最後の重パシフィック栄光のC59の試行錯誤 The last heavy Pacific Steam Locomotive JNR Type C59
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- Опубликовано: 15 дек 2024
- 視聴者皆様明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
C59を今回初めて取り上げるにあたり、厄介だったのは端正なスタイルと、その華麗なる活躍、そして私が最も好きな国鉄の蒸気機関車であったことで、内容が薄っぺらくなってしまうことに苦心しました。
特急列車牽引とC53の代わりという重責を担った鉄道省設計人は大変苦労したことと想像します。やはり調べていくと様々な試行錯誤があったようですが、これらはこの機関車の目的達成にはマイナーな問題だったと思っています。裏を返せば日本の機関車設計技術と生産技術ではC59が限界であったのでしょう。
梅小路のC59は状態がとても良いことと知っております。一度で良いので東海道本線を疾走する姿を見たいものです。
#蒸気機関車 #C59 #C53 #C62 #呉線 #安芸 #かもめ #特急燕 #あさかぜ
'Tornado' at Clapham Junction by Peter Trimming flic.kr/p/BYPcHK
行進曲「軍艦」 海上自衛隊東京音楽隊ホームページ (www.mod.go.jp/...
キターッ!私が国産蒸気を愛するようになったキッカケです。本編動画とは関係無い手前味噌な話ですが、呉線沿い在住だった50年前、呉線で写真を撮る人が急に目立ち始め、船舶の蒸気ボイラー技師だった父親から、珍しい機関車であること、もうすぐ無くなること、などを聞かされ興味を持ったんです。C62の迫力はスゴかったですが、さすがに甲線とは言え呉線を走る姿は威圧的に過ぎる感じで、むしろC59の造形が好きでした。D51も客レ牽いてましたし、それらを見慣れていたためか、C55・57は痩せて見えて(笑)しまい、世間で言われるほど好きではなかった、と云う生意気なガキでした。
ご視聴コメントありがとうございます。呉線の蒸気を堪能されていてとても羨ましいです。直流電化の前後の違いの大きさにとても驚いた記憶があります。
確かにC59はとてもバランス取れたスタイルですよね。SLブームの時にC57を貴婦人と呼ぶメディアが多くなってかなり?でした。それならC55だよなという感じです。
C59は軸重の関係で走るところが無くなってしまい全機用途廃止になったわけですが、どこかで見たのですが164号を亀山に持っていって参宮線に使う計画があったとか。参宮線は名古屋に近いのでその頃の線路やバラストが改良されていたのかもしれませんね。
大型蒸機の活躍を堪能されて
本当に羨ましい限りです
C59 1号機が門司港駅の
近くの九州鉄道記念館に
保存されていますが私は
現役時代を知りません…
それが心残りであります。
いやいやいや、当時まだ就学前で、そんなガキに堪能なんちゅうコトはないです(笑)
。ただ、C62が昼日中の鈍行を牽くのが日常の光景ではありましたから、C55・C57がヤセ過ぎた機関車に見えていたと云う…
ヒジョーに歪んでいましたよ(笑)。
@@Yukkuri-Lab さん
亀山に持ってこようとしたのは当時当該機の梅小路入りが決まっていたので開館までの保管場所に考えていたのが目的
結局は梅小路により近い奈良機関区に転属しました。
ちなみに参宮線ならむしろ呉線で嫌われたC62軽軸重型を投入してC57重連の単機化でしょうね。
C59形、晩年は、呉線急行列車安芸号牽引を最後に引退した。
あけましておめでとうございます!
本年も宜しくお願いします。C59は往年の鉄道ファンの方たちからは「隠れた名機」として有名な機関車ですが、登場当初はD51と同様に色々と問題のあった機体なんですね。
C59は当初4輌保存されていましたが、下関総合車輌センターの166号機は何故か突然解体されてしまったそうです…
明けましておめでとうございます。本年も当チャンネルごひいきによろしくお願いいたします。C59やC60は私の一つ世代前の方々が追っかけていた機関車だと思います。私も上野で見たことがあるかもしれませんが、記憶ありません。
呉線に行かれなかったことが今になって本当に悔やまれます。
圧縮空気でも良いので、状態よく復元してくれる保存機があると嬉しいですね。
個人的に1番美しいと思う蒸気機関車。
私も国鉄の蒸気の中で最も好きな機関車です。ながーいテンダーが魅力的です。C60は従輪部分を見なければC59と同じなので、これも好きですね。常磐線と東北本線で活躍していました。
あけましておめでとうございます!そして初めましてです。
個人的には国産蒸機で一番カッコいいと感じる(力強さとスマートさのバランスが取れている)C59ですが、
本領を発揮する機会がやってきた時には既にC62がいて、さらにはEF58や電車特急の時代もすぐそこまで来ていたというところに寂しさや悲しみを感じざるを得ない機種でもあります。
現存機も少なく困難が大きいのは承知ですが、C59が本線を走る姿を是非とも見てみたいものです。
ご視聴頂きありがとうございます。
頂きましたコメントと100%同じ意見持っています。
現存するC61も良いのですが、どうしてもテンダーの短さが気になってしまうんです。せめてC60であればといつも思っていました。
ある意味広島市民に一番なじみある機関車ですね。
子供文化科学館の横に飾られていて、
子供の頃は上に登っていました。
今考えたら落ちたら事故になりそうなこと
結構してましたね。
こちらも見ていただきありがとうございます。東京の青梅の鉄道公演も機関車によじ登れることが売りで始めましたが、今はとてもできませんね。
梅小路も登れたんじゃないかな?自己責任が当たり前の時代と今日では隔世の感があります。
かなり以前の鉄道ジャーナル誌によると、1956年11月に「特急あさかぜ」が誕生したとき、山陽と九州の牽引機はC59だったそうです。博多、東京を17時間25分で走破できたのは、九州内を本機で牽引したからこそだそうです。
ご視聴頂きありがとうございます。はやぶさのC59の写真は新しい方のC59の動画にあります。(ruclips.net/video/Ulk3_8vsN5s/видео.html)こちらにはつばめのC59も載せていますが、私の認識では共通運用が多かったと思っています。もちろん九州内はC62はありませんので、C59になりますね。
整備や出力の面でC53形蒸気機関車を上回るC59形蒸気機関車。
それでも仕事が楽になるわけではなく、能力の限界まで客車や貨車を牽引したとか。
機関士も保守整備員も「気合と根性」というか「蒸気甲組の誇り」で使いこなしていた様ですね。
ご視聴コメントありがとうございます。
C59は動画でも触れていますが、時速100kmに近くなると途端に運転席のガタが酷くなるそうです。ということはそこまではかなり余裕があるということなのでしょうね。C62が登場せず、C59だけで会ったらどうだっのか?重油専用が広まって意外とうまく運用できたかもしれないな?と思っています。亜幹線ではC61がありますから。
とにかくC59で問題児のC53を処分できたことは、保守陣は良かったと思っていたことは間違いないでしょう。
これは日本の大半の機関車に当てはまる欠点で
日本の大半の機関車は
スモールエンジンポリシーと言う想定用途に対して最小限の能力を与える小出力主義で設計されており、
気合と根性で全て誤魔化して運用する日本にはピッタリです。
逆にD52は
ラージエンジンポリシーと言う想定用途に対して多少の余裕を持った能力を持たせて将来のは用途変更にも対応し易くする大出力主義を取ってますし、アメリカの蒸気機関車が最高時速100キロ以上で3000トン級の貨物列車を楽々牽引出来たのもこの為
ちなみに電気機関車もディーゼル機関車も基本的にスモールエンジンポリシーで
ディーゼル機関車ではラージエンジンポリシーの機関車は遂に出ませんでした。
日本の機関車はほぼほぼ全ての形式で苦手な分野が2つ有ります
1つはさっき出てきた最高時速100キロ超かつ牽引トン数1000トン以上の重量高速貨物列車
もう1つは最高時速110キロ、牽引トン数500トン以上の重量高速旅客列車
です。
前者は最高時速95キロなら何とか出来てもそれ以上は重連運転でもしないと対応不可
これを単機牽引可能にしたのがラージエンジンポリシーで設計されたEF66です。
後者の場合
例えばEF58だと最高時速100キロが限界
EF65だと最高時速110キロは一応出せますが、その速度は下り勾配の直線区間で重力を利して加速した場合限定、機関車の性能上83キロ以上ではEF58にさえ劣る状況の上僅かな上り勾配でも速度がガクッと落ちる、と言う状況です。
更に一旦速度が落ちたら容易には再加速できない、と言う惨状で
日本唯一の重量高速旅客列車である東京ー九州間寝台特急牽引となると、モーターに相当な負担が掛かるので故障の原因にもなり易く
一般貨物列車牽引と言うEF66にはむしろオーバースペック(このオーバースペックはラージエンジンポリシーあるある)だったのを60.3改正で重量高速旅客列車牽引と言うEF66にとって重量高速貨物列車牽引と同等、いや、日本の電気機関車、特にEF65には超絶過酷だった仕業にも導入され、ポテンシャルの余裕と言うラージエンジンポリシーのもたらす最大の恩恵をフル活用して本領を発揮してます。
8:20 セノハチではなく本郷から河内の坂だったと思います
ご視聴いただきありがとうございます。
ご指摘は以前からいただいていました。
最近は瀬野八とは言わずに山陽本線の峠の補機として、と言う様にしています。
近所のじいちゃんが昔C59に乗ってたそうで、図鑑を持っていって解説してもらう度にとにかく釜の調子が悪い機関車だったと言われたのを覚えている。
ご視聴頂きありがとうございます。C59末期の呉線のことでしょうか?最後期は急行安芸は運用からはずされていましたところをみると、調子悪かったのかもしれませんね。でも164号はそのあと亀山に持っていく話もあったそうで(全検残りがあった)、良くわからないところですね。
@@Yukkuri-Lab そのおじいちゃんがC59の話をするときはいつもC62やC53を引き合いに出していました。
私が小学校を卒業する頃に98歳で亡くなっているので、おそらく太平洋戦争の2~3年前くらいに国鉄に入ったんだと思います。
そうですか、そのタイミングですと東海道の全盛期ですね。C59は蒸気の上がりが悪い(煙管が長い)致命的な欠点があるので、後年燃焼室を設けて煙管を短くして対応したので、そのことをおっしゃったものだと思います。
C59は
1、ボイラ天井板、特に内火室部分膨張
2、軸重バランスの悪さと従輪径過小による割損
3、ボイラ長さ過大で熱効率が極端に悪い
1、は設計以前に戦時下でロクな質の鋼板が手に入らない状況下ではどうにもならないある意味不可抗力
2、は師匠の島秀雄設計のD51同様に軸重バランスが後方に偏っており
幸い本機では全体的に軸重が大きい事でD51程の酷い空転癖は無かったものの、従輪タイヤ割損と言う別の問題を抱えてました。
3、は長過ぎるボイラの為通風が悪く燃焼がうまくいかない結果です。
後もう1つ加えるとしたら
4、個別設計の為設計上兄弟機である筈のD51とはボイラーと言うキーパーツさえ共用しておらず、製造上保守上無駄が多い
4、はC59、と言うより日本の蒸気機関車設計のほぼほぼ全てが持つ欠陥で、外国、特に米国ではボイラーは仕様をなるべく統一して複数機で共用する方法が常識です。
解決策
1、はもう終戦で鋼板の質が回復するのを待ってボイラー換装する一択
2、の内従輪径過少はドイツ式に従輪だけ電車用の大きいタイヤを採用する方法がありますが、機関車>客車>電車>気動車、と言う設計局の力関係(D51の失敗で海外追放されていた島秀雄が欧州での戦争勃発で帰国後電車設計部門に島流しされたのがその典型)でこれは行われてません。
結局2、3、4、の解決には
戦後死ぬほど余ったD51の仕掛かり品ボイラー(但しボイラー自体は強化済み)を転用する形で再設計され、長さの差をD52で成功した唯一の点である燃焼室付加で埋め合わせる、つまり当初設計通りで作られた戦後型では一応克服されています。
ちなみにC59の重油専焼改造は洞爺丸事故直後、残った洞爺丸型のボイラー換装の実験台として行われたもので、本来なら敦賀機関区のD51全機や特急牽引のC62にこそ導入すべきものでしたが、何故か1両だけになり
東海道本線全線電化後は東北本線で補機として使われましたが
専任の機関助士が1人しかいなかった上に配置区に転勤させる事も後輩育成もしなかった為殆ど使用されず、早期廃車されてます。
このカマは煙が少ないのもあって圧倒的に乗務が楽で出力もC62以上でEF58級という評価でした。
ご視聴頂きありがとうございます。詳細なご説明をいただきありがとうございます。
1.3.はまさにその通りのようですね。後年燃焼付きのボイラーに交換されたり修繕されていますね。2.について、従輪の軸重が過大なのは事実で、それに起因するタイヤの問題が多かったわけですが、φ860のサイズは近年の蒸気の先輪、従輪に共通サイズだったと認識していますが、これを大きくするのはちょっと?かなと思います。(実際に計算したわけではないですが)一方ばねの釣り合いで荷重を変えバランスはとれないでしょうか?結局対策をしなかったのは効果が期待できなかったからでしょうか?
小生浅学につき、また是非色々教えてください。
@@Yukkuri-Lab さん
従輪径変更以上に効果的なボイラー長短縮をとったようです。
後は従輪大型化ですが、より大きな直径914ミリのものが電車用にあったのですが
電車用部品を機関車に使う訳にはいかない
と言う設計側のセクション意識と
同一形式で2種類の部品が混在すると整備コストがかかる
と言う保守陣の都合
914ミリだと他の形式からの部品転用が出来ない(実際先輪や従輪の他形式での使い回しは日常茶飯事)
と言う理由で却下されてます。
補足すると、C62並みの燃焼室長が有ればもっと効果的で実際当初設計では500ミリ(戦後型)と1000ミリ(C62)の2案が有りましたが、D51の仕掛かり品ボイラーを改修転用した為、D51同様のボイラー長で取れる500ミリになってます。
ちなみに仕掛かり品ボイラーの転用がきかないD52派終戦後も製造されてますが
D51は終戦即打ち切りとなってます。
補足すると、D51そのものは戦後ソ連や台湾向けに戦争賠償名目で製造されてますが、これはC59製造中止と足回りのC62への転用で余った仕掛かり品ボイラーを活用した、と言われてます。
詳細なご説明有難うございます。後日の動画で視聴者皆様と共有させて頂きたいと思います。
C59形はC53形の後釜として誕生しましたが、その後戦争によって製造が一時中断、優等列車の運転取り止めの紆余曲折の後、戦後に製造が再開されたものの、更にC62形の登場で幹線区間を追われ、軸重の関係で長生きした車輌は極僅かでしたので、不幸な機関車だったと言えるでしょう。
晩年の呉線では自動給炭機が装備されていないにも関わらず、常磐線からの転属だった軽軸重のC62形よりも評判が良かったのは間違いないみたいです。
(軽軸重型のC62形は空転多発で乗務員から嫌われたとの事ですので)
ご視聴コメントありがとうございます。常磐線からきたC62の空転話は聞いたことがあります。音戸は定数12でC59、安芸は10でC62でしたか?それで安芸はC59に回ってこなかったとも記憶しています。C59がもう一年長生きできていたら、もっと人気が出ていたことでしょうね。
C62の空転は
通常型と同じタイミングで加速しようとしてハンドル操作を行う
乗務員の怠慢が殆どで
これを当局に指摘されるのを恐れた労働組合が指導者を吊し上げる
反マル生運動の一環でもあります。
蒸気がなくなる頃の糸崎の機関車の荒れ方は少々酷かったですから、おっしゃることがわかる気がします。
何かの本で見ましたが、C59は台枠の強度に問題があり末期には不良による廃車が続出したのこと。梅小路の164号機が最初から静態保存だったのもそのためだったとか。
ご視聴頂き有難う御座います。
C59の台枠の強度に問題があった事をお聞きしたのは初めてです。
長くて重いボイラーのバランスが悪いことによる従輪車台の負担が過大であったり、重いテンダーとの連結部分の問題を総合した話なのでしょうか?164号機は梅小路に行く前、2年以上も奈良にいましたが、当初は亀山で運用させる予定があったためとかありますから、強度問題は関係がないかもと思っております。
東北本線でも使われていた
事はあまり知られていない。しかも営業運転の北限が一ノ関ではなく盛岡だという事実はもっと知られていない。
さらに、ボイラーがダメになったC62の代わりに常磐線上野~水戸間でも1年ほど使われていた。
ご視聴頂きありがとうございます。上野に来ていたことはC59が無くなって雑誌で知りました。
コメントいただいた盛岡までというのは初めて知りました。軌道強化されたのでしょうね。
C62ボイラー交換中の助っ人ですね。
C59は軸重が前寄りで上り勾配でC62より運転しやすかったらしい。軸重軽減で従輪を2軸に増やすと発進時や上り勾配けん引時に荷重が従輪に逃げて空転しやすくなる。そのため勾配専用の4100型や4110型は従輪を設けなかったし、8620型や9600型が軸重軽いのに粘着力あるのはそういう理由だろう…
Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。
そういった理由があって瀬野八でC59が使われたのでしょうか。
@@Yukkuri-Lab
C59の前後重心位置は第2動輪より前にあります。これがC61やC62などは第2動輪より後ろにありますから上り勾配では空転しやすく大きな差になるでしょうね。
あけましておめでとうございます。霊夢さんの言う通り、瀬野八はD52のイメージがあったのでC59が瀬野八に使われていたのを初めて知りました。瀬野八を最後に訪れたのは、まだEF59が現役で活躍していた時でした。虎柄電気機関車はあまり好きではなかったのであまり記憶がないんですよね~。
明けましておめでとうございます。C59はずっと糸崎ですから特定の列車だけ補機運用していたのでしょうね。私もトラはとても嫌いで、マル生ゲバ文字よりはましですが、蒸気ではどこでも殆ど無視していました。
3:56まるで「ハリーポッター」の世界の列車。あと、重パシフィックならドイツの「01」。外国型鉄道模型で最初に購入したのがこの形式。オリエント急行牽引させたら圧巻。
ご視聴頂きありがとうございます。01を求められたのですか?私は学校でドイツ〇〇を専攻していたのですが、その理由は01が好きだったからなんですよ。
梅小路のC59、D52であったか失念しましたが、火室格子が溶解した跡がありましたよ。不気味に溶けていて?と。静態展示だけで走らせる意図はなかったんでしょうね。
ご視聴いただきありがとうございます。火室格子が溶けるというは奇妙ですね。溶けるほど高温になるのでしょうか?重油を炊くとそうなるのかも知れませんし、よほど高カロリーの石炭だったからでしょうか。
もし、足を運ばれる機会がありましたら是非ともご確認下さい。@@Yukkuri-Lab
昭和45年の8月、電化の1ヶ月半前呉線に、往復夜行の強行軍で。当日は161・162・164の3両全部が運用に。
広までの区間列車は広に転車台が無い為、あの大きなテンダーを前に上下どちらか片道は59も62もバック運転。
常磐より転入の軽量型が空転続発で重量列車に使用不可の為、59は最後まで大活躍。
62のバックは、暗くなってから広島までの戻りで最前部のデッキで堪能、今なら多分大騒ぎでしょう。
シンダで凄く汚れ、広島駅での (音戸) 待ちのホームで浮浪者扱いで列から追い出された経験が。
ご視聴頂きありがとうございます。
広には転車台なくバック運転有名でしたね。岩徳線ではC62貨物も牽引していました。
糸崎の機関車あまりきれいじゃなかった記憶がありますが。いかがでしょうか。
@@Yukkuri-Lab 様
初めての一人旅で興奮して断片的な記憶しかなく、プレートだけは光ってた気が。
瀬野八の補機ではなく、三原からの長い10パーミルの勾配で下り貨物を夜行急行列車と
平行ダイヤにする為と、鉄道ファンの連載で宇田賢吉氏が書かれてます。
お知らせいただきありがとうございます。糸崎や呉線のことは今後動画にまとめたいと思います。
蒸機の馬力は1時間に何キロ石炭を燃やせるかにかかってますからストーカの有無は重要なファクターだと思います。C60よりC61が重宝がられたのはそこでしょう。
ご視聴頂きありがとうございます。ストーカーの有無がC61が重用された理由だということは証言も多いので間違いないでしょう。
その後蒸気の運転区間が短くなり、優等列車牽引から外れてくると、ストーカーはあまり意味が無かったと私は思っています。
日豊本線のC61の乗務員さんに聞いたときはほとんど使わない由。
ですから晩年の昭和45年になぜC61がC60を奥羽本線から駆逐したのかは重量ではなかったかと思います。
特に若手は好んだそうですね。
逆に年配の人や車掌サイドは
シンダが多い
とC61よりC60を好んだそうです。
もう1つは食堂車が冷房付の車両に置き換えられたのもあります。
これがどう影響するのか、と言うと列車重量が冷房装置だけ増えるのは勿論
それ以上にストーカーは石炭を砕いて送り込む特性上、シンダと言う灰が多くなるのは避けられず(東海道本線の特急がストーカーをあまり使わなかった理由)、特に夏場は窓を開放した食堂車車内にこのシンダが舞い込んで料理がシンダ塗れになってクレームが殺到したためサービス上使えなかったのが
オシ17やオシ16の増備が進んだ事とマシ35や東海道山陽本線の特急用に使われていた冷房付食堂車が回って来てシンダ問題がある程度解決した(それでも厨房までは回らず侵入はあったようで宇都宮照信氏「食堂車乗務員物語」にもその描写は有ります)事がC60→C61化の原因でもあります。
実のところ、C59形は設計段階でD52形に採用された燃焼室を設置する予定であった
ところが、燃焼室はアメリカ式の構造だったため、敵性技術の導入に難色を示したことから出力強化のために煙管長を長くした
これはドイツ系の技術導入だったのだが、結果としてモデルにしたドイツ系機関車と同じ問題を抱えてしまった
この辺りのネタはきかんしゃトーマスでもヘンリーでやっており、ヘンリーは質の良い石炭を使用することで解決しました
結果的にC59形は戦後製から燃焼室を設置するようになりました
これ以外にもC59形は過熱管の変更や重油専燃機などバリエーションが多いことで有名です
ご視聴頂きありがとうございます。
今回C59を取り上げるにあたり様々な古い書籍を読んだのですが、表題の試行錯誤がふさわしい開発だったと思いました。しかし書籍の巻頭を飾るなど当時の期待の高さは相当だったと理解しました。
燃焼室も採用不採用で米国技術導入に難色という説明はなかった(戦時中、戦前の資料なので当然でしょう)ので、いただいたコメントは腑に落ちました。
重油炊きは有名ですね。
戦時中、C59とC53、D51で比較試験したら、最新鋭のC59が一番ボイラー効率が低いという結果が出たそうですね。
そのせいか、あるいはD52の事前テストか、1943年に79·80が燃焼室付きで製造されたとか。
戦後形はもちろん、戦前形の一部も戦後に内火室改修と同時に燃焼室付加工事を受けた由。
敵性技術云々よりむしろ保守側の意見が割れたと言う面が大きいですね。
実際古い人間は燃焼室導入には敵性技術等と言って猛反対
若手からは煙管火室側の傷みが軽減されて点検が楽になるから賛成
だったそうで、
陸軍での二式戦闘機「鍾馗」の評価で佐官級以上の古参程嫌う一方、若手士官や下士官にはむしろ好評だった
と言うものに通じてます
燃焼室取り付け前後の比較で決着がついたのでしょうね。
ところで鍾馗のお話が出てきましたが、私が鍾馗が好きなのご存知だったのですか?
@@Yukkuri-Lab さん
知ってはいましたが、取り上げたのは偶然です、
煙管を通るガスは火室から離れるほど温度が下がって煙室近くでは伝熱が小さいので、
蒸発力を稼ぐの為に煙管を延ばしてもあまり意味がないんですよね。
それどころか煙管を延ばすと延ばした分だけ通風力下がっちゃいますし。
ご視聴頂きありがとうございます。頂いたコメントの通りです。それはわかっていたようです。でも長くしたのは従輪荷重を低く、重心を前に持ってきたかったというのが私の調べた結論ですが、動画では触れていませんが、燃焼室+5.5m煙管でも従輪荷重高くて破損がきわめて多い癖があったようです。C60で従輪を加えましたが、粘着力低くなっても牽引力の低下はさほど招かなかった、それならC60は素晴らしいじゃないか?と思いましたが、現実は嫌われたようです。それがストーカーが無いためのようです。
ドイツ国鉄DRGのワグナーの理論では燃焼室いらねー、長煙管上等で設計していたら(ry
C59 127 was an oil burner and should have been preserved because it was the only oil burning Japanese steam locomotive. But we can obviously make other steamers in Japan run on oil. Or maybe bio fuel to lower emissions.
Thank you for watching my video. Oil burning itself is not a new system. Many steam locomotives used hybrid Coal & Oil burn in Japan. And Japan there were plenty of coal mines available during steam locomotive era. But no oil.
@@Yukkuri-Lab your welcome!
日本は狭軌を採用するにしても、南アフリカのように大きな軸重に対応可能にしなったのが悔やまれますね。
広軌化を断念するなら、重軌道化するという概念は無かったのでしょうか…
鉄道模型大好きおじさん、海外行くと線路のレールの太さ・大きさに驚きます。資源がない国で鉄は貴重だったので、東海道・山陽はともかく戦後まで計画にもなかったでしょう。
狭軌を押し通した原敬さんには先見の明が無かったのかもしれませんね。
軍用列車を走らせるなら尚更重軌道化は必要だというのに。
そうですね。海上コンテナも乗せられないのですよね。
明けましておめでとうございます、C59と言うと、「あき」「E形、79、80」ですね。
(あの、切手ですね。)
あけましておめでとうございます。ご視聴頂きありがとうございます。動画では使いましたが個人的にはC59の安芸はイメージ的にあっていません。それは九州のブルトレのイメージです。
@@Yukkuri-Lab さん、子供の頃よく、📖に「あき」の写真が掲載されてたからなぁ~。
そうです!その切手です。先日コメントいただき折角なので登場させることにしました。
@@小樽築港機関区 さん
但しあきの牽引はイベントや間合い運転で数回程度
実際にはC62牽引だったそうです。
C59はむしろ音戸牽引がメイン
ほんとにヤカンが走ってる、そうそう早い、まあ80キロだけど、客車内は、コールタールピッチで目がツンツン シンダーがグリスのように服につき
涙目、
c57四次型とc59の違いってなんですか?
ご視聴頂きありがとうございます。
確かに似てますよね。ボイラーの出力が違います。C59はテンダーが長くて大きいですね。
その他たくさんありますよ!
C591号機は、門司港駅の九州鉄道記念館に保存されている。
C59164号機は、京都鉄道博物館に静態保存されている。
東海道山陽本線の寝台特急を牽引した。
九州では、さくら、はやぶさ、みずほと言ったブルートレインだ。
ちなみに、博多行寝台特急あさかぜは、交流電気機関車ED72形とED73形。
ご視聴頂きありがとうございす。C59は近々再登場させようと思います。その時は呉線かなぁ?と考えています。
「バランスの取れたスタイルのC59」という話を、聞いたりしたりするたびに、SLを芸能人(有名人)にたとえたら………。🙄
などと、ついつい妄想してしまいます。😂💦
ムチムチのC62は〇〇、均整の取れたC59は□□、スリムなC57は△△、などなど、………。🧐
まぁ、今のご時世なので、具体例を出すことは控えます。😅💦
ご視聴頂きありがとうございます。機関車の妄想面白いですねえ。でも私は機関車は♂と考える方なので。でもC62は前から望遠で見るとマッチョですねー。ドーピングした柔道選手みたいな。
@@Yukkuri-Lab 様、
返信ありがとうございます。
しょうもない妄想でスミマセン。😂💦
ですがなぜか、こういう妄想が浮かんでくるのはSLだけなんですよね。😓
「SLは人間に一番近い機械」という表現に、妙に納得してしまいます。😅
おっしゃる通りですねぇ。
広島の保存機はかなしい位ボロボロだったな。
ご視聴ありがとうございました。広島の151号機ですね。Web見ると保存状態は良いとありますが、ファンの目からは状態悪いのですね。
残念な事です。屋根はつけて欲しいものです。