Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
昔の職場の最寄駅が三軒茶屋駅だったので懐かしいです。その頃は新玉川線でした。
高架の一階部分は三軒茶屋のオーバーパス
田都毎日使うけど東横線とかメトロの駅よりなんか、、色々古臭くてばっちい…
5:15 首都高の出入り口ではなく、交差点の立体交差する玉川通りでは??
東急新玉川線1977年4月開通
11:20 1969年に玉川線が廃止になり、新玉川線の開通は1977年。
やっぱり、そうですよね。ひろき君が言ってた、旧新玉川線区間の開通、そんな早かったっけ?と思いました。
サムネの駅壁面を見て、新玉川線だと思った。
田園都市線乗るたび不思議に思った駅は桜新町降りる前に通過する放送が入った為最初は通過する線があるのかと思ったほど後でわかった事だけどホームの外側に線路があるからホームから見えない構造になっているらしい
1969は玉電廃止の年ですね。
まさか駒沢大学駅が特殊過ぎた件は初めて知った
田園都市線の前、新玉川線開業って1977年じゃなかったっけ?
三茶の立体、一段目は首都高の入口ではなくて、R246の陸橋(上り線のみ)ですよ。世田谷通りと平面クロスしないようになってます。首都高の入口はもう少し渋谷寄りにあります。
風圧最高です😆🎵🎵
ひろきの動画がないと寂しい
1:05 「勾配を上って行く」 ん?下るじゃね?
三軒茶屋駅前の高架の真ん中は246と世田谷通りの立体交差ですよね首都高入り口は池尻大橋の方にある
あの真ん中の仕切りは首都高の柱と一体になっているのですね。昔は毎日の通勤でお世話になっていた駅だったんですけど今その事を初めて知りました☺️
桜新町も特殊な構造してるよねー
もう30年近く通勤で使っているけど知らなかった😲
駒沢大学駅のこの中央壁どーんの構造は、東京メトロ東西線の木場駅を思い出します。ということは木場駅の壁も首都高の土台ってこと?w
新玉川線の開業年が間違っています。1969年は東急玉川線の廃止年です。多分、コレと間違えたんじゃないかな…❓そして、国道246号の真下に東急新玉川線が1977年に開業されました。当時、自分は通学路でした(1980年)ので存じております。あと三軒茶屋の首都高速の二段も違います。1番上は首都高速道路ですが、2段目は首都高速道路の入口ではなく、国道246号のバイパス道路です。要は、三軒茶屋の信号の交差点をスルー出来る様に渋滞を避けるべく作ったのです。首都高速3号線には三軒茶屋の出入口は御座いません❗️😂
玉川線路面電車には2連接の車両が結構いた(途中の過去写真に映っている)が、連接台車が1軸というユニーク車両であった
私が不思議に思った駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「関内駅」です。上りと下りで階が違うのは初めてでした。京急の京急蒲田じゃないけど、前後の駅間の線路で対抗線路と上下に泣き別れしてるんでしょうねw
懐かしいなぁ、出身校の最寄り駅だよ。学生時代を思い出した。
駒沢大学駅周辺はラーメンチェーンの天下一品、朝ラーメンが食べられる家系ラーメン店がある。また大阪王将、餃子の王将、リンガーハットもあったが、立て続けに閉店した。大阪王将に至っては渋谷の2店舗(東急ハンズ前店、渋谷駅前店)も同時期に閉店した。
韓国も一番初めの地下鉄1号線は市内の道路に沿って線路が作られました。やっぱり地価の問題があったようです。
まさか駒澤大学駅がこういう構造だったとは知らなかった。
中途半端な終着駅、私は好きです。
『孤独のグルメ』に出てくる牛煮込みの店に行くときは何気なく降りた駒沢大学駅にこんな秘密があったなんて知りませんでした。
上京して初めての最寄駅が駒沢大学駅でした。ホーム幅は狭く電車は爆音で通過、東京の地下駅はどこもこんな感じだと思ってました。
大阪の地下鉄中央線本町と堺筋本町辺りと似た構造ですね。中央線の上に建ってるのは阪神高速と一体化したセンイシティのビルですが。
3号渋谷線の起点が渋谷って初めて聞いた。
工事中だからかな。
駅が高速を支えるのとかここでしかみれないのか
京王新線の幡ヶ谷駅も地下に移す際同じような構造にしているので、首都高4号線を支えています。駅の構造は地下鉄によくある対面式ですが。
田園都市線のなかで未だに人気が高く、今後も沿線で末永く人気と不動産価値が維持される旧新玉川線区間ですが、渋谷付近〜駒沢大学付近は首都高速道路と一体建設されており、トンネル改修工事が困難といわれています。
私が大学1年のころ、S女子大と合コンをして、グループで桜新町の寮へ送っていったとき、新玉川線はピッカピカの出来たばかりの路線だったのが懐かしいです。しかしそれは1977年。開業から8年も経っている路線ではなかったですね。
桜新町の配線が瑞江によく似ている首都高の基礎で上下線が壁でふさがれて一部にしか通路がないのは変わっている基礎に穴を開けてしまうと強度が弱くなってしまうからやむを得ない
火災時の非常口が端にあるか、気になります。まさか一ヶ所だけとは思えないので。
他の方も書いておられますが、玉電廃止が1969年、新玉川線開通が1977年です。さらに、玉電廃止はモータリゼーションもありますが、そもそもはモータリゼーション解決のため首都高を建設する必要があり、そのため地下鉄を建設するために廃止となりました。この辺りは史料もありますので調べてほしかったと思います。そして、新玉川線は元々は銀座線との直通(というより銀座線の延伸)が想定されており、1964年の東京オリンピックに間に合わせる予定でしたがかなわず、さらに銀座線との直通だと輸送能力が足らないということで田園都市線との直通となった経緯があります。駒沢オリンピック公園は1964年の東京オリンピックの会場でしたが、そもそもはプロ野球東急の球場があり、その跡地に建設されました。その前は確か陸軍の練兵場だったかな?玉電はもともとは多摩川の砂利を採集する鉄道でもありました。できればそんな経緯と共に、銀座線の旧車庫も取り上げてくださるとうれしかったです。元沿線住民より。
昔は新玉川線って名前だったの懐かしいなぁ新玉川線の各駅は壁の色で駅の見分けがつくようになってるんですよね😊
自転車は車道の左側を通るのが原則なので、線を引っ張ることで交通ルールを守ってもらおうとする警察の配慮が違法駐車によって邪魔されるのが現実ですね…
風圧凄いね
池尻大橋のインターの上空写真まるで曼荼羅
地下だと風と音が凄いですよね!
以前、駒沢大学駅構内で催事をやりましたが列車が来る度に突風が来て、店の物が吹き飛ばされました。
私が初めて渋谷駅に降り立ったのは、もう随分前の事です。懐かしいですね。初めて地下鉄銀座線に乗るのにホームを探した時、〝高架〟の上だったのを不思議に思いました。あの頃、東急〝新玉川線〟が出来る前で、二子玉川方面への移動は路線バスだけでした。たしか渋谷駅から乗ってふたつめのバス停が〝大橋〟で、その次が〝池尻〟ですね。そのふたつのバス停のほぼ中間に新玉川線の駅を造ったので、駅名がかなり〝ベタ〟な名前になりましたね。学生はほとんど〝駒沢公園口〟を出入りするでしょうね。駅の場所的にはバス停の〝上馬〟と〝駒沢大学〟の間、その名も〝真中〟バス停の近くだと思います。駒沢大学の正門の右側に駒沢公園があります。これは変わっていないと思います。追伸です。〝新玉川線〟渋谷ー二子玉川間が開業したのは、1977年4月でしたね。私は開通したその日の夕方に二子玉川から池尻大橋まで乗りました。旧〝玉電〟は、二子玉川から駒沢大学の砧校舎のある砧本村まで支線が走っていました。私が初めて訪れた当時は、砧本村のバス停のそばに、廃止された旧玉電のホームの跡が残っていました。今でもバス停の日除けの柱には旧玉電の古いレールが使われている様です。
こんな構造になってたんですね!知りませんでした!解説わかりやすかったです!
動画を見てると床屋に行きたくなる
東急田園都市線渋谷駅も、地下の渋谷川の下に駅があるんだっけ。
この区間は、田園都市線・国道246号・首都高全てを頻繁に利用していて馴染み深い所ですが、それらの因果関係についてこの動画を見てようやく理解できました。ただ、田園都市線のこの区間(かつての新玉川線)は、開業は1977年ですね。確かに、工事は首都高と一体で、玉電廃止直後の1969年から始まりましたけど。そこは事前にちゃんと調べてほしかった。あと、既に多くの方が指摘してますが、三軒茶屋の高架一層目は高速の出入口ではなく、国道246号の下り線(交差点のオーバーパス用の車線)です。
この駅、8500系が走ってた頃はモーター音も響きまくって大爆音だったな...剥き出しコンクリ壁でどことなく薄暗くて、ホームドア設置前の子供の頃にめちゃくちゃ怖かった思い出がある
その8500系も1編成しか残ってませんね…
@@cocomi_mina おぉ...まだ1編成残ってるんですね!!!
登録しました よろしくお願いします 神奈川県在住で都内や首都圏の鉄道に行き先を決めずに乗る事があります
船場は地下鉄・商業施設・高速道路が一体の構造物である。
いずれも島式ホームの大阪メトロ中央線本町駅、堺筋本町駅も真上を通る阪神高速の橋脚がホームを貫通しているためかなり幅広となっている。
基礎を共有した首都高と地下駅ですね!興味深いです!地上の所有権が地下にも及ぶので、公の構築物の地下を通すことで、用地買収などの手間が省けるのですね。
新玉川線と首都高の建設時期が重複していたから「構造物を共有」できたのですね。新玉川線の建設時期が遅かったら、大江戸線みたいにもっと深くなっていたと思われます。
大阪メトロ堺筋本町駅(中央線)、東京メトロ東西線木場駅、千代田線国会議事堂前駅の感じ。
自分の最寄り駅を撮影してくれてありがとうございます。自分も駒沢大学駅が特殊構造だとは思いませんでした!
首都高3号線と同時に新玉川線のトンネルだけは作られたんだよね。新玉川線の開業はずっと後だけど。トンネル掘ってる時はまだ銀座線の延伸という形で計画されたんじゃなかったっけ?
駒沢大学駅は綿貫渉さんの動画でちょくちょく出ますね。😊
ひろき氏に一種類の鉄道会社の車両を乗り継いで一番遠くに行ける鉄道会社を探してほしい
JR以外で
圧倒的近鉄じゃない??
@@一浪-v4d 東武も強そうだと思うけど(関東しか分からない)
JRを含めるとJR東日本の701系が優勝しそうですね。
@@UNICORN-lf9ex 東武なら元町・中華街から会津田島。距離で考えるなら寄居から会津田島になりますね。前者は230kmで後者は280kmになります
急行通過の風を感じて鉄分補給してる(笑)
うちの最寄駅を取材してくれて嬉しい!こんな秘密と歴史があったとは知らなかった。楽しい動画ありがとう!!
動画まだ見れてないけど、高速道路でも通ってるのかな??
三軒茶屋〜駒沢大学のあたりは最初の東京オリンピックを前に246の拡張と玉電の移設があり、その後玉電廃止→首都高建設→新玉川線建設と15年くらいで一気に変貌したエリアですね。新玉川線は三軒茶屋から高架に出て弦巻方面を経由する案もあり、もしそうなっていたら大阪の中央線みたいな構造が見られたかもしれません。
駒沢大学綿貫さん通ってる大学ですね。
三軒茶屋駅の時にさみしくなる…。駒沢大学駅は地下で支えている縁の下の力持ちですね。
駒澤大学駅で急行通過の際ホームに佇むとお化け登場さながらである👿👻💀(新玉川線開業は1977年)
汚いし狭いし人多いし空気悪いし最悪ですよ
三軒茶屋付近は縁があって何十回も行ってたから久しぶりに見れて嬉しいあそこの首都高から降りるところが好きだったな〜
駒沢大学駅凄い構造‼️首都高速の真下驚き😂😂😂
分かる、その気持ち。
首都高速の池尻付近は慢性渋滞による橋脚の疲労破壊で亀裂が見つかった事があり補強の板を当てているので大橋JCT方面は継ぎ当てが目立つもしも橋脚が鉄では無くRCだったら本当にヤバかったかもしれない。
中央林間を遠回りにディスるなよ😡
昔三茶に住んでいた身として新玉川線(旧名)区間を出してくれたのは嬉しいです。急行通過で壁の奥にもう1本線路があるのとは別に、上り下りのホームが左右でなく上下に分かれてる桜新町も取材してほしかったです。サザエさんの街でもありますし。失礼致しました。
いつも楽しく拝見してます! ただ...日本語が気になる点が多く内容が頭に入りづらくなってきました🙇♂️ 見受けられる、 ~をしている の多用など、、、。
0:10一昔前の水天宮前よりはマシ(?)かと思います(*´-`)
5:17 1段目は首都高の入口ではなく交差点のオーバーパスですね。
首都高と並走してる国道246号は、三軒茶屋付近で渋谷方面への上り線のみオーバーパスになっていますね。上り線のみで2車線分しかないため首都高の高架の幅より狭くなっています。
2:58 草
今日も動画ありがとうございます。💙🤱❤🤱💛🤱💚🤱
いま丸の内線新宿駅の近く歩いてました?(笑)
駒沢大学と聞いて綿貫コラボを妄想した人
5:11 二重高架の上の部分は首都高速3号渋谷線という説明は合っているのですが、下の部分は三軒茶屋ランプではなく国道246号線(玉川通り)上りのオーバーパス部分ですよ。ひろきさんは東京出身でなく東京の地理に詳しくないのかもしれませんが、事前に良く調べてから編集してもらいたいものです。さらに言えば「三軒茶屋ランプ(下り出口・上り入口)」は都心方面との行き来しかできず、少し都心寄りの「池尻ランプ(下り入口・上り出口)」は用賀・東名高速方面との行き来しかできません。
駅自体、首都高を支えているのは凄いなてか駒澤大学って綿貫さんの大学ではないか
ホームの中ほどそこだけが通行許されている駒沢大学 首都高の真下 だからか
首都高の三軒茶屋出入り口はもっと渋谷側になる。三軒茶屋駅付近の二重高架の下段は玉川通り上り線の立体交差です。この立体交差のお陰で世田谷通りや茶沢通りから玉川通りへ流入するのにスムーズな流れになっています。駒澤大学駅はある事で非常に有名な駅なんだけど…ひろき氏には分かんないだろうなぁ😂😂😂
駒澤大学駅は現在改修工事中です。コンクリートに書かれた手書き数字は建設時ではなく改修工事のために最近書かれたものです。見て分からなかったですか。首都高3号線の渋谷用賀間は昭和46年開通しました。道玄坂上付近では246のアンダーパスと同時に建設され、その他の部分では首都高の基礎部建設を東急が請け負い将来の地下鉄建設の準備としたのです。多摩川線の廃止は首都高建設中の昭和44年、新玉川線の開業は昭和52年でした。
ひろきくんナレーション解りやすいよ😀😀😀😀
三軒茶屋 略して サンチャ二子玉川 略してフタタマ
フタタマって略してる人初めて見たwww
@@Romance-r5f 厳密に言いにくいんです ニコタマって にこたまがわって言わないし門前仲町をモンナカとか下北沢をシモキタとか新百合ヶ丘はシンユリとか言うのに二をフタと読むのに何故違う呼び方をするのか今だ謎
@@歌唄.フェイト-コレット 略称として定着しててみんな呼ぶからなぁフタタマはほぼ誰にも通じないからね
1:21 池尻大橋駅、私も何か橋が有るのかと思ったら、どうやら世田谷区池尻と目黒区大橋それぞれの地名をとったようですね!
大橋と言う名前の橋は近くにあります。
玉電時代に、それぞれ池尻と大橋という二つの電停があり、それを統合する名前になりました。実際今でもバス停で二つの名前が残っており、池尻大橋駅というバス停のほかに、大橋バス停も近くに存在します。
高架道路を1本の柱で支えている構造って、横揺れでマグニチュードいくつまで耐えられるのか、気になる。
1995年の兵庫県南部地震では、阪神高速神戸線で橋桁を1本の柱で支える柱の多くが、X字型の亀裂により損傷し、損傷が酷い柱は、傾いたりしていました。阪神高速の高架が、横倒しになった所は上記の亀裂による損傷が、余りにも大きかったので横倒しになった様です。尚、鉄骨製で二本の柱で支える所でも鉄骨に、亀裂が入っていた場所も有った様な気がします。耐震補強として柱を鉄板で巻き隙間に、セメント等を流し込む補強が、されていれば震度7でも倒壊しないと思います。新幹線の高架橋も同様な補強が、されています。それと耐震性は、マグニチュードで考えてはいけませんよ。マグニチュードが、小さくても震源域に近ければ揺れが、大きくなりますので建造物が損傷します。耐震性は、震度や地震波の周期等で決められる筈です。
ひろきも出たしスマホ弄りで指も出てきたし、後は可愛いお口がみたいだけ
1
昔の職場の最寄駅が三軒茶屋駅だったので懐かしいです。その頃は新玉川線でした。
高架の一階部分は三軒茶屋のオーバーパス
田都毎日使うけど東横線とかメトロの駅よりなんか、、色々古臭くてばっちい…
5:15 首都高の出入り口ではなく、交差点の立体交差する玉川通りでは??
東急新玉川線1977年4月開通
11:20 1969年に玉川線が廃止になり、新玉川線の開通は1977年。
やっぱり、そうですよね。ひろき君が言ってた、旧新玉川線区間の開通、そんな早かったっけ?と思いました。
サムネの駅壁面を見て、新玉川線だと思った。
田園都市線乗るたび不思議に思った駅は桜新町降りる前に通過する放送が入った為最初は通過する線があるのかと思ったほど後でわかった事だけどホームの外側に線路があるからホームから見えない構造になっているらしい
1969は玉電廃止の年ですね。
まさか駒沢大学駅が特殊過ぎた件は初めて知った
田園都市線の前、新玉川線開業って1977年じゃなかったっけ?
三茶の立体、一段目は首都高の入口ではなくて、R246の陸橋(上り線のみ)ですよ。
世田谷通りと平面クロスしないようになってます。
首都高の入口はもう少し渋谷寄りにあります。
風圧最高です😆🎵🎵
ひろきの動画がないと寂しい
1:05 「勾配を上って行く」 ん?下るじゃね?
三軒茶屋駅前の高架の真ん中は246と世田谷通りの立体交差ですよね
首都高入り口は池尻大橋の方にある
あの真ん中の仕切りは首都高の柱と一体になっているのですね。昔は毎日の通勤でお世話になっていた駅だったんですけど今その事を初めて知りました☺️
桜新町も特殊な構造してるよねー
もう30年近く通勤で使っているけど知らなかった😲
駒沢大学駅のこの中央壁どーんの構造は、東京メトロ東西線の木場駅を思い出します。ということは木場駅の壁も首都高の土台ってこと?w
新玉川線の開業年が間違っています。1969年は東急玉川線の廃止年です。多分、コレと間違えたんじゃないかな…❓そして、国道246号の真下に東急新玉川線が1977年に開業されました。当時、自分は通学路でした(1980年)ので存じております。あと三軒茶屋の首都高速の二段も違います。1番上は首都高速道路ですが、2段目は首都高速道路の入口ではなく、国道246号のバイパス道路です。要は、三軒茶屋の信号の交差点をスルー出来る様に渋滞を避けるべく作ったのです。首都高速3号線には三軒茶屋の出入口は御座いません❗️😂
玉川線路面電車には2連接の車両が結構いた(途中の過去写真に映っている)が、連接台車が1軸というユニーク車両であった
私が不思議に思った駅は、横浜市営地下鉄ブルーライン「関内駅」です。上りと下りで階が違うのは初めてでした。
京急の京急蒲田じゃないけど、前後の駅間の線路で対抗線路と上下に泣き別れしてるんでしょうねw
懐かしいなぁ、出身校の最寄り駅だよ。
学生時代を思い出した。
駒沢大学駅周辺はラーメンチェーンの天下一品、朝ラーメンが食べられる家系ラーメン店がある。
また大阪王将、餃子の王将、リンガーハットもあったが、立て続けに閉店した。
大阪王将に至っては渋谷の2店舗(東急ハンズ前店、渋谷駅前店)も同時期に閉店した。
韓国も一番初めの地下鉄1号線は市内の道路に沿って線路が作られました。やっぱり地価の問題があったようです。
まさか駒澤大学駅がこういう構造だったとは知らなかった。
中途半端な終着駅、私は好きです。
『孤独のグルメ』に出てくる牛煮込みの店に行くときは何気なく降りた駒沢大学駅にこんな秘密があったなんて知りませんでした。
上京して初めての最寄駅が駒沢大学駅でした。ホーム幅は狭く電車は爆音で通過、東京の地下駅はどこもこんな感じだと思ってました。
大阪の地下鉄中央線本町と堺筋本町辺りと似た構造ですね。中央線の上に建ってるのは阪神高速と一体化したセンイシティのビルですが。
3号渋谷線の起点が渋谷って初めて聞いた。
工事中だからかな。
駅が高速を支えるのとかここでしかみれないのか
京王新線の幡ヶ谷駅も地下に移す際同じような構造にしているので、首都高4号線を支えています。駅の構造は地下鉄によくある対面式ですが。
田園都市線のなかで未だに人気が高く、今後も沿線で末永く人気と不動産価値が維持される旧新玉川線区間ですが、渋谷付近〜駒沢大学付近は首都高速道路と一体建設されており、トンネル改修工事が困難といわれています。
私が大学1年のころ、S女子大と合コンをして、グループで桜新町の寮へ送っていったとき、新玉川線はピッカピカの出来たばかりの路線だったのが懐かしいです。しかしそれは1977年。開業から8年も経っている路線ではなかったですね。
桜新町の配線が瑞江によく似ている
首都高の基礎で上下線が壁でふさがれて一部にしか通路がないのは変わっている
基礎に穴を開けてしまうと強度が弱くなってしまうからやむを得ない
火災時の非常口が端にあるか、気になります。まさか一ヶ所だけとは思えないので。
他の方も書いておられますが、玉電廃止が1969年、新玉川線開通が1977年です。
さらに、玉電廃止はモータリゼーションもありますが、そもそもはモータリゼーション解決のため首都高を建設する必要があり、そのため地下鉄を建設するために廃止となりました。この辺りは史料もありますので調べてほしかったと思います。
そして、新玉川線は元々は銀座線との直通(というより銀座線の延伸)が想定されており、1964年の東京オリンピックに間に合わせる予定でしたがかなわず、さらに銀座線との直通だと輸送能力が足らないということで田園都市線との直通となった経緯があります。
駒沢オリンピック公園は1964年の東京オリンピックの会場でしたが、そもそもはプロ野球東急の球場があり、その跡地に建設されました。その前は確か陸軍の練兵場だったかな?玉電はもともとは多摩川の砂利を採集する鉄道でもありました。
できればそんな経緯と共に、銀座線の旧車庫も取り上げてくださるとうれしかったです。元沿線住民より。
昔は新玉川線って名前だったの懐かしいなぁ
新玉川線の各駅は壁の色で駅の見分けがつくようになってるんですよね😊
自転車は車道の左側を通るのが原則なので、線を引っ張ることで交通ルールを守ってもらおうとする警察の配慮が違法駐車によって邪魔されるのが現実ですね…
風圧凄いね
池尻大橋のインターの上空写真
まるで曼荼羅
地下だと風と音が凄いですよね!
以前、駒沢大学駅構内で催事をやりましたが列車が来る度に突風が来て、店の物が吹き飛ばされました。
私が初めて渋谷駅に降り立ったのは、もう随分前の事です。懐かしいですね。
初めて地下鉄銀座線に乗るのにホームを探した時、〝高架〟の上だったのを不思議に思いました。
あの頃、東急〝新玉川線〟が出来る前で、二子玉川方面への移動は路線バスだけでした。たしか渋谷駅から乗ってふたつめのバス停が〝大橋〟で、その次が〝池尻〟ですね。そのふたつのバス停のほぼ中間に新玉川線の駅を造ったので、駅名がかなり〝ベタ〟な名前になりましたね。
学生はほとんど〝駒沢公園口〟を出入りするでしょうね。駅の場所的にはバス停の〝上馬〟と〝駒沢大学〟の間、その名も〝真中〟バス停の近くだと思います。駒沢大学の正門の右側に駒沢公園があります。これは変わっていないと思います。
追伸です。
〝新玉川線〟渋谷ー二子玉川間が開業したのは、1977年4月でしたね。私は開通したその日の夕方に二子玉川から池尻大橋まで乗りました。
旧〝玉電〟は、二子玉川から駒沢大学の砧校舎のある砧本村まで支線が走っていました。私が初めて訪れた当時は、砧本村のバス停のそばに、廃止された旧玉電のホームの跡が残っていました。今でもバス停の日除けの柱には旧玉電の古いレールが使われている様です。
こんな構造になってたんですね!知りませんでした!解説わかりやすかったです!
動画を見てると床屋に行きたくなる
東急田園都市線渋谷駅も、地下の渋谷川の下に駅があるんだっけ。
この区間は、田園都市線・国道246号・首都高全てを頻繁に利用していて馴染み深い所ですが、
それらの因果関係についてこの動画を見てようやく理解できました。
ただ、田園都市線のこの区間(かつての新玉川線)は、開業は1977年ですね。
確かに、工事は首都高と一体で、玉電廃止直後の1969年から始まりましたけど。
そこは事前にちゃんと調べてほしかった。
あと、既に多くの方が指摘してますが、三軒茶屋の高架一層目は高速の出入口ではなく、
国道246号の下り線(交差点のオーバーパス用の車線)です。
この駅、8500系が走ってた頃はモーター音も響きまくって大爆音だったな...
剥き出しコンクリ壁でどことなく薄暗くて、ホームドア設置前の子供の頃にめちゃくちゃ怖かった思い出がある
その8500系も1編成しか残ってませんね…
@@cocomi_mina おぉ...まだ1編成残ってるんですね!!!
登録しました よろしくお願いします 神奈川県在住で都内や首都圏の鉄道に行き先を決めずに乗る事があります
船場は地下鉄・商業施設・高速道路が一体の構造物である。
いずれも島式ホームの大阪メトロ中央線本町駅、堺筋本町駅も真上を通る阪神高速の橋脚がホームを貫通しているためかなり幅広となっている。
基礎を共有した首都高と地下駅ですね!興味深いです!地上の所有権が地下にも及ぶので、公の構築物の地下を通すことで、用地買収などの手間が省けるのですね。
新玉川線と首都高の建設時期が重複していたから「構造物を共有」できたのですね。
新玉川線の建設時期が遅かったら、大江戸線みたいにもっと深くなっていたと思われます。
大阪メトロ堺筋本町駅(中央線)、東京メトロ東西線木場駅、千代田線国会議事堂前駅の感じ。
自分の最寄り駅を撮影してくれてありがとうございます。自分も駒沢大学駅が特殊構造だとは思いませんでした!
首都高3号線と同時に新玉川線のトンネルだけは作られたんだよね。新玉川線の開業はずっと後だけど。
トンネル掘ってる時はまだ銀座線の延伸という形で計画されたんじゃなかったっけ?
駒沢大学駅は綿貫渉さんの動画でちょくちょく出ますね。😊
ひろき氏に一種類の鉄道会社の車両を乗り継いで一番遠くに行ける鉄道会社を探してほしい
JR以外で
圧倒的近鉄じゃない??
@@一浪-v4d 東武も強そうだと思うけど(関東しか分からない)
JRを含めるとJR東日本の701系が優勝しそうですね。
@@UNICORN-lf9ex 東武なら元町・中華街から会津田島。距離で考えるなら寄居から会津田島になりますね。前者は230kmで後者は280kmになります
急行通過の風を感じて鉄分補給してる(笑)
うちの最寄駅を取材してくれて嬉しい!こんな秘密と歴史があったとは知らなかった。楽しい動画ありがとう!!
動画まだ見れてないけど、高速道路でも通ってるのかな??
三軒茶屋〜駒沢大学のあたりは最初の東京オリンピックを前に246の拡張と玉電の移設があり、その後玉電廃止→首都高建設→新玉川線建設と15年くらいで一気に変貌したエリアですね。新玉川線は三軒茶屋から高架に出て弦巻方面を経由する案もあり、もしそうなっていたら大阪の中央線みたいな構造が見られたかもしれません。
駒沢大学綿貫さん通ってる大学ですね。
三軒茶屋駅の時にさみしくなる…。駒沢大学駅は地下で支えている縁の下の力持ちですね。
駒澤大学駅で急行通過の際ホームに佇むとお化け登場さながらである👿👻💀(新玉川線開業は1977年)
汚いし狭いし人多いし空気悪いし最悪ですよ
三軒茶屋付近は縁があって何十回も行ってたから久しぶりに見れて嬉しい
あそこの首都高から降りるところが好きだったな〜
駒沢大学駅凄い構造‼️首都高速の真下驚き😂😂😂
分かる、その気持ち。
首都高速の池尻付近は慢性渋滞による橋脚の疲労破壊で亀裂が見つかった事があり補強の板を当てているので大橋JCT方面は継ぎ当てが目立つもしも橋脚が鉄では無くRCだったら本当にヤバかったかもしれない。
中央林間を遠回りにディスるなよ😡
昔三茶に住んでいた身として新玉川線(旧名)区間を出してくれたのは嬉しいです。
急行通過で壁の奥にもう1本線路があるのとは別に、
上り下りのホームが左右でなく上下に分かれてる桜新町も
取材してほしかったです。サザエさんの街でもありますし。
失礼致しました。
いつも楽しく拝見してます! ただ...日本語が気になる点が多く内容が頭に入りづらくなってきました🙇♂️ 見受けられる、 ~をしている の多用など、、、。
0:10
一昔前の水天宮前よりはマシ(?)かと思います(*´-`)
5:17 1段目は首都高の入口ではなく交差点のオーバーパスですね。
首都高と並走してる国道246号は、三軒茶屋付近で渋谷方面への上り線のみオーバーパスになっていますね。
上り線のみで2車線分しかないため首都高の高架の幅より狭くなっています。
2:58 草
今日も動画ありがとうございます。💙🤱❤🤱💛🤱💚🤱
いま丸の内線新宿駅の近く歩いてました?(笑)
駒沢大学と聞いて綿貫コラボを妄想した人
5:11 二重高架の上の部分は首都高速3号渋谷線という説明は合っているのですが、下の部分は三軒茶屋ランプではなく国道246号線(玉川通り)上りのオーバーパス部分ですよ。
ひろきさんは東京出身でなく東京の地理に詳しくないのかもしれませんが、事前に良く調べてから編集してもらいたいものです。
さらに言えば「三軒茶屋ランプ(下り出口・上り入口)」は都心方面との行き来しかできず、少し都心寄りの「池尻ランプ(下り入口・上り出口)」は用賀・東名高速方面との行き来しかできません。
駅自体、首都高を支えているのは凄いな
てか駒澤大学って綿貫さんの大学ではないか
ホームの中ほどそこだけが通行許されている駒沢大学 首都高の真下 だからか
首都高の三軒茶屋出入り口はもっと渋谷側になる。三軒茶屋駅付近の二重高架の下段は玉川通り上り線の立体交差です。この立体交差のお陰で世田谷通りや茶沢通りから玉川通りへ流入するのにスムーズな流れになっています。
駒澤大学駅はある事で非常に有名な駅なんだけど…ひろき氏には分かんないだろうなぁ😂😂😂
駒澤大学駅は現在改修工事中です。コンクリートに書かれた手書き数字は建設時ではなく改修工事のために最近書かれたものです。見て分からなかったですか。
首都高3号線の渋谷用賀間は昭和46年開通しました。道玄坂上付近では246のアンダーパスと同時に建設され、その他の部分では首都高の基礎部建設を東急が請け負い将来の地下鉄建設の準備としたのです。多摩川線の廃止は首都高建設中の昭和44年、新玉川線の開業は昭和52年でした。
ひろきくんナレーション解りやすいよ😀😀😀😀
三軒茶屋 略して サンチャ
二子玉川 略してフタタマ
フタタマって略してる人初めて見たwww
@@Romance-r5f
厳密に言いにくいんです ニコタマって
にこたまがわって言わないし
門前仲町をモンナカとか
下北沢をシモキタとか
新百合ヶ丘はシンユリとか言うのに
二をフタと読むのに何故違う
呼び方をするのか今だ謎
@@歌唄.フェイト-コレット
略称として定着しててみんな呼ぶからなぁ
フタタマはほぼ誰にも通じないからね
1:21 池尻大橋駅、私も何か橋が有るのかと思ったら、どうやら世田谷区池尻と目黒区大橋それぞれの地名をとったようですね!
大橋と言う名前の橋は近くにあります。
玉電時代に、それぞれ池尻と大橋という二つの電停があり、それを統合する名前になりました。実際今でもバス停で二つの名前が残っており、池尻大橋駅というバス停のほかに、大橋バス停も近くに存在します。
高架道路を1本の柱で支えている構造って、横揺れでマグニチュードいくつまで耐えられるのか、気になる。
1995年の兵庫県南部地震では、阪神高速神戸線で橋桁を1本の柱で支える柱の多くが、X字型の亀裂により損傷し、損傷が酷い柱は、傾いたりしていました。
阪神高速の高架が、横倒しになった所は上記の亀裂による損傷が、余りにも大きかったので横倒しになった様です。
尚、鉄骨製で二本の柱で支える所でも鉄骨に、亀裂が入っていた場所も有った様な気がします。
耐震補強として柱を鉄板で巻き隙間に、セメント等を流し込む補強が、されていれば震度7でも倒壊しないと思います。
新幹線の高架橋も同様な補強が、されています。
それと耐震性は、マグニチュードで考えてはいけませんよ。
マグニチュードが、小さくても震源域に近ければ揺れが、大きくなりますので建造物が損傷します。
耐震性は、震度や地震波の周期等で決められる筈です。
ひろきも出たしスマホ弄りで指も出てきたし、後は可愛いお口がみたいだけ
1