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「日々の当たり前の感覚を大切にする」言葉や知識では容易に理解できても、現代とかく都会の人の生き方では、日々の当たり前の事象に真底感動することは非常に難しい。だからこそ、その瞬間は希少であり尊く、人の生において繰り返し言葉で表現して、繰り返しその感覚を探しているのでしょうね。先生のお言葉を聞いて、人の歴史における普遍性みたいなものを垣間見たような気がしました。
とっつきにくい 失われた時を求めてのわかりやすい解説 とても参考になりました
生きているだけでも幸せって沢山ある。そこに気付けるか、感じられるかですね!
そうなんですか! プルースト読んでみたいと思いました。35歳までに子供を3人授かって、遺伝子的にはお役御免となり、以後36年間、いったい俺は何をしてきたのか、まさに私の失われた時になりました。今朝焼いたジンジャークッキーを紅茶に浸しながらじっくり反省したいと思います。
内容は今の私に近いピッタリとしたものでした。確かこれもジョイスの意識の流れで書かれたものかと。ツィッターで死ぬほど好きな方がいるのですが。人生の後半に行き躓くと心に響いてきます。本当に"失われた時を求めて"
空の青さ、雨音の調べ、道端の可愛らしいスミレの花、、、、すべてに神の愛が感じられます。感謝出来ます。失われた時を求めての作者には、神様の慈しみが分からないのでしょう🐭
おはようございます 今朝の日の出もキレイでしたセロトニン的幸福感(樺沢紫苑の樺チャンネル参照)を感じます目標達成感をドーパミン的幸福感とするとキリがなくなりますよね週末は気の合う仲間とGoToする オキシトシン的幸福感だ~
どんな人間(例え)を人間と思えて命とられてももしもそこに感情があるなら何も変わらないモノでありたい
気付かずに通り過ぎたもの…それを気にし出してからが地獄です。思い出は全て後悔に変わるし、今この瞬間にも自分が気付かずに通り過ぎてしまうものがあるのではないかと、いつも神経を張り詰めるようになってしまいました。失われた時を求める事が、その様な事では無いのだとしたら、僕は一体どこを間違えてしまっているのでしょうか…?
「価値」をどこに(誰に?)決めさせるのか?ということだと思う。大衆に決めさせるのであれば、「地位」だろうし、神に求めるのであれば「愛」なのかもしれない。でも本当は「価値」を決めるのは結局のところ、自分自身にしかなく、自分の中にこそ、価値の本質があるということなのかもしれない。
すごく素敵なyoutube✨幸せって、安心できることだと思うんです。そして、本当の幸せに気付けた時が、実は一番幸せなのかもしれません。ささやかな日常の1つ1つに、感謝できる。ありのままを受け入れてもらえることに感謝できる。法律を遵守し、道徳を大事にしながら得られる安心は、誰も責める権利のない、本当の幸せなのかも。
なんか良いお話。二度続けて見た。心を開いて身近な日常を大切にしようと思った。それは目の前の物に注意深くなることでもある。そのためには、身近な日常感覚重視の気持ちから、野心・損得でものを考えだす切り替えの瞬間に目を向け気を付けようと思った。自分的には、本の中の名文をノートに色分けしてきれいに抜き書きしてる瞬間とか、ブックオフとかで何か面白そうな本が置いてないか探してる瞬間とかに、小さな幸せを感じる。でも、そういうことって、昔嘉門達夫さんが歌ってた「小市民」とどう違うのだろう。しっかり意識した「小市民」はもう小市民ではないのかも。でも、小市民でもいいや。スポーツカーのウイングって車が宙に浮かばないようにするために附けてるんだと、幼児の頃父に教えられてびっくりしたことがある。僕の思い込みとは逆だったから。車が宙に浮かぶことと、妄想・野心で日常の現実から目をそらすことと似てると思う。自分にウイングをつけて大地にしっかり立って、妄想で浮き上がらないようにしようと思った。
クオリアも 純粋経験も 気づかずに過ぎていった感覚も 気づける自分が此処に在って幸せを感じます。
However, love is still a persistently precious and beautiful one as human in my view.
深いですね。
完読寸前です。この人、読んでないのに読んだのと同じくらいの認識してる!
ただプルーストにはサルトルの批判がもっともな気もする。
失われた時=「気づき、クオリア」なんですね。ありがとうございます。
what a wonderful world
宮本輝さんは「失われた時を求めて」を読んだようです。「本をつんだ小舟」の中の「山頭火句集」で言及がありました。河村次郎著「存在と時空」も「失われた時を求めて」を題材にしていました。クオリアという言葉も出てきました。本を読みながら、東洋大学の哲学講義をネット受講することが出来るようです。河村次郎さんも、猫好きのようだニャ🐱
今日もありがとうございます。そうですねー。しみじみ気づかされました。先生少しお疲れですか?お顔が
レッドツェッペリン天国への階段
ドラクエ11のサブタイトルかと思った
とても貴重だと思います。読書家ではないので動画だとありがたいです。ボードレールにユゴーにランボーにアラゴン…。あの時代の文学熱はウッドストックよりも猛烈でしたよね。アバンゲールでしたっけ?それともエヴァンゲリオンでしたっけ?あの世紀末の憂愁とコロナや鬱病の現代って似てると思いませんか?自分が少年だった頃まだ世界は戦争に溢れていて、少しの口ごたえにも父親が過剰に反応し「生かされていることに感謝しろ」って子を過剰に虐待するんですよ。マドレーヌや紅茶が美味しいのって戦後だからでしょ?ボクが何を言いたいのかって今思ったこと、それは個人の精神的な病気などではなく人々の社会に溢れつつある戦前の空気。美味しくない…オエ~ッ!
「日々の当たり前の感覚を大切にする」
言葉や知識では容易に理解できても、現代とかく都会の人の生き方では、日々の当たり前の事象に真底感動することは非常に難しい。だからこそ、その瞬間は希少であり尊く、人の生において繰り返し言葉で表現して、繰り返しその感覚を探しているのでしょうね。先生のお言葉を聞いて、人の歴史における普遍性みたいなものを垣間見たような気がしました。
とっつきにくい 失われた時を求めてのわかりやすい解説 とても参考になりました
生きているだけでも
幸せって沢山ある。そこに気付けるか、感じられるかですね!
そうなんですか! プルースト読んでみたいと思いました。35歳までに子供を3人授かって、遺伝子的にはお役御免となり、以後36年間、いったい俺は何をしてきたのか、まさに私の失われた時になりました。今朝焼いたジンジャークッキーを紅茶に浸しながらじっくり反省したいと思います。
内容は今の私に近いピッタリとしたものでした。確かこれもジョイスの意識の流れで書かれたものかと。
ツィッターで死ぬほど好きな方がいるのですが。
人生の後半に行き躓くと心に響いてきます。本当に"失われた時を求めて"
空の青さ、雨音の調べ、道端の可愛らしいスミレの花、、、、すべてに神の愛が感じられます。感謝出来ます。失われた時を求めての作者には、神様の慈しみが分からないのでしょう🐭
おはようございます 今朝の日の出もキレイでした
セロトニン的幸福感(樺沢紫苑の樺チャンネル参照)を感じます
目標達成感をドーパミン的幸福感とするとキリがなくなりますよね
週末は気の合う仲間とGoToする オキシトシン的幸福感だ~
どんな人間(例え)を人間と思えて命とられても
もしもそこに感情があるなら何も変わらないモノでありたい
気付かずに通り過ぎたもの…それを気にし出してからが地獄です。思い出は全て後悔に変わるし、今この瞬間にも自分が気付かずに通り過ぎてしまうものがあるのではないかと、いつも神経を張り詰めるようになってしまいました。
失われた時を求める事が、その様な事では無いのだとしたら、僕は一体どこを間違えてしまっているのでしょうか…?
「価値」をどこに(誰に?)決めさせるのか?ということだと思う。大衆に決めさせるのであれば、「地位」だろうし、神に求めるのであれば「愛」なのかもしれない。でも本当は「価値」を決めるのは結局のところ、自分自身にしかなく、自分の中にこそ、価値の本質があるということなのかもしれない。
すごく素敵なyoutube✨
幸せって、安心できることだと思うんです。そして、本当の幸せに気付けた時が、実は一番幸せなのかもしれません。
ささやかな日常の1つ1つに、感謝できる。
ありのままを受け入れてもらえることに感謝できる。法律を遵守し、道徳を大事にしながら得られる安心は、誰も責める権利のない、本当の幸せなのかも。
なんか良いお話。二度続けて見た。
心を開いて身近な日常を大切にしようと思った。
それは目の前の物に注意深くなることでもある。
そのためには、身近な日常感覚重視の気持ちから、野心・損得でものを考えだす切り替えの瞬間に目を向け気を付けようと思った。
自分的には、本の中の名文をノートに色分けしてきれいに抜き書きしてる瞬間とか、ブックオフとかで何か面白そうな本が置いてないか探してる瞬間とかに、小さな幸せを感じる。
でも、そういうことって、昔嘉門達夫さんが歌ってた「小市民」とどう違うのだろう。
しっかり意識した「小市民」はもう小市民ではないのかも。でも、小市民でもいいや。
スポーツカーのウイングって車が宙に浮かばないようにするために附けてるんだと、幼児の頃父に教えられてびっくりしたことがある。
僕の思い込みとは逆だったから。
車が宙に浮かぶことと、妄想・野心で日常の現実から目をそらすことと似てると思う。
自分にウイングをつけて大地にしっかり立って、妄想で浮き上がらないようにしようと思った。
クオリアも 純粋経験も 気づかずに過ぎていった感覚も 気づける自分が此処に在って幸せを感じます。
However, love is still a persistently precious and beautiful one as human in my view.
深いですね。
完読寸前です。この人、読んでないのに読んだのと同じくらいの認識してる!
ただプルーストにはサルトルの批判がもっともな気もする。
失われた時=「気づき、クオリア」なんですね。ありがとうございます。
what a wonderful world
宮本輝さんは「失われた時を求めて」を読んだようです。「本をつんだ小舟」の中の「山頭火句集」で言及がありました。河村次郎著「存在と時空」も「失われた時を求めて」を題材にしていました。クオリアという言葉も出てきました。本を読みながら、東洋大学の哲学講義をネット受講することが出来るようです。河村次郎さんも、猫好きのようだニャ🐱
今日もありがとうございます。
そうですねー。しみじみ気づかされました。
先生少しお疲れですか?お顔が
レッドツェッペリン天国への階段
ドラクエ11のサブタイトルかと思った
とても貴重だと思います。読書家ではないので動画だとありがたいです。ボードレールにユゴーにランボーにアラゴン…。あの時代の文学熱はウッドストックよりも猛烈でしたよね。アバンゲールでしたっけ?それともエヴァンゲリオンでしたっけ?あの世紀末の憂愁とコロナや鬱病の現代って似てると思いませんか?
自分が少年だった頃まだ世界は戦争に溢れていて、少しの口ごたえにも父親が過剰に反応し「生かされていることに感謝しろ」って子を過剰に虐待するんですよ。マドレーヌや紅茶が美味しいのって戦後だからでしょ?ボクが何を言いたいのかって今思ったこと、それは個人の精神的な病気などではなく人々の社会に溢れつつある戦前の空気。
美味しくない…オエ~ッ!