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これ、このお話だけで本がかけると思う。山田先生は大盤振る舞いで知識を広めてくれるお方でとてもありがたい。
二宮尊徳の和歌「音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ」という言葉が大好きです。「自然はいつも、音も立てず、香りも立てずに、天と地の間の見えない生命体の循環を繰り返している、まるで、自然の摂理という経文を繰り返し繰り返しとなえているように思える。」人間社会で悩んだら、自然の中に答えを求める事があります。
二宮金次郎像って100年以上の私の通っていた学校にも五郎さん同様にありませんでしたが色々聞いてると“勤勉化”や“貧しいながら勉強をして…”という一般的なイメージしかなかったけど五郎さんの講座を深く聞いていると面白くなっていきました。“シマザキさんさすが!”と思いつつ毎度ながら見入ってしまいました。色々と知らない事が沢山ありいつもの事ながら思った以上の知識を得ることが出来ました。毎週感謝です。楽しくタメになる知識を得る事が出来るこの講座に感謝です。
謎解き感が最高 美術的や歴史的など凄い多角的な分析たまらん 五郎さんと島崎さん ありがとうございます。
二宮さんの薪を背負っての苦学の話と蛍や雪の光で勉強した話とが何故かごちゃ混ぜになっていました。
想像以上に面白い!
私の通っていた都内の区立小学校(大正末期開校)にあった金次郎像は銅像で、細部の描写や大きさから考えると岡崎雪聲のコピー作品だったと思われます(戦前のものか戦後のものかは覚えていません)。ただとにかくよくできていて、柴の一本一本が細かく表現されていたり頬っぺたのふくらみがリアルだったりして、子供ながら見惚れていました。私の中ではそれが金次郎像のスタンダードになっていたので、よくある石像の金次郎にはいつも違和感があったのですが、今回のお話でいろいろなバリエーションがあることがわかりとても面白かったです。
ありがとうございます!
前からそこにあるもの、という存在だったので、今回のお話もとてもおもしろかったです。
生まれも育ちも小田原で、今は結婚して酒匂川沿いに住んでいます。酒匂幼稚園、小学校、中学校に通っていました。尊徳記念館は小田原市内の小学校は遠足で必ず行くと思います。従兄弟は二宮神社で結婚式を挙げ、私も車を購入した時はお祓いに行きました。金次郎が松を植えたと言われる酒匂川沿いの土手がサイクリングコースになっていて、走ったりもしました。でも深く考えたことがなかったのでとても興味深く、楽しませていただいています。
二宮金次郎の像が戦時中の金属供出で喪われた→戦後に同窓会が寄贈 みたいなのを聞きました。金属供出のために、学校あげて二宮金次郎出征壮行会を行った、みたいな話もよく見かけました。金属不足のために石像になったのだと勝手に思っていたけど、学校設置のスタートがまさかのコンクリート!でも、当時のコンクリートは最新ハイテク素材だったのでは。尚、学校民俗学には欠かせない題材です。夜中に走るとか、入れ替わらされるとか、目が光るとか。いいですよねえ。
現存最古の物が非金属な理由は恐らくそこにあるんでしょうね。勉強になりました
コンクリートは当時からハイテクでも何でもありません。素材は灰であり当時は庶民も燃料として薪を大量に消費するのでたくさん出ました。石や銅に比べ強度と耐用年数は落ち価値も無いですがコスパが格段によいです。個人の寄贈となるとコスパを選んだのではないかと思います。
一休さんと二宮尊徳さんは、大人になってからの姿を見てびっくりするイメージがあります。
金次郎の伝記は知ってましたが、像にそういう背景があったとは知りませんでした。ありがとうございます。
登戸のドラッグストアにありますよ〜😊コロナ禍の時マスクしてました😆
金次郎像に目をとめた島崎さんがスゴイ!生活に溶け込んでて、なかなか気づかないですよね〜
映画「帝都物語」では魔人を封じ込めるために特殊な金次郎像をあちこち置いて回ってた風水師役の桂三枝さんがいい味出してました
久々にコメントしたくなる、神回がくる予感二宮金次郎さんについて調べたこともなかったなぁ。なるほど、面白いですね
昭和世代です当たり前のように小学校にありましたブロンズだと思いますが定かではありません😂勝手な解釈ですが 『経済と道徳は一緒』という考えが無くなってきた辺りから少しずつ今のどうしようもない日本になってきたように思えます歩きながら読書云々つまらないことに噛みついたり…今だからこそこの企画は大変勉強になります次回が楽しみです😊
親戚の家が二宮尊徳生家や報徳神社(小田原城隣)に近くよく行きました、小田原の英雄ですね。報徳神社には「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」という尊徳の千年後にも残る金言が掲げられており感銘しました好景気に浮かれ虚構にまみれたバブル期、不景気でもブラック企業が溢れる現代こそ二宮尊徳の教えを全国民が胸に刻むべきだと思いますね
@@yokohamayamato9010この金言をトランプ大統領に聞かせたいわ。(笑)😂
@@オハラ正助 今の日本の政治家にも( ;∀;)
五郎さんが偉人を紹介するときの「もうこの人 大 変 に 偉い方なんですよ」とか「大 変 に 優秀で」の言い方好きで、五郎さんが言うからには自分が今まで思ってた(習ってきた)以上にすごい人なんだろうなと改めて思ってます。
当たり前のように小学校にあった金次郎像ですが、草の根パプリックアートだったとは!次回のブレイク回が楽しみ〜😊
懐かしい~。小学校2年で転校したしたての私が学校中で書いた思い出深い絵ですね。校長先生がわざわざ覗き込んで誉めてくれて、転校生の孤独が一挙に吹き飛んだ嬉しい課題でした。私も彼を見習って学校の行き帰りずっと本を読んでいました。でも経営再建の神様なんてとこはこれからですね。みならいま~す。
このチャンネルの始まりは学校の教科書に載ってるような名画の「なんじゃこりゃ」というようなツッコミどころを解説していただく、という精神だったと思うので、たまにはこういうのがあると嬉しいです。ワダさんの精神ですね。島崎さんも食い下がっていただいてありがとうございます
大衆の中で二宮金次郎のイメージが作り上げられてそれが史実となっていくさまが面白かったです。次週も楽しみにしてます!
静岡県民です。掛川市に大日本報徳社があるということで、地元ローカル局が「二宮金次郎像の謎」的な特集を何度か放送していたのを観ましたが、あまり深く掘り下げてはいなかったので今回の動画は面白かったです。それらの番組では、最近小学校の金次郎像が減っているのは何故か、みたいな感じで「本を読みながら歩くと交通事故に遭う危険があり子供に悪影響があるから」的な結論だったような・・・
「歩きスマホが普及したから」という説も有りますね
岡崎氏の幼い二宮像はあどけなさと学ぶことの喜びが滲み出ていて心惹かれます。
私は尊徳先生の農業指導を受けた栃木県真岡市(旧二宮町)出身です。幼少期より優れたカイゼンマンであったことを小学生の時に学びました
学校にあった像、当たり前の様にあった像でしたので、とても観ていて楽しかったです。色々な経緯をコラージュした像の話と、学校の怪談と浮かんできて、これから未来の像の物語を、思わず想像したりしました。来週も、今から楽しみにしております♪
私が通っていた小学校にはありませんでした。都内区立としてはかなり古い小学校だったはずですが、金次郎像を作る資金がなかったか、思想的に置かなかったのか…謎です。でも日本人特有の勤労勤勉の思想にはすごく合っていたんだろうし、それを子供の頃に教えることは理にかなっていたんでしょう。他の小学校の子たちは金次郎像に関して、いわゆる「学校の七不思議」「学校の怪異」の話をしてくれました。子供ってそういう不思議話が大好きですもんね。それにしても前後編になるほど、二宮金次郎像の逸話。奥が深そうで後編が楽しみです。
元はリンカンがモデルだという話を聞いたことがありますよ。若い頃木こりをしながら、法律の本を読んでたという話が初期の修身の教科書に出ていたらしいです。
思った以上に興味深いお話でした。後半も楽しみ・・・地元のヒーローです。当然通っていた小学校にもありました(銅像柴バージョン)。今はないみたいですが。とはいえ当時からもきちんと功績を教えられておらず漠然と偉い人くらいの認識でした。後年記念館ができたり生家がきれいに整備されたりしてだいぶ啓蒙が進んだように思いますが、地元としてはもっと大事にしてもいいと思います(金太郎も地元ですが金太郎以降に教えられてないですし)。最近では歩きスマホ推奨っぽくてけしからん的な理由で撤去されたり形をかえたりされたりと報じれることもあり、そっちのほうがけしからん!と憤っていましたが、よもや史実ではないとは(笑
まさかの続編😂楽しみですー
小学生の時、ずっと本読みながら登校してたら、今でもとんでもないストレートネックな24歳男性です
ながらスマホが危なくて、ながら読書は大丈夫なんですかね?ストレートネック、体操で直してください。お若いので、大丈夫です。
金次郎ネタで、まさかの次回持ち越し!!
金次郎さん像があった記憶ないな〜。高校の校庭にはサモトラケのニケがいた。大好きだった。
面白かった〜!小学生の頃「世界の偉人 伝記」みたいな本が大好きで尊徳も読んだはずだけど、ほとんど知らない話でした😂読書好きで登下校中も本読んでたから「二宮金次郎」と友達から言われてましたね。ランドセルが薪に見えるんですよね笑
小学生の頃、校庭の奥の中央に草履をはいた足首から下だけの石像がありました。台座になんの表記もなく、これ何だろう?くらいにしか思っていませんでしたが、いま考えるにあれは二宮金次郎の石像だったのではないかと思います。明治7年開校の歴史ある小学校だったので、いつから設置されていたのか分かりませんが、私が見た当時すでに風化が始まっていたので、もう存在しないかも知れません。
栃木県真岡市(旧二宮町)に、二宮尊徳翁が来られて建て直した話は栃木県民は誰もが学びます。その地がうまく行ったので、栃木県日光市(旧今市市)にも打診がありましたが、高齢の為途中で断念。「報徳」という名前が付く施設がやたら残っております。 動画内で出されてました引き札の今市小倉町 松屋は今も「松屋総本店の尊徳饅頭」を名物として販売しております。
素晴らしすぎる。😂
引っ張る引っ張る😆これは後編必聴ですね。
面白かったです 国が設置したものとばかり思ってました 魚籠を背負ってるの面白かったです
とても面白かったです。「元旦や 今年もあるぞ 大晦日」って句は 尊徳翁の作だそうですね。続編 待っています。
北九州の出身ですが学校に二宮金次郎像はありませんでした。が、90年代の学校の怪談ブームで二宮金次郎像は学校にあるものという認識はありました。母校に像がなくても、なんとなくイメージができているのは面白いですね。
二転三転のワクワク回でした。当時の大人が子どもを大事にし慈しんでいた気持ちを感じました。次回が楽しみです。
こんばんは。祖母が歌っていました。「兄弟仲良く弟を世話し、手本は二宮きーんじろうー。」ここだけ覚えています。続きが早く見たいです。
私が通っていた小学校も石像の金次郎でした。完璧にみえて実はバツイチだったんですよね!手本は二宮金次郎~🎵の歌は父がよく歌ってました。
今から40年前に我が小学校の二宮像はコンクリートだったのを思い出しました。 夜に顔が動く、歩きだす等の怪談話もありました。
うちの小学校は、何故かすごい奥まってて琵琶と菩提樹の植え込みをかき分けないと見つからない場所に、隠されるように置かれてたなぁ…1年生のせいかつの授業で校内探索をした時に、やんちゃな男子が蜘蛛の巣頭につけて顔に枝の引っかき傷作りながらやっと発見できるレベルそんなんだから私は最後まで実物は見なかったけど、足首が台座に埋まってるらしくて当時流行った学校の怪談から「夜中に歩くから足を埋められて、封印するように隠されてる」とクラスメイトの間では定説でした
関西圏だけかもしれませんが、昭和の頃のラジオ番組から「ニノキン」ブームに火がつき、真夜中に小・中学校のニノキンの石像銅像が校内の廊下を爆走するなどの都市伝説が。あげくの果てには「走れ二宮金次郎」なる曲まで出てきた記憶がwwwwwww
金次郎さんのお話面白いですね❤私、ある金次郎研究家さんの写真集持ってます😂
通っていた小学校には二宮金次郎像はありませんでした。子供の頃、父親がよく二宮金次郎の歌を歌っていたのでわりと小さい頃から二宮金次郎のことは知っていました。小学校には二宮金次郎像も無ければ、百葉箱も無かったなぁ。
遥か昔のもう廃校になった母校の像を思い出しました定かではないですが、茶色っぽい陶器だったような気が‥懐かしい記憶が蘇りました
あまりに身近かで不思議とも思わなかったものが、こんな経緯を秘めていたとは驚きました。小学校に設置されているので多くの人は、五郎さんの言われたように国や文部省の働きかけで製造されたものだと思っているでしょう。二宮尊徳が偉人とは知っていましたが、報告社や神社まであるとは初耳でした。広まる過程で、狩野派では知られていた朱買臣との相似、引き札による広告効果、それを経ての岡崎雪せいによる銅像製作など次々話が進展して行き、明治天皇が気に入って報告記を宮内庁に直々に出版させたとは、驚きました。現存する最古の像が、何とコンクリート製で、薪も柴も背負わず魚籠を背中に載せているとは、これまた意外でした。これほど様々な人々に注目されるこの像の魅力と共に、後編が今から楽しみです。
報告記▶報徳記 報徳社
うちの小学校にも薪を背負ったコンクリート像がありました!近くにとても大きなお屋敷があり、そこのお子さんとそのお宅の庭で遊んだ時に金次郎像を見つけて「小学校以外にもあるのか!」と驚いた記憶があります。もしかしたら、そのお宅の方(報徳思想の実業家?)が近くの小学校に像を寄贈したのかもしれませんね。おもしろい!
うちの小学校にも金次郎いました、下半身のないのが。関東大震災で倒れて壊れたそうで。深夜零時になると下半身が生えて校庭をダッシュする、という噂がありましたね。
金次郎て、大抵の学校で夜中走り出す設定ですよねwwwwうちの母校でも夜中に目ぇ光らせて走ってたようですね~
@@nakaboneshakeno3486 尊崇に始まり、パロディ、怪談に終わる。
ていうか、最古のものが大正13年とすると震災で倒れた説ではないのか・・
うちの小学校には像はなかったのですが、確か教科書に載っていたのかな、二宮金次郎の事は知ってました。小学校高学年以降、色んな歴史上の偉人の伝記を読むのがマイブームで、二宮尊徳の伝記も読みましたよ。でも、そんな裏にはこんな事実が隠されていたとは。小学校の最古の二宮金次郎像がコンクリート製なのが、一番インパクトがありました😆面白かったです。
新設校には金次郎像は無いのである学校は歴史のある学校という事ですね石造りじゃなかったと思うけど銅像だったっけ?色ついてた記憶が😅
広告がビジュアルイメージを決めたってのはサンタクロースとコカ・コーラの関係みたいで面白いですね。
陶器製の金次郎を見たことあるし、なぜかウチにも居て、正月に供物までしてる
先日、廃校となり10年以上となり、近々取り壊しになる小学校を見に行って来ました。校庭に片隅に大きな台座に載った金次郎さんがおりました🙋
私は、1980年代前半に、法規書出版社に勤めていました。一般的な取次店を通した書籍の販売は少なく、法規書(日本法令集や各自治体の条例集)を改定のたびに差し替えられような体裁の出版物で、自治体や学校、地方公共団体などに直販する会社でした。法規書以外にも、自治体や学校向けの商材があったのですが、その中に「二宮金次郎像」という、既製品の(たしかブロンズ像だったと思う)があり学校向けに販売しておりました。けっこうな量を販売していたように思いますので、あれが今の学校に残っているということもあるのかなと思いました。
昔の法規差し替えを思い出しました。まず見ることもない法規書を時間を費やして差し替えたわけですが全国的にすごい量だったのでしょうね。今は電子化でもう無いのかな
地元豊橋の知らなかった歴史を学ばせていただきました。まさかいつも見ているこのチャンネルで豊橋の名前が出るとはいつも勉強になります😊
🌳🏕️芝刈り縄ない草鞋を作り 親の手助け 弟を世話し 兄妹仲良く孝行尽くす 手本は二宮金次郎 ✌️😃 今でもこの歌が大好きです❤
現代だと歩きスマホでKindle🤣石だと思ってるのはコンクリート製かもしれないですねコンクリート製のところは戦中の金属供出で銅像が無くなったところに新しく建てたのも多いのかも
70過ぎのばあちやんですが通ってた小学校には金次郎さんの像はなかつたですね。どういうお仕事されたのか最近になつて知りました。農業指導や土地の開墾など藩の経済建て直しをされたそうでいつか尊徳記念館訪れたいと思います😊
続きが気になります。八重洲ブックセンターの二宮尊徳像に金箔貼ったのは良い思い出です。出身小学校にあった尊徳像は破損を受けてから地元の農協にあります。
アレ、捺してくださいって金箔を置いてあったような・・・だからシッチャカメッチャカな捺され方してましたよね
@@埠頭半田 さん、そうです、それです。そんなに財布が痛まない浄財で何となぁく頭が良くなった気分になるのが好きでした。
愛知県豊橋市にある最古の金次郎さん像は薪や柴ではなく魚籠を背負っている、というのは衝撃でした。コンクリ製でも精緻ですね。
海に望む田舎に住んでおり市内には、昔から漁港もあります。が、私が通った小学校の金次郎さんは、石製で薪を背負っております。正校門の正面に鎮座しておりましたので、当時は登校時に、像の前を歩いて教室に向かっておりました。
金次郎3D化!がじわる
意外や意外。思いっきり美術の話でびっくりしました。
シマザキさん熱いですね!アンリ・ルソーの際はクールな印象でした。
彼は人生を背負って歩いてるんだよ
うちの小学校の二宮金次郎像の本の上に18禁のお姉さんの本を置くと、二宮金次郎が内股になるという七不思議があった
狩野派てやっぱり凄い。いろんな所に影響を与えてる。
帝都物語の影響もあって、これまで二宮金次郎と聞くと量産的なイメージが強かったですが、この動画を見て新たな視点を得られました。
久しぶりに拝見したけどやはり歴史にかかわっているものは面白い…
私の場合は銅像だった気がします😊薪でしたね😊図書館の前にありました😊図書館があったんですよ小学校に😮
岡山のBetty Smith のお店の裏に、柴を背負ってBetty Smith のデニム製の「前掛け」を着けた金次郎(金治郎?)さんがいました。金次郎さんは、とにかく頭がいいし、今の中学生くらいで米を育てたり、菜種を植えて油を採ったりできたって、すごいとしか言いようがありません。私が通っていた小学校は、残念ながら二宮金次郎像ではなく、「玉磨かざれば光なし」の文言と、花崗岩の磨いてない玉とツルツルに磨いた玉を二つ並べた石碑でした。
美術も好きですが、今回の話はめっちゃ面白かったです。五郎さんの広い見識をもっていろいろな事柄について話してもらえればなお嬉しい☺️
面白いです!二宮尊徳の考えは現代こそ必要なものだと思います😊
うちの小学校にあった二宮金次郎像は、戦中の金属供出で、溶かされてしまいました。
自分の母校にもありました。ザラザラの古いコンクリート製で、台座に「勤倹力行」と彫ってありました校門の外にあって、ストリートビューではまだ健在のようです
興味深いですねぇ。次回も楽しみにしております。そういえば、閉校したところの二宮像を買い取って一般の方々が観られるようにした社長がいらしたような・・・
ありがとうございます!興味深く拝見させて頂きました。わいわい♫\(^o^)/♬因みに、『日本人のための憲法原論(著:小室直樹)』にも、二宮金次郎のエピソードが出てきた事を思い出しました。また、この本を読んでみる切っ掛けを下さり、ありがとうございました(^^♪
ウチの小学校にあったのも、恐らくコンクリでした。子供心に、石にしてはザラザラだし、コンクリでできててチープだなという印象を持ってた記憶があります。最近は、倒れたら危険だなんだで撤去が進んでるようですが、経緯や建てられた意図をしっかり斟酌して決めて欲しいですね。
歴史ミステリーみたいで面白かったです!
コレは面白いです。最初にサムネを見た瞬間は「えっ?😟」と思いましたが、動画を観てみると大変興味深い。後編が楽しみです。
私の出た北海道の小学校は40センチ位の木像が玄関内のガラスケースの上にありました。薪を背負ってた気がしますが、なぜうちは銅像じゃないんだろう?と思っていました。高学年になると、色もいいし小ぶりだしおしゃれだし、押し付けがましい感じがなくていいなと思うようになりました。ちなみに来年開校140年だったはず。場所が一度移っているので、元の場所にはもしかしたら屋外の像があるのかも?
何度も観て感じた事が違うけど初の3Dの二ノ宮金次郎の目線が本にいってるのが分かりやすく個人的には「真剣に見てる」というのを感じました。真偽は分かりませんが“再建の為に学んでいる”という感じがしました。
私の通っていた小学校にもありましたね。確かコンクリート製だったような・・・しょっていたのは薪。また、夜中になると校内を走り回るともっぱらのうわさがありました。
マリーアントワネットは実は『パンがなければ…』って言ってないとか、ジョージワシントンは実は桜の木を切ってない、みたいな話に近いものがある。
金次郎のこれって学校の七不思議とかいろいろ伝説はなぜか知ってる。金次郎が夜中徘徊する。走る。薪の本数が違う(右側から見える本数と左側から見える本数)という伝説。
サンタクロースのイメージがコカコーラの広告で定着したのと似てるな。
私の通った小学校の金次郎像はコンクリートっぽかったよなあと思っていたら、やはりコンクリートだったのかな。。ドッジボールが当たって腕が折れてしまった記憶があります。50年前の記憶です。
小田原市の尊徳記念館に行ったことがあります、とてもわかりやすく展示されていました、駅からはけっこう歩きましたけど。
この回は凄い!次回楽しみ
24:46 五郎さんの独自ルートで二宮金次郎像研究家と言えば、五郎さんと同郷でサングラスのあの人しか思い浮かばない😅
貧乏のイメージで薪、柴刈というのがあるけどそれは自分の土地か?という…現代的にフィギュアをつくるとしたらエコバッグ+タブレットを持たせてつくってみようかしら
私の実家の一族は戦後の農地改革前の地方の地主なのですが、かつてその土地の小学校に曽祖父が金次郎像を寄贈したとのことで、墓参に行った時にその像を見に行ったことがあります。その土地土地で贈る意思と若干の資力がある人が金次郎像を建てたのでしょうね。
小中高と京都でしたが、どこでも二宮金次郎はありませんでした。だから、小学校にあるというのは伝説(?)だと思ってました。滋賀に来て、子どもの通う小学校にあってびっくり❢本当なんだと思いました。
きんじろうカフェ行きました!小田原城の横。
二宮金次郎は花登筺脚本であかんたれみたいなドラマにして欲しかった。最高に面白いし、粋だし、超面白い。
これ、このお話だけで本がかけると思う。山田先生は大盤振る舞いで知識を広めてくれるお方でとてもありがたい。
二宮尊徳の和歌
「音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ」という言葉が大好きです。
「自然はいつも、音も立てず、香りも立てずに、天と地の間の見えない生命体の循環を繰り返している、
まるで、自然の摂理という経文を繰り返し繰り返しとなえているように思える。」
人間社会で悩んだら、自然の中に答えを求める事があります。
二宮金次郎像って100年以上の私の通っていた学校にも五郎さん同様にありませんでしたが色々聞いてると“勤勉化”や“貧しいながら勉強をして…”という一般的なイメージしかなかったけど五郎さんの講座を深く聞いていると面白くなっていきました。“シマザキさんさすが!”と思いつつ毎度ながら見入ってしまいました。色々と知らない事が沢山ありいつもの事ながら思った以上の知識を得ることが出来ました。毎週感謝です。楽しくタメになる知識を得る事が出来るこの講座に感謝です。
謎解き感が最高 美術的や歴史的など凄い多角的な分析たまらん 五郎さんと島崎さん ありがとうございます。
二宮さんの薪を背負っての苦学の話と蛍や雪の光で勉強した話とが何故かごちゃ混ぜになっていました。
想像以上に面白い!
私の通っていた都内の区立小学校(大正末期開校)にあった金次郎像は銅像で、細部の描写や大きさから考えると岡崎雪聲のコピー作品だったと思われます(戦前のものか戦後のものかは覚えていません)。ただとにかくよくできていて、柴の一本一本が細かく表現されていたり頬っぺたのふくらみがリアルだったりして、子供ながら見惚れていました。私の中ではそれが金次郎像のスタンダードになっていたので、よくある石像の金次郎にはいつも違和感があったのですが、今回のお話でいろいろなバリエーションがあることがわかりとても面白かったです。
ありがとうございます!
前からそこにあるもの、という存在だったので、今回のお話もとてもおもしろかったです。
生まれも育ちも小田原で、今は結婚して酒匂川沿いに住んでいます。
酒匂幼稚園、小学校、中学校に通っていました。
尊徳記念館は小田原市内の小学校は遠足で必ず行くと思います。
従兄弟は二宮神社で結婚式を挙げ、私も車を購入した時はお祓いに行きました。
金次郎が松を植えたと言われる酒匂川沿いの土手がサイクリングコースになっていて、走ったりもしました。
でも深く考えたことがなかったのでとても興味深く、楽しませていただいています。
二宮金次郎の像が戦時中の金属供出で喪われた→戦後に同窓会が寄贈 みたいなのを聞きました。金属供出のために、学校あげて二宮金次郎出征壮行会を行った、みたいな話もよく見かけました。金属不足のために石像になったのだと勝手に思っていたけど、学校設置のスタートがまさかのコンクリート!でも、当時のコンクリートは最新ハイテク素材だったのでは。
尚、学校民俗学には欠かせない題材です。夜中に走るとか、入れ替わらされるとか、目が光るとか。いいですよねえ。
現存最古の物が非金属な理由は恐らくそこにあるんでしょうね。勉強になりました
コンクリートは当時からハイテクでも何でもありません。素材は灰であり当時は庶民も燃料として薪を大量に消費するのでたくさん出ました。石や銅に比べ強度と耐用年数は落ち価値も無いですがコスパが格段によいです。個人の寄贈となるとコスパを選んだのではないかと思います。
一休さんと二宮尊徳さんは、
大人になってからの姿を見て
びっくりするイメージがあります。
金次郎の伝記は知ってましたが、像にそういう背景があったとは知りませんでした。ありがとうございます。
登戸のドラッグストアにありますよ〜😊コロナ禍の時マスクしてました😆
金次郎像に目をとめた島崎さんがスゴイ!
生活に溶け込んでて、なかなか気づかないですよね〜
映画「帝都物語」では魔人を封じ込めるために特殊な金次郎像を
あちこち置いて回ってた風水師役の桂三枝さんがいい味出してました
久々にコメントしたくなる、神回がくる予感
二宮金次郎さんについて調べたこともなかったなぁ。
なるほど、面白いですね
昭和世代です
当たり前のように小学校にありました
ブロンズだと思いますが定かではありません😂
勝手な解釈ですが 『経済と道徳は一緒』という考えが無くなってきた辺りから少しずつ今のどうしようもない日本になってきたように思えます
歩きながら読書云々つまらないことに噛みついたり…
今だからこそこの企画は大変勉強になります
次回が楽しみです😊
親戚の家が二宮尊徳生家や報徳神社(小田原城隣)に近くよく行きました、小田原の英雄ですね。報徳神社には
「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」
という尊徳の千年後にも残る金言が掲げられており感銘しました
好景気に浮かれ虚構にまみれたバブル期、不景気でもブラック企業が溢れる現代こそ二宮尊徳の教えを全国民が胸に刻むべきだと思いますね
@@yokohamayamato9010
この金言をトランプ大統領に聞かせたいわ。(笑)😂
@@オハラ正助 今の日本の政治家にも( ;∀;)
五郎さんが偉人を紹介するときの
「もうこの人 大 変 に 偉い方なんですよ」
とか
「大 変 に 優秀で」
の言い方好きで、五郎さんが
言うからには自分が今まで
思ってた(習ってきた)以上に
すごい人なんだろうなと
改めて思ってます。
当たり前のように小学校にあった金次郎像ですが、草の根パプリックアートだったとは!
次回のブレイク回が楽しみ〜😊
懐かしい~。小学校2年で転校したしたての私が学校中で書いた思い出深い絵ですね。校長先生がわざわざ覗き込んで誉めてくれて、転校生の孤独が一挙に吹き飛んだ嬉しい課題でした。私も彼を見習って学校の行き帰りずっと本を読んでいました。でも経営再建の神様なんてとこはこれからですね。みならいま~す。
このチャンネルの始まりは学校の教科書に載ってるような名画の「なんじゃこりゃ」というようなツッコミどころを解説していただく、という精神だったと思うので、たまにはこういうのがあると嬉しいです。
ワダさんの精神ですね。
島崎さんも食い下がっていただいてありがとうございます
大衆の中で二宮金次郎のイメージが作り上げられてそれが史実となっていくさまが面白かったです。次週も楽しみにしてます!
静岡県民です。掛川市に大日本報徳社があるということで、地元ローカル局が「二宮金次郎像の謎」的な特集を何度か
放送していたのを観ましたが、あまり深く掘り下げてはいなかったので今回の動画は面白かったです。
それらの番組では、最近小学校の金次郎像が減っているのは何故か、みたいな感じで
「本を読みながら歩くと交通事故に遭う危険があり子供に悪影響があるから」
的な結論だったような・・・
「歩きスマホが普及したから」という説も有りますね
岡崎氏の幼い二宮像はあどけなさと学ぶことの喜びが滲み出ていて心惹かれます。
私は尊徳先生の農業指導を受けた栃木県真岡市(旧二宮町)出身です。幼少期より優れたカイゼンマンであったことを小学生の時に学びました
学校にあった像、当たり前の様にあった像でしたので、とても観ていて楽しかったです。色々な経緯をコラージュした像の話と、学校の怪談と浮かんできて、これから未来の像の物語を、思わず想像したりしました。来週も、今から楽しみにしております♪
私が通っていた小学校にはありませんでした。都内区立としてはかなり古い小学校だったはずですが、金次郎像を作る資金がなかったか、思想的に置かなかったのか…謎です。
でも日本人特有の勤労勤勉の思想にはすごく合っていたんだろうし、それを子供の頃に教えることは理にかなっていたんでしょう。
他の小学校の子たちは金次郎像に関して、いわゆる「学校の七不思議」「学校の怪異」の話をしてくれました。
子供ってそういう不思議話が大好きですもんね。
それにしても前後編になるほど、二宮金次郎像の逸話。奥が深そうで後編が楽しみです。
元はリンカンがモデルだという話を聞いたことがありますよ。若い頃木こりをしながら、法律の本を読んでたという話が初期の修身の教科書に出ていたらしいです。
思った以上に興味深いお話でした。後半も楽しみ・・・
地元のヒーローです。当然通っていた小学校にもありました(銅像柴バージョン)。今はないみたいですが。
とはいえ当時からもきちんと功績を教えられておらず漠然と偉い人くらいの認識でした。
後年記念館ができたり生家がきれいに整備されたりしてだいぶ啓蒙が進んだように思いますが、地元としてはもっと大事にしてもいいと思います(金太郎も地元ですが金太郎以降に教えられてないですし)。
最近では歩きスマホ推奨っぽくてけしからん的な理由で撤去されたり形をかえたりされたりと報じれることもあり、そっちのほうがけしからん!と憤っていましたが、よもや史実ではないとは(笑
まさかの続編😂楽しみですー
小学生の時、ずっと本読みながら登校してたら、今でもとんでもないストレートネックな24歳男性です
ながらスマホが危なくて、ながら読書は大丈夫なんですかね?ストレートネック、体操で直してください。お若いので、大丈夫です。
金次郎ネタで、まさかの次回持ち越し!!
金次郎さん像があった記憶ないな〜。高校の校庭にはサモトラケのニケがいた。大好きだった。
面白かった〜!小学生の頃「世界の偉人 伝記」みたいな本が大好きで尊徳も読んだはずだけど、ほとんど知らない話でした😂
読書好きで登下校中も本読んでたから「二宮金次郎」と友達から言われてましたね。ランドセルが薪に見えるんですよね笑
小学生の頃、校庭の奥の中央に草履をはいた足首から下だけの石像がありました。台座になんの表記もなく、これ何だろう?くらいにしか思っていませんでしたが、いま考えるにあれは二宮金次郎の石像だったのではないかと思います。明治7年開校の歴史ある小学校だったので、いつから設置されていたのか分かりませんが、私が見た当時すでに風化が始まっていたので、もう存在しないかも知れません。
栃木県真岡市(旧二宮町)に、二宮尊徳翁が来られて建て直した話は栃木県民は誰もが学びます。その地がうまく行ったので、栃木県日光市(旧今市市)にも打診がありましたが、高齢の為途中で断念。「報徳」という名前が付く施設がやたら残っております。 動画内で出されてました引き札の今市小倉町 松屋は今も「松屋総本店の尊徳饅頭」を名物として販売しております。
素晴らしすぎる。😂
引っ張る引っ張る😆これは後編必聴ですね。
面白かったです 国が設置したものとばかり思ってました 魚籠を背負ってるの面白かったです
とても面白かったです。
「元旦や 今年もあるぞ 大晦日」って句は 尊徳翁の作だそうですね。
続編 待っています。
北九州の出身ですが学校に二宮金次郎像はありませんでした。が、90年代の学校の怪談ブームで二宮金次郎像は学校にあるものという認識はありました。母校に像がなくても、なんとなくイメージができているのは面白いですね。
二転三転のワクワク回でした。当時の大人が子どもを大事にし慈しんでいた気持ちを感じました。次回が楽しみです。
こんばんは。
祖母が歌っていました。
「兄弟仲良く弟を世話し、手本は二宮きーんじろうー。」ここだけ覚えています。
続きが早く見たいです。
私が通っていた小学校も石像の金次郎でした。
完璧にみえて実はバツイチだったんですよね!
手本は二宮金次郎~🎵の歌は父がよく歌ってました。
今から40年前に我が小学校の二宮像はコンクリートだったのを思い出しました。 夜に顔が動く、歩きだす等の怪談話もありました。
うちの小学校は、何故かすごい奥まってて琵琶と菩提樹の植え込みをかき分けないと見つからない場所に、隠されるように置かれてたなぁ…
1年生のせいかつの授業で校内探索をした時に、やんちゃな男子が蜘蛛の巣頭につけて顔に枝の引っかき傷作りながらやっと発見できるレベル
そんなんだから私は最後まで実物は見なかったけど、足首が台座に埋まってるらしくて当時流行った学校の怪談から「夜中に歩くから足を埋められて、封印するように隠されてる」とクラスメイトの間では定説でした
関西圏だけかもしれませんが、昭和の頃のラジオ番組から「ニノキン」ブームに火がつき、真夜中に小・中学校のニノキンの石像銅像が校内の廊下を爆走するなどの都市伝説が。あげくの果てには「走れ二宮金次郎」なる曲まで出てきた記憶がwwwwwww
金次郎さんのお話面白いですね❤
私、ある金次郎研究家さんの写真集持ってます😂
通っていた小学校には二宮金次郎像はありませんでした。子供の頃、父親がよく二宮金次郎の歌を歌っていたのでわりと小さい頃から二宮金次郎のことは知っていました。小学校には二宮金次郎像も無ければ、百葉箱も無かったなぁ。
遥か昔のもう廃校になった母校の像を思い出しました
定かではないですが、茶色っぽい陶器だったような気が‥
懐かしい記憶が蘇りました
あまりに身近かで不思議とも思わなかったものが、こんな経緯を秘めていたとは驚きました。小学校に設置されているので多くの人は、五郎さんの言われたように国や文部省の働きかけで製造されたものだと思っているでしょう。二宮尊徳が偉人とは知っていましたが、報告社や神社まであるとは初耳でした。広まる過程で、狩野派では知られていた朱買臣との相似、引き札による広告効果、それを経ての岡崎雪せいによる銅像製作など次々話が進展して行き、明治天皇が気に入って報告記を宮内庁に直々に出版させたとは、驚きました。現存する最古の像が、何とコンクリート製で、薪も柴も背負わず魚籠を背中に載せているとは、これまた意外でした。これほど様々な人々に注目されるこの像の魅力と共に、後編が今から楽しみです。
報告記▶報徳記 報徳社
うちの小学校にも薪を背負ったコンクリート像がありました!近くにとても大きなお屋敷があり、そこのお子さんとそのお宅の庭で遊んだ時に金次郎像を見つけて「小学校以外にもあるのか!」と驚いた記憶があります。もしかしたら、そのお宅の方(報徳思想の実業家?)が近くの小学校に像を寄贈したのかもしれませんね。おもしろい!
うちの小学校にも金次郎いました、下半身のないのが。関東大震災で倒れて壊れたそうで。
深夜零時になると下半身が生えて校庭をダッシュする、という噂がありましたね。
金次郎て、大抵の学校で夜中走り出す設定ですよねwwww
うちの母校でも夜中に目ぇ光らせて走ってたようですね~
@@nakaboneshakeno3486
尊崇に始まり、パロディ、怪談に終わる。
ていうか、最古のものが大正13年とすると震災で倒れた説ではないのか・・
うちの小学校には像はなかったのですが、確か教科書に載っていたのかな、二宮金次郎の事は知ってました。小学校高学年以降、色んな歴史上の
偉人の伝記を読むのがマイブームで、二宮尊徳の伝記も読みましたよ。でも、そんな裏にはこんな事実が隠されていたとは。
小学校の最古の二宮金次郎像がコンクリート製なのが、一番インパクトがありました😆面白かったです。
新設校には金次郎像は無いので
ある学校は
歴史のある学校という事ですね
石造りじゃなかったと思うけど
銅像だったっけ?
色ついてた記憶が😅
広告がビジュアルイメージを決めたってのはサンタクロースとコカ・コーラの関係みたいで面白いですね。
陶器製の金次郎を見たことあるし、なぜかウチにも居て、正月に供物までしてる
先日、廃校となり10年以上となり、近々取り壊しになる小学校を見に行って来ました。
校庭に片隅に大きな台座に載った金次郎さんがおりました🙋
私は、1980年代前半に、法規書出版社に勤めていました。一般的な取次店を通した書籍の販売は少なく、法規書(日本法令集や各自治体の条例集)を改定のたびに差し替えられような体裁の出版物で、自治体や学校、地方公共団体などに直販する会社でした。法規書以外にも、自治体や学校向けの商材があったのですが、その中に「二宮金次郎像」という、既製品の(たしかブロンズ像だったと思う)があり学校向けに販売しておりました。
けっこうな量を販売していたように思いますので、あれが今の学校に残っているということもあるのかなと思いました。
昔の法規差し替えを思い出しました。まず見ることもない法規書を時間を費やして差し替えたわけですが全国的にすごい量だったのでしょうね。今は電子化でもう無いのかな
地元豊橋の知らなかった歴史を学ばせていただきました。
まさかいつも見ているこのチャンネルで豊橋の名前が出るとは
いつも勉強になります😊
🌳🏕️芝刈り縄ない草鞋を作り 親の手助け 弟を世話し 兄妹仲良く孝行尽くす 手本は二宮金次郎 ✌️😃 今でもこの歌が大好きです❤
現代だと歩きスマホでKindle🤣
石だと思ってるのはコンクリート製かもしれないですね
コンクリート製のところは
戦中の金属供出で銅像が無くなったところに
新しく建てたのも多いのかも
70過ぎのばあちやんですが通ってた小学校には金次郎さんの像はなかつたですね。どういうお仕事されたのか最近になつて知りました。農業指導や土地の開墾など藩の経済建て直しをされたそうでいつか尊徳記念館訪れたいと思います😊
続きが気になります。
八重洲ブックセンターの二宮尊徳像に
金箔貼ったのは良い思い出です。
出身小学校にあった尊徳像は
破損を受けてから
地元の農協にあります。
アレ、捺してくださいって金箔を置いてあったような・・・
だからシッチャカメッチャカな捺され方してましたよね
@@埠頭半田 さん、
そうです、それです。
そんなに財布が痛まない浄財で
何となぁく頭が良くなった気分になるのが
好きでした。
愛知県豊橋市にある最古の金次郎さん像は薪や柴ではなく魚籠を背負っている、というのは衝撃でした。
コンクリ製でも精緻ですね。
海に望む田舎に住んでおり市内には、昔から漁港もあります。が、私が通った小学校の金次郎さんは、石製で薪を背負っております。
正校門の正面に鎮座しておりましたので、当時は登校時に、像の前を歩いて教室に向かっておりました。
金次郎3D化!がじわる
意外や意外。思いっきり美術の話でびっくりしました。
シマザキさん熱いですね!
アンリ・ルソーの際はクールな印象でした。
彼は人生を背負って歩いてるんだよ
うちの小学校の二宮金次郎像の本の上に18禁のお姉さんの本を置くと、二宮金次郎が内股になるという七不思議があった
狩野派てやっぱり凄い。いろんな所に影響を与えてる。
帝都物語の影響もあって、これまで二宮金次郎と聞くと量産的なイメージが強かったですが、この動画を見て新たな視点を得られました。
久しぶりに拝見したけどやはり歴史にかかわっているものは面白い…
私の場合は銅像だった気がします😊
薪でしたね😊
図書館の前にありました😊
図書館があったんですよ小学校に😮
岡山のBetty Smith のお店の裏に、柴を背負ってBetty Smith のデニム製の「前掛け」を着けた金次郎(金治郎?)さんがいました。
金次郎さんは、とにかく頭がいいし、今の中学生くらいで米を育てたり、菜種を植えて油を採ったりできたって、すごいとしか言いようがありません。
私が通っていた小学校は、残念ながら二宮金次郎像ではなく、「玉磨かざれば光なし」の文言と、花崗岩の磨いてない玉とツルツルに磨いた玉を二つ並べた石碑でした。
美術も好きですが、今回の話はめっちゃ面白かったです。五郎さんの広い見識をもっていろいろな事柄について話してもらえればなお嬉しい☺️
面白いです!二宮尊徳の考えは現代こそ必要なものだと思います😊
うちの小学校にあった二宮金次郎像は、戦中の金属供出で、溶かされてしまいました。
自分の母校にもありました。ザラザラの古いコンクリート製で、
台座に「勤倹力行」と彫ってありました
校門の外にあって、ストリートビューではまだ健在のようです
興味深いですねぇ。
次回も楽しみにしております。
そういえば、閉校したところの二宮像を買い取って
一般の方々が観られるようにした社長がいらしたような・・・
ありがとうございます!
興味深く拝見させて頂きました。わいわい♫\(^o^)/♬
因みに、『日本人のための憲法原論(著:小室直樹)』にも、二宮金次郎のエピソードが出てきた事を思い出しました。また、この本を読んでみる切っ掛けを下さり、ありがとうございました(^^♪
ウチの小学校にあったのも、恐らくコンクリでした。子供心に、石にしてはザラザラだし、コンクリでできててチープだなという印象を持ってた記憶があります。
最近は、倒れたら危険だなんだで撤去が進んでるようですが、経緯や建てられた意図をしっかり斟酌して決めて欲しいですね。
歴史ミステリーみたいで面白かったです!
コレは面白いです。
最初にサムネを見た瞬間は「えっ?😟」と思いましたが、動画を観てみると大変興味深い。
後編が楽しみです。
私の出た北海道の小学校は40センチ位の木像が玄関内のガラスケースの上にありました。
薪を背負ってた気がしますが、なぜうちは銅像じゃないんだろう?
と思っていました。
高学年になると、色もいいし小ぶりだしおしゃれだし、押し付けがましい感じがなくていいなと思うようになりました。
ちなみに来年開校140年だったはず。
場所が一度移っているので、元の場所にはもしかしたら屋外の像があるのかも?
何度も観て感じた事が違うけど初の3Dの二ノ宮金次郎の目線が本にいってるのが分かりやすく個人的には「真剣に見てる」というのを感じました。真偽は分かりませんが“再建の為に学んでいる”という感じがしました。
私の通っていた小学校にもありましたね。確かコンクリート製だったような・・・
しょっていたのは薪。また、夜中になると校内を走り回るともっぱらのうわさがありました。
マリーアントワネットは実は『パンがなければ…』って言ってないとか、ジョージワシントンは実は桜の木を切ってない、みたいな話に近いものがある。
金次郎のこれって学校の七不思議とかいろいろ伝説はなぜか知ってる。
金次郎が夜中徘徊する。走る。
薪の本数が違う(右側から見える本数と左側から見える本数)
という伝説。
サンタクロースのイメージがコカコーラの広告で定着したのと似てるな。
私の通った小学校の金次郎像はコンクリートっぽかったよなあと思っていたら、やはりコンクリートだったのかな。。ドッジボールが当たって腕が折れてしまった記憶があります。50年前の記憶です。
小田原市の尊徳記念館に行ったことがあります、とてもわかりやすく展示されていました、駅からはけっこう歩きましたけど。
この回は凄い!次回楽しみ
24:46 五郎さんの独自ルートで二宮金次郎像研究家と言えば、五郎さんと同郷でサングラスのあの人しか思い浮かばない😅
貧乏のイメージで薪、柴刈というのがあるけどそれは自分の土地か?という…
現代的にフィギュアをつくるとしたら
エコバッグ+タブレットを持たせてつくってみようかしら
私の実家の一族は戦後の農地改革前の地方の地主なのですが、かつてその土地の小学校に曽祖父が金次郎像を寄贈したとのことで、墓参に行った時にその像を見に行ったことがあります。その土地土地で贈る意思と若干の資力がある人が金次郎像を建てたのでしょうね。
小中高と京都でしたが、どこでも二宮金次郎はありませんでした。
だから、小学校にあるというのは伝説(?)だと思ってました。
滋賀に来て、子どもの通う小学校にあってびっくり❢
本当なんだと思いました。
きんじろうカフェ行きました!
小田原城の横。
二宮金次郎は花登筺脚本であかんたれみたいなドラマにして欲しかった。
最高に面白いし、粋だし、超面白い。