただ能勢電あんまし乗らないのであまり知りませんけど‼️
うおおお!能勢電鉄にこんな遺跡が残ってるなんて感激する〜(*゚▽゚*)
この沿線は県道12号線、国道173号線があります。
この道路はいわゆる「ダンプ街道」と呼ばれるぐらいダンプカーが多く走ります。
公式がやっと追い付いた…!!
能勢電鉄と言えば大阪難波を拠点としたアイドルグループNMB 48に在籍していた山本彩加さんのことを思い出す、どの駅を利用しているかは知りませんが一度訪れたい沿線ですね
足で調べられてすごいですね。昔、川西能勢口は地上駅の頃があり高架にした際にルート変更しているのはご存じですか?
ご視聴ありがとうございます。
川西能勢口駅が高架にした際にルート変更している事は知りませんでしたが、国鉄への連絡線があった事は覚えており、廃線跡も訪問しております。
引き続きよろしくお願いいたします。
@@masakotteri キッチンカーが来たりイベントで賑わうことが多い「藤ノ木さんかく広場」は旧ルート上にあります。子供の頃川西能勢口の曲線半径47mの超急カーブ途中の踏切で慎重ながら大迫力に通過する電車を見て感動した覚えがあります。今は西に移動した分曲線半径が100mになりました。
鼓滝ー多田は昔国道173号との併用軌道(いわゆる路面電車の感じではなくかつての美濃町線や現在も残るくまモン電気鉄道で見られるタイプ)で、今の173号はかなりの部分でいじられています。
鶯の森ー鼓滝(かつては鼓ヶ滝で微妙に変わっている)の旧猪名川橋梁は能勢電の名所的な存在で絵葉書になったりしていました。笹部トンネルは1500系の導入でトンネルを拡張するか新たに掘るかで揉めて結局トンネルを新たに掘る(旧トンネルのままだと走れない)事になったそうです。
小学校6年生の時、大阪万博が終わった次の年(1971年)に畦野駅近くに引っ越ししてきました。
旧畦野駅の話も入れて欲しかった。(笑)
当時の能勢電は、平野駅までが単線でした。
駅には、改札のおばちゃんがいて、こじんまりとした、のどかな風景を思い出します。
廃線跡が道路(国道173号線)になって道幅が大きく広がったので、車の運転が非常に楽になったそうです。
なんせ、対向車が来ると対向するのに難儀したそうですから。(笑)
高校の通学で、能勢電を常時利用することになりましたが、この頃には新線になっており、畦野駅も移転した後で、当時としてはおしゃれな駅舎に一新。
朝のラッシュが地獄で、車幅が狭いうえに3両編成。今の世になって本当に楽になりました。
運行の間隔は、ラッシュ時を除くと1時間に3本、20分に1列車でした。
現在でも、笹部から妙見口終点までが単線の上、ひたすら林の中を駆け抜けていき、
民家をほとんど見かけない山岳列車の様相(光風台やときわ台といったニュータウンは、視界から離れて上の方に在る)は、ノスタルジーを感じますね。
ご視聴及びコメントありがとうございます。
畦野駅も昔の写真で移転している事は知っていたのですが、当時の位置を特定できる資料がなかったので触れませんでした。
能勢電も昔は阪急の古い車両(今よりもっと古い)が走っていた記憶があったのですが、乗客も増え、施設も新しくなったと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
畦野の廃線あとはもう一本下の道だった気が・・間違ってたらごめんなさい。
ご視聴ありがとうございます。
国土地理院の地図及び航空写真ではそうだと思ったのですが、何せ大昔の事なので
私が間違っているかもしれません。
土砂崩れの防ぐためお引っ越し
昔、能勢電に乗ったけど、川へ振り落とされるように走っていく。箱根登山電車よりも怖かったwww。また乗ってみたい。
南海本線に高架化と同時に廃止された旧線があるようです。調査願いますm(__)m