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めちゃくちゃ展示良かった。高校の時から彼の絵にハマって20年近くたちやっとこんなに大規模な展示を開いてくれてありがとう。本当に良かった
美術の教科書で見た「通りの神秘と憂鬱」の印象が頭を離れず、以来気になる作家になりました。子供の頃にいろいろな素晴らしいものに触れるきっかけは大切ですね。
山田五郎さんの組織力、経歴、なにより学芸員としての博学がなければ著作権が残ってる絵画を(おそらく複雑な契約事項を乗り越えて、)期間限定とはいえ解説を配信できなかったと思うと、彼こそ唯一無二のyoutuber
ある昼下がりに公園でボーッとしてたとき、幼少期から見慣れている景色のはずなのに、日差しとか緑がすごく眩しく新しい物に感じられて、この日差しも揺れる緑もそれを見ている自分自身も、過去にも未来にもない今しかない、全てが刹那的に感じられたことがあります。この絵の夕暮れの日差しにも、その時のような刹那が感じられるような気がします
「それが、戦後教育の悪いところ」・・・面白いです。五郎さんが、生き生きと、楽しそうに語ってくれるのが、うれしい。
私もその感覚によくなります!景色が動いてるのに止まってるような、人がいるのに自分しかいないような感覚です。ゲシュタルト崩壊にすごく近いと感じてたので、同じ感覚の人がいて嬉しい。
てんかん発作の症状として、dejavu(デジャヴュ:既視感):「前にもどこかで一度これと同じものを見たような気がする」がありますが、jamais vu(ジャメヴュ:未視感):「何度も経験したことのある事柄を、まるで見慣れないもののように感じてしまう」があります。他にも離人感や周囲から孤立する感覚てのもあります。デ・キリコがのそれがてんかんかどうかは置いておいて、脳の機能として潜在的にそういうものがあるのは面白いことで、芸術に昇華するのですね。
逆にこの感覚って持っていいんだと安心できましたね
子供の頃、ずーっと景色を眺めていると、見ているもの以外がぼやけ、意識や視覚の遠近感、時間感覚が狂い、一人取り残されたような気分になったことをこの動画で思い出しました😂 そして、子供の時岩手県立美術館のデ・キリコ展で見た絵に惹かれたのは、この感覚が共鳴した部分があったからなのかも知れない、と新たな発見でした!この動画を見なかったら一生思い出さなかった感覚かも知れません…!🥲🙏
私も小学生の頃に同じ経験があります。
五郎さんがおっしゃってることがめちゃくちゃよくわかって、自分の中でその現象を「ゲシュタルト崩壊」と勝手に定義していましたが、五郎さんの口から ゲシュタルト崩壊 という言葉が出てきて「それーーーー!!」と鳥肌立ちました!!🤩✨
無意味=あらゆる解釈が可能という言葉が刺さりました作品を見るのがより楽しくなりそうです!
50代半ば過ぎです。40年以上前の子供の頃、キリコの「通りの神秘と憂鬱」に何故か吸い込まれるような感覚を覚え、以来好きなアーティストです。そしてある時私の大好きなルパン3世の(確か映画版)に数秒その作品が出現し、 やたら感激した瞬間も覚えています。非常に大人びたませた子供でした。動画の中でおっしゃられていた「不思議な感覚」は子供時代の方が持っていたと思います。だからこそデ・キリコに惹かれたんだと今納得です。そして「答えは無い」というか自分で生み出すという概念は大人になって企業研修事にインストラクターとして発信してきました。色々デ・キリコに惹かれる理由が見えてきたそんな動画でした。配信ありがとうございます。海外在住者につき展覧会に行けず本当に残念です(涙)
見慣れている景色のはずなのに、ふとこんな景色だったっけ?と思うことがたまにあります。普段背景の一部としてしっかり見ていなかったものを、じっと見てみたときに起こる気がします。なんだか別次元に来た感覚になります!
デ・キリコ展、神戸で見に行きます。今日、京都ロームシアターの山田五郎さんと村上隆さんの対談講演会に行かせて頂きました。情熱のある熱いお話で目が覚める思いがしました。ありがとうございました!
仕事に疲れた日、毎日使ってる駅のホームに立って電車を待ってると、ホーム越しに見えるビルや看板全てが初めて見るもののようになることがあります。
😂🎉😂😂🎉🎉
めっちゃ分かります!田舎の駅とかでも感じる
@Tmtyk_travelingaloneそれは本当に初めて見るんじゃなくて…?笑
未視感 "jamais vu”
20代の頃に経験あります!
20:33 たまにテレビで芸能人を見てて「この人こんな人やったっけ」みたいな統合された概念が分解されてまったく新しい人に見えることがあるけど似たようなもんかなぁ。無意味だからこそ解釈は無限っていうのは心に刺さったなぁ。
無意味とはどんな解釈も自由ってめちゃくちゃポジティブだと思いました。デ・キリコとニーチェのイメージが変わりました。
この回の五郎さんも、色合いがとても綺麗で好み💖
買い物の帰りなんかに近所の公園で考え事してると、ハッと気づいた瞬間「あれ、ドコに居るんだっけ?」って感覚になる時がありますね。しばらく周りの風景が知らない場所のように思えて、でも少しすると「あー、あの公園に居たんだ」って気づいて元の感覚に戻ります。また、外国を一人で旅行してるような、そんな寂しさも感じたりします。
子供の頃、キリコの「通りの神秘と憂鬱」を絵画集で見て吸い込まれました。何か気分が良くなりました。
キリコ大好きなんです!!ムッチャクチャ楽しみにしていた企画ですのでですからこちらの配信も本当に嬉しい!!絶対にあるのではないかと信じていました!
神戸で見てきました。五郎さんの解説で予習して行ったおかげで、より楽しめました。照明が少し暗めで良かったです。
ずっとやってほしかったアーティストを特集してくれて本当に嬉しいです。ありがとうございます。
🎉😂😂😂😂❤🎉🎉🎉
すごくわかりやすいです。世界に付された記号が崩壊するとき浮かび上がる世界があるんですね。言葉より先に、意味づけするより先に垣間見える何か。。
いつも思います。ウリタニさんって、山田さんのお話を聞く相手としてめちゃくちゃ優秀。
中学の教科書で見てずっと記憶に残っているのが「通りの神秘と憂愁」です。恐怖の記憶として刺さっていると思う。回顧展絶対行きたい。
世界一好きなジョルジュ・デ・キリコ!!幼少期に見た昼間の遊戯に衝撃を受けてずーーっと好きです。解説ありがとうございます
わーーー❣️ 続きがあるのですね💓楽しみです♪♪♪
本日、行ってきました。年代によってアプローチやアレンジが変わっていたのが印象的で、個人的にはよく知られているマネキンなどの形而上的なアプローチより、ルノワールを真似た画風と銅像の作品が印象的でした。こちらの動画で予習させていただき、心ゆくまで展示を楽しめました。ありがとうございます。
「答えちゃったら終わり」「意味が分からないからこそどんな解釈も可能」ってお話を聞いて、言葉にすると答えが逃げていく感じがちょっと禅問答みたいだなと思いました。
答えても大して変わらないこともありますけどね。
@@itsumo-gomen変わりがないというよりは 大差がないという意味です。
街角を輪回しをしながら駆け抜けていく少女の影を描いた作品が一番好きだ。
「無意味=無限の可能性」これ、印象的でした。
『小さい秋みつけた』的な、夢中で遊んでいた子供が、ふと、何気ない街並みや、そこにあるものが別の物のように感じる状態なのかな‥と思いましたデキリコの絵の中には、生命の存在があるような、ないような、恐怖も感じられるときがあります
@@alicestp6762 デ・キリコの絵に恐怖を感じることは、私は経験として全くないですね。
キリコ、不思議な感じの絵が大好きでした。是非、観に行きます
山田さんの仰るその感覚、分かるような気がします。わたしが海外旅行に行く理由はそれに近い感覚を味わうためです。今眺めている主観を第三者として俯瞰しつつも、五感が敏感になる。理屈としては矛盾していると言えなくもないですが、そんな感覚です。同じものでしょうか?自分がそんな風に東南アジアの裏路地にいた時、小汚く痩せていて、目が綺麗な野良犬が歩いてきました。何の気なしにその犬と目を合わせた瞬間、突然その犬が抱いていた哀しみのような感情の津波が自分の心の中に流れ込んでくるのを感じました。もしわたしが芸術家ならば、啓示として受け取ってもおかしくない程の忘れられない強い体験でした。その日から、私は犬にも人間と同じか、それ以上の感受性が備わっている事を確信しています。
五郎さんの解説は 絵の背景を多方面から解説してくださるから 展覧会では わかりやすく 意味深いものになるでしょうね。行きたいなぁ。
期間限定なんですね…!デ·キリコ展、行きたい♪確かに見慣れている景色が、突然違ったものに見える感覚、時々あります。階段を下りている時など、影の傾斜で不思議な感覚になることがあります。
ちょうど今日デ・キリコ展行ってきました!私も同じ感覚にとらわれることがあります。今の自分が別次元の誰かであるような、さっきまで見ていた映画の世界に自分が入り込んでしまっているような、外の窓から自分の人生を第三者として見ているような、そんな変な感覚…。離人症なのかなと思ってて、私はおかしくなってしまったんだと思っていたので、今日作品を見て共感してしまいました。この独特な感覚もひとつの感性だと思うことにします!
フライヤーを見て、是非行きたいと思っていた展示です!行く前に予習ができてありがたいです。
五郎さんの今日のいでたち、色合いが素敵
ゲシュタルト崩壊… しょっちゅうはないですが、「これ、見えてるの、いま自分しかいないんじゃないか」と感じた記憶はぼんやりあります。どこか世の中と切り離されてるような感じ。
この展覧会本当に楽しみだから取り上げてくれて嬉しいです😭
よくわかる感覚です〜 学生の頃にキリコの絵で、自分の持つその感覚を肯定された様で嬉しかった思い出があります。日本にもその感覚を詩にした作家がいますね。萩原朔太郎の「猫町」という詩がその感覚を描いています〜。キリコの絵には、人間の本能的な恐怖が封じ込められている気がします。感性の画家って思ってます。
まだ10代ですが毎日ゲシュタルト崩壊しています、軽度の解離の可能性も無きにしも非ず😂ぼーっとしていると意識が目の奥に行くというか、そうすると世界から切り離された気分を味わえます。勘違いされそうなのですが、決してスピリチュアルな話をしているのではなくてあくまで私個人の主観的な感覚です。そういうときに芸術的なインスピレーションをもらえる感覚もかなり共感できて面白かったです。ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」しか読んだことがありませんが、たしかに今回紹介された作品の秋の寂寞とした感覚がニーチェの言っていることと似ているような?もう一回読み直そうと思います、長いけど...😬これは自論でしかないのですが、人生を無意味に感じるためには先ずぼーっとして世界から隔離された感覚になる必要があるのではないのでしょうか。寂寞はその第一歩というか。あの秋の作品はそういった「生に肯定的なニヒリズム」に至るための初期段階に私を引き戻す、あるいはニヒリズムに人々を引き摺り込む力があると思います。初期段階のあの感覚は好きでないです、鬱っぽくなる🥱
その感覚、めちゃめちゃわかります!孤独も感じる時もありますし、自分は誰で今何してるんだ?どこにいる?自分は何なんだ!?みたいな感覚が急に来る時あります。でも、誰かにこの事を言ってもあまり共感を得られなかったんですが、五郎さんがこの事を話してる時は、首がもげるんじゃないかってくらい頷きながら、あるある!って言って聴いてました!
私が好きなのは「ヘクトルとアンドロマケ」ですね。シュールレアリズム展でポストカードを買いました。
19:17 イタリアの地方の中世みたいな都市アスコリ・ピッチェーノの真っ白な石の街路の白昼は、まさにキリコ的でした。ボローニャのアーチのファッサードが連なる街並みもキリコ風ですね。ちなみに形而上という言葉は易経の繋辞伝からです。今回1910年代の作品もあるようで、ますますいきたくなりました。
デ・キリコの絵は中学校か高校の美術の教科書で見たのが初めてで、強烈な印象が残っています。あの独特の荒廃感はなんなんだろうかとずっとモヤモヤしていたのですがその感覚を言語化してくれて、ああこの感覚はそれだったのかという思いと、自分以外にもそういう感覚を持ってる人がいたんだという思いを抱きました。東京都美術館で展示するというのはまさにこの動画で知ったので早速チケット購入しました。今から楽しみです。
太郎さんの言ってることめっちゃわかります。一点をみてるときづいたら無の世界に一人になってて。凄い孤独を感じます。確かにあれはゲシュタルト崩壊。
五郎さんですね
10年以上前のある日、自宅のダイニングで珈琲を飲もうとした時のことです。突然、見えている世界が静けさに包まれました。いつものカップ、いつものコーヒー。眼前にあるのは見慣れたものなのに、カップはカップの意味がなく、珈琲は珈琲の意味がなくなって、ただそれそのものがある、という感覚でした。物に張り付いている言葉が消えたみたいな感じでした。言葉が一切合切消え去って、物そのものだけの世界というのでしょうか。言葉のない世界の体験を言葉で説明するのは無理がありますが、強いて言えば「意味が張り付く以前の物」に触れている、みたいな感覚です。その後もしばらくは何度か同じ体験をしましたが、最近はすっかり忘れていました。この動画で思い出したのでコメントいたします。私が包まれた静けさは、物音がしないというよりは、音が消えた感じ。言葉が存在しない感じです。無意味というのは、意義がないのではなく、意味以前の「物そのものがある」感じです。例えば、目の前のカップは、カップと名付けられたいつものそれではなく、「ただそれがある」感じでカップと呼ぶよりずっと奥深い何か、みたいな。書けば書くほどうまく表現できないもどかしさが募ります。長文、失礼いたしました。
そのように見よう、認識しようとしても難しいものですが‥意図せずしてそのプラグマティックな境地に達すると混乱しそうですね
@@fools-ascension 確かに、意図的にそうしようと試みても難しいものですね。プラグマティックな境地かどうかはわかりませんがw、「なんだ、これは???」という混乱は少しはありました。私の場合、その体験は短時間だし、しばしばというわけでもないので、忘れていたのですが「ある秋の午後の謎」の山田さんの解説、ニーチェの話等々がめちゃくちゃリアルに迫ってきて、とてもおもしろく、いろいろと納得し、スッキリしました。デ・キリコの「ある秋の午後の謎」が大好きな絵だったので、なおさらでした。
フランスの作家サルトルの小説「嘔吐」の主人公が、マロニエの木を眺めている時、上辺だけの見た目が剥ぎ取られて存在そのものを実感する瞬間が描写されているのですが、なんかその状態ににているような気がしますね。もっともその主人公は吐き気も同時に感じているのですが…。
@@TheHidesan サルトルの「嘔吐」、全く知らなかったのですが少し調べてみると・・・サルトルによる当初のタイトルは「メランコリア」だったようですね。(そこになんだかつながりが見えそうな気も・・・。)「マロニエ・・・」の箇所に興味を惹かれましたので、読んでみようかと思います。
教科書で見てとても印象に残っていた画家だったので解説嬉しいです!!
この絵に答えはない!という五郎さんに、答えはなくても思わせぶりだ!といったウリタニさんの一言に、その通りだなと思いました😂
あとゲシュタルト崩壊のくだりは、まさにシュルレアリスム。。。とか思ってしまいました。
好きな画家の回はすぐ観ちゃう!「ある秋の午後の謎」の話を聞いて(ああ、私がデ・キリコが好きな理由はこのことかな・・)と思いました。デ・キリコ展行こうと思います。
観に行きました!観る前に吾郎さんの解説を聴いてから行きましたが、観た後にまた聴くと理解が深まります。。ありがとうございます。
ゴローさん、解説ありがとうございます❗ いつかやっていただけると思っていました、ジョルジョ・デ・キリコ解説。長年好きな画家なのにどう好きなのかを人に説明するのが難しかったんです。それを「突如世界の秩序から切り離された感覚、突如音が消えてさびしさ切なさが…」という感覚で説明されたのが、とてもしっくりきました。どんな解説書よりも府に落ちた感じです。もやもやしていたモノを言語化できてすっきりしました。展示を見に行くのがますます楽しみです。
自分の経験で言うと、これまで最もゲシュタルト崩壊を引き起こしやすかったのが "を” ですwほんとにもー、この字見てるとすぐ「・・・なんじゃこりゃ?」ってなります。
やはり我らが巨匠アンリ·ルソーは後続の画家に与えた影響は巨匠にふさわしいですね🎉
確かに、この手の体験に哀愁のような感情がくっついて来るのが興味深いですね。
感覚のお話とても興味深く、ハッとさせられました。デ・キリコのやシュールレアリズムの作品に惹かれる理由みたいなものが言語化され、霧が晴れた気持ちです。不思議さだけでなく、寂しさや懐かしさを感じられていた事に嬉しく思いました。この感覚のお話は、ピンクフロイドのジャケットや、インターネットミーム「liminal space」や「vapor wave」にも通じていくのだなと、歴史の流れを感じられました。是非、展示伺おうと思います!
世界に1人だけになるような感覚すごく分かりますwwよくあるw仕事で市内のビジネスホテルで止まって朝早く街に出てバス待ちとかでボーッとしてると時とか地元の神社に参拝に行った時に神木見てボーッとした時とか人の居ない電車でボーッとしてる時とかw
怖いからその感覚を増大しない方法を子供の時見つけましたなぁ。この感覚が始まるタイミングがだんだんわかる様になって①走る(スピードを出す)②頭の中で人を探す(近しい人との思い出を繰り返す)、で打ち消けせます。ワタシは笑。ビューティフル・ドリーマですよねー
ちょうどよいタイミング。チケットを前売りで買って、明日行きます。ありがとうございました!
ベックリン風キリコ、😮マグリットの感じに近いですね。マグリット好きなので、若いキリコ、ベックリン、その前の人と、三枚並べた画面はとても良い感じでした。その後の色も影も濃いダリ的キリコも良いですが。輪回しの影子が好きですが。謎を解かない楽しみは、自分の混沌を許して好きなように遊ばせてくれる安心感があります。
意味が無いってことはどんな解釈も可能性も受け入れてくれるってことそれって昨今の『生産性』という言葉や『役に立たないものは存在してはいけない』みたいな価値観からの解放であり、救いなんじゃないかと思います
機械論的な効率性で人や営みを計る風潮が強くなる程、その囚われから自由にしてくれる異物性は重要なのかもしれませんね
わかります。学生の頃 深夜のコンビニで一人バイトしてた時すごく明るい店内と 整然と並べられた食品 ジーーーとなる電灯の音あの時 ああもう世界は終わって私はこの無機質な真夜中のコンビニエンスでひとりなんだなって無性に切なくなったのを思い出しました・・・・
今日上野まで見に行きましたがこの動画を見てから行けばより楽しめたかなと少し後悔笑山田五郎さん、久しぶりに拝見しましたが、20年前と全くお変わりなく驚きました😊
デ・キリコ 気になっていて、見に行こうと思ってたところ、取り上げていたので拝見しました学生時代にニーチェを齧りっていたので、影響を受けている話が面白かったです次回の動画も楽しみにしていますゲシュタルト崩壊、する時あります
神戸にデ・キリコ観に行きます!今回の動画で期待値ますます膨らみました。次回の動画まで楽しみです。展覧会の予習の為に時間が有る時は見るようにします。でも今月は京セラでキュビズム展を観るのでその解説の動画を中心に見つつ今回の解説も見ようと思います。解説の回も観る楽しみ方を学べて有意義な時間を過ごす勉強にもなって有難いです✨
五郎さんがおっしゃる感覚は非常によくわかりますし、キリコの画そのものであるので大好きな画家です。子供のころによく体験した白昼夢そのものの世界、この世にただ独りになったような不思議な感覚。不安や怖さもありながらも、そんな感じが今でも嫌いではないです。
夜中、ぼーっと風呂に入っている時、ふと自分の手を見て、妙な形だな〜何だこりゃと訳分からん感じになる事があります。腕や足もしみじみ眺めて何じゃコレ感にしばらく浸ってから、これが人間・自分の形と散らかった感覚を丸めてからあがって寝ます。奇妙ですがふと浮き上がってはまた戻る感が面白いです。
キリコ取り上げて頂けるの待ってました!著作権の関係もあり日本ではさほど一般的な人気や知名度のある作家とも言えないので無理だろうな、、、と諦めておりました💦案件バンザイ🙌2000年頃に京都の「えき」美術館へ回顧展を観に行きました。今回の回顧展も楽しみです。、、、むせる
デ・キリコ特集ありがとうございます。私も言われるような感覚になることがあります。デ・キリコの作品では「通りの神秘と憂愁」が好きなのですが、あの不思議な感じ、五郎さんの解説でなるほどと思いました。
見応えがある巻でした。キリコの奥深くまで、覗き見えるようで、展覧会が楽しみになりました。😊
デ キリコ、実はちょっと苦手と思ってたんですが、五郎さんの説明を聞いて、いきなりすっと入ってきました。深いですね。ぜひ見に行きたくなりました。ありがとうございました!
東京でキリコ展に行くので あまり知らなかったキリコについて予習が出来て良かったです。
いつも大変面白く拝見しています。さて、デ・キリコの形而上的体験に近い体験、私にもあります。ハワイ旅行中、ノースショアの海岸でキラキラ光る水面をキレイだなーと眺めていたら、いつの間にか、ここはどこで、いつで、私が何をしているのかが分からなくなり、私とキラキラ光る水面以外「無」の状態に。で、次の瞬間ハッと我に返って、今のはなんだったんだろうと。覚醒しながら意識を失ったような不思議な体験でした。また、そこまでではないものの、国立西洋美術館の1階の中庭を見ていると、その無機質で静謐な世界に入り込んで、周囲の環境や喧騒が消えてしまうような感覚になります。
デキリコ展、前売り買ってあります。楽しみです。
予定もなくひたすら散歩しているときにその感覚におそわれます!特に夏。寂しいような不安なような胸がざわざわしてくる感じです。キリコの絵を見ていても同じ感覚に襲われて好きだなあ...と前々から思っていたのですが、今回の解説で!となりました。もしやキリコも同じ感情だったのかなあ
自分の休みと美術館の休みがかぶっててつらい😂
心の渇望は有給とってでも行きたいですね♪♪
盛りだくさんのお話し面白かったです次回を視聴してから東京都美術館に行きますデ·キリコは「通りの神秘と憂愁」が好きです 次回も期待してます。
地理的背景は異なるものの禅に通ずる世界観が感じられる。これは奇妙な感覚でした。
キリコといえば影。少女と車輪の影、彫像の影、聳え立つ塔の影、黄昏の神秘感に魅入られた画家なのかなって思います。マネキンも人の影ともいえるし、アリアドネは迷宮の引きこもり陰影でもって世界の謎を際立たせる形而上絵画ですね。
形而上学的な思索は抽象概念を認識する上で極めて重要なプロセスですね。
平成生まれですが、答えがないことにむしろ自由を感じて救われます!😂
子供の頃から、よくある感覚です。ふっと、私はこんなところで何やってるんだろう? 何でこんなところ(人間界?)にまた来ちゃったんだろう? この世界、この人たちはなんなんだろう? って言葉がいつも浮かびます。この世界でひとりぼっちな孤独な感覚と、この世界に拘束されていない自由な感覚の両方があります。
五郎さんの話は時代や諸々背景の話が面白いですね。若いころみてたタモリ倶楽部のおしり評論家のイメージは何処へやら。別人。
飛行機に乗って見に行きます。先に図録を取り寄せてじっくり予習する予定です。
気温が下がり、木々の緑が減り、これから冬になっていくしんみりした雰囲気、いいですよね。
デ・キリコ、ついにきましたねどうしてもこちらで解説していただきたくリクエストしておりました。一度見たら、なんだか分からなくても影響を受けずには済まない…神戸楽しみです!
子どもの頃から気になってた画家なので展覧会は行く予定でしたがその前に今回お話しが伺えて本当に良かったですキリコは私には独りぼっちであてもなく知らない町をたずねる印象ですね
次回も楽しみすぎる!デ・キリコ展行きたい、でも東京は遠い!神戸も、まあまあ遠い!(先日の生配信でも話題のナゴヤ飛ばし、、、)でも、今回逃したら生きてるうちには見られないかも知らん。旅行がてら観に行くかな。遠い言ったって、海外に観に行くのに比べたらお手軽ですもんね。
大好きな画家です。学生の頃、影響受けまくりで似たような絵を描いてました。十年前、浜松市立美術館でキリコ展ありましたよ。観に行きました。
風景や構造物をぼーっと眺めている時、自分の存在が消えていく感覚たまにありますよね世界と切り離されるというよりも、全ての物が意味を失って己と世界の境界線が曖昧になるというか同じような感覚を持ってる人が多くて安心します
ゲシュタルト崩壊みたいな感覚、めちゃくちゃわかるなぁ特にお風呂に入ってるときによくその感覚に陥る自分を俯瞰的に見ている自分もいて、ゲームの中の登場人物を見ている(TPSみたいな)みたいな、自分という人間をコントロールしている他の人間がいるのでは……みたいな一人きりになったような寂しさを感じるというのもめちゃくちゃわかる……!
今日早速行こうと思ってました会場ではなかなか全てのパネル説明を読めないので参考になりました
答えがなくても良いてなんか人生にも通じるなぁ〜ありがとうデ・キリコ先生
いつも楽しく拝見させていただいてます、今回すごく面白い話でした。もうここ数十年はありませんが私も五郎さんのいう経験、何度もしたことがあります。最近でも喧騒から離れた港なんかでボーッと海面を見ながら波の音に耳を傾けていると持っていかれそうになる時があります。この世についていろいろ思案した結果この世界の全てに意味も価値も無いという結論に至ったのでデ・キリコの絵が理解できた気がします。無と無限は等価なんですかね。思うに釈尊が得た悟りもそのような事だったのではないかと思う次第です。似たような経験で幼少の頃はずっと自分を斜め上から傍観している感覚がありました。あまり関係はありませんが私の誕生日はニーチェと同じです。では今後の配信も楽しみにしております。
19:30 山田さんこんな感覚持ってたんだー。マグリットやダリの絵も好きで、それらに漂う寂寥感みたいなのに惹かれます。現実の景色の中でも感じることがありますね。あと夕暮れ時、なんだかとても「帰らなくちゃ」って焦る気持ちになるのに、ほんとに帰らなければならない場所ってのがなんか自分のおうちじゃないような、そこ以外にどっか帰るべき場所があるような気持ちにもなります。知らないキリコも色々知れて楽しかったです、次回期待しています。あとウリバタケさん(違った気がする)なかなかツッコミがいいですね。教養?を感じます。
デ・キリコの絵は体調悪い時に見る夢とか、イデアの世界から現実世界を覗いた様子とか、白昼夢とかそんな感覚でした。今回のデ・キリコ展はっぽい絵だけじゃなく色んな作品があるようなので楽しみです。
無意味な絵画から見る人が意味を見出す、意味の再構築みたいな構造がとても美しいと思いました。
めちゃくちゃ展示良かった。高校の時から彼の絵にハマって20年近くたちやっとこんなに大規模な展示を開いてくれてありがとう。本当に良かった
美術の教科書で見た「通りの神秘と憂鬱」の印象が頭を離れず、以来気になる作家になりました。子供の頃にいろいろな素晴らしいものに触れるきっかけは大切ですね。
山田五郎さんの組織力、経歴、なにより学芸員としての博学がなければ著作権が残ってる絵画を
(おそらく複雑な契約事項を乗り越えて、)期間限定とはいえ解説を配信できなかったと思うと、彼こそ唯一無二のyoutuber
ある昼下がりに公園でボーッとしてたとき、幼少期から見慣れている景色のはずなのに、日差しとか緑がすごく眩しく新しい物に感じられて、この日差しも揺れる緑もそれを見ている自分自身も、過去にも未来にもない今しかない、全てが刹那的に感じられたことがあります。この絵の夕暮れの日差しにも、その時のような刹那が感じられるような気がします
「それが、戦後教育の悪いところ」・・・面白いです。五郎さんが、生き生きと、楽しそうに語ってくれるのが、うれしい。
私もその感覚によくなります!景色が動いてるのに止まってるような、人がいるのに自分しかいないような感覚です。ゲシュタルト崩壊にすごく近いと感じてたので、同じ感覚の人がいて嬉しい。
てんかん発作の症状として、dejavu(デジャヴュ:既視感):「前にもどこかで一度これと同じものを見たような気がする」がありますが、jamais vu(ジャメヴュ:未視感):「何度も経験したことのある事柄を、まるで見慣れないもののように感じてしまう」があります。他にも離人感や周囲から孤立する感覚てのもあります。デ・キリコがのそれがてんかんかどうかは置いておいて、脳の機能として潜在的にそういうものがあるのは面白いことで、芸術に昇華するのですね。
逆にこの感覚って持っていいんだと安心できましたね
子供の頃、ずーっと景色を眺めていると、見ているもの以外がぼやけ、意識や視覚の遠近感、時間感覚が狂い、一人取り残されたような気分になったことをこの動画で思い出しました😂
そして、子供の時岩手県立美術館のデ・キリコ展で見た絵に惹かれたのは、この感覚が共鳴した部分があったからなのかも知れない、と新たな発見でした!
この動画を見なかったら一生思い出さなかった感覚かも知れません…!🥲🙏
私も小学生の頃に同じ経験があります。
五郎さんがおっしゃってることがめちゃくちゃよくわかって、自分の中でその現象を「ゲシュタルト崩壊」と勝手に定義していましたが、五郎さんの口から ゲシュタルト崩壊 という言葉が出てきて「それーーーー!!」と鳥肌立ちました!!🤩✨
無意味=あらゆる解釈が可能
という言葉が刺さりました
作品を見るのがより楽しくなりそうです!
50代半ば過ぎです。
40年以上前の子供の頃、キリコの「通りの神秘と憂鬱」に何故か吸い込まれるような感覚を覚え、以来好きなアーティストです。そしてある時私の大好きなルパン3世の(確か映画版)に数秒その作品が出現し、 やたら感激した瞬間も覚えています。
非常に大人びたませた子供でした。動画の中でおっしゃられていた「不思議な感覚」は子供時代の方が持っていたと思います。だからこそデ・キリコに惹かれたんだと今納得です。
そして「答えは無い」というか自分で生み出すという概念は大人になって企業研修事にインストラクターとして発信してきました。色々デ・キリコに惹かれる理由が見えてきたそんな動画でした。配信ありがとうございます。海外在住者につき展覧会に行けず本当に残念です(涙)
見慣れている景色のはずなのに、ふとこんな景色だったっけ?と思うことがたまにあります。普段背景の一部としてしっかり見ていなかったものを、じっと見てみたときに起こる気がします。
なんだか別次元に来た感覚になります!
デ・キリコ展、神戸で見に行きます。今日、京都ロームシアターの山田五郎さんと村上隆さんの対談講演会に行かせて頂きました。情熱のある熱いお話で目が覚める思いがしました。ありがとうございました!
仕事に疲れた日、毎日使ってる駅のホームに立って電車を待ってると、ホーム越しに見えるビルや看板全てが初めて見るもののようになることがあります。
😂🎉😂😂🎉🎉
めっちゃ分かります!田舎の駅とかでも感じる
@Tmtyk_travelingalone
それは本当に初めて見るんじゃなくて…?笑
未視感 "jamais vu”
20代の頃に経験あります!
20:33 たまにテレビで芸能人を見てて「この人こんな人やったっけ」みたいな統合された概念が分解されてまったく新しい人に見えることがあるけど似たようなもんかなぁ。
無意味だからこそ解釈は無限っていうのは心に刺さったなぁ。
無意味とはどんな解釈も自由ってめちゃくちゃポジティブだと思いました。デ・キリコとニーチェのイメージが変わりました。
この回の五郎さんも、色合いがとても綺麗で好み💖
買い物の帰りなんかに近所の公園で考え事してると、ハッと気づいた瞬間「あれ、ドコに居るんだっけ?」って感覚になる時がありますね。
しばらく周りの風景が知らない場所のように思えて、でも少しすると「あー、あの公園に居たんだ」って気づいて元の感覚に戻ります。また、外国を一人で旅行してるような、そんな寂しさも感じたりします。
子供の頃、キリコの「通りの神秘と憂鬱」を絵画集で見て吸い込まれました。何か気分が良くなりました。
キリコ大好きなんです!!
ムッチャクチャ楽しみにしていた企画ですので
ですからこちらの配信も本当に嬉しい!!絶対にあるのではないかと信じていました!
神戸で見てきました。五郎さんの解説で予習して行ったおかげで、より楽しめました。照明が少し暗めで良かったです。
ずっとやってほしかったアーティストを特集してくれて本当に嬉しいです。ありがとうございます。
🎉😂😂😂😂❤🎉🎉🎉
すごくわかりやすいです。世界に付された記号が崩壊するとき浮かび上がる世界があるんですね。
言葉より先に、意味づけするより先に垣間見える何か。。
いつも思います。ウリタニさんって、山田さんのお話を聞く相手としてめちゃくちゃ優秀。
中学の教科書で見てずっと記憶に残っているのが「通りの神秘と憂愁」です。恐怖の記憶として刺さっていると思う。回顧展絶対行きたい。
世界一好きなジョルジュ・デ・キリコ!!
幼少期に見た昼間の遊戯に衝撃を受けてずーーっと好きです。
解説ありがとうございます
わーーー❣️ 続きがあるのですね💓
楽しみです♪♪♪
本日、行ってきました。年代によってアプローチやアレンジが変わっていたのが印象的で、個人的にはよく知られているマネキンなどの形而上的なアプローチより、ルノワールを真似た画風と銅像の作品が印象的でした。こちらの動画で予習させていただき、心ゆくまで展示を楽しめました。ありがとうございます。
「答えちゃったら終わり」「意味が分からないからこそどんな解釈も可能」ってお話を聞いて、言葉にすると答えが逃げていく感じがちょっと禅問答みたいだなと思いました。
答えても大して変わらないこともありますけどね。
@@itsumo-gomen変わりがないというよりは 大差がないという意味です。
街角を輪回しをしながら駆け抜けていく少女の影を描いた作品が一番好きだ。
「無意味=無限の可能性」
これ、印象的でした。
『小さい秋みつけた』的な、夢中で遊んでいた子供が、ふと、何気ない街並みや、そこにあるものが別の物のように感じる状態なのかな‥と思いました
デキリコの絵の中には、生命の存在があるような、ないような、恐怖も感じられるときがあります
@@alicestp6762 デ・キリコの絵に恐怖を感じることは、私は経験として全くないですね。
キリコ、不思議な感じの絵が大好きでした。是非、観に行きます
山田さんの仰るその感覚、分かるような気がします。
わたしが海外旅行に行く理由はそれに近い感覚を味わうためです。
今眺めている主観を第三者として俯瞰しつつも、五感が敏感になる。
理屈としては矛盾していると言えなくもないですが、そんな感覚です。
同じものでしょうか?
自分がそんな風に東南アジアの裏路地にいた時、
小汚く痩せていて、目が綺麗な野良犬が歩いてきました。
何の気なしにその犬と目を合わせた瞬間、
突然その犬が抱いていた哀しみのような感情の津波が自分の心の中に流れ込んでくるのを感じました。
もしわたしが芸術家ならば、
啓示として受け取ってもおかしくない程の忘れられない強い体験でした。
その日から、私は犬にも人間と同じか、
それ以上の感受性が備わっている事を確信しています。
五郎さんの解説は 絵の背景を多方面から解説してくださるから 展覧会では わかりやすく 意味深いものになるでしょうね。
行きたいなぁ。
期間限定なんですね…!デ·キリコ展、行きたい♪確かに見慣れている景色が、突然違ったものに見える感覚、時々あります。階段を下りている時など、影の傾斜で不思議な感覚になることがあります。
ちょうど今日デ・キリコ展行ってきました!
私も同じ感覚にとらわれることがあります。今の自分が別次元の誰かであるような、さっきまで見ていた映画の世界に自分が入り込んでしまっているような、外の窓から自分の人生を第三者として見ているような、そんな変な感覚…。離人症なのかなと思ってて、私はおかしくなってしまったんだと思っていたので、今日作品を見て共感してしまいました。この独特な感覚もひとつの感性だと思うことにします!
フライヤーを見て、是非行きたいと思っていた展示です!行く前に予習ができてありがたいです。
五郎さんの今日のいでたち、色合いが素敵
ゲシュタルト崩壊… しょっちゅうはないですが、
「これ、見えてるの、いま自分しかいないんじゃないか」
と感じた記憶はぼんやりあります。
どこか世の中と切り離されてるような感じ。
この展覧会本当に楽しみだから取り上げてくれて嬉しいです😭
よくわかる感覚です〜 学生の頃にキリコの絵で、自分の持つその感覚を肯定された様で嬉しかった思い出があります。
日本にもその感覚を詩にした作家がいますね。萩原朔太郎の「猫町」という詩がその感覚を描いています〜。
キリコの絵には、人間の本能的な恐怖が封じ込められている気がします。感性の画家って思ってます。
まだ10代ですが毎日ゲシュタルト崩壊しています、軽度の解離の可能性も無きにしも非ず😂
ぼーっとしていると意識が目の奥に行くというか、そうすると世界から切り離された気分を味わえます。勘違いされそうなのですが、決してスピリチュアルな話をしているのではなくてあくまで私個人の主観的な感覚です。
そういうときに芸術的なインスピレーションをもらえる感覚もかなり共感できて面白かったです。
ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」しか読んだことがありませんが、たしかに今回紹介された作品の秋の寂寞とした感覚がニーチェの言っていることと似ているような?もう一回読み直そうと思います、長いけど...😬
これは自論でしかないのですが、人生を無意味に感じるためには先ずぼーっとして世界から隔離された感覚になる必要があるのではないのでしょうか。寂寞はその第一歩というか。あの秋の作品はそういった「生に肯定的なニヒリズム」に至るための初期段階に私を引き戻す、あるいはニヒリズムに人々を引き摺り込む力があると思います。初期段階のあの感覚は好きでないです、鬱っぽくなる🥱
その感覚、めちゃめちゃわかります!
孤独も感じる時もありますし、
自分は誰で今何してるんだ?
どこにいる?自分は何なんだ!?
みたいな感覚が急に来る時あります。
でも、誰かにこの事を言ってもあまり共感を得られなかったんですが、五郎さんがこの事を話してる時は、首がもげるんじゃないかってくらい頷きながら、あるある!って言って聴いてました!
私が好きなのは「ヘクトルとアンドロマケ」ですね。シュールレアリズム展でポストカードを買いました。
19:17 イタリアの地方の中世みたいな都市アスコリ・ピッチェーノの真っ白な石の街路の白昼は、まさにキリコ的でした。ボローニャのアーチのファッサードが連なる街並みもキリコ風ですね。ちなみに形而上という言葉は易経の繋辞伝からです。今回1910年代の作品もあるようで、ますますいきたくなりました。
デ・キリコの絵は中学校か高校の美術の教科書で見たのが初めてで、強烈な印象が残っています。あの独特の荒廃感はなんなんだろうかとずっとモヤモヤしていたのですがその感覚を言語化してくれて、ああこの感覚はそれだったのかという思いと、自分以外にもそういう感覚を持ってる人がいたんだという思いを抱きました。東京都美術館で展示するというのはまさにこの動画で知ったので早速チケット購入しました。今から楽しみです。
太郎さんの言ってることめっちゃわかります。一点をみてるときづいたら無の世界に一人になってて。凄い孤独を感じます。確かにあれはゲシュタルト崩壊。
五郎さんですね
10年以上前のある日、自宅のダイニングで珈琲を飲もうとした時のことです。
突然、見えている世界が静けさに包まれました。
いつものカップ、いつものコーヒー。
眼前にあるのは見慣れたものなのに、カップはカップの意味がなく、珈琲は珈琲の意味がなくなって、
ただそれそのものがある、という感覚でした。
物に張り付いている言葉が消えたみたいな感じでした。
言葉が一切合切消え去って、物そのものだけの世界というのでしょうか。
言葉のない世界の体験を言葉で説明するのは無理がありますが、
強いて言えば「意味が張り付く以前の物」に触れている、みたいな感覚です。
その後もしばらくは何度か同じ体験をしましたが、最近はすっかり忘れていました。
この動画で思い出したのでコメントいたします。
私が包まれた静けさは、物音がしないというよりは、音が消えた感じ。言葉が存在しない感じです。
無意味というのは、意義がないのではなく、意味以前の「物そのものがある」感じです。
例えば、目の前のカップは、カップと名付けられたいつものそれではなく、「ただそれがある」感じで
カップと呼ぶよりずっと奥深い何か、みたいな。
書けば書くほどうまく表現できないもどかしさが募ります。
長文、失礼いたしました。
そのように見よう、認識しようとしても難しいものですが‥意図せずしてそのプラグマティックな境地に達すると混乱しそうですね
@@fools-ascension
確かに、意図的にそうしようと試みても難しいものですね。
プラグマティックな境地かどうかはわかりませんがw、「なんだ、これは???」という混乱は少しはありました。
私の場合、その体験は短時間だし、しばしばというわけでもないので、忘れていたのですが
「ある秋の午後の謎」の山田さんの解説、ニーチェの話等々がめちゃくちゃリアルに迫ってきて、とてもおもしろく、いろいろと納得し、スッキリしました。
デ・キリコの「ある秋の午後の謎」が大好きな絵だったので、なおさらでした。
フランスの作家サルトルの小説「嘔吐」の主人公が、マロニエの木を眺めている時、上辺だけの見た目が剥ぎ取られて存在そのものを実感する瞬間が描写されているのですが、なんかその状態ににているような気がしますね。
もっともその主人公は吐き気も同時に感じているのですが…。
@@TheHidesan
サルトルの「嘔吐」、全く知らなかったのですが少し調べてみると・・・
サルトルによる当初のタイトルは「メランコリア」だったようですね。
(そこになんだかつながりが見えそうな気も・・・。)
「マロニエ・・・」の箇所に興味を惹かれましたので、読んでみようかと思います。
教科書で見てとても印象に残っていた画家だったので解説嬉しいです!!
この絵に答えはない!という五郎さんに、答えはなくても思わせぶりだ!といったウリタニさんの一言に、その通りだなと思いました😂
あとゲシュタルト崩壊のくだりは、まさにシュルレアリスム。。。とか思ってしまいました。
好きな画家の回はすぐ観ちゃう!「ある秋の午後の謎」の話を聞いて(ああ、私がデ・キリコが好きな理由はこのことかな・・)と思いました。デ・キリコ展行こうと思います。
観に行きました!観る前に吾郎さんの解説を聴いてから行きましたが、観た後にまた聴くと理解が深まります。。ありがとうございます。
ゴローさん、解説ありがとうございます❗ いつかやっていただけると思っていました、ジョルジョ・デ・キリコ解説。
長年好きな画家なのにどう好きなのかを人に説明するのが難しかったんです。それを「突如世界の秩序から切り離された感覚、突如音が消えてさびしさ切なさが…」という感覚で説明されたのが、とてもしっくりきました。どんな解説書よりも府に落ちた感じです。もやもやしていたモノを言語化できてすっきりしました。展示を見に行くのがますます楽しみです。
自分の経験で言うと、これまで最もゲシュタルト崩壊を引き起こしやすかったのが "を” ですw
ほんとにもー、この字見てるとすぐ「・・・なんじゃこりゃ?」ってなります。
やはり我らが巨匠アンリ·ルソーは後続の画家に与えた影響は巨匠にふさわしいですね🎉
確かに、この手の体験に哀愁のような感情がくっついて来るのが興味深いですね。
感覚のお話とても興味深く、ハッとさせられました。デ・キリコのやシュールレアリズムの作品に惹かれる理由みたいなものが言語化され、霧が晴れた気持ちです。不思議さだけでなく、寂しさや懐かしさを感じられていた事に嬉しく思いました。この感覚のお話は、ピンクフロイドのジャケットや、インターネットミーム「liminal space」や「vapor wave」にも通じていくのだなと、歴史の流れを感じられました。是非、展示伺おうと思います!
世界に1人だけになるような感覚
すごく分かりますwwよくあるw
仕事で市内のビジネスホテルで止まって
朝早く街に出てバス待ちとかでボーッとしてると時とか
地元の神社に参拝に行った時に神木見てボーッとした時とか
人の居ない電車でボーッとしてる時とかw
怖いからその感覚を増大しない方法を子供の時見つけましたなぁ。
この感覚が始まるタイミングがだんだんわかる様になって①走る(スピードを出す)②頭の中で人を探す(近しい人との思い出を繰り返す)、で打ち消けせます。ワタシは笑。
ビューティフル・ドリーマですよねー
ちょうどよいタイミング。チケットを前売りで買って、明日行きます。ありがとうございました!
ベックリン風キリコ、😮マグリットの感じに近いですね。マグリット好きなので、若いキリコ、ベックリン、その前の人と、三枚並べた画面はとても良い感じでした。
その後の色も影も濃いダリ的キリコも良いですが。輪回しの影子が好きですが。謎を解かない楽しみは、自分の混沌を許して好きなように遊ばせてくれる安心感があります。
意味が無いってことはどんな解釈も可能性も受け入れてくれるってこと
それって昨今の『生産性』という言葉や『役に立たないものは存在してはいけない』みたいな価値観からの解放であり、救いなんじゃないかと思います
機械論的な効率性で人や営みを計る風潮が強くなる程、その囚われから自由にしてくれる異物性は重要なのかもしれませんね
わかります。学生の頃 深夜のコンビニで一人バイトしてた時
すごく明るい店内と 整然と並べられた食品 ジーーーとなる電灯の音
あの時 ああもう世界は終わって私はこの無機質な真夜中のコンビニエンスでひとりなんだなって
無性に切なくなったのを思い出しました・・・・
今日上野まで見に行きましたがこの動画を見てから行けばより楽しめたかなと少し後悔笑
山田五郎さん、久しぶりに拝見しましたが、20年前と全くお変わりなく驚きました😊
デ・キリコ 気になっていて、見に行こうと思ってたところ、取り上げていたので拝見しました
学生時代にニーチェを齧りっていたので、影響を受けている話が面白かったです
次回の動画も楽しみにしています
ゲシュタルト崩壊、する時あります
神戸にデ・キリコ観に行きます!今回の動画で期待値ますます膨らみました。次回の動画まで楽しみです。展覧会の予習の
為に時間が有る時は見るようにします。でも今月は京セラでキュビズム展を観るのでその解説の動画を中心に見つつ今回の解説も見ようと思います。解説の回も観る楽しみ方を学べて有意義な時間を過ごす勉強にもなって有難いです✨
五郎さんがおっしゃる感覚は非常によくわかりますし、キリコの画そのものであるので大好きな画家です。
子供のころによく体験した白昼夢そのものの世界、この世にただ独りになったような不思議な感覚。
不安や怖さもありながらも、そんな感じが今でも嫌いではないです。
夜中、ぼーっと風呂に入っている時、ふと自分の手を見て、妙な形だな〜何だこりゃと訳分からん感じになる事があります。腕や足もしみじみ眺めて何じゃコレ感にしばらく浸ってから、これが人間・自分の形と散らかった感覚を丸めてからあがって寝ます。奇妙ですがふと浮き上がってはまた戻る感が面白いです。
キリコ取り上げて頂けるの待ってました!著作権の関係もあり日本ではさほど一般的な人気や知名度のある作家とも言えないので無理だろうな、、、と諦めておりました💦案件バンザイ🙌
2000年頃に京都の「えき」美術館へ回顧展を観に行きました。今回の回顧展も楽しみです。
、、、むせる
デ・キリコ特集ありがとうございます。私も言われるような感覚になることがあります。デ・キリコの作品では
「通りの神秘と憂愁」が好きなのですが、あの不思議な感じ、五郎さんの解説でなるほどと思いました。
見応えがある巻でした。
キリコの奥深くまで、覗き見えるようで、展覧会が楽しみになりました。😊
デ キリコ、実はちょっと苦手と思ってたんですが、五郎さんの説明を聞いて、いきなりすっと入ってきました。深いですね。ぜひ見に行きたくなりました。ありがとうございました!
東京でキリコ展に行くので あまり知らなかったキリコについて予習が出来て良かったです。
いつも大変面白く拝見しています。さて、デ・キリコの形而上的体験に近い体験、私にもあります。ハワイ旅行中、ノースショアの海岸でキラキラ光る水面をキレイだなーと眺めていたら、いつの間にか、ここはどこで、いつで、私が何をしているのかが分からなくなり、私とキラキラ光る水面以外「無」の状態に。で、次の瞬間ハッと我に返って、今のはなんだったんだろうと。覚醒しながら意識を失ったような不思議な体験でした。
また、そこまでではないものの、国立西洋美術館の1階の中庭を見ていると、その無機質で静謐な世界に入り込んで、周囲の環境や喧騒が消えてしまうような感覚になります。
デキリコ展、前売り買ってあります。楽しみです。
予定もなくひたすら散歩しているときにその感覚におそわれます!特に夏。寂しいような不安なような胸がざわざわしてくる感じです。キリコの絵を見ていても同じ感覚に襲われて好きだなあ...と前々から思っていたのですが、今回の解説で!となりました。もしやキリコも同じ感情だったのかなあ
自分の休みと美術館の休みがかぶっててつらい😂
心の渇望は有給とってでも行きたいですね♪♪
盛りだくさんのお話し
面白かったです
次回を視聴してから
東京都美術館に行きます
デ·キリコは「通りの神秘と憂愁」
が好きです
次回も期待してます。
地理的背景は異なるものの禅に通ずる世界観が感じられる。これは奇妙な感覚でした。
キリコといえば影。少女と車輪の影、彫像の影、聳え立つ塔の影、黄昏の神秘感
に魅入られた画家なのかなって思います。
マネキンも人の影ともいえるし、アリアドネは迷宮の引きこもり
陰影でもって世界の謎を際立たせる形而上絵画ですね。
形而上学的な思索は抽象概念を認識する上で極めて重要なプロセスですね。
平成生まれですが、答えがないことにむしろ自由を感じて救われます!😂
子供の頃から、よくある感覚です。ふっと、私はこんなところで何やってるんだろう? 何でこんなところ(人間界?)にまた来ちゃったんだろう? この世界、この人たちはなんなんだろう? って言葉がいつも浮かびます。この世界でひとりぼっちな孤独な感覚と、この世界に拘束されていない自由な感覚の両方があります。
五郎さんの話は時代や諸々背景の話が面白いですね。若いころみてたタモリ倶楽部のおしり評論家のイメージは何処へやら。別人。
飛行機に乗って見に行きます。先に図録を取り寄せてじっくり予習する予定です。
気温が下がり、木々の緑が減り、これから冬になっていくしんみりした雰囲気、いいですよね。
デ・キリコ、ついにきましたね
どうしてもこちらで解説していただきたくリクエストしておりました。
一度見たら、なんだか分からなくても影響を受けずには済まない…
神戸楽しみです!
子どもの頃から気になってた画家なので
展覧会は行く予定でしたが
その前に今回お話しが伺えて
本当に良かったです
キリコは私には独りぼっちで
あてもなく
知らない町をたずねる印象ですね
次回も楽しみすぎる!
デ・キリコ展行きたい、でも東京は遠い!神戸も、まあまあ遠い!(先日の生配信でも話題のナゴヤ飛ばし、、、)でも、今回逃したら生きてるうちには見られないかも知らん。旅行がてら観に行くかな。遠い言ったって、海外に観に行くのに比べたらお手軽ですもんね。
大好きな画家です。
学生の頃、影響受けまくりで似たような絵を描いてました。
十年前、浜松市立美術館でキリコ展ありましたよ。観に行きました。
風景や構造物をぼーっと眺めている時、自分の存在が消えていく感覚たまにありますよね
世界と切り離されるというよりも、全ての物が意味を失って己と世界の境界線が曖昧になるというか
同じような感覚を持ってる人が多くて安心します
ゲシュタルト崩壊みたいな感覚、めちゃくちゃわかるなぁ
特にお風呂に入ってるときによくその感覚に陥る
自分を俯瞰的に見ている自分もいて、ゲームの中の登場人物を見ている(TPSみたいな)みたいな、
自分という人間をコントロールしている他の人間がいるのでは……みたいな
一人きりになったような寂しさを感じるというのもめちゃくちゃわかる……!
今日早速行こうと思ってました
会場ではなかなか全てのパネル説明を読めないので参考になりました
答えがなくても良いてなんか人生にも通じるなぁ〜ありがとうデ・キリコ先生
いつも楽しく拝見させていただいてます、今回すごく面白い話でした。もうここ数十年はありませんが私も五郎さんのいう経験、何度もしたことがあります。最近でも喧騒から離れた港なんかでボーッと海面を見ながら波の音に耳を傾けていると持っていかれそうになる時があります。この世についていろいろ思案した結果この世界の全てに意味も価値も無いという結論に至ったのでデ・キリコの絵が理解できた気がします。無と無限は等価なんですかね。思うに釈尊が得た悟りもそのような事だったのではないかと思う次第です。似たような経験で幼少の頃はずっと自分を斜め上から傍観している感覚がありました。あまり関係はありませんが私の誕生日はニーチェと同じです。では今後の配信も楽しみにしております。
19:30 山田さんこんな感覚持ってたんだー。
マグリットやダリの絵も好きで、それらに漂う寂寥感みたいなのに惹かれます。
現実の景色の中でも感じることがありますね。
あと夕暮れ時、なんだかとても「帰らなくちゃ」って焦る気持ちになるのに、ほんとに帰らなければならない場所ってのがなんか自分のおうちじゃないような、そこ以外にどっか帰るべき場所があるような気持ちにもなります。
知らないキリコも色々知れて楽しかったです、次回期待しています。
あとウリバタケさん(違った気がする)なかなかツッコミがいいですね。教養?を感じます。
デ・キリコの絵は体調悪い時に見る夢とか、イデアの世界から現実世界を覗いた様子とか、白昼夢とかそんな感覚でした。
今回のデ・キリコ展はっぽい絵だけじゃなく色んな作品があるようなので楽しみです。
無意味な絵画から見る人が意味を見出す、意味の再構築みたいな構造がとても美しいと思いました。