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速記の技術は学んだことはないけど、会社の会議の議事録作成は下っ端の仕事だったから、ひたすらノートに議事を書き付けてた会議後にWordに転記して関係者に内容を確認してもらうと「こんなこと言ってない」と文句を言われるまでがセット
日本経済が堅調だった頃は東証の場立ちと上田ハーローで電話いっぱい取ってる人たちの映像がニュースの風物詩だった。
小さい頃 自転車で豆腐売りに来てたおじちゃんいたなお手伝いで買った記憶…美味しい豆腐だったな…
入社初期、個人で2行表示の「Rupo」を使っていました!「熱転写インクリボン」「感熱紙」が懐かしいです!
某コールセンターで働いているけど、お客さんとのやり取りを文字起こしするソフトが入ってて、戦慄してるお。
昔は自宅にスキン(性交サック)←コンドーム売りのおばちゃんが年1くらいに来て、お母さん達の愚痴なんかの相手してたな。「誰?」って聞いても「まだまだお嬢ちゃん達には早いわね」とか言われて、「あっちいってなさい」とか言われて追い払われてたなぁ😅😅😅
私の母が子育てて時代の昭和半ばまではあったなあ。オカモトのコンドーム、明るい家庭計画とか、なんたらこんたら。おばちゃんが相談や売りに来ていたりしてた。母は薬局に行き勇気を出して「サック」ください。って言ったら指サックが出てきて、それ違うって恥ずかしくて説明を言えなくて「サック(コンドーム)」買わずに帰って来たって。マジで7人堕ろしたって。私と弟の間に1人、弟と次の弟の間がかなり空いてて、その間に6人。男性の協力を得られない時代だったから昔はそんなお母さんが一定数居たと思う。まあタイトルが平成だから、平成では普通にコンドーム買えるからなあ。あ、当時はスキンとも言ってたな。 サック→スキン→コンドームの順かな。
子供のころは自転車でアサリとシジミを売りに来るおっちゃんがいたなぁそこで買ったアサリを鍋に入れてよーく見てるとたまに小さいカニがいたりして面白かったんだよな
夏休みの朝を思い出すなアサーリー シジミ(シジミのとこ小さくて速い感じ) の声を聴きながら起きてラジオ体操に出掛けるの あの頃の真夏の早朝は今より暑くなくて爽やかだったな
キャバレーのレジ係りってキャバレー自体ほぼ消滅してるから消えてしまうのは自然だよな。
銭湯とかのペンキ絵師もほぼ絶滅してるとか。
子供の頃「たぁけやぁ〜さおだけぇ〜」を聞いて育ったのに、確かに最近聞かないなぁと思ったら…ちょっと寂しいね😢
私も昔ながらのマニュアルタイプライターで英文タイプを覚えましたが、あれは長年やっていると指の関節がダメになる代物でした。なくなってよかった職業かもしれません。また、ミシン販売員のところで、「昔は良い物(良い服)を修理して長く使った」と言っていますが、確かに間違いではないですが、今のように安くてまあまあの品質の服が売られていなかったので、持っている服を長く使わざるを得なかったのです。私の母は婦人服専門の洋裁師で、昭和30年代にはサラリーマンだった父の月給と同じぐらいの収入がありましたが、昭和40年代にはいると仕立ての仕事が激減してサイズ直しが主になり、昭和50年代に入ってそれもなくなって廃業しました。
手品師とか腹話術師は笑点とか見てると普通に出てきますよ。
ワープロ専用機は自分が大学生の頃には安価になって漸く普及し始めていた時期でしたが、まだ誰もが持っている一般的な存在ではありませんでした。卒論は手書き📝提出がまだ当たり前の時代でした。同級生がワープロで印字したものを提出したら、機械を使って楽をするな!と叱られて突き返されるの目の前で見ました。
文学部の教授が真っ先に飛びついた。
平成一桁年に大学を卒業しましたが、卒論は手書きは認められていませんでした(理系だった、ってのもある)。当時、いちばん出回っていたワープロソフトは一太郎でしたね。
キーパンチャーなんて仕事もありましたねコンピュータ(メインフレーム)がパンチカードを読み取って動いてたからね
コンビニとかで焼き芋は買わないけど石焼き芋の行商人からは買ってみたくなる衝動に駆られます。懐かしさや情景があるからでしょうね。今では少なくなりましたけど消えないでほしいな。
ガキの頃リアカー石焼き芋のおちゃんが坂を引いてる時手伝ったら芋くれたなリアカー自体見ないが
石焼き芋屋って、調理しているわけじゃないので(あたためただけ)、野菜を売るだけということらしく参入のハードルが低いって聞いた
前の職場、入社した時は、文章作成は「一太郎」、作表は「Lotus」だったけど、数年後には「Word」と「Excel」に切り替わったな。
一太郎は構成のやり易さが秀逸でLite2まで使っていました、同梱されていたメーラーshurikenも使い易かったですねLotusは123に同梱されていたデータベース、アプローチが軽くてDBFを標準で作成してくれたので結構長く愛用しました
御用聞きは酒屋、米屋、魚屋(刺し身や煮付けように加工下処理も)、大工(簡単な修理など)見なくなったチンドン屋も。豆腐屋も数年前リアカー販売が逆に新しく復活?したのか赤坂や都心でのぼりを見たがまた見なくなった昔は豆腐ホーン(名称分からす)とともに売りにきて鍋やボウルを持って豆腐を買いに行ったもの
クリーニング屋さんも自転車で仕上げたワイシャツやスーツを届けに来てくれてました。帰りはまた(クリーニングに出す)洗濯物の服持って行ってくれてました。
キャバレー、生演奏とか楽しそうだけどなぁ
あと大物芸能人とかがやって来るとすごいことになる。
電話売買仲介人が減ったのは、携帯電話の爆発的な普及もありそう。固定電話を持たない人も増えたというから。
今だとただでも要らないしね、年寄りも置き電派が多い、置き電辞めて携帯の方だけなら詐欺も少しはって無理か
三口ぐらい(実家あわせれば五口)あったんだけどあれはどうなったのかなあ?
ワープロ以前に「和文タイプライター」というのが有りました。文字盤と活字が収まった箱が連動していて、文字盤上の文字にハンドルを合わせると、活字が飛び出して用紙に打ちつけられる仕組みでした。
学校の先生がぶつぶつ呟きながら文字を探してやっとみつけたら「カシャ」こどもの頃に見た記憶
免許証の更新時に利用してました。旧字も印刷できた様な気がします。今は旧字はどうしているのでしょうねー?
和文タイプ懐かしいですね。母が内職で毎日ガシャンガシャンやってました。
ガシャンコガシャンコと一生懸命打って終わったと思って用紙を見ると同じ所を打って進んでなかった。😢実際、検定試験でよくあったんだよね。
平成初期に中学生だったけど、クラブ活動でタイプクラブあったわ。
昔うちに来てた保険料集金人の方が萩本欽一さんの実のお姉さんだったんだよなぁ……子供の頃なんとも思ってなかったけどよく考えたら凄いことと気づいた頃にはもう集金人が来ること無くなってたなぁ。あと薬屋さんが家来てたり米屋さんが家来てたり豆腐屋さんから豆腐買ったりもしてた。昭和55~60年頃の話
富山の薬売りですね懐かしい
お米屋さんでプラッシー買ってもらいました
いいこと言う。この前別の動画で「最近手抜きの安い豆腐が流行ってるから、昔ながらの豆腐屋さんの豆腐を買おう」とかいう動画があったけど、ディスるのもめんどいから放っといた笑
『毎度おさわがせします』のオープニングでも、出てた『ちり紙交換』とかあった!映画館のもぎりとかもあったよな…
杉並区でコロナ前ですがまだやってましたねやり方を変えて新聞や自らで雑誌や本などもトイレットペーパーと交換で
昭和40年代前半鹿児島の某市で中森明菜の母親がもぎりしてました😅まだ独身かな?
「毎度おさわがせします」といえばC.C.B
少し前に大阪でガチ屋台のラーメン屋見かけて感動したなぁラーメン屋の屋台の台車引いてた
電話交換手というのもありましたね?
ちょっと違うけどパチンコ屋のマイクパフォーマンス! 開店直後などに「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」「ジャンジャンバリバリ!」とか平成初期まで言ってましたね。
あれ面白いですよねひらけチューリップってコミックソングを思い出します昔、池袋の某パチンコ屋は朝10時にシャッターを開ける時にロッキーのテーマを流していたせいでロッキーのテーマ=パチ屋ってイメージがこびりついてしまった😅
@@雛衣-s5e 昔は開店直後などに流れる音楽やマイクパフォーマンスで打ち手を煽る😌現在は役物の派手な演出で煽ります😞
軍艦マーチに必要は命だけ。(笑)生きる喜びを共に。(笑)
あのマイクパフォーマンスは、警察当局より射幸心を煽る‼️ということ、お客様より五月蝿いと同じ時期に意見があり、行う店舗減っていきましたね。少し前、今年ね、新宿だか池袋だかのグリンピースってスロット専門閉店してあそこが最近までマイクパフォーマンスしてたような?確かに下手くそなマイクは五月蝿いだけ…自分現役時代は閉店後に練習させられたです。
叔母が郵便局の定期預金で郵便局員が来てお金預けてたな、デパートの外商とか。ミシン販売員(レンタル含む)とか黒電話お掃除人とか色々居たなぁ…。
カーナビが出てきた頃に祖父が「これからは車もコンピュータの時代だからオレら板金屋は後20年が限界だな」とか言ってたらホントに板金屋が消えはじめた。「車よりコンピュータを直す人が稼ぐ時代になっていくんだろうねえ」と言ってた祖父の予言大当たり。
住宅建設でガルバリ鋼板使うからそっちが増えてる説
子供の頃良くしてくれた祖父の妹さんが板金屋だから、なくなって欲しくないなぁ…
板金屋がなかったら事故の時、誰が車治すの?あなた車持った事ないでしょ。
AIは今、加速度的に発達してますから、人間と同じように、あのパーツ外して、こことあそこぶった切って叩いたあと溶接して、引っ張って曲げて、あの当板使って、という答えは出せても、今度は、その作業する人間の手と同じく、繊細な動きができるハード面が追いついていませんから、まだまだ無くならない気がします。
すでに日産が数年前から廃番パネルに関してはそういうことをするマシン持ってるしフレーム修正機も昔からある。やるやらないはひとえにオーナーの懐具合で決まりますあと軽量化追求で最近はフレームにハイテン鋼を多用している車が多く、その場合は修正不可で廃車になることが多い。
カシオのワープロもってた。パソコンのワープロソフトは一太郎が主流だったな 懐かしい
10:07と25:07あたりの魔理沙の言葉が、これらの仕事の現実を的確に語っていますね。
卒論で一太郎ver3使ってたプリンターはインクリボンのドットプリンター
「俺はムショから出てきたばかりだ、ゴム紐を買え!」っていう押し売りを漫画の中でしか見た事ない…
幼稚園ぐらいのとき来ました😅
サザエさんで見ました
デパートのレジ係も昔はプロが手動でやっていたけど、コンビニで客でも操作できるようになった。AIの出現も仕事自体は消えないけどプロとか専門職が消えてバイトやパートに変えられてしまうんかな。
お恥ずかしながら、生まれつきおならがたくさん出る体質なので、海外で「放屁師」という職業があった時代に憧れています。現代では全く理解されない職業だと思いますが、時代の移り変わりでここまで変化することが興味深いです。
屁負比丘尼だね
奇術師あたりは海外のオーディション番組で日本人奇術師を見かけるので、職業としてなくなったもののこれからの活躍が楽しみ
寄席に普通にいるよ?
@@匿名希望-n1d 職業としてなくなっているのに、変わらず寄席で活躍しているの素敵ですね。
@@匿名希望-n1d 職業としてなくなったって言ってるのに日本語読めんのか
職業分類からなくなっただけで居なくなったわけではない昔のように細かく分類してたら今では漫才師、コント師、歌ネタ師とかに分けられるんだろうけど弟子入りして専業でやる時代じゃなく様々なジャンルに手を出すから細分化する意味がなくなった
刑事さんが調書を作る時は未だにワープロめっちゃ使うよ
うちの田舎は昔置き薬ババアと野菜売りのババアが定期的に来てた。置き薬は期限が切れるから使ってくれと言われて無理矢理買わされたり、野菜売りは居留守使うと玄関に勝手に野菜置いてかれて、後日きっちりお金取りに来て親がイライラしてた事思い出した
「注文取り」で思い出したけど、アニメサザエさんにほぼ毎回出演していた「三河屋さん」はまだ健在かな、最近サザエさんどころかテレビを付けなくなった。
実家が飲食店だけど、「今日はどんだけいります~?」っていう御用聞きの電話がかかってくる。人間はこないけど。企業とかでも定時に注文とりにきたりする御用聞きとかいっぱいいる。商品だったり、郵便物を回収しにくる局員さんだけど。
未だに黒電話っすもんね…あと波平さんの普段着が和装w
「学研のおばちゃん」も平成でなくなったな・・・
まだかな?まだかなぁ~「学研のおばちゃんまだかなぁ~」ってCMありましたね。
あったあったでござるなぁ😂本当聞かない😮
言われるまで忘れてた❗️
今どき訪問自体が嫌がられるし、そんなのでは生活できない時代だしね。チラシのポスティングが似てると言えば似てるが…
科学と学習届くのが待ち遠しくて学研のおばちゃん家に取りに行った事有るわ
年賀はがき作製マシーンとして家にあったな平成11年頃
最近、知り合いが脱サラして、夏は農家冬は焼き芋屋を始めたw
取引所の場立ちといえば、体育会系出身者が重宝された職場だった。
ミシン販売員ですか。うちの母もこんな人からミシン買っていました。実は最近になって頼んだミシン修理も、当時買った販売員さんです。ただ今は独立して修理屋さんをやっていますが。
修理やも減りましたね、出来もしないのに看板掲げて「あこっれ部品無いから交換ですねって」高いかいものをさせようとする便利屋に頼んだら20分の1ですんだ工夫して治す見事な腕前。勤め先の空調室外機も1機200万円工事費込みでも同じで替えを進める、結果別の所のベテランが来て基盤が割れてたから修理したよって小一時間で200分の1ですんだ、宣伝だけは一人前のとこは信用できん、ちなみにどちらも技術のない若手ですが
呼売人というかトラックなどで繁華街に売りに来ている人は増えているイメージですねたこ焼き、ベビーカステラ、ケバブ、チョコバナナ、ウインナー、ホットドッグ、移動式のバー的な感じでお酒を販売している人もいます
『タイプライター』と言う『曲』がある。大真面目でやっているところが面白い。オーケストラ付き。 ( ̄▽ ̄;)
あ・・・・あなたも覚えておられましたか、その曲を。
ルロイ・アンダーソン作曲です。
多分あの曲だな…と、なんとなくわかる。
子供の頃、家に英文タイプライターがあったので音が好きでちゃんと打てないのに脳内であの曲鳴らしてなんちゃってタイピスト遊びしてたー😂
タイプライターは絶対にハッキングされないから機密文書作成で使われているんだよ
書類に電話番号の欄と、携帯電話番号の欄があって電話番号欄に「なし」と書くと不審に思われる時代があったなぁ😅
ちなみに、今は速記の代わりにリアルタイム字幕を作成するような会社が記録していたりするんだよね専用のキーボードで打つ会社もあるけど沖縄にある会社は普通のキーボードで高速で打ち込んでる。音はラグが少ない電話で聞きながららしいよ
速記氏と言えば国会。記事:『国会に欠かせぬ「速記」のスゴ技 極限まで簡素化した独自の略符号』
鴻池さんの速記止めてっての思い出したわ
「ちり紙交換」「エレベーターガール」「ローカル線の小駅の駅員さん」「屋台のラーメン屋」「でっかい荷物担いだおばあちゃん行商人」「サンドイッチマン」「早朝の牛乳配達」「駅前にいた靴磨き」私が思い浮べるのはこんな感じかなー
エレベーターガールはとあるタワーに存在屋台のラーメンは中洲でいっぱい牛乳配達も全国に有り駅の靴磨きも東京にあります!
@@noburin2180 屋台のラーメンは中洲でいっぱい…1960年代は400軒以上今100軒ほどだぞ…適当過ぎる…まぁ文化としてどうやって存続させるかを議論し始めたけどね…
@@takamiso いつの間にか消えた職業について話しよるんやけど!100軒もあるんかい!全然消えてないやんwww
紙芝居屋銭湯の三助(客の背中を流す仕事)パンパン(売春婦)や遊女職業軍人
焼き芋屋さんは農閑期の冬に多くて、いわゆる兼業農家の1形態でやってる人が多かったそうですが農家でない人もやっていて、その場合は夏場に竿竹屋さんになってたそうです。今でものこってるのは冬は焼き芋夏は竿竹な人なら納得です。
焼き芋はレンジで出来るしスーパーコンビニで売ってるからね。
竿竹屋さんはぼったくりの悪名が響きすぎてほとんど見かけなくなった。
焼き芋屋さんがあるのは知ってましたが、竿たて屋さんがあるのは知りませんでした。
@@kou2199 自分で持って帰れないのが伸縮するし届けてくれるようになりましたしね。
焼き芋屋さんはごくたまに冬場に走ってる時あるけど、ほんとにごくたまに、1シーズンに1回聞けるかどうかだわな……
母が当時働いていた会社の上司は元新聞記者で、相手の電話を一字一句漏らさず速記出来たそうな…。
トラックで回って来る呼売りと言うと、冬場の灯油売りはまだ健在ですねぇ。灯油使う物がないので利用したことはないんですが。
東京都内の賃貸はほぼ灯油禁止(東京都のルールか?)戸建てかマンションぐらいですね
職種にもドラマがありますね
タイピストはともかく、ワープロを打つ専門職なんてのがあるのは初耳だった。バブル期ゆえの職業かな。氷河期入社の私の頃はワープロなんて自分で打て言われた(営業職)
ワープロ世代じゃないからどんな仕事なのか分からないけど、今で言うデータ入力じゃないのかな…あれも文字打ったり数字打つだけだけどそれ意外の仕事あまりしないし…
電話は昔10万以上してたから仲介でも請けられたけど携帯普及で総崩れしたね。農業はjaになったしまともに機能してる仲介って不動産と弁護士って言われるぐらい減ったね。
6:06昔、雑誌に速記講座の広告が掲載されたなぁ~。(「日ペンの美子ちゃん」は健在だけど。)
知り合いに速記を生業とする方おられますが、最近お会いしてないなーまぁ失業したと言う話も聞かないですし、まだ働いておられると思いますが、最近では録音から文字起こしするソフトも高性能化してますから、いずれ普通の事務員さんとかが文字起こしされたのをチェックするとかになっちゃうのかもですね。。。
米国は場立ち人や才取人をあえて残してるみたいですよ
ワープロ操作員やタイピストは無くなったよりは仕事道具が変わったと言った方が良さそう
だが一番消えて欲しい自宅警備員は増え続けるいつか令和に消えた職業としてここの動画で紹介されたらいいな
その自宅警備員も親との確執で消えつつあり今は自室警備員が増えていますねw
昭和58年頃には和文タイプは「近い将来消えます」状態になってましたBY和文タイピスト
高齢化と過疎化が進んだ地域だと移動販売の需要が増しているのでひょっとすると呼売人が復権するかもしれないと思いました
就職した頃、まだでかいワープロが据えられていました。でも立ち上げるだけで30分もかかるような代物で、操作できる古株OLは仕事が溜まっていても定時になると帰っちゃう有様。なので自分でワープロを買って来て使い始めたら同僚達も後に続き、間もなくワープロ係は廃止に…。
古株はお払い箱
ワープロのない時代は和文タイプライターというのもあって、和文タイピストという職業もあったんだよ!
何く薬のセットみたいなの置いて欲しいみたいなんも来てたな。大体どの家行ってもあの箱あったイメージ
置き薬ですね!主人の実家ではまだ来てます(汗)
キャバクラはコスパいいどころかキャバレーより高いススキノでは意味が違ってくる😅
写植オペレーターも平成で消えましたね😂
平成の最初の頃までは学会の抄録はワープロでは印刷が薄くなるからと言ってタイプで打てと言われてた。PCが結構流通し始めて92,3年頃からワープロでもOKになったなぁ。
キャバクラの語源ってキャンパスクラブって記憶があったけど違うんだ。はじめて知った
仕事がなくなるということは、それに伴う技も廃れていくのだろうね。
小学生から国語の授業が大好きで、遊ばず色んな本を読み漁る毎日でした。高校から始まった古典のテストでも満点を叩き出したよ。 だがバズる?ディスる?。わからん。世間、世の中に着いていけんわ……。
株は大勢の人間の手を振って売り買いした方が景気が良く見える。電光掲示板が早くスクロールしても景気の良さは分からない。
キーパンチャー養成とか早稲田速記とかジャンプとかマガジンの最後のページにあったぁ
エレベーターガールも昔居たよな
今、人手不足なのはだいたいがこの先消える可能性が高い職業そりゃ10年後20年後に存在するかわからない仕事なんてやりたくないわな
奇術師は今もてじなーにゃでお馴染みの山上兄弟などまだいらっしゃいます。演芸場などもまだありますからね
今は郵便局が全部やってるけど大阪なんばの近所に住んでた時近くに電報専門の独立した配達?センターがあったな
呼び売りで最近でも多くあるのは、灯油じゃないでしょうか。最近では、ネット注文による宅配もあるわけですが、少子高齢化が進むにあたって、呼び売りの復活とか、あってもいいように思うんですけどね。形を変えて、キッチンカーみたいなのは、出てきてますね。反対の、リサイクル業者などによる呼び買い、無料引き取りは、時々来ますね。
国会法で速記者が記録する以外の方法で質疑を記録する事は禁止されています。
私は、あまり知らないが昔同僚だった人がキャバレーの話になると止まらない人がいた!
九州のド田舎から近鉄王国の某県に出てきて、自動改札に驚きました。JRは入鋏の係の人が複数いましたが、近鉄は改札には不具合対応のために一人二人いるだけで、入鋏には携わらず。さらに近鉄でも車内検札がたまにありましたが、最近はICカードの普及によるのか、それも見なくなりました。運転士、車掌の仕事はなくならないでしょうが、チケットの変遷によってなくなったり新しくできたりした仕事があるんでしょうね。
竿竹は半年に一回くらい来る豆腐や冬季の灯油もちょくちょく来るけど音楽で集めてますね
キャバレーは名古屋にも有るますね〜
シャープのワープロが今も実家に残ってます。事務員やっていた母が使ってました。私も当時小学生だったけれど、ローマ字のタイピング練習に重宝しました。
>ワープロ。PCと比較した場合、液晶の劣化が早かった。1996年に買ったものが、2004年には全く使えなくなっていた。画面が黒くなったため。それに対し、ノートパソコンの画面は寿命が長い。2010年に買ったネットブックPCのスクリーンが今でもキレイで、稼働状態。
キャバレーは10年くらい前に銀座で白い薔薇とかそんな名前のお店に連れて行かれた事がある
帰ってこれたんですね。ラッキーでした😅
CMも平成初期にやってました! まだかなまだかな~学研の、おばちゃんまだかな~🎵学研の販売員「学研のおばちゃん」😊
学研のおばさんでなく本屋の社員のおじさんでした
石焼き芋屋も屋台ラーメン屋も見かけなくなった 冬の風情が無くなるのは寂しい
地方ならまだありますよ
西船橋にはキャバレーなるネオンが毎晩煌めいてます。
鴻池さんの速記止めてっての思い出した>P献金
職業をふんふんと聞いてるうちに子供の頃の風物詩が消えてることに気づいてしまった。リヤカーにたくさんの風鈴をつけたり、金魚やメダカを売りに来てはたくさんのお客さんがそれを囲んで吟味して買っていた。うちは商店街にあってお店の2階3階に住んでる人がいてそういう物売りにはわらわらと集まってきたものだった。トラックから公園などに下ろした瀬戸物屋さんも定期的に来て、街中のお店とは違う色柄の食器を眺めるのも楽しかったものです。カメラで撮ったフィルムを小さなカメラ屋さんに持って行って現像してもらうのが当たり前。レコード専門店もあちこちにあってたまにどさ回りの歌手が店頭で歌ってたり、街中には常に音楽が流れていて全市連合大売り出しの宣伝カーが声を張り上げていました。JASRACが文句を言うからそういうのは本当消滅した。あと、馬車がトラックの前身で車道を行き交っていたのであちこちに蹄鉄を打つお店?があって、下校途中に眺めていたのを思い出す。お馬の脚を曲げて木の柵に固定してから蹄をカンナみたいなもので削り熱く焼いた新しい蹄鉄をつける時ジューっと音が聞こえて釘で打つのが子供には魅力的に見えたんです。車道には馬糞が落ちてて乾くと風で飛んだりしてました。駄菓子屋のくじを引くのがワクワクした記憶があります。駄菓子屋は老夫婦がやってて花火もそこで売ってたはず。5円玉10円玉を握りしめて毎日通ってたなぁ。
馬車が日常生活にあったんですね
卒論は自分はワープロ専用機の書院で書いてたが、周りの人はPC98用の一太郎で書いてたな。1990年頃の話。
ハードディスクで驚いていた時代ですね一太郎が起動が早くなってよかったのもつかの間ハードディスクが進化が早かったSSDも速いね
音楽をネット配信で購入するようになるとは、昭和世代のオッサンには驚きですよ。後は御用聞きは、サザエさんのサブちゃんですよね。今でも高級住宅街の近くに、魚屋さんとかが残ってるけど、あれはお屋敷とかに、刺身の盛り合わせの注文があるんでしょうね
今は分業化して効率を図るのではなく、人を減らしてお金がかからないようにするのが効率化。ジャノメミシンのおじさんも、昔はアパートの駐車場にいたなぁ。
アハハハ🤣『知ってるわい!』笑った🤣
魔理沙ちゃん、霊夢ちゃん、いつもありがとうございます♪ まさに時代の流れですよね♪ 現在非常に需要があって増加しているのが、〇島24とか〇太郎とかのいわゆるネットに関係している〇〇〇喫茶的な業界だと思います♪ 自分も魔理沙&霊夢ちゃんを見たいがために毎日のように通っています(笑)。とても勉強になりましたので、よければこの先成長しそうな業界とかも知りたいです♪
写真の現像とプリントの受付もすっかり見なくなった。今は一部カメラ店でフィルム現像プリントの受付をしているほか、デジカメやスマホの画像プリントは客が端末みたいなもの(オーダーキャッチャー)を操作する形式になった。
昔は、役所へ提出する記入書類が煩雑で、庶民は漢字とか苦手な人もいて、代わりに書類記入してくれる「代書屋」の店舗が役所の周りにたくさんあった。
自動車教習所の周辺にもたくさんあっておばちゃんたちが手を振って手招きしてましたねえ😅
ワープロはワープロでパソコンよりいい面はあったんだけどね。まず、ビット量というか画素数というかギガ量というか、消費する量がワープロはパソコンに比べ半分以上少ない量で文章作成ができたんだね。今では記憶量が少ないのでほとんど使われなくなったフロッピーディスクやCDが普通に使われけっこうな文章が記憶できたんだね。それに文章作成に特化した機器だから垂れ幕のような大きな文字も印刷しやすかったんだね。今では大きな文字を作ることは可能であるが大きなプリンターが必要になる、ワープロは1台で印刷までできたんだね。それに同音異義語の誤字が少なかった。日本語に特化してたから有り得ない漢字になる可能性が今のパソコンより少なかったんだね。ただ、ワープロよりパソコンの方が優れている面は沢山あるんだけどね。画像やグラフの取り込みなどは簡単にできるし、編集機能もワープロの頃に比べ数段の進歩があった。表計算などはワープロには不得意とした分野だったんだね。 速記は今でも国会等では見られるね、規則で決まってる事だからね。ただ、将来は完全になくなる可能性はあるけどね。 セールスマンはいなくなったね。今ではセールスマンは嫌われているからね。でも、日本の高度成長を支えたのはセールスマンの存在は大きんだけどね。自動車産業等はセールスマンがいたから国内で大きくなった部分は否定できないね。 時代の変と共に職業は変化していくんだろうね。知らんけど・・・
でかいフロッピーで納品してたなぁ…(トオイメ)
ミス大阪とかあそこらへんは結構レアなんだな
速記の技術は学んだことはないけど、会社の会議の議事録作成は下っ端の仕事だったから、ひたすらノートに議事を書き付けてた
会議後にWordに転記して関係者に内容を確認してもらうと「こんなこと言ってない」と文句を言われるまでがセット
日本経済が堅調だった頃は東証の場立ちと上田ハーローで電話いっぱい取ってる人たちの映像がニュースの風物詩だった。
小さい頃 自転車で豆腐売りに来てたおじちゃんいたな
お手伝いで買った記憶…美味しい豆腐だったな…
入社初期、個人で2行表示の「Rupo」を使っていました!
「熱転写インクリボン」「感熱紙」が懐かしいです!
某コールセンターで働いているけど、お客さんとのやり取りを文字起こしするソフトが入ってて、戦慄してるお。
昔は自宅にスキン(性交サック)←コンドーム売りのおばちゃんが年1くらいに来て、お母さん達の愚痴なんかの相手してたな。
「誰?」って聞いても「まだまだお嬢ちゃん達には早いわね」とか言われて、「あっちいってなさい」とか言われて追い払われてたなぁ😅😅😅
私の母が子育てて時代の昭和半ばまではあったなあ。オカモトのコンドーム、明るい家庭計画とか、なんたらこんたら。おばちゃんが相談や売りに来ていたりしてた。
母は薬局に行き勇気を出して「サック」ください。って言ったら指サックが出てきて、それ違うって恥ずかしくて説明を言えなくて「サック(コンドーム)」買わずに帰って来たって。
マジで7人堕ろしたって。
私と弟の間に1人、弟と次の弟の間がかなり空いてて、その間に6人。
男性の協力を得られない時代だったから昔はそんなお母さんが一定数居たと思う。
まあタイトルが平成だから、平成では普通にコンドーム買えるからなあ。
あ、当時はスキンとも言ってたな。 サック→スキン→コンドームの順かな。
子供のころは自転車でアサリとシジミを売りに来るおっちゃんがいたなぁ
そこで買ったアサリを鍋に入れてよーく見てるとたまに小さいカニがいたりして面白かったんだよな
夏休みの朝を思い出すな
アサーリー シジミ(シジミのとこ小さくて速い感じ) の声を聴きながら起きてラジオ体操に出掛けるの あの頃の真夏の早朝は今より暑くなくて爽やかだったな
キャバレーのレジ係りってキャバレー自体ほぼ消滅してるから消えてしまうのは自然だよな。
銭湯とかのペンキ絵師もほぼ絶滅してるとか。
子供の頃「たぁけやぁ〜さおだけぇ〜」を聞いて育ったのに、確かに最近聞かないなぁと思ったら…ちょっと寂しいね😢
私も昔ながらのマニュアルタイプライターで英文タイプを覚えましたが、あれは長年やっていると指の関節がダメになる代物でした。なくなってよかった職業かもしれません。
また、ミシン販売員のところで、「昔は良い物(良い服)を修理して長く使った」と言っていますが、確かに間違いではないですが、今のように安くてまあまあの品質の服が売られていなかったので、持っている服を長く使わざるを得なかったのです。私の母は婦人服専門の洋裁師で、昭和30年代にはサラリーマンだった父の月給と同じぐらいの収入がありましたが、昭和40年代にはいると仕立ての仕事が激減してサイズ直しが主になり、昭和50年代に入ってそれもなくなって廃業しました。
手品師とか腹話術師は笑点とか見てると普通に出てきますよ。
ワープロ専用機は自分が大学生の頃には安価になって漸く普及し始めていた時期でしたが、まだ誰もが持っている一般的な存在ではありませんでした。
卒論は手書き📝提出がまだ当たり前の時代でした。同級生がワープロで印字したものを提出したら、機械を使って楽をするな!と叱られて突き返されるの目の前で見ました。
文学部の教授が真っ先に飛びついた。
平成一桁年に大学を卒業しましたが、卒論は手書きは認められていませんでした(理系だった、ってのもある)。当時、いちばん出回っていたワープロソフトは一太郎でしたね。
キーパンチャーなんて仕事もありましたね
コンピュータ(メインフレーム)がパンチカードを読み取って動いてたからね
コンビニとかで焼き芋は買わないけど石焼き芋の行商人からは買ってみたくなる衝動に駆られます。
懐かしさや情景があるからでしょうね。
今では少なくなりましたけど消えないでほしいな。
ガキの頃リアカー石焼き芋のおちゃんが坂を引いてる時手伝ったら芋くれたなリアカー自体見ないが
石焼き芋屋って、調理しているわけじゃないので(あたためただけ)、野菜を売るだけということらしく参入のハードルが低いって聞いた
前の職場、入社した時は、
文章作成は「一太郎」、作表は「Lotus」だったけど、
数年後には「Word」と「Excel」に切り替わったな。
一太郎は構成のやり易さが秀逸でLite2まで使っていました、同梱されていたメーラーshurikenも使い易かったですね
Lotusは123に同梱されていたデータベース、アプローチが軽くてDBFを標準で作成してくれたので結構長く愛用しました
御用聞きは酒屋、米屋、魚屋(刺し身や煮付けように加工下処理も)、大工(簡単な修理など)見なくなった
チンドン屋も。豆腐屋も数年前リアカー販売が逆に新しく復活?したのか赤坂や都心でのぼりを見たがまた見なくなった昔は豆腐ホーン(名称分からす)とともに売りにきて鍋やボウルを持って豆腐を買いに行ったもの
クリーニング屋さんも自転車で仕上げたワイシャツやスーツ
を届けに来てくれてました。帰りはまた(クリーニングに出す)洗濯物の服持って行ってくれてました。
キャバレー、生演奏とか楽しそうだけどなぁ
あと大物芸能人とかがやって来るとすごいことになる。
電話売買仲介人が減ったのは、携帯電話の
爆発的な普及もありそう。固定電話を
持たない人も増えたというから。
今だとただでも要らないしね、年寄りも置き電派が多い、置き電辞めて携帯の方だけなら詐欺も少しはって無理か
三口ぐらい(実家あわせれば五口)あったんだけどあれはどうなったのかなあ?
ワープロ以前に「和文タイプライター」というのが有りました。文字盤と活字が収まった箱が連動していて、文字盤上の文字にハンドルを合わせると、活字が飛び出して用紙に打ちつけられる仕組みでした。
学校の先生がぶつぶつ呟きながら文字を探して
やっとみつけたら「カシャ」
こどもの頃に見た記憶
免許証の更新時に利用してました。
旧字も印刷できた様な気がします。
今は旧字はどうしているのでしょうねー?
和文タイプ懐かしいですね。母が内職で毎日ガシャンガシャンやってました。
ガシャンコガシャンコと一生懸命打って終わったと思って用紙を見ると同じ所を打って進んでなかった。😢
実際、検定試験でよくあったんだよね。
平成初期に中学生だったけど、クラブ活動でタイプクラブあったわ。
昔うちに来てた保険料集金人の方が萩本欽一さんの実のお姉さんだったんだよなぁ……
子供の頃なんとも思ってなかったけどよく考えたら凄いことと気づいた頃にはもう集金人が来ること無くなってたなぁ。
あと薬屋さんが家来てたり米屋さんが家来てたり豆腐屋さんから豆腐買ったりもしてた。
昭和55~60年頃の話
富山の薬売りですね懐かしい
お米屋さんでプラッシー買ってもらいました
いいこと言う。この前別の動画で「最近手抜きの安い豆腐が流行ってるから、昔ながらの豆腐屋さんの豆腐を買おう」とかいう動画があったけど、ディスるのもめんどいから放っといた笑
『毎度おさわがせします』のオープニングでも、出てた『ちり紙交換』とかあった!映画館のもぎりとかもあったよな…
杉並区でコロナ前ですがまだやってましたねやり方を変えて新聞や自らで雑誌や本などもトイレットペーパーと交換で
昭和40年代前半鹿児島の某市で中森明菜の母親がもぎりしてました😅まだ独身かな?
「毎度おさわがせします」といえば
C.C.B
少し前に大阪でガチ屋台のラーメン屋見かけて感動したなぁ
ラーメン屋の屋台の台車引いてた
電話交換手というのもありましたね?
ちょっと違うけどパチンコ屋のマイクパフォーマンス! 開店直後などに「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」「ジャンジャンバリバリ!」とか平成初期まで言ってましたね。
あれ面白いですよね
ひらけチューリップってコミックソングを思い出します
昔、池袋の某パチンコ屋は朝10時にシャッターを開ける時にロッキーのテーマを流していたせいで
ロッキーのテーマ=パチ屋
ってイメージがこびりついてしまった😅
@@雛衣-s5e
昔は開店直後などに流れる音楽やマイクパフォーマンスで打ち手を煽る😌現在は役物の派手な演出で煽ります😞
軍艦マーチに必要は命だけ。(笑)生きる喜びを共に。(笑)
あのマイクパフォーマンスは、警察当局より
射幸心を煽る‼️ということ、お客様より五月蝿いと
同じ時期に意見があり、行う店舗減っていきましたね。
少し前、今年ね、新宿だか池袋だかの
グリンピースってスロット専門閉店して
あそこが最近までマイクパフォーマンスしてたような?
確かに下手くそなマイクは五月蝿いだけ…
自分現役時代は閉店後に練習させられたです。
叔母が郵便局の定期預金で郵便局員が来てお金預けてたな、デパートの外商とか。
ミシン販売員(レンタル含む)とか黒電話お掃除人とか色々居たなぁ…。
カーナビが出てきた頃に祖父が
「これからは車もコンピュータの時代だからオレら板金屋は後20年が限界だな」
とか言ってたらホントに板金屋が消えはじめた。
「車よりコンピュータを直す人が稼ぐ時代になっていくんだろうねえ」
と言ってた祖父の予言大当たり。
住宅建設でガルバリ鋼板使うからそっちが増えてる説
子供の頃良くしてくれた祖父の妹さんが板金屋だから、なくなって欲しくないなぁ…
板金屋がなかったら
事故の時、誰が車治すの?
あなた車持った事ないでしょ。
AIは今、加速度的に発達してますから、人間と同じように、あのパーツ外して、こことあそこぶった切って叩いたあと溶接して、引っ張って曲げて、あの当板使って、という答えは出せても、今度は、その作業する人間の手と同じく、繊細な動きができるハード面が追いついていませんから、まだまだ無くならない気がします。
すでに日産が数年前から廃番パネルに関してはそういうことをするマシン持ってるしフレーム修正機も昔からある。やるやらないはひとえにオーナーの懐具合で決まります
あと軽量化追求で最近はフレームにハイテン鋼を多用している車が多く、その場合は修正不可で廃車になることが多い。
カシオのワープロもってた。パソコンのワープロソフトは一太郎が主流だったな 懐かしい
10:07と25:07あたりの魔理沙の言葉が、これらの仕事の現実を
的確に語っていますね。
卒論で一太郎ver3使ってた
プリンターはインクリボンのドットプリンター
「俺はムショから出てきたばかりだ、ゴム紐を買え!」っていう押し売りを漫画の中でしか見た事ない…
幼稚園ぐらいのとき来ました😅
サザエさんで見ました
デパートのレジ係も昔はプロが手動でやっていたけど、コンビニで客でも操作できるようになった。
AIの出現も仕事自体は消えないけどプロとか専門職が消えてバイトやパートに変えられてしまうんかな。
お恥ずかしながら、生まれつきおならがたくさん出る体質なので、海外で「放屁師」という職業があった時代に憧れています。現代では全く理解されない職業だと思いますが、時代の移り変わりでここまで変化することが興味深いです。
屁負比丘尼だね
奇術師あたりは海外のオーディション番組で日本人奇術師を見かけるので、職業としてなくなったもののこれからの活躍が楽しみ
寄席に普通にいるよ?
@@匿名希望-n1d 職業としてなくなっているのに、変わらず寄席で活躍しているの素敵ですね。
@@匿名希望-n1d 職業としてなくなったって言ってるのに日本語読めんのか
職業分類からなくなっただけで居なくなったわけではない
昔のように細かく分類してたら今では漫才師、コント師、歌ネタ師とかに分けられるんだろうけど弟子入りして専業でやる時代じゃなく様々なジャンルに手を出すから細分化する意味がなくなった
刑事さんが調書を作る時は未だにワープロめっちゃ使うよ
うちの田舎は昔置き薬ババアと野菜売りのババアが定期的に来てた。
置き薬は期限が切れるから使ってくれと言われて無理矢理買わされたり、野菜売りは居留守使うと玄関に勝手に野菜置いてかれて、後日きっちりお金取りに来て親がイライラしてた事思い出した
「注文取り」で思い出したけど、アニメサザエさんにほぼ毎回出演していた「三河屋さん」はまだ健在かな、最近サザエさんどころかテレビを付けなくなった。
実家が飲食店だけど、「今日はどんだけいります~?」っていう御用聞きの電話がかかってくる。人間はこないけど。
企業とかでも定時に注文とりにきたりする御用聞きとかいっぱいいる。商品だったり、郵便物を回収しにくる局員さんだけど。
未だに黒電話っすもんね…
あと波平さんの
普段着が和装w
「学研のおばちゃん」も平成でなくなったな・・・
まだかな?まだかなぁ~
「学研のおばちゃんまだかなぁ~」ってCMありましたね。
あったあったでござるなぁ😂本当聞かない😮
言われるまで忘れてた❗️
今どき訪問自体が嫌がられるし、そんなのでは生活できない時代だしね。チラシのポスティングが似てると言えば似てるが…
科学と学習
届くのが待ち遠しくて
学研のおばちゃん家に
取りに行った事有るわ
年賀はがき作製マシーンとして家にあったな平成11年頃
最近、知り合いが脱サラして、夏は農家冬は焼き芋屋を始めたw
取引所の場立ちといえば、体育会系出身者が重宝された職場だった。
ミシン販売員ですか。うちの母もこんな人から
ミシン買っていました。実は最近になって頼んだ
ミシン修理も、当時買った販売員さんです。
ただ今は独立して修理屋さんをやっていますが。
修理やも減りましたね、出来もしないのに看板掲げて「あこっれ部品無いから交換ですねって」高いかいものをさせようとする便利屋に頼んだら20分の1ですんだ工夫して治す見事な腕前。勤め先の空調室外機も1機200万円工事費込み
でも同じで替えを進める、結果別の所のベテランが来て基盤が割れてたから修理したよって小一時間で200分の1ですんだ、宣伝だけは一人前のとこは信用できん、ちなみにどちらも技術のない若手ですが
呼売人というかトラックなどで繁華街に売りに来ている人は増えているイメージですね
たこ焼き、ベビーカステラ、ケバブ、チョコバナナ、ウインナー、ホットドッグ、移動式のバー的な感じでお酒を販売している人もいます
『タイプライター』と言う『曲』がある。
大真面目でやっているところが面白い。
オーケストラ付き。 ( ̄▽ ̄;)
あ・・・・あなたも覚えておられましたか、その曲を。
ルロイ・アンダーソン作曲です。
多分あの曲だな…と、なんとなくわかる。
子供の頃、家に英文タイプライターがあったので音が好きでちゃんと打てないのに脳内であの曲鳴らしてなんちゃってタイピスト遊びしてたー😂
タイプライターは絶対にハッキングされないから機密文書作成で使われているんだよ
書類に電話番号の欄と、携帯電話番号の欄があって電話番号欄に「なし」と書くと不審に思われる時代があったなぁ😅
ちなみに、今は速記の代わりにリアルタイム字幕を作成するような会社が記録していたりするんだよね
専用のキーボードで打つ会社もあるけど沖縄にある会社は普通のキーボードで高速で打ち込んでる。
音はラグが少ない電話で聞きながららしいよ
速記氏と言えば国会。
記事:
『国会に欠かせぬ「速記」のスゴ技 極限まで簡素化した独自の略符号』
鴻池さんの速記止めてっての思い出したわ
「ちり紙交換」
「エレベーターガール」
「ローカル線の小駅の駅員さん」
「屋台のラーメン屋」
「でっかい荷物担いだおばあちゃん行商人」
「サンドイッチマン」
「早朝の牛乳配達」
「駅前にいた靴磨き」
私が思い浮べるのはこんな感じかなー
エレベーターガールはとあるタワーに存在
屋台のラーメンは中洲でいっぱい
牛乳配達も全国に有り
駅の靴磨きも東京にあります!
@@noburin2180 屋台のラーメンは中洲でいっぱい…
1960年代は400軒以上今100軒ほどだぞ…適当過ぎる…
まぁ文化としてどうやって存続させるかを議論し始めたけどね…
@@takamiso
いつの間にか消えた職業について話しよるんやけど!
100軒もあるんかい!
全然消えてないやんwww
紙芝居屋
銭湯の三助(客の背中を流す仕事)
パンパン(売春婦)や遊女
職業軍人
焼き芋屋さんは農閑期の冬に多くて、いわゆる兼業農家の1形態でやってる人が多かったそうですが
農家でない人もやっていて、その場合は夏場に竿竹屋さんになってたそうです。今でものこってるのは冬は焼き芋夏は竿竹な人なら納得です。
焼き芋はレンジで出来るしスーパーコンビニで売ってるからね。
竿竹屋さんはぼったくりの悪名が響きすぎてほとんど見かけなくなった。
焼き芋屋さんがあるのは知ってましたが、竿たて屋さんがあるのは知りませんでした。
@@kou2199 自分で持って帰れないのが伸縮するし届けてくれるようになりましたしね。
焼き芋屋さんはごくたまに冬場に走ってる時あるけど、ほんとにごくたまに、1シーズンに1回聞けるかどうかだわな……
母が当時働いていた会社の上司は元新聞記者で、相手の電話を一字一句漏らさず速記出来たそうな…。
トラックで回って来る呼売りと言うと、冬場の灯油売りはまだ健在ですねぇ。灯油使う物がないので利用したことはないんですが。
東京都内の賃貸はほぼ灯油禁止(東京都のルールか?)戸建てかマンションぐらいですね
職種にもドラマがありますね
タイピストはともかく、ワープロを打つ専門職なんてのがあるのは初耳だった。
バブル期ゆえの職業かな。氷河期入社の私の頃はワープロなんて自分で打て言われた(営業職)
ワープロ世代じゃないからどんな仕事なのか分からないけど、
今で言うデータ入力じゃないのかな…
あれも文字打ったり数字打つだけだけど
それ意外の仕事あまりしないし…
電話は昔10万以上してたから仲介でも請けられたけど携帯普及で総崩れしたね。
農業はjaになったしまともに機能してる仲介って不動産と弁護士って言われるぐらい減ったね。
6:06昔、雑誌に速記講座の広告が掲載されたなぁ~。
(「日ペンの美子ちゃん」は健在だけど。)
知り合いに速記を生業とする方おられますが、最近お会いしてないなー
まぁ失業したと言う話も聞かないですし、まだ働いておられると思いますが、
最近では録音から文字起こしするソフトも高性能化してますから、
いずれ普通の事務員さんとかが文字起こしされたのをチェックするとかになっちゃうのかもですね。。。
米国は場立ち人や才取人をあえて残してるみたいですよ
ワープロ操作員やタイピストは無くなったよりは仕事道具が変わったと言った方が良さそう
だが一番消えて欲しい自宅警備員は増え続ける
いつか令和に消えた職業としてここの動画で紹介されたらいいな
その自宅警備員も親との確執で消えつつあり
今は自室警備員が増えていますねw
昭和58年頃には和文タイプは「近い将来消えます」状態になってましたBY和文タイピスト
高齢化と過疎化が進んだ地域だと移動販売の需要が増しているので
ひょっとすると呼売人が復権するかもしれないと思いました
就職した頃、まだでかいワープロが据えられていました。でも立ち上げるだけで30分もかかるような代物で、操作できる古株OLは仕事が溜まっていても定時になると帰っちゃう有様。なので自分でワープロを買って来て使い始めたら同僚達も後に続き、間もなくワープロ係は廃止に…。
古株はお払い箱
ワープロのない時代は和文タイプライターというのもあって、和文タイピストという職業もあったんだよ!
何く薬のセットみたいなの置いて欲しいみたいなんも来てたな。大体どの家行ってもあの箱あったイメージ
置き薬ですね!主人の実家ではまだ来てます(汗)
キャバクラはコスパいいどころかキャバレーより高い
ススキノでは意味が違ってくる😅
写植オペレーターも平成で消えましたね😂
平成の最初の頃までは学会の抄録はワープロでは印刷が薄くなるからと言ってタイプで打てと言われてた。
PCが結構流通し始めて92,3年頃からワープロでもOKになったなぁ。
キャバクラの語源ってキャンパスクラブって記憶があったけど違うんだ。はじめて知った
仕事がなくなるということは、それに伴う技も廃れていくのだろうね。
小学生から国語の授業が大好きで、遊ばず色んな本を読み漁る毎日でした。高校から始まった古典のテストでも満点を叩き出したよ。 だがバズる?ディスる?。わからん。世間、世の中に着いていけんわ……。
株は大勢の人間の手を振って売り買いした方が景気が良く見える。電光掲示板が早くスクロールしても景気の良さは分からない。
キーパンチャー養成とか早稲田速記とかジャンプとかマガジンの最後のページにあったぁ
エレベーターガールも昔居たよな
今、人手不足なのはだいたいがこの先消える可能性が高い職業
そりゃ10年後20年後に存在するかわからない仕事なんてやりたくないわな
奇術師は今もてじなーにゃでお馴染みの山上兄弟などまだいらっしゃいます。
演芸場などもまだありますからね
今は郵便局が全部やってるけど大阪なんばの近所に住んでた時
近くに電報専門の独立した配達?センターがあったな
呼び売りで最近でも多くあるのは、灯油じゃないでしょうか。最近では、ネット注文による宅配もあるわけですが、少子高齢化が進むにあたって、呼び売りの復活とか、あってもいいように思うんですけどね。形を変えて、キッチンカーみたいなのは、出てきてますね。反対の、リサイクル業者などによる呼び買い、無料引き取りは、時々来ますね。
国会法で速記者が記録する以外の方法で質疑を記録する事は禁止されています。
私は、あまり知らないが昔同僚だった人がキャバレーの話になると止まらない人がいた!
九州のド田舎から近鉄王国の某県に出てきて、自動改札に驚きました。JRは入鋏の係の人が複数いましたが、近鉄は改札には不具合対応のために一人二人いるだけで、入鋏には携わらず。さらに近鉄でも車内検札がたまにありましたが、最近はICカードの普及によるのか、それも見なくなりました。運転士、車掌の仕事はなくならないでしょうが、チケットの変遷によってなくなったり新しくできたりした仕事があるんでしょうね。
竿竹は半年に一回くらい来る
豆腐や冬季の灯油もちょくちょく来るけど音楽で集めてますね
キャバレーは名古屋にも有るますね〜
シャープのワープロが今も実家に残ってます。事務員やっていた母が使ってました。
私も当時小学生だったけれど、ローマ字のタイピング練習に重宝しました。
>ワープロ。
PCと比較した場合、液晶の劣化が早かった。1996年に買ったものが、2004年には全く使えなくなっていた。画面が黒くなったため。それに対し、ノートパソコンの画面は寿命が長い。2010年に買ったネットブックPCのスクリーンが今でもキレイで、稼働状態。
キャバレーは10年くらい前に銀座で白い薔薇とかそんな名前のお店に連れて行かれた事がある
帰ってこれたんですね。ラッキーでした😅
CMも平成初期にやってました! まだかなまだかな~学研の、おばちゃんまだかな~🎵
学研の販売員「学研のおばちゃん」😊
学研のおばさんでなく
本屋の社員のおじさんでした
石焼き芋屋も屋台ラーメン屋も見かけなくなった 冬の風情が無くなるのは
寂しい
地方ならまだありますよ
西船橋にはキャバレーなるネオンが毎晩煌めいてます。
鴻池さんの速記止めてっての思い出した>P献金
職業をふんふんと聞いてるうちに子供の頃の風物詩が消えてることに気づいてしまった。
リヤカーにたくさんの風鈴をつけたり、金魚やメダカを売りに来てはたくさんのお客さんがそれを囲んで吟味して買っていた。
うちは商店街にあってお店の2階3階に住んでる人がいてそういう物売りにはわらわらと集まってきたものだった。
トラックから公園などに下ろした瀬戸物屋さんも定期的に来て、街中のお店とは違う色柄の食器を眺めるのも楽しかったものです。
カメラで撮ったフィルムを小さなカメラ屋さんに持って行って現像してもらうのが当たり前。
レコード専門店もあちこちにあってたまにどさ回りの歌手が店頭で歌ってたり、街中には常に音楽が流れていて全市連合大売り出しの宣伝カーが声を張り上げていました。
JASRACが文句を言うからそういうのは本当消滅した。
あと、馬車がトラックの前身で車道を行き交っていたのであちこちに蹄鉄を打つお店?があって、下校途中に眺めていたのを思い出す。
お馬の脚を曲げて木の柵に固定してから蹄をカンナみたいなもので削り熱く焼いた新しい蹄鉄をつける時ジューっと音が聞こえて釘で打つのが子供には魅力的に見えたんです。
車道には馬糞が落ちてて乾くと風で飛んだりしてました。
駄菓子屋のくじを引くのがワクワクした記憶があります。
駄菓子屋は老夫婦がやってて花火もそこで売ってたはず。
5円玉10円玉を握りしめて毎日通ってたなぁ。
馬車が日常生活にあったんですね
卒論は自分はワープロ専用機の書院で書いてたが、周りの人はPC98用の一太郎で書いてたな。1990年頃の話。
ハードディスクで驚いていた時代ですね一太郎が起動が早くなってよかったのもつかの間ハードディスクが進化が早かった
SSDも速いね
音楽をネット配信で購入するようになるとは、昭和世代のオッサンには驚きですよ。後は御用聞きは、サザエさんのサブちゃんですよね。今でも高級住宅街の近くに、魚屋さんとかが残ってるけど、あれはお屋敷とかに、刺身の盛り合わせの注文があるんでしょうね
今は分業化して効率を図るのではなく、人を減らしてお金がかからないようにするのが効率化。ジャノメミシンのおじさんも、昔はアパートの駐車場にいたなぁ。
アハハハ🤣
『知ってるわい!』
笑った🤣
魔理沙ちゃん、霊夢ちゃん、いつもありがとうございます♪ まさに時代の流れですよね♪ 現在非常に需要があって増加しているのが、〇島24とか〇太郎とかのいわゆるネットに関係している〇〇〇喫茶的な業界だと思います♪ 自分も魔理沙&霊夢ちゃんを見たいがために毎日のように通っています(笑)。とても勉強になりましたので、よければこの先成長しそうな業界とかも知りたいです♪
写真の現像とプリントの受付もすっかり見なくなった。今は一部カメラ店でフィルム現像プリントの受付をしているほか、デジカメやスマホの画像プリントは客が端末みたいなもの(オーダーキャッチャー)を操作する形式になった。
昔は、役所へ提出する記入書類が煩雑で、庶民は漢字とか苦手な人もいて、代わりに書類記入してくれる「代書屋」の店舗が役所の周りにたくさんあった。
自動車教習所の周辺にもたくさんあっておばちゃんたちが手を振って手招きしてましたねえ😅
ワープロはワープロでパソコンよりいい面はあったんだけどね。まず、ビット量というか画素数というかギガ量というか、消費する量がワープロはパソコンに比べ半分以上少ない量で文章作成ができたんだね。今では記憶量が少ないのでほとんど使われなくなったフロッピーディスクやCDが普通に使われけっこうな文章が記憶できたんだね。それに文章作成に特化した機器だから垂れ幕のような大きな文字も印刷しやすかったんだね。今では大きな文字を作ることは可能であるが大きなプリンターが必要になる、ワープロは1台で印刷までできたんだね。それに同音異義語の誤字が少なかった。日本語に特化してたから有り得ない漢字になる可能性が今のパソコンより少なかったんだね。ただ、ワープロよりパソコンの方が優れている面は沢山あるんだけどね。画像やグラフの取り込みなどは簡単にできるし、編集機能もワープロの頃に比べ数段の進歩があった。表計算などはワープロには不得意とした分野だったんだね。
速記は今でも国会等では見られるね、規則で決まってる事だからね。ただ、将来は完全になくなる可能性はあるけどね。
セールスマンはいなくなったね。今ではセールスマンは嫌われているからね。でも、日本の高度成長を支えたのはセールスマンの存在は大きんだけどね。自動車産業等はセールスマンがいたから国内で大きくなった部分は否定できないね。
時代の変と共に職業は変化していくんだろうね。知らんけど・・・
でかいフロッピーで納品してたなぁ…(トオイメ)
ミス大阪とかあそこらへんは結構レアなんだな