代数学の一番大切なコンセプトが理解できる人が、分からない人に教わると最初に躓く。 大人になってもう一度すると良いかも知れない。 近傍の概念迄来たら、躓く人は大勢になるでしょう。 何となくわかるという事と、確実に言える事には乖離がありますから。 押し付ける物じゃなくて、約束を決める事です。 a = b ⇒ b = aは確か対称律です 余りにも基本的過ぎますが、同値関係の持つプロパティは対称律反射律推移律となります。
日本語は感覚、英語は意識化されている。私もそう思います。 I have a fever (私は熱があります) I'm in (私がやります) 英語は日本語に比べ記号を並べて会話している感じがします。SIr以外は敬語もなく、子供や上司でも言葉使いに変化なし。タメ口が存在しない。尊敬は顔の表情や身振り手振りで伝える。西洋人は合理的なのかも知れませんね。また交換価値は客観的な視点で、相手の立場を理解する事で、騙される機会も減るかも知れません。
数式とこころの理論は繋がってるのだな、挫折とは感覚と意識の依存ででてくると納得、感覚より頭を使って意識することで決まるのだな。
数学や外国語は苦手だったし、学校の成績は奮わなかったが、
X=3は、例え話みたいな感覚で何とか理解出来た。
約7年前に、私よりも年下の早稲田大学を卒業した人に『あなたは40歳にもなって、こどもっぽい事を言うな‼️』と言われた事があるのだが。
この動画を見て、腑に落ちた。
ちなみに、私は
難病に起因する高次脳機能障害+重度身体障害者。
4大は出ているし、勤め人も経験している。
それなりの社会人経験はあるので、彼との話のテーマに対して、こどもっぽい事を言った覚えは更々無い。
相手はろくに病気もしてない何処にでも居てる普通の健常者で勤め人。
ま、現実的に『理屈でも感覚でも』お世辞にも『私は彼と同じ人間とは言えない=交換できない』が。
『どれだけ人間様の脳が高性能であれ、概念が総てではない。実際になってみなければ解らない判らない事が世の中にはある』皆さんはどう感じるだろうか。
高評価😊👍✨
代数学の一番大切なコンセプトが理解できる人が、分からない人に教わると最初に躓く。
大人になってもう一度すると良いかも知れない。
近傍の概念迄来たら、躓く人は大勢になるでしょう。
何となくわかるという事と、確実に言える事には乖離がありますから。
押し付ける物じゃなくて、約束を決める事です。
a = b ⇒ b = aは確か対称律です 余りにも基本的過ぎますが、同値関係の持つプロパティは対称律反射律推移律となります。
日本語は感覚、英語は意識化されている。私もそう思います。
I have a fever (私は熱があります)
I'm in (私がやります)
英語は日本語に比べ記号を並べて会話している感じがします。SIr以外は敬語もなく、子供や上司でも言葉使いに変化なし。タメ口が存在しない。尊敬は顔の表情や身振り手振りで伝える。西洋人は合理的なのかも知れませんね。また交換価値は客観的な視点で、相手の立場を理解する事で、騙される機会も減るかも知れません。
メディアの弊害は凄い。
美男美女なんて単なる流行りなのに、それに悩んで顔をいじったりする。「同じ」にしたいんですね。
整形大国=意識主導国
お姉さんは舞台に戻ってきて、実際AとBのどちらの箱を開けたのか、この話の結末が気になります。
ありがとうございました。
人が交換が出来て、動物は出来ないというくだりは嗚呼、、と思いました。とりあえず、僕は気持ちの交換ができるようにならないとなぁとしんみりと感じました。ここ数年で、その辺が変わり果てた様な気もするので。気づきありがとうございました。
所で、X=3というのはどういうことなんですかね、門外漢なりに気にはなりました。分からないことは、分からないということですかね(笑)アホなコメントあいすみません。
x=3を理解しない、xと3は違うという導入テーマは、今が算数あるいは数学というゲームをしているところだよという前提を飛ばしたオハナシですね。三本の矢、いっぺんに手渡されたのと、一本づつ3回手渡されたのとは違う、というニンゲンがいたら世の中混乱します。数は足し合わせたりこま切れできる性質があるんだよ、だから、家を建てるとき4本の柱が必要で、1日1本しか柱を切り出せないとき4回に分ければ目標が達成できる、と理解し、時間軸を拡大する文化が生まれる。留守番中パンを2個もらって、昼ご飯に1個、夜ご飯に1個食べればいい、と行動し、蓄積された資源の分配を理解する。そろばん、算数、数学ゲームの応用は文化の要素の一部だ。同じか同じではないか? りんごはくだものという包括・上下・大小の概念を理解することが社会の一員となるのには便利あるいは必須。親と他人、そのあいだのたまに見かける親戚。出会う他人のグループ分けと判断・類推・評価のために子供は全力を注ぐ瞬間がある。役割の交換・成果の蓄積・分配を通じて構成要員となり、その間を取り持つルールを理解することが意識・精神の成長だ。義務教育を経てもヒトの感覚は失われない。カラオケのうまいへた、食べ物のおいしいまずい、好みのデザインのくるま、植栽、衣類の彩(いろどり)、絶景を求めての旅行、いつでもだれでも世界共通に感覚を優先している。動画中に言及されている東大・官僚・マスコミの問題は、1945年に敗戦国となって国体、常識、文化、経済などのうち大部分が断絶したことの弊害であって、意識と感覚の不整合には由来しない。
今の東大生は、起業するのが流行っていますね?ボケ防止の、クイズを作る会社とか。日本って平和です(笑)