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40分近い動画だったのに、凄く面白かった!
守りづらい荊州を守り抜いた時点で優秀な人物だったのかなと思う
戦いを避けながらも負けてはいけない時は手堅く勝っていますよね…派手な勝ち方ではないけど…いや、流れ矢というおそらく暗殺を駆使してきっちり勝ち切っていたのかもしれませんね🤔孫策の死の背景にも劉表の影があったかもですね…優秀な方ですが天下を狙う気持ちは無かったのでこんな形になったのかもしれませんね。
乱世において公平な態度が良い結果を生むとは限らないと後々のことは考えられても今その時というものが見えていなかったのかね
やはり三国志演義はかなり偏って人物を改変してますね。国のトップとは本当に賢明でなくては務まらないし、苦労するものです。
劉表はあくまでも清流派の政治家だったのでしょうね。この時代は曹操が台頭したとはいえ、まだ漢の王朝も存在しており自身が近隣を併呑してのし上がるというよりも荊州牧としての職責を果たしたのかなという感じですね。
劉表目線の解説は斬新でした
党錮の禁。江戸時代に例えるなら蛮社の獄や安政の大獄に似てますね。
光栄の三国志では、劉表を使ってたなぁ。
劉表の墓参りに行ってきました
武官も文官も歴史に名を残してる人はみんな相当な上澄みだよな。ゲームの知略70なんて、現代社会なら東大トップクラスとかでしょ。
三國無双3でフルボッコされて可哀想な人だったけど、こんなどこからでも襲われそうな場所を守っただけでも袁術なんかよりも10倍は優秀。
ゲームの三国志をやると劉表が主君で、蔡瑁や蒯良、蒯越は少し優秀な部下のようなイメージだけど、必ずし上司部下の関係でもなく、その地域の豪族や名士が協力しているケースも多くありそうだ。呉の陸遜や張良もその地域の名士だったのだよね。日本の戦国時代にも大名のほかに国士もいて協力関係であったり対立したりするようだったね
すばらしい!!
狙撃しておいて『流れ矢』とは??
河北平定の際に後背から戦を仕掛けても負けてただろうね。曹操軍は人材の層の厚さが売りだし資源も十分蓄えてあったんじゃないかな
彼は乱世でどうやって戦わず生き残ろうか考えてたんですかね。側近らも生き延びたし目的は達したのでしょうか。
献帝春秋には劉馥が「劉表が孫権と組んで許昌を攻めようとしてる」って報告したから、許昌の周囲に逆茂木と土塁を築いたって話がありますね。袁曄漢献帝春秋曰、揚州刺史劉馥上言「荊州牧劉表與会稽太守孫権謀襲京城」。遂塹許、作鹿角砦。(太平御覧兵部68)
兵数なら赤壁前の曹操に対抗できたけど…将がいないから…だから劉備を懐柔したのに…劉備、孔明の謎はこの瞬間だと思う…速やかに荊州の実権にぎれば……なぜ劉表死んでも動かずなんの策もなく逃げたのか…
劉表死後に漢の丞相である曹操に降伏したのは、劉表軍の中枢だった荊州名士層であって、劉琮に拒否権など無い諸葛亮など弱冠二十歳の余所者ペーペー名士でしか無いので、劉表軍の誰も従わないむしろ、十万人も諸葛亮関係者が劉備に従い長坂まで南下したのは、諸葛亮最大の功績
我的家乡是荆州,这里有关羽庙。虽然听不懂,但这个频道看起来很有趣。
漢帝国に指名手配されててそこから単騎で荊州に乗り込み、徒手空拳で荊州制覇した怪物ではある
治世であったなら、優秀な政治家として名を残したかもしれない。ただ、早々に敗れ逃げてきた劉備を匿ったことがファインプレーでしょうか。
早々→曹操💦
しかし劉備に荊州を託すのも考え物ですね。基本曹操が来れば逃げる、これまで寄宿した主は公孫瓚、呂布、袁紹と良くない死に方しているし。
名前がかっこいい
荊州一体で満足したのかイッパイだったのか分からんけど優秀な武将がいたから惜しいですね
劉表の後継者争い。孫家の二宮の変そっくりですね。
しかし劉キ後継者論は劉表幕閣の支持を得られていないしな。劉ソウは文字通り荊州の人間だし。
保守的な人だったのだろうね。乱世では攻められなければ終わりを迎えるだけ。
豪族闇討ちして荊州制覇した男だから保守的とも思えんが
ゲームにおいて不当に評価の低い蔡瑁・蒯良・蒯越😢
才能はあるのに天下取りにいかなかった良い人ってイメージしかないわ
確かに、毛利元就とかもそうだもんね
元就は良い人ってイメージはないなー
@@ハートハート-n2u 個人的には北条氏政の方がイメージは強いですが。基本的に関東に固執して出てこなかったとことか。毛利輝元ですら関ヶ原時、色々と裏工作していたようですし。
曹操恐れすぎ問題
恐れたから戦った、恐れたから味方にした、恐れたから厚遇した、恐れたから無下に扱った、恐れたから無視した、何とでも言えるな
袁術と袁紹の方に贔屓してる感じだな孫策が暴れてた時も何かとコソコソしてたイメージがあるし
嗓音が変易してしまった
40分近い動画だったのに、凄く面白かった!
守りづらい荊州を守り抜いた時点で優秀な人物だったのかなと思う
戦いを避けながらも負けてはいけない時は手堅く勝っていますよね…派手な勝ち方ではないけど…いや、流れ矢というおそらく暗殺を駆使してきっちり勝ち切っていたのかもしれませんね🤔孫策の死の背景にも劉表の影があったかもですね…優秀な方ですが天下を狙う気持ちは無かったのでこんな形になったのかもしれませんね。
乱世において公平な態度が良い結果を生むとは限らないと
後々のことは考えられても今その時というものが見えていなかったのかね
やはり三国志演義はかなり偏って人物を改変してますね。国のトップとは本当に賢明でなくては務まらないし、苦労するものです。
劉表はあくまでも清流派の政治家だったのでしょうね。この時代は曹操が台頭したとはいえ、まだ漢の王朝も存在しており自身が近隣を併呑してのし上がるというよりも荊州牧としての職責を果たしたのかなという感じですね。
劉表目線の解説は斬新でした
党錮の禁。江戸時代に例えるなら蛮社の獄や安政の大獄に似てますね。
光栄の三国志では、劉表を使ってたなぁ。
劉表の墓参りに行ってきました
武官も文官も歴史に名を残してる人はみんな相当な上澄みだよな。
ゲームの知略70なんて、現代社会なら東大トップクラスとかでしょ。
三國無双3でフルボッコされて可哀想な人だったけど、こんなどこからでも襲われそうな場所を守っただけでも袁術なんかよりも10倍は優秀。
ゲームの三国志をやると劉表が主君で、蔡瑁や蒯良、蒯越は少し優秀な部下のようなイメージだけど、必ずし上司部下の関係でもなく、その地域の豪族や名士が協力しているケースも多くありそうだ。呉の陸遜や張良もその地域の名士だったのだよね。
日本の戦国時代にも大名のほかに国士もいて協力関係であったり対立したりするようだったね
すばらしい!!
狙撃しておいて『流れ矢』とは??
河北平定の際に後背から戦を仕掛けても負けてただろうね。曹操軍は人材の層の厚さが売りだし資源も十分蓄えてあったんじゃないかな
彼は乱世でどうやって戦わず生き残ろうか考えてたんですかね。
側近らも生き延びたし目的は達したのでしょうか。
献帝春秋には劉馥が「劉表が孫権と組んで許昌を攻めようとしてる」って報告したから、許昌の周囲に逆茂木と土塁を築いたって話がありますね。
袁曄漢献帝春秋曰、揚州刺史劉馥上言「荊州牧劉表與会稽太守孫権謀襲京城」。遂塹許、作鹿角砦。(太平御覧兵部68)
兵数なら赤壁前の曹操に対抗できたけど…将がいないから…だから劉備を懐柔したのに…劉備、孔明の謎はこの瞬間だと思う…速やかに荊州の実権にぎれば……なぜ劉表死んでも動かずなんの策もなく逃げたのか…
劉表死後に漢の丞相である曹操に降伏したのは、劉表軍の中枢だった荊州名士層であって、劉琮に拒否権など無い
諸葛亮など弱冠二十歳の余所者ペーペー名士でしか無いので、劉表軍の誰も従わない
むしろ、十万人も諸葛亮関係者が劉備に従い長坂まで南下したのは、諸葛亮最大の功績
我的家乡是荆州,这里有关羽庙。虽然听不懂,但这个频道看起来很有趣。
漢帝国に指名手配されててそこから単騎で荊州に乗り込み、徒手空拳で荊州制覇した怪物ではある
治世であったなら、優秀な政治家として名を残したかもしれない。
ただ、早々に敗れ逃げてきた劉備を匿ったことがファインプレーでしょうか。
早々→曹操💦
しかし劉備に荊州を託すのも考え物ですね。
基本曹操が来れば逃げる、これまで寄宿した主は公孫瓚、呂布、袁紹と良くない死に方しているし。
名前がかっこいい
荊州一体で満足したのか
イッパイだったのか分からんけど
優秀な武将がいたから惜しいですね
劉表の後継者争い。孫家の二宮の変そっくりですね。
しかし劉キ後継者論は劉表幕閣の支持を得られていないしな。
劉ソウは文字通り荊州の人間だし。
保守的な人だったのだろうね。乱世では攻められなければ終わりを迎えるだけ。
豪族闇討ちして荊州制覇した男だから保守的とも思えんが
ゲームにおいて不当に評価の低い蔡瑁・蒯良・蒯越😢
才能はあるのに天下取りにいかなかった良い人ってイメージしかないわ
確かに、毛利元就とかもそうだもんね
元就は良い人ってイメージはないなー
@@ハートハート-n2u 個人的には北条氏政の方がイメージは強いですが。
基本的に関東に固執して出てこなかったとことか。
毛利輝元ですら関ヶ原時、色々と裏工作していたようですし。
曹操恐れすぎ問題
恐れたから戦った、恐れたから味方にした、恐れたから厚遇した、恐れたから無下に扱った、恐れたから無視した、何とでも言えるな
袁術と袁紹の方に贔屓してる感じだな
孫策が暴れてた時も何かとコソコソしてたイメージがあるし
嗓音が変易してしまった