超特急燕牽引C53の凋落とC59の登場~Super Express TSUBAME hauled by 3 Cylinder Pacific C53 and its successor C59
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- Опубликовано: 8 фев 2025
- 戦前の超特急燕はC51が東京駅牽引で始まりましたが、昭和9年丹那トンネル完成後は沼津からC53の牽引に代わりました。これら東海道の優等列車を安全に速くC53に走らせるために浜松、名古屋、梅小路等の機関区は全力で保守点検にあたりました。これまでの動画でも説明いたしましたが、グレズリー弁構造を持つ3シリンダーのC53は、保守部門に多大な負担をかけ続けきわどい運行をしていたのです。そこに登場したのが2気筒というコンベンショナルな基本構造を持ち、かつC53を駆逐できる性能を持つパシフィックの王者C59でした。
今回はC53の最も華やかな時代を貴重なカットを交えて解説し、C59の登場でどのように消え去って行ったのかを解説しています。
その中で唯一華麗な流線形改造を施された43号機が登場し、C53全廃後に鷹取工場で動態復元された45号機の姿も紹介しています。
これまでC53のネガばかり主張していましたが、今回は古い京都を舞台にその華やかな部分をクローズアップしました。
※京都駅の古典機は8550の様です。そうなるとWikiを読むとボールドウィンではなくスケネクタディ(後年のALCO)ということになります。
※修正:皇紀2500年は2600年の間違いですのでお詫びして訂正いたします。申し訳ございません。
※訂正:C53-43の燕の次位の合造車スハニ35とお伝えしましたが、形式スハニ31(旧形式スハニ35700)です。丸屋根ですのでスハニ31 21~36と視聴者様より教えて頂きました。
#蒸気機関車 #C53 #C59 #梅小路 #京都弁 #浜松弁 #遠州弁 #グレズリー弁
#つばめ #超特急 #旧型客車 #展望車
EPIC Steam Locomotive Wheel Slip • EPIC Steam Locomotive ...
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デフ無しのC53のなんと美しい事、キャブの窓の大きさなど独特な雰囲気、太めのボイラーにスポーク動輪、斜め後ろからの姿惚れ惚れします。
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございます。デフ無しだとメカメカしたスタイルが際立ちますね。梅小路でも頻繁に外に出して欲しいです。
C53形はスタイルの良さと高性能を誇りましたが、運転が難しく保守に不便だった為に短命に終わり、C59形は戦後のGHQの介入によってその座をC62形に追われる事になりました。
C53形とC59形の共通点は「不遇」だと言えるでしょう。
今回も興味津々な動画配信、ありがとうございます。
特急日本海さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。C59は晩年は不運でしたが、C62が登場するまでは華やかだったですね。さきの108号機みたいに信頼性が高い機関車だったのですね。それにしてもC53は写真集めが大変です。京都のつばめの流線形をお借り出来て今回C53をやることができました。
年初のC59動画第一弾から見始めて、つばめ顔負けのスピードの一年でした。
流線型43号機の存在感、一時復活45号機の優雅さをお目にかかれるとは、主様にも写真提供いただいた方にも感謝であります。
成田さん、いつもご支援、ご視聴頂きありがとうございます。
来週は31日が土曜日なので今年最後のアップをしようと思いますので、また見てくださいね。
C53の流線形は素晴らしいC55よりさらに迫力がある感じですね。一輌しかないという点もポイント高いです。
C53カバーを被せた流線型が当時としては最速のデザインでしたね。
つばめや富士の牽引は印象的でした。
貴重な資料集め編集有難う御座います。
塚越さん、ご視聴頂きありがとうございます。
C53の流線形のほうがC55のそれにくらべて迫力あると思います。
あまり見かけないからかもしれませんが。夏にはスノープロー外しているのを今回気がつきました。
C53という難しい機種を取上げて頂き有難うございます。
私の知人だった方がC53に大変関心を持っていて実際に生で写真を撮っていたそうで、私も1枚戴きました。プレスアイゼンバ-ン社が発刊したC53にも使われたそうです。一度は3気筒のドラフト音を生で聞いてみたかったです。
尚、4:40辺りの客車はスハニ35ではなくスハニ32だと思われます。
藤村さん、ご視聴頂きありがとうございます。つばめの後ろの合造車ですが、実際の資料ではスハニ35のはずです。でもWebで燕のスハフ35の模型を見ると窓がちがうんですよね。一方著名な方のC53燕の写真を見ると今回の合造車でした。
整備性とか運用方法とか、素人にはどれも同じに見えていた蒸気機関車の特徴が分かりやすく、大変面白かった。
方言も、なんだか地域差よりもむしろ時代を感じられてよかった。
深く依存→大きく依存
2500年→2600年(昭和15年=皇紀2600年)
細かなところが却って気になりました。
草莽さん、ご視聴頂きありがとうございます。あっ、エラーですね。コメント欄で修正入れます。お知らせありがとうございます。
昔近所に住んでいた元国鉄でC51 C53 C59 等々を操っていた運転士さん(故人)から伺った話。
確かにC53の保守整備は大変で、本調子の釜は少なかったが、調子の良い時にはC59よりパワーを感じた由。
特に加減弁オフの巡航状態から再加速に入った時の、速度の伸び感がなんとも言えなく爽快だったそうです。
C59は扱いやすかったが、意外と乗り心地が悪くて運転していて疲れたとも。 多くの機関車を運転したが、特に
印象に残っているのが、総てにバランスが良くて運転し易くデザインも優れていたC51と、引き出しでの空転が少なく
て故障も少なかったD50 そして何かと手の掛かる奴だったが、高速域が爽快だったC53との事でした。
私はC51 C53 C55 9600 D50 DF50 EF58が大好きです。(笑)
mimichannnopapa さん、ご視聴頂きありがとうございます。楽しいお話聞けて嬉しいです。C 53が本調子だととんでもない速度が出たとか、高速域での乗り心地良く快適だったという話と合致しますね。一方C59も同じで高速域ではキックバックの振動が酷くてそれ以上速度を出せような気分になれないとか。重量バランスが悪いのです。従輪を増やしたC60は改善されたようです。
私の好みと似ていますね!C59/C62/C55/C51/D50/C53かな。非蒸気だとDF50/EF58です。C59にはC60も含みます。凸の機関車はとても苦手です。
よくお調べになっていますね。勉強になりました。ありがとうございます。
akioさん、いつもご支援ご指摘ありがとうございます。資料があれこれあってアップ直後に間違いあったり訂正コメント出したり冷や汗ものです。
@@Yukkuri-Lab さん いえいえ、いつも勉強させていただいています。ありがたく感謝申し上げます。
流線形の右後方からの写真は初めて見ました。本当に暑そう・・・
Homareさん、ご視聴頂きありがとうございます。
前から見るより、後方からみたほうがド迫力でした。
C53の模型を眺めていると、当時の人々が目指した近現代文化の1ページなのだと感じます。スリーシリンダに挑戦した事実は素晴らしいと思います。この機関車が牽引する優等列車は本当に日本の鉄道が得た誇りに違いないです。私の母が昭和15年にマイテ展望車に乗り、下関より東京まで往復の旅をしています。
聞けば、マイテ車内は絢爛な装飾と着飾った乗客が優雅に談笑する場所だったと。今は昔ですが、鉄道に乗客サービスと事業へのプライドが無くなったら終焉です。
HMS HOODさん、ご視聴頂きありがとうございます。私がメカニズムの面でC 53の嫌いなところは、C52のデッドコピー(ロイヤリティ支払ったのかどうか不明)で形だけ合わせれば、あとは現場におまかせにしてしまったところ。S氏が若かったからな?
C53-45の走行音を録音したものを聴いたことあります!!
あれを聴いたとき、
へぇー、3つのシリンダーの音が均等じゃないんだー!!
と驚いていましたが、あれ、調整がうまくいってない不整脈みたいな状態だったんですね😅笑
wideviewODORIKO.002さん、ご視聴頂きありがとうございます。
わたしも聞いたことがあります。ですからC53の動画ではいつも鷹取の復活機のシリンダーは調整が出来ていないと思うと言っています。最新の動画、C53三気筒の再評価ではしっかり整備されている英国のA3の音が聞こえますので、是非ご視聴ください。
C5345の復活運転は鉄道90周年の記念行事でしたね。酷使の為か動輪の磨耗が酷くて足元が華奢に見えます。
また鉄道100年は梅小路の開設もあり華やかなイメージがありました。
それに引き換え150年は寂しいかぎりでしたね。
トミヤマさん、ご視聴頂きありがとうございます。タイヤは確かにペラペラですね。
150周年ではC62の3号機に火が入って汽笛でも鳴らしてくれるかと期待しました。
蒸気関係は何もなかったですね。
煙突の蓋って「静態保存機に雨水が入らない様にするため」だと思ってました。
「アイドル時にボイラーが冷えないため」っていう現役時代から理由があったんですね。
C53については「新型機だから嬉しい」と「整備の問題児」の意見が二分しますね。
『燕』についても
名古屋「俺たちはC53に慣れているし、使いこなす自信がある」
東京「不慣れな3シリンダより、実績も信頼性もある2シリンダのC51が良い」
で、結局は名古屋が折れてC51使用になったり。(C53は御殿場の峠越えに使用)
C59になっても、「性能も信頼性も上がって楽ができる」なんてことはなく、
「性能が上がった分、その性能に見合うだけの運行とする」で、
機関士&機関助士は過酷な労働には変わりなかったとかなんとか。
seijiro@FTO.DE2Aさん、ご視聴頂きありがとうございます。煙突の蓋ですが、動画の蓋は中が小さく穴が開いているのですよ。
燕は沼津電化でC53に代わったんですね。C59はストーカが無かったのがその後のC60をふくめて残念でした。構造的にストーカー付けられないと聞いたことがあります。
もっとも、C62の1号機はC59のテンダーで登場し、その後ストーカー付きテンダーになっています。C62のキャブはストーカーの分高いので中がC59より狭いようです。
蓋は夜扇形庫で休める際火床の燃焼を抑えるためのもので中央に穴が空いています
43号機はスタイリッシュでありながら無骨な感じがたまらなくカッコイイ〜
0721さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。斜め後ろの流線形の姿はど迫力あります。
迫力感がたまらなくいいよね〜
魔理沙さん霊夢さんこんばんは!C53型はたしかちょうとっ燕誕生したときに国府津から御殿場まで後部補機にも使われていましたね!途中走行中に切り離しが行われたそうです。試運転では走行中にC53型を連絡するようなことも行われていたそうですがさすがに危険だから国府津に30秒停車させたそうです。当時は、機関車の後ろに水槽車も連結されていましたね!
もりわきさん、ご視聴頂きありがとうございます。
下りは国府津で補機のC53を連結、御殿場通過中に解放。勿論本向きはC51でした。京急の増結車の連結もかなり速くてびっくりします。
毎回詳細な解説有難う御座います。ただ、気になった点が幾つか…
0:33からの京都駅の画像、おそらくモノクロ写真へのデジタル加工によるカラー化かと思われますが1936/昭和11年ならまだ客車の3等車(普通車)にも赤帯があった時代(赤帯廃止は1940/昭和15年頃)。背後の客車(Wルーフと700㎜3連窓からオハ31辺りと推測)に赤帯が見えないのが気になります。
また4:22からの、C5343号機次位の3等荷物合造車はスハニ35ではなくスハニ31では?スハニ35はスハ44・スハフ43と同系統の3等荷物合造車です。スハ32の緩急車はスハフ32で荷物合造車はスハニ31、然しオハ35の緩急車はオハフ33で荷物合造車はスハニ32、スハニ30だとオハ31の荷物合造車で緩急車はオハフ30…在来一般型(旧型)客車には[~系]と言う概念が無く登場順に形式附番しているので形式と形態が必ずしも一致しないのがややこしいところで[沼]になる一因です。
SuperExpressJNRさん、ご視聴頂きありがとうございます。赤帯ですがオリジナルにもありませんのでブドウ一号で色を入れています。多分解像度が悪いことと、日が照っているから飛んでしまったのかもしれません。
スハニ35ですが、模型のお店の情報の車両と写真が違っていました。別の有名な方の写真は今回動画と同じ車両でした。そしてこの道の著名な方の資料で燕はスハニ35とあったので、妙だなと思いながらも従ったわけです。
いつも色々教えていただきありがとうございます。
C53の弁装置は設計自体に欠陥があるとあって、いくら調整しても調整しきれなかったでしょうね。あの展示模型がきちんと修理されていないのは本当にもどかしいです…。
abbk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。あの展示模型いい加減に調整してほしいですね。グレズリー弁は満鉄から中国国鉄まで使い続けられたので、構造的な問題ではないんですね。
模型の映像見たらガッタガタで第三シリンダー殆ど動いてなくて草ですわw
C53とC59の意外な一面!
面白いですね!
和鉄さん、ご視聴頂きありがとうございます。C53はスタイル的にはとても挑戦的ですきなんですが、走りの部分ではかなりの問題児です。趣味的にはそういうところがあるのでとても興味深くネタに困らないですが、肝心の写真が圧倒的に少なくて苦労します。
@@Yukkuri-Lab さん
たしかC53は島秀雄さんが若い頃に設計した機関車らしいです!
そうなんですよ。だから批判も盛り上がっちゃうんですね。
いつも面白い動画をありがとうございます。小学校6年生の時にテレビの企画で「都会の小学生、蒸気機関車に初めて乗る」と言うので京都から園部までc57牽引の機関車に乗せてもらいました。
その時に蒸気機関車の絵を描いて持参する事になり、描いたのがc53デフ付きでした。大好きだったんですね。TVクルーには全く無視されましたけど(笑)
そう言えば戦前型の6m煙管ボイラーを燃焼室付きに改造(もしくは新製して載せ替え)たのは1号機含めて少数だったと聞きます。一次資料が無いので真偽はわかりません。c60に戦前型が優先して改造されたのもその辺りが原因とも。
832buuchanさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。面白い企画に参加されたのですね!昭和45、6年でしょうか。東京近郊だと上野の総武線のC57の客レが無くなっていたので、新幹線のある京都が一番スムースだったのでしょうね。
C59の燃焼室ですが、確か九州に保存している1号機はオリジナルのままだったと思います。
ずっと前のトヨタ自動車の広告に特急つばめとの競争場面があったが戦前はC53、戦後はC59が牽いていた。C53は流線型があり、C59は重油専用機があったし違う色に塗り替えたのもあった。C51みたいに色々実験台にされたらしい
@skt8212さん、ご視聴ありがとうございます。その様な広告あったのですね。さすが販売のトヨタですね。C59色違いは見たことありません、見た人も知らないんですね。
「燕」の客車ですが、昭和11年当時は、1号車はスハニ31、続く3等車はスハ32、食堂車はスシ37か冷房試用車マシ38、2等車はスロ34、1等展望車はスイテ48とスイテ47(スイテ38から1両改造)ですよ。
作中に出てきたC5915は、戦後、米原電化までの間、名古屋機関区における東海道線お召し本務指定機でした。
あと、タイトル画像右半分のC59は90号機でしょうか?
春葛さん、ご視聴頂きありがとうございます。私の引用した資料と違いますね。貴殿の情報が正しいと思います。著名な方の燕の写真と今回動画の合造車が一致したこと、模型屋さんのスハニ35をみてあれ?違うなと思いましたが、昭和9年のC53牽引時の引用資料を正としました。
はい、某データベースで調べまして存じておりました。タイトルのC59は38号機です。
オリジナル写真のナンバーのブレが酷く判別できなかったのですが、ブレを消すソフトで38号と分かりました。
c5345の写真は鷹取機関区に沢山ありました。大変でしょうがまた復活してほしいです。タイヤ交換も含めて😀その時はデフ無しで。
ミーくんさん、ご視聴頂きありがとうございます。あのバブルの時代が蒸気(D51,C62)を動態復活させたエネルギーだったですね。もう一度そのような時代が来るとか、過去の産業遺産が脚光を浴びるような時代が来るとC 53を復活させようという気運が盛り上げるかもしれません。
鉄道150年で、C53の復活があればよかったのに....。3拍子のドラフト音を聞いてみたいですね......。
鉄道100年の時は引いてしまうこともありましたが、その盛り上がりは凄かったし、JR誕生の時もかなりでした。そんな時150年はさぞかしすごいだろうなぁと思ったものでした。現実は鉄道は新幹線以外凋落の一途でまさにこんなだとは思わなかったです。
C53型が登場した小説
黄金機関車を狙えは
結構面白かったです。
さすらいのアルバトロス さん、ご視聴頂きありがとうございます。
教えていただきありがとうございます。調べて読むようにしますね。
@@Yukkuri-Lab さんへ
著者は日下圭介氏です。
平成初期に新潮文庫で
買って読みました。
アマゾンで早速発注しました。53円でした。ありがとうございます。
C59ありがとうございます
C53は誕生時から不遇な機関車だった気がします
矢嶋さん、ご視聴頂きありがとうございます。
C59は前に出した108号の写真を越えるものが、なかなかなくて。新しい機関車なのですが、関東にあまり縁が無く呉線がほとんどなのでうまく行かないですね。
C53は完全にお手上げです。戦時中は機関区の写真もほとんど限られた写真家しか許されていないのですね。
@@Yukkuri-Lab C53はやっぱ不遇ですね…変に改悪されて生まれてきたと思えば故障多発、残ったのは一両だけ…動くことができないのも含めて不遇ですね…
今回は色々な角度からの流線形が楽しめましたな
Ⅽ53のグレズリーは国産の模造品で欠陥品という悪評もありますが、本来軸重20トン相当の標準軌でしか使えないようなものを、日本の軸重15トンの狭軌で採用するという、革新的技術の産物でもあります
Ⅽ59にしても、当時の最新技術がふんだんに盛り込まれた技術向上の証といえますし
ただ、そうした最新技術の導入が、必ずしもうまくいくわけではないという実例でもありますな
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。グレズリー弁はコピーであることは間違いなく、この辺りの批判は前回のC53動画でやったので、今回はC53を持ち上げる内容にしました。私はこの独創的なスタイルが大好きなんです。
@@Yukkuri-Lab そのあたりの批判は一通り見ましたが、この技術の高さを評しているのはあまり見ませんでした
まあ、中国でミカイを長く運用していたので、ちゃんと作れば構造的な問題はなかった証拠とする意見もありましたが、個人的には多少問題があっても、それに代わる新しい技術の開発ができなかったので、使い続けるしかなかったのだと考えております
3気筒を日本の技術としてモノにしたかったのでしょうね。私はC52の輸入の継続でよかったんじゃなかったのか?と思ってます。
@@Yukkuri-Lab まあ、日本はそうやって積極的に海外の最新技術を散りこんできましたからね
One of the c59's ran off of oil as an experiment (c59 127) which would be normal for a steam locomotive on the west coast, most of the Midwest and some of the south.
JNR suspended the use of #127 due to higher cost of the oil and difficulties of driver's training.
難しい題材に取り組んでいただいてありがとうございます.島氏への忖度とその反動もあり,結局よく分からない状況のなか,C59は復活運転もされていたのですね.だとすると,名機ではないとしても「とりあえず動く機関車」ではあったということなのでしょうね.そこまで持っていくのがとても難しかった,ということで.
Yabusame Runnerさん、ご視聴頂きありがとうございました。C53ですね。復活運転は当時の技師や機関士さん達が健在であり調整ができた事がキーですね。
経験とかんで動かす機械の蒸気は大変ですね。梅小路のC53は動くこと残念ですがはないでしょうね。
ありがごとうございます.そうですね.C53です.
国産化した牽引力アップのための3シリンダー型であるC53は保守が大変だったという話を聞きました。当時、3シリンダー型製造にチャレンジしたことは凄いことだと思いますが、その後つくられなくなってしまった。東海道、山陽線で特急、急行列車を主に牽引するために100両近くが造られましたが、当時、世界的な流線型ブームがあったとしても、100㎞/hほどで流線型のものは放熱性のみがまずかったと思います。当時のいろんな流線形車両を見るとなんか笑ってしまうのです。
ご視聴頂きありがとうございます。
C53は国産機ですが、その実はアルコのパクリで、保守があまりにも大変だったのは、上手く設計製造できなかったからですね。
流線形自体は理に叶うものだったと思っています。子供達に大人気だっただけでも正解だったと思います。
流線型は後ろから見ても999の幽霊列車みたいだ……
kaedeさん、ご視聴頂きありがとうございます。斜め後ろの姿が迫力あっていいですね。
3シリンダー機は欧米でも主流にはなり得なかった。狭軌の日本では整備性も含め実用には手間もかかるのでその後2シリンダーになったのは仕方ないことですよ。
Mr. Yattsunさん、グレズリー弁は欧米では主流だったと思っています。一時なんですが。高性能・高出力を極めると3シリンダーしかオプションが無かったです。満鉄ミカニはALCOのライセンス生産を汽車会社でもやりましたが、結局1980年代まで生き永らえていたので、標準軌ということも設計に余裕があるので有利だったのかもしれませんが、C53は根本的に設計的にまずかったと思います。
フランスに至っては普通に4シリンダーを使いこなしていたようですよ。
多気筒って、車もそうですけど高出力化に適しているんですね。
@@快舟普通(フランス基準)だったようでなんと1日の走破距離は戦前から戦後まで平均80㎞未満とフランス自身が4シリンダーは時代遅れと認めざるをえなかった
日本が明治時代に100㎞を超えてどんどん飛距離を伸ばしているのとは対照的
3シリンダー形式は日本のカーブが多くゲージの狭い鉄道にはあわなかった為にC53は不運なヒロインでしたね、満鉄なら良かったのに。
芋谷宏さん、ご視聴ありがとうございます。
設計アプローチは良かったんでしょうが、いかんせん材料や加工精度が3気筒を仕上げるには不足していたのは間違いないです。満鉄の3気筒はアルコからの輸入機でした。
赤錆びのままのC5345が吹田教習所にある写真があります。その後鷹取工場で保管されたそうです。
ミーくんさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
@@Yukkuri-Lab こちらこそ、ありがとうございます
C59でC53相当の性能を確保できたし、当時の日本の軌道事情では3シリンダー機の出番がなくなるのも致し方なく…インドネシアで狭軌4シリンダー機が活躍していたとのことなので、欠点を改良したC53が活躍できれば…走らせる場所がないですね。
北京亭すぶた[oleo_p]さん、ご視聴頂きありがとうございます。IfですがC53がパシフィックからハドソン改造出来ていたら、もっと使い道あったでしょうか?
@@Yukkuri-Lab 様
鉄道省→国鉄含め、日本の鉄道は稼働率至上主義な感じですからね…面倒なのはそれだけでアウト、というのが、技術の発展を阻害してるようにみえます。
満鉄は開発に使えるお金が潤沢にあって、標準軌で欧米の思想を取り入れるなどできて、かなり性能の良い機関車ができました。一方日本はコストダウンが支配していたと感じています。
>インドネシアで狭軌4シリンダー機が活躍
これデマ。ろくに整備できず設計では120㎞いけるはずが90㎞の運転すら危険で持て余していた
@@sirot.t8708 様
64 denden氏の動画にあったんですが…
C53はかなり扱いにくいカマだったみたいだな
アメリカから輸入したC52をベースに 国内で使えるようにしたけど
3シリンダーの調整は難しく カマの保守管理の部署から相当嫌われたみたいですね
しかも運用出来る路線が東海道本線と山陽本線のみじゃ はっきり言って役立たず
だったらC59を運用すれば より多くの路線に投入し列車のスピードアップに繋がり所要時間短縮に繋がる良いこと尽くし
それと津軽線ですがすこし怪しくなってきました JR 東日本は蟹田~三厩間の今後に付いて
廃止を含めて協議したいと発言し 沿線自治体と県は応じてこれから話し合います
なにせ復旧費用が6億円に工期が4ヶ月も掛かるうえに 1日5往復で通過人員が約100人しかいないので
鉄道のメリットである 大量輸送を生かせないので協議することになりました
高橋さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。C53批判はとめどなく出てくるので、今回は可哀そうなのでその独創的なスタイルを際立たせ、最も華やかな時代を取り上げました。津軽線は関係のない私があれこれコメントできないのですが、C58の豪華観光列車を走らせると楽しいなと思いました。
C53形は前面デッキ部のデザインが独特で、どこかヨーロピア~ン。
流線形はこのC53にC55、EF55、モハ52
、キハ07
時代が悪かったですね。すぐに日中戦争からの太平洋戦争。
保守の手間も相当だったそうで、モハ52も点検蓋の支えがなくて、手を挟んだり、頭の上に落ちてきたりしたそうです。
で、C53の加減弁ロッドはどこにあるのでしょう?
いあさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
C53のスタイルはとても好きなんです。今回はちょっと持ち上げてみました。
加減弁ロッドですが、当時の書籍にはC53と特定していませんが、「…加減弁開閉棒は従来は専ら罐内を通り蒸気分配室を貫通して、ここにパッキンを設けていたが、最近新製された機関車D51,C58形式等は第57図の如く横引出しと呼ばれるものが採用…」とありますので、外から見えないところにあるのですね。
8:20秒の写真、テンダーの上に乗っている人は、C53の音を録音をされている、西尾克三郎さんじゃない?
ご視聴頂きありがとうございます。
後で前後のネガを含めよく見てみますね。
続けて投稿します。C53の中央シリンダーはC53の生命線で注油を怠ると大きく影響した。C59は従輪も動輪並みの荷重がかかったので台枠も亀裂が入り易く最後まで有効な対策はなくこまめに点検して未然に防ぐ事しか出来なかった。
SKTさん、ご指摘の通りだったようですね。
後年の機関車製造技術の発展になった機関車だったのか疑問に思っています。しかし少なくとも日本では三気筒はは不要だろうと思い知らされたことも事実です。
走行中にメタルベアリングにオイルを挿すなんて、命知らずの先人には驚きます。
ご視聴頂きありがとうございます。
この作業はまさに言葉を失いますよね。
また、事故があってもなかった事にされていたんじゃ無いかと、
命より定時運行が大事とは。異常な時代でした。
まあ、走行中に炭水車の上を歩いて機関士の交代をしたりもしていた時代ですからね😅😅😅
1:23は恐らく(自信が無い)6120(スケネクタディ)をタンク機に改造した1060(2次形)じゃないかな?(改造時にパイプ煙突に成ってるし)
C5343は最初、海老茶色に塗装されていたらしいですよ。
小樽築港機関区さん、いつもご支援ご視聴ありがとうございます。私もタンクかな?と思ったのですが、水槽が写る位置じゃ無いかな?と思った次第です。当時の梅小路の配置表を探していますが見つかってません。確定できる様になったらお知らせしますね。
もしも戦前にカーボンなど軽量で頑丈な素材があれば、軽くて信頼性の高い弁装置が作れていたのかも。
東海道本線、山陽本線が電化されても地方線区に転用も出来ていたかもしれない。
今更何を言っても机上の空論だけど。
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴いただきありがとうございます。
C53は弁装置の関節部分の設計と部品材料、加工精度が不味かったと思っています。満鉄の輸入機の三気筒が80年代まで中国で現役であったので、なおさらC53は設計・製造に難ありと思う次第です。
流線形SLは後退走行できたのでしょうか?後方の視界が怪しそうなので。後退走行が任務だったのが「E10形」!
山本さん、ご視聴頂きありがとうございます。
バック運転は普通のテンダー機でも窓から顔出しますので、同じでは無いでしょうか。
C53の調子の良いブラスト音は聴いたことがありませんが、
正調3秒子なのか、真ん中のシリンダーがずれているから、◯◯ ◯のようにタイミングが偏りなのかしら。
Pinさん、ご視聴頂きありがとうございます。私は動画でシンクロした音ではないと言っていますが、あくまでも英国の三気筒の音と比較しての話で、C53はそれが正しいのかもしれません。レコードは現存していますが今では誰も判断できないですね。
糸崎から京都まで来ていたんだ?
浜松までですね
浜松工場にもう1両カットモデルになったC53がいたんですよね。59号機だったかな?
結局、解体されてしまったけど。
57号機ですね。浜松工場にカットモデルで教習用だったそうです。新幹線が邪魔だと言って廃車されました。
C59形蒸気機関車は、広島市内の博物館の外に展示していますよ……。
ハローキティ新幹線の動画も、見に来てくださいね……。
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございます。161号ですよね。私の動画では、いじわる機関車だった162号機が解体されて部品だけなんですが、161号機は性格が良くて保存されました。
C53のテンダーは廃車後に改造されて2車体連結の貨車になったのもありました。
水飴とか運んでいたんじゃなかったかな?
タキ1600ですね。水槽を水飴タンクにしたんですね。
ボールドウィンがこの時代に京都に居るとは。休車の様に見えますがぜひ形式を知りたいです。
紀元2500年ー2600年(S15)?動画の主題からはずれたコメントですいません。
kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。
京都の古典機は8550の様です。そうなるとWikiを読むとボールドウィンではなくスケネクタディ(後年のALCO)ということになります。
多分入換と奈良線に使ったのかと。
紀元2500年はコメントで訂正入れてあります。失礼いたしました。
@@Yukkuri-Lab さんAlco8550だったんですね。確認したら梅小路には当時入換で5台以上在籍していました。初めて知りました。ありがとうございました。
現在ビックカメラなどが入っている京都駅ビルが増築された時、土台工事をしている最中に地中から転車台の跡が発掘されたと数年前のニュースで見たことがありましたが、あれはやはり京都機関区跡だったのでしょうかね?
有田さん、ご視聴頂き有難うございます。
転車台は新幹線と辺りだったと思います。もう一つが山陰線の先だったと思います。今回の航空写真の解像度が悪くて判別できないですが、山陰線はDD13が引っ張ってきて、到着後は逆行で客車を片付けていたと思います。
いつも楽しい動画ありがとうございます。今回チラリと出ていた古典機関車は8550形ではないでしょうか? また、紀元2500年は2600年の誤りですね。ネ〇〇ヨさんたちに攻撃されないうちに訂正された方が良いかも、です。
渋谷さん、ご視聴頂きありがとうございます。紀元2500年はコメントで訂正済みです。申し訳ございません。Wikiで8550を読んでみました。形も似ていますね。またC58のような使われ方する点、関西地区に配備が多かったようなので奈良線に使っていたのでしょう。
遠州弁ってこんなんだっけ?
記憶しているのをずらりと並べただけなのでご勘弁を。実際浜松市内はそんなにすごく無いです。
@@Yukkuri-Lab 実際、だに・だら~・どすごい、言ってれば通じますからね。言わないと、標準語喋れと言われるしwww
女性が使うのはあまり。
C53形は、3シリンダーで亜幹線には不向きで、東海道山陽本線にしか配置されておらずに、浜松機関区や梅小路機関区に集中していた。
戦後すぐに、亜幹線対応の特急列車用蒸気機関車C59形の増備によって、C53形は、戦後すぐ余剰廃車になり、昭和30年代には、姿を消した。
しかし、昭和36年の交通科学館開館を機に、C5343号機が動態復元されて保存されたが、昭和47年の10月14日の梅小路蒸気機関車館(京都鉄道博物館)での展示静態保存されてしまった。
ちなみにC59164号機の最後は、糸崎機関区で運行終了してから、梅小路蒸気機関車館(京都鉄道博物館)入りしている。
名古屋区所属機が中央西線中津川まで試用されたと仄聞しました。
大坂さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。綺麗に歴史をまとめて頂きありがとうございます。
中津川までは軌道強化してあったのでしょうか?
@@春葛 様、名古屋機関区所属機て、中央アルプス越えの区間ですか❔
@@Yukkuri-Lab 様、C53形は、東海道山陽本線の特急列車牽引用の3シリンダー蒸気機関車であった。
櫻・富士・燕の牽引機として、梅小路機関区と浜松機関区などに配置されていた。
良かったね