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回転塔…遠心力の凄さと巻き込まれ事故の怖さをまざまざと思い知らされた遊具。ただ危険な遊具と他人事で括るより己の限界知ったり、使用中は近くに寄らないとか子供なりに色々学んだ記憶があるな。
もっともそれを経験した子供が大人になった後色んなものを排除してるんだけどな
遊具が危険ていうけど、狭い路地裏や登校道を車が走る方がはるかに危険と思う。何でも無くせばいいという問題ではないし、ごく少数のクレーマーが優位なのが一番問題である。
もう全てが懐かしいです。童心に帰った感じになりました。ありがとうございます!!
回転ジャングルジム近くの公園にまだあるよ?
平成生まれだけど小学校低学年の頃校庭にまだ回旋塔あって、男女学年関係なくみんなで回って遊んでたなぁ...。続々撤去される遊具の中で回旋塔だけはまた遊びたいってずっと思ってた
こういう遊具を使って怪我したり、怪我の手前を味わったりして『危険 』を覚えていったりするのも必要だと思う。
まあ、手前で止まったで済んだのなら運が良かった名で済むが怪我してからじゃ遅い事もたるからな😅
箱ブランコとか怪我どころか小さい子がモロに衝突したら本当に命ヤバいやつだったからなぁ。。。
@@boy-w5u その辺りは「人の振り見て」を覚えるきっかけみたいな物であったし当然、危険性は大人から言われているから子供が大人の言う事をきくきっかけにもなった面もあると思う。
自分が子供の頃は不注意で怪我したら、お前が悪い、で無茶苦茶怒られたりした。それで怒られたくないからそれ以来同じ失敗をしないように自分で注意するようになったものだった
僕の小学校に何たらタワーって高さ10メートルのタワーがあって落ちたら死ぬ遊具で遊んでました。真ん中でオシッコチビってました。危ない経験できた。
ブランコの2人乗りが好きな遊びでした!二馬力なので1人の時より高く漕ぐ事が出来てスリル満点でしたね☆1度、誰も居ない校庭で高さ3~4m位の大きなジャングルジムの1番上に登った時に見た夕陽と気持ち良さは今でも忘れません🥲
どんな遊具でも、子供は予想を越えた使い方をするものです小さい頃、雲梯の上を歩いて渡ったりしてましたw
雲梯の「上」を渡るのは基本ですよね。
小さいころ、雲梯の「上」は数本ぬかしで走るところまでが基本だと思ってた。
保育園時代、ドーム型雲梯は上で遊ぶ為のものでしたむしろ本来の遊び方はつまんなかった
雲梯の上で逆立ちしながら渡るやついたな
子供の頃、かいせんとうが学校にあったし、神社の公園には空中シーソーがあった。階段の手摺りからの滑りも懐かしいですな。
地球儀と回旋塔は学校の敷地内にあって放課後みんなで遠心力で飛ばされないようにつかみ続けるスーパーマンごっこして遊ぶのが楽しかった地球儀は中に人が入って最大2人がぐるぐるダッシュしてすんげー速さで回ってたw
体勢崩したら脱臼しますね
何も道具とかなくても学校帰りに道すがら遊びの材料とか有ったけどね空き缶蹴りながら帰ったりひっつき虫(オナモミとか)放りながらくっつけ合いしたりとかまぁ遊具やオモチャが有れば言う事ないけどヒモ引っ張ったらプロペラがブンッッ!と飛んでいく竹トンボみたいなオモチャとか好きだったな
いい年した大人の私ですが、回旋塔で時々遊びたいなと懐かしく思ってしまう😂
小学校にあった回旋塔は正にスリルとサスペンスいやはや大変な遊具でしたがいつの間にか撤去されていました。
昭和の子供はとにかく吹っ飛ばされていたんだなぁ
昔の人は子供の心をくすぐる遊具を考えるセンスがたまらない
今のようにスマホやネットなんてものは無く、基本男子は特に外で体を動かして遊ぶのがデフォだったし好奇心の塊だから遊具が無かったとしても危ない遊びはしてたと思う。てか子供ながらでも怪我したら自分達のせいであって道具が悪いなんてこれっぽっちも思わなかったけどね・・・料理してて手を切ったら包丁のせいにはしない様なもんw
カネキャップのピストルは音だけでなく空気の“弾”が飛んできて、額に当たったあの“トン!”って感触を今でも思い出す。銀玉鉄砲の撃ち合いよりも面白かった!
どの遊具も少なからず怪我をしたり人が怪我をしてるのを見て体感的に物理法則を理解したり、そうならないように他人を気遣ったり体を(結果的に)鍛えたりしてた面があったと思う。当然、親が危険性について言及してるから親の言うことを聞かないと怪我をするという意識づけもできてメリットもあったと思うな。
子供がそんなん気にもしねーよ
@@田中一郎-o3u うん、そんなのは怪我してどうぞw普通は気にしたり、怪我して覚えるよね
@@I_am_Brats 何を学ぶんだよ自分の子供時代そんなアホだったのか?w危険なんてわかっててやってるもんだろ
ちょっと年上の学校のお姉さんに遊具の楽しさも危険性も教わったなー。そうして自分も3年生くらいになったら「そういう使い方危ないよ」って新1年生に指導してた。
単純にどれだけ高いところから飛び降りれるかってやってたけど、今考えるとアレもかなり危険な遊びだったなぁ。。。飛んだ瞬間、飛ばなきゃよかったと思った事が何度もあったわ(>
解ります。しかも悪い事に、当時は仮面ライダー ブームで、ジャングルジムの てっぺん からライダージャンプした奴が数知れず。😅
学校の階段からの飛び降りを競っていたな。何段目から飛び降りる事ができるとか。
群れ遊びにはつきものの、高い所から飛び降りる、用水路を飛び越えられるかで力関係が出来てしまった。あいつは根性無しと見られると相手にされなくなる。常に緊張感があった。
3階から飛び降りて病院送りになったやつがいたなあ
当地、宮城県では仮面ライダーが日曜朝9時から放送してて、それ見てからハイテンションで遊んでたから飛び降りでケガして、月曜の体育授業は支障がでた。
ぶら下がりシーソって自分が上になった時に反対側の子供が手を離すと落ちると言う、友人の信頼度を試すとても奥が深い遊具だった俺はあれで友人は信頼してはいけないと身体で学んだそう言う意味で現代の子供にも必要な遊具だと思う…
友人…
普通のシーソーでもそれは学べる。
@@sw-jv3yu いや、全然違うからw
@@少年-x7e 普通のシーソーで下の方の子が急に降りてケツしこたま打ち付けるとかなかった?今みたいに下にタイヤとか入ってなくて地面に直だからかなりの衝撃食らうの。
@@sw-jv3yu おや、丁寧な返信ありがとうw確かにそれも地味に危ないんだけど(尾骨骨折とかね)、ぶら下がるタイプに腰掛けて上まで上がった時に離されると、そりゃあもうね。。。やる方からしたら、どちらも差の無い悪戯なんだが。
骨折ったりとか何針も縫う裂傷負ったりとか、割とよくあるお話でしたね。
何針縫ったとか逆に何げにステイタスだった( ´∀`)
自転車で急な坂をどのくらいのスピードで滑降できるかの競争して骨にヒビが入った
@@碇シンジ-s2q 更にギプスなんて巻こうものなら、クラスでヒーローになれた(>
ペラペラのサンダル履いてよくクギ踏んだりした
眼帯とかギプスとか何故かカッコよく見えた。
平成初期生まれ、遊具系回旋塔は知らないけどそれ以外は見たことある、そして小学校卒業までの間にものすごい勢いで使用禁止になり取り壊され撤去されカラフルな複合遊具に置き換わっていった…
今の時代家で遊んでばかり居ないで外で遊べと怒られ外で遊んだら近所迷惑だと怒られ公園もなくなりつつあるから子どもの遊び場が無いよなぁ
文句しか言わないモンペのせいだな、子供が可哀想だ
本当にわかる、私なんて、遊びに行く場所とかないし😢
子供の声は国の宝 煩いって言う奴は非国民だわ
怒られるくらいならまだいいだろ。昔なら理不尽になぐられたぞ。
@@南無夜須 ごめんなさい、この程度の事でコメントしてしまって
私はビビリでしたが、今思うと当時のガキ大将とかって、マジで命がけ級のめちゃくちゃスゴイことをやっていた気がする
昭和の頃は遊びでも危険と隣り合わせだったからどこまでなら安全かっていうさじ加減が自然に学べたし楽しかったなぁw
言い出したら全ての遊具が危険になってしまうよね。今の子供達は逆に可哀想だなー。
遊びの格闘ごっこでも背中にひじ打ちは危ないとか、みんな日常生活で知った。
@@disninnin可哀想とは思わない
木登り:よく落ちました。でも骨折とかの大怪我は無かったなあ😃真冬に川釣り:川に落ちて死にかけました。😫爆竹、2B弾:危険物なんて考えずに普通に遊んでました。😜
学校のフェンスもよく登ったっけ。高さ5mくらいのやつ。
公園に行き誰もいないと、(普通の)シーソーの片側のイスに大きな石を2、3個乗せて、自分はもう片側に乗って、1人シーソーやっていた。「俺って頭ええー」と悦に入りながら遊んでいたが、今思えば友達のいない寂しい子供みたいで涙出そうw
子供の時、回転系の遊具にぶら下がってたのを限度を超えて回されて遠心力で数メートル吹っ飛んでいく子供をよく見ました。当時は大笑いしてましたが今思うとかなりヤバいですよね。
大車輪ロケットパンチ的なブランコも漕ぎ過ぎてたまにカタパルトから発射されたみたいに飛距離伸びて肝が縮む時あったジャングルジムで股間打った事も(笑)
うん 怖い
それで打たれ強くなった世代σ(゚Д゚*)
@@千葉県人-p3b 何か今思うと宇宙飛行士とか戦闘機乗りの耐G訓練みたいだ(笑)ゲッターロボとかでも有った気がする
限界を超えて飛んで行く時はたまらなくドキドキしました。😌懐かしすぎる。
爆竹とかんしゃく玉で多くのカエルが犠牲になりましたねロケット花火は撃ち合いという危険な遊び方もありました広場で遊んでいたときに、うるさいと何度も言われて頭に来たので、そのタイミングでその家にロケット花火の一斉放火とか、今じゃ警察沙汰だよなぁ
中学の時、打ち上げ花火を手持ちで撃ち合ってサバゲーもどきやってたら通報されたwロケット花火って鉄パイプから発射するといい音するのでそれでも撃ち合いやってたwそれでまた通報された懲りない馬鹿餓鬼だったw
昔はそれが普通だったしね
カエルや虫で実験しようで止まってて良かったですね。やんちゃな子とか本気で武装して喧嘩しようとかしたら犬や人に食わせたりしそうなのに
危険が少ないのも問題だよな。怪我して痛い思いするからこそ覚えるものもあるもんなぁ
むずかしいですね。そう思いますが、死亡や重度の障害や四肢欠損みたいな大事故にはなって欲しくないし小さな擦り傷くらいはむしろ子供の安全意識を高めるのに良いかもしれない。塩梅が大事ですね
ゲームのほうが遊びとしては人気だし、体を使う遊びはしなくなってる。危険を自分で処理できる体力の子供はもういない。
ロケット花火と爆竹での戦争ごっこはやってました、U字型に削られた採土場で左右の一段高い所をそれぞれの陣地としてロケット花火を竹や塩ビパイプを並べて板に打ち付けたものに差し込んでライターで一斉に火をつけてソ連のカチューシャみたく敵陣に発射したり遊撃隊は爆竹を持って敵を追いかけて投げつけるとかやってました。(夢中になって追いかけすぎて手で破裂とかもありました)花火はそれぞれのチームで小遣いを出して買ってましたので地元企業の社長の息子を仲間にしたチームが資金力で有利となり仲間で出来なかったチームが物量に押されて負けてました。(このときに戦争は金と物量がものをいうということ実感として理解しました)
ロケット弾(ロケット花火という名称はせこいから使いたくなかった)は野良猫の巣にぶち込むとかろくでもないことをしてましたわ。15本同時発射とか浪費も甚だしい遊び方とか。
「手摺滑り」降りる奴の天敵、下で待ち構える浣腸魔王!
頭から滑り降りる奴もいたが、その度胸がなくて後ろ向きに滑り降りると、確かに下でカンチョーが待ち構えていた!
「けいおん!」の舞台のモデルになった豊里 小学校の階段の「ウサギとカメ」は子供 達に夢を与えるのは もちろん、「手摺滑り」の防止 だったんだそうです。「手摺滑り」する不届き者に下でカメの頭が待ち受けているという・・・アカン❗️😅
皆さん、因みに私が通ってた小学校はネットを張ってました。
私が小学校高学年の時にも手摺滑りを利用したカンチョーが男女問わず流行っていました落ちてくるのが女の子の場合、角度を間違えるとマンチョーになって危険でしたね
回旋塔は確かにヤバかったです。ぶら下がっている人が地面と水平になるまで回転速度を上げるのは何度も見たし遠心力に負けて、人が飛んで行く事件も有って使用禁止になりました。
不謹慎かもしれんけど想像したらおもしろいw
昭和40年代生まれだからどれもこれも懐かしい回転する系は回す奴が調子に乗ってアホほど速く回すから結構危なかった…💧銀玉鉄砲も安価だったし流行ったな(;´Д`)・・・💥🔫(ーー;)
お転婆な私はおとなしくブランコ漕いでいるわけも無く、当然のように吹っ飛んで飛距離を争っていました😊ブランコから手を離すタイミングがバッチリ合って遠くまで吹っ飛べた時の興奮‼️サイコーでした❤揺りかごブランコも、正しく乗って満足する訳が無い😅これでも吹っ飛んでました😂楽しかったな~
今から40年程度前、爆竹の火薬をフィルムのケースへと大量に入れ、田んぼに大きな穴を空けた同級生が居たなぁ。それを見ていた学校の先生が原付で追いかけていたけど(笑)。あと、癇癪玉を高速道路に撒いたり、流星(ロケット花火)を使って戦争していたりもしました。
紹介されている全ての遊具で遊んだ世代です!この当時は遊びの中で楽しさ、危険さ、怪我の痛さを学んだ。今の子供達は守られ過ぎているように感じます。日本の将来は大丈夫なのだろうか😢
同感だねー、ケガも危険な目にもあわないから他人の痛みがわからなくて限度超えたいじめなんていえないレベルの暴力をふるえるのさ。
子供の頃の危険な遊びが将来の危険予知につながり気をつける様になるんだけどな。過度に守られて大人になる事が本当に幸せなのかな?
安全配慮が行き過ぎると…、失敗しながら学ぶ機会を失ってしまう。バランスが難しいですね。
@@podgerion6028昔からあったでしょ
安全に配慮しすぎて子供自身が学ぶ機会もがっつり減ったよな結果子供成人が増えた
懐かしい。半世紀近く忘れていたけれど、この動画で全てまるっと思い出しました。ありがとうございます。
ブランコ5人乗り ブランコのチェーンをくるくる短くして乗る ブランコの周りにある柵の上で端から渡ってじゃんけんゲーム(←柵ゲーム中落ちて股間打ったのは今でもトラウマ)今の公園は遊具が一切ないなぁー
犬の柔らかいウンコにみんなで囲うように集まって、爆竹を根元まで差してチルチルミチルのライターで導火線に火をつけるあのスリル!!最高でした。
ロケット花火は手に持って着火して、上に投げて通常より高い所で破裂させたり、敵味方に別れて空き瓶を並べた発射台から連続発射して相手陣地に打ち込んでの戦争ごっこなどしていたなぁ(笑)目の近くで破裂したらヤバかった……
100円で3本位しか入ってない大きいロケット花火戦争してて膝に直撃してパックリ割れたのはいい思い出やったなーって更に戦争が盛り上がったのは更にいい思い出😄👍
花火でサバゲー(ΦωΦ)ロケ花はライフルのように射撃(ΦωΦ)パラシュート花火はバズーカのように使う(ΦωΦ)20連花火は突撃用(主に4本くらい同時に着火)(ΦωΦ)グフフフ
ロケット花火は真っ直ぐ投上げると火薬着火後に急激に加速してゆくから気持ちええのよ昭和の危ないは火遊びだな
着火させてから2.5秒~3秒くらいでぶん投げる感じだったな
爆竹も導火線短くしてライターで火をつけて投げ合いしてましたよね。うんこに刺してダッシュで逃げるとか。笑
子供を鉄棒で遊ばせてて思い出したんですが、小学生の頃、鉄棒を両手で握ったまま両足ともよじ登って、鉄棒の上で前屈姿勢(足は腕の外側ですが)になり、そのままクルッと回転して前方にジャンプしてその距離を競う、みたいな遊びがありました。今から思うと、よくあんな危ない事してたなと思います。
大車輪の劣化版としてはやりましたねえ。足をそろえてやるとカッコよかったもんです。
うわぁ!!懐かしい!公園の遊具、全部知ってるし遊んでました😂
花火の季節と言えば爆竹🧨がそこいらで鳴ってましたねー公園や自宅の庭で鳴らしてコーフンしたのを覚えてます😂
遊動円木ってむしろ大勢で跨って乗って、左右の所で立ち漕ぎして遊ぶ遊具だと思ってたわ
昭和59年生まれなので何個か懐かしいのがありました😊古めのやつはかなり田舎の祖父の家に行ったときに小学校や公園で遊びました。普通に遊んでも全部面白いだろうけど、その内に絶対変な遊びを思いついて親の目を盗んで遊びますもんね😓あと、箱ブランコは姉弟3人で遊んでたので、中で立って自力で揺らすのだと思いこんでました。。。
今の公園は、花壇とベンチしかないので、広い公園はお年寄りが集まって、ゲートボールをするのに最適な場所となりました(((^^;)
都内だけど回転ジャングルジムいまだに置いてあるとこ知ってますその遊具だけ異様にこどもたちに人気です笑
きちんと手入れされていればよいのだが…公務員時代に公園管理をやっていた頃、公園遊具を製造する業者の協会から官公庁向けに配られた遊具の事故に関する報告集には、根元が腐食していて、そこから折れたというのが載っていた。
箱ブランコが思い出の中で一番危険だった記憶。背もたれの箇所に両外側から二人立ってブランコの上の支柱を手で掴む足で背もたれを両側から押したり引いたりする。そうすると、ぶら下がりシーソーの足で漕ぐ版のようになる振り幅が180度くらいまで漕いで、思いっきり勢いをつけてから手を離してジャンプすると2メートルくらい後方上に吹っ飛ぶのを楽しんだ箱ブランコも回転ジャングルジムも基本的にどちらも外に立って勢いをつけて回したり揺らすものだと思っていました。中に入って遊ぶ使い方なのを今知ったw今思うとゾッとするくらい危険な遊び
危険だけど遊びの中で何が悪い良いを覚えた気がする
経験者の方?
@@凛-d4g 近所の悪ガキ共が❗その中心に兄貴たちいましたから。木登りや爆竹はやってましたね
既に危険だってわかってる子を巻き込まなければ、そうやって覚えていくのも必要かもしれませんね。
「愚か者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
うん、実際そうでしたね。爆竹1本と、そこらのゴミとか組み合わせて簡易手榴弾こさえてましたが、滅茶苦茶威力ありましたね。昭和は、兎に角「ない」のが前提でしたから、ゴミや山なんかから材料調達しましたね。
遊動円木と箱ブランコは近くの公園にまだありますよ!遊動円木は大人数で遊んでた時に勢いあまって落ちて、横揺れで遊んでたので頭打ちしました。現代の子(自分も)はやはりスリルを求めてしまうなー!
箱ブランコの踏み板片方だけ外して地面に刺さる位まで下げる。反対側も目いっぱい下げて一気に離すwその名もジェットブランコwあれはやばかったw
懐かしいですね😄回旋塔やぶら下がりシーソー楽しかったなあ😄😄私たち世代が使用するから、利用できるようにしてほしいなあ💕
60年ほど前の保育園にあった室内遊具で、十字型の四隅に子供の乗るイスがあり、イスの前にはT型のレバーがあって、4人で前後にレバーを動かすと回りだし、ビュンビュン回って面白かった🌀😆
回旋塔とコーヒーカップ遊具以外は、全て体験しました。懐かしい思い出です。大人になってからもやったのは、夏の海水浴が終わった夜に砂浜で数人ずつに分かれて、陣地を作ってロケット花火の発射装置などを自作してわざわざ持ち込んで打ち合ってました。ロケット花火は問屋でまとめて購入していたので、一人頭10箱くらいだったでしょうか。それが終わると豚汁を皆ですすったのは、楽しい思い出です。
コーヒーカップは高校に入ってバイク免許取るとスクーターの後輪を押し付けて超高速回転させるという異次元の危険に突入する事も
危険とは何なのか?を知ることが大切です。だから怪我をしないように対処ができる。危険を回避して安全に徹すると「危険」を知ることができません。また怪我をして治癒する過程は身体の治癒能力を向上させます。ですから子供の頃に転んで怪我をすることなどは、ある意味大切なことです。泥や土に含まれる細菌という異物質への抵抗力も異物が身体に入らないと得られない。
懐かしい話ばかりで嬉しくなりました。素敵な動画をありがとうございます。
子供の頃、どれもやってたなあ。電車に五円玉を轢かせるのは、どこに飛んだか見ていないと失くしちゃうんですよね。火薬をつかったオモチャも沢山ありましたね。自分らは、紙の巻火薬用のピストルがあってそれを使ってました。遊具の回転系は、危険だけど面白かったですよね。シーソーでぶら下がり式で、しかも回転するのがあって、一度薬指を挟んで爪が紫色になって暫く医者に行ったことありました。
危険なことを子供の頃にしないと...何が危険なのかわからない大人が増える
昭和59年うまれだけどちょいちょいあったのがあって懐かしい。オッサン向けにこれらの遊具がある場所作れば需要ありそう。というか俺行くわw
おばちゃんも行きたい😂…………あ、でもアスレチックコースで似たようなのありますよ?(真顔)
狸ちゃんの手摺り滑り可愛い
はこブランコの背もたれの上からの立ち漕ぎごっこはたまらんかったな。たしかに危なかった。
ガチョーン∑(゚Д゚)が面白くてほぼ全部閲覧させていただきました🤗長崎では爆竹とロケット花火はお盆のお墓参りの風物詩ですよ🤗その時期だけはコンビニとかでも売ってます。
確か中国では、春節などの慶事に爆竹を鳴らす風習があると聞いています。
平成11年生まれですが、近くの公園で、コーヒーカップで友達と一緒に乗って遊んでました。スピードめちゃめちゃ速くして。ドキドキしましたね~
今考えると「とんでもねー」と思うものだけど、わざわざその遊具がある公園に自転車で30分かけて遊びに行くとかありましたしね。夏休みで田舎に帰った時にしか行けない公園、そこにしかない遊具で自分なりの遊び方で遊ぶというのが普通だったし。あばれはっちゃくを観て育った世代の男性は「危険な思いをして学ぶ」「ケガして成長」みたいなものがありましたね...
箱型ブランコは遊具でもあったけど子供の集会所というか社交場でもあったね子供が小さい時は子供も楽しいけれど親が割と楽できる遊具でもあったんだよなぁ箱型で装飾できるとこが多いから これ本当に遊具? って感じの盛りに盛ったほとんど鉄製芸術みたいなモンまであった、今は完全に見かけなくなったので残念。
回旋塔正式名称初めて知った。60年前〜45年前頃迄は小学校の校庭内に有りました。オーシャンって呼んでいましたが背が低いと危ないと言う事で低学年は使用禁止中学年は先生と一緒に遊ぶと決まっていました。高学年になると遊ぶときには先生が見守るというルールでした。
ウチもオーシャンって呼んでました!
霊夢まさか40さいぐらい!?あと結構チェーンネットわたしの周りに結構ある。あと回転ジャングルジムもあるけど(動くやつ)やったことあるけどめちゃくちゃ回った😂
ロケット花火の棒を折って火をつけるとどこに飛ぶか分からないのをやって自分に飛んで来た時は怖かった
私たちも竹ひご部分を取って本体だけで飛ばす行為をしてました。煙を出しながらクルクル回って何処へ行くかわからずスリル満点でデンジャラスな遊びを小学生時代してました。通称、マクロス玉と呼んでました。思い出すと本当危ない事してたな...
夏休みカエル🐸の口の中に爆竹入れて着火したら即ぶん投げてました😂虐待😂😂😂ブランコ飛び降り飛距離伸ばしもやってましたね
2B弾以外は、ほぼ全て体験。この解説見て自分含め皆んな逞しかったなと、感涙中。
カミカン鉄砲を撃ったあとの火薬の煙が何とも言えないいい匂いだったなぁ😌
箱ブランコの支柱と、椅子を支える手すりに挟まれて、大腿骨を骨折した同級生を思い出しました😱💦
爆竹やねずみ花火を人の家の窓に投げ込んで、逃げた事がありましたね。
歩道橋の上から爆竹巻いてパンパン踏んでくのを眺めてはしゃいだり
最近の公園は、滑り台すら危ないという理由で撤去されているところもありますよ
それだけ子どもの運動能力が落ちているということなのでは
階段滑りは下部分に突起があるワナがあるケースがあって要注意。あれでオウッてなって爆笑取ったw加トちゃんも歌舞伎階段落ちコントでやってたけど。ちゃんとチーンって鳴ってたね。
ブランコ飛び降り楽しかったなぁ飛ぶ時ハイジの曲歌いながら雲まで飛べたらいいなーって思ってたのが良き思い出w
危険だけど楽しそうなのがいっぱいだな〜
竹のぼりっていう単純に立てかけた竹に登り滑り落ちる棒のぼりあったんだよね女の子があれで滑り落ちる時に恍惚の顔をしてるのをいまだに忘れないw
ほとんど子供の頃遊んでた遊具で懐かしかったです☺️確かに危険な遊び方してスリル感がたまんなかったの鮮明に覚えてますね😅
回転塔は回ってる、若しくは傾いてる最中に一斉に飛び降りる(手を放す)と、最後の一人がいる部分が急激に中心の鉄柱に傾き、叩きつけられるという恐ろしい遊具でした。子供の頃はそれもスリルや度胸試しとして楽しんでましたがケガをした事例も多くて、今じゃ規制もやむ無しかなとおもいますねー。
回旋塔は四肢欠損や死亡事故が起きてるからね。
回転系遊具は遊び方もあるけれど、経年劣化で柱が折れる事故が発生するようになって撤去されてしたいましたね。
階段の手摺り滑りやってその勢いのままぶっ飛んで壁にぶつかって気付いたらベッドの上だったことあったなー(¦3[▓▓]首に巻いたギプスがしばらく外せなかったし、その間ジャミラとか言われたな👽ノシ
カネキャップほんと好きwあの火薬のにおいもいいよねえ
階段の手すり滑りで継ぎ目かボルトか何かに引っ掛けて制服のズボンを破りました
2B弾というのは初めて聞きましたね~、昭和30年代とのことでさすがに世代じゃありませんでしたwそれ以外は大体経験してましたw回旋塔、自分とこは動画内でも言われてた回転塔って呼び方してまして、傘状にはなっておらず頂点から下げられた鎖がそれぞれ独立してて先端にトライアングル形状の持ち手が付いてるタイプでした自分はビビリだったのであんまやらなかったんですが、遠心力に耐えられるようタオルで手首と持ち手を結んでそれこそ体が真横になるくらいの勢いでぶん回し、わざと手を放して吹っ飛んでる豪快デンジャラスキッズもよくいました
子どもの頃2B弾を持ちすぎて持っている時に破裂したことがありました。痛かったですがケガはしませんでした。持っていた指が少し黄色くなったことを覚えています。
ぶら下がりシーソーで骨折しました!相手の子が手を離したせいで、地面に激突し手の指を複雑骨折。しかし、治ってからもやっぱり楽しくていつも遊んでいました。今思うとこわいですね。
回転ジャングルジムを「ビッグラットを使うジョー90!」と、調子に乗って動かして、「眼鏡を掛けたら世界一」どころか、すっかり酔ってゲロした思い出が・・・😅
>ジョー90.それを、本放送で観た年代の者です。しかし、ビッグラットが回転ジャングルジムに似ているというのは気が付きませんでした。今から見直すと、よく似てると思いましたが。ruclips.net/video/VDjmSYDq7es/видео.html
私の頃は、すべり台とブランコといった定番遊具しかない時代でした。階段の手すり、小学生の頃に上級生がやってて真似して遊んだ経験ありましたね。モノレールみたいにまたがって、スライドして楽に階段を降りる方法やりましたね。
自分は昭和の人間ですが、当時の公園には遊具がたくさんあったり駄菓子屋に行けば爆竹なんか普通に売ってましたね。なので普通の遊び方だけでは物足りなくなり色々な遊び方を開発したりでみんな毎日ケガとかしてましたねぇ〜w確かに危険な部分もありましたが、自分には何処までが限界なのかを知る良い機会でそれを知りうまく対応し生活していくというある種勉強だったと個人的には感じますね。今の時代の子はそういった「自分を知る」「周囲への立ち振舞方」などを知るすべの経験がやっぱり乏しいのかなと。、
今時の若者はこれだか…ですなぁ
@@権兵衛-b4n ただそれはあくまでも「比較したら」であって今の子がダメだ、、というわけではないです。時代がそうだからしょうがないし、逆に今の子達は自分達が知らない事を沢山知識として知っているし、それはそれだと思いますよ(自分が小さい時はパソコンやネットに携帯電話なんかなかったからさw)
コメント欄が懐かしいものだらけで…(*´∀`)今思い返すと箱ブランコって普通に座って乗ったのは保育園の頃くらいで、小学校上がると背もたれ?に立って2人で立ち漕ぎしてどれだけ揺らせるか…みたいな乗り方してたなwあれも危険っちゃ危険ですねw
線路遊び項目は絶対にダメだと警告は必須ですよ
小学生の頃、家でゲーム(私の頃はファミコンやスーファミ)して遊ぶよりも、外で遊ぶ方が好きだった。友達も同じで、学校が終わると近所にあった広場や公園に集合して、日が暮れるまで泥だらけになって遊んでいた。友達の兄弟繋がりで色んな学年の人達が集まり、学年をこえて様々な遊びをした覚えがある。住んでいたのは全国の市町村の人口ランキングでは上位に入る大きな市。しかし、その市の外れ(少し行ったら直ぐに隣の市になる。)のため、完全に田舎(ジャスコができた時、まるで大都市にある大型デパートができたかのような騒ぎになったレベル。)。そのため、みんなヤンチャでよく喧嘩したりした。しかしそんな中で、みんな、他者を思いやる気持ちを少しずつ学んでいった。そういうのが今を作っている。そして、ふざけて遊具を使って遊んでいて怪我をし、そんな中で危険と言うものを学んでいった。今の子達は静かに遊べと言われたり、遊具を撤去されたりして、学ぶ機会がないのが本当に可哀想。
しょうがない大事故が起きたとき、親は正しい使い方をしましょうとか正しい使い方を広めるより危ない遊具を設置してるのが悪いって言う発想になるからね
1.線路遊び硬貨置き経験あり。田舎の単線で通るのは30分に1回なのでのんびりしてましたね。3.爆竹爆竹や花火で色々遊んだなあ。特にロケット花火で戦争とか楽しかったな。6.ジャンプ弾ロケット弾と呼んで遊んでたけど頻度は少なかったな。12.回旋塔これは吊り下げられた二重の鉄の輪の上の輪に捕まってる手が支柱に当たって骨折や切断までしてしまう事故があったな。14.ぶら下がりシーソー3m近くまで上がるやつで実際に遊んだ事があったな。しかも支柱との接続部が回転するようになっていてシーソーしながら回転もする極悪遊具だった。15.遊動円木今思うと危険な要素が満載だったけど自分では危険な遊び方はした事は無かったな。16.箱ブランコこれも実際に箱と地面に挟まれて怪我をする子供がいたな。そりゃ撤去されるわな。
危険なことをしている子供を叱れない社会、何かあれば責任問題に発展する風潮が、危険なことを学ぶ機会を減らしてしまい、より危険なことをしたり怖さを知らずに育ってしまう。
回旋塔は面白かったな遠心力で身体が水平になっちゃうの高さは2.5mぐらかな?通常は自己申告でストップかけるんだけど、限界に挑戦したりすると握力が尽きてその体勢のまま5mはぶっ飛んだりする
昔は楽しい世界だった子供の頃は面白いのばかりで沢山楽しませて貰ったな
昭和50年代初め。私が小学校高学年だったころ、通っていた学校は屋上に児童が自由に出ることができました。もしかしたら今でも可能な学校もあるかもしれませんが、屋上のふちに50㎝ぐらいの高さの段はありましたがフェンスなどはもちろんなし。ある日度胸試しのつもりで私を含めた数名の男子がその段の上を走り回る、という遊びをしたのが先生にバレて大目玉をk羅ったことがありました。(^^;「生き物に爆竹を付ける」という遊びは私もやってしまいました。言い訳になりますが、その生き物が痙攣しながら死んでいくのを見て何とも言えない感情を覚えたことと、後悔の念にさいなまれる中で逆に生命の尊厳を知らずに学んでいたような気がします。
怪我したりして、だんだん一人前になっていくのが普通だった時代でしたね。とにかく町は、現在も危険で一杯ですからね。
ぶら下がりシーソーでかなり危険な遊びした良い思い出、じゃがしかし、あんな事してよく落ちなかったなあと今頃怖くなって来た。
回転塔…遠心力の凄さと巻き込まれ事故の怖さをまざまざと思い知らされた遊具。ただ危険な遊具と他人事で括るより己の限界知ったり、使用中は近くに寄らないとか子供なりに色々学んだ記憶があるな。
もっともそれを経験した子供が大人になった後色んなものを排除してるんだけどな
遊具が危険ていうけど、狭い路地裏や登校道を車が走る方がはるかに危険と思う。何でも無くせばいいという問題ではないし、ごく少数のクレーマーが優位なのが一番問題である。
もう全てが懐かしいです。
童心に帰った感じになりました。
ありがとうございます!!
回転ジャングルジム近くの公園にまだあるよ?
平成生まれだけど小学校低学年の頃校庭にまだ回旋塔あって、男女学年関係なくみんなで回って遊んでたなぁ...。続々撤去される遊具の中で回旋塔だけはまた遊びたいってずっと思ってた
こういう遊具を使って怪我したり、怪我の手前を味わったりして『危険 』を覚えていったりするのも必要だと思う。
まあ、手前で止まったで済んだのなら
運が良かった名で済むが
怪我してからじゃ遅い事もたるからな😅
箱ブランコとか怪我どころか小さい子がモロに衝突したら本当に命ヤバいやつだったからなぁ。。。
@@boy-w5u その辺りは「人の振り見て」を覚えるきっかけみたいな物であったし当然、危険性は大人から言われているから子供が大人の言う事をきくきっかけにもなった面もあると思う。
自分が子供の頃は不注意で怪我したら、お前が悪い、で無茶苦茶怒られたりした。それで怒られたくないからそれ以来同じ失敗をしないように自分で注意するようになったものだった
僕の小学校に何たらタワーって高さ10メートルのタワーがあって落ちたら死ぬ遊具で遊んでました。真ん中でオシッコチビってました。危ない経験できた。
ブランコの2人乗りが好きな遊びでした!二馬力なので1人の時より高く漕ぐ事が出来てスリル満点でしたね☆1度、誰も居ない校庭で高さ3~4m位の大きなジャングルジムの1番上に登った時に見た夕陽と気持ち良さは今でも忘れません🥲
どんな遊具でも、子供は予想を越えた使い方をするものです
小さい頃、雲梯の上を歩いて渡ったりしてましたw
雲梯の「上」を渡るのは基本ですよね。
小さいころ、雲梯の「上」は数本ぬかしで走るところまでが基本だと思ってた。
保育園時代、ドーム型雲梯は上で遊ぶ為のものでした
むしろ本来の遊び方はつまんなかった
雲梯の上で逆立ちしながら渡るやついたな
子供の頃、かいせんとうが学校にあったし、神社の公園には空中シーソーがあった。階段の手摺りからの滑りも懐かしいですな。
地球儀と回旋塔は学校の敷地内にあって放課後みんなで遠心力で飛ばされないようにつかみ続けるスーパーマンごっこして遊ぶのが楽しかった
地球儀は中に人が入って最大2人がぐるぐるダッシュしてすんげー速さで回ってたw
体勢崩したら脱臼しますね
何も道具とかなくても
学校帰りに道すがら遊びの材料とか有ったけどね
空き缶蹴りながら帰ったり
ひっつき虫(オナモミとか)放りながらくっつけ合いしたりとか
まぁ遊具やオモチャが有れば言う事ないけど
ヒモ引っ張ったらプロペラがブンッッ!と飛んでいく竹トンボみたいなオモチャとか好きだったな
いい年した大人の私ですが、回旋塔で時々遊びたいなと懐かしく思ってしまう😂
小学校にあった回旋塔は正にスリルとサスペンスいやはや大変な遊具でしたがいつの間にか撤去されていました。
昭和の子供はとにかく吹っ飛ばされていたんだなぁ
昔の人は子供の心をくすぐる遊具を考えるセンスがたまらない
今のようにスマホやネットなんてものは無く、基本男子は特に外で体を動かして遊ぶのがデフォだったし好奇心の塊だから遊具が無かったとしても危ない遊びはしてたと思う。
てか子供ながらでも怪我したら自分達のせいであって道具が悪いなんてこれっぽっちも思わなかったけどね・・・料理してて手を切ったら包丁のせいにはしない様なもんw
カネキャップのピストルは音だけでなく空気の“弾”が飛んできて、額に当たったあの“トン!”って感触を今でも思い出す。
銀玉鉄砲の撃ち合いよりも面白かった!
どの遊具も少なからず怪我をしたり人が怪我をしてるのを見て体感的に物理法則を理解したり、そうならないように他人を気遣ったり体を(結果的に)鍛えたりしてた面があったと思う。当然、親が危険性について言及してるから親の言うことを聞かないと怪我をするという意識づけもできてメリットもあったと思うな。
子供がそんなん気にもしねーよ
@@田中一郎-o3u うん、そんなのは怪我してどうぞw普通は気にしたり、怪我して覚えるよね
@@I_am_Brats 何を学ぶんだよ
自分の子供時代そんなアホだったのか?w
危険なんてわかっててやってるもんだろ
ちょっと年上の学校のお姉さんに遊具の楽しさも危険性も教わったなー。そうして自分も3年生くらいになったら「そういう使い方危ないよ」って新1年生に指導してた。
単純にどれだけ高いところから飛び降りれるかってやってたけど、今考えるとアレもかなり危険な遊びだったなぁ。。。
飛んだ瞬間、飛ばなきゃよかったと思った事が何度もあったわ(>
解ります。しかも悪い事に、当時は仮面ライダー ブームで、ジャングルジムの てっぺん からライダージャンプした奴が数知れず。😅
学校の階段からの飛び降りを競っていたな。
何段目から飛び降りる事ができるとか。
群れ遊びにはつきものの、高い所から飛び降りる、用水路を飛び越えられるかで力関係が出来てしまった。
あいつは根性無しと見られると相手にされなくなる。常に緊張感があった。
3階から飛び降りて病院送りになったやつがいたなあ
当地、宮城県では仮面ライダーが日曜朝9時から放送してて、それ見てからハイテンションで遊んでたから飛び降りでケガして、月曜の体育授業は支障がでた。
ぶら下がりシーソって自分が上になった時に反対側の子供が手を離すと落ちると言う、友人の信頼度を試すとても奥が深い遊具だった
俺はあれで友人は信頼してはいけないと身体で学んだ
そう言う意味で現代の子供にも必要な遊具だと思う…
友人…
普通のシーソーでもそれは学べる。
@@sw-jv3yu
いや、全然違うからw
@@少年-x7e
普通のシーソーで下の方の子が急に降りてケツしこたま打ち付けるとかなかった?
今みたいに下にタイヤとか入ってなくて地面に直だからかなりの衝撃食らうの。
@@sw-jv3yu
おや、丁寧な返信ありがとうw
確かにそれも地味に危ないんだけど(尾骨骨折とかね)、ぶら下がるタイプに腰掛けて上まで上がった時に離されると、そりゃあもうね。。。
やる方からしたら、どちらも差の無い悪戯なんだが。
骨折ったりとか何針も縫う裂傷負ったりとか、割とよくあるお話でしたね。
何針縫ったとか逆に何げにステイタスだった( ´∀`)
自転車で急な坂をどのくらいのスピードで滑降できるかの競争して骨にヒビが入った
@@碇シンジ-s2q
更にギプスなんて巻こうものなら、クラスでヒーローになれた(>
ペラペラのサンダル履いてよくクギ踏んだりした
眼帯とかギプスとか何故かカッコよく見えた。
平成初期生まれ、遊具系回旋塔は知らないけどそれ以外は見たことある、そして小学校卒業までの間にものすごい勢いで使用禁止になり取り壊され撤去されカラフルな複合遊具に置き換わっていった…
今の時代家で遊んでばかり居ないで外で遊べと怒られ外で遊んだら近所迷惑だと怒られ公園もなくなりつつあるから子どもの遊び場が無いよなぁ
文句しか言わないモンペのせいだな、子供が可哀想だ
本当にわかる、私なんて、遊びに行く場所とかないし😢
子供の声は国の宝 煩いって言う奴は非国民だわ
怒られるくらいならまだいいだろ。
昔なら理不尽になぐられたぞ。
@@南無夜須 ごめんなさい、この程度の事でコメントしてしまって
私はビビリでしたが、今思うと当時のガキ大将とかって、マジで命がけ級のめちゃくちゃ
スゴイことをやっていた気がする
昭和の頃は遊びでも危険と隣り合わせだったからどこまでなら安全かっていうさじ加減が自然に学べたし楽しかったなぁw
言い出したら全ての遊具が危険になってしまうよね。
今の子供達は逆に可哀想だなー。
遊びの格闘ごっこでも背中にひじ打ちは危ないとか、みんな日常生活で知った。
@@disninnin可哀想とは思わない
木登り:よく落ちました。でも骨折とかの大怪我は無かったなあ😃
真冬に川釣り:川に落ちて死にかけました。😫
爆竹、2B弾:危険物なんて考えずに普通に遊んでました。😜
学校のフェンスもよく登ったっけ。高さ5mくらいのやつ。
公園に行き誰もいないと、(普通の)シーソーの片側のイスに
大きな石を2、3個乗せて、自分はもう片側に乗って、1人シーソーやっていた。
「俺って頭ええー」と悦に入りながら遊んでいたが、今思えば
友達のいない寂しい子供みたいで涙出そうw
子供の時、回転系の遊具にぶら下がってたのを限度を超えて回されて遠心力で数メートル吹っ飛んでいく子供をよく見ました。当時は大笑いしてましたが今思うとかなりヤバいですよね。
大車輪ロケットパンチ的な
ブランコも漕ぎ過ぎて
たまにカタパルトから発射されたみたいに飛距離伸びて肝が縮む時あった
ジャングルジムで股間打った事も(笑)
うん 怖い
それで打たれ強くなった世代σ(゚Д゚*)
@@千葉県人-p3b
何か今思うと宇宙飛行士とか戦闘機乗りの耐G訓練みたいだ(笑)
ゲッターロボとかでも有った気がする
限界を超えて飛んで行く時はたまらなくドキドキしました。😌
懐かしすぎる。
爆竹とかんしゃく玉で多くのカエルが犠牲になりましたね
ロケット花火は撃ち合いという危険な遊び方もありました
広場で遊んでいたときに、うるさいと何度も言われて頭に来たので、そのタイミングでその家にロケット花火の一斉放火とか、今じゃ警察沙汰だよなぁ
中学の時、打ち上げ花火を手持ちで撃ち合って
サバゲーもどきやってたら通報されたw
ロケット花火って鉄パイプから発射するといい音するので
それでも撃ち合いやってたwそれでまた通報された懲りない馬鹿餓鬼だったw
昔はそれが普通だったしね
カエルや虫で実験しようで止まってて良かったですね。
やんちゃな子とか本気で武装して喧嘩しようとかしたら犬や人に食わせたりしそうなのに
危険が少ないのも問題だよな。
怪我して痛い思いするからこそ覚えるものもあるもんなぁ
むずかしいですね。そう思いますが、死亡や重度の障害や四肢欠損みたいな大事故にはなって欲しくないし
小さな擦り傷くらいはむしろ子供の安全意識を高めるのに良いかもしれない。塩梅が大事ですね
ゲームのほうが遊びとしては人気だし、体を使う遊びはしなくなってる。
危険を自分で処理できる体力の子供はもういない。
ロケット花火と爆竹での戦争ごっこはやってました、U字型に削られた採土場で左右の一段高い所をそれぞれの陣地としてロケット花火を竹や塩ビパイプを並べて板に打ち付けたものに差し込んでライターで一斉に火をつけてソ連のカチューシャみたく敵陣に発射したり遊撃隊は爆竹を持って敵を追いかけて投げつけるとかやってました。(夢中になって追いかけすぎて手で破裂とかもありました)
花火はそれぞれのチームで小遣いを出して買ってましたので地元企業の社長の息子を仲間にしたチームが資金力で有利となり仲間で出来なかったチームが物量に押されて負けてました。(このときに戦争は金と物量がものをいうということ実感として理解しました)
ロケット弾(ロケット花火という名称はせこいから使いたくなかった)は野良猫の巣にぶち込むとかろくでもないことをしてましたわ。
15本同時発射とか浪費も甚だしい遊び方とか。
「手摺滑り」降りる奴の天敵、下で待ち構える浣腸魔王!
頭から滑り降りる奴もいたが、その度胸がなくて後ろ向きに滑り降りると、確かに下でカンチョーが待ち構えていた!
「けいおん!」の舞台のモデルになった豊里 小学校の階段の「ウサギとカメ」は子供 達に夢を与えるのは もちろん、「手摺滑り」の防止 だったんだそうです。「手摺滑り」する不届き者に下でカメの頭が待ち受けているという・・・アカン❗️😅
皆さん、因みに私が通ってた小学校はネットを張ってました。
私が小学校高学年の時にも手摺滑りを利用したカンチョーが男女問わず流行っていました
落ちてくるのが女の子の場合、角度を間違えるとマンチョーになって危険でしたね
回旋塔は確かにヤバかったです。
ぶら下がっている人が地面と水平になるまで回転速度を上げるのは何度も見たし
遠心力に負けて、人が飛んで行く事件も有って使用禁止になりました。
不謹慎かもしれんけど想像したらおもしろいw
昭和40年代生まれだから
どれもこれも懐かしい
回転する系は回す奴が調子に乗ってアホほど速く回すから結構危なかった…💧
銀玉鉄砲も安価だったし流行ったな
(;´Д`)・・・💥🔫(ーー;)
お転婆な私はおとなしくブランコ漕いでいるわけも無く、当然のように吹っ飛んで飛距離を争っていました😊
ブランコから手を離すタイミングがバッチリ合って遠くまで吹っ飛べた時の興奮‼️
サイコーでした❤
揺りかごブランコも、正しく乗って満足する訳が無い😅
これでも吹っ飛んでました😂
楽しかったな~
今から40年程度前、爆竹の火薬をフィルムのケースへと大量に入れ、田んぼに大きな穴を空けた同級生が居たなぁ。
それを見ていた学校の先生が原付で追いかけていたけど(笑)。
あと、癇癪玉を高速道路に撒いたり、流星(ロケット花火)を使って戦争していたりもしました。
紹介されている全ての遊具で遊んだ世代です!この当時は
遊びの中で楽しさ、危険さ、
怪我の痛さを学んだ。
今の子供達は守られ過ぎているように感じます。
日本の将来は大丈夫なのだろうか😢
同感だねー、ケガも危険な目にもあわないから他人の痛みがわからなくて限度超えたいじめなんていえないレベルの暴力をふるえるのさ。
子供の頃の危険な遊びが将来の危険予知につながり気をつける様になるんだけどな。
過度に守られて大人になる事が本当に幸せなのかな?
安全配慮が行き過ぎると…、失敗しながら学ぶ機会を失ってしまう。
バランスが難しいですね。
@@podgerion6028昔からあったでしょ
安全に配慮しすぎて子供自身が学ぶ機会もがっつり減ったよな
結果子供成人が増えた
懐かしい。
半世紀近く忘れていたけれど、この動画で全てまるっと思い出しました。
ありがとうございます。
ブランコ5人乗り ブランコのチェーンをくるくる短くして乗る ブランコの周りにある柵の上で端から渡ってじゃんけんゲーム(←柵ゲーム中落ちて股間打ったのは今でもトラウマ)
今の公園は遊具が一切ないなぁー
犬の柔らかいウンコにみんなで囲うように集まって、爆竹を根元まで差してチルチルミチルのライターで導火線に火をつけるあのスリル!!
最高でした。
ロケット花火は手に持って着火して、上に投げて通常より高い所で破裂させたり、敵味方に別れて空き瓶を並べた発射台から連続発射して相手陣地に打ち込んでの戦争ごっこなどしていたなぁ(笑)
目の近くで破裂したらヤバかった……
100円で3本位しか入ってない大きいロケット花火戦争してて
膝に直撃してパックリ割れたのはいい思い出
やったなーって更に戦争が盛り上がったのは更にいい思い出😄👍
花火でサバゲー
(ΦωΦ)
ロケ花はライフルのように射撃
(ΦωΦ)
パラシュート花火はバズーカのように使う
(ΦωΦ)
20連花火は突撃用(主に4本くらい同時に着火)
(ΦωΦ)グフフフ
ロケット花火は真っ直ぐ投上げると火薬着火後に急激に加速してゆくから気持ちええのよ
昭和の危ないは火遊びだな
着火させてから2.5秒~3秒くらいでぶん投げる感じだったな
爆竹も導火線短くしてライターで火をつけて投げ合いしてましたよね。うんこに刺してダッシュで逃げるとか。笑
子供を鉄棒で遊ばせてて思い出したんですが、小学生の頃、鉄棒を両手で握ったまま両足ともよじ登って、
鉄棒の上で前屈姿勢(足は腕の外側ですが)になり、
そのままクルッと回転して前方にジャンプしてその距離を競う、みたいな遊びがありました。
今から思うと、よくあんな危ない事してたなと思います。
大車輪の劣化版としてはやりましたねえ。足をそろえてやるとカッコよかったもんです。
うわぁ!!懐かしい!
公園の遊具、全部知ってるし遊んでました😂
花火の季節と言えば爆竹🧨がそこいらで鳴ってましたねー
公園や自宅の庭で鳴らしてコーフンしたのを覚えてます😂
遊動円木ってむしろ大勢で跨って乗って、左右の所で立ち漕ぎして遊ぶ遊具だと思ってたわ
昭和59年生まれなので何個か懐かしいのがありました😊
古めのやつはかなり田舎の祖父の家に行ったときに小学校や公園で遊びました。
普通に遊んでも全部面白いだろうけど、その内に絶対変な遊びを思いついて親の目を盗んで遊びますもんね😓
あと、箱ブランコは姉弟3人で遊んでたので、中で立って自力で揺らすのだと思いこんでました。。。
今の公園は、花壇とベンチしかないので、広い公園はお年寄りが集まって、ゲートボールをするのに最適な場所となりました(((^^;)
都内だけど回転ジャングルジムいまだに置いてあるとこ知ってます
その遊具だけ異様にこどもたちに人気です笑
きちんと手入れされていればよいのだが…
公務員時代に公園管理をやっていた頃、公園遊具を製造する業者の協会から官公庁向けに配られた遊具の事故に関する報告集には、根元が腐食していて、そこから折れたというのが載っていた。
箱ブランコが思い出の中で一番危険だった記憶。
背もたれの箇所に両外側から二人立ってブランコの上の支柱を手で掴む
足で背もたれを両側から押したり引いたりする。
そうすると、ぶら下がりシーソーの足で漕ぐ版のようになる
振り幅が180度くらいまで漕いで、思いっきり勢いをつけてから手を離してジャンプすると2メートルくらい後方上に吹っ飛ぶのを楽しんだ
箱ブランコも回転ジャングルジムも基本的にどちらも外に立って勢いをつけて回したり揺らすものだと思っていました。
中に入って遊ぶ使い方なのを今知ったw
今思うとゾッとするくらい危険な遊び
危険だけど遊びの中で何が悪い良いを覚えた気がする
経験者の方?
@@凛-d4g 近所の悪ガキ共が❗その中心に兄貴たちいましたから。木登りや爆竹はやってましたね
既に危険だってわかってる子を巻き込まなければ、そうやって覚えていくのも必要かもしれませんね。
「愚か者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
うん、実際そうでしたね。爆竹1本と、そこらのゴミとか組み合わせて簡易手榴弾こさえてましたが、滅茶苦茶威力ありましたね。昭和は、兎に角「ない」のが前提でしたから、ゴミや山なんかから材料調達しましたね。
遊動円木と箱ブランコは近くの公園にまだありますよ!
遊動円木は大人数で遊んでた時に勢いあまって落ちて、横揺れで遊んでたので頭打ちしました。
現代の子(自分も)はやはりスリルを求めてしまうなー!
箱ブランコの踏み板片方だけ外して地面に刺さる位まで下げる。反対側も目いっぱい下げて一気に離すwその名もジェットブランコwあれはやばかったw
懐かしいですね😄
回旋塔やぶら下がりシーソー楽しかったなあ😄😄
私たち世代が使用するから、利用できるようにしてほしいなあ💕
60年ほど前の保育園にあった室内遊具で、十字型の四隅に子供の乗るイスがあり、イスの前にはT型のレバーがあって、4人で前後にレバーを動かすと回りだし、ビュンビュン回って面白かった🌀😆
回旋塔とコーヒーカップ遊具以外は、全て体験しました。懐かしい思い出です。
大人になってからもやったのは、夏の海水浴が終わった夜に砂浜で数人ずつに分かれて、陣地を作ってロケット花火の発射装置などを自作してわざわざ持ち込んで打ち合ってました。
ロケット花火は問屋でまとめて購入していたので、一人頭10箱くらいだったでしょうか。
それが終わると豚汁を皆ですすったのは、楽しい思い出です。
コーヒーカップは高校に入ってバイク免許取るとスクーターの後輪を押し付けて超高速回転させるという異次元の危険に突入する事も
危険とは何なのか?を知ることが大切です。だから怪我をしないように対処ができる。
危険を回避して安全に徹すると「危険」を知ることができません。
また怪我をして治癒する過程は身体の治癒能力を向上させます。ですから子供の頃に転んで怪我をすることなどは、ある意味大切なことです。泥や土に含まれる細菌という異物質への抵抗力も異物が身体に入らないと得られない。
懐かしい話ばかりで嬉しくなりました。
素敵な動画をありがとうございます。
子供の頃、どれもやってたなあ。電車に五円玉を轢かせるのは、どこに飛んだか見ていないと失くしちゃうんですよね。
火薬をつかったオモチャも沢山ありましたね。自分らは、紙の巻火薬用のピストルがあってそれを使ってました。
遊具の回転系は、危険だけど面白かったですよね。シーソーでぶら下がり式で、しかも回転するのがあって、一度薬指を挟んで爪が紫色になって暫く医者に行ったことありました。
危険なことを子供の頃にしないと...何が危険なのかわからない大人が増える
昭和59年うまれだけどちょいちょいあったのがあって懐かしい。
オッサン向けにこれらの遊具がある場所作れば需要ありそう。というか俺行くわw
おばちゃんも行きたい😂
…………あ、でもアスレチックコースで似たようなのありますよ?(真顔)
狸ちゃんの手摺り滑り可愛い
はこブランコの背もたれの上からの立ち漕ぎごっこはたまらんかったな。たしかに危なかった。
ガチョーン∑(゚Д゚)が面白くてほぼ全部閲覧させていただきました🤗
長崎では爆竹とロケット花火はお盆のお墓参りの風物詩ですよ🤗その時期だけはコンビニとかでも売ってます。
確か中国では、春節などの慶事に爆竹を鳴らす風習があると聞いています。
平成11年生まれですが、近くの公園で、コーヒーカップで友達と一緒に乗って遊んでました。スピードめちゃめちゃ速くして。
ドキドキしましたね~
今考えると「とんでもねー」と思うものだけど、わざわざその遊具がある公園に自転車で30分かけて遊びに行くとかありましたしね。
夏休みで田舎に帰った時にしか行けない公園、そこにしかない遊具で自分なりの遊び方で遊ぶというのが普通だったし。
あばれはっちゃくを観て育った世代の男性は「危険な思いをして学ぶ」「ケガして成長」みたいなものがありましたね...
箱型ブランコは遊具でもあったけど子供の集会所というか社交場でもあったね
子供が小さい時は子供も楽しいけれど親が割と楽できる遊具でもあったんだよなぁ
箱型で装飾できるとこが多いから これ本当に遊具? って感じの盛りに盛った
ほとんど鉄製芸術みたいなモンまであった、今は完全に見かけなくなったので残念。
回旋塔正式名称初めて知った。60年前〜45年前頃迄は小学校の校庭内に有りました。オーシャンって呼んでいましたが背が低いと危ないと言う事で低学年は使用禁止中学年は先生と一緒に遊ぶと決まっていました。高学年になると遊ぶときには先生が見守るというルールでした。
ウチもオーシャンって呼んでました!
霊夢まさか40さいぐらい!?あと結構チェーンネットわたしの周りに結構ある。あと回転ジャングルジムもあるけど(動くやつ)やったことあるけどめちゃくちゃ回った😂
ロケット花火の棒を折って火をつけるとどこに飛ぶか分からないのをやって自分に飛んで来た時は怖かった
私たちも竹ひご部分を取って本体だけで飛ばす行為をしてました。煙を出しながらクルクル回って何処へ行くかわからずスリル満点でデンジャラスな遊びを小学生時代してました。
通称、マクロス玉と呼んでました。思い出すと本当危ない事してたな...
夏休みカエル🐸の口の中に爆竹入れて着火したら即ぶん投げてました😂虐待😂😂😂
ブランコ飛び降り飛距離伸ばしもやってましたね
2B弾以外は、ほぼ全て体験。この解説見て自分含め皆んな逞しかったなと、感涙中。
カミカン鉄砲を撃ったあとの火薬の煙が何とも言えないいい匂いだったなぁ😌
箱ブランコの支柱と、椅子を支える手すりに挟まれて、大腿骨を骨折した同級生を思い出しました😱💦
爆竹やねずみ花火を人の家の窓に投げ込んで、逃げた事がありましたね。
歩道橋の上から爆竹巻いてパンパン踏んでくのを眺めてはしゃいだり
最近の公園は、滑り台すら危ないという理由で撤去されているところもありますよ
それだけ子どもの運動能力が落ちているということなのでは
階段滑りは下部分に突起があるワナがあるケースがあって要注意。
あれでオウッてなって爆笑取ったw
加トちゃんも歌舞伎階段落ちコントでやってたけど。ちゃんとチーンって鳴ってたね。
ブランコ飛び降り楽しかったなぁ
飛ぶ時ハイジの曲歌いながら雲まで飛べたらいいなーって思ってたのが良き思い出w
危険だけど楽しそうなのがいっぱいだな〜
竹のぼりっていう単純に立てかけた竹に登り滑り落ちる
棒のぼりあったんだよね
女の子があれで滑り落ちる時に恍惚の顔をしてるのを
いまだに忘れないw
ほとんど子供の頃遊んでた遊具で懐かしかったです☺️
確かに危険な遊び方してスリル感がたまんなかったの鮮明に覚えてますね😅
回転塔は回ってる、若しくは傾いてる最中に一斉に飛び降りる(手を放す)と、最後の一人がいる部分が急激に中心の鉄柱に傾き、叩きつけられるという恐ろしい遊具でした。子供の頃はそれもスリルや度胸試しとして楽しんでましたがケガをした事例も多くて、今じゃ規制もやむ無しかなとおもいますねー。
回旋塔は四肢欠損や死亡事故が起きてるからね。
回転系遊具は遊び方もあるけれど、経年劣化で柱が折れる事故が発生するようになって撤去されてしたいましたね。
階段の手摺り滑りやってその勢いのままぶっ飛んで壁にぶつかって気付いたらベッドの上だったことあったなー(¦3[▓▓]
首に巻いたギプスがしばらく外せなかったし、その間ジャミラとか言われたな👽ノシ
カネキャップほんと好きw
あの火薬のにおいもいいよねえ
階段の手すり滑りで継ぎ目かボルトか何かに引っ掛けて制服のズボンを破りました
2B弾というのは初めて聞きましたね~、昭和30年代とのことでさすがに世代じゃありませんでしたwそれ以外は大体経験してましたw
回旋塔、自分とこは動画内でも言われてた回転塔って呼び方してまして、傘状にはなっておらず頂点から下げられた鎖がそれぞれ独立してて
先端にトライアングル形状の持ち手が付いてるタイプでした
自分はビビリだったのであんまやらなかったんですが、遠心力に耐えられるようタオルで手首と持ち手を結んで
それこそ体が真横になるくらいの勢いでぶん回し、わざと手を放して吹っ飛んでる豪快デンジャラスキッズもよくいました
子どもの頃2B弾を持ちすぎて持っている時に破裂したことがありました。痛かったですがケガはしませんでした。持っていた指が少し黄色くなったことを覚えています。
ぶら下がりシーソーで骨折しました!
相手の子が手を離したせいで、地面に激突し手の指を複雑骨折。
しかし、治ってからもやっぱり楽しくていつも遊んでいました。
今思うとこわいですね。
回転ジャングルジムを「ビッグラットを使うジョー90!」と、調子に乗って動かして、「眼鏡を掛けたら世界一」どころか、すっかり酔ってゲロした思い出が・・・😅
>ジョー90.
それを、本放送で観た年代の者です。しかし、ビッグラットが回転ジャングルジムに似ているというのは気が付きませんでした。今から見直すと、よく似てると思いましたが。
ruclips.net/video/VDjmSYDq7es/видео.html
私の頃は、すべり台とブランコといった定番遊具しかない時代でした。
階段の手すり、小学生の頃に上級生がやってて真似して遊んだ経験ありましたね。
モノレールみたいにまたがって、スライドして楽に階段を降りる方法やりましたね。
自分は昭和の人間ですが、当時の公園には遊具がたくさんあったり駄菓子屋に行けば爆竹なんか普通に売ってましたね。なので普通の遊び方だけでは物足りなくなり色々な遊び方を開発したりでみんな毎日ケガとかしてましたねぇ〜w
確かに危険な部分もありましたが、自分には何処までが限界なのかを知る良い機会でそれを知りうまく対応し生活していくというある種勉強だったと個人的には感じますね。
今の時代の子はそういった「自分を知る」「周囲への立ち振舞方」などを知るすべの経験がやっぱり乏しいのかなと。、
今時の若者はこれだか…ですなぁ
@@権兵衛-b4n
ただそれはあくまでも「比較したら」であって今の子がダメだ、、
というわけではないです。
時代がそうだからしょうがないし、逆に今の子達は自分達が知らない事を沢山知識として知っているし、それはそれだと思いますよ(自分が小さい時はパソコンやネットに携帯電話なんかなかったからさw)
コメント欄が懐かしいものだらけで…(*´∀`)
今思い返すと箱ブランコって普通に座って乗ったのは保育園の頃くらいで、小学校上がると背もたれ?に立って2人で立ち漕ぎしてどれだけ揺らせるか…みたいな乗り方してたなwあれも危険っちゃ危険ですねw
線路遊び項目は絶対にダメだと警告は必須ですよ
小学生の頃、家でゲーム(私の頃はファミコンやスーファミ)して遊ぶよりも、外で遊ぶ方が好きだった。友達も同じで、学校が終わると近所にあった広場や公園に集合して、日が暮れるまで泥だらけになって遊んでいた。友達の兄弟繋がりで色んな学年の人達が集まり、学年をこえて様々な遊びをした覚えがある。
住んでいたのは全国の市町村の人口ランキングでは上位に入る大きな市。しかし、その市の外れ(少し行ったら直ぐに隣の市になる。)のため、完全に田舎(ジャスコができた時、まるで大都市にある大型デパートができたかのような騒ぎになったレベル。)。そのため、みんなヤンチャでよく喧嘩したりした。
しかしそんな中で、みんな、他者を思いやる気持ちを少しずつ学んでいった。そういうのが今を作っている。そして、ふざけて遊具を使って遊んでいて怪我をし、そんな中で危険と言うものを学んでいった。
今の子達は静かに遊べと言われたり、遊具を撤去されたりして、学ぶ機会がないのが本当に可哀想。
しょうがない
大事故が起きたとき、親は正しい使い方をしましょうとか
正しい使い方を広めるより
危ない遊具を設置してるのが悪いって言う発想になるからね
1.線路遊び
硬貨置き経験あり。田舎の単線で通るのは30分に1回なのでのんびりしてましたね。
3.爆竹
爆竹や花火で色々遊んだなあ。特にロケット花火で戦争とか楽しかったな。
6.ジャンプ弾
ロケット弾と呼んで遊んでたけど頻度は少なかったな。
12.回旋塔
これは吊り下げられた二重の鉄の輪の上の輪に捕まってる手が支柱に当たって骨折や切断までしてしまう事故があったな。
14.ぶら下がりシーソー
3m近くまで上がるやつで実際に遊んだ事があったな。しかも支柱との接続部が回転するようになっていてシーソーしながら回転もする極悪遊具だった。
15.遊動円木
今思うと危険な要素が満載だったけど自分では危険な遊び方はした事は無かったな。
16.箱ブランコ
これも実際に箱と地面に挟まれて怪我をする子供がいたな。そりゃ撤去されるわな。
危険なことをしている子供を叱れない社会、何かあれば責任問題に発展する風潮が、危険なことを学ぶ機会を減らしてしまい、より危険なことをしたり怖さを知らずに育ってしまう。
回旋塔は面白かったな
遠心力で身体が水平になっちゃうの
高さは2.5mぐらかな?
通常は自己申告でストップかけるんだけど、
限界に挑戦したりすると握力が尽きてその体勢のまま5mはぶっ飛んだりする
昔は楽しい世界だった
子供の頃は面白いのばかりで沢山楽しませて貰ったな
昭和50年代初め。私が小学校高学年だったころ、通っていた学校は屋上に児童が自由に出ることができました。もしかしたら今でも可能な学校もあるかもしれませんが、屋上のふちに50㎝ぐらいの高さの段はありましたがフェンスなどはもちろんなし。
ある日度胸試しのつもりで私を含めた数名の男子がその段の上を走り回る、という遊びをしたのが先生にバレて大目玉をk羅ったことがありました。(^^;
「生き物に爆竹を付ける」という遊びは私もやってしまいました。言い訳になりますが、その生き物が痙攣しながら死んでいくのを見て何とも言えない感情を覚えたことと、後悔の念にさいなまれる中で逆に生命の尊厳を知らずに学んでいたような気がします。
怪我したりして、だんだん一人前になっていくのが普通だった時代でしたね。とにかく町は、現在も危険で一杯ですからね。
ぶら下がりシーソーでかなり危険な遊びした良い思い出、じゃがしかし、あんな事してよく落ちなかったなあと今頃怖くなって来た。