But I still haven't found what I'm looking for. 自分は、答えを探すというよりも、新しく創造する、ものだよね。 昔、指導教官がその辺りの歴史を研究していたけど、、、庶民に苗字がなかった江戸時代、、、庶民は沢山の名前=号=アイデンティティを持っていた、、、と話していた。 太郎さんが、俳句、茶道、舞踊その他のコミュニティで、それぞれ異なる号を演じていて、それを束にしたものが、(私?)だったと。 これ、色んなSNSで、色んなアバターを使い分ける、いまの時代に通じているような気がする。 で、その、匿名性を持った、虚構的な趣味コミュニティで、共同創造的に、分野を深めていく? という文化が根づいたんじゃないかなあ? と思ったり。
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bit.ly/48Py7SF
情報量の違いだよね。思想に入ると「間違う、変更する」時間が必要になる。現代人には処理すべき情報が多すぎるため事象に対する反応が場当たり的になるのは当然だよね。
自分を持たないと使い捨てにされちゃうよね。
先崎さんの話す速度って、聞き逃さないようにしなきゃ、という計算されたような素晴らしい速度なんだよなぁ✨先崎さんと目が合ってお話ししてくれるように感じるんだよなぁ…声質がいいのかなぁ💘
堺屋太一の平成30年の流れを連想する。
明治→太平洋戦争までの流れの年数が、終戦~平成30年になり、1サイクルという考え。
その考えからすれば、今はパラダイムシフトの時。激動ってほんとその通りだと思います。
漱石が感じた「違和感」の話とても面白かったです。社会が変わりゆく中で、付和雷同せず違和感を持つことも必要だと思います。
面白い対談でした!
普段聞けないお話ありがとうございます!
百姓でいいべよ。
何者でもない、百の姓を持ち、百のことを生業とする生き方。
本来人間ってそういう生き物。
近代化で分業化が進み、何者かになることを余儀なくされた。
いいこと言ってるなぁ。赤の取り戻し方は昔の論理に精密でなくてはならない。
人間は生き物で、犬や猫と基本変わらない。自分が何者か考え始めると不幸に見舞われる。
偉そうに言うけどそれを不幸だと思わなくていいと思う
日本人はどこまでいっても日本人なのかもしれないという違和感がここ最近のグローバリズムを標榜した西洋化に対する反動として表れているのかもしれないですね。
西洋における自由とかの概念は帰属先としての神があってこそだった。日本人はそれがないから、結局他者や既存の価値との差異でしか自分への理解を受け取れず、自由や個性を自分の思った通りに生きる程度のスケールでしか考えられないってことなのだろう。
日本人なんてどこにも存在しないよ?
言葉を溢したり、心に沁みたり、そいういう言葉で情報をとらえてきて日本の文脈の中で私は流れる水のようにありたい。 6:46
私たちはもともと何者でもないのに、何者かになりたがるのは自我のサガみたいなもの。
先崎さんに同意。浪漫主義復活という反近代ブラックホールに物凄い重力で引き込まれていることが怖い。
先崎先生は率直でいい。この方と浜崎先生は本当に率直。
同感です。
自分のあすの答えもわからないのが人。
脳内ラップバトル(バトルでは無いのですけど)みたいな感じでリズムが心地よい。編集の方のリズム感合うわー。
お、無私の心的な、哲学的な話に入るのか?と思った直後に政治や社会の話に突入してて面白い
「アイデンティティー」の確立問題は「団塊の世代」からの強迫観念でしょう。
寧ろ私達の世代(1965年以降)は没個性に努めて厳しいスクールカーストを生き抜く事で精一杯でした。
なるほどそう思うんですね。
私も昭和と平成の狭間の生まれですが、「今」に進むにつれてどんどん没個性の方向へ、個性がある方が弾かれる世の中になってきたなと感じておりました。
ですがそう言うご意見を拝聴すると、もしかしたら人間は、もっと細かく言うと近世以降の日本人は、奔放さや差異をなるべく少なくする方が良しとする動物なのかもしれませんね。
@@うどんつゆ-j6t
日本人の意識文化ならではかも知れませんね。
「和を以て尊しと為す」
「和」と言うのは異質なモノを融合し統合する様を指します。
なので、異質な自己を為るべく周囲に溶け込ませる様な意識が働くのかもしれませんね。
@@kankomiroku 「和を以て貴しとなす」
換言すれば「和合せざる者は卑しきなり」
どうあがいてもこれが僕ら日本人の根本原理
「きみと僕は何者なのか」?
[学生闘争時代]の人間で、「野外学術調査」という名目で、貨幣も通用しない「原始社会」の皆さんと暮らした体験を持つ者です。それから、わたしは[資本の論理=金銭的利益の追求]の中では、できるかぎり生きない、という姿勢でやって参りました。いわばドロップアウトですね。それで十分満足しております。
その立ち位置からしますと、「きみと僕は何者でもない」と確信しております。【私】は「わたし」ではないし、【君】も「きみ」ではありません。「ほんとうの自分」さがし、などという営為は 全く無意味なものです。【いま ここ】にしか私は居りませんし、その【いま ここ】は瞬時に変化流転してゆくもので、次の瞬間にはなくなるものです。それ以外に何もありません。
仏教用語で言えば【諸行無常 諸法無我 生死一如】というところでしょうか 😊🙏・・・
五年後の自分さえ分からないのに、自分探しをしても無意味…。今嫌なら、声を上げて拒絶すればいいのだ。
20年近く日本に住んでいて、感じたのは、今の日本の方は心の余裕がない人が増えています、生き方とか心の持ち方を問いかける人が少なくなっています。
古典を詳細に慎重に読み解かねばならない。
創造的なオリジナリティの奪還は危険だ。
ということでしょうか。勉強になります。
お二人の話に涙が出そうなくらいグッときました。お互い多少の意見の違いがあっても静かに建設的に意見を交わしていたので、とても観ていて勉強になりました。ありがとうございます。
興味深いテーマのお話でした。
言い回しは難しいですが
先崎さんの話はいつも面白いです!
私たちはどこへも行けない。
今日のお話に通じる精神を2022TGC/Yoji Yamamotoのショーで、ラウールがその身体表現で見事に体現していたように思う。
普遍的・本質的な問いかけをジャンルを超えた思想家・デザイナー・アイドルが同時期に語る時代。
何か60年代末〜70年代初頭の音楽みたいで、感動しました。
日本におけるindividual=個人の輸入は明治期
でもそれ自体が悪いこととは思わないよ
自身やシステムへの疑念がなくなったら終わりさ
好きに生きて欲しいです❣🥰86歳男
そら、86にもなったらその域になるよなw
こういうおじいちゃん好き
お爺ちゃんでは無くて君は40代位かな?
若々しい人ですね😊
ありがとうございます🙌
高校の時に読んだ夏目漱石の『夢十夜』第六夜がいまだに強く印象に残っています。夢の中で運慶が仁王像を彫るのを見て、漱石も真似をして彫ってみるのですが、結局仁王が明治の木には宿っていなかったので彫ることはできませんでした。この話にはおそらく明治の時代に衰退していった伝統や文化の感覚を取り戻したいという気持ちとその退廃ぶりを嘆く気持ちを漱石が込めたのだと思います。
西洋化の速度が飛躍的に加速した戦後の日本で、テクノロジーの波にどう乗っていくかを「無思想性」の観点で語っているのは本当に興味深かったです。日本の良い文化をどう残していくのかも同時に考えていかねばなりませんね。
私が普段考えているようで何も考えられていないんだと気付かされる。
テクノロジーで今後変化していくという感覚はないすね 近代化で大きく変化して以降ずっと近代のまま今後も近代は続く
近代と折り合いがつかず100年以上漂流してる感じ そろそろ折り合いを見つけたい
な🎉やゆは
落合さんこそ、テクノロジーは神と言わんばかりのテクノロジー教の様に見えるけどなぁ。
テクノロジーには盲目的に従えば良い、というのも偏り過ぎではないのかな。
落合さんは教授もやっているわけで、理系研究なんて正に自分の理論を批判に晒されて修正していったりするわけで、盲信状態なら耐えられる仕事環境じゃないですよ。むしろ批判を素直に受け入れられる素養が絶対条件の一つといってもいい。つまりテクノロジーは実のところ謙虚の産物みたいなもんですよ
@@BackInNagano 東氏対談といい、この先﨑氏対談といい、落合さんは一貫して「テクノロジーの進展はなるようにしかならないですよねー(⇒その流れに乗るしかない)」というスタンスで、テクノロジー進展の仕方の修正には言及しないんですよね。
それに対して、東さんや先﨑さんは「修正すべきところはちゃんと修正しながらやろうよ」という態度な訳です。
この対比からすると、落合さんが「盲従主義」に見える部分があって、少なくとも、動画を見ている一般大衆からそのような受け止めをする人が多く出るでしょう。
@@stephen_ecrowder7507 >テクノロジーは実のところ謙虚の産物
それはあまりに人間を信用し過ぎの楽観主義に見えますね。
そもそも、学術界というものは同業者の集まりだから、なかなか修正なんて効かない訳です(私は研究職でそういう場面に良く遭遇します)。例えば、原子力ムラと揶揄されたのが良い例です。
この動画の様に他分野の人から修正が入った時に、それを包含して自ら修正できるか否かの方が試金石なのです。
@@BackInNagano 落合さん本人がどうのこうのという話はしていない。落合さんの思想や世界観で社会が成立つのか否かの話をしている。受け手側がデジタルネイチャーという単語を信じている時点で落合教の妄信者でしょう。
@@stephen_ecrowder7507 落合さん、理系研究者なんて名乗ってるけど、理系研究っぽいこと殆どしてないよ。デザインとかマネージメントとか討論とかほぼそっち系の人。実質的に文系。
たしかに
問われなければいいもんな
「自分とは何か」を定義するのは自由にできる。ただ「何者か」と社会に向けて発信する時には社会の側との合意が伴う。アイデンティティを確立するのは個の時代では不可避だと思う。「日本人である」とか「○○社の社員」とか集団にアイデンティティを求めていると、日本が弱くなったりその会社が倒産したりしたら簡単に失ってしまう。アメリカでは白人男性の自殺率が高くなっているが、それは彼らが「白人である」「男性である」「アメリカ人である」という不安定な集団にアイデンティティを依存していてそれらの地位が脅威にさらされていると感じるからだそうだよ。
@@BackInNagano アメリカの精神分析医が書いた統計と記事を原文で読みましたので、なぜそれをやっていないであろうあなたが「そうじゃないよ」と言ってくるのかはとても謎ですし、私の自己認識の解釈についてもなぜあなたが「その通り」と正解だと判定できる立場にあると誤解しているのかも不明ですが、まあいいです。さて、近年では共同体の維持も難しくなってきたために宗教回帰も理に適う方法ではなくなってきているようです。コーチングでは幼少期から大切にしている価値観や習慣や向いていたことのほか、両親から得た能力や文化なども掘り下げれば唯一無二の自分を定義つけられるという手法が流行していてこれは私も個人的には理にかなっていると思っています。
これを読ませていただいて思ったのですが、逆に安定した集団というのはどういったものがあるとお考えでしょうか?純粋に気になります。
自分が理解できていないだけかもしれないけど、落合さんの考えに一つ疑問があります。
日本人は他国人と比べて宗教のような核となる思想がないお陰で時代にうまく合わせられるのではないかという趣旨の発言についてです。
私は、日本人は宗教的に無色透明でも、時代に合わせて形を変えられる柔軟な国民性ではないと思います。
落合さんの論理自体はわかるものの、一方で実社会で観測される日本人は保守的です。その理由は動画内にあったように、教育の場で個人主義的教育(青)を受けても、社会に出て過去の価値観(赤)の中で過ごすことで自身も最後は赤になっていくからだと思われます。
そうだとすると、結局日本人は宗教的には無色透明でも、宗教のようには明示されていない暗黙の価値観が根強く残っていることになります。だから私は、日本人は時代に合わせて自分の形を変えられるほど柔軟な国民ではないと思います。(それが必ずしも悪いことだとは思っていないです)
日本は保守的ですが、世界で一番保守的というわけでもありません。島国で他の先進国から距離的に離れていることもあってどうしてもガラパゴス化してしまいますが、知能が高く好奇心旺盛ですのである程度は発展する国民性でもあると思います。
日本は両極に偏りがちな国際情勢を見てもちょうど良いポジションで、どちらからも嫌われない有利な立場が回ってきたと思います。それが株価の上昇にも現れている。先進国と呼ばれている国も日本の在り方に注目する、あるいはせざるを得ない局面が来るのではないでしょうか。何故ならあまりに急速に人類を前に進めてしまったから。(最終的にはグローバル化の逆行はあり得ないと思いますが。)自国の文化を守りつつ、周りともある程度混ざることのできる立場、そしてそのバランス感覚は日本人のアドバンテージですよ。
エラソーだけど、、、いっぺん、自分にまつわるすべて(に近いもの)を失う経験をしないと、、、答え(がないこと)には気づかんと思う。
座禅だって、空の悟り、色即是空の境地というのは、自分がスタンドアローンのパソコンじゃなくて、ネットワークに繋がったデバイスに過ぎない?! ことの自覚でしょ。
でも、これは頭のなかで考えるのと、実際に見るのとでは、まったく違う。いっぺん、頭の中の知識や、これまでの人生経験を、すべて処分したとき、それでも残る何かがあるのかどうかが分かる。
そこで、「空」とか「場」という概念に逃げることも可能だけど、、その「何も見えないかに思える空間? 背景?」にも目を凝らさないといけない。
だって、空気があるかもしれんし(。>д
絶望や虚無を行動ではなく思想で突破した経験があるとその幻想性に気づかされますね
融通無碍っていう言葉覚えた日の次の日の俺
北海道の某キャンプ場でその日あっただけの人に唐突に、
「なんのプロなんですか?」
と質問された思い出
いえ、なんのプロでも無いですがw
アイディンティ、「AI対人類」なら逡巡を手放したくない。もちろんAIの即答はこれからも利用するけど。
このような考察もあるし「現状」に捕らわれない考え方もあるから面白い
例えばコスモポリタン的思想がそれ
地球上の本来は存在しない人間が勝手に決めた区分けでいがみ合うのは何とも空しいとも言える
但し厳然としてある違いを観念だけで消し去っても本質的に意味はないのも確か
自分が「何者なのか」を証明する事は不可能でしょ。それを求めて「宗教」や「組織」に入って、皮肉な事に「自分」と言うもの問う事が意味を無くす。そう言う「空っぽで空虚」な人が時々、宗教の勧誘や、販売の営業で家にやって来るよ。
面白かったです。
どんどん話が発展していって、よくわかりませんでした。
よく言えば、ニュートラルって事なんですかね?
世界の中心が西欧的システムで回っているのは海外に住むと特に実感させられます。明らかに人種的文化的言語的な優劣感じます。歴史的に多くの国が西欧化をせまられてきたのでしょう。白人圏、英語圏ではない日本はここまでの成長に相当の努力と犠牲があったと思います。私も日本に住んでいたときはどこで何の仕事をしても競争ばかりで失敗すると批判され、すっかり疲れ切っていました。子供時代は勉強で戦い、社会人になったら仕事で戦うのです。こんな生活をしていたら昔の時代にも戻りたくなりますよね。日本古来の日本人らしさにはアイデンティティーがあってもっとよかったんだろうな~なんて思いますよね。驚きにも現在米国で生活して働いていますが、おんなじ仕事をしていても給料条件や労働条件がかなりよいし生活条件も恐ろしいほど贅沢だなあと感じています。でも米国で育った多くの人たちは戦後もっと贅沢だった時代を忘れられずに今の生活が厳しいと不平をもらすひとが多くいます。日本古来の文化はたくさん良い部分もありますが女性の権利が恐ろしく低いので、女性である私としては、たとえ米国で日本語なまりの英語を話すアジア人移民という立場でも、日本に住むより米国のほうが快適になってしまいました。子供をもった瞬間女性だからといってPTAの無料奉仕活動に強制参加しミシンをマスターしてバザーの品物を作って静かにしている必要もないし、旦那の家族との同居やお世話を強要されることもないし、年上の男性が威圧的な態度で怒鳴り散らしたすることもありません。米国は世界的には女性権利が高くはない国であるのに米国でさえ女性である私にとっては天国です。今では自分のアイデンティーティーというと、日本文化や世界のいろいろな文化から自分がいいなあと思った部分を学んでいくというフリースタイルかな。そんな自由を気に入っています。
肩書きは何者にはなれないのか
人ってもっとまっいいやって生きてなかったっけ、
国際化社会って漠然というと聞こえはいいけど実際は欧米化社会でしか無いわけで、欧米人風の名前で日本語訛りの英語を喋りハムレットをしたり顔で語る日本人を果たして欧米人は尊重するでしょうか?
英語話者には発音出来ないような日本風の名前でビジネス英語のみを喋りハムレット?知らんがな俺らには平家物語が有るっていう奴の方が存在感はあると思います。
話がズレますが
エリートが商売を成功させて
企業へ数千万円の利益をもたらす
ラーメン屋の主が自分なりの味を
お客に提供し数万円を稼ぎだす
数字からいうと社会貢献度は
大きく異なりますが
仕事を成し得た幸福度に
大した差異は無いように思う
計る物差しの違いだけで
見方が大きく変わってくる。
机上を嫌い求めるがあるので、どうなんだろうね。隣に座る機会が生まれてから人が考えることの現実ってありますよね。ヨーグルトって味噌と違うしとか。
相対論だけ、幸せにはならない
40年前に流行ったポスト・モダン議論を未だにやってる
赤と青…女性としては 男性達の「昔は良かった」への揺り戻しみたいに「も」見える ホモソーシャル復活のノロシみたいに…
インディビデュアル(カタカナ💧)の観点を得た女性としては「あーゆうのははもうごめんだぜ」 って思う 芸人M氏の醜聞は出るべくして出たかも? 知らんけど😅
話の9割9部理解できなかったけど、アイデンティティの話なら自分とは何かっていうこだわりがない人の方が世の中うまく渡っていける気がするかなぁ。できるならその場その場で無理しない程度にキャラも変えて。変化するものが生き残る的な。日本も日本らしさにこだわるんじゃなくて、海外とうまくやっていくために時にはこだわりを捨てるのが良いと思う。例えば高級な寿司屋さんもサーモンは伝統的な江戸前寿司にないから取り扱わないではなくて、時代の求めるものに従って取り入れていってほしいかなぁ
自分以外にも理解できてない人いて安心した、、
いうほど需要のある労働は変わらない🎉 この動画を見る暇な人は『勝ち組』(幸せとは限らない)
音楽はじめとするアートやカルチャーが日本国民にとってもっとアイデンティティの拠り所になれれば、歴史的なあれこれ関係なくいわゆる赤の方のメンタリティのより重要な部分を、創作を通して正しく受け継がせる機会も増えるのかなと思った
ずっと同じ環境にいて自分探しをしてる10代から成長してない感がありますね。喋っている内容も誰かが書いたものの引用だけでこの人なりの考えというものが何も感じられませんでした。
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる! 生存戦略,しましょうか.」(アニメ「輪るピングドラム」2011年)
自分なんて言うのは意識が脳を錯覚させてるだけなんじゃないのと思うんだけどねー。まあ悩みたい人が悩めばいいと思うけれど。
なんかむずかしくてよくわかんなかったや!
物理的な日本国からも日本人であることからも抜けなければまたしても退屈な堂々巡りで終わるしかない。自分自身以外の何ものにしがみつこうとも空っぽである貴方は変わることがないのであるから。
ちょっと感想なのかな?って感じ。若者もいろいろだから
もともと無であり有になるためにえんえん自分探しするのが存在
そしていずれ何かを悟り生まれる前に帰するのが人間
But I still haven't found what I'm looking for.
自分は、答えを探すというよりも、新しく創造する、ものだよね。
昔、指導教官がその辺りの歴史を研究していたけど、、、庶民に苗字がなかった江戸時代、、、庶民は沢山の名前=号=アイデンティティを持っていた、、、と話していた。
太郎さんが、俳句、茶道、舞踊その他のコミュニティで、それぞれ異なる号を演じていて、それを束にしたものが、(私?)だったと。
これ、色んなSNSで、色んなアバターを使い分ける、いまの時代に通じているような気がする。
で、その、匿名性を持った、虚構的な趣味コミュニティで、共同創造的に、分野を深めていく? という文化が根づいたんじゃないかなあ?
と思ったり。
この討論してるスタジオのセットにすごい違和感ある
結局・結論は。グローバリズムと、インター・ナショナリズムの間で、揺れているのかな⁉️。インターの、概念意味と価値は、間では無くて、繋ぐたよ😄👍👌。故郷・国家を、繋ぐかな。インター・ネット、高速道路のインター・チェンジってか😄👍✌️。
日本人って、外国文化に囚われすぎだよね→いや、そもそも外国の文化を取り入れたから今の日本があるよねって対談を長々しく話しているだけな感じ。
結論、両者ともに主題が「現代の日本人」という主語の大きい物を見て、語っている(気になっているだけの)気がしてならない。
解決論についての両者の話が動画内で明確でないため、価値観の押し付け合いでしかない気がします。
人類は遺伝子に埋め込みすぎず後天的な学習により外部環境にすばやく適用したように、文化的遺伝子として強烈な思想のない日本人は、文化的遺伝子に埋め込んでいない分、激烈な変化が起きそうな近未来において極めて有利に働く。面白い。
色即是空
先崎先生のアイデアは考えれば考えるだけアイデアがあふれる司馬遼太郎のアイデアに似ています。司馬遼太郎はアイデアの泉を使って歴史小説を制した男といえます。先崎先生からただならぬ可能性を感じます。そのアイデアの果てになにを夢想するのか、とても興味深いです。
ただ、気になったのは天才の片鱗といいますか、天才の鋳型といいますか、天才も生きているので天才の鋳型みたいものに合わせて自分を変幻自在しないことには天才になれない。この程度だなと評価されてしまい終わりというのはもったいないです。
日本人は例えば美人の感覚でさえも後天的な教育によって植え付けられています。
つまり、感性ですら教育なんですから、
日本で育てられた人は余程てなければ、なんでもない人間でしかないのです。
確固たる個人主義はヨーロッパ人でも持ってない。神様主義(他責)が今もまかり通っている🎉 足腰しっかりしてない
三島由紀夫とかも早く赤に戻そうとした人と言えるのかな
個を追求するあまり 個に執着し 個の区分を際立たせるために 全体から 浮き上がらせる(笑)…個人主義、幸福指標、豊かさの次元設定…を学び 取得し 実践する 過程の正しさは…もしかして 角度を間違えた旅実験だったかもしれない。
昔の日本は かなりイイ線の 個と全のあり方の妙を構築し得ていた…かな
自然の摂理に逆らって理屈を捏ね回す者がたまにいるよね⁉️
オーソリティーナニスルモノゾとした藤村操は正解かぁ。
答え=自分を探してはいけません。
人間が生きていく上で個性は必ずしも必須事項なのか?
思想が強すぎる♡
落合さんと無について語り合いたい
1970年台から社会に出て、職人としての10年ほどの修行をへて、その普遍性を証明しようとニューヨークの地に生活拠点をうつし、それまで自分が日本という土壌で培って来た技量がこちらにおいて一流と評価されるかという課題に対して挑戦を試みなした。自分のアイデンティティーといったものが、こちらで、つまり、インターナショナルに高く評価されるのかといったものえの挑戦でありました。日本で培って来たものを投げ捨ててしまい、こちらで、コピーキャットとして順応する、といった姿勢ではなく、日本をいつも背負っている、という意識を持ち続けようと努めましたね。日本での修行時代に行って来た、自分の仕事場には一足早くでかけて行き、掃除をして客を迎える、などということも、躊躇うことなく実行に移して行きました。自らのアイデンティティーというものを、少しの隙を見つけてはそこに付け入り、へーっと思わせる。此の様にして、自分の存在に注目があたる様に、と試みてゆきましたね。そのほとんどは、彼らが不得意、または嫌いな、または軽蔑すらしている様な事柄に、私に目指す好きが多く見つかったものです。1976年にきて、5年間くらいは暗中模索の中で、いかに自分の存在をこちらの業界でに止められるかと言う事の、挑戦で終始していました。ちょうどエイズが発症し始めた1982年以降、ゲイ達のスワッピングゲームにも関心を寄せず、ひたすら、自分の中から湧き上がってくる感情を思いっきり、また素直に発揮する場所を求めて、お金にならない、自分の作品集を充実させるための活動に専念していってました。自分のアイデンティーの切り札は、その作品集(ポトフォリオ)にのみ集約されていて、エージェントは、それを見て、我々をレップするかどうかを判断していました。ジュディー・レインと言うエージェントとの最初の面接で、私は打ちのめされてしまいました。”あなたは、どちらの方向をめざしているのですか?” 、、” それは一流と評価されたい”、、” あなたは、技術者として業界誌に名を売りたいのか、ファション誌のカバーの仕事をし、一流と呼ばれるモデルやファッション写真家と一緒に名を連ねたいのか、どちらですか?”、、彼女は私の作品集は、業界誌むけで、私の目指す方向と外れている”と端的に指摘したのです。私のがペシャンコにへしおられた瞬間でした。修正には、なお1年を要しました。と、異なるエージェントを紹介すると言う写真家が現れたのです。レス・アンダーヒルという英国系の写真家でした。それからは快調に進展していきました。こうしてアイデンティティーというものを身につけて行ったわけですが、私の子供達は医者となって行きましたが、そのアイデンティティーはいかに病院の求めるライセンスをフェローシップを通じて取得しているか、と言う問題であるのです、昨年秋、小児外科医として就職活動をした息子は、エクモ、およびサージカル・クリティカルケアー と言う2種類のライセンスを全米32人の求職した小児外科医に中でただ一人持ち合わせていた、と言うだけで、800ミリオン米ドルと言う大枚なファンドを得た病院から小児外科ディヴィジョンの拡充のため、破格の給料を提示して契約を結びました。その2つのエクストラの資格が彼のアイデンティティーを決定づける役割をしたわけせすね。自分を評価させる位置手段として、此のアイデンティティーは素晴らしい道具となり得ましょう。人間性とはまた少しちがいますが、、、。
アイデンティティーは必須だと思います。。。本来は人間は七歳の頃には自分のアイデンティティーの本質を掴んでいるはずなのに、子供の立派な大人になれるだろうかという向上心を利用して大人が子供の持って生まれた性質ではない画一化みんな同じという価値観を押し付ける過程でアイデンティティーの取得のチャンスを奪われているのだと思います。そうやって合致しない自分を生きる時間が大きな違和感となって、精神に障害を起こしている状態の引きこもりとかネグレクトとか神経症的性質の不安障害社会に寄り添う性質が社会問題となって表に大量に現れていることがその証明になると思います☺✨🍓🍀子供の教育現場は今後一切の政治の介入を許さないとするのが国益にも寄り添っていると思います🥰🍓🍀✨マッカーサーの介入によって子供の教育現場は守られているのだと思っていました。。。冷戦というのは蓋を開けてみれば共産党の性質とは真逆の右対右の戦いであったにもかかわらず教育現場から奪われたのは左の子供が本来持って生まれた成長に必須の感受性の性質です☺✨🍀🍓あってはいけないことなのだと思います🥰🍓🍀教育はお母さんに任せてほしい☺🍓🍀暴力を振るってしまうプロレスコミュニケーションのお父さんで固められた集団に任せるのは国の無責任なのだと思います🍀🥰🍓また同じことをひたすら繰り返す神経症的性質が大量生産と同様の性質の事象に必要となった場合には、神経症的性質が同じもの以外を排除する性質に寄り添い、神経症の性質だけに神経症的性質による教育を与えるのが良いと思います☺🥰🍓結局それ以外の性質はアイデンティティーを奪われる不幸な時間を過ごすだけの人生を奪われた障害を持つ者にされるだけで、人間の幸福である社会貢献を奪われ成熟することなく死を受け入れる国民が現在のように大量に生まれるだけなのだと思います🍀🥰🍓教育の無償化によって狙える効果として、性質の同じ者(児童生徒)が本人の意思によって分けられ、それぞれがその共通の性質を競い合う場を勝ち得るということなのだと思います🥰🍓🍀❤これによってアイデンティティーを守り得た安定した精神が、異なるものと社会を共有した場合にも争うことなく安定を保ち他を尊重する社会が出来上がるのだと思います🥰🍓🍀✨
自分とは何かを探って何もないから過去に遡って歴史にすがる。
古来の日本はね。日本に銃が来て消えたんだよ。
座禅ではなく刀持ったら取り戻すかもよ。
アカとアオを混ぜるトォ、ムラサキだし~。
アオとキイロを混ぜるトォ、ミドリだし~。
悩むよね、ホント。マッタクモッテ!イマドキのワケーモンナ!マッタクモッテ!アタマデッカチ!!とか、言ってみておくね。
アホチャンと黄色チャンが遊んでて、いつのまにか2人はみどりチャンになってしまって、楽しかったって話。アイデンティティなんか必要ないね。
@@kurosiomal
赤ちゃんと青チャンは遊ばなかったの?
@@山﨑やまさきことみことみ いや、赤チャンでも青チャンでもいいよ。しかし2人ペアでしか変身できないと言う意味。本来人間は1人だけど2人で生まれくるものだから。1人ではアイデンティティなんか永遠につかめない。赤チャンは青チャンで青チャンは赤チャンで表現されることによってお互いに紫といアイデンティティを獲得できると言う話。
@@kurosiomal
フザケて、コメントしたけど、やっぱりワカランワ~。
おっしゃる通り、基本的には有性生殖でしか繁殖しないし、ニンゲンもね。
ダカラッテ、ニコイチのアナタとアタシ、一緒なの!てか?キモチワリ~なぁ~。
テメ~はテメ~デシカネーの。阿呆か!テメ~の努力で得た学力はテメ~てしか使いこなせねーし。魔法使いにでもなったつもり?オツムお花畑ハナハダシ~~。
@@山﨑やまさきことみことみ 生殖なんて対象的分析の知見の話ではないよ。心の話だよ。天使の笑顔の赤ちゃんは、自分の顔も声も認知してる訳ではない、母親でもある自分の笑顔に応答してるだけ。ここに二人でも一人の原点がある。人は嫌々きを通過して1人でしかない自我を持ってしまう、そこから虚しいアイデンティティ探しが始まる。それをやめて青ちゃんや黄色ちゃんと遊べばいいという話だよ。
切り口が文系的スギィ!
欧米に流されても争っても負けそう。
落合って意外と低地民的と言うか、属国家的なところあるよね
无為而治。
融通無碍
8:34
真剣10代しゃべり場
多分、日本人だけではなく人間自体がだいたいが凡人で、凡人は日々食べて寝て、適齢期になると発情してそのことが最優先になり、という一生を終えるだけだと思う。その中で結婚したり、家族が出来ると、食べさせるために働かないといけないのは必然となる。いま日本で8050とか問題なのは、寝て食べれる環境あれば働く必要性がない。
凡人ではない人は14歳頃自我が確立されつつあるころに、自分自身が好きなことへ没入して、それを職業へと昇華していける人達が一部にいる。経営者もその一味。芸術家や作家など。この2人はそのような非凡な人達を餌にして言葉で表現している人達。
ひとつハッキリ言えるのは、こんな動画ばかり観てても何者にもなれないって事だね
話が抽象的すぎるなぁ〜。
近代とかアイデンティティとか、概念を表す単語を使っても、それは、大学の社会学の先生がするみたいな話しにしかならないし、インテリぶりを自己主張してるだけの、いやらしさを感じてしまう。😌
抽象的な話をする人って知識量が凄いと思っていますが、
発信側と受けて側が同じ知識量じゃないと成り立たないと思います。
別に頭がいい悪いという安易な言葉を使いたくないので、受け取る側のユーザの知識量に合わせて具体的に話さないと行けない気がしますね。
しかし、受け取り側のユーザの自分達が知識量を増やすというやり方もあります。
突き放すか合わせるかはあなた次第でもあり、運営側次第でもあります。
2人話させれば準備せんでもええやろといううぐらいテーマがない
母系でよくね?
もともと母系だぞ?1万年つづいたぞ?
本来はそうあるべきだと思いますね。ところが、神話の世界はどの国も多神教母系でした。男系が必要とする最大の理由は恐らく、戦争の時代だからだと思います。これは脳生理学的に見ても戦争は男性優位ですし、痛点の少なさからも狩りをしていたのは男性でした。気候変動により植物の生態系が破壊されれば大型哺乳類は赤道付近まで移動せざるを得ません、それを追いかける人も同様ですが狩り場の取り合い、つまり戦を始めたのは男性になるのが必然と思われます。日本は海に囲まれている事に加え農耕、海産物が主な食性ですので、争いが大陸ほど頻繁に起こらなかったのが、要因で母系多神教が残ってきたと推察できます。アミニズム文化の継承については、戒律や洗礼ではなく、海や山の恵みと畏れが同時に共存し、受け入れてきた経緯があります。昨今の中国を見ても彼らは自然災害に対する怖れはありますが、恵みについて無機質なところが見られます。これは儒教国に多く見られ、仁義礼知信と良い面がありましたが、この中に自然崇拝は含まれていないことに起因すると思います。道教までは名残は有りましたが、エジプトナイルと違い河川の氾濫=恵みと受け入れる事は無かったと思います。気候変動に弱い土地は頻繁に戦が起こりやすく短命王朝、若しくは滅亡しやすく、早期に男系社会となり、平和な時代は短期間、逆に気候が安定した平和な時代が長期であれば母系社会が安定した社会と言えます。神を戦争の道具にすることも無くです。
丸山眞男w
遅さが強さの日本🤣
自分が何者かって、何にもなれなかったそのものだろ。そんなやつばっかりなんじゃ。(動画見てません)