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23:52 ここのまとめテストと答えが合ってないような…。(多分、内容的に出題する問題の方が違ったのか?)
うわ、編集中に気づけよ僕…(´;ω;`)ちなみに正しいテスト内容は以下の通りです( ;∀;)① 同郷の生まれであった法正の友人は?② 法正が漢中王・劉備に与えられた官職は?③ 劉備が法正に送ったとされる諡号は?
@@KOUMEI_NO_WANADA この動画の答えも教えてほしいです
@@ザンギエフ-w2q ①荀攸 ②劉備 ③夏候淵 だと思います
無双の法正はめちゃくちゃいいキャラしてたな。すごく色男で堂々としていて有能なんだけど慇懃無礼で確かにこいつに恨まれたら恐ろしいことになるという迫力があった。あと今の所シリーズの7と8に出てるけど、どちらも生存ifが用意されてるあたり製作陣や三国志ファンの切実な思いが感じられる…
劉備が前線に出るなら法正が支え、諸葛亮が内政、龐統や馬良達がそれを支える…この形が出来ていれば劉備軍はもっと躍進出来ていたかもしれないですね〜
恐らくはその状況がスタートラインだと思います。蜀の人材の中で戦略と戦術の両方を理解し、万軍を率いる事が可能なのは法政と龐統しか居なかったと思います。残念ながら史実の孔明は戦略は練れても、実践での駆け引きである戦術には向かないタイプで、劉備が存命中は孔明に指揮権を渡していません。そもそもの話、外交的に難治の荊州に武人でしかなく、戦略を理解できない関羽を太守に置くことが狂気の沙汰ですし、孔明が万軍を率いて北伐に出ることが資源の無駄使いとしか言えないと思います。まあ、全ては蜀の人材不足が原因ですけどね。
わかりますね
蒼天航路ですが、草鞋売りの男が、漢室復興とか夢物語を掲げるところが劉玄徳の魅力なんですよ😢
法正は魏延同様に劉備しか扱えない人物だったと思う。諸葛亮とは相性が悪く孤立しがちだった魏延にとって数少ない味方だった。
蜀が珍しく勝てた戦いには法正が居て亡くなったら連敗街道に戻った所見ると軍事面は伏龍鳳雛より明るかったんじゃないかなあ
孔明よりも水魚の交わりと言われるくらい軍事面が飛び出てましたし、何より曹操軍によって北の玄関口である漢中と言う土地の必要性を説いては同地の攻略に於ける基本戦略を描いた黄権の考えを元にその肉付けをしたのが法正様だと言われてますからね
実は法正の劉備の首席参謀としてのデビューって益州攻略での想定外の龐統(鳳雛)の○亡が一つの大きな前提となっていますこれはとりもなおさず荊州派で劉備陣営の主導権を握りたかった孔明の路線(益州攻略の段階で孔明が劉備陣営のヘゲモニーを取れていたわけではないにしろ法正等新規参入組より龐統の方が同じ荊州閥で近しい、かつ龐統の主流派への接近には孔明の後押しも一枚かんでるのでいわゆる”故吏”の関係(※1)に近い)の一次的な破綻でもあり(当時の孔明は自身が”軍事参謀”役まで演じるつもりはなかった。龐統が軍事参謀で自身が劉備に次ぐ組織のNo2で政権運営するのが理想)当時は陣営内の派閥抗争など贅沢なこと言ってられなかった劉備にとっては『龐統が居なくなったんじゃしょうがねえな、あと一番軍事参謀にふさわしいやつは😃?』と見渡したところで目に付いたのが新参の法正であった・・・という展開なのかと つまり(実際にどちらが上なのかは今や知る由もないですが)劉備にとってベストな軍事参謀は元々龐統でありその後色々あって法正が軍事采配をふるう段階になって、劉備としては”うれしい誤算”として法正が想定外の活躍(これには法正の出身がこの時の劉備の軍事行動範囲に近い司隷扶風郡、仕官後の活動範囲が益州であり地理や現地の事情に明かるかったという点にアドバンテージがあったのも重要な点と思われます)があった・・・というあたりが事実なのでは、と考えます こういった事務上の理由での法正の重用が上記したよう孔明の想定路線(自派中心での劉備政権の運営)の一次的な破綻を意味し、これが今回動画のタイトルにあるよう『孔明と政敵関係』(渡邉義浩氏は『孔明への牽制として劉備が”意図的に”法正を引き上げた』とまで指摘していますが正直そこまでなのかはわかりません(^_^;)
その通りよ。
ルールに超厳格な諸葛亮でさえ多少の横暴は目を瞑らざるを得なかった辺り、法正の能力の高さと実績の大きさが窺い知れますよね。人材がカツカツだった事や、荊州益州の派閥関係を除いても「これからの劉備殿、そして蜀の戦いにはこいつが不可欠だ」と認識してたのかも。
法正も黄忠も、主が劉備だからこそ輝いた将帥なんでしょうね。魏延辺りも似た感じしますが。
確かに劉備は自ら軍を率いてましたが荊州時代までは軍の規模はせいぜい数千から多くても2万程度、大軍を率いて広い範囲に軍を展開するような戦は益州平定戦が初めてのはず。漢中攻略戦の法正はそういった戦術ではなく戦略レベルの貢献が大きかったのではと推察しています。夷陵の戦いも劉備軍の油断と疲労を待つという陸遜の戦略に敗れたようなものですし、諸葛亮の「法正がいれば」という嘆きも戦略レベルでの助言の事だと思います。
確かに漢中戦の献策は黄権が立案して法正と劉備がセレクトして勝った。法正は漢中戦で深追いさない劉備にノーと言える唯一の人物だった。夷陵も序盤は劉備軍が優勢だったし黄権も参戦していた。しかし、黄権も名士だが劉備に停戦の案は出せないし聞かない。つまりプーチンも引き際を考えてくれということ。
張松の職責は益州別駕で、劉璋邸の総理事務を担当し、四川省省長弁公室秘書と考えてよい。法正の職務は軍議校尉であり、軍議上の重要な機密参謀である…この2人が劉璋を裏切った行為は、益州のほとんどの上層部の動向を劉備に売り渡したことに相当する…
一番乗り。曹操と郭嘉、そして劉備と法正。共に主君と家臣の名コンビで、軍師が若死にしている。また、死後に主君が大敗を喫し、「彼が生きてさえいれば」と悔やまれた。そして、郭嘉も法正も品行に難があった点まで共通している。これは単なる偶然だろうか。ただ、法正は狭量な感が拭えないのが残念だ。
マジでそっくりな立場だけど、残ってる逸話で言えば、郭嘉の異次元さが一枚上か🤔(笑)
漢中攻略戦は黄権がグランドデザイン、実践が劉備と法正というイメージ
4:07劉『淵』→『焉』
蒼天航路の法正好きでした!曹操に抗うために為に精神使って寿命縮めるかの描写でしたね
あの法正は本当格好良かった
法正が劉備軍で長生きしていれば孟達も裏切らなかったし、蜀は涼州も容易く手に入ったと思います。
@たぬきの社長 、加えて孔明様の北伐に対しても高アシストしていたと思う(街亭の大失敗が無くなる可能性が高くなるだろうし…)
@たぬきの社長 、ですね
なんか蜀の内側の権力闘争で、法正は毒殺という名の病死にさせられた気がしてならない
法正と郭嘉って何か好き。
いいよね。まあまあキャラ被ってる気がする。
法正と言えばやっぱり蒼天航路だなあ。「曹操の一手に十手を浮かべ対する一手を百策より引き出す」のセリフには痺れました!
定軍山の戦いの時の劉備とのやり取りもかなり面白かった。
法正のキャラを想像することはできるし、孟達のキャラも想像できるんだけどこの二人が仲良く話してる姿が想像できないんだよねどんな話してたのだろうか
♪打てば響くぞ~、おぬしと拙者。
最後の、翼になった方正にはふさわしいってのがめちゃくちゃカッコいい
いつも楽しく拝見しています^ ^法正の活躍を見ていると、RPGとかで出て来る固有装備のように、がっちりハマってるみたいですね笑
黒田官兵衛ポジだったんだな~。組織の規模が大きくなると、竹中半兵衛だけではやっていけなくなる感じ
華陽国志によると、曹操は「わしは有能な人材をほぼ全て集めたが、なぜ法正のみ手に入れられなかったのだろうか」とも述べたという。
無双の法正が無茶苦茶良い味出してて好き
蒼天法正はかっこいいけど綺麗すぎたから無双のは良かったw
夏侯淵と張コウ相手に絶対勝てると言い切ったのが凄すぎる
曹操以外なら勝てるって本気で思ってそうなあたりがクール(笑)
さて、「法正」は漢中の戦いに参加していて、彼はとても上手にプレーしました。私はちょうどこのビデオを作りました~~パノラママップは漢中の戦いを示しています
@@地图物语 動画見ました。3Dマップ上を各部隊の旗が移動して、戦闘の状況が非常に分かりやすかったです。中国語が全く分からないので、解説が理解できなかったのが残念です。多くの三国志ファンに見てもらいたいと思いました。チャンネル登録と高評価しました。今後も動画の作成頑張ってください。
法正による蜀漢建国の実績は定軍山と漢中の勝利が大きいので諸葛亮の政敵になったのもあったかもしれませんしかし、諸葛亮と法正では役割が少し違うので本当に対立することはないかももう一つの州か地域を取って名士派閥を均衡させることがあれば北伐でも対立が起きなかったかもしれません劉備だからこそ法正の才能を使いこなせたことも。それを言えば張飛や魏延も当てはまる
ゆっくり解説導入したとたん再生数が2桁ぐらい跳ね上がったという当チャンネルでまことしやかに語られる都市伝説
都市伝説というか、事実(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA そういうベストミックス(試験に出る三国志+ゆっくり解説)を”水魚の交わり”というんでしょうねちなみに『水魚の交わり』の語源は兵法書の三略(※)😃
演義では、どちらかといえば地味な存在。夷陵の戦いで孔明が「法正が生きていれば…」という言葉も、そこまで意味が深くないように思える。しかし、史実では絶大な存在感で、劉備も関羽や張飛に匹敵する信頼を置いた天才軍師。陳寿は、法正を龐統と同列に、並外れた才能と評価。戦いに勝つというだけでなく、助言のタイミングや相手の動きの読み(相手の状況、政治的背景)も抜群だった。諸葛亮は、傾向として蒋琬や費禕、董允の抜擢だけでなく、文官も武官も安定性を求めたように感じるが(蜀の国力を考えた統治として、それは当たり前なんだが)、それでも生前の法正に対しては、魏延とは違うリスペクトを感じる言動があった。その性格を知りながら。それにしても劉備は簡雍と仲が良かったのもそうだけど、天才肌だが性格にクセがある廖立を側近に置いたり(ただ、失脚原因の発言は、その後、当たってるのも多いので劉備が重宝したのもわかる)、魏延など、とにかく叩き上げの現場主義。個性主義。馬謖や蒋琬を軽視したのも、諸葛亮との違い。ただ諸葛亮にとって痛恨だったのは、法正の早世よりも、同じく超優秀で性格は誠実だった黄権を失った事だったと思う。
存命なら龐統が荊州の太守&荊州方面軍の参謀&呉との外交担当、法正が北伐軍の参謀で、荊州→中原(洛陽や許都)+漢中→長安の2ルートから魏に攻め込むという戦略が理想だったのでしょうね。諸葛亮は巴蜀の戦後処理をしつつ、後方支援として戦線への補給を担当(前漢の蕭何の役割)。龐統が入蜀で戦死し、法正が参謀を務めた漢中攻略戦、その後法正が死んでからは蜀軍は局地戦では勝てても結局北伐は成功しなかった。
あれ、法正やったよねと思ったら改訂版かーこの人好きだから一向に構わんとです劉備と法正は相互保管が完璧で法正が他の人に仕えてもここまでは才能を発揮出来なかったってのは同意見です
夷陵では法正が病死、龐統が戦死してなかったらどうなったのか。そもそも龐統が生きていたら夷陵の戦いは起きていなかった可能性もあるかもしれない。そして郭嘉が生きていれば夷陵といわず、呉が滅んでいる可能性もあるかもしれない。あの人が生きていると勝敗、歴史は変わっていたのかっていう物語が知りたいですね。
何故なのかねぇ蜀ってなぜか軍事担当軍師が連続して早死にしてるんだよなぁ。龐統と法正がもうちょっと長生きしてたら諸葛亮に負担かかることも無いし蜀も長く保ててただろうし、関羽が生き残って荊州失うことも無かった可能性もありますね。
漢中攻略戦は黄権の立てた作戦を採用したはずだぜ。まさか一言も触れないとは・・・
名前だけで蝶野のビンタくらってるイメージが頭の中で沸いてしまう私だけど法正がすごかったことは私も知ってるしかし劉備を入蜀に導いた張松、孟達、法正の3人は華々しい活躍の後みなあえない最期…兄に告発された張松、蜀に戻れなかった孟達、あまりにその死期が早すぎた法正
法正は、現在の会社なら上司を説得する事が出来る人物諸葛亮、関羽、張飛では劉備を説得出来ない他にも法正って芸人の名前で居た気がした
漢中戦の献策は黄権がして法正が上奏して劉備が採用した。戦の引き際を法正はわかってたのも大きい。夷陵も停戦のタイミングが悪かった、結果黄権は魏に降った。しかし黄権は蜀史で語られている。やはり黄権について深く語らないとダメでしょう。
法正はいうなれば扇の要みたいな人物ですね、人間関係の調整役として最も力を発揮する感じただし人たらしみたいのが嫌いな人にとっては相性が悪かったかもしれませんね
関羽と張飛に諡号を贈らなかったかったのは一心同体だったから・・と思いたいですね(三国志ロマン)。三国志と言えば「酒」の特集もやって欲しいです。。アンナ、イッキノミデキルノ?
マイフェイバリット!法正さん再びキター!!
ホウセイマイフレンド
いつも楽しく拝見してます!どうしても張苞を深掘りした動画が見たいです
漢中奪取には邦正と黄権が活躍したという感じです。黄権のエピソードも興味あります。
関羽亡き後の荊州は、恐らく奪還後、黄権に委ねようとしてたっぽいところありますし、中々の重要人物ですよね、彼も。
司馬懿にとっては天敵と言っても過言ではないくらい相性が悪そうなタイプだな。法正が生きていて北伐指揮官、孔明が内政担当だったら第一次北伐は成功していた可能性があるな。正攻法の孔明への対処はパターン化できるから司馬懿にとっては精神的に楽だろうが、戦略レベルで作戦を展開する法正なら北伐と同時に北方異民族の蜂起や涼州での反乱、徐州での反乱に乗じた呉の北進など魏軍が多方面に対処せざる得ない状況を作った上での北伐とか考えそうだな。
孔明が張良、法正が陳平ポジションみたいな感じだったんだろうなぁ。法正&龐統が長生きしてたらどうなっていたんだろうか。
法正が三国志で一番好きだから改訂版ありがたいです劉備の生涯でいうと法正が来てから、確固たる領土を得る、初めて曹操に勝利する、という素晴らしい出来事が起きて法正が没してから、関羽・張飛が裏切りや内輪揉めで死に、周りの進言も聞かずに夷陵の戦いで大敗北して国力を衰えさせてしまったというのが、法正という存在を際立たせていると思います自分は三國無双のプレイアブル化で知ったにわかだけど、もっと有名になってほしいですねこんなに実績もキャラも他人からの評価もあるのにマイナー寄りで諸葛亮と龐統に手柄取られがちなのはなぜなのか不思議だったけど主な理由が、性格の悪さと中国では売国奴は人気出づらいからというのを見て笑ってしまった
龐統と法正が長生きしてれば蜀はまだ頑張れた。早くに亡くしてしまった所や、大戦に敗れて『○○がいたなら〜』って嘆かれる点が未来人とまで言われる郭嘉と被ってて、その能力の高さがわかる。間違いなく劉備の最盛期を作っていた人物。故に亡くした事で衰退も早かった。
龐統法正が長生きして関羽張飛が謙虚だった世界線が見てみたかった
劉備お得意の有能だけど癖強人材の代表みたいなイメージ。こういう人たちを扱えるのが劉備の強みだけど、同時にだからこそ劉備がいなくなったら直ぐ弱体化したんだよなぁ。諸葛亮が超有能だったから延命できただけで。
法正、勿体ない人物を失ったもんだ( ・3・)
現実の世界で、孔明みたいな人に会うことはないですが、法正みたいな人はいるような気がするから不思議です。癖があって、陰湿なときは陰湿ですが、仕事はできるし、性格が問題あるがゆえに、ある意味敷居が低いように思える人。孔明が非の打ち所がない中宮だとすると、法正は気心の知れた側室みたいなイメージです(BLかw)
儒教の徳は天帝から与えられるパワーで、仏教の人徳とは別物なんだけど、すぐにポックリいってしまうので、やはり法正は徳がなかったのかな史書の諸葛孔明は生前の劉備に具体的な軍事的助言はしておらず、当時の『軍師』の役割は軍隊の運営や管理と思われる。なんでガチで軍事参謀の才能があったのは、法正が最初で最後だったのではあるまいか。(もう一人は益州の戦力を読み誤って討ち死にしてしまうし)劉備にとって孔明は信頼できる留守番であり、最後の戦いで手元においでるいたのも馬良だった。
劉備は人物を集めるのに、龐統・ 法正のように途中で去られてしまう辺り人物運(って言っていいのか)がない。まぁ戦争中だからそれも当然と言えば当然なんだけど。
法正の性格を見ると、やはり法治は正しいと思える不思議wwただし、法に則って厳格に処罰してしまったら、漢中は手に入れられなかった。
唐の大宗が創業と守成は違うと言っていたので、多分にそういう事だと思います。
劉備は長安を取って荊州を維持し尚且つ呉と同盟を組みつつ洛陽を落とせれば天下も夢ではなかったかも、もしくは持久していたはず
知れば知るほど曹操がヤバいってなる
「許靖のような高名な名士を登用しないと政権の評価が下落します。彼は何の役にも立ちませんが、高く任用すべきです」っていう台詞、法正らしい歯に衣着せぬ痛快な物言いだけど、"中身は無いけど世間には評価されてるから取り上げないと支持されない"っていう今にも通じる話だなって感じますね……
でもこんなこと言われてる許靖だけど、ちゃんと人事面で活躍し、姜維の北伐を支えた陳シも許靖が育てたとか…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA マジすか?!やっぱ許劭のいとこなんやなって、これは名門一族ですわ(テノヒラクルー)
@@KOUMEI_NO_WANADA 法正が天才だったから普通に有能な許靖ですらぼんくらにしか見えなかったのかも・・・
法 で 正 で おまけに 考直なのに 邪道って名前が反映されてない
子文って字なのに三国志最強の脳筋の曹彰さんの話する?
この人が長生きしていたら…………と思うしかし、他人から結構怨みも買っていたみたいだし、長生きしても中途で不慮のシを遂げたかなあ…………
楚漢戦争の人物に例えると諸葛亮の役割は張良+蕭何、龐統と法正は陳平という感じかな。龐統と、その後法正がいる間は劉備も勝っていたのが、いなくなってからはパタッと勝てなくなった。
ゆっくり採用から2年半。三国志は詳しくなったと思いますが、東方Projectはどうですか? 好きなキャラとかできましたか?
Vtuberさんの各所の配信で、東方の弾幕シューティングゲームをやってるのはよく見てます(笑)なんだか、これを見れば東方の全容がわかる!みたいなものってありますかね? それこそ横山三国志みたいな🤔
25年以上続いているコンテンツだから「そんなものはない(by関羽)」んだけどw、手っ取り早いのは1万円もってメロンでまとめ買いすることですかねえ。キャラクターの設定を知りたいなら『東方求聞史紀』には初期勢がひととおりいますけど、たぶん先に漫画なり同人誌を読んでないと意味がわからないと思います。
龐統、法正が早逝したのが大きな痛手龐統が荊州方面の軍事参謀、法正が劉備の軍師参謀として漢中方面、諸葛亮が丞相として本拠の蜀州を守るってのが胸熱な形やなここに徐庶が揃ったら最高やけど
徐庶が劉備の所にいたら魏の策を看破してまず樊城は負けないかと。下手したらもっと早く曹魏を滅ぼしている可能性もあるし。法正と龐統も生存していたら荊州失陥しても関羽生存は行けたかと。法正なら荊州再度孫劉同盟間の盟約を守りつつ奪還してそうし
諸葛亮は荊州に残って荊州の内政全般と対呉外交を担う方が適任かも
@@meeaam4368 そうなると徐庶のいるかどうかも重要になりますね。徐庶がいたら孔明留守を引き続きできて徐庶が代わりに劉備の救援に行くと言う手も使えますし
最高ですね~👍後半の人材不足がかなしすぎる
割と諸葛亮は法正を評価してるセリフも多いし、普通に仲良かったんでは?って思う派です。
少なくとも蜀漢が天下を狙う上で必要な人材の一人だという認識はあったはずだ。龐統が失われて少々心細い状況でもあったからね。
もう数年長生きしてたら、もう少し地図は違っていたかもなぁ。
孫権が虞翻を使えるなら法正も扱えたかも
李儒は解説してくれないのかな?
影の実力者っぽくてかっこいいかな
法正が生きていれば魏延もあんな死に方はしなかっただろうな。法正が死んで蜀も終わった、って言えるだろう。
夏侯淵と張郃に勝てる、と言うのは恐らく誰かの創作でしょうけどね当時の漢中には夏侯淵や張郃と並ぶ将として徐晃もいました。あそこで彼の名前が出てこないのは違和感を感じます。彼の名前を省けるのは漢中争奪戦の経過を知っている人ぐらいでしょう。まあ、後出しじゃんけんですよね。
この人が長生きしたら劉永か劉理を担いで、劉禅を廃位させようとしたかも知れませんね、孔明に絶対的な信頼置いてる劉禅は邪魔でしょう
やるなら劉封でしょ諸葛亮がそれを恐れて劉封を処刑する様に助言したって話だし
法正...アウト
無双のキャラが好き
三國無双8で、脳内お花畑なのが多い蜀の人の中、現実を見てた法正のキャラが好きですね😄
無双だと現実主義者同士で劉禅と意気投合しそうなのが
法正がいたら夷陵の戦いもなかったかもしれないって言われてるよね。
法正 人徳あれば完璧な人なんだろうなぁ 孔明自身が軍略勝てないって言ったぐらいだしなぁ😃
諸葛亮は法正を政的とは思ってないですよむしろ亡くなった際にはその才を惜しんでいます
法正には悪いけど劉備が生きているうちに死んだのは後々のこと考えると良かったと思っちゃうよね…
まぁ、劉備以外じゃ絶対にうまく扱えないし、多分諸葛亮とゴタゴタしてたでしょうね(笑)
荊州派閥と益州派閥が揉めてるのを古参と徐州派閥はどう見ていたのだろうか?この派閥争いもあって面白くなかったのもあって麋芳、傅士仁は関羽を裏切った一因説、なくはないと思うのは俺だけだろうか?
荊州派閥と益州派閥しか名士はいない。徐州以前の連中はノンキャリの実行部隊だからそういうこととは別。糜芳は糜竺の兄弟というレイヤーより劉備の義兄弟であるレイヤーで見ると、それが寝返ったくらい関羽がまわりと協調性がなかったということ。
徐州以前の主だった名士は劉備についてきてないので、派閥という派閥はあったのかしら?(陳羣や陳登は故郷に残ってる)糜竺の一族も外戚に近く、劉備の権勢次第な立場な感じはある。
なるほど名士がいないと政権中枢に派閥はできないのか…まぁ確かにこの頃の政治は名士が中心当たり前でしたね
私が四半世紀以上も前に大学の卒論で姜維の北伐をテーマにしたときは名士のことは頭になかったが、近年渡邉義浩氏の書籍とこのチャンネルに出会って以来、当時は名士は切っても切れない存在であったと思えてならない。
ちなみに孔明は荊州閥なんだけど出身自体は徐州名士でありもしそういう勢力があるならそっちも糾合できる立ち位置にはあったんですよねまあそういうムーブメントは寡聞にしてあまり聞いたことがないので政治的には益州政権内では力を持たなかったのではと思います
コーエー三國志の「妖術」。法正さんだとどさくさに紛れて、味方の頭上に金ダライを落としそうですね。
法正「あいつ、俺の指示に不満持ってるな…よし、査定マイナスっと」φ(._. )メモメモ『給与減額』
ホウセイ…マイフレンド…
孔明は「三顧の礼」「水魚の交わり」という割には先主に重用されたように見えず。草蘆対とは、「亮より始めよ」という人材集めのはじめの一歩、劉備にとっては、まず「郭隗 」役を青年諸葛亮に期待したのだろう。悪くいうと他の人士たちの当て馬。
劉備が禁酒令を出した時のエピソードが好きだな。この禁酒令が酒造りの道具を持ってるだけでアウトだった。ある時、劉備が法正を連れて出ていた時、ある男女が歩いているのを見て、「あの二人は、淫らな行為を行うので捕らえなければなりません。」と言ったのを、「なぜわかる?」と、劉備が問うと、「あの二人はそのための道具を持っていますから」と、澄まし顔で言ったとか。自分の出した禁酒令が厳しすぎることを悟った劉備は、禁酒令を緩めたとか。
それはたぶん、簡雍さんの逸話……ちなみに僕は簡雍が三国志で一番好きです(*´ω`*)
法正の逸話なら劉備が負け戦なのに撤退を拒否しているがもう敵の矢か飛んで来るくらい危険な状態だったそこで法正が劉備の前に立って劉備を庇う劉備はそれを見て「考直、矢を避けよ」と法正に安全なところに避難する様に言ったけど、殿が命を賭けているのに私の様な小物が自分だけ逃げる事が出来ましょうかと返事をしてそれを聞いてようやく劉備は撤退を決意したってやつ
劉章の父は、劉淵じゃなくて劉焉だったような気がするが。劉淵は五胡十六国の時代の君主かなんかで、見たような覚えがある。
法正は漢の時代の陳平みたいなもんか。(゚ο゚人))
実際に働くと人望が有って頭が良いやつはサラリーマンにいない!と判る。どのように組み合わせるか、が人事の妙味で各部の部長の一番の仕事。一人のせいでバンバン辞めていくなんてザラ。
アホですみません。まとめテストの答えって合ってるんですか?
解決しましたm(_ _)m
劉備が天下統一してれば陳平さんと比されたかもね
めっちゃ蜀の歴史的にも重要なのに三國無双では最近までモブ将軍だったという
よく性格に難がありって言われるけど、そこまでだとしたら友達なんかいないだろうからそこまでじゃなかったんじゃないの?っていう感じがするけどね。あと改訂版なのに焉がまちがってるよ~
品行方正ではなかった法正...(ヒュー🍃だからこそ元任侠の劉備と馬が合ったんだろうけど。
癖の強い才人を好む劉備、気のいい荒くれ者を好む孫権。才能さえあれば後はどうでもいいとか宣言しつつも、だいたい堅実な仕事できるタイプを重んじる曹操。
パリピ孔明がラップバトルをやると聞いて浮かんだ名前が法正(Ho-Say!)と楊奉(Yo-Ho!)だったけどどっちも出てこなかった
無双の法正いいよねーでもうちは孔明の方が好きかなー
oooo
どこかの偉い人は伏龍と鳳凰が勝つるとか言っていたが、結局勝つのに必要だったのは人間臭い、欲望の強い、劉備みたいな軍師だった
23:52 ここのまとめテストと答えが合ってないような…。(多分、内容的に出題する問題の方が違ったのか?)
うわ、編集中に気づけよ僕…(´;ω;`)
ちなみに正しいテスト内容は以下の通りです( ;∀;)
① 同郷の生まれであった法正の友人は?
② 法正が漢中王・劉備に与えられた官職は?
③ 劉備が法正に送ったとされる諡号は?
@@KOUMEI_NO_WANADA
この動画の答えも教えてほしいです
@@ザンギエフ-w2q ①荀攸 ②劉備 ③夏候淵 だと思います
無双の法正はめちゃくちゃいいキャラしてたな。
すごく色男で堂々としていて有能なんだけど慇懃無礼で確かにこいつに恨まれたら恐ろしいことになるという迫力があった。
あと今の所シリーズの7と8に出てるけど、どちらも生存ifが用意されてるあたり製作陣や三国志ファンの切実な思いが感じられる…
劉備が前線に出るなら法正が支え、諸葛亮が内政、龐統や馬良達がそれを支える…この形が出来ていれば劉備軍はもっと躍進出来ていたかもしれないですね〜
恐らくはその状況がスタートラインだと思います。
蜀の人材の中で戦略と戦術の両方を理解し、万軍を率いる事が可能なのは法政と龐統しか居なかったと思います。
残念ながら史実の孔明は戦略は練れても、実践での駆け引きである戦術には向かないタイプで、劉備が存命中は孔明に指揮権を渡していません。
そもそもの話、外交的に難治の荊州に武人でしかなく、戦略を理解できない関羽を太守に置くことが狂気の沙汰ですし、孔明が万軍を率いて北伐に出ることが資源の無駄使いとしか言えないと思います。
まあ、全ては蜀の人材不足が原因ですけどね。
わかりますね
蒼天航路ですが、草鞋売りの男が、漢室復興とか夢物語を掲げるところが劉玄徳の魅力なんですよ😢
法正は魏延同様に劉備しか扱えない人物だったと思う。諸葛亮とは相性が悪く孤立しがちだった魏延にとって数少ない味方だった。
蜀が珍しく勝てた戦いには法正が居て亡くなったら連敗街道に戻った所見ると軍事面は伏龍鳳雛より明るかったんじゃないかなあ
孔明よりも水魚の交わりと言われるくらい軍事面が飛び出てましたし、何より曹操軍によって北の玄関口である漢中と言う土地の必要性を説いては同地の攻略に於ける基本戦略を描いた黄権の考えを元にその肉付けをしたのが法正様だと言われてますからね
実は法正の劉備の首席参謀としてのデビューって益州攻略での想定外の龐統(鳳雛)の○亡が一つの大きな前提となっています
これはとりもなおさず荊州派で劉備陣営の主導権を握りたかった孔明の路線(益州攻略の段階で孔明が劉備陣営のヘゲモニーを取れていたわけではないにしろ法正等新規参入組より龐統の方が同じ荊州閥で近しい、かつ龐統の主流派への接近には孔明の後押しも一枚かんでるのでいわゆる”故吏”の関係(※1)に近い)の一次的な破綻でもあり(当時の孔明は自身が”軍事参謀”役まで演じるつもりはなかった。龐統が軍事参謀で自身が劉備に次ぐ組織のNo2で政権運営するのが理想)当時は陣営内の派閥抗争など贅沢なこと言ってられなかった劉備にとっては
『龐統が居なくなったんじゃしょうがねえな、あと一番軍事参謀にふさわしいやつは😃?』
と見渡したところで目に付いたのが新参の法正であった・・・という展開なのかと
つまり(実際にどちらが上なのかは今や知る由もないですが)劉備にとってベストな軍事参謀は元々龐統であり
その後色々あって法正が軍事采配をふるう段階になって、劉備としては”うれしい誤算”として法正が想定外の活躍(これには法正の出身がこの時の劉備の軍事行動範囲に近い司隷扶風郡、仕官後の活動範囲が益州であり地理や現地の事情に明かるかったという点にアドバンテージがあったのも重要な点と思われます)があった・・・というあたりが事実なのでは、と考えます
こういった事務上の理由での法正の重用が上記したよう孔明の想定路線(自派中心での劉備政権の運営)の一次的な破綻を意味し、これが今回動画のタイトルにあるよう『孔明と政敵関係』(渡邉義浩氏は『孔明への牽制として劉備が”意図的に”法正を引き上げた』とまで指摘していますが正直そこまでなのかはわかりません(^_^;)
その通りよ。
ルールに超厳格な諸葛亮でさえ多少の横暴は目を瞑らざるを得なかった辺り、法正の能力の高さと実績の大きさが窺い知れますよね。
人材がカツカツだった事や、荊州益州の派閥関係を除いても「これからの劉備殿、そして蜀の戦いにはこいつが不可欠だ」と認識してたのかも。
法正も黄忠も、主が劉備だからこそ輝いた将帥なんでしょうね。
魏延辺りも似た感じしますが。
確かに劉備は自ら軍を率いてましたが荊州時代までは軍の規模はせいぜい数千から多くても2万程度、大軍を率いて広い範囲に軍を展開するような戦は益州平定戦が初めてのはず。漢中攻略戦の法正はそういった戦術ではなく戦略レベルの貢献が大きかったのではと推察しています。夷陵の戦いも劉備軍の油断と疲労を待つという陸遜の戦略に敗れたようなものですし、諸葛亮の「法正がいれば」という嘆きも戦略レベルでの助言の事だと思います。
確かに漢中戦の献策は黄権が立案して法正と劉備がセレクトして勝った。法正は漢中戦で深追いさない劉備にノーと言える唯一の人物だった。夷陵も序盤は劉備軍が優勢だったし黄権も参戦していた。しかし、黄権も名士だが劉備に停戦の案は出せないし聞かない。つまりプーチンも引き際を考えてくれということ。
張松の職責は益州別駕で、劉璋邸の総理事務を担当し、四川省省長弁公室秘書と考えてよい。法正の職務は軍議校尉であり、軍議上の重要な機密参謀である…この2人が劉璋を裏切った行為は、益州のほとんどの上層部の動向を劉備に売り渡したことに相当する…
一番乗り。曹操と郭嘉、そして劉備と法正。共に主君と家臣の名コンビで、軍師が若死にしている。また、死後に主君が大敗を喫し、「彼が生きてさえいれば」と悔やまれた。そして、郭嘉も法正も品行に難があった点まで共通している。これは単なる偶然だろうか。
ただ、法正は狭量な感が拭えないのが残念だ。
マジでそっくりな立場だけど、残ってる逸話で言えば、郭嘉の異次元さが一枚上か🤔(笑)
漢中攻略戦は黄権がグランドデザイン、実践が劉備と法正というイメージ
4:07
劉『淵』→『焉』
蒼天航路の法正好きでした!
曹操に抗うために為に精神使って寿命縮めるかの描写でしたね
あの法正は本当格好良かった
法正が劉備軍で長生きしていれば孟達も裏切らなかったし、蜀は涼州も容易く手に入ったと思います。
@たぬきの社長 、加えて孔明様の北伐に対しても高アシストしていたと思う(街亭の大失敗が無くなる可能性が高くなるだろうし…)
@たぬきの社長 、ですね
なんか蜀の内側の権力闘争で、法正は毒殺という名の病死にさせられた気がしてならない
法正と郭嘉って何か好き。
いいよね。
まあまあキャラ被ってる気がする。
法正と言えばやっぱり蒼天航路だなあ。「曹操の一手に十手を浮かべ対する一手を百策より引き出す」のセリフには痺れました!
定軍山の戦いの時の劉備とのやり取りもかなり面白かった。
法正のキャラを想像することはできるし、孟達のキャラも想像できるんだけど
この二人が仲良く話してる姿が想像できないんだよね
どんな話してたのだろうか
♪打てば響くぞ~、おぬしと拙者。
最後の、翼になった方正にはふさわしいってのがめちゃくちゃカッコいい
いつも楽しく拝見しています^ ^
法正の活躍を見ていると、RPGとかで出て来る固有装備のように、がっちりハマってるみたいですね笑
黒田官兵衛ポジだったんだな~。組織の規模が大きくなると、竹中半兵衛だけではやっていけなくなる感じ
華陽国志によると、曹操は「わしは有能な人材をほぼ全て集めたが、なぜ法正のみ手に入れられなかったのだろうか」とも述べたという。
無双の法正が無茶苦茶良い味出してて好き
蒼天法正はかっこいいけど綺麗すぎたから無双のは良かったw
夏侯淵と張コウ相手に絶対勝てると言い切ったのが凄すぎる
曹操以外なら勝てるって本気で思ってそうなあたりがクール(笑)
さて、「法正」は漢中の戦いに参加していて、彼はとても上手にプレーしました。私はちょうどこのビデオを作りました~~パノラママップは漢中の戦いを示しています
@@地图物语
動画見ました。
3Dマップ上を各部隊の旗が移動して、戦闘の状況が非常に分かりやすかったです。
中国語が全く分からないので、解説が理解できなかったのが残念です。
多くの三国志ファンに見てもらいたいと思いました。
チャンネル登録と高評価しました。
今後も動画の作成頑張ってください。
法正による蜀漢建国の実績は定軍山と漢中の勝利が大きいので諸葛亮の政敵になったのもあったかもしれません
しかし、諸葛亮と法正では役割が少し違うので本当に対立することはないかも
もう一つの州か地域を取って名士派閥を均衡させることがあれば北伐でも対立が起きなかったかもしれません
劉備だからこそ法正の才能を使いこなせたことも。それを言えば張飛や魏延も当てはまる
ゆっくり解説導入したとたん再生数が2桁ぐらい跳ね上がったという当チャンネルでまことしやかに語られる都市伝説
都市伝説というか、事実(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA そういうベストミックス(試験に出る三国志+ゆっくり解説)を”水魚の交わり”というんでしょうね
ちなみに『水魚の交わり』の語源は兵法書の三略(※)😃
演義では、どちらかといえば地味な存在。夷陵の戦いで孔明が「法正が生きていれば…」という言葉も、そこまで意味が深くないように思える。
しかし、史実では絶大な存在感で、劉備も関羽や張飛に匹敵する信頼を置いた天才軍師。
陳寿は、法正を龐統と同列に、並外れた才能と評価。
戦いに勝つというだけでなく、助言のタイミングや相手の動きの読み(相手の状況、政治的背景)も抜群だった。
諸葛亮は、傾向として蒋琬や費禕、董允の抜擢だけでなく、文官も武官も安定性を求めたように感じるが(蜀の国力を考えた統治として、それは当たり前なんだが)、それでも生前の法正に対しては、魏延とは違うリスペクトを感じる言動があった。その性格を知りながら。
それにしても劉備は簡雍と仲が良かったのもそうだけど、天才肌だが性格にクセがある廖立を側近に置いたり(ただ、失脚原因の発言は、その後、当たってるのも多いので劉備が重宝したのもわかる)、魏延など、とにかく叩き上げの現場主義。個性主義。
馬謖や蒋琬を軽視したのも、諸葛亮との違い。
ただ諸葛亮にとって痛恨だったのは、法正の早世よりも、同じく超優秀で性格は誠実だった黄権を失った事だったと思う。
存命なら龐統が荊州の太守&荊州方面軍の参謀&呉との外交担当、法正が北伐軍の参謀で、荊州→中原(洛陽や許都)+漢中→長安の2ルートから魏に攻め込むという戦略が理想だったのでしょうね。
諸葛亮は巴蜀の戦後処理をしつつ、後方支援として戦線への補給を担当(前漢の蕭何の役割)。
龐統が入蜀で戦死し、法正が参謀を務めた漢中攻略戦、その後法正が死んでからは蜀軍は局地戦では勝てても結局北伐は成功しなかった。
あれ、法正やったよねと思ったら改訂版かー
この人好きだから一向に構わんとです
劉備と法正は相互保管が完璧で法正が他の人に仕えてもここまでは才能を発揮出来なかったってのは同意見です
夷陵では法正が病死、龐統が戦死してなかったらどうなったのか。
そもそも龐統が生きていたら夷陵の戦いは起きていなかった可能性もあるかもしれない。
そして郭嘉が生きていれば夷陵といわず、呉が滅んでいる可能性もあるかもしれない。
あの人が生きていると勝敗、歴史は変わっていたのかっていう物語が知りたいですね。
何故なのかねぇ蜀ってなぜか軍事担当軍師が連続して早死にしてるんだよなぁ。龐統と法正がもうちょっと長生きしてたら諸葛亮に負担かかることも無いし蜀も長く保ててただろうし、関羽が生き残って荊州失うことも無かった可能性もありますね。
漢中攻略戦は黄権の立てた作戦を採用したはずだぜ。まさか一言も触れないとは・・・
名前だけで蝶野のビンタくらってるイメージが頭の中で沸いてしまう私だけど法正がすごかったことは私も知ってる
しかし劉備を入蜀に導いた張松、孟達、法正の3人は華々しい活躍の後みなあえない最期…
兄に告発された張松、蜀に戻れなかった孟達、あまりにその死期が早すぎた法正
法正は、現在の会社なら上司を説得する事が出来る人物
諸葛亮、関羽、張飛では劉備を説得出来ない
他にも法正って芸人の名前で居た気がした
漢中戦の献策は黄権がして法正が上奏して劉備が採用した。戦の引き際を法正はわかってたのも大きい。夷陵も停戦のタイミングが悪かった、結果黄権は魏に降った。しかし黄権は蜀史で語られている。やはり黄権について深く語らないとダメでしょう。
法正はいうなれば扇の要みたいな人物ですね、人間関係の調整役として最も力を発揮する感じ
ただし人たらしみたいのが嫌いな人にとっては相性が悪かったかもしれませんね
関羽と張飛に諡号を贈らなかったかったのは一心同体だったから・・と思いたいですね(三国志ロマン)。三国志と言えば「酒」の特集もやって欲しいです。。アンナ、イッキノミデキルノ?
マイフェイバリット!法正さん再びキター!!
ホウセイマイフレンド
いつも楽しく拝見してます!どうしても張苞を深掘りした動画が見たいです
漢中奪取には邦正と黄権が活躍したという感じです。黄権のエピソードも興味あります。
関羽亡き後の荊州は、恐らく奪還後、黄権に委ねようとしてたっぽいところありますし、中々の重要人物ですよね、彼も。
司馬懿にとっては天敵と言っても過言ではないくらい相性が悪そうなタイプだな。
法正が生きていて北伐指揮官、孔明が内政担当だったら第一次北伐は成功していた可能性があるな。
正攻法の孔明への対処はパターン化できるから司馬懿にとっては精神的に楽だろうが、戦略レベルで
作戦を展開する法正なら北伐と同時に北方異民族の蜂起や涼州での反乱、徐州での反乱に乗じた呉の
北進など魏軍が多方面に対処せざる得ない状況を作った上での北伐とか考えそうだな。
孔明が張良、法正が陳平ポジションみたいな感じだったんだろうなぁ。
法正&龐統が長生きしてたらどうなっていたんだろうか。
法正が三国志で一番好きだから改訂版ありがたいです
劉備の生涯でいうと
法正が来てから、確固たる領土を得る、初めて曹操に勝利する、という素晴らしい出来事が起きて
法正が没してから、関羽・張飛が裏切りや内輪揉めで死に、周りの進言も聞かずに夷陵の戦いで大敗北して国力を衰えさせてしまった
というのが、法正という存在を際立たせていると思います
自分は三國無双のプレイアブル化で知ったにわかだけど、もっと有名になってほしいですね
こんなに実績もキャラも他人からの評価もあるのにマイナー寄りで
諸葛亮と龐統に手柄取られがちなのはなぜなのか不思議だったけど
主な理由が、性格の悪さと中国では売国奴は人気出づらいからというのを見て笑ってしまった
龐統と法正が長生きしてれば蜀はまだ頑張れた。
早くに亡くしてしまった所や、大戦に敗れて『○○がいたなら〜』って嘆かれる点が未来人とまで言われる郭嘉と被ってて、その能力の高さがわかる。
間違いなく劉備の最盛期を作っていた人物。故に亡くした事で衰退も早かった。
龐統法正が長生きして
関羽張飛が謙虚だった世界線が
見てみたかった
劉備お得意の有能だけど癖強人材の代表みたいなイメージ。こういう人たちを扱えるのが劉備の強みだけど、同時にだからこそ劉備がいなくなったら直ぐ弱体化したんだよなぁ。諸葛亮が超有能だったから延命できただけで。
法正、勿体ない人物を失ったもんだ( ・3・)
現実の世界で、孔明みたいな人に会うことはないですが、法正みたいな人はいるような気がするから不思議です。癖があって、陰湿なときは陰湿ですが、仕事はできるし、性格が問題あるがゆえに、ある意味敷居が低いように思える人。孔明が非の打ち所がない中宮だとすると、法正は気心の知れた側室みたいなイメージです(BLかw)
儒教の徳は天帝から与えられるパワーで、仏教の人徳とは別物なんだけど、すぐにポックリいってしまうので、やはり法正は徳がなかったのかな
史書の諸葛孔明は生前の劉備に具体的な軍事的助言はしておらず、当時の『軍師』の役割は軍隊の運営や管理と思われる。
なんでガチで軍事参謀の才能があったのは、法正が最初で最後だったのではあるまいか。
(もう一人は益州の戦力を読み誤って討ち死にしてしまうし)
劉備にとって孔明は信頼できる留守番であり、最後の戦いで手元においでるいたのも馬良だった。
劉備は人物を集めるのに、龐統・ 法正のように途中で去られてしまう辺り人物運(って言っていいのか)がない。
まぁ戦争中だからそれも当然と言えば当然なんだけど。
法正の性格を見ると、やはり法治は正しいと思える不思議ww
ただし、法に則って厳格に処罰してしまったら、漢中は手に入れられなかった。
唐の大宗が創業と守成は違うと言っていたので、多分にそういう事だと思います。
劉備は長安を取って荊州を維持し尚且つ呉と同盟を組みつつ洛陽を落とせれば天下も夢ではなかったかも、もしくは持久していたはず
知れば知るほど曹操がヤバいってなる
「許靖のような高名な名士を登用しないと政権の評価が下落します。彼は何の役にも立ちませんが、高く任用すべきです」っていう台詞、法正らしい歯に衣着せぬ痛快な物言いだけど、"中身は無いけど世間には評価されてるから取り上げないと支持されない"っていう今にも通じる話だなって感じますね……
でもこんなこと言われてる許靖だけど、ちゃんと人事面で活躍し、姜維の北伐を支えた陳シも許靖が育てたとか…(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA マジすか?!やっぱ許劭のいとこなんやなって、これは名門一族ですわ(テノヒラクルー)
@@KOUMEI_NO_WANADA 法正が天才だったから普通に有能な許靖ですらぼんくらにしか見えなかったのかも・・・
法 で 正 で おまけに 考直なのに 邪道って名前が反映されてない
子文って字なのに三国志最強の脳筋の曹彰さんの話する?
この人が長生きしていたら…………と思う
しかし、他人から結構怨みも買っていたみたいだし、長生きしても中途で不慮のシを遂げたかなあ…………
楚漢戦争の人物に例えると諸葛亮の役割は張良+蕭何、龐統と法正は陳平という感じかな。龐統と、その後法正がいる間は劉備も勝っていたのが、いなくなってからはパタッと勝てなくなった。
ゆっくり採用から2年半。三国志は詳しくなったと思いますが、東方Projectはどうですか? 好きなキャラとかできましたか?
Vtuberさんの各所の配信で、東方の弾幕シューティングゲームをやってるのはよく見てます(笑)
なんだか、これを見れば東方の全容がわかる!みたいなものってありますかね? それこそ横山三国志みたいな🤔
25年以上続いているコンテンツだから「そんなものはない(by関羽)」んだけどw、手っ取り早いのは1万円もってメロンでまとめ買いすることですかねえ。
キャラクターの設定を知りたいなら『東方求聞史紀』には初期勢がひととおりいますけど、たぶん先に漫画なり同人誌を読んでないと意味がわからないと思います。
龐統、法正が早逝したのが大きな痛手
龐統が荊州方面の軍事参謀、法正が劉備の軍師参謀として漢中方面、諸葛亮が丞相として本拠の蜀州を守るってのが胸熱な形やな
ここに徐庶が揃ったら最高やけど
徐庶が劉備の所にいたら魏の策を看破してまず樊城は負けないかと。下手したらもっと早く曹魏を滅ぼしている可能性もあるし。法正と龐統も生存していたら荊州失陥しても関羽生存は行けたかと。法正なら荊州再度孫劉同盟間の盟約を守りつつ奪還してそうし
諸葛亮は荊州に残って荊州の内政全般と対呉外交を担う方が適任かも
@@meeaam4368 そうなると徐庶のいるかどうかも重要になりますね。徐庶がいたら孔明留守を引き続きできて徐庶が代わりに劉備の救援に行くと言う手も使えますし
最高ですね~👍後半の人材不足がかなしすぎる
割と諸葛亮は法正を評価してるセリフも多いし、普通に仲良かったんでは?って思う派です。
少なくとも蜀漢が天下を狙う上で必要な人材の一人だという認識はあったはずだ。
龐統が失われて少々心細い状況でもあったからね。
もう数年長生きしてたら、もう少し地図は違っていたかもなぁ。
孫権が虞翻を使えるなら法正も扱えたかも
李儒は解説してくれないのかな?
影の実力者っぽくてかっこいいかな
法正が生きていれば魏延もあんな死に方はしなかっただろうな。法正が死んで蜀も終わった、って言えるだろう。
夏侯淵と張郃に勝てる、と言うのは恐らく誰かの創作でしょうけどね
当時の漢中には夏侯淵や張郃と並ぶ将として徐晃もいました。あそこで彼の名前が出てこないのは違和感を感じます。
彼の名前を省けるのは漢中争奪戦の経過を知っている人ぐらいでしょう。まあ、後出しじゃんけんですよね。
この人が長生きしたら劉永か劉理を担いで、劉禅を廃位させようとしたかも知れませんね、孔明に絶対的な信頼置いてる劉禅は邪魔でしょう
やるなら劉封でしょ
諸葛亮がそれを恐れて劉封を処刑する様に助言したって話だし
法正...アウト
無双のキャラが好き
三國無双8で、脳内お花畑なのが多い蜀の人の中、現実を見てた法正のキャラが好きですね😄
無双だと現実主義者同士で劉禅と意気投合しそうなのが
法正がいたら夷陵の戦いもなかったかもしれないって言われてるよね。
法正 人徳あれば完璧な人なんだろうなぁ 孔明自身が軍略勝てないって言ったぐらいだしなぁ😃
諸葛亮は法正を政的とは
思ってないですよ
むしろ亡くなった際には
その才を惜しんでいます
法正には悪いけど劉備が生きているうちに死んだのは後々のこと考えると良かったと思っちゃうよね…
まぁ、劉備以外じゃ絶対にうまく扱えないし、多分諸葛亮とゴタゴタしてたでしょうね(笑)
荊州派閥と益州派閥が揉めてるのを古参と徐州派閥はどう見ていたのだろうか?
この派閥争いもあって面白くなかったのもあって麋芳、傅士仁は関羽を裏切った一因説、なくはないと思うのは俺だけだろうか?
荊州派閥と益州派閥しか名士はいない。徐州以前の連中はノンキャリの実行部隊だからそういうこととは別。糜芳は糜竺の兄弟というレイヤーより劉備の義兄弟であるレイヤーで見ると、それが寝返ったくらい関羽がまわりと協調性がなかったということ。
徐州以前の主だった名士は劉備についてきてないので、派閥という派閥はあったのかしら?(陳羣や陳登は故郷に残ってる)
糜竺の一族も外戚に近く、劉備の権勢次第な立場な感じはある。
なるほど
名士がいないと政権中枢に派閥はできないのか…
まぁ確かにこの頃の政治は名士が中心当たり前でしたね
私が四半世紀以上も前に大学の卒論で姜維の北伐をテーマにしたときは名士のことは頭になかったが、近年渡邉義浩氏の書籍とこのチャンネルに出会って以来、当時は名士は切っても切れない存在であったと思えてならない。
ちなみに孔明は荊州閥なんだけど出身自体は徐州名士であり
もしそういう勢力があるならそっちも糾合できる立ち位置にはあったんですよね
まあそういうムーブメントは寡聞にしてあまり聞いたことがないので
政治的には益州政権内では力を持たなかったのではと思います
コーエー三國志の「妖術」。法正さんだとどさくさに紛れて、味方の頭上に金ダライを落としそうですね。
法正「あいつ、俺の指示に不満持ってるな…よし、査定マイナスっと」φ(._. )メモメモ『給与減額』
ホウセイ…マイフレンド…
孔明は「三顧の礼」「水魚の交わり」という割には先主に重用されたように見えず。草蘆対とは、「亮より始めよ」という人材集めのはじめの一歩、劉備にとっては、まず「郭隗 」役を青年諸葛亮に期待したのだろう。悪くいうと他の人士たちの当て馬。
劉備が禁酒令を出した時のエピソードが好きだな。
この禁酒令が酒造りの道具を持ってるだけでアウトだった。
ある時、劉備が法正を連れて出ていた時、ある男女が歩いているのを見て、
「あの二人は、淫らな行為を行うので捕らえなければなりません。」
と言ったのを、
「なぜわかる?」
と、劉備が問うと、
「あの二人はそのための道具を持っていますから」
と、澄まし顔で言ったとか。
自分の出した禁酒令が厳しすぎることを悟った劉備は、禁酒令を緩めたとか。
それはたぶん、簡雍さんの逸話……
ちなみに僕は簡雍が三国志で一番好きです(*´ω`*)
法正の逸話なら劉備が負け戦なのに撤退を拒否しているがもう敵の矢か飛んで来るくらい危険な状態だった
そこで法正が劉備の前に立って劉備を庇う
劉備はそれを見て「考直、矢を避けよ」と法正に安全なところに避難する様に言ったけど、殿が命を賭けているのに私の様な小物が自分だけ逃げる事が出来ましょうかと返事をしてそれを聞いてようやく劉備は撤退を決意したってやつ
劉章の父は、劉淵じゃなくて劉焉だったような気がするが。劉淵は五胡十六国の時代の君主かなんかで、見たような覚えがある。
法正は漢の時代の陳平みたいなもんか。
(゚ο゚人))
実際に働くと人望が有って頭が良いやつはサラリーマンにいない!と判る。
どのように組み合わせるか、が人事の妙味で各部の部長の一番の仕事。
一人のせいでバンバン辞めていくなんてザラ。
アホですみません。
まとめテストの答えって合ってるんですか?
解決しましたm(_ _)m
劉備が天下統一してれば陳平さんと比されたかもね
めっちゃ蜀の歴史的にも重要なのに三國無双では最近までモブ将軍だったという
よく性格に難がありって言われるけど、そこまでだとしたら友達なんかいないだろうからそこまでじゃなかったんじゃないの?っていう感じがするけどね。
あと改訂版なのに焉がまちがってるよ~
品行方正ではなかった法正...(ヒュー🍃
だからこそ元任侠の劉備と馬が合ったんだろうけど。
癖の強い才人を好む劉備、気のいい荒くれ者を好む孫権。
才能さえあれば後はどうでもいいとか宣言しつつも、だいたい堅実な仕事できるタイプを重んじる曹操。
さて、「法正」は漢中の戦いに参加していて、彼はとても上手にプレーしました。私はちょうどこのビデオを作りました~~パノラママップは漢中の戦いを示しています
パリピ孔明がラップバトルをやると聞いて浮かんだ名前が法正(Ho-Say!)と楊奉(Yo-Ho!)だったけどどっちも出てこなかった
無双の法正いいよねー
でもうちは孔明の方が好きかなー
oooo
どこかの偉い人は伏龍と鳳凰が勝つるとか言っていたが、結局勝つのに必要だったのは人間臭い、欲望の強い、劉備みたいな軍師だった