【ゆっくり解説 】古代日本「多元王朝説」
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- Опубликовано: 1 июл 2024
- 「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
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政治的な実権もないのに国造なんてもの継いでも苦労しか残らんよ
ヤマト王権が統一政権ではなく、むしろ連合政権のような格好にみえるから、多元王朝というのは案外正しいように感じます。
ただ、、唱える論が多岐にわたり、なかなか理解するのが難しいんだよね。人によってかなり違う。
個人的には、国家という概念ではなく、戦国時代の群雄のような感じかと思います。
国造の設置がモザイク状に「点在」してるように見えるからね。国造ごとに村(国)があったんだろう。
国造=藩主 大社=藩主の家系 朝廷=江戸幕府 新任の式=新藩主お目見え・参勤交代
熊野と出雲は特に外様大名だったから封建の儀式が必要だった…なんてw
単純に、大和朝廷が勢力を広げる前は日本列島において独立勢力が村々地域地域にいっぱいいて互いに争っていたってだけ。支配下に入れば、支配の濃淡があるだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
大和朝廷と書くと年代がわかる😅
邪馬壹国とサムネにありますが、これの読み方は『ヤマイコク』であり「ヤマタイコク」では無いですよね。『壹』は「壱」の旧字体であり、「台」の旧字体は『臺』です。
「出雲国造」は「いづもこくぞう」ではなく。「いづもこくそう」が正しい言葉だと思います。調べてみてはいかがでしょうか?
古文書はあくまでも「後出しジャンケン」を正当化する為の記録と考えておくべきです。
変えようのない科学的史実を時系列に並べ、矛盾のない考察をするべきです。必ず超古代の日本の真実は大和朝廷成立へ繋がる道があるはずです。
僕は記紀を記述通りと考えてはいません。記紀は弥生時代辺りの渡来人の遺恨がそうさせた記録と考えます。だからこそ他民族の九州邪馬台国は記録を残されず、出雲をあたかも敗者として扱い、諏訪を追い出し、鹿島を左遷したかのような扱いとして東国の端に置かれているのです。
大和の王権、政権が
その他の在地の王権、政権を
○○国造と言うて
恰も大和王権の臣下、配下であるかの様に言うが如し?
丹波王国(海部氏)
尾張王国(尾張氏)
但馬王国(神床氏)
他、わんさと
各地に政権、王権が存在していたはず。
クニの勢力の大小は、どれだけの人口を養えたかに依存し、当時の稲作技術で開墾できた耕地面積とパラレルだろう。
地形図を見れば大方推測はつくが、技術の伝播は西から東だったし、その過程で複数の王朝が連立していたに相違はない。
やがて大規模開墾技術を持った一団が日本に渡来し、近畿地方に大規模水田を開いた残土で大きな古墳を作るに至って、国家統一に向かった。
秦氏や東漢氏などが渡来しましたね
「天皇制」という言葉を使うのはやめていただきたい。この言葉は共産党や左翼が天皇家や皇統を批判するために使っている言葉ですから。