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徐福が記紀に載らないのが不思議ですね😊面白かったです。ありがとうございます。
物部、忌部、蘇我、そして和邇氏!藤原不比等が絡んでいると思います。今回のイリスさんの日本書紀成立の背景とも繫がる動画ですね!
@@castleman4502 さま😆😃🙂
大国主=意富比古=饒速日命。饒速日命と天火明を分けてるのも意味がありそうですね。尾張氏、海部氏、和邇氏、日子坐王。この辺りを読み解きたいです!
@@castleman4502 さま私も興味津々です😊
この辺りは難し過ぎます😅古墳だけ見ても難しい。河内王朝が何なのかも誰も解けてない😅😅
出雲直系の富家による出雲口伝によると徐福は最初に出雲に訪れ出雲王国を乗っ取ろうとしたがうまくいかず次に防御緩めの九州に渡来し佐賀に物部王国を作った都の伝承があります。饒速日は徐福だと断言されています。
コメントありがとうございます。出雲口伝だけでは私も確証は得られないので考古学的にも探しては居ます。共通点は多いですよね。
徐福のY chromosome mitochondria DNA 🧬 を探すことが大切ですね。中国の🇨🇳徐福の子孫の Y染色体を見つければ、その子孫が日本と中国でもすぐ解りますからね。
コメントありがとうございます。中国側は真面目に研究されているようですね。日本は歴史学界が通説を覆されるのを嫌いあまり研究されてないようですよね。
ハダスと 新宮には 行きましたよ 新宮だと 女の子が 中国茶で もてなしてくれましたね来ていたでしょうね日本各地の 自然食の探求は なかなか 出来るもんじゃないと おもいますよそれと 日本の 医学 養蚕 農業の 祖先神に なってるでしょうね
コメントありがとうございます。佐賀県福岡県の紀元前とその後の熊野地域の繁栄と。そこは繋がりを感じますね。
姜族は世界的認定された失われたユダヤ10氏族の1つだとか聞いた様な………
コメントありがとうございます。そうです。アミシャーブが発表してますね。王はエフライム、エフライムを支えるマナセは物部。と私は考察してますけどね🤗
@@castleman4502 1つお願いが有るのですが、私の母方の始祖は武甕槌に行き付きます私個人でも様々な資料から調査したのですが武借間命だったり物部(ニギハヤヒ?)説だったり些か困窮してる次第です祖父が存命の折、元々は御先祖は出雲王族に近しく大和側に由り天津神に記録改竄されたんだと10代の折に聞いた記憶が有りますもし御不都合で無ければ、どうか突き止めて頂けないでしょうか?明治迄は祖父の一族は意富姓だった様ですが、大正期以降戸籍法令に伴い行政令に由り武美姓に変更したとの事です
@@guitarradegato1799 コメントありがとうございます。壮大なテーマですね。ただ私も同様に探してます。その謎が天津甕星のような気はしています。古史古伝から見る限り最初の氏族は意富氏でそこから枝分かれした出雲忌部。別系統で紀氏、和邇氏、この辺りはまとめて動画にする予定です。私なりの考察であり答えは、誰にも出せないとは思いますが🤗
@@castleman4502 確かに詳細な文献が殆ど残されてませんよねぇ😅和邇氏と言えば日本最古の原始王朝、宇佐族を追い詰めて離散させた氏族ですね❗正に因幡の白兎に該当しますよね❗🤗そして大軍を率いて日本へ降り立った邇芸速日と彼の軍のアシストで再び九州~近畿の太平洋側を宇佐王国とし、鳥取辺りの山陰~東北を出雲王国と区分けしたのでしたっけ?🤔そして宇佐は月読で邇芸速日は出雲王家の長髄彦の妹を妃にした事と邇芸速日自身が天津神だったので倭国初の三氏族統一王で在り、邇芸速日こそが真の天照で元々伊勢神宮にて天照国照彦天火明櫛玉邇芸速日命として奉られて居たんですよね❗全く知らずに私は奈良県の郡山市で少年期を過ごしたのですが、初詣に良く矢田坐櫛玉彦神社へ参拝に行ったものです❗その頃は邇芸速日の存在さえ知りませんでした😅
アメノワカヒコと阿遅鉏高日子根神の動画も作ってますが、饒速日命は作られた神様で実際は天火明だけとも考えてます。古史古伝を読み解くというより考古学と古史古伝を結びつけない限り、私は解決しないと考えてます。古史古伝は読み方次第でどういう意味にも解釈出来ますから🤗
徐福とは秦の始皇帝が日本に渡来する為の仮の姿なのでは?
コメントありがとうございます。壮大な話ですね🤗
@@castleman4502 壮大でしょうか?秦の異様に短い歴史と始皇帝の謎の死。始皇帝は亡くなる前に旅をしていたとも言われています。確か徐福が日本に渡来した時期と始皇帝が死亡した時期は近かったと思います。似た様な話にシュメール文明も突如現れていつの間にか居なくなったと言われています。シュメールは滅びたのではなく名前を変えて別の場所に移動しただけだと思います。秦と徐福伝説もそれと同じだと思っています。
なるほど。面白いですね。秦を研究すると色々面白いかもしれませんね!
徐福の一団が日本に来てた場合は文字の輸入が紀元前200年頃に成ってた可能性が有りますが実際は5世紀以降ですから徐福は日本に来てないと思います。
コメントありがとうございます。長崎県の壱岐島で見つかった周という文字や徳島県にも神代文字は入ってきています。畿内説の学会が触れないようにしているだけでは無いでしょうか?
モノと書いて毛
コメントありがとうございます🤗
東南と書かれているのに、なぜ東方と?
コメントありがとうございます。どういう意味でしょうか?
@@castleman4502 史記原典には方角は東南とあるはずですが?なぜ東方と?
東方と東南。今回の話でそんなに重要でしょうか。その後の後漢書含め、東方なのでそこまで気にしてませんでしたが、魏志倭人伝の工程論のように何処に辿り着いたまでの特定は必要ないように感じています。
@@castleman4502 原典に東南と書かれているのだから、非常に重要だとおもいますが?尚、徐福の出港地は寧波だとNHKで以前放送してました。
NHKはそんなに確実な情報をお持ちなんですね。私はNHKではありませんのであしからず。
徐福が記紀に載らないのが不思議ですね😊
面白かったです。ありがとうございます。
物部、忌部、蘇我、そして和邇氏!
藤原不比等が絡んでいると思います。
今回のイリスさんの日本書紀成立の背景とも繫がる動画ですね!
@@castleman4502 さま
😆😃🙂
大国主=意富比古=饒速日命。
饒速日命と天火明を分けてるのも意味がありそうですね。尾張氏、海部氏、和邇氏、日子坐王。この辺りを読み解きたいです!
@@castleman4502 さま
私も興味津々です😊
この辺りは難し過ぎます😅
古墳だけ見ても難しい。河内王朝が何なのかも誰も解けてない😅😅
出雲直系の富家による出雲口伝によると徐福は最初に出雲に訪れ出雲王国を乗っ取ろうとしたがうまくいかず次に防御緩めの九州に渡来し佐賀に物部王国を作った都の伝承があります。饒速日は徐福だと断言されています。
コメントありがとうございます。
出雲口伝だけでは私も確証は得られないので考古学的にも探しては居ます。
共通点は多いですよね。
徐福のY chromosome mitochondria DNA 🧬 を探すことが大切ですね。中国の🇨🇳徐福の子孫の Y染色体を見つければ、その子孫が日本と中国でもすぐ解りますからね。
コメントありがとうございます。
中国側は真面目に研究されているようですね。日本は歴史学界が通説を覆されるのを嫌いあまり研究されてないようですよね。
ハダスと 新宮には 行きましたよ
新宮だと 女の子が 中国茶で もてなしてくれましたね
来ていたでしょうね
日本各地の 自然食の探求は なかなか 出来るもんじゃないと おもいますよ
それと 日本の 医学 養蚕 農業の 祖先神に なってるでしょうね
コメントありがとうございます。
佐賀県福岡県の紀元前とその後の熊野地域の繁栄と。そこは繋がりを感じますね。
姜族は世界的認定された失われたユダヤ10氏族の1つだとか聞いた様な………
コメントありがとうございます。
そうです。アミシャーブが発表してますね。王はエフライム、エフライムを支えるマナセは物部。と私は考察してますけどね🤗
@@castleman4502
1つお願いが有るのですが、私の母方の始祖は武甕槌に行き付きます
私個人でも様々な資料から調査したのですが武借間命だったり物部(ニギハヤヒ?)説だったり些か困窮してる次第です
祖父が存命の折、元々は御先祖は出雲王族に近しく大和側に由り天津神に記録改竄されたんだと10代の折に聞いた記憶が有ります
もし御不都合で無ければ、どうか突き止めて頂けないでしょうか?
明治迄は祖父の一族は意富姓だった様ですが、大正期以降戸籍法令に伴い行政令に由り武美姓に変更したとの事です
@@guitarradegato1799 コメントありがとうございます。壮大なテーマですね。
ただ私も同様に探してます。
その謎が天津甕星のような気はしています。古史古伝から見る限り最初の氏族は意富氏でそこから枝分かれした出雲忌部。別系統で紀氏、和邇氏、この辺りはまとめて動画にする予定です。私なりの考察であり答えは、誰にも出せないとは思いますが🤗
@@castleman4502
確かに詳細な文献が殆ど残されてませんよねぇ😅
和邇氏と言えば日本最古の原始王朝、宇佐族を追い詰めて離散させた氏族ですね❗
正に因幡の白兎に該当しますよね❗🤗
そして大軍を率いて日本へ降り立った邇芸速日と彼の軍のアシストで再び九州~近畿の太平洋側を宇佐王国とし、鳥取辺りの山陰~東北を出雲王国と区分けしたのでしたっけ?🤔
そして宇佐は月読で邇芸速日は出雲王家の長髄彦の妹を妃にした事と邇芸速日自身が天津神だったので倭国初の三氏族統一王で在り、邇芸速日こそが真の天照で元々伊勢神宮にて天照国照彦天火明櫛玉邇芸速日命として奉られて居たんですよね❗
全く知らずに私は奈良県の郡山市で少年期を過ごしたのですが、初詣に良く矢田坐櫛玉彦神社へ参拝に行ったものです❗
その頃は邇芸速日の存在さえ知りませんでした😅
アメノワカヒコと阿遅鉏高日子根神の動画も作ってますが、饒速日命は作られた神様で実際は天火明だけとも考えてます。古史古伝を読み解くというより考古学と古史古伝を結びつけない限り、私は解決しないと考えてます。古史古伝は読み方次第でどういう意味にも解釈出来ますから🤗
徐福とは秦の始皇帝が日本に渡来する為の仮の姿なのでは?
コメントありがとうございます。
壮大な話ですね🤗
@@castleman4502
壮大でしょうか?秦の異様に短い歴史と始皇帝の謎の死。
始皇帝は亡くなる前に旅をしていたとも言われています。
確か徐福が日本に渡来した時期と始皇帝が死亡した時期は近かったと思います。
似た様な話にシュメール文明も突如現れていつの間にか居なくなったと言われています。
シュメールは滅びたのではなく名前を変えて別の場所に移動しただけだと思います。
秦と徐福伝説もそれと同じだと思っています。
なるほど。面白いですね。秦を研究すると色々面白いかもしれませんね!
徐福の一団が日本に来てた場合は文字の輸入が紀元前200年頃に成ってた可能性が有りますが実際は5世紀以降ですから
徐福は日本に来てないと思います。
コメントありがとうございます。
長崎県の壱岐島で見つかった周という文字や徳島県にも神代文字は入ってきています。畿内説の学会が触れないようにしているだけでは無いでしょうか?
モノと書いて毛
コメントありがとうございます🤗
東南と書かれているのに、なぜ東方と?
コメントありがとうございます。どういう意味でしょうか?
@@castleman4502 史記原典には方角は東南とあるはずですが?なぜ東方と?
東方と東南。
今回の話でそんなに重要でしょうか。
その後の後漢書含め、東方なのでそこまで気にしてませんでしたが、魏志倭人伝の工程論のように何処に辿り着いたまでの特定は必要ないように感じています。
@@castleman4502 原典に東南と書かれているのだから、非常に重要だとおもいますが?
尚、徐福の出港地は寧波だとNHKで以前放送してました。
NHKはそんなに確実な情報をお持ちなんですね。
私はNHKではありませんのであしからず。