Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
今回も貴重なお話でした。ありがとうございました♪もはや全線廃線目前の留萌線ですが当時は海産物や石炭輸送で賑わったのですね。D51が羽幌線に入線できないのでD61が登場したと聞いたことがあります。同じ改造機でもD60の方が有名で活躍しました。それだけ改造しなくてもD51が入れる路線が多かったということでしょうか?
プさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。コメント嬉しいです。D51は第4動輪の軸重が15トン越えていて、さらに各動輪の軸重がアンバランスなんですね。D61はそれを13トン代に全部抑えていていますが、重量はD51より重いです。D60も同じような軸重です。ですからD60でそろえればよかったわけですが、種車D50が古くなりすぎたので、D51にしたわけです。丙線は地方に多く、D51が入れないところ多かったです。
このあたりだとスイミング教室の合宿で小平に行った事はありました。(当時は幼すぎてどこかなんて全く分からなかった)当時は活気があった頃の面影がまだ残っていて、留萌には遊園地があった記憶があります。
チーヤンさん、ご視聴頂きありがとうございます。海水浴場が一杯ありましたが、北海道の日本海側って怖くて、泳げない私は余り日本海側で海水浴したことがありません。
当時京浜東北線だった人は、今はいくつになっているのやら元々D61は9600の代わりとして改造されたが、動輪負担重量が減少することで空転が発生しやすくなった貨物も軽いから何とかなるだろうと考えられていたが、結局D51と共通運用という無意味な運用となってしまったしかし、乗り心地の良さは抜群だった不思議な機関車でしたな
電光刑事さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。京浜東北線とは何でしょうか?動画でNSKの転がり軸受けが台車にと言っていますが、従輪のロスが低く良く動くので乗り心地が良いんでしょう。
@@Yukkuri-Lab京浜東北線→路線ナンバーがJK、というわけです
あっ、そういう事ですね。私の田町がJK22で、22歳の女子高生いるわけないよなといつも頭で考えちゃっています。山手線だとJYxxなので違いますけど。
余剰と成ったD51ベースに改造去れた‼️黄色の手すりは目立つな改造数が非常に少ない為かなりレアな車両ですね🤩末長く大切に保存して欲しい所ですね🌠
塚越さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。4号機は海に近いので厚化粧なのですが、今は屋根が雪で壊れてそのままだとか。大事な個体なので心配です。
6両だったD61型が1両保存されているのは奇跡ですが20両あったD62型が全車解体は痛い所です…
よっちゃん、ご視聴頂きありがとうございます。確かに1号機を保存する計画もあったのですが、なぜか消滅して4号機になりました。保存前提だったので、最後の一両になったはずです。
留萌は通過するばかりでしたが、昭和50年代の初めはターミナル駅として側線が沢山あり、腕木式信号が林立していた記憶があります
ご視聴いただきありがとうございます。北海道の鉄道駅や設備がなくなるスピードは、やはりそこに従事している職員の退任や退職のライフプランにうまく合わせてきていたように思います。
9600の老朽化でD61が誕生した理由だったのですねしかし国鉄の無煙化、改造出来るD51が不足、軌道の重軌道化と余りにも無計画な気がします…結局9600よりも短命でお先に天に召され悲運なカマですね見た目は、従輪が2軸で足周りがミチッとして好きなカマです。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。確かにバークシャーはぎっちりしてて格好が良いですね。そうすると先台車も2軸が欲しくなります。ハドソンC60はこの点で格好良いと思っています。
D61は9600型の置き換え為にD51を改造して投入するつもりだったがD51予備車の関係で6両のみと結局運用するにしても中途半端な台数が災いして北海道の羽幌線や留萌本線と地味なロ−カル線でやるしかなかった国鉄近代化が計画される前なら各地で活躍できたかもしれないのにもったいない
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。もしD50改造のD60を止めてD61化に移行したならば、かなり活躍していたでしょう。その分D50が長生きするわけですが、どうなんでしょうかね。
北ではD61/D51南ではD50/D60が共通運用されていました。元の機関車が運用出来るのに改造は必要だったのでしょうか。深川は深名線96が牽引するスハユニ62一両だけのストーブ列車に乗車した思い出があります。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございます。D60はもっとも成功したバークシャーで全国で活躍しました。四国にもいたぐらいですからね。D61はレアだけが取り柄ですが、可愛いなって思っています。
いつも面白い動画をありがとうございます。留萌鉄道と羽幌炭鉱鉄道の位置を初めて知りました。クラウスや給水温め機無しのc58などの機関車は知ってるのにね…
832buuchanさん、いつもご支援ご視聴いただきありがとうございます。北海道の炭鉱鉄道はあれこれありましたが、歴史に埋もれてしまいました。夕張は最後まで残ったのでかなり知られていますね。
羽幌線はオロロンラインに沿いに鉄道遺構も残っていて、実際に走っていた時代はどんな感じだったのかな?と想いを馳せています。
819 manさん、ご視聴頂きありがとうございます。羽幌線遺構をめぐるのって楽しそうですが、そのまえに奥羽本線矢立峠の遺構が先かな?バイク乗っているんですね!バイクだとアクセスよさそうです。私は最近めっきりです。
すみません。D61の事は本当に知らなくて 学ばせていただきました🙇羽幌炭礦鉄道は廃止後 気動車が茨交に譲渡され マルーンに白線の羽幌炭礦カラーが以後の茨交の気動車の標準色になりました。(ひたちなか海浜鉄道で廃車後 ほしあい眼科さんが 1両買い取って待合室にしています。)最近 羽幌炭鉱のその後を動画等で観ましたが 炭住(築数年で廃棄された鉄筋コンクリート4階建てのアパート数棟)等の廃墟も所々に残るものの パチンコ屋やスーパー 映画館もあったという街そのものが消滅していて 果てしなく続く更地となり「産業が無くなるというのはこういう事か。」と驚きました。炭鉱のシンボルでもあった鉄道の社紋入りの坑内へのエレベーター塔はまだ残っているようですね。羽幌炭礦鉄道は 炭鉱の他 路線バスにスーパーや病院も経営していた羽幌のライフラインであり生活インフラでもあったそうで 野球チームも強かったそうです。天塩炭礦鉄道に限らず 運炭鉄道が自社発注した国鉄同型機は ナンバープレートが違うだけで随分と印象が異なるものですね。
トリりサービスさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。現在北海道で8か所の露天掘りの炭鉱があるそうで、名羽線の予定地は6億トンの石炭がねむっているとかいないとか。超長期の需要見込みで現在の掘削と今後の闘志を決めるわけで、石炭を使うことがサステイナブル社会に適合しないことや、コストが輸入炭より安くならないと産業としての北海道の石炭の復活は困難かと思います。従って路線の廃止も止められないのでしょうね。
留萌本線と羽幌線には、D51形を軽軸改造した蒸気機関車D61形が留萌機関区に配属されたが、わずか6両しか製造されず、残りは、D51形で固まった。石炭炭鉱の斜陽産業化で、炭鉱は、閉山。人口減少で赤字ローカル線に転落して、第一次廃止対象路線として羽幌線が廃止バス転換された。留萌本線も増毛ー留萌間の廃止を皮切りに、三年前に石狩沼田ー留萌間が廃止バス転換となった。残りの区間も来年全線廃止バス転換になる。
大坂さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。D61は留萌支区でしたが、こちらは深川機関区の管轄で、区名札は”深”でした。
@Yukkuri-Lab さん、今は亡き深川機関区留萌支区。深川機関区は、どの路線を管轄したのですか。
深川は、函館本線、留萌本線、深名線ですね。
@@Yukkuri-Lab さん、名寄本線や深名線も廃止バス転換になった。
C60などの他の2軸化改造機がシリンダー径を縮小するなどの空転対策が取られていたのに対して、D61はそういった改造がなかったのでただ空転しやすくなってしまったそうな6:21 C58とは意外ですね。自社発注でいうと9600とかは聞いたことがありますが給水加熱器がないせいでC59のようです
C56 448さん、ご視聴頂きありがとうございます。軸重が13トン台なので、同じ出力では引き出しが辛いでしょうけど、そこは加減弁、逆転機の操作でどうにでもできるんでしょうね。留萌に集結したのもそいういう意味があったのかと。
8:21『名羽線』は、「狂気の沙汰」と言われた路線です、無人地帯に鉄道を建設しょうとしたんですから..😢
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。明羽線は途中の乗客の多寡は一切無視し物資の輸送、大原野の開発だそうですね。
3:23 白帯の入った緩急車のワフ121746。珍しいですね。
確かに。ワフの事業車?白帯は初めて見ました。帯下の文字は道外禁止に見えますが。黄帯?
ご視聴頂きありがとうございます。そうなのですか?貨車は苦手で。ご教授くださいね。
KWさん、これはカラーネガなので、色は正しいと思います。
@@Yukkuri-Lab わかりました。今まで見たことのない、初めて見る貨車だと思いました。
JKがしばれる北海道の真冬に夏服にローファーなんて絶対あり得ないww 生成AIなんでしょうか。それにしてもタネ車が多かったのにミカドからバークシャーに改造された数が少ないなんて...
exp. m.k.さん、ご視聴頂きありがとうございます。疑問は疑問のままにすると夢が膨らむので。タネ車D51は動画でも言っていましたが経済活発化し人気者で回せなかったんですね。
迫力があるD61の重連は痺れるよ、あと静態保存のをレストアして動かないかなぁって妄想してしまったよ
0721さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。静態保存機、海の傍ですから、外見はともかくボロボロではないでしょうか?D61-7を作った方が早いかもしれないですね。
それだ!、それが一番の理想だよ
北海道の鉄道網はスカスカになってしまうな。本線でさえ赤字か殆どみたいだから空恐ろしい未来になってしまうのか。
五無齋さん、ご視聴頂きありがとうございます。貨物が走っている路線だと、網走・札幌・函館のルートで後は大都市周辺の近距離輸送の線路しかなくなるように動いているように思えます。
ここに映ってるJKは、今60代くらいですね😮
こどおじ46歳さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなりますかね。
女子高生の画像は・・・生きた蒸気機関車を目にしている時の魔理沙の心の中、で宜しいですか(笑自宅最寄りの静態保存蒸機、D51 118は北海道仕様の切り詰めデフと密閉式キャブを残していますが、入換えにあたって視界が遮られるのを最小限にしたかった現場の意向だったんですね。逆にC51やC53の写真を見ると、ゾウの耳のような長大型のデフが付いていたりして、あれは急客機として煙の流れを整えることを最優先とした、ということでしょうか?
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。入換でポールにつかまる掛員の安全のためにあのように切り詰めたわけです。組合主体で実施されているので、北海道だけなんですね。流石にC62やD52は入換することが無いのでそのままになっていたと言うところでしょうか。
この辺りの鉄道は石炭産業と直結していたので、閉山すると街ごと無くなってしまうようなかんじですね。留萌本線も現在、殆ど人が住んでいない地区を走っていて存在意義が無くなり全線廃止になってしまいますね。実際に乗ってみて鉄道で残すのは厳しいと感じました。D61は公園に見に行きました。せめて屋根は欲しいですね。貴重な機関車ですから。
c62c631さん、ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよね。閉山は街も鉄道も生活も一気に無くなる。長持ちさせる努力は多くが困難に直面しますね。他に産業が無い以上仕方ないでしょうが、半導体の拠点づくりには良いと思うのですが。
羽幌線が廃止バス転換された後は、人口減少と少子高齢化に歯止めがかからず、羽幌線代行バスも廃止されてしまう。
大坂さん、まぁ、代行バスが無くても困る人はいないんでしょうね。
@Yukkuri-Lab さん、相当な車社会でしょうか。一家に自家用車は二台は当たり前になったようなものでしょうか。
家族の人数分軽自動車持つ人も多いですからね。
@@Yukkuri-Lab さん、一人に1台の自家用車。
日本の数少ないバークシャー車軸配置の中の一形式元d51のd61はたったの1台しか残ってない……
留萌駅構内跡に、D613を移設して欲しいですね。🚂🚈🚊🚝🚅
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。留萌は線路が繋がっていないですから、深川駅が良いなぁと思います。いつか復活するぞ!と勇ましく見えるんじゃないかと。
今回も貴重なお話でした。ありがとうございました♪もはや全線廃線目前の留萌線ですが当時は海産物や石炭輸送で賑わったのですね。D51が羽幌線に入線できないのでD61が登場したと聞いたことがあります。同じ改造機でもD60の方が有名で活躍しました。それだけ改造しなくてもD51が入れる路線が多かったということでしょうか?
プさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。コメント嬉しいです。D51は第4動輪の軸重が15トン越えていて、さらに各動輪の軸重がアンバランスなんですね。D61はそれを13トン代に全部抑えていていますが、重量はD51より重いです。D60も同じような軸重です。ですからD60でそろえればよかったわけですが、種車D50が古くなりすぎたので、D51にしたわけです。丙線は地方に多く、D51が入れないところ多かったです。
このあたりだとスイミング教室の合宿で小平に行った事はありました。(当時は幼すぎてどこかなんて全く分からなかった)
当時は活気があった頃の面影がまだ残っていて、留萌には遊園地があった記憶があります。
チーヤンさん、ご視聴頂きありがとうございます。
海水浴場が一杯ありましたが、北海道の日本海側って怖くて、泳げない私は余り日本海側で海水浴したことがありません。
当時京浜東北線だった人は、今はいくつになっているのやら
元々D61は9600の代わりとして改造されたが、動輪負担重量が減少することで空転が発生しやすくなった
貨物も軽いから何とかなるだろうと考えられていたが、結局D51と共通運用という無意味な運用となってしまった
しかし、乗り心地の良さは抜群だった不思議な機関車でしたな
電光刑事さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
京浜東北線とは何でしょうか?
動画でNSKの転がり軸受けが台車にと言っていますが、従輪のロスが低く良く動くので乗り心地が良いんでしょう。
@@Yukkuri-Lab京浜東北線→路線ナンバーがJK、というわけです
あっ、そういう事ですね。私の田町がJK22で、22歳の女子高生いるわけないよなといつも頭で考えちゃっています。山手線だとJYxxなので違いますけど。
余剰と成ったD51ベースに改造去れた‼️
黄色の手すりは目立つな改造数が非常に少ない為かなりレアな車両ですね🤩
末長く大切に保存して欲しい所ですね🌠
塚越さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
4号機は海に近いので厚化粧なのですが、今は屋根が雪で壊れてそのままだとか。
大事な個体なので心配です。
6両だったD61型が1両保存されているのは奇跡ですが20両あったD62型が全車解体は痛い所です…
よっちゃん、ご視聴頂きありがとうございます。
確かに1号機を保存する計画もあったのですが、なぜか消滅して4号機になりました。保存前提だったので、最後の一両になったはずです。
留萌は通過するばかりでしたが、昭和50年代の初めはターミナル駅として側線が沢山あり、腕木式信号が林立していた記憶があります
ご視聴いただきありがとうございます。
北海道の鉄道駅や設備がなくなるスピードは、やはりそこに従事している職員の退任や退職のライフプランにうまく合わせてきていたように思います。
9600の老朽化でD61が誕生した理由だったのですね
しかし国鉄の無煙化、改造出来るD51が不足、軌道の重軌道化と余りにも無計画な気がします…
結局9600よりも短命でお先に天に召され悲運なカマですね
見た目は、従輪が2軸で足周りがミチッとして好きなカマです。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。
確かにバークシャーはぎっちりしてて格好が良いですね。そうすると先台車も2軸が欲しくなります。ハドソンC60はこの点で格好良いと思っています。
D61は9600型の置き換え為に
D51を改造して
投入するつもり
だったが
D51予備車の関係で
6両のみと
結局運用するにしても
中途半端な台数が
災いして
北海道の羽幌線や留萌本線と
地味なロ−カル線でやるしかなかった
国鉄近代化が
計画される前なら
各地で活躍できたかも
しれないのに
もったいない
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
もしD50改造のD60を止めてD61化に移行したならば、かなり活躍していたでしょう。
その分D50が長生きするわけですが、どうなんでしょうかね。
北ではD61/D51南ではD50/D60が共通運用されていました。元の機関車が運用出来るのに改造は必要だったのでしょうか。深川は深名線96が牽引するスハユニ62一両だけのストーブ列車に乗車した思い出があります。
k wさん、ご視聴頂きありがとうございます。
D60はもっとも成功したバークシャーで全国で活躍しました。四国にもいたぐらいですからね。D61はレアだけが取り柄ですが、可愛いなって思っています。
いつも面白い動画をありがとうございます。留萌鉄道と羽幌炭鉱鉄道の位置を初めて知りました。クラウスや給水温め機無しのc58などの機関車は知ってるのにね…
832buuchanさん、いつもご支援ご視聴いただきありがとうございます。北海道の炭鉱鉄道はあれこれありましたが、歴史に埋もれてしまいました。夕張は最後まで残ったのでかなり知られていますね。
羽幌線はオロロンラインに沿いに鉄道遺構も残っていて、実際に走っていた時代はどんな感じだったのかな?と想いを馳せています。
819 manさん、ご視聴頂きありがとうございます。羽幌線遺構をめぐるのって楽しそうですが、そのまえに奥羽本線矢立峠の遺構が先かな?バイク乗っているんですね!バイクだとアクセスよさそうです。私は最近めっきりです。
すみません。D61の事は本当に知らなくて 学ばせていただきました🙇
羽幌炭礦鉄道は廃止後 気動車が茨交に譲渡され マルーンに白線の羽幌炭礦カラーが以後の茨交の気動車の標準色になりました。(ひたちなか海浜鉄道で廃車後 ほしあい眼科さんが 1両買い取って待合室にしています。)
最近 羽幌炭鉱のその後を動画等で観ましたが 炭住(築数年で廃棄された鉄筋コンクリート4階建てのアパート数棟)等の廃墟も所々に残るものの パチンコ屋やスーパー 映画館もあったという街そのものが消滅していて 果てしなく続く更地となり「産業が無くなるというのはこういう事か。」と驚きました。炭鉱のシンボルでもあった鉄道の社紋入りの坑内へのエレベーター塔はまだ残っているようですね。
羽幌炭礦鉄道は 炭鉱の他 路線バスにスーパーや病院も経営していた羽幌のライフラインであり生活インフラでもあったそうで 野球チームも強かったそうです。
天塩炭礦鉄道に限らず 運炭鉄道が自社発注した国鉄同型機は ナンバープレートが違うだけで随分と印象が異なるものですね。
トリりサービスさん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
現在北海道で8か所の露天掘りの炭鉱があるそうで、名羽線の予定地は6億トンの石炭がねむっているとかいないとか。超長期の需要見込みで現在の掘削と今後の闘志を決めるわけで、石炭を使うことがサステイナブル社会に適合しないことや、コストが輸入炭より安くならないと産業としての北海道の石炭の復活は困難かと思います。従って路線の廃止も止められないのでしょうね。
留萌本線と羽幌線には、D51形を軽軸改造した蒸気機関車D61形が留萌機関区に配属されたが、わずか6両しか製造されず、残りは、D51形で固まった。
石炭炭鉱の斜陽産業化で、炭鉱は、閉山。人口減少で赤字ローカル線に転落して、第一次廃止対象路線として羽幌線が廃止バス転換された。
留萌本線も増毛ー留萌間の廃止を皮切りに、三年前に石狩沼田ー留萌間が廃止バス転換となった。
残りの区間も来年全線廃止バス転換になる。
大坂さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
D61は留萌支区でしたが、こちらは深川機関区の管轄で、区名札は”深”でした。
@Yukkuri-Lab さん、今は亡き深川機関区留萌支区。深川機関区は、どの路線を管轄したのですか。
深川は、函館本線、留萌本線、深名線ですね。
@@Yukkuri-Lab さん、名寄本線や深名線も廃止バス転換になった。
C60などの他の2軸化改造機がシリンダー径を縮小するなどの空転対策が取られていたのに対して、D61はそういった改造がなかったのでただ空転しやすくなってしまったそうな
6:21 C58とは意外ですね。自社発注でいうと9600とかは聞いたことがありますが
給水加熱器がないせいでC59のようです
C56 448さん、ご視聴頂きありがとうございます。
軸重が13トン台なので、同じ出力では引き出しが辛いでしょうけど、そこは加減弁、逆転機の操作でどうにでもできるんでしょうね。留萌に集結したのもそいういう意味があったのかと。
8:21
『名羽線』は、「狂気の沙汰」と言われた路線です、無人地帯に鉄道を建設しょうとしたんですから..😢
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
明羽線は途中の乗客の多寡は一切無視し物資の輸送、大原野の開発だそうですね。
3:23 白帯の入った緩急車のワフ121746。珍しいですね。
確かに。ワフの事業車?白帯は初めて見ました。帯下の文字は道外禁止に見えますが。黄帯?
ご視聴頂きありがとうございます。そうなのですか?貨車は苦手で。ご教授くださいね。
KWさん、これはカラーネガなので、色は正しいと思います。
@@Yukkuri-Lab わかりました。今まで見たことのない、初めて見る貨車だと思いました。
JKがしばれる北海道の真冬に夏服にローファーなんて絶対あり得ないww 生成AIなんでしょうか。
それにしてもタネ車が多かったのにミカドからバークシャーに改造された数が少ないなんて...
exp. m.k.さん、ご視聴頂きありがとうございます。疑問は疑問のままにすると夢が膨らむので。タネ車D51は動画でも言っていましたが経済活発化し人気者で回せなかったんですね。
迫力があるD61の重連は痺れるよ、あと静態保存のをレストアして動かないかなぁって妄想してしまったよ
0721さん、何時もご視聴頂きありがとうございます。
静態保存機、海の傍ですから、外見はともかくボロボロではないでしょうか?
D61-7を作った方が早いかもしれないですね。
それだ!、それが一番の理想だよ
北海道の鉄道網はスカスカになってしまうな。本線でさえ赤字か殆どみたいだから空恐ろしい未来になってしまうのか。
五無齋さん、ご視聴頂きありがとうございます。
貨物が走っている路線だと、網走・札幌・函館のルートで後は大都市周辺の近距離輸送の線路しかなくなるように動いているように思えます。
ここに映ってるJKは、今60代くらいですね😮
こどおじ46歳さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうなりますかね。
女子高生の画像は・・・生きた蒸気機関車を目にしている時の魔理沙の心の中、で宜しいですか(笑
自宅最寄りの静態保存蒸機、D51 118は北海道仕様の切り詰めデフと密閉式キャブを残していますが、入換えにあたって視界が遮られるのを最小限にしたかった現場の意向だったんですね。
逆にC51やC53の写真を見ると、ゾウの耳のような長大型のデフが付いていたりして、あれは急客機として煙の流れを整えることを最優先とした、ということでしょうか?
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
入換でポールにつかまる掛員の安全のためにあのように切り詰めたわけです。
組合主体で実施されているので、北海道だけなんですね。
流石にC62やD52は入換することが無いのでそのままになっていたと言うところでしょうか。
この辺りの鉄道は石炭産業と直結していたので、閉山すると街ごと無くなってしまうようなかんじですね。留萌本線も現在、殆ど人が住んでいない地区を走っていて存在意義が無くなり全線廃止になってしまいますね。実際に乗ってみて鉄道で残すのは厳しいと感じました。
D61は公園に見に行きました。せめて屋根は欲しいですね。貴重な機関車ですから。
c62c631さん、ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんですよね。閉山は街も鉄道も生活も一気に無くなる。
長持ちさせる努力は多くが困難に直面しますね。
他に産業が無い以上仕方ないでしょうが、半導体の拠点づくりには良いと思うのですが。
羽幌線が廃止バス転換された後は、人口減少と少子高齢化に歯止めがかからず、羽幌線代行バスも廃止されてしまう。
大坂さん、まぁ、代行バスが無くても困る人はいないんでしょうね。
@Yukkuri-Lab さん、相当な車社会でしょうか。
一家に自家用車は二台は当たり前になったようなものでしょうか。
家族の人数分軽自動車持つ人も多いですからね。
@@Yukkuri-Lab さん、一人に1台の自家用車。
日本の数少ないバークシャー車軸配置の中の一形式元d51のd61はたったの1台しか残ってない……
留萌駅構内跡に、D613を移設して欲しいですね。🚂🚈🚊🚝🚅
後藤さん、ご視聴頂きありがとうございます。
留萌は線路が繋がっていないですから、深川駅が良いなぁと思います。
いつか復活するぞ!と勇ましく見えるんじゃないかと。