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この頃の蜀軍にとって、郭淮と張郃はとても厄介でしたね。
張郃は祁山で討ち取ることができましたが、もしここで張郃を討てなかったら、蜀はもっと苦戦していたでしょうね
@@結城友奈-v7q 個人的にはそれは逆で、手柄にはやって出撃してくれる武将って諸葛亮にとっては格好の獲物だったと思う
今回も楽しい動画でした!!ありがとうございます☺️
人に任せることができなかった為かな~。なんでも一人でやってはいけないと敗者から学ぶ。
戦争は政治の手段と考えるなら、司馬懿はリスクを負って戦う必要ないんだよね。追い返せば良いんだから、優勢な状況でも戦う必要はない。見栄を捨てて守りを固めた司馬懿の判定勝ちでしょう。その後の魏国内での地位も考えたら、リスクを犯して諸葛亮と戦う必要はない。ましてや、一度出撃させられて一敗地に塗れてる。戦わずして勝つ、対諸葛亮との戦いでは最良の選択だったでしょう。
抑々4~6倍の国力の奴に戦挑む時点で舞の海戦法やらなきゃいけないのは目に見えてる。司馬懿からすりゃ「敗けなきゃこっちの勝ち」なんだからどんと構えて持久戦、がセオリーでしょうね。アウェイは諸葛亮側ですし。
@user-oh4rh1sd9rその意味で司馬懿的には、諸葛亮の挑発(女ものの衣類を送ってきた件)で将兵が激怒して、攻勢に出るよう司馬懿に強要して来たのが最大のピンチでしたね。でも曹叡に自分が思ってるのと真逆の「攻勢に出てもいいっすか?」って上奏を送って、曹叡が意図を理解して却下するあたり、主従そろって流石ですね。小説だとそれでも我慢できなくなった将兵が命令違反で出撃するものの、曹叡から派遣されてきた辛毗が皇帝の権威の象徴である鉞を持って軍勢を前に立ちふさがって押しとどめてしまい、それを伝え聞いた孔明に「もうだめぽ」と絶望させる名シーンに盛られてますね。
司馬懿には勝てなかったけど、孔明を撃退したことで力を持った司馬懿の一族によって魏が倒されるから成功したことにしよう
確かに。その発想は無かった(笑)でも魏を倒すことの目的て、劉備の夢だった漢室の復興だったから…(笑)
結果的にはそうなんだけどね。ただ、ファンとしては司馬懿の専横から魏を守ろうとして破れたのが諸葛亮のいとこ(誕)だったというのはチョット皮肉っぽいな。
その司馬一族の後に「あの時代」が来たのは成功なのだろうか?😅
いやその前に司馬一族が牛耳る魏によって蜀が滅ぼされてるんだが。
単に司馬懿が曹爽との権力闘争に勝って、曹爽一族を虐殺して国を乗っ取ったからやろ孔明は関係ない
一回目の北伐を失敗したのが全てですね。国力差が大きいので正面から当たったらそりゃ相手を打ち破るのは無理ですよ一回目は西域諸勢力、孟達、呉との連携が取れてたし、魏軍からすると奇襲を受けた形になって馬謖がやらかさなければ西涼は制圧寸前でした二回目以降は曹真、その後は司馬懿が万全の備えをしていて、兵数でも物資の潤沢さでも数倍はある魏軍を打ち破るなんてもう不可能ですよね
面白かったです、キャラクターが良いですね。
4:09 司馬懿は、いかに損害を抑えるか。諸葛亮は、いかに魏の領土を勝ち取っていくか。この時点で…(泣)
魏と蜀じゃ国力・経済・人材・兵の数・物資などなど蜀の方が数段劣ってるし、食料補給も蜀の方が難しい その上、蜀は侵略戦、魏は防衛戦だから防衛の方が基本的に有利蜀は普通に戦うんじゃ勝つのが難しい上に司馬懿は徹底防戦して蜀の食料が尽きるのを待って場合によっちゃ撤退する蜀を追撃するだけでいい魏はよっぽど無能か無謀じゃなけりゃまず負けないしな 司馬懿が積極的に戦わない時点で勝敗は決まってる
人材不足。やはり夷陵での敗戦が致命的だったと自分は思います。大義も無いし、大敗したことで人的資源や物資資材も悉く灰にしてしまった。物資は取り返せても有能な人材を失ったことはかなり痛い。それが結果的に五丈原での激務を招いてしまったと思います。
普通に見て、夷陵の戦いでの損害は、国家崩壊規模ですから。死んだはずの国が、中華大半を占める大国と1地点のみでとはいえ渡り合えるまでに回復しただけでも、異常です。内部分解して自滅してもおかしくなかった。
諸葛孔明の天下三分の計は荊州があって成り立っていると思いますし二方面作戦が取れない以上難しいと思います。呉は初めから本気で攻める気はないみたいですし二方面作戦が取れたならばもう一人荊州に智将がいたのなら勝つ可能性はあると思います。でも初めから勝つつもりはなくって守りばかりされたのではあの頃の兵器では無理だと思います。守りを固められても陣地自体を壊す大砲などないと勝つ事は無理ですね。
その通りで、益州が肥沃な大地といっても山の合間の狭い盆地。籠もるには食も足るでしょうが、攻めるには兵も糧も足りません。孔明のプランは、自身は荊州に居て、兵・人材・食糧の生産基地とし、益州の守りを活かしての二方面作戦そのもの。成都には龐統と法政を置き内外に当たらせ、荊州は孔明と、下に置いてこそ活躍できる趙雲・張飛等で攻守を固め、といった所でしょう。戦略の基本である物量と手数の多さは、荊州無くして成立不能。寡勢で勝つのは蛮勇・詭道。
つまり関羽の失態は諸葛亮のプランを粉砕した、と。
関羽以外に誰ならよかったのか?いないから人材不足だろう。呉と同盟崩壊が原因
いまだに知らないけど正史では、関羽が命令を受けて襄陽と樊城を攻めたの?独断?それとどうせ呉は荊州を劉備が攻め取ったのと江陵はいろいろともめていた上に蜀の領土になっていたから、腹の中ではどうせ関羽関係なく攻め取るつもりだったのでは?
関羽が悪いとはよく言われてるけどその根拠のほとんどが呉に都合よく書かれた呉書の記述ばかりで、関羽が不遜な態度を呉に取ったとは言われるが、そもそもその前に劉備主導で孫権と荊州の領有権巡って小競り合い起こして妥協案で分割して和解したのに、関中で勝って蜀が大きくなって焦った呉が色々理由を後つけて後ろから騙し討ちしたようにしか見えない汚い手を使って勝った呂蒙陸遜は碌な死に方しなかったし因果回ってきたね
諸葛亮は勝たなければならなかった。司馬懿は負けなければ良かった。この差は軍を率いる者にとっては隔絶した差である。特に司馬懿は大軍を擁し、後方にはほぼ無尽蔵な補給物資、率いる武将も一線級の猛者に賢者、しかも勝つ必要は無く諸葛亮が引くまで、ただ亀の様に防衛するだけで良かった。一方、諸葛亮は虎の子の軍体を率いて、万が一にも大敗して軍が瓦解すれば蜀の滅亡を意味し、蜀の桟道で補給もままならず、率いる武将は櫛の歯が欠けるように年々と一線級の武将が居なくなった。加えて諸葛亮は戦略面では強いが、戦術面では正攻法しか行わず、守りの徹した大軍の司馬懿を崩すのは不可能。古より小が大に勝つためには、正攻法でなく奇襲と相場が決まっていますから。
北伐って諸葛亮の練りに練った一発勝負の侵攻戦いで……どんな理由があったにせよ一回目が失敗した時点で運命は決まった……実は北伐撃退の功労者は曹真で司馬懿は要所を固め守りに徹しただけで本当は演技ほど諸葛亮とのライバル関係はないんじゃないかな……それと仮に北伐が成功して長安を落とせても後ろに洛陽がありしかも要塞もあるので結局兵站の延びきった蜀に勝ち目はありません…呉にせめて寿春まで落として貰わないと戦線維持できないくらい無謀な作戦でその作戦を選ぶしかない諸葛亮の苦悩が過労死した原因だとおもわれます……結論は蜀が北伐成功したとしても魏の物量の前には局地戦の勝利程度の価値しかない事です。
死せる諸葛、生ける仲達走らすが韻を踏んでるらしいですね!呉と蜀の代替わりがよかったらまた違う結果だったのかな。
まだ今から見るんだけど、諸葛亮が司馬懿に勝てなかったのは、国力差しかないと思っている。
北伐頃になると人材の質ももう全然違うから…
そんな国力が違い過ぎる相手に勝つには奇襲しかない事を孔明自身がよく理解してなかったんでしょうね。更に言うなら、この北伐自体が「奇襲」である事も( ˊᵕˋ; )💦苦笑
@@ケダモノスキー 孔明自身も勝てないと分かっています。蜀漢は、漢を滅ぼした魏を倒すという大義名分で建国した軍事国家ですから。ポーズだけでも、戦わなければいけなかった。奇襲は、魏延が提案していたが、敗れたら夷陵の二の舞いだから、できなかった。
@@douzujonn9402 様(´-ω-`)フム、やはり孔明には軍事の才は無かったんでしょうね( ˊᵕˋ; )💦防衛戦でもないのに、勝てないと分かっていて戦を挑むのは才ある人間のやる事では無いですし( ̄▽ ̄;)苦笑更に言うなら、孔明は計略家ではなく政治家ですし( ˊᵕˋ; )💦
@@ケダモノスキーわざわざのご返信ありがとうございます。あんな駄文に。夷陵の戦いでマイナスどころか、倒産確実の蜀漢を北伐できるくらいに復興できただけでも凄いです。孔明は、蜀漢にいて、存在感あったのでしょう。魏や呉では、その他大勢に埋もれて しまったでしょう。
どのみち魏延は粛正されるでしょうね、蜀に残った人材で誰も魏延を使いこなせない。
ある意味、劉備が規格外の人遣い。関羽も魏延も、常人からは規格外。
蜀陣営で魏延を上手く使いこなせたのは劉備だけでしたしね( ˊᵕˋ; )💦漢中を落とした時、蜀陣営の誰もが「漢中太守は張飛だろう」と思っていた中で、劉備だけが魏延を漢中太守に、という考えを持ち実際に抜擢した、というエピもあるくらいですし( ˊᵕˋ; )💦
蜀はあの時点で総力を運用してる、つまりその戦力の損耗は即国家滅亡を意味する諸葛亮は常に司馬懿より寡兵でしかも損耗してはいけない縛りで戦争をおこなっていたまた隴西は馬超の遺産・威名が残る地、戦力の増強を期待できる場所でもあるあの時点で楊儀以外の選択肢は逆に別の反乱を招くことになるなぁ例えば姜維(前線指揮官)が軍を率いたら楊儀(参謀長)と魏延(副司令官)が不満を持つことになり、この程度ではすまないだろう魏延が撤退命令に従い、その後の蔣琬とコンビで北伐したのを見て見たかった蔣琬の作戦が魅力的なこともあり
史実の馬超はど外道で地元でバチクソ嫌われてるから馬超の名前じゃ味方は増えんだろうなぁ…
@@user-ponkotsukakumei ゆーても盟主やれる力もあったし。あの曹操に打撃を与えた名声は凄いと思うで
@@tanteino01 演義と史実はちょいと順番が違くて演技…馬騰と兄弟処刑→盟主となり挙兵だけど史実…馬超挙兵→都にいる馬騰と兄弟が処刑なのでむしろ挙兵後に馬超の声望は地に落ちていて当時から「血も涙もない」などといわれたり張魯にも馬超と娘の縁談を破談にされたりしている。正史三国志での馬超の記述ははっきり言って不名誉なものばかりなくらいだからむしろ馬超の名前を出すと人が集まらなくなるくらいまである。
@@user-ponkotsukakumei 実際的に盟主として戦ってるわけだし、北方の威は関羽に並ぶと評価されてるし、異民族の信も厚い、涼州牧にも任じられてる所を見ても、少なくとも蜀漢の人には評価されてるよ
@@tanteino01 北方の威は関羽に並ぶ異民族の信に厚いというのは正史の記述に無いからなんとも…正史だと蜀に行ってからの記述もほとんど無くて活躍らしい活躍もしていないまま病没しているし関羽の手紙や四方将軍選抜時の逸話程度しか話も残っていないからなぁ…正史に残る馬超評は概ね「戦は強いけど不仁・不孝」という所だから日本における呂布みたいなものかな。蜀生まれの正史著書・陳寿もフォローしきれなかった感じだし物語の馬超と正史の馬超は別人だと思った方がいいかもね。
司馬懿って基本は対呉に当たってた武将(政治家ではない)で、そっから対蜀に来たから、配下の統制とか初期ではうまくいってなかったのよねえ。それでもきっちり諸葛亮抑え込んでたから、やっぱ武将としては非凡よ。公孫淵相手にしてもその非凡さは理解できる
司馬懿の我慢強さに感服します。凡将なら2倍の戦力に任せて攻撃して諸葛亮の策略にやられていたと思う。
諸葛亮の後継者蔣琬についてやってほしいです
もうすでにやっていますよ。4週間前に。
孔明がもっと長生きしていたとしても、北伐は成功しなかったと思う。司馬懿には司馬帥、司馬昭という優れた息子がいたし、父親と同じく持久戦を続けたでしょうから、国力で劣る蜀には勝ち目はありません。
国力差はもちろんだが司馬懿が舐めプせず堅実に迎撃を続けたのが偉いどう見ても勝てるはずなのに謎ムーブのせいで負けるケースってあるからね
中華の地政学的に南から北に攻め上って攻略するのが難しくそれが出来たのは明の朱元璋ぐらいしかいない。例え長安が奪えてもその後の桓温や陳慶之や劉裕みたいに維持するのが難しくて結局奪回されてしまいそう。
次は姜維の北伐をお願いします。
細かいことですが、部下が司馬「い」を呼ぶときは、諱を呼ぶのではなく字の「ちゅうたつ」と呼ぶのが当時の習慣では?
それを言うなら、位階や官職がある人の場合はまずそっちで呼ぶのが習慣だったはず。諸葛亮なら諸葛武侯とか諸葛丞相。
単純に国力差が一番の原因次に呉の協力を得られなかったこと魏と蜀の国力差は9対1なのに勝てる訳ない馬謖のヘマは二の次の問題
戦は数だよ兄貴!
つまり明らかな戦力差があるのに何度も攻め込んだ諸葛亮が一番の戦犯ってこと?
@@NY-cz5toまあ、そうなるねせっかく取った漢中と益州南部を開拓して国力増強と人材育成に専念すべきだった諸葛亮は内政の評価は高い
@@1どらごん寿命上げて7-3になったとしても諸葛亮以外で成功したか?分かっていたから生きてる内に攻め込んだんだよ
@@NY-cz5to そんなことないよ荊州だけの劉備(自分達)でさえ蜀を取れたのに、大国の魏がロクに攻めれなかったのだから侵攻してなかったら諸葛亮の寿命は少しは伸びたかもしれないが、逆に諸葛亮の存命中に蜀は滅ぼされたと思うもっともこの時代の歴史なんてほとんど創作だからどこまでが事実かはわからないけど
そもそも魏延は裏切っていない
孔明の用兵の法というのが気になる書物、そんなのあった?
司馬懿にも事情があって派手な勝ち方して凱旋将軍みたいになったら暗殺されかねないんだよね😅
20:45 兵卒に関羽がいる魏軍すんごいw
どっちにしても、月英のすり替えを見抜けなかったのがコレ
そもそも孔明も真正面から勝てるとは思ってなかったでしょう。国力が違いすぎる。 攻め続けることで出来るだけ攻めら込まれるタイミングを後にずらし少しでも長く国を存続することを第一の策とし、あわよくば魏の反乱などおこりチャンスが巡ってくれば。そのくらいだったと思います。
人材の数だな、一言で言うと。司馬一族も優秀だけど、そもそも国を治める曹一族がいたからね。それに魏の国力に蜀が敵うはずもなく。呉を加えてようやくでしょ。いくら諸葛亮が優秀でも他がそうじゃない。人材の教育にも失敗してる。馬謖で決定的に。それと夷陵で蜀は大敗してるし。アレで蜀は実質終わった様なもん。それでもそこから北伐を何年もやってるんだから、蜀も善戦してるけど、地力が違い過ぎてね。
国力が違う。司馬懿は守りに徹しててスキがない。大軍が守りに徹して戦わないから戦線は膠着する。少数の遠征側が兵站の負荷で自壊するわな。
第5次北伐を振り返る時に、やはりいつも土井晩翠氏の『星落秋風五丈原』の歌を思い起こしてしまう。諸葛亮の悲痛な想いが浮かび上がる。蜀の様な貧しい土地と人手不足でかなり不利にも関わらず、よくあれだけやったものだと思う。やはり素晴らしい丞相、軍師だったのだろう。余人には代え難い人だ。
将棋の名人、米長邦雄氏は勝負師として、孔明と司馬懿は互いに相手の境遇と自分の立場を読み切って演じたようにしか思えないと昔だした本に書いてますね。孔明の方は飛車角の落ちで司馬懿の方は全て駒がそろっている現役バリバリ名人。普通なら、勝てる気がしない。でも立場的に闘う姿勢をみせなくてはならない。一方、司馬懿は孔明がいるから、魏で重臣として用いられてる訳で、孔明がいない平和の世では魏の王様から警戒される存在になってしまう。互いに2人が相手の立場をわかった上で引き分けを演じたに違いないと。最終的に司馬懿の子孫が王様になったから真の勝者は司馬懿だとの事でした。どうですか?皆さん😂
面白い分析だけど、蜀の全権を握っていた諸葛亮と違って司馬懿は雇われ将軍の身。曹叡から「軍を動かさず守備に徹しろ」と指示が来ていた以上は自分の考えで軍を自由を動かせないのでその権限の中でベストな行動を選択したのが司馬懿の巧さかなと思います。
個人の能力は司馬懿より諸葛亮が上だったかもしれないけど諸葛亮は人を上手く使う事ができなかった、だから馬謖を切らなきゃいけなくなったし過労で倒れる事になった、その点、司馬懿は人間心理を利用することに長けていた、つまり諸葛亮は真面目過ぎた
一理ある
あと、諸葛亮は計略家・策略家では無く政治家だった、というのもあるでしょうね( ˊᵕˋ; )💦諸葛亮が劉備配下になってまず進言した事が呉との同盟。あと蜀攻略でも最初諸葛亮は荊州に残って兵站や荊州の安撫を担当している。正史「三国志」の著者・陳寿からの評価も「政治の何たるかを良く理解した良才」とありますしね( ˊᵕˋ; )💦苦笑劉備配下で張良・蕭何に比する人材が居るとするならば……張良は龐統、蕭何は諸葛亮といったところじゃないかと(๑•̀ㅂ•́)و✧蜀攻略で龐統が戦死し、夷陵の戦い前に法正が病死し、蜀に張良の役割を果たせる人材が居なくなった時、蜀漢の近い将来の滅亡は避けられなかったんじゃないかと( ˊᵕˋ; )💦苦笑
@@ケダモノスキー 政治家はどうかな、、、数倍の国力の相手と生きてる内は互角以上にやれたんだから、戦略家は間違いないと思うが強いて言えば戦略の為に政治が必要だったと言った感じでは?
@@嘘は事実に勝てない 様なるほど、そういう考え方もアリっちゃアリですね(๑•̀ㅂ•́)و✧⤴︎⤴ただ、自分の見解ですが、逆ですね( ˊᵕˋ; )💦政治の為に戦略が必要だった、と考えています。諸葛亮が劉備に仕えてから、劉備自身の大一番とも言える蜀攻略と夷陵の戦い、このどちらにも諸葛亮は参陣してません。まぁ蜀攻略については龐統の死後に合流はしてますが( ˊᵕˋ; )💦あと、夷陵敗戦後に諸葛亮が「法正が生きていれば敗れる事は無かった。仮に敗れたとしても被害を最小限に留め、このような惨敗はしなかっただろう」と言っている事からも、諸葛亮も「自身の役割は張良(策略家)では無く蕭何(政治家)である」と本人が一番理解していたのでは?と(๑•̀ㅂ•́)و✧
そもそも当時の司馬懿は臨時の前線指揮官みたいな立場で、諸葛亮とは立場も権限も違いすぎる。司馬懿が真価を発揮するようになるのはもっと後の話。
結局、蜀の大義名分は天下に覇を唱えるのではなく、漢の復興だからなあ。中央を抑える魏と戦うしかない。そんな中で、国力差は大きすぎるし、唯一ひっくり返せる荊州は取られるし、夷陵で人材いなくなるしで、どうにもならん。仮に魏延の長安急襲で一時的には落とせても、保つのはおそらく無理
蜀は法正か龐統が生きていればワンチャンあった気がする。少なくとも蜀も孔明ももう少し延命出来たんじゃないか?
きついと思うよ。
いや、龐統が生きていれば、関羽の北伐が成功した可能性はあります。味方のはずの後の裏切りを防ぐ策を、龐統なら、考えていた可能性があります。関羽は部下に厳しすぎた。
@@菅野智之THC さん、少なくとも孔明が過労死するほど早死にはしなかったのでは?
@@翔太郎-u1o さん、確かに龐統の死はその後の蜀に大きな影響を与えたので孔明が動かず、関羽の北伐が遂行されれば、三分の計がより確実になったかもしれませんね。
龐統は能力が未知数のまま戦死してしまったけど、法正は諸葛亮より戦争指揮能力はありそうだし、本職の政治と後方支援に専念できるのは大きい。
国力、人材どれをとっても魏に大きく劣る蜀にとっては孔明は自身が存命中になし得ない限り不可能だと考えていたのかもしれないですね。長い目で見て中長期的に国力を高め、人材を育てようにも広大な穀倉地帯を抱える魏や、多くの港や海を持つ呉と違って、山岳地帯の蜀には時間をかけてもできない。だからこそある意味悲壮的で見込みの少ない勝ち戦に活路を見いだしたのかもしれません。それもまた蜀の人材不足が深刻だったということの表れでしょうが😢やはり関羽が治めていた荊州の喪失と、軍略では龐統を失っていた事が蜀にとっては致命的だった気がします。とどめは夷陵の敗戦
司馬懿に勝てなかったというか曹真が都督時代にも負けてるし(さすがに地の利のある漢中での防衛線は勝っているが)、単純に国力に差がありすぎる。国力高めて漢中の守りに徹していれば蜀として永らえたと思うが、まぁ漢王室再興なんて掲げて興った国だし無茶でも戦うしかない時点でムリゲー。
もし挑発に乗って司馬懿が戦っていたら諸葛亮が勝ってたろうななんだかんだ軍事も天才なんよな諸葛亮
後の勝ち組の司馬一族の司馬懿を苦しめた男、諸葛亮とする事で、作為的に偉大な人間とする必要があったのでしょう・・・
そもそも蜀が夷陵で滅亡寸前までの損害を受けていなかったら孔明は遥かに楽な状態での北伐を行えていたワケで…1度目で成功した可能性も高いでしょうねw
そもそも関羽に少しでも外交感覚があれば夷陵の戦いも起きなかった…
そもそも関羽が荊州保っていれば、漢中ルート、荊州ルート、場合によっては呉からも進軍できたのになあ…
そもそもほうとうが死ななければ😢
問題とは、解決することこそ肝要。わしにはそれが出来たが、諸葛亮にはそれが出来なかった彼は常に問題を取り除くことで解決していたと思い込んでいたが、実は何も解決していなかったのだ見よ、取り除いてばかりで奴には何も残ってなかったであろう?その点わしは問題を解決することにこそ重きを置いていた。それが歴史の勝者になりえる思考である諸兄らもこのことをよく、肝に銘じておくのだぞ!フハハハハwby 歴史の勝者チューたつ
そうね国力と人手不足だろうね
法正と荊州を失ったのが一番の痛手だな~
中国史全体で見たらジャイキリで劉備が天下獲ってたら泰平は長く続いて世界史かわったかもね劉政権がすばらしいというわけではなくここまで漢王朝系統が続くと日本みたいに崇拝信仰に変わったかもしれない
蜀の国力では知略だけでは防戦が精一杯
そもそもどのように用兵が上手い者でも相手のミスにつけこむか物量差がなければ勝てません劉備周瑜が曹操に勝てたのは長征で疲弊した兵で水戦を挑んだから呂蒙が関羽に勝てたのは関羽が油断して荊州を空にしていたのと偶然起こった失火で関羽の部下が内通したから白起は五か国の連合に勝利できる国家の兵で一国を討った韓信ですら趙が李左車の計を用いれば負けていたとみずから認めている諸葛亮は小国の兵で大国の魏から土地を奪えていますし大したものだと思いますよ
益州は天然の要害だが、攻めて出るのも難しい(補給の維持が困難な)場所でもあるのがねえ。
そもそも白起にしたって廉頗が趙で頭張ってた時は膠着状態で趙に手出しできませんでしたからね李世民や李靖が諸葛亮の軍才を認めてるのは明らかな国力差のパーフェクト魏国に対して領土切り取ったからあの当時の魏に勝てる人物などいません
チャンス(司馬懿がクーデターを起こすまでは)がくるまで、富国強兵するべきでしたね
個人対決なら勝ちだけど、国力、人材力で、負けました😢
やっぱり荊州を失い 蜀から中原への遠征は行くだけで疲労に兵糧消費だしな。もう少し呉と共闘して魏の領土を削れる事が出来たら蜀の寿命は延びたはず。
全盛期の孔明なら武功水の増水も見抜いたと思うけどなー。やっぱり忙しすぎて手が回らなかったんだろう。敗北の原因は蜀の人材不足と言えそうだね。
最近も三国志見たけど、根本は劉備に仕えたのが全てだったのでは、、、劉備は仁義の君主と称えられてたけど、結局は大義を成せなかった個人的だけど、何回観ても劉備に腹立つ😢
関羽も失態で荊州失う、激怒して夷陵の戦いで大敗北で多くの人材失う...劉備の遺恨で蜀の国力終わっちまった
@@狸吉-x5k 結局劉備が良かったのは、陶謙や劉表に領土譲ると言わせた事と孔明を仲間にしたことくらいだもんなぁ、孔明は劉備やないと仲間にはならなかったかもだし、やはり、乱世で三国志の主人公的なのは曹操なのかなぁと思った。もちろん色々な魅力は劉備軍なんだけど、、、五虎将軍なんかやっぱ格好いいし、自分は趙雲のファンなんで。(笑)でも三国志の覇王は曹操がやっぱ似合うと思った
単純に国力に差があり過ぎたからでは?
単に国力=兵力+人材+兵糧の差とはいえ司令官が超愚か者だと苦戦はするが、それでもあまりに違い過ぎて負けはしない。
正史三国志の作者も孔明の軍才には疑問符があったようだし単純に曹真と司馬懿には及ばなかった。内政は神
馬謖を死なせた事で、自分で働かなければと、自分を追い詰めた
頭でっかちではあったかもしれないけど有能は有能だったからなあ…馬謖は…諫言した王平はもっと有能だったけど。
魏延、別に裏切ってないんやけどな。
諸葛亮が過大評価されすぎ戦闘に関しては兵の練度もあるが魏の将校との差内政、軍事、人事をやっていたのは評価だが、単に人が足りていなかったそれ以上に好き嫌いがあったと思われるそのなかで劉備の信頼をとって諸葛亮清見寺でも頑張った魏延は本当に素晴らしいと思う孟達、劉封をどうにかできていればかなり違ったと思うが結果は諸葛亮の地位つか立場が今後ヤバそうっての切り捨てた感ある仮の話になるが龐統が討ち死にしなかったら、諸葛亮、張飛の入蜀がなかったので関羽の暴走を止められたんじゃないかな
無双7のIFで、諸葛亮、龐統、法正、徐庶が揃うシナリオで歓喜した
さしすせそにthが付くタイプか
まずそもそも勝つ気があったのかが怪しい第一回北伐こそ若干ガチ感があるがそれ以降はあわよくば涼州を切り取れたら良いなくらいの気概しか禁じられない荊州を失った時点で天下三分なんてマヤカシもいいところだという現実は諸葛亮が一番分かってたはず
司馬懿が蜀を滅ぼさなかったのが1番!司馬懿の状況では対蜀をしているのが1番の保身!蜀はとにかく人がいないではなく、まとまらないですね…財政、内政、外交、軍事がバラバラですね。それら4点を孔明1人でまとめていたので、無理です。それらを見越して、司馬懿が蜀を滅ぼさなかった説です。
此の演義は創作です。史実ではありません。 仮に司馬懿を討ち取れたら、確かに魏は動揺します。しかし直に新しい司令官と兵力を動員して態勢を立て直しますので意味がありません。魏はあの時点で皇帝、曹叡がいます。満龍もいれば母給険、文欽、諸葛誕、郭淮とまだまだ使える将軍は盛りだくさんです。蜀が魏延、王平くらいの数えるくらいの将軍しかいないのと違い、魏は層が厚いのです。 蜀が魏に勝つなら、後の西晋であった八王の乱みたいに激しい内紛が起こり食い合いをしてくれたら、それにつけこんで魏は倒せます。諸葛亮みたいに魏が安定して万全な時に攻め込むのは根本から間違いなのです。
関羽の独断が全て悪い😣荊州があり、劉備も張飛もあそこでやられなきゃまだ余力は全然あったはず🥺
司馬懿の方が優れてたから。
孔明も魏に入ってればよかった(本末転倒)でも魏にいたら有能な人材いすぎて名前埋もれてそう
韓信の故事から、司馬懿があえて大きく勝とうとしなかったから、さも一進一退であったかのように見えるだけで、北伐蜀軍に長安を落とし、魏都まで落とせる算段があったとはとても思えない。祁山の時点で屯田してるのに、長安以東の兵站なんて維持出来無い(実際はるか手前で李厳もやらかしてる)徐庶の例からも、歴史に名前が出てこないだけで、魏には有能な文武百官がおり土地は平坦肥沃。国力差があり過ぎる。北伐でより疲弊したのは明らかに蜀の方です。一撃必殺の策でも無い限り、そうなる事は諸葛亮も重々承知してたと思いますが。実は蜀国内がそれほどまとまっておらず、諸葛亮が勝てる要素が無い北伐を5回も続けたのは、勝てないと知りつつ定期的にガス抜きをしないと、内乱で自滅しかねなかったからかもしれない。
そもそもの国力の差がありすぎる。よくやった方だと思う
まだ龐統と法正が生きていたら違ったかもしれない
物量ある軍に勝つのは難しいわ、蜀側が侵略の立場にあったし、あと寿命だよね。、、、女の服送ったのがもう焦ってる証拠だったかと
関東地方GDPVS四国地方GDPのレベル
特定分野なら孔明もトップクラス評価でOKだが、戦場に出るとなあ・・・。「兵をいつ動かし、人材をどう活かすか」という指揮官適正、ということなら呂蒙や司馬懿あたりと比べると孔明は落第生かな?呂蒙は問題児である甘寧虞翻陸遜らをしっかり使えてるがたとえば孔明が甘寧を有効活用はムリでしょ。ここぞという場面で部下に大事な仕事を任せる→できないので自分でやるハメに→過労死
呉と提携できなかったのが最大の失敗原因でしょう。呉との不和を引き起こした関羽の呪いだね。
馬謖がもう少し頑張ってたら😅
うん?孔明が司馬懿に勝てなかったではなく、蜀が魏に勝てなかったと思う。例えば孔明と司馬懿の立場が逆だったら?どうだったでしょうね?
司馬懿だったら数で劣る状況で敵地に侵攻しないし、その権限もなかった。仮に皇帝に命令されたとしても断るか諌めていたと思う。
司馬懿どころか司馬懿より優れている李靖や郭子儀、白起に韓信が蜀を指揮しても魏に勝てなかったでしょう
やっぱり郭淮は守将として優秀過ぎる諸葛亮がもう少し司馬懿と郭淮のように魏延の意見を聞いてたら北伐はどうなってんだろう?
諸葛亮は結局のところ祁山を落とせなかった。それが全ての敗因となった。街亭でも五丈原でも緻密な戦略を練って攻勢を取れたが一番のキーポイントとなる祁山を取れず涼州の確保に失敗した。もし諸葛亮が祁山を力攻めして落とし上邽に出て馬謖の後詰をしていたら、あるいは五丈原で主力を陽動にして西方から祁山を落として渭水上流を抑えていたら相当に歴史は変わっていた。諸葛亮は総帥であるがために全体に配慮した作戦を取らざるを得なかったのだが、これがもし劉備なら拠点となる祁山をまずは押さえて少しずつ削り取る展開もできただろうと思う。軍司令官として更には総帥としての諸葛亮と劉備の違いはそこにある。
国力兵力で劣る蜀が戦で敵地で持久戦とかあり得んジリ貧になるだけ。
国軍の参謀としては超一流だったが指揮官としてはいまいち。劉備玄徳という主君がいて初めてその実力を出せたのでは。時の運に恵まれなかったのもあるが。
国力差がムリゲーだったからだよ
司馬懿は後に権力を奪取したけど、子孫の体たらくを見たら、あの世で諸葛亮に「孔明、劉禅は愚か者だか、殺し合いはしなかったな。それに比べて、わしや兄弟の子孫は‥情けない」って愚痴ってるかも。
何度も攻めて、警戒させ相手に備えを作らせたから。中国を統一した武将は簡単にそれをやってのけた人物は多いです。あんがい魏延みたいな人だったら長安抜けたかも
荊州をなくしたのが全て。
太平洋戦争に例えると・・・蜀は 日本・・・魏は アメリカ・・・やな。😬😬😬😬😬😬
軍人と内政家を比較しても。。。
いやぁこの2人の勝敗を分けたのは、互いの総大将では?劉備の生真面目さで、諸葛亮が策を練り直す苦労してるシーンがいくつかあった気がする。
司馬懿に勝てなかったけど完全に負けたってのも少ないのでは?
孔明や蜀軍単体なら司馬懿も戦ったろうが、羌族と結びついた可能性も視野に入れたと考えたのなら、戦いたくは無いだろう。なぜ勝てなかったかというか、諸葛亮自身勝てると思ってたかなぁ。。。自分なら、尋常じゃない強さを持つ羌族と外交関係を築いて「一緒に攻めません?」とか誘うけどね。北伐の本質って、実はそこなんじゃないかなぁと思ったりする。
全然理由を言わない
国力が違うので普通は負ける。司馬懿より名を残した孔明の勝ちかな。
演義の判官贔屓で諸葛亮や関羽は過大評価されてる。人材が足りてないのに育成や発掘できなかったのは上に立つ者として力不足も甚だしいし、国力が劣るのに勝算低い北伐繰り返して更に疲弊させた。現場の指揮官としては優秀だったのかもしれないが、組織や国全体を長期的な視野でみるべきリーダーとしては力不足。
「〜ます。」のアクセントがきつく、個人的に聞きにくいです。もう少し滑らかな抑揚でお願いしたいです。途中で気分が萎えます。ごめんなさいm(_ _)m
楊儀に託したのは間違いでは無いかと。魏延から見たら誰が指名されても不満だったでしょうから、むしろ冷静に判断できる楊儀で良かったかと。残念なのは、諸葛亮が偉大だっただけに、部分的にでも後継者を育てきれなかった事かと。
もし逆の立場(諸葛亮が魏軍で司馬懿が蜀軍)だったら諸葛亮の北伐より成果を上げれていないと思う。
孔明死後、船頭が多すぎて船が山に登った。命令系統は縦割りで絶対に服從が無いと軍は乱れますね。諸葛亮はそこをまとめ上げて死ぬべきだった。それかもうやる気が無くなってたのかも知れん
資源も人材も乏しい側が、資源も人材も豊富にある側へ攻め込む事自体、そもそも無理がある。呉と完全に足並み揃えられたならチャンスはあったろうけど、「漢朝再興の為」に、何がなんでも魏を討伐しなければならない!って蜀と、あわよくば魏蜀の共倒れをって呉の間では足並みが揃うことなんてまず無いしなぁ。
馬謖も桶狭間みたいな奇跡の逆転勝ちを狙ったんだろうが、相手がマヌケな今川義元ではなく、あの司馬仲達という事が分からなかった。
国力、以上
そんな国力の差があるのに侵攻したのが諸葛亮なんだが、どういう勝算があったのかって話やで
なぜ勝てなかったのかという話をするなら、国力の差なぜ攻めたのかと言う話をするなら蜀という国の国是、存在意義が漢の再興だから滅びないために、存在する為に攻めざるを得なかった勝算という意味では第一第二北伐が失敗した時点であとはもう延命の為の攻めでしょうね
この頃の蜀軍にとって、郭淮と張郃はとても厄介でしたね。
張郃は祁山で討ち取ることができましたが、もしここで張郃を討てなかったら、蜀はもっと苦戦していたでしょうね
@@結城友奈-v7q 個人的にはそれは逆で、手柄にはやって出撃してくれる武将って諸葛亮にとっては格好の獲物だったと思う
今回も楽しい動画でした!!
ありがとうございます☺️
人に任せることができなかった為かな~。
なんでも一人でやってはいけないと敗者から学ぶ。
戦争は政治の手段と考えるなら、司馬懿はリスクを負って戦う必要ないんだよね。
追い返せば良いんだから、優勢な状況でも戦う必要はない。
見栄を捨てて守りを固めた司馬懿の判定勝ちでしょう。
その後の魏国内での地位も考えたら、リスクを犯して諸葛亮と戦う必要はない。
ましてや、一度出撃させられて一敗地に塗れてる。
戦わずして勝つ、対諸葛亮との戦いでは最良の選択だったでしょう。
抑々4~6倍の国力の奴に戦挑む時点で
舞の海戦法やらなきゃいけないのは目に見えてる。
司馬懿からすりゃ「敗けなきゃこっちの勝ち」なんだからどんと構えて持久戦、がセオリーでしょうね。
アウェイは諸葛亮側ですし。
@user-oh4rh1sd9r
その意味で司馬懿的には、諸葛亮の挑発(女ものの衣類を送ってきた件)で将兵が激怒して、攻勢に出るよう司馬懿に強要して来たのが最大のピンチでしたね。
でも曹叡に自分が思ってるのと真逆の「攻勢に出てもいいっすか?」って上奏を送って、曹叡が意図を理解して却下するあたり、主従そろって流石ですね。
小説だとそれでも我慢できなくなった将兵が命令違反で出撃するものの、曹叡から派遣されてきた辛毗が皇帝の権威の象徴である鉞を持って軍勢を前に立ちふさがって押しとどめてしまい、それを伝え聞いた孔明に「もうだめぽ」と絶望させる名シーンに盛られてますね。
司馬懿には勝てなかったけど、孔明を撃退したことで力を持った司馬懿の一族によって魏が倒されるから成功したことにしよう
確かに。その発想は無かった(笑)
でも魏を倒すことの目的て、劉備の夢だった漢室の復興だったから…(笑)
結果的にはそうなんだけどね。
ただ、ファンとしては司馬懿の専横から魏を守ろうとして破れたのが
諸葛亮のいとこ(誕)だったというのはチョット皮肉っぽいな。
その司馬一族の後に「あの時代」が来たのは成功なのだろうか?😅
いやその前に司馬一族が牛耳る魏によって蜀が滅ぼされてるんだが。
単に司馬懿が曹爽との権力闘争に勝って、曹爽一族を虐殺して国を乗っ取ったからやろ
孔明は関係ない
一回目の北伐を失敗したのが全てですね。国力差が大きいので正面から当たったらそりゃ相手を打ち破るのは無理ですよ
一回目は西域諸勢力、孟達、呉との連携が取れてたし、魏軍からすると奇襲を受けた形になって馬謖がやらかさなければ西涼は制圧寸前でした
二回目以降は曹真、その後は司馬懿が万全の備えをしていて、兵数でも物資の潤沢さでも数倍はある魏軍を打ち破るなんてもう不可能ですよね
面白かったです、キャラクターが良いですね。
4:09 司馬懿は、いかに損害を抑えるか。諸葛亮は、いかに魏の領土を勝ち取っていくか。
この時点で…(泣)
魏と蜀じゃ国力・経済・人材・兵の数・物資などなど蜀の方が数段劣ってるし、食料補給も蜀の方が難しい その上、蜀は侵略戦、魏は防衛戦だから防衛の方が基本的に有利
蜀は普通に戦うんじゃ勝つのが難しい上に司馬懿は徹底防戦して蜀の食料が尽きるのを待って場合によっちゃ撤退する蜀を追撃するだけでいい
魏はよっぽど無能か無謀じゃなけりゃまず負けないしな 司馬懿が積極的に戦わない時点で勝敗は決まってる
人材不足。やはり夷陵での敗戦が致命的だったと自分は思います。
大義も無いし、大敗したことで人的資源や物資資材も悉く灰にしてしまった。
物資は取り返せても有能な人材を失ったことはかなり痛い。それが結果的に五丈原での激務を招いてしまったと思います。
普通に見て、夷陵の戦いでの損害は、国家崩壊規模ですから。
死んだはずの国が、中華大半を占める大国と1地点のみでとはいえ渡り合えるまでに回復しただけでも、異常です。内部分解して自滅してもおかしくなかった。
諸葛孔明の天下三分の計は荊州があって成り立っていると思いますし二方面作戦が取れない以上難しいと思います。呉は初めから本気で攻める気はないみたいですし二方面作戦が取れたならばもう一人荊州に智将がいたのなら勝つ可能性はあると思います。でも初めから勝つつもりはなくって守りばかりされたのではあの頃の兵器では無理だと思います。守りを固められても陣地自体を壊す大砲などないと勝つ事は無理ですね。
その通りで、益州が肥沃な大地といっても山の合間の狭い盆地。籠もるには食も足るでしょうが、攻めるには兵も糧も足りません。
孔明のプランは、自身は荊州に居て、兵・人材・食糧の生産基地とし、益州の守りを活かしての二方面作戦そのもの。
成都には龐統と法政を置き内外に当たらせ、
荊州は孔明と、下に置いてこそ活躍できる趙雲・張飛等で攻守を固め、といった所でしょう。
戦略の基本である物量と手数の多さは、荊州無くして成立不能。寡勢で勝つのは蛮勇・詭道。
つまり関羽の失態は諸葛亮のプランを粉砕した、と。
関羽以外に誰ならよかったのか?いないから人材不足だろう。呉と同盟崩壊が原因
いまだに知らないけど正史では、関羽が命令を受けて襄陽と樊城を攻めたの?独断?
それとどうせ呉は荊州を劉備が攻め取ったのと江陵はいろいろともめていた上に蜀の領土になっていたから、腹の中ではどうせ関羽関係なく攻め取るつもりだったのでは?
関羽が悪いとはよく言われてるけどその根拠のほとんどが呉に都合よく書かれた呉書の記述ばかりで、関羽が不遜な態度を呉に取ったとは言われるが、そもそもその前に劉備主導で孫権と荊州の領有権巡って小競り合い起こして妥協案で分割して和解したのに、関中で勝って蜀が大きくなって焦った呉が色々理由を後つけて後ろから騙し討ちしたようにしか見えない
汚い手を使って勝った呂蒙陸遜は碌な死に方しなかったし因果回ってきたね
諸葛亮は勝たなければならなかった。
司馬懿は負けなければ良かった。
この差は軍を率いる者にとっては隔絶した差である。
特に司馬懿は大軍を擁し、後方にはほぼ無尽蔵な補給物資、率いる武将も一線級の猛者に賢者、しかも勝つ必要は無く諸葛亮が引くまで、ただ亀の様に防衛するだけで良かった。
一方、諸葛亮は虎の子の軍体を率いて、万が一にも大敗して軍が瓦解すれば蜀の滅亡を意味し、蜀の桟道で補給もままならず、率いる武将は櫛の歯が欠けるように年々と一線級の武将が居なくなった。
加えて諸葛亮は戦略面では強いが、戦術面では正攻法しか行わず、守りの徹した大軍の司馬懿を崩すのは不可能。
古より小が大に勝つためには、正攻法でなく奇襲と相場が決まっていますから。
北伐って諸葛亮の練りに練った一発勝負の侵攻戦いで……どんな理由があったにせよ一回目が失敗した時点で運命は決まった……実は北伐撃退の功労者は曹真で司馬懿は要所を固め守りに徹しただけで本当は演技ほど諸葛亮とのライバル関係はないんじゃないかな……それと仮に北伐が成功して長安を落とせても後ろに洛陽がありしかも要塞もあるので結局兵站の延びきった蜀に勝ち目はありません…呉にせめて寿春まで落として貰わないと戦線維持できないくらい無謀な作戦でその作戦を選ぶしかない諸葛亮の苦悩が過労死した原因だとおもわれます……結論は蜀が北伐成功したとしても魏の物量の前には局地戦の勝利程度の価値しかない事です。
死せる諸葛、生ける仲達走らすが韻を踏んでるらしいですね!
呉と蜀の代替わりがよかったらまた違う結果だったのかな。
まだ今から見るんだけど、諸葛亮が司馬懿に勝てなかったのは、国力差しかないと思っている。
北伐頃になると人材の質ももう
全然違うから…
そんな国力が違い過ぎる相手に勝つには奇襲しかない事を孔明自身がよく理解してなかったんでしょうね。
更に言うなら、この北伐自体が「奇襲」である事も( ˊᵕˋ; )💦苦笑
@@ケダモノスキー 孔明自身も勝てないと分かっています。蜀漢は、漢を滅ぼした魏を倒すという大義名分で建国した軍事国家ですから。ポーズだけでも、戦わなければいけなかった。奇襲は、魏延が提案していたが、敗れたら夷陵の二の舞いだから、できなかった。
@@douzujonn9402 様
(´-ω-`)フム、やはり孔明には軍事の才は無かったんでしょうね( ˊᵕˋ; )💦
防衛戦でもないのに、勝てないと分かっていて戦を挑むのは才ある人間のやる事では無いですし( ̄▽ ̄;)苦笑
更に言うなら、孔明は計略家ではなく政治家ですし( ˊᵕˋ; )💦
@@ケダモノスキーわざわざのご返信ありがとうございます。あんな駄文に。夷陵の戦いでマイナスどころか、倒産確実の蜀漢を北伐できるくらいに復興できただけでも凄いです。孔明は、蜀漢にいて、存在感あったのでしょう。魏や呉では、その他大勢に埋もれて しまったでしょう。
どのみち魏延は粛正されるでしょうね、蜀に残った人材で誰も魏延を使いこなせない。
ある意味、劉備が規格外の人遣い。関羽も魏延も、常人からは規格外。
蜀陣営で魏延を上手く使いこなせたのは劉備だけでしたしね( ˊᵕˋ; )💦
漢中を落とした時、蜀陣営の誰もが「漢中太守は張飛だろう」と思っていた中で、劉備だけが魏延を漢中太守に、という考えを持ち実際に抜擢した、というエピもあるくらいですし( ˊᵕˋ; )💦
蜀はあの時点で総力を運用してる、つまりその戦力の損耗は即国家滅亡を意味する
諸葛亮は常に司馬懿より寡兵でしかも損耗してはいけない縛りで戦争をおこなっていた
また隴西は馬超の遺産・威名が残る地、戦力の増強を期待できる場所でもある
あの時点で楊儀以外の選択肢は逆に別の反乱を招くことになるなぁ
例えば姜維(前線指揮官)が軍を率いたら
楊儀(参謀長)と魏延(副司令官)が不満を持つことになり、この程度ではすまないだろう
魏延が撤退命令に従い、その後の蔣琬とコンビで北伐したのを見て見たかった
蔣琬の作戦が魅力的なこともあり
史実の馬超はど外道で
地元でバチクソ嫌われてるから
馬超の名前じゃ味方は増えんだろうなぁ…
@@user-ponkotsukakumei ゆーても盟主やれる力もあったし。あの曹操に打撃を与えた名声は凄いと思うで
@@tanteino01
演義と史実はちょいと順番が違くて
演技…馬騰と兄弟処刑→盟主となり挙兵
だけど
史実…馬超挙兵→都にいる馬騰と兄弟が
処刑
なので
むしろ挙兵後に馬超の声望は地に落ちていて
当時から「血も涙もない」などといわれたり
張魯にも馬超と娘の縁談を破談にされたり
している。
正史三国志での馬超の記述は
はっきり言って不名誉なものばかりな
くらいだから
むしろ馬超の名前を出すと人が集まらなくなるくらいまである。
@@user-ponkotsukakumei 実際的に盟主として戦ってるわけだし、北方の威は関羽に並ぶと評価されてるし、異民族の信も厚い、涼州牧にも任じられてる所を見ても、少なくとも蜀漢の人には評価されてるよ
@@tanteino01
北方の威は関羽に並ぶ
異民族の信に厚いというのは
正史の記述に無いからなんとも…
正史だと蜀に行ってからの記述も
ほとんど無くて
活躍らしい活躍もしていないまま
病没しているし
関羽の手紙や四方将軍選抜時の逸話程度
しか話も残っていないからなぁ…
正史に残る馬超評は概ね
「戦は強いけど不仁・不孝」
という所だから
日本における呂布みたいなものかな。
蜀生まれの正史著書・陳寿も
フォローしきれなかった感じだし
物語の馬超と正史の馬超は
別人だと思った方がいいかもね。
司馬懿って基本は対呉に当たってた武将(政治家ではない)で、そっから対蜀に来たから、配下の統制とか初期ではうまくいってなかったのよねえ。それでもきっちり諸葛亮抑え込んでたから、やっぱ武将としては非凡よ。公孫淵相手にしてもその非凡さは理解できる
司馬懿の我慢強さに感服します。
凡将なら2倍の戦力に任せて攻撃して諸葛亮の策略にやられていたと思う。
諸葛亮の後継者蔣琬についてやってほしいです
もうすでにやっていますよ。4週間前に。
孔明がもっと長生きしていたとしても、北伐は成功しなかったと思う。
司馬懿には司馬帥、司馬昭という優れた息子がいたし、父親と同じく持久戦を続けたでしょうから、国力で劣る蜀には勝ち目はありません。
国力差はもちろんだが司馬懿が舐めプせず堅実に迎撃を続けたのが偉い
どう見ても勝てるはずなのに謎ムーブのせいで負けるケースってあるからね
中華の地政学的に南から北に攻め上って攻略するのが難しくそれが出来たのは明の朱元璋ぐらいしかいない。例え長安が奪えてもその後の桓温や陳慶之や劉裕みたいに維持するのが難しくて結局奪回されてしまいそう。
次は姜維の北伐をお願いします。
細かいことですが、部下が司馬「い」を呼ぶときは、諱を呼ぶのではなく字の「ちゅうたつ」と呼ぶのが当時の習慣では?
それを言うなら、位階や官職がある人の場合はまずそっちで呼ぶのが習慣だったはず。諸葛亮なら諸葛武侯とか諸葛丞相。
単純に国力差が一番の原因
次に呉の協力を得られなかったこと
魏と蜀の国力差は9対1なのに勝てる訳ない
馬謖のヘマは二の次の問題
戦は数だよ兄貴!
つまり明らかな戦力差があるのに何度も攻め込んだ諸葛亮が一番の戦犯ってこと?
@@NY-cz5toまあ、そうなるね
せっかく取った漢中と益州南部を開拓して国力増強と人材育成に専念すべきだった
諸葛亮は内政の評価は高い
@@1どらごん
寿命
上げて7-3になったとしても諸葛亮以外で成功したか?
分かっていたから生きてる内に攻め込んだんだよ
@@NY-cz5to
そんなことないよ
荊州だけの劉備(自分達)でさえ蜀を取れたのに、大国の魏がロクに攻めれなかったのだから
侵攻してなかったら諸葛亮の寿命は少しは伸びたかもしれないが、逆に諸葛亮の存命中に蜀は滅ぼされたと思う
もっともこの時代の歴史なんてほとんど創作だからどこまでが事実かはわからないけど
そもそも魏延は裏切っていない
孔明の用兵の法というのが気になる書物、そんなのあった?
司馬懿にも事情があって派手な勝ち方して凱旋将軍みたいになったら暗殺されかねないんだよね😅
20:45 兵卒に関羽がいる魏軍すんごいw
どっちにしても、月英のすり替えを見抜けなかったのがコレ
そもそも孔明も真正面から勝てるとは思ってなかったでしょう。
国力が違いすぎる。
攻め続けることで出来るだけ攻めら込まれるタイミングを後にずらし
少しでも長く国を存続することを第一の策とし、
あわよくば魏の反乱などおこりチャンスが巡ってくれば。
そのくらいだったと思います。
人材の数だな、一言で言うと。司馬一族も優秀だけど、そもそも国を治める曹一族がいたからね。それに魏の国力に蜀が敵うはずもなく。呉を加えてようやくでしょ。いくら諸葛亮が優秀でも他がそうじゃない。人材の教育にも失敗してる。馬謖で決定的に。それと夷陵で蜀は大敗してるし。アレで蜀は実質終わった様なもん。それでもそこから北伐を何年もやってるんだから、蜀も善戦してるけど、地力が違い過ぎてね。
国力が違う。司馬懿は守りに徹しててスキがない。大軍が守りに徹して戦わないから戦線は膠着する。少数の遠征側が兵站の負荷で自壊するわな。
第5次北伐を振り返る時に、やはりいつも土井晩翠氏の『星落秋風五丈原』の歌を思い起こしてしまう。
諸葛亮の悲痛な想いが浮かび上がる。
蜀の様な貧しい土地と人手不足でかなり不利にも関わらず、よくあれだけやったものだと思う。
やはり素晴らしい丞相、軍師だったのだろう。余人には代え難い人だ。
将棋の名人、米長邦雄氏は勝負師として、孔明と司馬懿は互いに相手の境遇と自分の立場を読み切って演じたようにしか思えないと昔だした本に書いてますね。孔明の方は飛車角の落ちで司馬懿の方は全て駒がそろっている現役バリバリ名人。普通なら、勝てる気がしない。でも立場的に闘う姿勢をみせなくてはならない。一方、司馬懿は孔明がいるから、魏で重臣として用いられてる訳で、孔明がいない平和の世では魏の王様から警戒される存在になってしまう。互いに2人が相手の立場をわかった上で引き分けを演じたに違いないと。最終的に司馬懿の子孫が王様になったから真の勝者は司馬懿だとの事でした。どうですか?皆さん😂
面白い分析だけど、蜀の全権を握っていた諸葛亮と違って司馬懿は雇われ将軍の身。
曹叡から「軍を動かさず守備に徹しろ」と指示が来ていた以上は自分の考えで軍を自由を動かせないので
その権限の中でベストな行動を選択したのが司馬懿の巧さかなと思います。
個人の能力は司馬懿より諸葛亮が上だったかもしれないけど諸葛亮は人を上手く使う事ができなかった、だから馬謖を切らなきゃいけなくなったし過労で倒れる事になった、その点、司馬懿は人間心理を利用することに長けていた、つまり諸葛亮は真面目過ぎた
一理ある
あと、諸葛亮は計略家・策略家では無く政治家だった、というのもあるでしょうね( ˊᵕˋ; )💦
諸葛亮が劉備配下になってまず進言した事が呉との同盟。
あと蜀攻略でも最初諸葛亮は荊州に残って兵站や荊州の安撫を担当している。
正史「三国志」の著者・陳寿からの評価も「政治の何たるかを良く理解した良才」
とありますしね( ˊᵕˋ; )💦苦笑
劉備配下で張良・蕭何に比する人材が居るとするならば……
張良は龐統、蕭何は諸葛亮といったところじゃないかと(๑•̀ㅂ•́)و✧
蜀攻略で龐統が戦死し、夷陵の戦い前に法正が病死し、蜀に張良の役割を果たせる人材が居なくなった時、蜀漢の近い将来の滅亡は避けられなかったんじゃないかと( ˊᵕˋ; )💦苦笑
@@ケダモノスキー
政治家はどうかな、、、
数倍の国力の相手と生きてる内は互角以上にやれたんだから、戦略家は間違いないと思うが
強いて言えば戦略の為に政治が必要だった
と言った感じでは?
@@嘘は事実に勝てない 様
なるほど、そういう考え方もアリっちゃアリですね(๑•̀ㅂ•́)و✧⤴︎⤴
ただ、自分の見解ですが、逆ですね( ˊᵕˋ; )💦
政治の為に戦略が必要だった、と考えています。
諸葛亮が劉備に仕えてから、劉備自身の大一番とも言える蜀攻略と夷陵の戦い、このどちらにも諸葛亮は参陣してません。
まぁ蜀攻略については龐統の死後に合流はしてますが( ˊᵕˋ; )💦
あと、夷陵敗戦後に諸葛亮が
「法正が生きていれば敗れる事は無かった。仮に敗れたとしても被害を最小限に留め、このような惨敗はしなかっただろう」
と言っている事からも、諸葛亮も「自身の役割は張良(策略家)では無く蕭何(政治家)である」と本人が一番理解していたのでは?と(๑•̀ㅂ•́)و✧
そもそも当時の司馬懿は臨時の前線指揮官みたいな立場で、諸葛亮とは立場も権限も違いすぎる。
司馬懿が真価を発揮するようになるのはもっと後の話。
結局、蜀の大義名分は天下に覇を唱えるのではなく、漢の復興だからなあ。
中央を抑える魏と戦うしかない。
そんな中で、国力差は大きすぎるし、唯一ひっくり返せる荊州は取られるし、夷陵で人材いなくなるしで、どうにもならん。
仮に魏延の長安急襲で一時的には落とせても、保つのはおそらく無理
蜀は法正か龐統が生きていればワンチャンあった気がする。少なくとも蜀も孔明ももう少し延命出来たんじゃないか?
きついと思うよ。
いや、龐統が生きていれば、関羽の北伐が成功した可能性はあります。味方のはずの後の裏切りを防ぐ策を、龐統なら、考えていた可能性があります。関羽は部下に厳しすぎた。
@@菅野智之THC さん、少なくとも孔明が過労死するほど早死にはしなかったのでは?
@@翔太郎-u1o さん、確かに龐統の死はその後の蜀に大きな影響を与えたので孔明が動かず、関羽の北伐が遂行されれば、三分の計がより確実になったかもしれませんね。
龐統は能力が未知数のまま戦死してしまったけど、法正は諸葛亮より戦争指揮能力はありそうだし、
本職の政治と後方支援に専念できるのは大きい。
国力、人材どれをとっても魏に大きく劣る蜀にとっては孔明は自身が存命中になし得ない限り不可能だと考えていたのかもしれないですね。
長い目で見て中長期的に国力を高め、人材を育てようにも広大な穀倉地帯を抱える魏や、多くの港や海を持つ呉と違って、山岳地帯の蜀には時間をかけてもできない。だからこそある意味悲壮的で見込みの少ない勝ち戦に活路を見いだしたのかもしれません。
それもまた蜀の人材不足が深刻だったということの表れでしょうが😢
やはり関羽が治めていた荊州の喪失と、軍略では龐統を失っていた事が蜀にとっては致命的だった気がします。
とどめは夷陵の敗戦
司馬懿に勝てなかったというか曹真が都督時代にも負けてるし(さすがに地の利のある漢中での防衛線は勝っているが)、単純に国力に差がありすぎる。
国力高めて漢中の守りに徹していれば蜀として永らえたと思うが、まぁ漢王室再興なんて掲げて興った国だし無茶でも戦うしかない時点でムリゲー。
もし挑発に乗って司馬懿が戦っていたら諸葛亮が勝ってたろうな
なんだかんだ軍事も天才なんよな諸葛亮
後の勝ち組の司馬一族の司馬懿を苦しめた男、諸葛亮とする事で、作為的に偉大な人間とする必要があったのでしょう・・・
そもそも蜀が夷陵で滅亡寸前までの損害を受けていなかったら
孔明は遥かに楽な状態での北伐を行えていたワケで…1度目で成功した可能性も高いでしょうねw
そもそも関羽に少しでも外交感覚があれば夷陵の戦いも起きなかった…
そもそも関羽が荊州保っていれば、漢中ルート、荊州ルート、場合によっては呉からも進軍できたのになあ…
そもそもほうとうが死ななければ😢
問題とは、解決することこそ肝要。
わしにはそれが出来たが、諸葛亮にはそれが出来なかった
彼は常に問題を取り除くことで解決していたと思い込んでいたが、実は何も解決していなかったのだ
見よ、取り除いてばかりで奴には何も残ってなかったであろう?
その点わしは問題を解決することにこそ重きを置いていた。それが歴史の勝者になりえる思考である
諸兄らもこのことをよく、肝に銘じておくのだぞ!フハハハハw
by 歴史の勝者チューたつ
そうね国力と人手不足だろうね
法正と荊州を失ったのが一番の痛手だな~
中国史全体で見たらジャイキリで劉備が天下獲ってたら泰平は長く続いて世界史かわったかもね
劉政権がすばらしいというわけではなくここまで漢王朝系統が続くと日本みたいに崇拝信仰に変わったかもしれない
蜀の国力では知略だけでは防戦が精一杯
そもそもどのように用兵が上手い者でも相手のミスにつけこむか物量差がなければ勝てません
劉備周瑜が曹操に勝てたのは長征で疲弊した兵で水戦を挑んだから
呂蒙が関羽に勝てたのは関羽が油断して荊州を空にしていたのと偶然起こった失火で関羽の部下が内通したから
白起は五か国の連合に勝利できる国家の兵で一国を討った
韓信ですら趙が李左車の計を用いれば負けていたとみずから認めている
諸葛亮は小国の兵で大国の魏から土地を奪えていますし大したものだと思いますよ
益州は天然の要害だが、攻めて出るのも難しい(補給の維持が困難な)場所でもあるのがねえ。
そもそも白起にしたって廉頗が趙で頭張ってた時は膠着状態で趙に手出しできませんでしたからね
李世民や李靖が諸葛亮の軍才を認めてるのは明らかな国力差のパーフェクト魏国に対して領土切り取ったから
あの当時の魏に勝てる人物などいません
チャンス(司馬懿がクーデターを起こすまでは)がくるまで、富国強兵するべきでしたね
個人対決なら勝ちだけど、
国力、人材力で、負けました😢
やっぱり荊州を失い 蜀から中原への遠征は行くだけで疲労に兵糧消費だしな。
もう少し呉と共闘して魏の領土を削れる事が出来たら蜀の寿命は延びたはず。
全盛期の孔明なら武功水の増水も見抜いたと思うけどなー。やっぱり忙しすぎて手が回らなかったんだろう。敗北の原因は蜀の人材不足と言えそうだね。
最近も三国志見たけど、根本は劉備に仕えたのが全てだったのでは、、、
劉備は仁義の君主と称えられてたけど、結局は大義を成せなかった
個人的だけど、何回観ても劉備に腹立つ😢
関羽も失態で荊州失う、激怒して夷陵の戦いで大敗北で多くの人材失う...劉備の遺恨で蜀の国力終わっちまった
@@狸吉-x5k
結局劉備が良かったのは、陶謙や劉表に領土譲ると言わせた事と孔明を仲間にしたことくらいだもんなぁ、孔明は劉備やないと仲間にはならなかったかもだし、やはり、乱世で三国志の主人公的なのは曹操なのかなぁと思った。もちろん色々な魅力は劉備軍なんだけど、、、五虎将軍なんかやっぱ格好いいし、自分は趙雲のファンなんで。(笑)
でも三国志の覇王は曹操がやっぱ似合うと思った
単純に国力に差があり過ぎたからでは?
単に国力=兵力+人材+兵糧の差
とはいえ司令官が超愚か者だと苦戦はするが、それでもあまりに違い過ぎて負けはしない。
正史三国志の作者も孔明の軍才には疑問符があったようだし単純に曹真と司馬懿には及ばなかった。内政は神
馬謖を死なせた事で、自分で働かなければと、自分を追い詰めた
頭でっかちではあったかもしれないけど有能は有能だったからなあ…馬謖は…諫言した王平はもっと有能だったけど。
魏延、別に裏切ってないんやけどな。
諸葛亮が過大評価されすぎ
戦闘に関しては兵の練度もあるが魏の将校との差
内政、軍事、人事をやっていたのは評価だが、単に人が足りていなかった
それ以上に好き嫌いがあったと思われる
そのなかで劉備の信頼をとって諸葛亮清見寺でも頑張った魏延は本当に素晴らしいと思う
孟達、劉封をどうにかできていればかなり違ったと思うが結果は諸葛亮の地位つか立場が今後ヤバそうっての切り捨てた感ある
仮の話になるが龐統が討ち死にしなかったら、諸葛亮、張飛の入蜀がなかったので関羽の暴走を止められたんじゃないかな
無双7のIFで、諸葛亮、龐統、法正、徐庶が揃うシナリオで歓喜した
さしすせそにthが付くタイプか
まずそもそも勝つ気があったのかが怪しい
第一回北伐こそ若干ガチ感があるがそれ以降はあわよくば涼州を切り取れたら良いなくらいの気概しか禁じられない
荊州を失った時点で天下三分なんてマヤカシもいいところだという現実は諸葛亮が一番分かってたはず
司馬懿が蜀を滅ぼさなかったのが1番!司馬懿の状況では対蜀をしているのが1番の保身!蜀はとにかく人がいないではなく、まとまらないですね…財政、内政、外交、軍事がバラバラですね。それら4点を孔明1人でまとめていたので、無理です。それらを見越して、司馬懿が蜀を滅ぼさなかった説です。
此の演義は創作です。史実ではありません。 仮に司馬懿を討ち取れたら、確かに魏は動揺します。しかし直に新しい司令官と兵力を動員して態勢を立て直しますので意味がありません。魏はあの時点で皇帝、曹叡がいます。満龍もいれば母給険、文欽、諸葛誕、郭淮とまだまだ使える将軍は盛りだくさんです。蜀が魏延、王平くらいの数えるくらいの将軍しかいないのと違い、魏は層が厚いのです。 蜀が魏に勝つなら、後の西晋であった八王の乱みたいに激しい内紛が起こり食い合いをしてくれたら、それにつけこんで魏は倒せます。諸葛亮みたいに魏が安定して万全な時に攻め込むのは根本から間違いなのです。
関羽の独断が全て悪い😣荊州があり、劉備も張飛もあそこでやられなきゃまだ余力は全然あったはず🥺
司馬懿の方が優れてたから。
孔明も魏に入ってればよかった(本末転倒)
でも魏にいたら有能な人材いすぎて名前埋もれてそう
韓信の故事から、司馬懿があえて大きく勝とうとしなかったから、さも一進一退であったかのように見えるだけで、
北伐蜀軍に長安を落とし、魏都まで落とせる算段があったとはとても思えない。
祁山の時点で屯田してるのに、長安以東の兵站なんて維持出来無い(実際はるか手前で李厳もやらかしてる)
徐庶の例からも、歴史に名前が出てこないだけで、魏には有能な文武百官がおり土地は平坦肥沃。
国力差があり過ぎる。
北伐でより疲弊したのは明らかに蜀の方です。
一撃必殺の策でも無い限り、そうなる事は諸葛亮も重々承知してたと思いますが。
実は蜀国内がそれほどまとまっておらず、
諸葛亮が勝てる要素が無い北伐を5回も続けたのは、勝てないと知りつつ定期的にガス抜きをしないと、内乱で自滅しかねなかったからかもしれない。
そもそもの国力の差がありすぎる。
よくやった方だと思う
まだ龐統と法正が生きていたら違ったかもしれない
物量ある軍に勝つのは難しいわ、蜀側が侵略の立場にあったし、あと寿命だよね。、、、女の服送ったのがもう焦ってる証拠だったかと
関東地方GDPVS四国地方GDPのレベル
特定分野なら孔明もトップクラス評価でOKだが、戦場に出るとなあ・・・。
「兵をいつ動かし、人材をどう活かすか」という指揮官適正、
ということなら呂蒙や司馬懿あたりと比べると孔明は落第生かな?
呂蒙は問題児である甘寧虞翻陸遜らをしっかり使えてるが
たとえば孔明が甘寧を有効活用はムリでしょ。
ここぞという場面で部下に大事な仕事を任せる→できないので
自分でやるハメに→過労死
呉と提携できなかったのが最大の失敗原因でしょう。呉との不和を引き起こした
関羽の呪いだね。
馬謖がもう少し頑張ってたら😅
うん?孔明が司馬懿に勝てなかったではなく、蜀が魏に勝てなかったと思う。例えば孔明と司馬懿の立場が逆だったら?どうだったでしょうね?
司馬懿だったら数で劣る状況で敵地に侵攻しないし、その権限もなかった。
仮に皇帝に命令されたとしても断るか諌めていたと思う。
司馬懿どころか司馬懿より優れている李靖や郭子儀、白起に韓信が蜀を指揮しても魏に勝てなかったでしょう
やっぱり郭淮は守将として優秀過ぎる
諸葛亮がもう少し司馬懿と郭淮のように魏延の意見を聞いてたら北伐はどうなってんだろう?
諸葛亮は結局のところ祁山を落とせなかった。それが全ての敗因となった。街亭でも五丈原でも緻密な戦略を練って攻勢を取れたが一番のキーポイントとなる祁山を取れず涼州の確保に失敗した。もし諸葛亮が祁山を力攻めして落とし上邽に出て馬謖の後詰をしていたら、あるいは五丈原で主力を陽動にして西方から祁山を落として渭水上流を抑えていたら相当に歴史は変わっていた。諸葛亮は総帥であるがために全体に配慮した作戦を取らざるを得なかったのだが、これがもし劉備なら拠点となる祁山をまずは押さえて少しずつ削り取る展開もできただろうと思う。軍司令官として更には総帥としての諸葛亮と劉備の違いはそこにある。
国力兵力で劣る蜀が戦で敵地で持久戦とかあり得んジリ貧になるだけ。
国軍の参謀としては超一流だったが指揮官としてはいまいち。劉備玄徳という主君がいて初めてその実力を出せたのでは。時の運に恵まれなかったのもあるが。
国力差がムリゲーだったからだよ
司馬懿は後に権力を奪取したけど、子孫の体たらくを見たら、あの世で諸葛亮に「孔明、劉禅は愚か者だか、殺し合いはしなかったな。それに比べて、わしや兄弟の子孫は‥情けない」って愚痴ってるかも。
何度も攻めて、警戒させ相手に備えを作らせたから。中国を統一した武将は簡単にそれをやってのけた人物は多いです。
あんがい魏延みたいな人だったら長安抜けたかも
荊州をなくしたのが全て。
太平洋戦争に例えると・・・蜀は 日本・・・魏は アメリカ・・・やな。😬😬😬😬😬😬
軍人と内政家を比較しても。。。
いやぁこの2人の勝敗を分けたのは、互いの総大将では?
劉備の生真面目さで、諸葛亮が策を練り直す苦労してるシーンがいくつかあった気がする。
司馬懿に勝てなかったけど完全に負けたってのも少ないのでは?
孔明や蜀軍単体なら司馬懿も戦ったろうが、羌族と結びついた可能性も視野に入れたと考えたのなら、戦いたくは無いだろう。
なぜ勝てなかったかというか、諸葛亮自身勝てると思ってたかなぁ。。。
自分なら、尋常じゃない強さを持つ羌族と外交関係を築いて「一緒に攻めません?」とか誘うけどね。
北伐の本質って、実はそこなんじゃないかなぁと思ったりする。
全然理由を言わない
国力が違うので普通は負ける。
司馬懿より名を残した孔明の勝ちかな。
演義の判官贔屓で諸葛亮や関羽は過大評価されてる。
人材が足りてないのに育成や発掘できなかったのは上に立つ者として力不足も甚だしいし、国力が劣るのに勝算低い北伐繰り返して更に疲弊させた。
現場の指揮官としては優秀だったのかもしれないが、組織や国全体を長期的な視野でみるべきリーダーとしては力不足。
「〜ます。」のアクセントがきつく、個人的に聞きにくいです。
もう少し滑らかな抑揚でお願いしたいです。
途中で気分が萎えます。ごめんなさいm(_ _)m
楊儀に託したのは間違いでは無いかと。
魏延から見たら誰が指名されても不満だったでしょうから、むしろ冷静に判断できる楊儀で良かったかと。
残念なのは、諸葛亮が偉大だっただけに、部分的にでも後継者を育てきれなかった事かと。
もし逆の立場(諸葛亮が魏軍で司馬懿が蜀軍)だったら諸葛亮の北伐より成果を上げれていないと思う。
孔明死後、船頭が多すぎて船が山に登った。
命令系統は縦割りで絶対に服從が無いと軍は乱れますね。
諸葛亮はそこをまとめ上げて死ぬべきだった。
それかもうやる気が無くなってたのかも知れん
資源も人材も乏しい側が、資源も人材も豊富にある側へ攻め込む事自体、そもそも無理がある。呉と完全に足並み揃えられたならチャンスはあったろうけど、「漢朝再興の為」に、何がなんでも魏を討伐しなければならない!って蜀と、あわよくば魏蜀の共倒れをって呉の間では足並みが揃うことなんてまず無いしなぁ。
馬謖も桶狭間みたいな奇跡の逆転勝ちを狙ったんだろうが、相手がマヌケな今川義元ではなく、あの司馬仲達という事が分からなかった。
国力、以上
そんな国力の差があるのに侵攻したのが諸葛亮なんだが、どういう勝算があったのかって話やで
なぜ勝てなかったのかという話をするなら、国力の差
なぜ攻めたのかと言う話をするなら
蜀という国の国是、存在意義が漢の再興だから
滅びないために、存在する為に攻めざるを得なかった
勝算という意味では第一第二北伐が失敗した時点で
あとはもう延命の為の攻めでしょうね