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↓チャプター00:00 『沈黙』見た方がいい!00:19 キャスティングがすげぇ!02:34 イエズス会ってなんだ?05:58 とんでもない原作『沈黙』遠藤周作10:05 神はなぜ沈黙するのか?12:45 キリスト教の本質14:13 ユダヤ教徒とキリスト教の違い16:38 キリスト教の本質をどう描くのかご視聴ありがとうございます。ぜひぜひ高評価おねがいします!
キリストが十字架上で口にした「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」とはその通りの意味ではなくて、旧約聖書の詩篇を引用したんですよ
何故 沈黙するのか? 喋れば喋るほどボロが出るからと警察の人に聞きました。
残念ながら神様が内住される体験なしに聖書を語ることは全て間違いです。信じようとしてる時点で、単なるその他の宗教と同じフェイクですよ。。何もわからず語らないで。。。。。。。🤮🤮🤮🤮🤮🤮
@@RVG-jd3id超基本ですよね。。。聖霊によって作り変えられるクリスチャンなんてほんの一部。みんな名目上のクリスチャンばっかり。。聖書を理性で語ろうとすることはナンセンスの極みだと聖書に書いてあるのにねえ。。。🤮
神が万物の目的として定められたのは「キリスト」だった。神が求められたのは、十字架に磔にされても敵を愛する愛だった。神は御子に人の愛と人の反抗を備えられる。それは、御子による救いと裁きの栄光のためである。それ故神は創造の時のはじめから、御子の言葉により、人に動物の身体を与え、そして動物性と動物の身体を異物として死すべきものとする倫理性(愛と法と美に対する感覚。善悪の知識)を与え、律法を与えて悪意と動物性と動物の身体を否定させ、動物の身体を取り除かなければ死が除かれないことと、人が完全な善の前に罪の赦しなしには生きられないことを示したうえで、御子をキリストとして世に遣わされた。罪の赦しの権限即ち人に命を与える唯一の権限の相続者として、御子に罪の赦しを託された。人が御子の死において自らの罪を示した後、御子は復活された。人はこのとき滅ぼされるべきものとして確定したが、御子が備えられたのは罪の赦しと新しい命であり、御子は今の世界のすべてを動物の身体ごと滅ぼして律法を成就される。世界のすべての理不尽は、人に罪を教えるためであり、動物性を拒否させるためであり、世界と命のすべてを捨てさせてキリストを愛させるためであり、あるいはキリストにその意思と選択をもって反抗した人々がキリストに裁かれることでキリストの栄光となるためである。神はおられる。事物の「なんであるか」は人格を伴うことばによってしか定められない。原子や分子の形や運動の法則性・絶対性・普遍性は、法的感性によってのみ定められる。人間は言語性も法的感性も備えるが、定めた事物や事物の法則を現実に反映することはできない。しかし今ここに、現実に、事物と事物の法則が定められ、そこには事物と事物の法則を現実に反映した権能が前提となっている。ゆえに、現実在そのものが、現実在の前提として、事物と事物の法則を現実に反映する権能と、法的感覚を備えた、ことばを用いる人格を証明する。その人格は、父なる神は、万物の目的即ち善悪と存在是非の基準を定めるが故に絶対者であり、王権の唯一の源泉であり、その認識の範囲でのみ世界が形成されるがゆえに全知であり、「AであってAでない」という矛盾がない限りすべてを現実に反映し得るがゆえに全能であり、現実には「AであってAでない」という矛盾が許されないがゆえにその業は完全であり、現実のことばは唯一であるがゆえに唯一である。そして、我々人間存在が、動物の身体を有しながらに動物の身体とその自然性を服と法で否定しなければならない我々人間存在が、キリストの与えられる罪の赦しと新しい命なしに、善なる存在の前に存在を許され得ないこと、またそもそもキリストなしに法的感覚を備えた存在に創造される理由がないことにより、キリストの存在が証明される。
遠藤周作のイエス像は強制収容のガス室に送られるときでも側にいて最後の時が来るまで慰め泣いてくれる者だと何冊かの小説に描かれています
こないだ放送してたの観ました。恐ろしかったです。途中で一回挫折して、二回に分けて観ました。ラストの方の日本側のセリフ「ひとつだけじゃなくていいんだ」が印象的だった。この動画の説明がすごくわかりやすくてありがたかったです。ありがとうございます。この映画は私にはトラウマになりましたけど、でもこれはたくさんの人に観てもらいたい。
同じくトラウマになりました。私は映画館でストーリーを知らずに観たのですが、最初から最後まで笑うシーンがなく、ずっと心臓がドキドキしていました。興行収入がどうだったかは分かりませんが、私の中では忘れられない映画となりました。首がコロコロのシーンは斬られ役でない俳優さんが突然コロコロしたので、あの俳優さんがしばらく観られなかったです。
原作「沈黙」のラスト1文はほんとに衝撃的でした。あの言葉をキッカケに自分の読書人生?が変わったと思います。
遠藤周作はキリスト教徒だけど、自信のエッセイで神について書いてて、「信じるものが神でも鯖でも何でも良いんだけど」って言ってて好き。
信仰するということそのものに意味があって対象はなんでも良いというのは理解できる
でも私もそう思います、鰯の頭も信心からですね~。
逆にいうと、自分にとって尊く大切な信仰も、他人にとっては鰯の頭でしかない。だから押し付けてはいけない、ということを教えてくれますね。
子供の頃に友達の関係で日曜学校に通いましたパンが一切れとワインがグラス1杯しかないのにキリストを慕い集まった群衆に何故振る舞わないのだと𠮟り群衆に行き渡るよう増やしたという話を聞いて通うのを止めましたどうして皆信じているんだろうと長い間不思議でしたが、岡田さんの話を聞いて少し腑に落ちました
@@28kko34キリストの言葉に納得してみんな自分の懐から食料を供出したということでしょ。よくあること。
映画見て衝撃を受けて小説読んで,その後だいぶ経ってまさに今イエスの生涯読んで沈黙の解釈が広がってきたところだったので岡田さんの話めっちゃ面白かった。ところどころ、それはちょっと違うと思うな、ってとこがあっても、無限の解釈があると言ってるので、そうだよね、となる。
遠藤周作氏の作品は「純日本人心性・感覚の持ち主である自分にとってキリスト教は『肌に合わない・異物感がある』ので、何度もキリスト教を棄てようと思ったが、母親や親戚が自分に良かれと思って与えてくれたキリスト教信仰をどうしても捨てられない」 という遠藤周作氏の一生の問題・葛藤が根本にある。なので「キリスト教徒ではない」ふつうの日本人には理解が難しいところがあり、同時に「物心ついた時からキリスト教徒」の多くの西洋人にも「理解は出来るけど(そんな葛藤を感じたことがないから)ピンとこない」ところがある。 逆に「信仰と自分自身の心性の葛藤に悩む人」「キリスト教に愛着がありつつも信仰出来なくなった欧米人」「自分が育った日本を含む東洋文化・思想と西洋文化・思想とのギャップに悩む東洋人」など、一部の人にはメチャクチャ心に刺さる。 こういう遠藤周作作品の特徴から、「ふつうにキリスト教を信仰している・全く信仰していない」「『西洋文化・思想と東洋文化・思想の対立・葛藤』ってなにそれムズカシイわかんなーい!」な大多数の一般ピーポーにも「わかる」大作映画するならば、スコセッシ監督映画のように「キリスト教徒として西洋文化思想の中で育ったことになんの葛藤も問題も感じていの欧米人」にも「わかるテーマ=神への愛」に翻案するほかなかった気がしますな。
深堀りすると3段階(ホップ、ステップ、ジャンプ)のレベルになる。初期段階は神の幻visionがジャイアンであり、彼に対するスネオ(ユダヤ教徒:律法主義)と白いスネオ(キリスト教徒:脅迫神経症)がいる感じである。中間段階は神の幻visionが信仰(神に遭遇して悔い改める旨)の出発点になる感じがする。最終段階は神の幻visionが信仰(神を相続する旨)を促し、罪を免れ、幸福の持続線になる感じがする。結局、日本は初期段階に停滞しており、よい指導者がおらず、お勉強だけの浅薄な国民のままである感じがする。
視点の配置が丁寧で見事。本来は生きとし生ける存在はすべて、「そのこと」(ここでは視点の一つとしての責任を担えるべき自らの人格を育てること、としましょうか)に注意を払うべきなんでしょうね‥。
@@靑山二郎「視点の一つとしての責任を担えるべき自らの人格を育てること」をもう一つ噛み砕いてご説明をば!
@@romeishi さんへ今、あなたの返信に気づきました。‥それをあなたに伝えること、は私にとって「他者」であるあなたが「何を必要としているのか?」によるとも考えます。どうしてその質問に至りましたか?その「応え」如何で私の答えをお返しします。アホな宗教っぽいと思われるでしょうが、私の人生も残り少ないのでね><「私がこの世にあらわれた責任」のためにも必要なプロセスだと思ってます。時間がもったいないのでね。どうでもいい人間に「コイツ‥サイコ?www」と思われたら「私の人生っていったい・・TT」とかダメージを負いそうですからねw
@@romeishi さんへせっかくこの世に生まれてきて、この世に良いにせよ悪いにせよ、「自分以外の誰かのために基点となる何か」を、自分の人生で今は見知らぬ誰かに用意してあげられるのか?は大事だと思うんですがね‥。あっという間にそれを獲得した人間は死んでいくのですから、特に今の価値観がガラガラ移り変わる時代の日本で必要なことのようにも感じられます‥。
沈黙の原作を読んだ時衝撃だったのは、ここまで惨たらしく神の沈黙を描き貫いたのに、遠藤周作はキリスト教作家だったと知った時。どんなメンタルであの描写と結末が執筆できたんだろうと思ったわ。
そう。遠藤周作はキリスト教徒の中でも敵が多い作家(カトリック信者の中でさえ)。みんな大好き三浦綾子さんとは全く違う評価の中を生きた作家。プロテスタント、カトリック、習慣は違うけど結局同じ聖書と信仰で、神が教えようとする信仰的な部分は同じ。聖霊は同じなので。カトリック教会が本当に凄いなと尊敬するのが、無宗教的なメンタルを提示する神父もいれば、使徒言行録の伝道&聖霊をプロテスタント教会以上に信徒に提示する神父さんもいるところ。信仰の多様性に寛容なのは実に素晴らしい。
私はまるで逆の感想です。遠藤周作さんに恐らく私と同じ感想を持ったキリスト教信者は少なくないと思います。聖書の中でも神は実は沈黙していることが多く全く不思議ではありません。この映画では伝道する側の宣教師が自分の信仰が信者の命と引き換える時の揺らぎを描いたもので、宣教師も普通の人だったということです。神の救いが宣教師たちが思い込んでいたものは違って神の沈黙の中で語られていくという信仰の意味を問う作品だと感じました。
生涯宗教、キリスト教を疑いながら生きた小説家だからね。ご本人曰く、洗礼はお母様に着せられた洋服、だそうだから。
キリスト教を日本人が着るにはダボダボの洋服に例え、それをいかに日本人が着やすいようにするか、それを考え続けた結果が”沈黙”なのかなと
遠藤周作は普通の日本人ではないよ。エッセイを書く時の「狐狸庵」がヒントね。
遠藤周作先生の小説の解釈と立川談志師匠の落語の解釈がほぼ同じなんですよね。遠藤さんは小説とは踏み絵を踏まない強い人では無く、踏み絵を踏んでしまった人の心情を書くものだとした。談志さんは落語を赤穂浪士に例え、討ち入りに行った四十七士はお呼びでなく、討ち入りに行かなかった浅野の家来たちの事を語るものだとした。
プロテスタントのクリスチャンですが、「信じ難きを信じようとする日々の葛藤、それが信仰」とか「ジャイアンと白スネ夫」の件、とても納得いきました!お見事です!!
善を行動する事が、信仰である。何かの本で読みました。☺️
まぁ、キリストの神も数多くいる神々の一柱にすぎません。
@@imallah7559おいおい、それは、サッカーの試合やってる人に、ラグビーのゴールにシュートしても、同じゴールだから一点だろ、って言ってるようなもんだぞ
プロテスタントのクリスチャンであるなら、聖霊の内住によって異言でどんどん作り変えられる聖化の体験があるでしょうに。。。
私もプロテスタントですが、岡田さんの話はピンと来ませんでした。遠藤周作もそうですがキリスト教を語るのに肝心の「キリスト」が欠落してます。😢
キリスト教の定義、とても納得できました。美術関連の話ですが、このジョルジュ・ルオーという画家がいて、第二次世界大戦中、キリスト教に絶望しながらもキリストの顔をひたすら描きづづけました。(神がいるなら罪もないは人がこんなに虐殺される訳がないという信仰に対する絶望があり、キリストの絵を書く画家も少なかった時代です)ルオーの絵は、油絵で何回も絵の具を重ねるので尋常じゃなく分厚いのですが、彼にとっての信仰は「何度も何度もキリストの顔に筆を重ねる行為そのもの」だったと言われています。何度も何度も筆を重ねながら、おそらく神や戦争のことを考え、自問自答しながら一つの作品を仕上げたのだと想像します。私はキリスト教ではないですが、彼らにとって神が本当にいるかどうか?が重要なのではないんですよね。岡田さんの解説、とてもよかったです!
ルオーは批評家の小林秀雄が晩年興味を持っていた画家さんでしたね‥。かの敗戦を超えた彼にも響く何かがあったのかもしれませんね‥。
岡田さんのキリスト教の解釈がわかりました。ありがとう。
ミッションスクールに15年通ったワイに、「神様がいるならなぜ戦争はなくならないんですか!」という小学校で必ず出る疑問への明確な答えを出してくれた小説映画も、原作にどこまでも忠実で愛を感じたずっと静かな雰囲気なのに、文字で読むのとは桁違いの残酷さと無常さ
そんな基本的質問の答えも分からないまま放置する学校をミッション系と呼ぶ😂😂😂 誰も聖書理解してなさすぎて泣ける
ジャイアンを神とする喩えがすごく面白かった。そうするとドラえもんという悪魔と契約したのび太という図式もしっくりくる
先生の詳しいご解説ありがとうございます。遠藤周作氏がタイトルを「沈黙」した理由を少しわかったような気持ちになりました。
たしかに、神がいるってわかったら信仰なんてせずに、事実として受け入れるだけだもんな。
原作は高校生の時に読みました。映画はフランシスコ教皇も見たそうですね。その後、歴史の舞台である長崎を訪問されたとなると、感慨深いものがあったと思います。因みにフランシスコ教皇もイエズス会出身ですね。
ここでお終い!?って感じです 有料会員になって全部見てみたい欲求が高まりますね
遠藤周作の「沈黙」を卒論対象にしました カソリック教会に3年間、神父のお手伝いをしながら学ばせて頂きました 重いテーマ選んじゃったな‥って感じでしたが🤣w 日本にはない唯一神の考え方と向き合い方が心に突き刺さる本でした ほぼほぼ省略と割愛コメントでごめんなさーい
人生に起こる苦難には意味がある、と信じるために神がいるんだと思います。
はじめまして。いつも楽しく岡田さんの動画を拝見させてもらっています。岡田さんのこの動画を見て「沈黙」を強烈に見たくなり、何日間にわたり主人公に感情移入しつつ、たった今見終わりました。歴史で何となく踏み絵を習いましたがここまで凄惨な事実があったことを知りませんでした。「自由」というキーワードがその当時と今とでは生きるか死ぬかくらいの差があったことに気付かされました。。岡田さんのこの動画のおかげで、日本人として、現代を生きる一人の人間として知っておかないといけない事に触れられて良かったです。岡田さんの紹介がなければ、おそらく一生触れる事はなかったと思います。きっかけを下さってありがとうございましたm(_ _)m岡田さんがオススメして下さる映画とても面白いです。ショーシャンクの空にも素晴らしい作品でした😭世界を広げて下さり感謝してます。
私自身クリスチャンで、遠藤周作の『沈黙』には多大な影響を受けました。岡田さんが「アクロバチックな論理」と形容されている神の声が聞こえるシーンは、遠藤自身は「働きとしての神」という趣旨のことを著作の中で語っていて、キリスト教的に言うと、三位一体のひとつである「聖霊」と解釈できると思います。「神の存在ではなく、神の働きのほうが大切なんだ」というのが遠藤先生のキリスト教観の特徴ですね。また神に対する疑念についても遠藤自身、「信仰は90%の疑いと10%の希望」と語っていて、キリスト教徒にとっては実に身近なテーマであると感じています。
「沈黙」ってその昔、邦画でも作られているんですよね。それを観た時も衝撃的でしたが、洋画版では狂気にも思える残酷描写も強く印象に残ってやるせない気持ちになったのを覚えています。
そりゃ定期的に日本人は蛮族ですって刷り込み映画をハリウッドが作って日本人下げプロモーションを続けてるのよ😂支配層の白人の要求に政治家が言うことを聞かないとメディアやエンタメを支配してる金融屋から定期的に蛮族ネタが投下され続ける仕組みだから気にしないようにね😊
神↔ジャイアンユダヤ教→スネ夫キリスト教→白スネ夫このたとえは非常にわかりやすかったです(笑)
でも神が歌いだせば途端に渋い顔しそう
さらっと話す内容が知識の深さを感じさせるというか、興味のあることを深く広く解剖しちゃうから、オタキングなんだろうな。さらに明るく面白いキャラでオタクをエンタメにするという凄さw
イエズス会キリスト教からは転んだけど神と彼の一対一の信仰を得た例えるとファンクラブからは脱退したけど推し活やめたわけじゃないみたいな
神義論は、クリスチャンなら一度は躓くところだと思います。この世に悪はたくさんあるので、もし神がおられるなら、何故この悪を放置されているのか、と怒りや悲しみを抱くんですよね。そもそも神のなさることは人間の物差しでははかれないと思っているので、その点については私はあまり悩まないのですが、それも人によりけりだと思います。神は万能で、何でもできると考えていると、悩みは深まると思います。岡田さんの、ジャイアンの例えはわかりやすかったです😊こちらのコメント欄に、ファンクラブは辞めたけど、推し活は辞めない、みたいなことが書いてあって、そのコメントを見たら、物凄く納得しました。宗教は組織活動の部分が多いですが、信仰は神と自分との関係だと思うので。親衛隊まで務めたファンクラブを強制的に脱退させられて、初めて辿り着いた境地なんですよね。今や推しと自分の関係は新たなステージを迎えた、ってエンディングなんだと思います。
正直岡田斗司夫さん好きじゃなかったけど話がすごい分かりやすい・・・・沈黙は本当に名作。クリスチャンが見ると心締め付けられます。迫害されたとき、どう行動しどうあるべきか。聖書には「聖霊(神さまの分身)が聖書のことを話せるように助言してくださる。からだを殺せない人間を恐れるな。人の魂すらも殺せる、神さまを恐れなさい」と書かれています。主人公の神父が取った行動が答えではないですが、考えさせられました……
たまたま外国の映画館で沈黙を観たが、上映後に近くに座ってたおばあちゃんが「リーアム、こっち(文芸映画)に帰っておいで」と言ってたのが印象に残ってる。
『遠藤周作氏のキリスト教信仰』は「悪人正機・絶対救済」で、ほとんど浄土真宗なんですよね。 これは『沈黙』ではなんとなくわかる程度だけど、後に書いた小説である『王の挽歌』では、主人公の大友宗臨に「阿弥陀仏信仰とキリスト信仰は何が違うのか?ほとんど同じではないか!」と言わせちゃってるし。(それに対するパードレ(神父)の答えを聞いて、主人公はキリスト教徒になる)。 さらに最後の小説『深い河』では「輪廻転生思想」まで認めちゃってるし。(立花隆との対談で、遠藤周作は「輪廻転生はあると信じてる、信じたい」と明言してる。ちなみに古代キリスト教には輪廻転生を語る一派があったが、異端として排除された) なのでキリスト教関係者の中には、遠藤周作氏の思想を「異端」として拒否・否定する人もいるし、熱心(厳格・原理主義)な欧米のキリスト教徒には受け入れられない恐れもあって、映画の主題は「神への愛」へ翻案されたのかも。
だから浄土真宗のボキがカソリック系の幼稚園に入園出来たんだ
喩えが解りやすく秀逸
中学生の頃小説は読みましたが、本来偶像崇拝を禁じているキリスト教徒なのになんで踏み絵にこだわるのかが最後まで理解出来ずに終わりました。神については、これだけ広い宇宙を作った何者かは居るのかもしれないが、それは人間なんて認識すらしていないと思います。
遠藤周作はノーベル文学賞の候補になったとき、沈黙の結末が審査員に嫌われて受賞を逃したと言われてますね。
原作を読めばいいんじゃないの? 『イエスの生涯』でしたっけ。『沈黙』以外にも、いい作品がありますね。
学生の時、原作読みましたが 内容すっかり忘れてました。😁 もう一度 読んでみようかな?
凄っ。絶対観ます。
踏み絵のシーンが印象的でした。 「お辞儀をするより簡単じゃ。さぁ 軽く踏むだけでええから」とかなんとか言って 踏ませようとしてたね。
原作読んでません、映画は見ましたが面白かったです。神は存在するけど人間界に介入しないという考え方もあると思うのです、神に問えば返答してくれるはず!返答しないなら存在しない!は極端かとおもうのですよね。(神の声を聴いた、という人が本当なのか妄想なのかも誰も判断できないし)あと、キリシタン、弾圧されて可哀相みたいな感じがあるけど(多分わたしの偏見です)、あなたたちも異教徒やら異端者やら弾圧してたでしょ、と。
最後の部分同感です。別にカトリックやキリシタンに対して否定的な気持ちは無いけど、被害者面すんなよとは毎度思います。近年まであちこちで弾圧強奪虐殺繰り返してるのはまさにキリスト教徒なのにね。
キリスト教に限らず宗教というものはどれも排他的で、異教徒に対し攻撃的人類の歴史は戦争の歴史と言われるが、多くの戦争に宗教が関わっているその事実から考えると「神様がいるなら何故戦争が無くならないのか?」という問いに対してはむしろ神がいる(と信じる)から戦争が起きると考えるべき
@@金剛石乃波国民に命を差し出させるために、絶対的な神が必要なのでは。今で言えば自由と民主主義の価値観みたいな(今は機械化されているので強い方は死ななくても良いし、現地の人々が代理で死んでくれる)。
I actually really enjoyed watching the video! I think your explanation of Christianity is honestly so true
そうそう、だから遠藤周作はキリスト教支配の文学賞、ノーベル文学賞がとれなかった。
遠藤周作、このような作品からユーモアのある作品まで素晴らしい作家でした…
ここのコメントを見る限りでは知らないない人が多いのだろうけど、原作が出版された時には日本のカトリック教会内では大論争が起こっていたんだよね。特に当時の教会の青年層で。私はそれより一世代下なので、物心ついたころには論争は終わって落ち着いていました。今は沈黙は受け入れられているけど、深い河になるとキリスト教ではなくなっていると言う意見も多いかな。あえて批判する人もいないけど。映画は原作にあった苦痛や苦悩や沈黙があまり感じられなかったのが残念だった印象。原作の衝撃が強かったからかな。
プロテスタントのクリスチャンでした。でしたと過去形なのはやはり信じきれていないからです。岡田さんの説明でよく分かりました。
映画のラストでキリストの顔が浮かびあがってくるシーンを思いだしました。原作は神が語りかけるってなってたんですね!神に語っても返答がない、全ての宗教に通ずるテーマですね。皆それぞれの内なる神に語りかける。詰まり自分自身の神の部分に光を当てれるということですかね?
神社ではおみくじが返答らしいよ。
生身のイエスが言った事と聖書に書いてある事は、違うと思いますけど。生の現実が、ありのままに現れていないのが、歴史です。
何十年も映画館いかなかった私が、これどうしても見たくて行ったんですが、感銘受けました。こちらで説明頂いてる小説と映画の比較解説がさらに興味深くて、なるほど、、奥深い!とさらに納得。 でもこの映画、好き嫌い真っ二つに別れますよね、興味ない人はまーったくないし、そんなに評価高くなかったんでは?
キリスト教徒でもないのに子供の頃教会に通わされて、でも日本人としては神について疑問を感じてもいたので、高校の時に沈黙を読んで衝撃を受けました。岡田さんのお勧めなら映画も観てみようと思います。
きっと旧約聖書を見てそう思ったに違いないwwwあのハチャメチャな日本訳(直訳なんだろうけどw)なかなかなじめない海外の映画をドヤ感で見せられた後、神父様の解釈で噛み砕いて淡々と語られたりするから子供は大体?????とはなる
ワイも14年間通わされてたんだが、これって虐待なんか?
@@user-qt6hw3jp3m いろんな体験できて良かったんじゃないですかね。プロテスタントだったんで地味でしたけどクリスマスの本当の祝い方を知れたし、自閉症の方も多くおられたので彼らを奇異な目で見る偏見も持たずに育つことができましたよ。
原作では、棄教する主人公が踏み絵を二度踏むんだけど、別々の展開になるんだよね。素晴らしい対比で何度読んでも感動する。キリスト教はどうでも良いけど、一度は読んでほしいな。
どうしてこんな東洋のはずれの島国で命がけで布教しなければならなかったのか。イエスの生涯、死海のほとり、そしてこの沈黙が遠藤周作さんのベスト3、他のエッセイ、軽い小説など本人が書いたとはいまだに信じられない。
旧約聖書を元に聖書をつくりユダヤキリスト教が誕生😂ユダヤキリスト=布教を建前に植民地支配をするために作られたカルトユダヤキリストが布教した国は植民地にされた国
めっちゃ分かりやすい…
クリスチャンです説明が素晴らしすぎます、、的確すぎる私自身が、この説明でわかりましたスピノザのキリスト教に関する思考も解ったような気がします
解釈の多様性がある前提ならスコセッシの『沈黙』は私が原作読んで解釈したメッセージ性に近いと思っちゃう。転んだように見せかけてもそれでも自分の中に残る確かな信仰としてのキリスト。これこそ遠藤周作って感じがしてね。
似てる。私はそれを「救い」と「約束」で解釈しました。
さらっと「沈黙」を取り上げて、深ーいキリスト教信仰の真髄をレビューするとこ、素敵だなぁ。遠藤周作は、10代の私を感動させてくれました。
今年読んだ中で一番面白い本だった
沈黙。小説も映画も見ました。外海にも行きました。隠れキリシタンの信仰は興味深いですね。
動画見て2分でこの映画見たくなった(笑)
絶対的なチカラを神と定義すると人間の数だけ神は存在しますね。面白い。宇宙も人間の数だけ。概念って言葉は凄い発明ですね。改めて実感。価値あるお話しを有難う御座います。
沈黙を観てかなり悩んだ自分ですが岡田さんの解釈も面白いですが私は偶像支配はやめなさいというメッセージに感じました。踏み絵をしても裏切りではないよと。どうぞ踏みなさい、そんな事で自分の命を無駄にしてはいけないというメッセージに感じました。まさに神の許しは沈黙でしかないのでそれを受け止めなさい的な…。シスターのもとで勉強した私は神は温かい対象だと思っています。
一回もスパイディって呼んでない。笑😂この宗教を軽やかに話す感じすごく好き。そんなに重苦しいものでもないからもっと人類はポップに宗教を話せばよい。生活習慣なんだから。
ジャイアンとスネ夫の間に見立てた解説わかりやすいです。 自分の様に神を信じない人間にもなる程と思わせたましたね。 神は信じてないけど、悪魔は信じているんです。 それは神を知らないし、見た事がないからかもしれません。 トイレや台所にも神がいるという国の人間ですが…
「恋愛ものに変更~」の続きがすっごく気になるんですけど映画は劇場で観ましたが、驚くほど客がいなかったのを覚えています宗教に関心のない人にもお薦めしたい作品ですが、万人受けする映画ではないのでちょっと厳しいかも
拷問のシーンと、弱さによって転ぶことばかり注目をしてたんですけど、神に対する恋愛として見たら、見方が変わりそうですね。
@@riricaluxxx 私は窪塚演じるキチジローに注目してました何度転んでも何事もなかったかのようにキリシタンに戻る姿が人間くさくて憎めないなあと思って見ていました転んだように見せかけても信仰心は捨てなかったキチジローがすごく印象に残っているんですよね殉教は尊いように思えますが私は懐疑的で、キチジローこそが信仰者としての本来の姿として映ります
@@TheFareastman キチジローは弱い人間だから、すぐに転ぶけど、信仰心はあったんですね。キリスト教は懺悔すれば、許されるんでしたっけ。
@@riricaluxxx 私はキリスト教徒ではないので詳しいことはお答えできません すみませんですが、確かこちらの「 としお話」さんの切り抜きで、懺悔に関する岡田さんの話があったと思いますので、それで良ければ...キリスト教徒が懺悔をするのは、神の存在を疑ったことを告白し、赦してもらうため、だったように記憶しています信仰者といっても日々、葛藤しているんですね
沈黙原作も最強なので読んだ方がいい
読んでみようかな
加賀乙彦さんが軽井沢での体験が過去のNHKアーカイブで放送された。この問題と同じことが語られていた。2週間くらいしてがーんと打たれたと言っておられましたね。加賀乙彦さんの著作も参考になります。
自分はキリスト教徒だけど、岡田斗司夫の定義はその通りだと思う。神の存在については強めの確信を持って信じているけれど、神様がどれだけ聖書が語るとおりの愛で満ち、義で満ち、あるいは全知で全能なのかについては信じ切るのは難しい。この世にそんな存在がいないから。将来が不安になったり、自分が価値ないものだと思ったりと、神様が言っていること否定した価値観で生きている自分に出会う。
めちゃくちゃ分かりみだったし目から鱗落ちた
キリシタンのおばあさんです。若い頃、小説を読んで心をつかまれたので、映画も観に行きました。クリスチャンはキリストと婚約した花嫁であり、荒野の試練(この世)の後に 花婿は迎えに来る、または再臨すると言われてますね。解説有難うございました😊
クリスチャンの男性です。私の場合イエスと婚約すると同性婚となってしまうのですが 教義に反しないか心配です。(もしイエスが都度性別が変わる(LGBTQのQ)であれば問題無いのですが、、)
映画のみ見ました。中南米でブイブイ言わせたパイセンにならい、極東の土人の国でヒャッハーしようと思ってたら全然うまくいかなくて病んでしまっただけに見えました。お気の毒様としか言いようがないです。秀吉先生と先生を引き継いだ江戸幕府には感謝しかありません。
これは神回だ‼️
僕はこの沈黙を読んで、意志を持った神はいないと確信したただ、この作品を執筆した遠藤周作はすごいと思った。ノーベル文学賞候補だったのも納得正直同じノーベル文学賞候補と言われる村上春樹とはレベルが違うと思ったけどそのあと海と毒草も読んだな
まぁ村上春樹とは重みが違うよな。
キリスト教でもなんでも生きる上で神の様な概念がないと人間は欲望のままに生きる動物と同じになり、道徳など不要になってしまう。岡田さんの解説とてもためになりました。もう一回見たくなったし小説も読みたくなりました。
このキリスト教解釈はかなり個人的な偏見が入っているので、これを見て「キリスト教ってそうなんだ」とは思うべきではない
偏見の入っていないキリスト教解釈をぜひ教えてください。
誰しもある種の偏見を持って、キリスト教を解釈しているけど信仰の本質は、信仰を持ってみた人にしか分からないしジャイアンとかスネ夫とか、こういう大まかな定義よりも、信仰は細部やプロセスの方に意味を持ってるんですよね。(動画で岡田さんも言ってるけど)たしかに、この動画だけを観て、キリスト教ってこうなんだな、とみんなに解釈されるのは、拡大解釈すぎる^_^;。(面白いけど)
秀吉が怒ったのには他にも理由があって、当時一部のキリシタンは神社仏閣を破壊して回っていた。
そりゃー当時は異教徒や異端者には厳しい時代だからね秀吉や徳川が、罪のない信心深いカトリック教徒わプロテスタントを虐殺したのも、徳川や秀吉からしたら、人間じゃない(異教徒 )奴らをやっつけたに過ぎないからね
ちょっと違うかも知れませんが映画「エクソシスト」でもカラス神父はイエズス会の神父だったな、アレも戦闘的だよな岡田さんの話を聞いてて「赫奕たる異端」って言葉を思い出したな、キリスト教って発明なんだって
狐狸庵先生は力みの無い作品を書けるナイスな小説家でしたね😊
原作に凄く忠実だし、よくできてたけど、日本でも海外でも売れなかったなあ…
私はカトリックですが、信徒でない人の意見や見方が全然違っていて面白かったです。確かにスターウォーズは新約聖書にインスパイアされて12使徒にちなんだ名前のキャラもいるくらいなのでそのように感じても不思議ではないですよね。
ニューオータニのメインダイニングでウェイターや連れの女性を怒鳴り散らしていた遠藤周作を見てるから遠藤の作品を読む気にならない。
遠藤周作はカトリックでありながら思想はプロテスタントっぽいんだよな。
イエス様は私の心の一番深いところに居てくれてます。
この映画めっちゃ面白かったよなー
私もプロテスタントのクリスチャンです。沈黙は映画館で観ましたが、あまりにも救いようのないストーリーだったので、落ち込んでしまい3日間クラーい気持ちになりました。でもこのお話は遠藤周作さんのキリスト教世界観なので、あくまでも私は1つの作品として見ています。それと…。神様は無言ではありませんよ。必要な時は私達にかかわって下さいます。
イエズス会なら…ザビエルも凄いし、その盟友イグナティウス・デ・ロヨラも凄まじい。
愛は神である。13から33は始まりであり終わり、アルファでありオメガ。神はアガペーとして全ての人々の心に宿る愛である。神は沈黙していない。愛の言葉そのものが神の言葉である
『無神論』『神は妄想である』という書籍があります。
スゲェー!ユダヤ教とキリスト教の特徴をジャイアンとスネオの二人だけを使って説明してしまうなんて。でも結構当たっていると感じるし納得できる。
ユダヤ教もユダヤキリスト教も辿り着く先はバチカン😂核戦争が起きてもバチカンだけは助かるわ
秀吉先輩あざっす
ジャイアンは私達を見てらっしゃいますは笑うww
大好きな映画です。
宗教は推し活我々はだいたいバイキンマンかドキンちゃん悪魔で個人の見解です。
遠藤周作さんはキリスト教のあり様を小説を通してまとめている。すごいです。私もカトリックを信仰し殉教について思うことはありますが、言語化などとてもできない。深い…
アンドリューガーフィールドやアダムドライバーが配役されたのは映画会社や投資会社の出資条件の一つであったらしいです。いくら巨匠マーティンスコセッシ監督でも収益性の低い芸術作品を作るには当時人気だった二人の力を借りるしか無かったのです。
傑作だったこの映画作ってくれたスコセッシに大感謝ぜひともみんな見てほしい!!
遠藤先生は重いテーマを書いた後は照れてエッセイとかを書きたくなる……これを繰り返したんですよね。キチジロー好きです。
キリスト教においてよく例えられるのが「信仰とは神に対する恋愛である」ですよね。映画は観ていませんが、このテーマであれば多くの、多様な観客に理解できる作り方だと思います。しかしあのスコセッシ監督がこの作り方をするとは意外です。若き日のスコセッシなら不条理の中に難解な解答を複数用意して、原作に近い映像化をしたことでしょうね🤔
遠藤周作氏の「純日本人的精神の持ち主である自分がキリスト教を信仰するには、『浄土真宗的な悪人正機・絶対救済』のキリスト教でなければならなかった」 という、彼の実存を賭けた回答は、「キリスト教文化の中で育ったふつうの西欧人」には、ちょっと理解し難いというか、異端思想のような感覚を与えてしまう恐れすらあるので、年くって丸くなったスコセッシ監督はあえて翻案したような気もしますな。
この本授業で使った重苦しい話だけどドラマチックで読み進めやすかった
キリスト教弾圧とゆうけど、けっこうゆるいんですけどね。やめたっていえばOKだったり、踏み絵ふむだけでゆるされたり
逆説的にそれで良かったんでしょうね言霊とか物に神は宿ると考える日本人にはただの言葉でしょ、ただの物でしょにならないからこれでも効果があったって事じゃないですかね
それは江戸時代後期の話です。迫害の実態を知ったイエズス会から「踏み絵を踏んだり、仏教徒のフリをしても神を冒涜した事にはならないから踏んで良いんだよ」って通達が来るんだけど、それまでは踏むことが出来ず酷い迫害を受けていました。
@@金剛石乃波 弾圧されて当然なんですよ神社を破壊して日本人を売り飛ばしてたのはキリシタンなので島津藩が九州征伐した時に焼き討ちされた城があるので同胞を売り飛ばしてたんでしょうね徳川慶喜幕府になって禁教令があっても一神教に対する風当たりは緩くなったと思いますよ徳川慶喜からフラカスのユダヤ資本家とズブズブの関係だったので
神に問う事、神を見いだす事この2つは連続してるようで、実際は全く別の存在の出来事である
さんま「神様、なんで私をこんな私にしたのでしょう」タモリ「やめなさい!信仰心ないくせに!」というコントをいいともで見た。
7時のニュース/きよしこの夜 (サイモン&ガーファンクル)がなんで心に沁みるかのか?
どういう事ですか?良かったら教えて下さい。サイモン&ガーファンクルのきよしこの夜が好きですがニュースキャスターがなんて言ってるかわかりません。
今原作読んでるけど、普段見慣れない熟語がたくさん出てきたから映画から見てよかったって思った映画が原作に忠実なおかげで風景がしっかり頭の中で作れて読みやすい
↓チャプター
00:00 『沈黙』見た方がいい!
00:19 キャスティングがすげぇ!
02:34 イエズス会ってなんだ?
05:58 とんでもない原作『沈黙』遠藤周作
10:05 神はなぜ沈黙するのか?
12:45 キリスト教の本質
14:13 ユダヤ教徒とキリスト教の違い
16:38 キリスト教の本質をどう描くのか
ご視聴ありがとうございます。
ぜひぜひ高評価おねがいします!
キリストが十字架上で口にした「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか?」とはその通りの意味ではなくて、旧約聖書の詩篇を引用したんですよ
何故 沈黙するのか? 喋れば喋るほどボロが出るからと警察の人に聞きました。
残念ながら神様が内住される体験なしに聖書を語ることは全て間違いです。
信じようとしてる時点で、単なるその他の宗教と同じフェイクですよ。。
何もわからず語らないで。。。。。。。🤮🤮🤮🤮🤮🤮
@@RVG-jd3id超基本ですよね。。。聖霊によって作り変えられるクリスチャンなんてほんの一部。みんな名目上のクリスチャンばっかり。。聖書を理性で語ろうとすることはナンセンスの極みだと聖書に書いてあるのにねえ。。。🤮
神が万物の目的として定められたのは「キリスト」だった。神が求められたのは、十字架に磔にされても敵を愛する愛だった。神は御子に人の愛と人の反抗を備えられる。それは、御子による救いと裁きの栄光のためである。それ故神は創造の時のはじめから、御子の言葉により、人に動物の身体を与え、そして動物性と動物の身体を異物として死すべきものとする倫理性(愛と法と美に対する感覚。善悪の知識)を与え、律法を与えて悪意と動物性と動物の身体を否定させ、動物の身体を取り除かなければ死が除かれないことと、人が完全な善の前に罪の赦しなしには生きられないことを示したうえで、御子をキリストとして世に遣わされた。罪の赦しの権限即ち人に命を与える唯一の権限の相続者として、御子に罪の赦しを託された。人が御子の死において自らの罪を示した後、御子は復活された。人はこのとき滅ぼされるべきものとして確定したが、御子が備えられたのは罪の赦しと新しい命であり、御子は今の世界のすべてを動物の身体ごと滅ぼして律法を成就される。世界のすべての理不尽は、人に罪を教えるためであり、動物性を拒否させるためであり、世界と命のすべてを捨てさせてキリストを愛させるためであり、あるいはキリストにその意思と選択をもって反抗した人々がキリストに裁かれることでキリストの栄光となるためである。神はおられる。事物の「なんであるか」は人格を伴うことばによってしか定められない。原子や分子の形や運動の法則性・絶対性・普遍性は、法的感性によってのみ定められる。人間は言語性も法的感性も備えるが、定めた事物や事物の法則を現実に反映することはできない。しかし今ここに、現実に、事物と事物の法則が定められ、そこには事物と事物の法則を現実に反映した権能が前提となっている。ゆえに、現実在そのものが、現実在の前提として、事物と事物の法則を現実に反映する権能と、法的感覚を備えた、ことばを用いる人格を証明する。その人格は、父なる神は、万物の目的即ち善悪と存在是非の基準を定めるが故に絶対者であり、王権の唯一の源泉であり、その認識の範囲でのみ世界が形成されるがゆえに全知であり、「AであってAでない」という矛盾がない限りすべてを現実に反映し得るがゆえに全能であり、現実には「AであってAでない」という矛盾が許されないがゆえにその業は完全であり、現実のことばは唯一であるがゆえに唯一である。そして、我々人間存在が、動物の身体を有しながらに動物の身体とその自然性を服と法で否定しなければならない我々人間存在が、キリストの与えられる罪の赦しと新しい命なしに、善なる存在の前に存在を許され得ないこと、またそもそもキリストなしに法的感覚を備えた存在に創造される理由がないことにより、キリストの存在が証明される。
遠藤周作のイエス像は強制収容のガス室に送られるときでも側にいて最後の時が来るまで慰め泣いてくれる者だと何冊かの小説に描かれています
こないだ放送してたの観ました。恐ろしかったです。途中で一回挫折して、二回に分けて観ました。
ラストの方の日本側のセリフ「ひとつだけじゃなくていいんだ」が印象的だった。
この動画の説明がすごくわかりやすくてありがたかったです。ありがとうございます。
この映画は私にはトラウマになりましたけど、でもこれはたくさんの人に観てもらいたい。
同じくトラウマになりました。
私は映画館でストーリーを知らずに観たのですが、最初から最後まで笑うシーンがなく、ずっと心臓がドキドキしていました。
興行収入がどうだったかは分かりませんが、私の中では忘れられない映画となりました。
首がコロコロのシーンは斬られ役でない俳優さんが突然コロコロしたので、あの俳優さんがしばらく観られなかったです。
原作「沈黙」のラスト1文はほんとに衝撃的でした。あの言葉をキッカケに自分の読書人生?が変わったと思います。
遠藤周作はキリスト教徒だけど、自信のエッセイで神について書いてて、「信じるものが神でも鯖でも何でも良いんだけど」って言ってて好き。
信仰するということそのものに意味があって対象はなんでも良い
というのは理解できる
でも私もそう思います、鰯の頭も信心からですね~。
逆にいうと、自分にとって尊く大切な信仰も、他人にとっては鰯の頭でしかない。だから押し付けてはいけない、ということを教えてくれますね。
子供の頃に友達の関係で日曜学校に通いました
パンが一切れとワインがグラス1杯しかないのにキリストを慕い集まった群衆に何故振る舞わないのだと𠮟り群衆に行き渡るよう増やしたという話を聞いて通うのを止めました
どうして皆信じているんだろうと長い間不思議でしたが、岡田さんの話を聞いて少し腑に落ちました
@@28kko34キリストの言葉に納得してみんな自分の懐から食料を供出したということでしょ。よくあること。
映画見て衝撃を受けて小説読んで,その後だいぶ経ってまさに今イエスの生涯読んで沈黙の解釈が広がってきたところだったので岡田さんの話めっちゃ面白かった。ところどころ、それはちょっと違うと思うな、ってとこがあっても、無限の解釈があると言ってるので、そうだよね、となる。
遠藤周作氏の作品は
「純日本人心性・感覚の持ち主である自分にとってキリスト教は『肌に合わない・異物感がある』ので、何度もキリスト教を棄てようと思ったが、母親や親戚が自分に良かれと思って与えてくれたキリスト教信仰をどうしても捨てられない」
という遠藤周作氏の一生の問題・葛藤が根本にある。なので「キリスト教徒ではない」ふつうの日本人には理解が難しいところがあり、同時に「物心ついた時からキリスト教徒」の多くの西洋人にも「理解は出来るけど(そんな葛藤を感じたことがないから)ピンとこない」ところがある。
逆に「信仰と自分自身の心性の葛藤に悩む人」「キリスト教に愛着がありつつも信仰出来なくなった欧米人」「自分が育った日本を含む東洋文化・思想と西洋文化・思想とのギャップに悩む東洋人」など、一部の人にはメチャクチャ心に刺さる。
こういう遠藤周作作品の特徴から、「ふつうにキリスト教を信仰している・全く信仰していない」「『西洋文化・思想と東洋文化・思想の対立・葛藤』ってなにそれムズカシイわかんなーい!」な大多数の一般ピーポーにも「わかる」大作映画するならば、スコセッシ監督映画のように「キリスト教徒として西洋文化思想の中で育ったことになんの葛藤も問題も感じていの欧米人」にも「わかるテーマ=神への愛」に翻案するほかなかった気がしますな。
深堀りすると3段階(ホップ、ステップ、ジャンプ)のレベルになる。初期段階は神の幻visionがジャイアンであり、彼に対するスネオ(ユダヤ教徒:律法主義)と白いスネオ(キリスト教徒:脅迫神経症)がいる感じである。中間段階は神の幻visionが信仰(神に遭遇して悔い改める旨)の出発点になる感じがする。最終段階は神の幻visionが信仰(神を相続する旨)を促し、罪を免れ、幸福の持続線になる感じがする。結局、日本は初期段階に停滞しており、よい指導者がおらず、お勉強だけの浅薄な国民のままである感じがする。
視点の配置が丁寧で見事。
本来は生きとし生ける存在はすべて、「そのこと」(ここでは視点の一つとしての責任を担えるべき自らの人格を育てること、としましょうか)に注意を払うべきなんでしょうね‥。
@@靑山二郎
「視点の一つとしての責任を担えるべき自らの人格を育てること」をもう一つ噛み砕いてご説明をば!
@@romeishi さんへ
今、あなたの返信に気づきました。‥それをあなたに伝えること、は私にとって「他者」であるあなたが「何を必要としているのか?」によるとも考えます。
どうしてその質問に至りましたか?その「応え」如何で私の答えをお返しします。
アホな宗教っぽいと思われるでしょうが、私の人生も残り少ないのでね><「私がこの世にあらわれた責任」のためにも必要なプロセスだと思ってます。時間がもったいないのでね。どうでもいい人間に「コイツ‥サイコ?www」と思われたら「私の人生っていったい・・TT」とかダメージを負いそうですからねw
@@romeishi さんへ
せっかくこの世に生まれてきて、この世に良いにせよ悪いにせよ、「自分以外の誰かのために基点となる何か」を、自分の人生で今は見知らぬ誰かに用意してあげられるのか?は大事だと思うんですがね‥。
あっという間にそれを獲得した人間は死んでいくのですから、特に今の価値観がガラガラ移り変わる時代の日本で必要なことのようにも感じられます‥。
沈黙の原作を読んだ時衝撃だったのは、ここまで惨たらしく神の沈黙を描き貫いたのに、遠藤周作はキリスト教作家だったと知った時。どんなメンタルであの描写と結末が執筆できたんだろうと思ったわ。
そう。
遠藤周作はキリスト教徒の中でも敵が多い作家(カトリック信者の中でさえ)。
みんな大好き三浦綾子さんとは全く違う評価の中を生きた作家。
プロテスタント、カトリック、習慣は違うけど結局同じ聖書と信仰で、神が教えようとする信仰的な部分は同じ。聖霊は同じなので。
カトリック教会が本当に凄いなと尊敬するのが、無宗教的なメンタルを提示する神父もいれば、使徒言行録の伝道&聖霊をプロテスタント教会以上に信徒に提示する神父さんもいるところ。
信仰の多様性に寛容なのは実に素晴らしい。
私はまるで逆の感想です。遠藤周作さんに恐らく私と同じ感想を持ったキリスト教信者は少なくないと思います。聖書の中でも神は実は沈黙していることが多く全く不思議ではありません。
この映画では伝道する側の宣教師が自分の信仰が信者の命と引き換える時の揺らぎを描いたもので、宣教師も普通の人だったということです。
神の救いが宣教師たちが思い込んでいたものは違って神の沈黙の中で語られていくという信仰の意味を問う作品だと感じました。
生涯宗教、キリスト教を疑いながら生きた小説家だからね。ご本人曰く、洗礼はお母様に着せられた洋服、だそうだから。
キリスト教を日本人が着るにはダボダボの洋服に例え、それをいかに日本人が着やすいようにするか、それを考え続けた結果が”沈黙”なのかなと
遠藤周作は普通の日本人ではないよ。エッセイを書く時の「狐狸庵」がヒントね。
遠藤周作先生の小説の解釈と立川談志師匠の落語の解釈がほぼ同じなんですよね。
遠藤さんは小説とは踏み絵を踏まない強い人では無く、踏み絵を踏んでしまった人の心情を書くものだとした。
談志さんは落語を赤穂浪士に例え、討ち入りに行った四十七士はお呼びでなく、討ち入りに行かなかった浅野の家来たちの事を語るものだとした。
プロテスタントのクリスチャンですが、「信じ難きを信じようとする日々の葛藤、それが信仰」とか「ジャイアンと白スネ夫」の件、とても納得いきました!お見事です!!
善を行動する事が、信仰である。何かの本で読みました。☺️
まぁ、キリストの神も数多くいる神々の一柱にすぎません。
@@imallah7559
おいおい、それは、サッカーの試合やってる人に、ラグビーのゴールにシュートしても、同じゴールだから一点だろ、って言ってるようなもんだぞ
プロテスタントのクリスチャンであるなら、聖霊の内住によって異言でどんどん作り変えられる聖化の体験があるでしょうに。。。
私もプロテスタントですが、岡田さんの話はピンと来ませんでした。遠藤周作もそうですがキリスト教を語るのに肝心の「キリスト」が欠落してます。😢
キリスト教の定義、とても納得できました。
美術関連の話ですが、このジョルジュ・ルオーという画家がいて、第二次世界大戦中、キリスト教に絶望しながらもキリストの顔をひたすら描きづづけました。(神がいるなら罪もないは人がこんなに虐殺される訳がないという信仰に対する絶望があり、キリストの絵を書く画家も少なかった時代です)
ルオーの絵は、油絵で何回も絵の具を重ねるので尋常じゃなく分厚いのですが、彼にとっての信仰は「何度も何度もキリストの顔に筆を重ねる行為そのもの」だったと言われています。
何度も何度も筆を重ねながら、おそらく神や戦争のことを考え、自問自答しながら一つの作品を仕上げたのだと想像します。
私はキリスト教ではないですが、彼らにとって神が本当にいるかどうか?が重要なのではないんですよね。
岡田さんの解説、とてもよかったです!
ルオーは批評家の小林秀雄が晩年興味を持っていた画家さんでしたね‥。
かの敗戦を超えた彼にも響く何かがあったのかもしれませんね‥。
岡田さんのキリスト教の解釈がわかりました。ありがとう。
ミッションスクールに15年通ったワイに、「神様がいるならなぜ戦争はなくならないんですか!」という小学校で必ず出る疑問への明確な答えを出してくれた小説
映画も、原作にどこまでも忠実で愛を感じた
ずっと静かな雰囲気なのに、文字で読むのとは桁違いの残酷さと無常さ
そんな基本的質問の答えも分からないまま放置する学校をミッション系と呼ぶ😂😂😂 誰も聖書理解してなさすぎて泣ける
ジャイアンを神とする喩えがすごく面白かった。そうするとドラえもんという悪魔と契約したのび太という図式もしっくりくる
先生の詳しいご解説ありがとうございます。遠藤周作氏がタイトルを「沈黙」した理由を少しわかったような気持ちになりました。
たしかに、神がいるってわかったら信仰なんてせずに、事実として受け入れるだけだもんな。
原作は高校生の時に読みました。映画はフランシスコ教皇も見たそうですね。その後、歴史の舞台である長崎を訪問されたとなると、感慨深いものがあったと思います。因みにフランシスコ教皇もイエズス会出身ですね。
ここでお終い!?って感じです 有料会員になって全部見てみたい欲求が高まりますね
遠藤周作の「沈黙」を卒論対象にしました カソリック教会に3年間、神父のお手伝いをしながら学ばせて頂きました 重いテーマ選んじゃったな‥って感じでしたが🤣w 日本にはない唯一神の考え方と向き合い方が心に突き刺さる本でした ほぼほぼ省略と割愛コメントでごめんなさーい
人生に起こる苦難には意味がある、と信じるために神がいるんだと思います。
はじめまして。
いつも楽しく岡田さんの動画を拝見させてもらっています。
岡田さんのこの動画を見て「沈黙」を強烈に見たくなり、何日間にわたり主人公に感情移入しつつ、たった今見終わりました。
歴史で何となく踏み絵を習いましたがここまで凄惨な事実があったことを知りませんでした。
「自由」というキーワードがその当時と今とでは生きるか死ぬかくらいの差があったことに気付かされました。。
岡田さんのこの動画のおかげで、日本人として、現代を生きる一人の人間として知っておかないといけない事に触れられて良かったです。
岡田さんの紹介がなければ、おそらく一生触れる事はなかったと思います。
きっかけを下さってありがとうございましたm(_ _)m
岡田さんがオススメして下さる映画とても面白いです。ショーシャンクの空にも素晴らしい作品でした😭
世界を広げて下さり感謝してます。
私自身クリスチャンで、遠藤周作の『沈黙』には多大な影響を受けました。
岡田さんが「アクロバチックな論理」と形容されている神の声が聞こえるシーンは、遠藤自身は「働きとしての神」という趣旨のことを著作の中で語っていて、キリスト教的に言うと、三位一体のひとつである「聖霊」と解釈できると思います。
「神の存在ではなく、神の働きのほうが大切なんだ」
というのが遠藤先生のキリスト教観の特徴ですね。
また神に対する疑念についても遠藤自身、「信仰は90%の疑いと10%の希望」と語っていて、キリスト教徒にとっては実に身近なテーマであると感じています。
「沈黙」ってその昔、邦画でも作られているんですよね。それを観た時も衝撃的でしたが、洋画版では狂気にも思える残酷描写も強く印象に残ってやるせない気持ちになったのを覚えています。
そりゃ定期的に日本人は蛮族ですって刷り込み映画をハリウッドが作って日本人下げプロモーションを続けてるのよ😂
支配層の白人の要求に政治家が言うことを聞かないとメディアやエンタメを支配してる金融屋から定期的に蛮族ネタが投下され続ける仕組みだから気にしないようにね😊
神↔ジャイアン
ユダヤ教→スネ夫
キリスト教→白スネ夫
このたとえは非常にわかりやすかったです(笑)
でも神が歌いだせば
途端に渋い顔しそう
さらっと話す内容が知識の深さを感じさせるというか、興味のあることを深く広く解剖しちゃうから、オタキングなんだろうな。
さらに明るく面白いキャラでオタクをエンタメにするという凄さw
イエズス会キリスト教からは転んだけど
神と彼の一対一の信仰を得た
例えると
ファンクラブからは脱退したけど推し活やめたわけじゃないみたいな
神義論は、クリスチャンなら一度は躓くところだと思います。
この世に悪はたくさんあるので、もし神がおられるなら、何故この悪を放置されているのか、と怒りや悲しみを抱くんですよね。
そもそも神のなさることは人間の物差しでははかれないと思っているので、その点については私はあまり悩まないのですが、それも人によりけりだと思います。
神は万能で、何でもできると考えていると、悩みは深まると思います。
岡田さんの、ジャイアンの例えはわかりやすかったです😊
こちらのコメント欄に、ファンクラブは辞めたけど、推し活は辞めない、みたいなことが書いてあって、そのコメントを見たら、物凄く納得しました。
宗教は組織活動の部分が多いですが、信仰は神と自分との関係だと思うので。
親衛隊まで務めたファンクラブを強制的に脱退させられて、初めて辿り着いた境地なんですよね。
今や推しと自分の関係は新たなステージを迎えた、ってエンディングなんだと思います。
正直岡田斗司夫さん好きじゃなかったけど話がすごい分かりやすい・・・・
沈黙は本当に名作。クリスチャンが見ると心締め付けられます。迫害されたとき、どう行動しどうあるべきか。
聖書には「聖霊(神さまの分身)が聖書のことを話せるように助言してくださる。からだを殺せない人間を恐れるな。人の魂すらも殺せる、神さまを恐れなさい」と書かれています。
主人公の神父が取った行動が答えではないですが、考えさせられました……
たまたま外国の映画館で沈黙を観たが、上映後に近くに座ってたおばあちゃんが「リーアム、こっち(文芸映画)に帰っておいで」と言ってたのが印象に残ってる。
『遠藤周作氏のキリスト教信仰』は「悪人正機・絶対救済」で、ほとんど浄土真宗なんですよね。
これは『沈黙』ではなんとなくわかる程度だけど、後に書いた小説である『王の挽歌』では、主人公の大友宗臨に「阿弥陀仏信仰とキリスト信仰は何が違うのか?ほとんど同じではないか!」と言わせちゃってるし。(それに対するパードレ(神父)の答えを聞いて、主人公はキリスト教徒になる)。
さらに最後の小説『深い河』では「輪廻転生思想」まで認めちゃってるし。(立花隆との対談で、遠藤周作は「輪廻転生はあると信じてる、信じたい」と明言してる。ちなみに古代キリスト教には輪廻転生を語る一派があったが、異端として排除された)
なのでキリスト教関係者の中には、遠藤周作氏の思想を「異端」として拒否・否定する人もいるし、熱心(厳格・原理主義)な欧米のキリスト教徒には受け入れられない恐れもあって、映画の主題は「神への愛」へ翻案されたのかも。
だから浄土真宗のボキがカソリック系の幼稚園に入園出来たんだ
喩えが解りやすく秀逸
中学生の頃小説は読みましたが、本来偶像崇拝を禁じているキリスト教徒なのになんで踏み絵にこだわるのかが最後まで理解出来ずに終わりました。
神については、これだけ広い宇宙を作った何者かは居るのかもしれないが、それは人間なんて認識すらしていないと思います。
遠藤周作はノーベル文学賞の候補になったとき、沈黙の結末が審査員に嫌われて受賞を逃したと言われてますね。
原作を読めばいいんじゃないの? 『イエスの生涯』でしたっけ。『沈黙』以外にも、いい作品がありますね。
学生の時、原作読みましたが 内容すっかり忘れてました。😁 もう一度 読んでみようかな?
凄っ。
絶対観ます。
踏み絵のシーンが印象的でした。
「お辞儀をするより簡単じゃ。さぁ 軽く踏むだけでええから」とかなんとか言って 踏ませようとしてたね。
原作読んでません、映画は見ましたが面白かったです。
神は存在するけど人間界に介入しないという考え方もあると思うのです、神に問えば返答してくれるはず!返答しないなら存在しない!は極端かとおもうのですよね。
(神の声を聴いた、という人が本当なのか妄想なのかも誰も判断できないし)
あと、キリシタン、弾圧されて可哀相みたいな感じがあるけど(多分わたしの偏見です)、あなたたちも異教徒やら異端者やら弾圧してたでしょ、と。
最後の部分同感です。
別にカトリックやキリシタンに対して否定的な気持ちは無いけど、
被害者面すんなよとは毎度思います。
近年まであちこちで弾圧強奪虐殺繰り返してるのはまさにキリスト教徒なのにね。
キリスト教に限らず宗教というものはどれも排他的で、異教徒に対し攻撃的
人類の歴史は戦争の歴史と言われるが、多くの戦争に宗教が関わっている
その事実から考えると「神様がいるなら何故戦争が無くならないのか?」という問いに対しては
むしろ神がいる(と信じる)から戦争が起きると考えるべき
@@金剛石乃波国民に命を差し出させるために、絶対的な神が必要なのでは。今で言えば自由と民主主義の価値観みたいな(今は機械化されているので強い方は死ななくても良いし、現地の人々が代理で死んでくれる)。
I actually really enjoyed watching the video! I think your explanation of Christianity is honestly so true
そうそう、だから遠藤周作はキリスト教支配の文学賞、ノーベル文学賞がとれなかった。
遠藤周作、このような作品からユーモアのある作品まで素晴らしい作家でした…
ここのコメントを見る限りでは知らないない人が多いのだろうけど、原作が出版された時には日本のカトリック教会内では大論争が起こっていたんだよね。特に当時の教会の青年層で。
私はそれより一世代下なので、物心ついたころには論争は終わって落ち着いていました。
今は沈黙は受け入れられているけど、深い河になるとキリスト教ではなくなっていると言う意見も多いかな。あえて批判する人もいないけど。
映画は原作にあった苦痛や苦悩や沈黙があまり感じられなかったのが残念だった印象。原作の衝撃が強かったからかな。
プロテスタントのクリスチャンでした。でしたと過去形なのはやはり信じきれていないからです。
岡田さんの説明でよく分かりました。
映画のラストでキリストの顔が浮かびあがってくるシーンを思いだしました。原作は神が語りかけるってなってたんですね!
神に語っても返答がない、全ての宗教に通ずるテーマですね。皆それぞれの内なる神に語りかける。詰まり自分自身の神の部分に光を当てれるということですかね?
神社ではおみくじが返答らしいよ。
生身のイエスが言った事と聖書に書いてある事は、違うと思いますけど。生の現実が、ありのままに現れていないのが、歴史です。
何十年も映画館いかなかった私が、これどうしても見たくて行ったんですが、感銘受けました。こちらで説明頂いてる小説と映画の比較解説がさらに興味深くて、なるほど、、奥深い!とさらに納得。 でもこの映画、好き嫌い真っ二つに別れますよね、興味ない人はまーったくないし、そんなに評価高くなかったんでは?
キリスト教徒でもないのに子供の頃教会に通わされて、でも日本人としては神について疑問を感じてもいたので、高校の時に沈黙を読んで衝撃を受けました。岡田さんのお勧めなら映画も観てみようと思います。
きっと旧約聖書を見てそう思ったに違いないwww
あのハチャメチャな日本訳(直訳なんだろうけどw)なかなかなじめない
海外の映画をドヤ感で見せられた後、神父様の解釈で噛み砕いて淡々と語られたりするから
子供は大体?????とはなる
ワイも14年間通わされてたんだが、これって虐待なんか?
@@user-qt6hw3jp3m
いろんな体験できて良かったんじゃないですかね。プロテスタントだったんで地味でしたけどクリスマスの本当の祝い方を知れたし、自閉症の方も多くおられたので彼らを奇異な目で見る偏見も持たずに育つことができましたよ。
原作では、棄教する主人公が踏み絵を二度踏むんだけど、別々の展開になるんだよね。素晴らしい対比で何度読んでも感動する。キリスト教はどうでも良いけど、一度は読んでほしいな。
どうしてこんな東洋のはずれの島国で命がけで布教しなければならなかったのか。イエスの生涯、死海のほとり、そしてこの沈黙が遠藤周作さんのベスト3、他のエッセイ、軽い小説など本人が書いたとはいまだに信じられない。
旧約聖書を元に聖書をつくりユダヤキリスト教が誕生😂
ユダヤキリスト=布教を建前に植民地支配をするために作られたカルト
ユダヤキリストが布教した国は植民地にされた国
めっちゃ分かりやすい…
クリスチャンです
説明が素晴らしすぎます、、的確すぎる
私自身が、この説明でわかりました
スピノザのキリスト教に関する思考も
解ったような気がします
解釈の多様性がある前提ならスコセッシの『沈黙』は私が原作読んで解釈したメッセージ性に近いと思っちゃう。転んだように見せかけてもそれでも自分の中に残る確かな信仰としてのキリスト。これこそ遠藤周作って感じがしてね。
似てる。
私はそれを「救い」と「約束」で解釈しました。
さらっと「沈黙」を取り上げて、深ーい
キリスト教信仰の真髄をレビューするとこ、素敵だなぁ。遠藤周作は、10代の私を感動させてくれました。
今年読んだ中で一番面白い本だった
沈黙。小説も映画も見ました。
外海にも行きました。
隠れキリシタンの信仰は興味深いですね。
動画見て2分でこの映画見たくなった(笑)
絶対的なチカラを神と定義すると人間の数だけ神は存在しますね。面白い。
宇宙も人間の数だけ。
概念って言葉は凄い発明ですね。改めて実感。価値あるお話しを有難う御座います。
沈黙を観てかなり悩んだ自分ですが岡田さんの解釈も面白いですが私は偶像支配はやめなさいというメッセージに感じました。踏み絵をしても裏切りではないよと。どうぞ踏みなさい、そんな事で自分の命を無駄にしてはいけないというメッセージに感じました。まさに神の許しは沈黙でしかないのでそれを受け止めなさい的な…。シスターのもとで勉強した私は神は温かい対象だと思っています。
一回もスパイディって呼んでない。笑😂
この宗教を軽やかに話す感じすごく好き。
そんなに重苦しいものでもないからもっと人類はポップに宗教を話せばよい。
生活習慣なんだから。
ジャイアンとスネ夫の間に見立てた解説わかりやすいです。
自分の様に神を信じない人間にもなる程と思わせたましたね。
神は信じてないけど、悪魔は信じているんです。
それは神を知らないし、見た事がないからかもしれません。
トイレや台所にも神がいるという国の人間ですが…
「恋愛ものに変更~」の続きがすっごく気になるんですけど
映画は劇場で観ましたが、驚くほど客がいなかったのを覚えています
宗教に関心のない人にもお薦めしたい作品ですが、万人受けする映画ではないのでちょっと厳しいかも
拷問のシーンと、弱さによって転ぶことばかり注目をしてたんですけど、神に対する恋愛として見たら、見方が変わりそうですね。
@@riricaluxxx
私は窪塚演じるキチジローに注目してました
何度転んでも何事もなかったかのようにキリシタンに戻る姿が人間くさくて憎めないなあと思って見ていました
転んだように見せかけても信仰心は捨てなかったキチジローがすごく印象に残っているんですよね
殉教は尊いように思えますが私は懐疑的で、キチジローこそが信仰者としての本来の姿として映ります
@@TheFareastman キチジローは弱い人間だから、すぐに転ぶけど、信仰心はあったんですね。キリスト教は懺悔すれば、許されるんでしたっけ。
@@riricaluxxx
私はキリスト教徒ではないので詳しいことはお答えできません すみません
ですが、確かこちらの「 としお話」さんの切り抜きで、懺悔に関する岡田さんの話があったと思いますので、それで良ければ...
キリスト教徒が懺悔をするのは、神の存在を疑ったことを告白し、赦してもらうため、だったように記憶しています
信仰者といっても日々、葛藤しているんですね
沈黙原作も最強なので読んだ方がいい
読んでみようかな
加賀乙彦さんが軽井沢での体験が過去のNHKアーカイブで放送された。
この問題と同じことが語られていた。
2週間くらいしてがーんと打たれたと言っておられましたね。
加賀乙彦さんの著作も参考になります。
自分はキリスト教徒だけど、岡田斗司夫の定義はその通りだと思う。神の存在については強めの確信を持って信じているけれど、神様がどれだけ聖書が語るとおりの愛で満ち、義で満ち、あるいは全知で全能なのかについては信じ切るのは難しい。この世にそんな存在がいないから。
将来が不安になったり、自分が価値ないものだと思ったりと、神様が言っていること否定した価値観で生きている自分に出会う。
めちゃくちゃ分かりみだったし目から鱗落ちた
キリシタンのおばあさんです。
若い頃、小説を読んで心をつかまれたので、映画も観に行きました。
クリスチャンはキリストと婚約した花嫁であり、荒野の試練(この世)の後に 花婿は迎えに来る、または再臨すると言われてますね。
解説有難うございました😊
クリスチャンの男性です。私の場合イエスと婚約すると同性婚となってしまうのですが 教義に反しないか心配です。(もしイエスが都度性別が変わる(LGBTQのQ)であれば問題無いのですが、、)
映画のみ見ました。中南米でブイブイ言わせたパイセンにならい、極東の土人の国でヒャッハーしようと思ってたら全然うまくいかなくて病んでしまっただけに見えました。お気の毒様としか言いようがないです。秀吉先生と先生を引き継いだ江戸幕府には感謝しかありません。
これは神回だ‼️
僕はこの沈黙を読んで、
意志を持った神はいない
と確信した
ただ、この作品を執筆した遠藤周作はすごいと思った。ノーベル文学賞候補だったのも納得
正直同じノーベル文学賞候補と言われる村上春樹とはレベルが違うと思ったけど
そのあと海と毒草も読んだな
まぁ村上春樹とは重みが違うよな。
キリスト教でもなんでも生きる上で神の様な概念がないと人間は欲望のままに生きる動物と同じになり、道徳など不要になってしまう。
岡田さんの解説とてもためになりました。もう一回見たくなったし小説も読みたくなりました。
このキリスト教解釈はかなり個人的な偏見が入っているので、これを見て「キリスト教ってそうなんだ」とは思うべきではない
偏見の入っていないキリスト教解釈をぜひ教えてください。
誰しもある種の偏見を持って、キリスト教を解釈しているけど
信仰の本質は、信仰を持ってみた人にしか分からないし
ジャイアンとかスネ夫とか、こういう大まかな定義よりも、信仰は細部やプロセスの方に意味を持ってるんですよね。(動画で岡田さんも言ってるけど)
たしかに、この動画だけを観て、キリスト教ってこうなんだな、とみんなに解釈されるのは、拡大解釈すぎる^_^;。
(面白いけど)
秀吉が怒ったのには他にも理由があって、当時一部のキリシタンは神社仏閣を破壊して回っていた。
そりゃー当時は異教徒や異端者には厳しい時代だからね
秀吉や徳川が、罪のない信心深いカトリック教徒わプロテスタントを虐殺したのも、徳川や秀吉からしたら、人間じゃない(異教徒 )奴らをやっつけたに過ぎない
からね
ちょっと違うかも知れませんが映画「エクソシスト」でもカラス神父はイエズス会の神父だったな、アレも戦闘的だよな
岡田さんの話を聞いてて「赫奕たる異端」って言葉を思い出したな、キリスト教って発明なんだって
狐狸庵先生は力みの無い作品を書けるナイスな小説家でしたね😊
原作に凄く忠実だし、よくできてたけど、日本でも海外でも売れなかったなあ…
私はカトリックですが、信徒でない人の意見や見方が全然違っていて面白かったです。
確かにスターウォーズは新約聖書にインスパイアされて12使徒にちなんだ名前のキャラもいるくらいなのでそのように感じても不思議ではないですよね。
ニューオータニのメインダイニングでウェイターや連れの女性を怒鳴り散らしていた遠藤周作を見てるから遠藤の作品を読む気にならない。
遠藤周作はカトリックでありながら思想はプロテスタントっぽいんだよな。
イエス様は私の心の一番深いところに居てくれてます。
この映画めっちゃ面白かったよなー
私もプロテスタントのクリスチャンです。
沈黙は映画館で観ましたが、あまりにも救いようのないストーリーだったので、落ち込んでしまい3日間クラーい気持ちになりました。
でもこのお話は遠藤周作さんのキリスト教世界観なので、あくまでも私は1つの作品として見ています。
それと…。神様は無言ではありませんよ。必要な時は私達にかかわって下さいます。
イエズス会なら…ザビエルも凄いし、その盟友イグナティウス・デ・ロヨラも凄まじい。
愛は神である。13から33は始まりであり終わり、アルファでありオメガ。神はアガペーとして全ての人々の心に宿る愛である。神は沈黙していない。愛の言葉そのものが神の言葉である
『無神論』『神は妄想である』
という書籍があります。
スゲェー!ユダヤ教とキリスト教の特徴をジャイアンとスネオの二人だけを使って説明してしまうなんて。でも結構当たっていると感じるし納得できる。
ユダヤ教もユダヤキリスト教も辿り着く先はバチカン😂
核戦争が起きてもバチカンだけは助かるわ
秀吉先輩あざっす
ジャイアンは私達を見てらっしゃいますは笑うww
大好きな映画です。
宗教は推し活
我々はだいたい
バイキンマンかドキンちゃん
悪魔で個人の見解です。
遠藤周作さんはキリスト教のあり様を小説を通してまとめている。すごいです。私もカトリックを信仰し殉教について思うことはありますが、言語化などとてもできない。深い…
アンドリューガーフィールドやアダムドライバーが配役されたのは映画会社や投資会社の出資条件の一つであったらしいです。
いくら巨匠マーティンスコセッシ監督でも収益性の低い芸術作品を作るには当時人気だった二人の力を借りるしか無かったのです。
傑作だったこの映画作ってくれたスコセッシに大感謝ぜひともみんな見てほしい!!
遠藤先生は重いテーマを書いた後は照れてエッセイとかを書きたくなる……これを繰り返したんですよね。キチジロー好きです。
キリスト教においてよく例えられるのが「信仰とは神に対する恋愛である」ですよね。映画は観ていませんが、このテーマであれば多くの、多様な観客に理解できる作り方だと思います。
しかしあのスコセッシ監督がこの作り方をするとは意外です。若き日のスコセッシなら不条理の中に難解な解答を複数用意して、原作に近い映像化をしたことでしょうね🤔
遠藤周作氏の
「純日本人的精神の持ち主である自分がキリスト教を信仰するには、『浄土真宗的な悪人正機・絶対救済』のキリスト教でなければならなかった」
という、彼の実存を賭けた回答は、「キリスト教文化の中で育ったふつうの西欧人」には、ちょっと理解し難いというか、異端思想のような感覚を与えてしまう恐れすらあるので、年くって丸くなったスコセッシ監督はあえて翻案したような気もしますな。
この本授業で使った
重苦しい話だけどドラマチックで読み進めやすかった
キリスト教弾圧とゆうけど、けっこうゆるいんですけどね。やめたっていえばOKだったり、踏み絵ふむだけでゆるされたり
逆説的にそれで良かったんでしょうね
言霊とか物に神は宿ると考える日本人にはただの言葉でしょ、ただの物でしょにならないからこれでも効果があったって事じゃないですかね
それは江戸時代後期の話です。迫害の実態を知ったイエズス会から「踏み絵を踏んだり、仏教徒のフリをしても神を冒涜した事にはならないから踏んで良いんだよ」って通達が来るんだけど、それまでは踏むことが出来ず酷い迫害を受けていました。
@@金剛石乃波
弾圧されて当然なんですよ
神社を破壊して日本人を売り飛ばしてたのはキリシタンなので
島津藩が九州征伐した時に焼き討ちされた城があるので同胞を売り飛ばしてたんでしょうね
徳川慶喜幕府になって禁教令があっても一神教に対する風当たりは緩くなったと思いますよ
徳川慶喜からフラカスのユダヤ資本家とズブズブの関係だったので
神に問う事、神を見いだす事
この2つは連続してるようで、実際は全く別の存在の出来事である
さんま「神様、なんで私をこんな私にしたのでしょう」
タモリ「やめなさい!信仰心ないくせに!」
というコントをいいともで見た。
7時のニュース/きよしこの夜 (サイモン&ガーファンクル)がなんで心に沁みるかのか?
どういう事ですか?良かったら教えて下さい。サイモン&ガーファンクルのきよしこの夜が好きですがニュースキャスターがなんて言ってるかわかりません。
今原作読んでるけど、普段見慣れない熟語がたくさん出てきたから映画から見てよかったって思った
映画が原作に忠実なおかげで風景がしっかり頭の中で作れて読みやすい