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※旧準急停車駅名古屋本線:栄生・二ツ杁・大里・岐南・加納犬山線:栄生・中小田井・徳重津島線:青塚昼間の新一宮~常滑間の急行や夕方以降の須ヶ口~新名古屋間急行は元準急と考えるとわかりやすいです他の停車駅は朝ラッシュ時、もしくは深夜のみの停車になっています
ruclips.net/video/-AEAdjF8Tgw/видео.html1990年は中小田井・徳重・扶桑も黄丸(一部停車)で、駅の停車駅案内にありました。
OuDia使って名鉄のダイヤグラム自分で作ると、本当によく考えられたダイヤだなと思えて来ます。
そうですね。逆にこれが最適なダイヤなので、この基本パターンを崩せないんですよね。今も本線なんかは昭和からの基本設定が受け継がれてます。普通列車は特急と急行の間隔が近い所で上手く待避させている。 知多半島だと少ない待避設備を使って上手く緩急接続を取っている。犬山では犬山.小牧.広見.各務原線の接続を一気にしてます。
5:21 当時の新一宮駅は地上で1~3番線しかありませんでした。1番線が尾西線専用でホーム長が4両分しかなく、今の様な縦列駐車は物理的にも不可能でした。
指定席4両 一般席2両は、本当にありました一般席2両は、大抵5300系が充当されてました
普通に、1991年が特別車2,一般車4または61990年は、特別車4(固定)と一般車4(SR、パノラマカー)または2(SR)
尾張旭については、田んぼがあり待合室もない無人駅でしたが、目の前に役所ができたため一変しました。HL車3770.3780を解体した用地を車庫にしたので重要な駅になりましたね。朝の三郷始発も面白い列車でした。
平成6年の移転前は、栄町方面ホーム改札口に簡易駅舎があり、駅員が乗車券を発売してました
瀬戸電の後ろで流れてたカノンが良かった
9:29 とうとう犬山経由も急行も消滅...
久しぶりの動画!
やっぱり複雑なのは、昔も今も変わりませんね。急行が急行に追い越されるのは今の名鉄でも見れますね。
急行が急行を待避じゃありませんが、かつて常滑線の太田川ー神宮前間で、夏の臨時ダイヤで、ハテナマークが付くようなものがありました。当時、特急や急行は、太田川ー神宮前間は、無停車のノンストップ運転。しかし、太田川を先発した急行が、停車しない聚楽園の待避線に運転停車。その間に、後続の特急2本に追い越されました。 特急も急行も太田川ー新名古屋間は、停車駅が全く同じ。なのに、急行を聚楽園で運転停車させて、特急優先にする名鉄。一本ならまだしも2本も待避させるのは驚きでした。しかも、一本目と2本目の特急の間隔が5分以上もあり、2本目の特急が走る前に、急行を先発させても問題無いのにと疑問しかありませんでした。ちなみに、特急も急行もその時の使用列車は、全てパノラマカー。名鉄のカオス満載のダイヤ編成だったです。
待ってましたー!
JRのブルートレインみたい。九州島内や北陸本線みたい瀬戸線はいまは平日日中は普通しか走ってないな
この時代、列車種別を整理し過ぎ。特急、急行、普通しか無かった。準急は瀬戸線のラッシュ時のみ。だから色々なパターンの停車駅の列車が混在していた。
来月頭に岡崎に行くため、宿泊地の豊橋から男川まで移動の道筋を調べていたら伊奈0746の881列車に目が向きました。伊奈から国府までは小田渕に停車させるために普通・国府で一回目の種別変更で準急になり東岡崎で急行に種別変更・更に神宮前で準急に種別変更。名古屋着がラッシュの真っ只中なので4両の筈は無く恐らく6両…と言う事は小田渕で後ろ2両締切。更に豊明特別停車と結構カオスではないでしょうか?
ここのうぷ主が以前の動画で触れていますruclips.net/video/Js81VIsYkM8/видео.html
昭和40年代後半、名鉄は名古屋へ直通、速達を目指すダイヤの為、本線とそれに連なる路線は、原則特急と普通しかなく、朝夕と特急から停車駅を増やす為に種別変更で準急があっただけ。急行はなかった。当然特急の停車駅を増やす措置が取られる様になり、停車駅パターンが増えて紛らわしかった。中には途中で特急から普通に変更、その間に後続の特急が追い越しというのもあった気がする。今も昔もこれが名鉄という感じ。
4:06 尾西線って森上ー津島って毎時2本しかないんやね。いつの間に森上行きが復活してたんだろ
犬山線は当時、扶桑と西春も相対式ホームだったので待避駅は布袋と岩倉しかなかったなんで布袋退避も今より割とあった印象だけど、上下とも副本線は6両しかホームがなく8両でドアカットになることはしばしば…
最初の訂正で『指定席2両・一般席4両』とありますが旧特急:指定席4両+一般席2・4両旧高速:指定席2両+一般席4・6両なんですよ、なので一部指定席特急なのに一般車2両とかのケースもありましたよ(素で間違えていたので訂正しました、申し訳ない)
「一部特別車特急」の編成これの「特別車」の運用がどれだったか?というのがポイントでパノスパ1000系に7000系等の一般車とかだと特別車4両になる…しかしパノスパ以外で組んでいる時は特別車は4両も2両もあったと…てか「高速」って「全車一般車」だと思ってた(特別車≒指定席があるのが「特急」、ないのが「高速」)
私の記録では逆でした。旧特急はPS4が優先的に入り、一般車は2.4両。旧高速は指定席に7700が入り、一般車は4.6両。というパターンが多かったですよ。7700は110㎞対応で高速格上げ運用に就いていた記憶です。
6000系の初期車両はまだ頑張っていますよね。😃☀️
パターンダイヤで急行が急行に抜かれるのは確かに迷ですが急行が急行に抜かれてさらに急行に抜かれるギャグみたいな展開もあったのがこのころだった気が
2011年以降は基本パターンから減算する方式にしたせいでクソダイヤまともに昼ダイヤ考えろと思います
緑区は今年と2011年で2度、昼間ダイヤの減便を受けているため苦しいと思います。当時のダイヤは鳴海→新名古屋では西尾特急があるときを除き、急行が10分ほぼ等間隔でくるので今とは大きな違いですね。
@@myu-dia-room 西尾特急が1993年から2005年まで鳴海停車だったり、1990年まで存在した豊橋発着の高速が鳴海に停車していたり、普通列車も1980年代には毎時4本になってるのになぁと
確かまだこの頃の新一宮は地上で、尾西線ホームは2両分しか無かったような…
指定4一般2 指定4一般4 指定2一般4の3パターンあったはずです
犬山線は当時西春だけでなく、扶桑も退避ができず、犬山を除くと退避可能駅は岩倉と布袋のみでした(なお柏森は現在と同じく名古屋方面への折り返しホームはありました)
小牧線も上飯田線開通までは五郎丸信号場と田県神社前が交換駅化しておらず、犬山~小牧間の交換駅が楽田のみだったため、1時間4本を小牧以北で運用するのは不可能だったはず
1990年当時は新一宮駅も地上駅だったからねぇ、今のような縦列停車ができる有効長がなかったんでしょうね
縦列停車がなかったのは有効長の問題だったんですね。気づきませんでした。
うぇーい
待ってました!
※旧準急停車駅
名古屋本線:栄生・二ツ杁・大里・岐南・加納
犬山線:栄生・中小田井・徳重
津島線:青塚
昼間の新一宮~常滑間の急行や夕方以降の須ヶ口~新名古屋間急行は元準急と考えるとわかりやすいです
他の停車駅は朝ラッシュ時、もしくは深夜のみの停車になっています
ruclips.net/video/-AEAdjF8Tgw/видео.html
1990年は中小田井・徳重・扶桑も黄丸(一部停車)で、駅の停車駅案内にありました。
OuDia使って名鉄のダイヤグラム自分で作ると、本当によく考えられたダイヤだなと思えて来ます。
そうですね。逆にこれが最適なダイヤなので、この基本パターンを崩せないんですよね。今も本線なんかは昭和からの基本設定が受け継がれてます。
普通列車は特急と急行の間隔が近い所で上手く待避させている。 知多半島だと少ない待避設備を使って上手く緩急接続を取っている。犬山では犬山.小牧.広見.各務原線の接続を一気にしてます。
5:21 当時の新一宮駅は地上で1~3番線しかありませんでした。1番線が尾西線専用でホーム長が4両分しかなく、今の様な縦列駐車は物理的にも不可能でした。
指定席4両 一般席2両は、本当にありました
一般席2両は、大抵5300系が充当されてました
普通に、1991年が特別車2,一般車4または6
1990年は、特別車4(固定)と一般車4(SR、パノラマカー)または2(SR)
尾張旭については、田んぼがあり待合室もない無人駅でしたが、目の前に役所ができたため一変しました。HL車3770.3780を解体した用地を車庫にしたので重要な駅になりましたね。朝の三郷始発も面白い列車でした。
平成6年の移転前は、栄町方面ホーム改札口に簡易駅舎があり、駅員が乗車券を発売してました
瀬戸電の後ろで流れてたカノンが良かった
9:29 とうとう犬山経由も急行も消滅...
久しぶりの動画!
やっぱり複雑なのは、昔も今も変わりませんね。急行が急行に追い越されるのは今の名鉄でも見れますね。
急行が急行を待避じゃありませんが、かつて常滑線の太田川ー神宮前間で、夏の臨時ダイヤで、ハテナマークが付くようなものがありました。
当時、特急や急行は、太田川ー神宮前間は、無停車のノンストップ運転。
しかし、太田川を先発した急行が、停車しない聚楽園の待避線に運転停車。
その間に、後続の特急2本に追い越されました。
特急も急行も太田川ー新名古屋間は、停車駅が全く同じ。
なのに、急行を聚楽園で運転停車させて、特急優先にする名鉄。
一本ならまだしも2本も待避させるのは驚きでした。
しかも、一本目と2本目の特急の間隔が5分以上もあり、2本目の特急が走る前に、急行を先発させても問題無いのにと疑問しかありませんでした。
ちなみに、特急も急行もその時の使用列車は、全てパノラマカー。
名鉄のカオス満載のダイヤ編成だったです。
待ってましたー!
JRのブルートレインみたい。
九州島内や北陸本線みたい
瀬戸線はいまは平日日中は普通しか走ってないな
この時代、列車種別を整理し過ぎ。特急、急行、普通しか無かった。準急は瀬戸線のラッシュ時のみ。だから色々なパターンの停車駅の列車が混在していた。
来月頭に岡崎に行くため、宿泊地の豊橋から男川まで移動の道筋を調べていたら伊奈0746の881列車に目が向きました。伊奈から国府までは小田渕に停車させるために普通・国府で一回目の種別変更で準急になり東岡崎で急行に種別変更・更に神宮前で準急に種別変更。名古屋着がラッシュの真っ只中なので4両の筈は無く恐らく6両…と言う事は小田渕で後ろ2両締切。更に豊明特別停車と結構カオスではないでしょうか?
ここのうぷ主が以前の動画で触れています
ruclips.net/video/Js81VIsYkM8/видео.html
昭和40年代後半、名鉄は名古屋へ直通、速達を目指すダイヤの為、本線とそれに連なる路線は、原則特急と普通しかなく、朝夕と特急から停車駅を増やす為に種別変更で準急があっただけ。急行はなかった。当然特急の停車駅を増やす措置が取られる様になり、停車駅パターンが増えて紛らわしかった。中には途中で特急から普通に変更、その間に後続の特急が追い越しというのもあった気がする。今も昔もこれが名鉄という感じ。
4:06 尾西線って森上ー津島って毎時2本しかないんやね。いつの間に森上行きが復活してたんだろ
犬山線は当時、扶桑と西春も相対式ホームだったので
待避駅は布袋と岩倉しかなかった
なんで布袋退避も今より割とあった印象だけど、上下とも副本線は6両しかホームがなく8両でドアカットになることはしばしば…
最初の訂正で『指定席2両・一般席4両』とありますが
旧特急:指定席4両+一般席2・4両
旧高速:指定席2両+一般席4・6両
なんですよ、なので一部指定席特急なのに一般車2両とかのケースもありましたよ
(素で間違えていたので訂正しました、申し訳ない)
「一部特別車特急」の編成
これの「特別車」の運用がどれだったか?
というのがポイントで
パノスパ1000系に7000系等の一般車とかだと
特別車4両になる…
しかし
パノスパ以外で組んでいる時は
特別車は4両も2両もあったと…
てか「高速」って「全車一般車」だと思ってた
(特別車≒指定席があるのが「特急」、ないのが「高速」)
私の記録では逆でした。
旧特急はPS4が優先的に入り、一般車は2.4両。
旧高速は指定席に7700が入り、一般車は4.6両。
というパターンが多かったですよ。
7700は110㎞対応で高速格上げ運用に就いていた記憶です。
6000系の初期車両はまだ頑張っていますよね。😃☀️
パターンダイヤで急行が急行に抜かれるのは確かに迷ですが
急行が急行に抜かれてさらに急行に抜かれるギャグみたいな展開もあったのがこのころだった気が
2011年以降は基本パターンから減算する方式にしたせいでクソダイヤ
まともに昼ダイヤ考えろと思います
緑区は今年と2011年で2度、昼間ダイヤの減便を受けているため苦しいと思います。当時のダイヤは鳴海→新名古屋では西尾特急があるときを除き、急行が10分ほぼ等間隔でくるので今とは大きな違いですね。
@@myu-dia-room 西尾特急が1993年から2005年まで鳴海停車だったり、1990年まで存在した豊橋発着の高速が鳴海に停車していたり、普通列車も1980年代には毎時4本になってるのになぁと
確かまだこの頃の新一宮は地上で、尾西線ホームは2両分しか無かったような…
指定4一般2 指定4一般4 指定2一般4の3パターンあったはずです
犬山線は当時西春だけでなく、扶桑も退避ができず、犬山を除くと退避可能駅は岩倉と布袋のみでした
(なお柏森は現在と同じく名古屋方面への折り返しホームはありました)
小牧線も上飯田線開通までは五郎丸信号場と田県神社前が交換駅化しておらず、
犬山~小牧間の交換駅が楽田のみだったため、1時間4本を小牧以北で運用する
のは不可能だったはず
1990年当時は新一宮駅も地上駅だったからねぇ、今のような縦列停車ができる有効長がなかったんでしょうね
縦列停車がなかったのは有効長の問題だったんですね。気づきませんでした。
うぇーい
待ってました!