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京急700形現役の頃その時代は、えちぜん鉄道変わる前の京福電鉄越前本線モハ251形は、現役だった
700形なつかしく拝見しました。700形といえば朝の4連×3本の12両編成、通勤快特のことを思い出します。最混雑する列車に当てられることも多く、今となっては考えられないような、混雑のなかこれに乗っていました。そういうわけで通勤時は活躍するのですが、その時間を過ぎると、かげがうすかったような。確か当初は冷房もなく、窓も少なかったような、記憶があります。あのブレーキパッドの焦げたような匂いはなんだったのか。出だしは遅いが、スピードがのってくると加速がよくなる不思議な電車でしたね。そして、途中からはやはりというか大師線の専業になっていました。ともあれ、琴電で末永く活躍することを祈りましょう。
琴電色も案外似合っていますね。
側窓が片側4箇所しか開かないのに非冷房。別名「赤い棺桶」。昭和50年代の事。
シートが浅く高いのも特徴ですね。
阪急2300系非表示幕車より先に消えたしまったが幸に琴電に移りましたね
そうですね。
分散式クーラーが特徴的ですねえ♪
容量の大きいタイプですね。
ご苦労様です。タイムトラベルが嬉しいです。ペールギュントがより一層・・・
ありがとうございます。
京浜(京急)川崎の大師線ホームが登場したのがうれしいですね。さらに八ツ山の230系も登場なんて。大師線とともに育った私には、感激ものです。
空港線でも活躍しましたね。230系の後継でおせわになりました。
今の空港線の躍進を、3両編成が走っていた当時誰も想像できませんでしたね。
700形は、京急でもかなり異色の車両でした。その特徴である、4扉片開きが琴電の朝夕ラッシュ時に重宝していて、長く愛用されているのでしょう。京急(旧)1000形も、琴電でもパーツ取りに少しは廃車解体されたと聞いています。
1080形の廃車は台風による高潮被害が発端のようですね。
4ドア後継車の800形3連で雑誌等でも取り上げられ華々しく登場したとき、えっなんで3連?と驚きました。そして700系は何故4連のまま増備してたのか?と思いました。 一時的に本来の3連になった編成の700系は、設計通り当時の1000形の以上の?加速性高速性は、凄い走りっぷりだったなと印象に残っています。ただ当時、発進のノッチONでドンという音とショックは、むかし何かの記事で見た新京阪電車P6の発進時の大きなショックは、高出力モーターだから同じ現象なのかな?(時代があまりにも違いますが)と、1人ニヤニヤしてました。
ラッシュ時の普通を3+3編成でという構想が京急は駅の立地が狭隘なため4両の壁が厚かったんですね。
@@tsu1112k さん、結局はホームの延伸が遅かったって事ですかね? 京急は駅数も多いし、ホーム両端が踏切タイプではなかなか難しいと思いますが、車番が追いつくまでにはホーム延長が出来ていれば、700系の本来の性能が見られたんですね。
でも?800系は譲渡にはならなかったですね。多分使える部品とかは1500系に然り。導入されなかったので。だいぶの年数は経った車両なので。どの用に置き換えをしていくか?でしょうね。
800形は3両単位なので、キャパオーバーだったのでしょうね?
京急700形現役の頃
その時代は、えちぜん鉄道変わる前の京福電鉄越前本線モハ251形は、現役だった
700形なつかしく拝見しました。
700形といえば朝の4連×3本の12両編成、通勤快特のことを思い出します。
最混雑する列車に当てられることも多く、今となっては考えられないような、混雑のなかこれに乗っていました。
そういうわけで通勤時は活躍するのですが、その時間を過ぎると、かげがうすかったような。
確か当初は冷房もなく、窓も少なかったような、記憶があります。
あのブレーキパッドの焦げたような匂いはなんだったのか。
出だしは遅いが、スピードがのってくると加速がよくなる不思議な電車でしたね。
そして、途中からはやはりというか大師線の専業になっていました。
ともあれ、琴電で末永く活躍することを祈りましょう。
琴電色も案外似合っていますね。
側窓が片側4箇所しか開かないのに非冷房。別名「赤い棺桶」。昭和50年代の事。
シートが浅く高いのも特徴ですね。
阪急2300系非表示幕車より先に消えたしまったが幸に琴電に移りましたね
そうですね。
分散式クーラーが特徴的ですねえ♪
容量の大きいタイプですね。
ご苦労様です。タイムトラベルが嬉しいです。
ペールギュントがより一層・・・
ありがとうございます。
京浜(京急)川崎の大師線ホームが登場したのがうれしいですね。
さらに八ツ山の230系も登場なんて。大師線とともに育った私には、
感激ものです。
ありがとうございます。
空港線でも活躍しましたね。230系の後継でおせわになりました。
今の空港線の躍進を、3両編成が走っていた当時誰も想像できませんでしたね。
700形は、京急でもかなり異色の車両でした。
その特徴である、4扉片開きが琴電の朝夕ラッシュ時に重宝していて、長く愛用されているのでしょう。
京急(旧)1000形も、琴電でもパーツ取りに少しは廃車解体されたと聞いています。
1080形の廃車は台風による高潮被害が発端のようですね。
4ドア後継車の800形3連で雑誌等でも取り上げられ華々しく登場したとき、えっなんで3連?と驚きました。そして700系は何故4連のまま増備してたのか?と思いました。
一時的に本来の3連になった編成の700系は、設計通り当時の1000形の以上の?加速性高速性は、凄い走りっぷりだったなと印象に残っています。ただ当時、発進のノッチONでドンという音とショックは、むかし何かの記事で見た新京阪電車P6の発進時の大きなショックは、高出力モーターだから同じ現象なのかな?(時代があまりにも違いますが)と、1人ニヤニヤしてました。
ラッシュ時の普通を3+3編成でという構想が
京急は駅の立地が狭隘なため4両の壁が厚かったんですね。
@@tsu1112k さん、結局はホームの延伸が遅かったって事ですかね?
京急は駅数も多いし、ホーム両端が踏切タイプではなかなか難しいと思いますが、車番が追いつくまでにはホーム延長が出来ていれば、700系の本来の性能が見られたんですね。
でも?800系は譲渡にはならなかったですね。多分使える部品とかは1500系に然り。導入されなかったので。だいぶの年数は経った車両なので。どの用に置き換えをしていくか?でしょうね。
800形は3両単位なので、キャパオーバーだったのでしょうね?