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07:24 「新井白石」が寛政の改革を行なったと言っていますが、途中で気がついて訂正してますとおり「松平定信」です。朱子学も泣いていますが、松平定信もきっと泣いてますね。【参考文献】◯幕末から維新へamzn.to/3ZfYNtA【サポーターコミュニティはこちら!】yurugakuto.com/tetsu【公式Twitter】 ゆる哲学ラジオのTwitterアカウントがあるので、是非フォローしてください!⇨ twitter.com/yuru_philosophy【おたよりフォーム】 皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!⇨ forms.gle/n72HW8ZAaAZu5TM96
東洋思想もどんどん取り上げて欲しい。なんならゆる思想ラジオ作ってくれ
ゆる赤い思想ラジオも…
東洋思想回きたー!唯識の思想(講談社学術文庫)どちゃくそ面白いのでいつか取り上げてほしい
朱子学のプロトタイプみたいなのを作った宋代の程頤(ていい)は、当時流行りつつあった纏足に真っ向から反対するなど、現代からすると先進的な面がありました。(纏足の習慣が完全に滅ぶのは文化大革命の頃)また、Physicsの訳語として「物理学」と充てられるようになったのも、程頤が作った造語の「格物窮理」(『大学』という春秋時代の古典にある「格物致知」という熟語の意味を彼なりに解釈した言葉)に由来しているそうです。
近年、ネット上では「自分の間違いを認めると死ぬ病」にかかってる人を見かけますが、朱先生はこれを戒めて「最前の誤用すぐに修正」とおっしゃっています。
よしのぶ老い易く 学成りトキヒロ一寸のよしのぶ 軽んずトキヒロ未だ覚めず池塘 春草のよしのぶ階前の梧葉 已にトキヒロ
東洋思想回待ってた
東洋思想楽しみです!個人的には墨子が面白いなーと思っています。細かい話で恐縮ですが、学問吟味の対象は幕臣となる旗本や御家人、その子弟とされています。下級藩士と表現されてますが、藩士は各藩に仕えているので幕臣とはまた違います。学問吟味で登用された方は、遠山の金さんのお父上や太田南畝、近藤重蔵などが有名ですね。
「頑張ればみんな聖人になれる」というパラダイスのような世界観ですよね取り上げて下さってありがたいです。
以前おっしゃってた中国”哲学”ではなく中国”思想”に入るんですね。しかも諸子百家ではなく「朱子学」。トキヒロさんのことですからきっと見事なまとめに持って行ってくれると期待しています。今回も驚きの情報が満載でしたが、続編を楽しみにしています。
序盤の「新井白石」、ン?????となってたので途中で気付いたところでホッとした
内容自体ももちろんめちゃ興味深くておもしろかったんですが、「孟子的にもオールオッケー」がおもしろすぎました、、、ちょっとした遊びが好きすぎます
7:03 寛政の改革の「寛政」のアクセントって「慣性」? 「完成」と同じかと思ってました。
トキヒロさんは「自分は東京(関東だったかも)出身だから方言が羨ましい」とかつていってましたけど、アクセントに限って言えば、標準語とは異なるかなり強めの関東アクセントですよね。
倫理か世界史かの教科書で得た知識だけの印象だと、朱子学は具体的な立身出世や修身の色合いが強かった元々の儒教のテキストを換骨奪胎して抽象的な哲学寄りにしたもの、ってイメージだったな。儒教自体が封建的だから朱子学もその色合いがあるだけで、朱子学がとりわけ封建的という印象はなかった
そも「封建的」な考えは無条件で否定されるべきなのか、というのもありますよね。
じゃあ君死ぬまで農家ね😁
孟子が易姓革命を肯定したのは、ロックの抵抗権と通じるところがあって面白いんだよな
次回以降中国思想を取り上げているとのことで楽しみです。個人的にトキヒロさんは名家の思想を興味深く感じるんじゃないかなぁ、と思っています。中国思想の中ではあまり発展しなかった論理学的な側面があり、今回取り上げた儒学ともリンクする部分があるので。
関係ないですが、個人的には透視法に代表される東洋と西洋の視点の違いとかも面白い題材だと思います
「大統領」の言葉の発祥が朱子学者だったことを聞いてたので今まで(ずいぶんと口出ししてくるいやーなヤツらだな…)と思ってたんですが、なるほど外交部に任ぜられていたならそりゃ納得ですね…
8:15 白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき
朱子学の説明が全体的に儒教一般の説明な気がします。そもそも儒教は上下関係を重視しますし、易姓革命を肯定していると思います。朱子学が宋代に一時的に弾圧されるのは政治闘争であって、易姓革命の肯定ではないと思います(そもそも趙匡胤も禅譲を受けてますし)。また一時的な弾圧はありましたが宋代の時点で朱子学はイケイケ学派でしたし、明代では王陽明の登場まで一強に近かったと思います。「理」の部分は朱子学で特徴的な部分だと思いますが、朱子学では草木の一本一本であれ、万物に理が備わっていると考えるため、林羅山が身分関係に理を用いたのは朱子学的に自然であり、勝手に付け加えたというのは言い過ぎではないでしょうか。
今日は15時から友達と遊んだから1日中ずっと休日で土曜みたいな気がしてたから新着動画見に来たけど更新されてなくてよく考えたら金曜日だった
自分もお偉いさんが絶対って思想だと思ってた
昌平坂学問所の教授になった人の中に古賀侗庵という朱子学者がいますが、この人は渡辺崋山などの蘭学者とも交流が有り海外事情に詳しく、軍備の近代化、積極的な開国を唱えていました。またアヘン戦争以前に中華思想に凝り固まった中国の現状を問題視し、このままでは西洋列強に攻め込まれるであろうことを予言していました。また儒学の極端な男尊女卑傾向を問題視し、女性の学問の必要性をも主張していました。こうした思考ができた背景には朱子学の持つ合理性が大きく影響していたと思われます。詳しくは、真壁仁『徳川後期の学問と政治』(名古屋大学出版会 2007年) 梅澤秀夫『早すぎた幕府御儒者の外交論・古賀精里・侗庵』(出門堂 2008年) 奈良勝司『明治維新をとらえ直す』(有志舎 2018年)などの書物をお勧めします。
「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」が面白かったので、作者さん呼んでトキヒロさんとお話してほしいな❤
続きです。世間一般の人たちが抱いている儒学・朱子学の堅苦しいとか封建的といったようなイメージは恐らくは「白鹿堂書院」の学則から強い影響を受けた全国各藩の藩校の学則(例えば会津藩校「日新館」や白河藩の「立教館」の学則)あたりから来ているんではないかと思われます。また、『礼記』内則や『小学』立教に見える「七年男女不同席」(男女7歳にして席を同じうせず。)あたりから来ているんではなかろうかと思われます。ところで、昔の人が藩校や寺子屋で『大学』を学んだ、『論語』を学んだ、『十八史略』を学んだ、『唐詩選』を学んだ。こういったことはとても重要なことです。(絶対に軽く見てはいけないことです。)それらの学びの中で「基礎」を身に付け、それが身に付いていたからこそ、昔の人は西洋の学問に付いて行けたんです。(ちょうど、高校で「数学」をやった。その「数学」の基礎が有ったからこそ、大学の工学部の授業に付いて行けた、これとおんなじなんです。)蘭方医杉田玄白は最初ひらがな・カタカナを習い、次に漢文を習いました。そして漢方医学を学びました。彼が漢方医学の本を読めたのは彼にひらがな・カタカナ・漢字が読めるという「基礎」があったからです。彼は漢方医学の本をそうとう読み込みました。それで次の「基礎固め」を行いました。そして西洋医学の方に入って行きました。彼にそれができたのは彼にひらがな・カタカナ・漢字・漢方医学という基礎が有ったからです。 【余談】『「日本国紀」の副読本―学校が教えない日本史』130頁の中で百有(ひゃくあり)さんが「江戸時代の人たちの教養のレベルって藩校・寺子屋の(低い)レベルでしかなかったのに、よく西洋の本を読んで西洋式の船なんかを造れたね。」なんて語っておられますが、幕末・明治の人たちが藩校・寺子屋で学んだことがどれほど重要なことであったか、西洋の新学問を学んで行くに当たってどれほど役に立つ「基礎」になったか。それが全く理解できていないだなぁと思い、唖然としております。
心理学とか行動経済学も哲学のおかずに摘んで欲しいな
朱子学のアツいポジティブキャンペーン笑😆
新井白石は徳川家宣、家継の侍講(家庭教師)で老中になったことはない
ちなみに済々黌は熊本で2番目に頭が良い高校なので、くりぃむしちゅーは頭のいいコンビなのです
江戸期の朱子学って、名前は朱子学なのに実質は陽明学だった、なんて話はよく聞くんですが、まあ儒教の範疇である訳で儒教全般、そして朱子学や陽明学の実質を、より深く学ぶ必要はありそうですね。
明徳出版社から出ている『朱子学大系』を繙いてみて下さい。朱子には主な著書として『四書集註』『易本義』『詩集伝』『近思録』『小学』『楚辞集註』『晦庵先生朱文公文集』『朱子語類』などが有ります。朱子や朱子学を語る際には朱子の主な著書(実は目次だけでもよい。なぜなら、量が膨大だから。例えば『文集』は121巻、『語類』は140巻も有るからです。)に触れてからの方が宜しいかと存じます。なお、『四書集註』の内訳は「大学章句」1巻、「中庸章句」1巻、「論語集註」10巻、「孟子集註」7巻です。因みに私は『四書集註』は明治3年に佐土原藩が出版したもの、及び中華民国80年に台北の文化図書公司が出版したもの、そして朱子学大系本を使っております。
1980年代に呉智英は民主主義盲信を批判し封建主義、儒教を再評価していました。「すべからく」の誤用批判を広めた人です。
一方で呉智英は丸山眞男「日本政治思想史研究」も評価してるんだよね
面白かったです。お話に出た陽明学についても、チャイナと日本では異なると思うのです解説して欲しいです。
日本の朱子学は年長者の意見は絶対だけじゃなく、身分や生まれで正しさが決まるという考えなので例えば平田さんが哲学を語ったとして、その後で天皇陛下が間違った哲学を語った場合、身分が低い平田さんが目上の存在である天皇陛下に反論したとして批判されます。つまり親が黒と言えば子供がどう見ても白いのに黒と言わなければいけないというので、天皇家崇拝の水戸藩も歓迎した訳です。
赤ちゃんお誕生、おめでとうございます。論理的なこと抜きにして、存在そのものに感謝ですね!
それじゃあ、朱子がちがうよ ってな。
おもしろい!
中国や韓国は儒教を封建的価値観の根にしたけど、江戸時代の日本は儒学を学問として扱ったに過ぎないという違いもありますよね。
鳥人間の中国史での王陽明が好きすぎて朱子学がどうしても旧弊に思えてしまう
サンキュー王陽明 フォーエバー王陽明
15:49 孟子チャラいな21:13 現代でも「今の時代、教育勅語を見直そう」とか言い出す「めんどくさい」のがいるのでなかなかリアル。
よく「江戸時代は朱子学が盛んだった」とか「江戸時代の有名人の誰誰は幼い頃朱子学を学んだんだ」なんて発言したり、本に書いたりしている人が世間にはおられますが、大学・大学院で朱子学のようなものをやった私(学部では「大学章句」「論語集註」『詩集伝』、院では『近思録』の講義をみっちり受けた私)には上記のような人たちが一体何を指して「朱子学」と云っているのか、そこの所がよくわかりません。確かに世間一般の人たちが抱く朱子学のイメージは古くさいとか堅苦しいとか封建的といったようなものなんですが、そういったイメージがどんどん導き出せる朱子の著作は『小学』と朱子がやっていた私塾「白鹿堂書院」の学則だけで、その他の著作の中には導き出せるものは殆ど有りません。ところで、朱子が語った生(なま)の言葉に「経之有解、所以通経。経既通、自無事於解。」(『朱子語類』巻第11、学5、読書法下、北京中華書局本、192頁)というのが有ります。これは「書物には注や訳や解説が有るものが有る。それらが有ったればこそ、本文の意味が理解できるんだ。なお、意味が理解できた暁にはそれらは不要なものと見ていいんだ。」という意味です。儒教には儒教史の時代区分というものが有ります。いわゆる漢唐の訓詁学・宋明の性理学・清朝の考証学です。経書(「経書」とは儒教経典のこと)に付けられた漢代人の注は古注、唐代人の注は古疏、宋代人(特に朱子、又は朱子の門人)の注は新注、清代人の注は新疏と呼ばれて来ました。教員が経書の講義をする場合(学生が講義を受ける場合)、或いは科挙(選挙)のような試験を実施する場合、古注本で行うか新注本で行うか、どっちで行うかということが問われてまいります。江戸時代や元代以降の大陸では古注本よりは新注本の方が多く使われておりました。そのような意味で言うなら「当時は朱子学が盛んだったんだよ!」なんていうことは言えるのかもしれません。ただ、それは朱子の注が入ったテキストが使われていたんだということ、朱子の注が入ったテキストが使うことが主流であったんだということであります。例えば、『論語』の場合、古注本は魏の何晏の『論語集解』、新注本は南宋の朱子の「論語集註」、新疏は清の劉宝楠の『論語正義』です。他に伊藤仁斎の『論語古義』、荻生徂徠の『論語徴』もあり、岩波文庫や明治書院の新釈漢文大系本や朝日新聞社の中国古典選本の『論語』もあります。どれを選ぶかは本人の選択です。これは子供にピアノを習わせるのにカワイに行かせるかヤマハに行かせるかというのと似ております。カワイに行かせれば子供はカワイのピアノ教本でカワイ流のピアノを習うということになります。因みに「大学」については朱子学系の教本は『大学章句』、陽明学系のそれは『古本大学』です。
松平定信は白河の生まれじゃないですねえ。御三卿の一、田安家の七男として生まれ、後に白河藩に養子に出されたので「白河の清き・・・」と揶揄されました。幼少のころより英才として知られ、「やがては将軍に・・・」という危惧を抱いた、将軍世継ぎとして対抗する同じ御三卿の一橋が田沼と結託して白河藩へ養子に出した・・・って噂がありますね(嘘かほんとか知らんけど😅)。有名な寛政の改革では、先の老中田沼の幕政主導によりすっかり堕落した(と定信は思っていた)民心(主に武士ですが)を正そうと、朱子学を奨励し、すくなくとも幕府学問所ではそれ以外の学問(とくにそのころ盛んになりつつあった蘭学その他の洋学)を禁じたのです(いわゆる寛政異学の禁)。 ヘーゲルも易経や孔子ばかりでなく、程明道、程伊川、朱熹まで研究を広げていれば、もすこし違った哲学史を書いていたかも知れませんね。
上下関係を重んじる考えは朱子学の本質ではない。これ主張のために、トキヒロさんは終始今川「くん」と誤り続けてたんですね
学問そのものの問題よりも、主にそれを運営する権力組織の問題が大きい印象>朱子学確か高校の倫理社会(当時)の授業で教わったような気がする
林羅山が重用されたのって、徳川家康にまで連なる「戦国を終わらせるには」というニーズからだったのでは社会秩序としての身分制度検地・刀狩等統制政策の裏付けとして有力、とか
有田も済々黌の出身です…忘れないであげてください…
ちなみに偏差値70越えらしいです
阪神タイガースの大竹投手も済々黌の出身ですね
林家といえば、江戸末から明治の人ですが林韑も林家の人でしたね
大学頭とか林羅山のイメージはあるけど、林家と読むと、三平とか正蔵のイメージが先行してしまい、、、
なんだっけその人
詰まる所朱子学じゃなく当時の林家が諸悪の根源か
黒瀬「なんか」
寺田心とギャルが通り過ぎたな
21世紀のネットにドップリ使った自分の身としては朱子学と聞くと【李氏朝鮮】がイメージされます。今回のシリーズでは(2024/10/07まで)朝鮮(大韓民国)の朱子学がほとんど出てこないのでアレレ?と思ってしまいました。更に今回には登場しないのですがその後こちらの動画で登場していた「理気二元論」がRUclipsで 歩也(ホヤ)生息地さんの 「【日韓問題】続・記憶の改変をしているわけではない?」 等で中心問題として理気二元論を彼の立場から説明しています。要するに現に理気二元論を生きているのが韓国人で慰安婦問題が揉め続けるのも「呪いの鉄杭」として山から日本統治時代に打ち込んだ指標を韓国人が嬉々として引き抜いたりするのも正に理気二元論なのだと。
これほぼ中身中田敦彦じゃん
東洋思想楽しみ。幕末の西洋とのクロスオーバーも好きTN君とか、SY君、TT君、KW君。
なだいなだ『TN君の伝記』で東洋のルソー中江兆民を知った。
誤解を広める話をするな!封建制と中央集権制 すら理解していないのでは・・・
イントネーションのせいで何言ってるか分からないです。
お前が合わせろ、タコ
18:41 急に高校名でて心臓飛び出そうになった
07:24 「新井白石」が寛政の改革を行なったと言っていますが、途中で気がついて訂正してますとおり「松平定信」です。朱子学も泣いていますが、松平定信もきっと泣いてますね。
【参考文献】
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東洋思想回きたー!
唯識の思想(講談社学術文庫)どちゃくそ面白いのでいつか取り上げてほしい
朱子学のプロトタイプみたいなのを作った宋代の程頤(ていい)は、当時流行りつつあった纏足に真っ向から反対するなど、現代からすると先進的な面がありました。(纏足の習慣が完全に滅ぶのは文化大革命の頃)
また、Physicsの訳語として「物理学」と充てられるようになったのも、程頤が作った造語の「格物窮理」(『大学』という春秋時代の古典にある「格物致知」という熟語の意味を彼なりに解釈した言葉)に由来しているそうです。
近年、ネット上では「自分の間違いを認めると死ぬ病」にかかってる人を見かけますが、朱先生はこれを戒めて「最前の誤用すぐに修正」とおっしゃっています。
よしのぶ老い易く 学成りトキヒロ
一寸のよしのぶ 軽んずトキヒロ
未だ覚めず池塘 春草のよしのぶ
階前の梧葉 已にトキヒロ
東洋思想回待ってた
東洋思想楽しみです!個人的には墨子が面白いなーと思っています。
細かい話で恐縮ですが、学問吟味の対象は幕臣となる旗本や御家人、その子弟とされています。下級藩士と表現されてますが、藩士は各藩に仕えているので幕臣とはまた違います。
学問吟味で登用された方は、遠山の金さんのお父上や太田南畝、近藤重蔵などが有名ですね。
「頑張ればみんな聖人になれる」というパラダイスのような世界観ですよね
取り上げて下さってありがたいです。
以前おっしゃってた中国”哲学”ではなく中国”思想”に入るんですね。しかも諸子百家ではなく「朱子学」。トキヒロさんのことですからきっと見事なまとめに持って行ってくれると期待しています。今回も驚きの情報が満載でしたが、続編を楽しみにしています。
序盤の「新井白石」、ン?????となってたので途中で気付いたところでホッとした
内容自体ももちろんめちゃ興味深くておもしろかったんですが、「孟子的にもオールオッケー」がおもしろすぎました、、、ちょっとした遊びが好きすぎます
7:03 寛政の改革の「寛政」のアクセントって「慣性」? 「完成」と同じかと思ってました。
トキヒロさんは「自分は東京(関東だったかも)出身だから方言が羨ましい」とかつていってましたけど、
アクセントに限って言えば、標準語とは異なるかなり強めの関東アクセントですよね。
倫理か世界史かの教科書で得た知識だけの印象だと、朱子学は具体的な立身出世や修身の色合いが強かった元々の儒教のテキストを換骨奪胎して抽象的な哲学寄りにしたもの、ってイメージだったな。
儒教自体が封建的だから朱子学もその色合いがあるだけで、朱子学がとりわけ封建的という印象はなかった
そも「封建的」な考えは無条件で否定されるべきなのか、というのもありますよね。
じゃあ君死ぬまで農家ね😁
孟子が易姓革命を肯定したのは、ロックの抵抗権と通じるところがあって面白いんだよな
次回以降中国思想を取り上げているとのことで楽しみです。
個人的にトキヒロさんは名家の思想を興味深く感じるんじゃないかなぁ、と思っています。
中国思想の中ではあまり発展しなかった論理学的な側面があり、今回取り上げた儒学ともリンクする部分があるので。
関係ないですが、個人的には透視法に代表される東洋と西洋の視点の違いとかも面白い題材だと思います
「大統領」の言葉の発祥が朱子学者だったことを聞いてたので今まで(ずいぶんと口出ししてくるいやーなヤツらだな…)と思ってたんですが、なるほど外交部に任ぜられていたならそりゃ納得ですね…
8:15 白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき
朱子学の説明が全体的に儒教一般の説明な気がします。
そもそも儒教は上下関係を重視しますし、易姓革命を肯定していると思います。朱子学が宋代に一時的に弾圧されるのは政治闘争であって、易姓革命の肯定ではないと思います(そもそも趙匡胤も禅譲を受けてますし)。また一時的な弾圧はありましたが宋代の時点で朱子学はイケイケ学派でしたし、明代では王陽明の登場まで一強に近かったと思います。
「理」の部分は朱子学で特徴的な部分だと思いますが、朱子学では草木の一本一本であれ、万物に理が備わっていると考えるため、林羅山が身分関係に理を用いたのは朱子学的に自然であり、勝手に付け加えたというのは言い過ぎではないでしょうか。
今日は15時から友達と遊んだから1日中ずっと休日で土曜みたいな気がしてたから新着動画見に来たけど更新されてなくてよく考えたら金曜日だった
自分もお偉いさんが絶対って思想だと思ってた
昌平坂学問所の教授になった人の中に古賀侗庵という朱子学者がいますが、この人は渡辺崋山などの蘭学者とも交流が有り海外事情に詳しく、軍備の近代化、積極的な開国を唱えていました。またアヘン戦争以前に中華思想に凝り固まった中国の現状を問題視し、このままでは西洋列強に攻め込まれるであろうことを予言していました。また儒学の極端な男尊女卑傾向を問題視し、女性の学問の必要性をも主張していました。こうした思考ができた背景には朱子学の持つ合理性が大きく影響していたと思われます。詳しくは、真壁仁『徳川後期の学問と政治』(名古屋大学出版会 2007年) 梅澤秀夫『早すぎた幕府御儒者の外交論・古賀精里・侗庵』(出門堂 2008年) 奈良勝司『明治維新をとらえ直す』(有志舎 2018年)などの書物をお勧めします。
「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」が面白かったので、作者さん呼んでトキヒロさんとお話してほしいな❤
続きです。世間一般の人たちが抱いている儒学・朱子学の堅苦しいとか封建的といったようなイメージは恐らくは「白鹿堂書院」の学則から強い影響を受けた全国各藩の藩校の学則(例えば会津藩校「日新館」や白河藩の「立教館」の学則)あたりから来ているんではないかと思われます。また、『礼記』内則や『小学』立教に見える「七年男女不同席」(男女7歳にして席を同じうせず。)あたりから来ているんではなかろうかと思われます。ところで、昔の人が藩校や寺子屋で『大学』を学んだ、『論語』を学んだ、『十八史略』を学んだ、『唐詩選』を学んだ。こういったことはとても重要なことです。(絶対に軽く見てはいけないことです。)それらの学びの中で「基礎」を身に付け、それが身に付いていたからこそ、昔の人は西洋の学問に付いて行けたんです。(ちょうど、高校で「数学」をやった。その「数学」の基礎が有ったからこそ、大学の工学部の授業に付いて行けた、これとおんなじなんです。)蘭方医杉田玄白は最初ひらがな・カタカナを習い、次に漢文を習いました。そして漢方医学を学びました。彼が漢方医学の本を読めたのは彼にひらがな・カタカナ・漢字が読めるという「基礎」があったからです。彼は漢方医学の本をそうとう読み込みました。それで次の「基礎固め」を行いました。そして西洋医学の方に入って行きました。彼にそれができたのは彼にひらがな・カタカナ・漢字・漢方医学という基礎が有ったからです。 【余談】『「日本国紀」の副読本―学校が教えない日本史』130頁の中で百有(ひゃくあり)さんが「江戸時代の人たちの教養のレベルって藩校・寺子屋の(低い)レベルでしかなかったのに、よく西洋の本を読んで西洋式の船なんかを造れたね。」なんて語っておられますが、幕末・明治の人たちが藩校・寺子屋で学んだことがどれほど重要なことであったか、西洋の新学問を学んで行くに当たってどれほど役に立つ「基礎」になったか。それが全く理解できていないだなぁと思い、唖然としております。
心理学とか行動経済学も哲学のおかずに摘んで欲しいな
朱子学のアツいポジティブキャンペーン笑😆
新井白石は徳川家宣、家継の侍講(家庭教師)で老中になったことはない
ちなみに済々黌は熊本で2番目に頭が良い高校なので、くりぃむしちゅーは頭のいいコンビなのです
江戸期の朱子学って、名前は朱子学なのに実質は陽明学だった、なんて話はよく聞くんですが、まあ儒教の範疇である訳で
儒教全般、そして朱子学や陽明学の実質を、より深く学ぶ必要はありそうですね。
明徳出版社から出ている『朱子学大系』を繙いてみて下さい。朱子には主な著書として『四書集註』『易本義』『詩集伝』『近思録』『小学』『楚辞集註』『晦庵先生朱文公文集』『朱子語類』などが有ります。朱子や朱子学を語る際には朱子の主な著書(実は目次だけでもよい。なぜなら、量が膨大だから。例えば『文集』は121巻、『語類』は140巻も有るからです。)に触れてからの方が宜しいかと存じます。なお、『四書集註』の内訳は「大学章句」1巻、「中庸章句」1巻、「論語集註」10巻、「孟子集註」7巻です。因みに私は『四書集註』は明治3年に佐土原藩が出版したもの、及び中華民国80年に台北の文化図書公司が出版したもの、そして朱子学大系本を使っております。
1980年代に呉智英は民主主義盲信を批判し封建主義、儒教を再評価していました。「すべからく」の誤用批判を広めた人です。
一方で呉智英は丸山眞男「日本政治思想史研究」も評価してるんだよね
面白かったです。お話に出た陽明学についても、チャイナと日本では異なると思うのです解説して欲しいです。
日本の朱子学は年長者の意見は絶対だけじゃなく、身分や生まれで正しさが決まるという考えなので
例えば平田さんが哲学を語ったとして、その後で天皇陛下が間違った哲学を語った場合、身分が低い
平田さんが目上の存在である天皇陛下に反論したとして批判されます。つまり親が黒と言えば子供が
どう見ても白いのに黒と言わなければいけないというので、天皇家崇拝の水戸藩も歓迎した訳です。
赤ちゃんお誕生、おめでとうございます。論理的なこと抜きにして、存在そのものに感謝ですね!
それじゃあ、朱子がちがうよ ってな。
おもしろい!
中国や韓国は儒教を封建的価値観の根にしたけど、江戸時代の日本は儒学を学問として扱ったに過ぎないという違いもありますよね。
鳥人間の中国史での王陽明が好きすぎて朱子学がどうしても旧弊に思えてしまう
サンキュー王陽明 フォーエバー王陽明
15:49 孟子チャラいな
21:13 現代でも「今の時代、教育勅語を見直そう」とか言い出す「めんどくさい」のがいるのでなかなかリアル。
よく「江戸時代は朱子学が盛んだった」とか「江戸時代の有名人の誰誰は幼い頃朱子学を学んだんだ」なんて発言したり、本に書いたりしている人が世間にはおられますが、大学・大学院で朱子学のようなものをやった私(学部では「大学章句」「論語集註」『詩集伝』、院では『近思録』の講義をみっちり受けた私)には上記のような人たちが一体何を指して「朱子学」と云っているのか、そこの所がよくわかりません。確かに世間一般の人たちが抱く朱子学のイメージは古くさいとか堅苦しいとか封建的といったようなものなんですが、そういったイメージがどんどん導き出せる朱子の著作は『小学』と朱子がやっていた私塾「白鹿堂書院」の学則だけで、その他の著作の中には導き出せるものは殆ど有りません。ところで、朱子が語った生(なま)の言葉に「経之有解、所以通経。経既通、自無事於解。」(『朱子語類』巻第11、学5、読書法下、北京中華書局本、192頁)というのが有ります。これは「書物には注や訳や解説が有るものが有る。それらが有ったればこそ、本文の意味が理解できるんだ。なお、意味が理解できた暁にはそれらは不要なものと見ていいんだ。」という意味です。儒教には儒教史の時代区分というものが有ります。いわゆる漢唐の訓詁学・宋明の性理学・清朝の考証学です。経書(「経書」とは儒教経典のこと)に付けられた漢代人の注は古注、唐代人の注は古疏、宋代人(特に朱子、又は朱子の門人)の注は新注、清代人の注は新疏と呼ばれて来ました。教員が経書の講義をする場合(学生が講義を受ける場合)、或いは科挙(選挙)のような試験を実施する場合、古注本で行うか新注本で行うか、どっちで行うかということが問われてまいります。江戸時代や元代以降の大陸では古注本よりは新注本の方が多く使われておりました。そのような意味で言うなら「当時は朱子学が盛んだったんだよ!」なんていうことは言えるのかもしれません。ただ、それは朱子の注が入ったテキストが使われていたんだということ、朱子の注が入ったテキストが使うことが主流であったんだということであります。例えば、『論語』の場合、古注本は魏の何晏の『論語集解』、新注本は南宋の朱子の「論語集註」、新疏は清の劉宝楠の『論語正義』です。他に伊藤仁斎の『論語古義』、荻生徂徠の『論語徴』もあり、岩波文庫や明治書院の新釈漢文大系本や朝日新聞社の中国古典選本の『論語』もあります。どれを選ぶかは本人の選択です。これは子供にピアノを習わせるのにカワイに行かせるかヤマハに行かせるかというのと似ております。カワイに行かせれば子供はカワイのピアノ教本でカワイ流のピアノを習うということになります。因みに「大学」については朱子学系の教本は『大学章句』、陽明学系のそれは『古本大学』です。
松平定信は白河の生まれじゃないですねえ。御三卿の一、田安家の七男として生まれ、後に白河藩に養子に出されたので「白河の清き・・・」と揶揄されました。幼少のころより英才として知られ、「やがては将軍に・・・」という危惧を抱いた、将軍世継ぎとして対抗する同じ御三卿の一橋が田沼と結託して白河藩へ養子に出した・・・って噂がありますね(嘘かほんとか知らんけど😅)。有名な寛政の改革では、先の老中田沼の幕政主導によりすっかり堕落した(と定信は思っていた)民心(主に武士ですが)を正そうと、朱子学を奨励し、すくなくとも幕府学問所ではそれ以外の学問(とくにそのころ盛んになりつつあった蘭学その他の洋学)を禁じたのです(いわゆる寛政異学の禁)。
ヘーゲルも易経や孔子ばかりでなく、程明道、程伊川、朱熹まで研究を広げていれば、もすこし違った哲学史を書いていたかも知れませんね。
上下関係を重んじる考えは朱子学の本質ではない。
これ主張のために、トキヒロさんは終始今川「くん」と誤り続けてたんですね
学問そのものの問題よりも、主にそれを運営する権力組織の問題が大きい印象>朱子学
確か高校の倫理社会(当時)の授業で教わったような気がする
林羅山が重用されたのって、徳川家康にまで連なる「戦国を終わらせるには」というニーズからだったのでは
社会秩序としての身分制度
検地・刀狩等統制政策の裏付けとして有力、とか
有田も済々黌の出身です…忘れないであげてください…
ちなみに偏差値70越えらしいです
阪神タイガースの大竹投手も済々黌の出身ですね
林家といえば、江戸末から明治の人ですが林韑も林家の人でしたね
大学頭とか林羅山のイメージはあるけど、林家と読むと、三平とか正蔵のイメージが先行してしまい、、、
なんだっけその人
詰まる所朱子学じゃなく当時の林家が諸悪の根源か
黒瀬「なんか」
寺田心とギャルが通り過ぎたな
21世紀のネットにドップリ使った自分の身としては朱子学と聞くと【李氏朝鮮】がイメージされます。今回のシリーズでは(2024/10/07まで)朝鮮(大韓民国)の朱子学がほとんど出てこないのでアレレ?と思ってしまいました。更に今回には登場しないのですがその後こちらの動画で登場していた「理気二元論」がRUclipsで 歩也(ホヤ)生息地さんの 「【日韓問題】続・記憶の改変をしているわけではない?」 等で中心問題として理気二元論を彼の立場から説明しています。要するに現に理気二元論を生きているのが韓国人で慰安婦問題が揉め続けるのも「呪いの鉄杭」として山から日本統治時代に打ち込んだ指標を韓国人が嬉々として引き抜いたりするのも正に理気二元論なのだと。
これほぼ中身中田敦彦じゃん
東洋思想楽しみ。幕末の西洋とのクロスオーバーも好きTN君とか、SY君、TT君、KW君。
なだいなだ『TN君の伝記』で東洋のルソー中江兆民を知った。
誤解を広める話をするな!
封建制と中央集権制 すら理解していないのでは・・・
イントネーションのせいで何言ってるか分からないです。
お前が合わせろ、タコ
18:41 急に高校名でて心臓飛び出そうになった