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先日、名鉄金山駅の3番線にいたら、金山止まりの列車が到着。6500系の鉄仮面。客を降ろしながら、行先、種別の幕回しをスタートしたけど、ぐるぐるぐるぐる回しまくり。行先見てたら、今は無きのが現れました。美合、古見、大野町、森上など。更に、猿投、碧南、蒲郡、御嵩、三柿野、岩倉、江南、柏森、富貴、新安城、豊田市とどんだけあんねん?てゆうぐらい出現。スマホで撮影しなかったのが悔やまれます😢
元々祖父母の家が津島にあったので津島線はよく利用していました。朝に運転されていた森上/弥富始発の豊橋行急行は1回家族で佐久間レールパークに行く時に使った事があって記憶の限りでは東岡崎で1200系に乗り換えしていた気がします。あとその時が定かかどうかは不明ですが、佐屋始発のナゴヤ球場前停車の急行は太田川で後ろ4両を切り離して常滑行になりその間に1600系の内海/河和行特急に追い越されていたと記憶しています。
森上発豊橋行きは、それまでは折り返し特急新岐阜行きになったので、白帯7000系、7700系と5500系が連結されていましたが、5500系は特急新岐阜行きの時は回送扱いでした。
これだけ広大な路線網を持つ名鉄のほぼ全駅から新名古屋まで乗り換え無しで行けた当時は凄いな
9:40ついに2024年3月のダイヤ改正で、上ゲが快速急行の停車駅に昇格して、知多半田駅での種別変更は滅んだ。
なんかもう・・・名鉄って地元民以外にはほんとにわけのわからない・・・もはやこれが伝統芸と化しているあたりがもうね・・・
当時との主な違い本線…特急は笠松、新木曽川、新安城、国府、伊奈を通過犬山線…各務原線と直通、北アルプスやDX特急、明治村口行き常滑線…空港線未開業、太田川以南は大野町のみ停車河和線…知多半田以南各停は種別変更で対応知多新線…一部駅を通過する特急津島線…本線からの特急が1日1本のみ尾西線…系統を跨ぐ列車あり竹鼻線・羽島線…江吉良〜大須廃止広見線…御嵩から犬山、名古屋方面に直通する列車あり各務原線…犬山線、600v線区との直通あり小牧線…上飯田線が未開業三河線…猿投・碧南以遠廃止、本線直通あり豊田線…地下鉄鶴舞線が上小田井まで未開業西尾線・蒲郡線…蒲郡線優等種別、本線直通あり豊川線…本線直通特急なし築港線…特になし?瀬戸線…堀川まで直通、栄町未開業、唯一の準急600v線区、モノレール線、八百津線…廃止
当時の人達がこのダイヤを使いこなしていたのかと思うと驚愕する
西尾線利用していましたが、よくこんなに複雑なのを編集しましたね。西尾線から名古屋行くのに、いろんなことを知ってないといけなかったです。
蒲郡線発の急行とか特急なんて時代を感じるなぁ…
続編が楽しみすぎる…
20:46 此れです 猿投→新鵜沼行き7000系全車指定席特急に乗りました(猿投→豊田市は普通)しかし、三河線内は行き違い運転停車だらけで、本気で通過した駅は竹村だけでした逆の猿投行きは、知立から普通でした
11:58 佐屋駅から一宮駅に直通する列車が、2024年の改正で復活しましたね。
15:51 その代わりに、2023年改正で内海行きに戻ったこの列車が、ドアカット解消を目的に、津島駅始発で運行されます。
訳がわからない列車だらけになったのは、途中で説明があった種別の整理(原則として特急・急行・普通の3種別)のせいで元高速の速達性と元準急の停車駅に配慮した特別停車や特別通過が沢山あったためと見られる
高速は特急への制度変更だけど準急はなんで消したんだかだねえ、何の意味もなかったのは2005年に復活したことで明らかに
津島線 3740列車は1989年6月のダイヤ改正までは森上発は740列車として須ヶ口から回送で送り込みされた7700系2両を津島で増結し6両で運用されていましたが、1989年6月のダイヤ改正で送り込み回送が無くなり弥冨発のP4と森上発のP4が津島で連結をして8両で運用。当時津島駅には740列車専用の停車目標が用意され2番線ホーム中ほどの屋根部に「740」と記載されていました。先ほどの7700系の送り込み回送が無くなり、そのスジで1989年6月のダイヤ改正では尾西線用の3730系の送り込み回送になりさらに1990年10月のダイヤ改正では764列車の津島始発の為に須ヶ口から回送されP6(連結可能)かSR6が運用されていました。当時両列車も通学・通勤の足として使用していたためよく覚えています。
ああ思い出した思い出した今では6000系列でも特急幕が装備されていますが、当時は特急幕が装備されていない車両もあり、それらの車両が特急運用に就くときにはなんと種別欄が空欄となり、その下の窓に特急板を吊るされていることがありました
1990年代の名鉄ダイヤ面白すぎです!もはや急行と名乗りながら、急行でない列車や、岩倉・知立を通過する特急。特急からの種別変更など、ゲテモノだらけでしたね。笠松や古見とか、どうやって送り込んだのか気になります。
古見は聚楽園の4番から逆出発して今はない常滑方の渡り線で折り返していました
笠松はおそらく茶所検車区からの直接出庫ではないかと(なお改正前は新木曽川始発だった)
@@平井陽介 笠松始発だと茶所検車区から茶所駅に入りスイッチバックして笠松に行っていた可能性がありますね!その茶所駅も高架化で加納駅同様統合廃止が決まっていますけど!
23:50〜のところで紹介されている5770Eレは犬山線の平日夕方の名物列車でした。確か1985年頃の改正で設定され、幾度かの種別や併結順序の入れ替えを経て2005年1月改正時より常滑行きが中部国際空港行きに区間延長されて2008年12月改正まで存在していました。車両は夕方の帰宅ラッシュ時間帯にかかるため3ドア車両で運転され、主に6Rで運用されていました。(1997年4月5日改正時〜2003年3月改正までの6年間は3Rで運用)
1990年のダイヤは滅茶苦茶カオスすぎる笑
今がかなり整理されてるだけで空港線開業までの名鉄は毎回カオスでしたよ?
0:42 岡崎公園前は通過してる...7:02 二ツ杁と大里に両方停車駅する急行10:22 常滑線の乗り換え駅と日本福祉大学の最寄り駅が特別通過...12:09 萩原始発は聞いたことがない...15:14 高横須賀は他の普通停車駅より利用客が多かったのかな?青塚は準急停車駅だったから元々準急だったのかな?19:23 快速特急もどき21:34 田神は路面電車の乗り換え駅だった頃の名残?新加納は利用客が多かった?25:22 羽場も利用客が多かった?31:42 多分、日本の鉄道ではここだけ34:12 岐南は一応岐南町の代表的な駅だから...
JRなら特急「すずらん」「わかしお」をはじめ、普通から特急になる列車もありますよ
@@平井陽介 わかしおは下りの特急→普通のパターンだけなので、普通→特急はすずらんだけです。
新加納は最寄りの高校への通学の利便性を図ったと思ってる。パターンダイヤへの切り替え時間で普通の間隔が開いていたから。
岐南と加納に特別停車して茶所のみ通過していたですけどね(笑)加納駅特別停車はJR岐阜駅にお客奪われないようにした名鉄の苦肉の策の特別停車だったそうです!
802A=新岐阜発 全車一般席車特急 内海ゆき ⇒ 確か新岐阜08:00発でしたよね? 当時、名古屋の学校に通うために利用していました。(新岐阜~神宮前)覚えているのは、確か当時は本線系統の特急がパノラマSuoerによる一部指定席特急がメインでしたが、新鵜沼~内海系統の特急は全車指定席だったと思います。そして、パノラマSuper編成の場合と7000系白帯車編成の場合が混在していたと思います。(新岐阜発の本線系統特急で、平日&休日ともに1日1本、09:00発の常滑ゆき特急は、当時唯一の全車指定席特急だった記憶。)この802Aは、その7000系白帯車(4両編成)を2編成つないだ8両編成で運行しており、当時としては非常に「乗り得列車」だったんですよ。つり革がないのに、非常に混んでいましたね。
昔玉ノ井線は早朝は6000系列だったのおぼえてます。あと、休日も。昼間はHLでしたが昔ある障がい者のキャンプにいくため新一宮までタクシーでいったとき玉ノ井行き普通に6800系使っていたな。あと1991年に神戸へ家族旅行にいったときに奥町土曜日朝7時台に新一宮行き普通があり新一宮で河和行き急行に併結した電車に乗ったことあるな。
843列車の前身を三河線八橋〜三河知立で朝よく見ていた。HL車主流の線内においてAL車の2連+2連で時としてこれまた線内にて希少な冷房車7300系が入る事があり、動画の説明であるように唯一の本線直通だった。しかし動画の時代ぐらいから、1000系パノラマsuperの一般席車増備に伴い、線内は玉突き転配により7300系の最後の活躍の場になり、やがて7300系も廃車(豊鉄へ譲渡)になった。
朝ラッシュの時間帯に岩倉、太田川、知立通過の特急があったのは、犬山や半田、と岡崎や西尾方面の遠近分離だと思っていました。90年以前でしたが、常滑から来る普通が神宮前から高速になる岐阜行きがありました。
見ていてとても楽しい。ありがとうございました。
この改正の時全車一般車の特急のみが急行や普通になっています。しかし、最新のダイヤ改正で一部指定席急行が現れているので、そのうちに一部指定席の特急がそのまま(一部指定席のまま)急行や普通に変わるという運用が出現しそう!
まあ犬山線の平日上り二本だけですけどね今は需要あるならできそうかな
@@asakazefuji あれは特急車の送り込みには不可欠だけど,特別車を締め切ると乗り残しが発生するという事態に陥ったため,そうなったと聞いている。なのでそういう特殊事情がない限りは増殖しないんじゃないかな。増やすとミュー券売機のソフト変更が発生するし。
@@kintamaittaka 実際に新鵜沼発河和行き急行676Aに乗る時に旅行会社に発券を依頼したら、下車駅の南加木屋が旅行会社のシステムに入っておらず、着駅を知多半田にして何とか発表…なんて事があった。
@@也寸志稲葉 南加木屋は特急一部停車駅なのに発券できないのは不思議ですね。
@@kintamaittaka 本線に一部特別車急行が増えた以上そうとも言えないかもです
新木曽川で急行同士の待避があった記憶がある。須ケ口行きが新木曽川で種別変更するやつ。逆の岐阜行きでもあったはず。
確か河和線をぶっ飛ばす急行は、90年のダイヤ改正で消滅した元“高速”の成れの果てと聞いてます。
特急 急行 普通に整理してしまった結果、かえって特別停車が多くなってしまいましたね瀬戸線を除いて準急を排除したのが、逆効果を招きました
3つの種別に統合されたことで、今以上にカオスですね💦当時の人は種別なんてあてにならなかったんだろうな
前編に戻って確認しましたが、5:25 鳴海は標準停車駅では?
ずっと昔のダイヤの情報を書くユーチューブで見てるけど見るたびに名鉄は迷鉄だなぁと思わされる・・・
お疲れ様です。昔には現在あり得ない「豊橋始発の各駅停車(船町と 下地は通過)」や、全車一般車の特急の種別変更も驚きですが、「特別停車ナイン」や「特別通過」の多さも驚きでしたね。各駅停車でも「江吉良」や「椋岡」、「学校前」の特別通過も、当時は当たり前のようにありましたね。昔は「特急」「急行」「各駅停車」の3種別しかなかったことで、「急行同士の追い抜き」が多かったみたいですね。
犬山線の岩倉通過の特急は江南までで大体満席になる為に所謂遠近分離の意味で通過してたと思います。
確か河和線の日福急行って正式ではないけど快速急行名乗ってたんだっけ。
朝夕の高速内海行ですか?朝の高速内海行は停車駅が終点まで特急並で夕方の高速内海行は太田川までは常滑行急行と併結していました。夕方の高速内海行は晩年では急行中部国際空港内海行になりましたが。
新岐阜発常滑行き急行は新岐阜から江南まで二年間通学で利用してまして、犬山で増結をしてました。新加納停車の唯一の急行で近くの高校への通学列車でした。1本前は碧南行き普通が存在してました。
29:00の特急1200系でも運転されてたからスタンプラリーの時重宝した
笠松発とされている820の急行は、笠松、新木曽川利用者への着席サービス列車でした。当時両駅は特急は停車せず急行停車駅。朝ラッシュでは新岐阜発車でほぼ座席が埋まるのが普通でした。この急行だけは、8両編成のうち2両が笠松で初めてドア解放(笠松利用者座れる)、2両が木曽川で初めてドア解放(木曽川利用者座れる)。遠い記憶では新岐阜が7,8両目、笠松が5両目以降、木曽川が3両目以降、一宮から全ドア解放だった気がするのですが、定かではありません。新岐阜からお客さん乗っていた気がするのですが・・・(91か92年ごろの話?)
急行新一宮から新清洲で 急行新一宮行き に抜かされる なんて まるで とんち話
西浦始発の列車が存在していたとは…
運賃改訂が行われると御嵩~蒲郡2000円越えになるのか
小牧線の上飯田発碧南行きがあったのっていつ頃だっけ?
それは初耳でした。80年代は明治村口発着など他線区直通があったので、そのときじゃないでしょうか?
列番の末尾に付くDの意味合いはなんでしょうかね。ディーゼルを意味してるんですかね。
おそらくそれで合っています。JRでは電車(Motor)→M気動車(Diesel)→Dのようです。
25:23 各務原市在住の高校生が岐阜地区へ通学するのに大変お世話になってた列車。使用車両はパノラマカーの6両編成、田神で下車する客は見かけた記憶が無いです。これの1本後の普通ではほぼ遅刻確定。38:19 80年代後半には、朝8時過ぎに新岐阜発本宿行の普通があったはずですが、90年には無くなってたんですね。
36:56 にある2002列車・2102列車ですが、よくよく考えると、「新安城停車 東岡崎から急行」ってのがちょっと謎ですね。単に「知立から急行」としたほうがわかりやすいように思うので…。
7:02 確かP6運用で送り込みが聚楽園4番から逆出発の回送だったはず高速が特急に吸収されたはされたが急行にもなっていて常滑競艇臨や19:25 や 23:50 のように特別通過パラダイスになっている
いつもより早く見れた。後、名鉄の行先とか結構分かりやすい
2:15吉良吉田発のやつは新安城まで急行で碧海フライに特別停車でしたっけ
生まれも育ちも地元も神奈川の自分は理解不能だけど沿線民も理解できていなさそう
動画投稿楽しみにお待ちしておりました。名鉄がカオスなのはスジ屋さんの長年の汗と涙と努力の結晶ですね。どうも名鉄名古屋駅周辺が再開発で騒がしいですが、むしろ名鉄名古屋駅だけはこのままであって欲しいと願うばかりです。さて、来年2023年は関東でもついに相鉄と東急が直通運転を開始し、名鉄に負けず劣らずダイヤや運用がカオス化します。具体的には·東急線において8社(横浜高速鉄道、相鉄、東急、東京メトロ、都営、西武、東武、埼玉高速)10路線(横浜高速鉄道線、相鉄線、東急東横線と目黒線、東京メトロ副都心線と南北線、都営三田線、西武池袋線、東武東上線、埼玉高速鉄道線)の車両が複々線上で入り乱れる。·相鉄線内発の直通電車で終点の鉄道会社が異なる「川越行き(既に直通しているJR線)」と「川越[市]行き(東武線)」爆誕w(本線の名鉄岐阜行きと犬山経由名鉄岐阜行きみたいなww)·さらに川越駅はJRと東武東上線どちらにもあるため鉄道会社の異なる駅のホームに同じ車両が並ぶ!?等々が予想されます。そこで名鉄ダイヤ調査室初の出張企画ということで来年はこれらを撮影して動画にしませんか?これからは西は名鉄、東は京急に取って代わる東急の一大カオス軍団が楽しみになります。
この時代は鳴海検車区があったから鳴海発着がやたらと多いんだあと3500系もまだいないから好きなところで種別変更できるし
紅電Channel:鈴南さんこれらの急行→特急(逆もあり)は、5700・5300・5500が主に運用されていましたっけ。
@@原田寛-e3u どうなんでしょう…
39:32 地味に背景311なの草
布土駅が懐かしいですね。
知多半田1番のスルーは、今でも名古屋方面からの知多半田行→富貴方面に向かうスジであるね。その間に待避もするし
徳重は今でこそ上小田井駅まで地下鉄が開業され普通列車も増えましたが、当時は西春駅に待避線がなく普通列車の増発もままならなかったのと、近くにある西春高校・名古屋芸術大学への利便のために準急停車駅になっていました中小田井も当時地下鉄鶴舞線が庄内緑地公園どまりだったのがあり利用客も多かったので準急停車(犬山方面の朝1本のみ急行も停車)駅になったのではないかと本笠寺も同様で当時は地下鉄桜通線が野並まで開業されてない時代で、利用客が多かった(約8000人)ため急行(旧準急停車駅)の停車が多かったと思います(今では地下鉄桜通線の利用が多く利用客は激減)
近鉄蟹江も昔の西春と同じように昔は待避線が無かったんですかね?
夜の上り電車新岐阜駅発東岡崎駅行急行加納駅特別停車はお客をJR岐阜駅に流れないように停めていたらしいです!しかしこの加納駅も今は一日乗降が500人しかいなく高架化で隣接している茶所駅とともに15年後に廃止になるとは誰も思わなかったでしょうかね😁
廃止というよりは統合ですかね(高架駅が1箇所のみ設けられる)
@@b-verstheartist6051 統合廃止が実情ですよね!しかし名鉄の本心は高架化して利用者の少ない加納、茶所駅を廃止したほうがベターだけどきっと名鉄グループの岐阜バス路線だけでは限界があるから統合して新たに駅設置をやむを得ず了承したのが実情だと思いますよ!岐阜県と岐阜市が負担条件で統合して新たに駅設置を認めたと名鉄はコメントしていましたからね🤔(2018年現在加納駅550人、茶所駅450人)両駅共岐阜バス代行でも間に合うけどな?(笑)茶所駅の近くでは以前特急回送電車が衝突事故ありましたから(岐阜バス新岐阜バスターミナルから加納、茶所駅近くを通り岐南町に行く岐阜バス路線バスもある見たいですよ)名鉄は路線廃止、駅廃止は十八番ですからね(大爆笑)後尾西線に新一宮(今の名鉄一宮)↔萩原折り返しがあったのは知らなかったけど萩原駅に信号があったのはその名残かも知れないですね!(尾西線萩原駅はあの大スター舟木一夫の故郷で去年15周年を迎えたバンダイナムコゲームスが展開している[アイドルマスターミリオンライブシアターディズ]内にいる萩原雪歩と同じ駅で最近アイマスキッパーから注目されていますよ😄
実は600V線区にもヤバいのがあって、黒野発岐阜駅前行き普通の1本が忠節から急行になりますあとは新岐阜発下芥見行きと市ノ坪発美濃行きと徹明町発野一色行きの3列車同時続行運転ですかね
え、下芥見で折り返す列車があったの!?
もう…訳わかんね~😅💦
迷鉄は昔から「一見さんお断り」だったのですね😢。
名鉄は迷鉄だなぁと。
828Fは須ヶ口併結から金山で分割し後ろ4両が常滑行き普通に化けます1990年当時は朝ラッシュ時に名古屋方面から常滑線に入る急行列車の半数ぐらいが金山で分割、後寄り車両が普通列車に化ける運用が多かった記憶がありますね
神宮前~金山間の複々線ができて間もない頃なので、今ほど金山折り返しが発達しておらず、改正前のスジ(神宮前で切り離し)を流用して金山で切り離すケースが多かったんですよね。
このシリーズ伸びる気しかしない
僕が名古屋と岡崎の間を学校通学のためによく名鉄を利用しました。特急が複雑になって、高速から全車一般席特急に、一部指定席と全車指定席特急がありました。一部指定席特急の場合、パノラマカー一般席がよかった。一般と指定の非貫通は痛いが、そもそも、一般しか乗っていませんでした。
32:00 主「ロングシートを指定席として販売することもない()」YC1系臨時快速有田陶器市号「えっ」
19:47これももともと快速急行→高速で運行されていたもの。この列車はどちらかというと大学に同居している付属高校の高校生輸送の使命の方が大きかった。(大学の1限は後続の急行=確かナ球停車だったかと=でもまにあう時間設定になっていた)
快速急行って名鉄だと平日の朝ラッシュ時しか運用されてないから昼間や土日祝日も運用してほしい名鉄の快速急行って名鉄だと特急や急行の代わりだもん
栄生行き「()」
先日、名鉄金山駅の3番線にいたら、金山止まりの列車が到着。
6500系の鉄仮面。
客を降ろしながら、行先、種別の幕回しをスタートしたけど、ぐるぐるぐるぐる回しまくり。
行先見てたら、今は無きのが現れました。
美合、古見、大野町、森上など。
更に、猿投、碧南、蒲郡、御嵩、三柿野、岩倉、江南、柏森、富貴、新安城、豊田市とどんだけあんねん?てゆうぐらい出現。
スマホで撮影しなかったのが悔やまれます😢
元々祖父母の家が津島にあったので津島線はよく利用していました。
朝に運転されていた森上/弥富始発の豊橋行急行は1回家族で佐久間レールパークに行く時に使った事があって記憶の限りでは東岡崎で1200系に乗り換えしていた気がします。
あとその時が定かかどうかは不明ですが、佐屋始発のナゴヤ球場前停車の急行は太田川で後ろ4両を切り離して常滑行になりその間に1600系の内海/河和行特急に追い越されていたと記憶しています。
森上発豊橋行きは、それまでは折り返し特急新岐阜行きになったので、白帯7000系、7700系と5500系が連結されていましたが、5500系は特急新岐阜行きの時は回送扱いでした。
これだけ広大な路線網を持つ名鉄のほぼ全駅から
新名古屋まで乗り換え無しで行けた当時は凄いな
9:40ついに2024年3月のダイヤ改正で、上ゲが快速急行の停車駅に昇格して、知多半田駅での種別変更は滅んだ。
なんかもう・・・名鉄って地元民以外にはほんとにわけのわからない・・・
もはやこれが伝統芸と化しているあたりがもうね・・・
当時との主な違い
本線…特急は笠松、新木曽川、新安城、国府、伊奈を通過
犬山線…各務原線と直通、北アルプスやDX特急、明治村口行き
常滑線…空港線未開業、太田川以南は大野町のみ停車
河和線…知多半田以南各停は種別変更で対応
知多新線…一部駅を通過する特急
津島線…本線からの特急が1日1本のみ
尾西線…系統を跨ぐ列車あり
竹鼻線・羽島線…江吉良〜大須廃止
広見線…御嵩から犬山、名古屋方面に直通する列車あり
各務原線…犬山線、600v線区との直通あり
小牧線…上飯田線が未開業
三河線…猿投・碧南以遠廃止、本線直通あり
豊田線…地下鉄鶴舞線が上小田井まで未開業
西尾線・蒲郡線…蒲郡線優等種別、本線直通あり
豊川線…本線直通特急なし
築港線…特になし?
瀬戸線…堀川まで直通、栄町未開業、唯一の準急
600v線区、モノレール線、八百津線…廃止
当時の人達がこのダイヤを使いこなしていたのかと思うと驚愕する
西尾線利用していましたが、よくこんなに複雑なのを編集しましたね。
西尾線から名古屋行くのに、いろんなことを知ってないといけなかったです。
蒲郡線発の急行とか特急なんて時代を感じるなぁ…
続編が楽しみすぎる…
20:46 此れです 猿投→新鵜沼行き7000系全車指定席特急に乗りました(猿投→豊田市は普通)
しかし、三河線内は行き違い運転停車だらけで、本気で通過した駅は竹村だけでした
逆の猿投行きは、知立から普通でした
11:58 佐屋駅から一宮駅に直通する列車が、2024年の改正で復活しましたね。
15:51 その代わりに、2023年改正で内海行きに戻ったこの列車が、ドアカット解消を目的に、津島駅始発で運行されます。
訳がわからない列車だらけになったのは、途中で説明があった種別の整理(原則として特急・急行・普通の3種別)のせいで元高速の速達性と元準急の停車駅に配慮した特別停車や特別通過が沢山あったためと見られる
高速は特急への制度変更だけど
準急はなんで消したんだかだねえ、何の意味もなかったのは2005年に復活したことで明らかに
津島線 3740列車は1989年6月のダイヤ改正までは森上発は740列車として須ヶ口から回送で送り込みされた7700系2両を津島で増結し
6両で運用されていましたが、1989年6月のダイヤ改正で送り込み回送が無くなり弥冨発のP4と森上発のP4が津島で連結をして8両で運用。
当時津島駅には740列車専用の停車目標が用意され2番線ホーム中ほどの屋根部に「740」と記載されていました。
先ほどの7700系の送り込み回送が無くなり、そのスジで1989年6月のダイヤ改正では尾西線用の3730系の送り込み回送になり
さらに1990年10月のダイヤ改正では764列車の津島始発の為に須ヶ口から回送されP6(連結可能)かSR6が運用されていました。
当時両列車も通学・通勤の足として使用していたためよく覚えています。
ああ思い出した思い出した
今では6000系列でも特急幕が装備されていますが、当時は特急幕が装備されていない車両もあり、
それらの車両が特急運用に就くときにはなんと種別欄が空欄となり、その下の窓に特急板を吊るさ
れていることがありました
1990年代の名鉄ダイヤ面白すぎです!もはや急行と名乗りながら、急行でない列車や、岩倉・知立を通過する特急。特急からの種別変更など、ゲテモノだらけでしたね。笠松や古見とか、どうやって送り込んだのか気になります。
古見は聚楽園の4番から逆出発して今はない常滑方の渡り線で折り返していました
笠松はおそらく茶所検車区からの直接出庫ではないかと(なお改正前は新木曽川始発だった)
@@平井陽介 笠松始発だと茶所検車区から茶所駅に入りスイッチバックして笠松に行っていた可能性がありますね!その茶所駅も高架化で加納駅同様統合廃止が決まっていますけど!
23:50〜のところで紹介されている5770Eレは犬山線の平日夕方の名物列車でした。
確か1985年頃の改正で設定され、幾度かの種別や併結順序の入れ替えを経て2005年1月改正時より常滑行きが中部国際空港行きに区間延長されて2008年12月改正まで存在していました。車両は夕方の帰宅ラッシュ時間帯にかかるため3ドア車両で運転され、主に6Rで運用されていました。(1997年4月5日改正時〜2003年3月改正までの6年間は3Rで運用)
1990年のダイヤは滅茶苦茶カオスすぎる笑
今がかなり整理されてるだけで空港線開業までの名鉄は毎回カオスでしたよ?
0:42 岡崎公園前は通過してる...
7:02 二ツ杁と大里に両方停車駅する急行
10:22 常滑線の乗り換え駅と日本福祉大学の最寄り駅が特別通過...
12:09 萩原始発は聞いたことがない...
15:14 高横須賀は他の普通停車駅より利用客が多かったのかな?青塚は準急停車駅だったから元々準急だったのかな?
19:23 快速特急もどき
21:34 田神は路面電車の乗り換え駅だった頃の名残?
新加納は利用客が多かった?
25:22 羽場も利用客が多かった?
31:42 多分、日本の鉄道ではここだけ
34:12 岐南は一応岐南町の代表的な駅だから...
JRなら特急「すずらん」「わかしお」をはじめ、普通から特急になる列車もありますよ
@@平井陽介 わかしおは下りの特急→普通のパターンだけなので、普通→特急はすずらんだけです。
新加納は最寄りの高校への通学の利便性を図ったと思ってる。パターンダイヤへの切り替え時間で普通の間隔が開いていたから。
岐南と加納に特別停車して茶所のみ通過していたですけどね(笑)加納駅特別停車はJR岐阜駅にお客奪われないようにした名鉄の苦肉の策の特別停車だったそうです!
802A=新岐阜発 全車一般席車特急 内海ゆき ⇒ 確か新岐阜08:00発でしたよね? 当時、名古屋の学校に通うために利用していました。(新岐阜~神宮前)
覚えているのは、確か当時は本線系統の特急がパノラマSuoerによる一部指定席特急がメインでしたが、新鵜沼~内海系統の特急は全車指定席だったと思います。そして、パノラマSuper編成の場合と7000系白帯車編成の場合が混在していたと思います。(新岐阜発の本線系統特急で、平日&休日ともに1日1本、09:00発の常滑ゆき特急は、当時唯一の全車指定席特急だった記憶。)
この802Aは、その7000系白帯車(4両編成)を2編成つないだ8両編成で運行しており、当時としては非常に「乗り得列車」だったんですよ。つり革がないのに、非常に混んでいましたね。
昔玉ノ井線は早朝は6000系列だったのおぼえてます。あと、休日も。昼間はHLでしたが
昔ある障がい者のキャンプにいくため新一宮までタクシーでいったとき玉ノ井行き普通に6800系使っていたな。
あと1991年に神戸へ家族旅行にいったときに奥町土曜日朝7時台に新一宮行き普通があり新一宮で河和行き急行に併結した電車に乗ったことあるな。
843列車の前身を三河線八橋〜三河知立で朝よく見ていた。HL車主流の線内においてAL車の2連+2連で時としてこれまた線内にて希少な冷房車7300系が入る事があり、動画の説明であるように唯一の本線直通だった。しかし動画の時代ぐらいから、1000系パノラマsuperの一般席車増備に伴い、線内は玉突き転配により7300系の最後の活躍の場になり、やがて7300系も廃車(豊鉄へ譲渡)になった。
朝ラッシュの時間帯に岩倉、太田川、知立通過の特急があったのは、犬山や半田、と岡崎や西尾方面の遠近分離だと思っていました。
90年以前でしたが、常滑から来る普通が神宮前から高速になる岐阜行きがありました。
見ていてとても楽しい。ありがとうございました。
この改正の時全車一般車の特急のみが急行や普通になっています。しかし、最新のダイヤ改正で一部指定席急行が現れているので、そのうちに一部指定席の特急がそのまま(一部指定席のまま)急行や普通に変わるという運用が出現しそう!
まあ犬山線の平日上り二本だけですけどね今は
需要あるならできそうかな
@@asakazefuji
あれは特急車の送り込みには不可欠だけど,特別車を締め切ると乗り残しが発生するという事態に陥ったため,そうなったと聞いている。
なのでそういう特殊事情がない限りは増殖しないんじゃないかな。
増やすとミュー券売機のソフト変更が発生するし。
@@kintamaittaka 実際に新鵜沼発河和行き急行676Aに乗る時に旅行会社に発券を依頼したら、下車駅の南加木屋が旅行会社のシステムに入っておらず、着駅を知多半田にして何とか発表…なんて事があった。
@@也寸志稲葉 南加木屋は特急一部停車駅なのに発券できないのは不思議ですね。
@@kintamaittaka
本線に一部特別車急行が増えた以上そうとも言えないかもです
新木曽川で急行同士の待避があった記憶がある。須ケ口行きが新木曽川で種別変更するやつ。逆の岐阜行きでもあったはず。
確か河和線をぶっ飛ばす急行は、90年のダイヤ改正で消滅した元“高速”の成れの果てと聞いてます。
特急 急行 普通に整理してしまった結果、かえって特別停車が多くなってしまいましたね
瀬戸線を除いて準急を排除したのが、逆効果を招きました
3つの種別に統合されたことで、今以上にカオスですね💦当時の人は種別なんてあてにならなかったんだろうな
前編に戻って確認しましたが、5:25 鳴海は標準停車駅では?
ずっと昔のダイヤの情報を書くユーチューブで見てるけど見るたびに名鉄は迷鉄だなぁと思わされる・・・
お疲れ様です。
昔には現在あり得ない「豊橋始発の各駅停車(船町と 下地は通過)」や、全車一般車の特急の種別変更も驚きですが、「特別停車ナイン」や「特別通過」の多さも驚きでしたね。各駅停車でも「江吉良」や「椋岡」、「学校前」の特別通過も、当時は当たり前のようにありましたね。
昔は「特急」「急行」「各駅停車」の3種別しかなかったことで、「急行同士の追い抜き」が多かったみたいですね。
犬山線の岩倉通過の特急は江南までで大体満席になる為に所謂遠近分離の意味で通過してたと思います。
確か河和線の日福急行って正式ではないけど快速急行名乗ってたんだっけ。
朝夕の高速内海行ですか?
朝の高速内海行は停車駅が終点まで特急並で夕方の高速内海行は太田川までは常滑行急行と併結していました。
夕方の高速内海行は晩年では急行中部国際空港内海行になりましたが。
新岐阜発常滑行き急行は新岐阜から江南まで二年間通学で利用してまして、犬山で増結をしてました。新加納停車の唯一の急行で近くの高校への通学列車でした。
1本前は碧南行き普通が存在してました。
29:00の特急1200系でも運転されてたからスタンプラリーの時重宝した
笠松発とされている820の急行は、笠松、新木曽川利用者への着席サービス列車でした。当時両駅は特急は停車せず急行停車駅。朝ラッシュでは新岐阜発車でほぼ座席が埋まるのが普通でした。この急行だけは、8両編成のうち2両が笠松で初めてドア解放(笠松利用者座れる)、2両が木曽川で初めてドア解放(木曽川利用者座れる)。遠い記憶では新岐阜が7,8両目、笠松が5両目以降、木曽川が3両目以降、一宮から全ドア解放だった気がするのですが、定かではありません。新岐阜からお客さん乗っていた気がするのですが・・・(91か92年ごろの話?)
急行新一宮から新清洲で 急行新一宮行き に抜かされる なんて まるで とんち話
西浦始発の列車が存在していたとは…
運賃改訂が行われると御嵩~蒲郡2000円越えになるのか
小牧線の上飯田発碧南行きがあったのっていつ頃だっけ?
それは初耳でした。
80年代は明治村口発着など他線区直通があったので、そのときじゃないでしょうか?
列番の末尾に付くDの意味合いはなんでしょうかね。
ディーゼルを意味してるんですかね。
おそらくそれで合っています。JRでは
電車(Motor)→M
気動車(Diesel)→D
のようです。
25:23 各務原市在住の高校生が岐阜地区へ通学するのに大変お世話になってた列車。使用車両はパノラマカーの6両編成、田神で下車する客は見かけた記憶が無いです。これの1本後の普通ではほぼ遅刻確定。
38:19 80年代後半には、朝8時過ぎに新岐阜発本宿行の普通があったはずですが、90年には無くなってたんですね。
36:56 にある2002列車・2102列車ですが、よくよく考えると、「新安城停車 東岡崎から急行」ってのがちょっと謎ですね。
単に「知立から急行」としたほうがわかりやすいように思うので…。
7:02 確かP6運用で送り込みが聚楽園4番から逆出発の回送だったはず
高速が特急に吸収されたはされたが急行にもなっていて常滑競艇臨や19:25 や 23:50 のように特別通過パラダイスになっている
いつもより早く見れた。後、名鉄の行先とか結構分かりやすい
2:15
吉良吉田発のやつは新安城まで急行で碧海フライに特別停車でしたっけ
生まれも育ちも地元も神奈川の自分は理解不能だけど沿線民も理解できていなさそう
動画投稿楽しみにお待ちしておりました。
名鉄がカオスなのはスジ屋さんの長年の汗と涙と努力の結晶ですね。
どうも名鉄名古屋駅周辺が再開発で騒がしいですが、むしろ名鉄名古屋駅だけはこのままであって欲しいと願うばかりです。
さて、来年2023年は関東でもついに相鉄と東急が直通運転を開始し、名鉄に負けず劣らずダイヤや運用がカオス化します。
具体的には
·東急線において8社(横浜高速鉄道、相鉄、東急、東京メトロ、都営、西武、東武、埼玉高速)10路線(横浜高速鉄道線、相鉄線、東急東横線と目黒線、東京メトロ副都心線と南北線、都営三田線、西武池袋線、東武東上線、埼玉高速鉄道線)の車両が複々線上で入り乱れる。
·相鉄線内発の直通電車で終点の鉄道会社が異なる「川越行き(既に直通しているJR線)」と「川越[市]行き(東武線)」爆誕w(本線の名鉄岐阜行きと犬山経由名鉄岐阜行きみたいなww)
·さらに川越駅はJRと東武東上線どちらにもあるため鉄道会社の異なる駅のホームに同じ車両が並ぶ!?
等々が予想されます。
そこで名鉄ダイヤ調査室初の出張企画ということで来年はこれらを撮影して動画にしませんか?
これからは西は名鉄、東は京急に取って代わる東急の一大カオス軍団が楽しみになります。
この時代は鳴海検車区があったから鳴海発着がやたらと多いんだ
あと3500系もまだいないから好きなところで種別変更できるし
紅電Channel:鈴南さん
これらの急行→特急(逆もあり)は、5700・5300・5500が主に運用されていましたっけ。
@@原田寛-e3u どうなんでしょう…
39:32 地味に背景311なの草
布土駅が懐かしいですね。
知多半田1番のスルーは、今でも名古屋方面からの知多半田行→富貴方面に向かうスジであるね。その間に待避もするし
徳重は今でこそ上小田井駅まで地下鉄が開業され普通列車も増えましたが、当時は西春駅に待避線がなく
普通列車の増発もままならなかったのと、近くにある西春高校・名古屋芸術大学への利便のために準急停
車駅になっていました
中小田井も当時地下鉄鶴舞線が庄内緑地公園どまりだったのがあり利用客も多かったので準急停車(犬山方
面の朝1本のみ急行も停車)駅になったのではないかと
本笠寺も同様で当時は地下鉄桜通線が野並まで開業されてない時代で、利用客が多かった(約8000人)ため
急行(旧準急停車駅)の停車が多かったと思います(今では地下鉄桜通線の利用が多く利用客は激減)
近鉄蟹江も昔の西春と同じように昔は待避線が無かったんですかね?
夜の上り電車新岐阜駅発東岡崎駅行急行加納駅特別停車はお客をJR岐阜駅に流れないように停めていたらしいです!しかしこの加納駅も今は一日乗降が500人しかいなく高架化で隣接している茶所駅とともに15年後に廃止になるとは誰も思わなかったでしょうかね😁
廃止というよりは統合ですかね(高架駅が1箇所のみ設けられる)
@@b-verstheartist6051 統合廃止が実情ですよね!しかし名鉄の本心は高架化して利用者の少ない加納、茶所駅を廃止したほうがベターだけどきっと名鉄グループの岐阜バス路線だけでは限界があるから統合して新たに駅設置をやむを得ず了承したのが実情だと思いますよ!岐阜県と岐阜市が負担条件で統合して新たに駅設置を認めたと名鉄はコメントしていましたからね🤔(2018年現在加納駅550人、茶所駅450人)両駅共岐阜バス代行でも間に合うけどな?(笑)茶所駅の近くでは以前特急回送電車が衝突事故ありましたから(岐阜バス新岐阜バスターミナルから加納、茶所駅近くを通り岐南町に行く岐阜バス路線バスもある見たいですよ)名鉄は路線廃止、駅廃止は十八番ですからね(大爆笑)後尾西線に新一宮(今の名鉄一宮)↔萩原折り返しがあったのは知らなかったけど萩原駅に信号があったのはその名残かも知れないですね!(尾西線萩原駅はあの大スター舟木一夫の故郷で去年15周年を迎えたバンダイナムコゲームスが展開している[アイドルマスターミリオンライブシアターディズ]内にいる萩原雪歩と同じ駅で最近アイマスキッパーから注目されていますよ😄
実は600V線区にもヤバいのがあって、黒野発岐阜駅前行き普通の1本が忠節から急行になります
あとは新岐阜発下芥見行きと市ノ坪発美濃行きと徹明町発野一色行きの3列車同時続行運転ですかね
え、下芥見で折り返す列車があったの!?
もう…訳わかんね~😅💦
迷鉄は昔から「一見さんお断り」だったのですね😢。
名鉄は迷鉄だなぁと。
828Fは須ヶ口併結から金山で分割し後ろ4両が常滑行き普通に化けます
1990年当時は朝ラッシュ時に名古屋方面から常滑線に入る急行列車の半数ぐらいが金山で分割、
後寄り車両が普通列車に化ける運用が多かった記憶がありますね
神宮前~金山間の複々線ができて間もない頃なので、今ほど金山折り返しが発達しておらず、改正前のスジ(神宮前で切り離し)を流用して金山で切り離すケースが多かったんですよね。
このシリーズ伸びる気しかしない
僕が名古屋と岡崎の間を学校通学のためによく名鉄を利用しました。特急が複雑になって、高速から全車一般席特急に、一部指定席と全車指定席特急がありました。一部指定席特急の場合、パノラマカー一般席がよかった。一般と指定の非貫通は痛いが、そもそも、一般しか乗っていませんでした。
32:00
主「ロングシートを指定席として販売することもない()」
YC1系臨時快速有田陶器市号「えっ」
19:47
これももともと快速急行→高速で運行されていたもの。
この列車はどちらかというと大学に同居している付属高校の高校生輸送の使命の方が大きかった。(大学の1限は後続の急行=確かナ球停車だったかと=でもまにあう時間設定になっていた)
快速急行って名鉄だと平日の朝ラッシュ時しか運用されてないから昼間や土日祝日も運用してほしい名鉄の快速急行って名鉄だと特急や急行の代わりだもん
栄生行き「()」