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人からわかる3分技術史
Япония
Добавлен 17 мар 2019
@joytomoが3分くらいで技術史上の人物を紹介します。
3分でわかるゴードン・ムーア【ムーアの法則の提唱者】
アメリカの化学者、経営者であり、ムーアの法則の提唱者として知られるゴードン・ムーアを紹介します。
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こんにちは。人からわかる3分技術史。
今日はゴードン・ムーアについて勉強していきましょう。
ゴードン・アール・ムーア。1929年生まれ。アメリカの化学者、経営者であり、ムーアの法則の提唱者として知られます。
ムーアは、30代大統領カルビン・クーリッジ時代のアメリカ合衆国、カリフォルニア州の田舎町ペスカデロに生まれました。
父親は保安官代理であり、質素ながらも穏やかな家庭のなかでムーアは育ちました。ムーアは12歳の頃、化学の実験キットを通じて、化学者になる夢を抱いたといわれます。
1946年、17歳のムーアはサンノゼ州立大学に入学。化学と数学を専攻しました。続いてカリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア工科大学大学院へと進学したのち、ジョンズ・ホプキンス大学の応用物理学研究所で化学者として働くようになりました。
ムーアの転機となったのは1956年、27歳の頃にショックレー半導体研究所に誘われたことでした。所長のウィリアム・ショックレーはトランジスタの発明者の一人であり、後にノーベル物理学賞を受賞する物理学者でありました。ショックレーはトランジスタの商業化のために全国から優秀な科学者をスカウトしており、ムーアもその一人として呼ばれていました。
しかしショックレーと所属する研究者たちは次第に対立。ムーアとロバート・ノイスら八人の研究者は独立し、フェアチャイルド・セミコンダクター社を創業することとなります。
フェアチャイルドではシリコン・トランジスタの商業化に成功。続いてジャン・ヘルニがプ...
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こんにちは。人からわかる3分技術史。
今日はゴードン・ムーアについて勉強していきましょう。
ゴードン・アール・ムーア。1929年生まれ。アメリカの化学者、経営者であり、ムーアの法則の提唱者として知られます。
ムーアは、30代大統領カルビン・クーリッジ時代のアメリカ合衆国、カリフォルニア州の田舎町ペスカデロに生まれました。
父親は保安官代理であり、質素ながらも穏やかな家庭のなかでムーアは育ちました。ムーアは12歳の頃、化学の実験キットを通じて、化学者になる夢を抱いたといわれます。
1946年、17歳のムーアはサンノゼ州立大学に入学。化学と数学を専攻しました。続いてカリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア工科大学大学院へと進学したのち、ジョンズ・ホプキンス大学の応用物理学研究所で化学者として働くようになりました。
ムーアの転機となったのは1956年、27歳の頃にショックレー半導体研究所に誘われたことでした。所長のウィリアム・ショックレーはトランジスタの発明者の一人であり、後にノーベル物理学賞を受賞する物理学者でありました。ショックレーはトランジスタの商業化のために全国から優秀な科学者をスカウトしており、ムーアもその一人として呼ばれていました。
しかしショックレーと所属する研究者たちは次第に対立。ムーアとロバート・ノイスら八人の研究者は独立し、フェアチャイルド・セミコンダクター社を創業することとなります。
フェアチャイルドではシリコン・トランジスタの商業化に成功。続いてジャン・ヘルニがプ...
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3分でわかる池田敏雄【日本のコンピュータ開発のパイオニアの一人】
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日本のコンピュータ開発のパイオニアの一人として知られる池田敏雄を紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日は池田敏雄について勉強していきましょう。 池田敏雄。1923年生まれ。昭和の電気技術者であり、日本のコンピュータ開発のパイオニアの一人として知られます。 敏雄は、大正12年の東京、両国に生まれました。 父親は薬屋であり、教育熱心な母親の指導のもとで敏雄は育ちました。 敏雄は幼くから数学に熱中し、その才能を示したと言われます。そのため初め数学者を志しますが、戦争のなかであったため技術者を目指すこととなり、1943年、20歳頃の敏雄は東京工業大学電気工学科に入学します。 1946年、大学を卒業した敏雄は富士通信機製造株式会社(現・富士通)に入社します。当時の富士通は電話交換機の開発を行うほぼ無名の会社であり、敏雄は戦後の就職難の中で、他の選択肢もなく入社したと考えられて...
3分でわかるハワード・エイケン【Harvard Mark Iの開発者】
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アメリカの物理学者であり、Harvard Mark Iの開発者として知られるハワード・エイケンを紹介していきます。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はハワード・エイケンついて勉強していきましょう。 ハワード・エイケン。1900年生まれ。アメリカの物理学者であり、Harvard Mark Iの開発者として知られます。 エイケンは、25代大統領ウィリアム・マッキンリー時代のアメリカ合衆国、ニュージャージー州のホーボーケンに生まれました。 エイケンの家ははじめ裕福な家だったと言われます。しかし父親が家庭内暴力を振るっていたため、まもなくエイケンは父親を家から追い出しました。そのため家は貧しくなり、エイケンは高校を中退して働きはじめることとなりました。 エイケンは高校で優れた数学の才能を発揮していたため、教師たちの斡旋の得てインディアナポリス光熱社(現・AESインディアナ)に入社。...
3分でわかるポール・バラン【パケット通信の発明者の一人】
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こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はポール・バランについて勉強していきましょう。 ポール・バラン。1926年生まれ。ポーランド出身のエンジニアであり、パケット通信の発明者の一人として知られます。 バランは、ウィンセンティ・ウィトス首相時代のポーランド第二共和国、現在のベラルーシにあたるフロドナに生まれました。 バランとその家族はバランが2歳のときにアメリカに移住。ペンシルバニア州のフィラデルフィアで食料品店を営むようになりました。 1949年、23歳のバランはドレクセル大学を卒業。当時は戦後の就職難の時代でありましたが、エッカート・モークリー社に就職しました。そこでバランはコンピュータに使用する真空管のテストを行う仕事に従事します。 1959年、バランはアメリカ空軍の研究所であるランド研究所に移籍し、計算機科学者として本格的な仕事をするようになります。そして、アメリカ空軍で目...
3分でわかるジェームズ・ワット【蒸気機関の改良者】
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イギリスの機械技術者、発明家であり、蒸気機関の改良者として知られるジェームズ・ワットを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はジェームズ・ワットについて勉強していきましょう。 ジェームズ・ワット。1736年生まれ。イギリスの機械技術者、発明家であり、蒸気機関の改良者として知られます。 ワットは、ジョージ2世時代のグレートブリテン王国、スコットランド中部の港町グリーノックに生まれました。父親は船大工でありながら貿易商も営む人物であり、ワットもその仕事のなかで育ちました。 しかし父親の商売が傾いたため、ワットは科学機器の製造業者を志し、1754年、18歳の頃にグラスゴーに渡ります。グラスゴーでは、親戚の紹介を得てグラスゴー大学に出入りすることとなり、化学者のジョゼフ・ブラックらと知り合いました。 こうしてワットはグラスゴー大学で使われている科学機器や実験器具の修理を請け...
3分でわかるエド・ロバーツ【アルテア8800の開発者】
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アメリカの起業家であり、アルテア8800の開発者として知られるエド・ロバーツを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はエド・ロバーツについて勉強していきましょう。 ヘンリー・エドワード・ロバーツ。1941年生まれ。アメリカの起業家であり、アルテア8800の開発者として知られます。 ロバーツは、32代大統領フランクリン・ルーズベルト時代のアメリカ合衆国、フロリダ州のマイアミに生まれました。 ロバーツの父親は家電修理の仕事を営んでいました。ロバーツははじめ医者になることを志しましたが、周囲の勧めに従いマイアミ大学で電気工学を学びました。 しかし、学生結婚をした妻が妊娠したため、大学を中退。家族を養うため、1962年、21歳の頃にアメリカ空軍に入隊します。続いて空軍から奨学金を得てオクラホマ州立大学で工学の学位を取得すると、兵器開発の仕事を務めることとなりました。 ロバー...
3分でわかるウィリス・キャリア【エアコンの発明者】
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アメリカの技術者であり、エアコンの発明者として知られるウィリス・キャリアを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はウィリス・キャリアについて勉強していきましょう。 ウィリス・ハビランド・キャリア。1876年生まれ。アメリカの技術者であり、エアコンの発明者として知られます。 キャリアは、18代大統領ユリシーズ・グラント時代のアメリカ合衆国、ニューヨーク州西部の町アンゴラに生まれました。 キャリアの家は農家であり、キャリアは母親から数学の指導を受けたと言われます。キャリアは幼くから機械いじりを好み、時計やミシンを修理していました。 1895年、19歳のキャリアはコーネル大学に入学。機械工学の学位を取得すると、エンジニアとして働き始めます。 キャリアの転機となったのは、1902年、25歳のことでした。 キャリアはブルックリンの印刷所で、夏場に印刷が難しくなる問題に取り組ん...
3分でわかる早川徳次【シャープの創業者】
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大正から昭和にかけての発明家であり、シャープの創業者として知られる早川徳次を紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日は早川徳次について勉強していきましょう。 早川徳次。1893年生まれ。大正から昭和にかけての発明家であり、シャープの創業者として知られます。 徳次は、明治26年に、東京日本橋に生まれました。 徳次の家は、江戸期には大名の御用達を務めた商人に連なる裕福な職人でした。しかし徳次が生まれて間も無く、両親が病気に倒れたため、徳次は肥料を売る貧しい商人の養子となります。 徳次は義理の母親から冷遇され、幼い頃から内職をして家計を支えました。 8歳になると、徳次は金物職人の坂田芳松のもとで丁稚奉公をすることとなりました。 当時、日清戦争後の好景気のなかで、製造現場の機械化がはじまっていました。芳松は昔堅きの腕利きの職人であったため、はじめは機械化には抵抗していました。...
3分でわかるジョージ・スチーブンソン【鉄道の父】
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イギリスの機械技術者であり、「鉄道の父」として知られるジョージ・スチーブンソンを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はジョージ・スチーブンソンについて勉強していきましょう。 ジョージ・スチーブンソン。1781年生まれ。イギリスの機械技術者であり、「鉄道の父」として知られます。 スチーブンソンは、ジョージ3世時代のイギリス、イングランド北部のノーサンバーランド州ウィラムに生まれました。 スチーブンソンの父親は炭鉱で働く貧しい揚水工であり、兄たちも炭鉱で働いていました。スチーブンソンもそれに倣って、8歳になると炭鉱で働き始めます。スチーブンソンははじめ、石炭から余分な石を取り除く単純な仕事に従事しました。 年齢を重ねてくると、父親と同じ揚水工を務めるようになります。 揚水工とは、炭鉱の中に湧き出した地下水を、蒸気機関を用いて外に出す機械の作業員のことです。 スチーブン...
3分でわかる二宮忠八【日本の航空技術の先駆者】
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明治から昭和にかけての実業家であり、日本の航空技術の先駆者として知られる二宮忠八について勉強していきましょう。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日は二宮忠八について勉強していきましょう。 二宮忠八。1866年生まれ。明治から昭和にかけての実業家であり、日本の航空技術の先駆者として知られます。 忠八は、徳川14代将軍家茂統治下の慶応2年、現在の愛媛県にあたる伊予国の八幡浜に生まれました。 家は江戸中期から続く海産物問屋であり、裕福な幼少期を過ごしました。しかし忠八6歳頃に、二人の兄が店の資金を遊びに使い込み、実家は破産。そのため小学校を出てのち、徒弟として呉服屋で働くこととなりました。 その後の忠八は仕事を転々としますが、そのなかで、趣味として凧作りをはじめます。凧は平安期に日本に伝わり、江戸時代には広く遊ばれていました。 1887年、21歳の忠八は徴兵されて陸軍に入隊。忠八の...
3分でわかるダイダロス【古代ギリシャの伝説的な技術者】
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こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はダイダロスについて勉強していきましょう。 ダイダロス。紀元前1900年頃の生まれ。古代ギリシャの技術者であり、迷宮ラビュリントスの建設者として知られます。 ダイダロスは、中青銅器時代のギリシャ、アテナイに生まれました。 ダイダロスはギリシャ神話に登場する人物であり、実在したかは定かではありません。 一説には、ダイダロスはアテナイの伝説的な王エリクトニオスに連なる王族の家系であり、女神アテーナーから技術を学んだといわれます。 ダイダロスは、早くからアテナイで建築家および技術者として高く評価されました。 そんななかダイダロスは、甥のペルディクスを弟子にします。ペルディクスは12歳の少年でしたが、技術者としての才能が高く、鋸を発明しました。しかしペルディクスの才能に嫉妬したダイダロスは、聖なる山であるアクロポリスの崖からペルディクスを突き落とし、...
3分でわかる公輸盤【古代中国の伝説的な技術者】
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古代中国の工匠であり、伝説的な技術者として知られる公輸盤を紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日は公輸盤について勉強していきましょう。 公輸盤。紀元前507年生まれ。古代中国の工匠であり、伝説的な技術者として知られます。 公輸盤は、春秋戦国時代の中国に生まれました。 公輸盤の生まれは現在の山東省にあたる魯と言われていますが、甘粛省にあたる敦煌とも言われています。公輸盤は魯班や公輸子とも呼ばれており、公輸盤に関するこのような曖昧さは、もともと複数の人物に関する言い伝えがのちの時代に習合し、公輸盤という一人の伝説的人物として伝えられるようになった結果と考えられます。 そのため、公輸盤の伝説には時代錯誤や矛盾する点がいくつか見られます。 一説に、公輸盤は魯の君主に連なる家系でした。魯は小国であったため、公輸盤は隣の大国である楚に渡り、軍事技術者として国に仕えました。 公輸...
3分でわかるイシドールス【インターネットの守護聖人】
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スペインの神学者であり、インターネットの守護聖人として知られるイシドールスを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はイシドールスについて勉強していきましょう。 セビリャの聖イシドールス。560年頃の生まれ。スペインの神学者であり、インターネットの守護聖人として知られます。 イシドールスは、ユスティニアヌス1世時代の東ローマ帝国、現在のスペインにあたるカルタヘナに生まれました。 イシドールスの家系について詳しくはわかっていません。裕福な名家に生まれたと考えられています。両親は、イシドールスが幼い頃に亡くなりました。そのためイシドールスは、セビリャに住む歳の離れた兄であるレアンデルに育てられました。 レアンデルは優秀な修道士であり、579年にはセビリャの司教に 命されました。また、同じくイシドールスの兄弟であるフルゲンティウス、フロレンティナはのちにいずれも修道士とし...
3分でわかるグリエルモ・マルコーニ【無線通信を実用化】
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イタリアの発明家であり、無線通信を実用化した人物として知られるグリエルモ・マルコーニを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はグリエルモ・マルコーニについて勉強していきましょう。 グリエルモ・ジョバンニ・マリア・マルコーニ。1874年生まれ。イタリアの発明家であり、無線通信を実用化した人物として知られます。 マルコーニは、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世時代のイタリア王国、北部の街ボローニャに生まれました。 マルコーニの家は地主であり、裕福な家庭に育ちました。幼いマルコーニは、母親に連れられイタリア各地を旅しました。そのため学校教育を受けたのは遅く、大学には進めませんでした。 しかしマルコーニは、少年の頃から物理学に深く興味を示しました。そこで18歳ごろになると、ボローニャ大学で物理学の教授を務めていたアウグスト・リーギと交流をはじめ、本格的な物理学実験を行うように...
3分でわかるジョン・ワーノック【アドビの創業者の一人】
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1940年生まれ。アメリカの計算機科学者、経営者であり、アドビの創業者の一人として知られるジョン・ワーノックを紹介します。 こんにちは。人からわかる3分技術史。 今日はジョン・ワーノックについて勉強していきましょう。 ジョン・エドワード・ワーノック。1940年生まれ。アメリカの計算機科学者、経営者であり、アドビの創業者の一人として知られます。 ワーノックは、32代大統領フランクリン・ルーズベルト時代のアメリカ合衆国、ユタ州ソルトレイクシティに生まれました。 父親は弁護士であり、比較的裕福な家庭だったと言われます。若いワーノックは平凡な高校時代を過ごし、はじめ数学を苦手としていましたが、それを克服し、ユタ大学に入学。1964年に数学の学位を取得しました。 ワーノックの転機となったのは大学院生の頃、大学のコンピュータ・センターで働いていたときでした。ワーノックは、コンピュータ・センターで...
3分でわかるクリストファー・レイサム・ショールズ【QWERTY配列キーボードの考案者】
Просмотров 12511 месяцев назад
3分でわかるクリストファー・レイサム・ショールズ【QWERTY配列キーボードの考案者】
なぜノーベル賞を受賞されてないんですか?
堀越二郎氏は、アメリカからどうやって運んで来たのでしょうか、
猛暑日のなか人の命を救っているエアコンの発明のきっかけがインクを乾かすためだったとは。
YS-11のプロジェクトにも参加したらしい…
ありがとうございます。 なぜ、コンピュータと計測器が分裂したのですか。アジレントは現在どんなビジネスをしていますか?
CP/Mは店頭で簡単なコマンドを打ってみた程度しかつかったことがなかったんだけど、一つだけ後々まで悪影響を及ぼす仕様があった。それはテキストファイルの終端を^Zで表すというものだった。これのせいでファイルを扱う処理系はテキストモードかバイナリモードか区別して扱わねばならなくなった。これは概ね2000年前後辺りまでに作られた各プログラミング言語には現代まで痕跡が残っている。どうしてこんな仕様にしたのか、その気持は大いにわかるけど、こんな悪影響のある仕様を採用してほしくなかった。 あと改行にCR+LFをつかうというのもなあ。これはWindowsでは今でも現役の仕様だったと思う。これもプログラミングを無駄に複雑にする仕様だった。
マジンガーZで神にも悪魔にもなる。を、体現した人。
私は日本電気のコンピュータのハードウェアの設計、保守を担当し最後ははやぶさの設計で終わり退職しました、でも何度かほかの会社を受けました、その時に富士通も受けました、そのころは六社協定があり、私は知らずに富士通を受けその時の面接官が池田氏でした、なんだか知らないが、池田さんは、私を見て合格と言はれたのを、今でも思いだします、その時に今度は日本電気の社長室に呼ばれ、関本社長から、私に何をやりたいと聞かれ、コンピュータのハードウェアの設計をしたいと言ったのを覚えています、そしてすぐに府中事業所コンピューター開発本部に移されました、富士通はそのままにした時、テレビでニュースで池田氏が羽田空港で倒れたとの、放送を聞き驚きました、その後私は人工衛星のはやぶさの設計で終わりました、すいません自分の事ばかり言いまして。
日本人の誇り!
いつのまにかメガネを掛けてるし、必ず最後お辞儀の途中で終わるところが好きです。
面白いコンテンツだとおもいます。これからも頑張ってください!
テスラって、天才なんだけど「商売っ気」が全然ないんですよねw エジソンやマルコーニとは全然ちがう。
スマホの画面を指2本で広げたり狭めたりしますけれども、この技術を考え出したのは暦本純一という人なんですね。 で、この人が書いた『妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方』(2021年 祥伝社)という本によりますと、この技術はテルミンから思いついたんだそうです。
東海道新幹線の開業は1964年です。丁度今年は還暦にあたる60歳!節目の年ですね。🎉🎉🎉
ノイマンは、どこで亡くなったの?
天才的な設計士だが軍用機所謂兵器設計者としての定見は無し。その才能も12試艦戦の頃がピークで後のJ2M、A7Mの出来を見れば最早凡才。 陸軍機を20種近く設計し、戦後も現役で活躍した同期の土井武夫とは人間的にも対照的に思える。
全動画律儀に4分なの草
顔が写ってない時間が3分なのかと思いきやそうでもなくて草
港の岸に備えて「あの船が今通りました」という報告をするために使われていたという。
本田宗一郎と仲が良く、60年前のホンダの2万回転回るファクトリーマシンのフルトラを作って貰っている。
NHKの電子立国で出て来ます。 故ポールアレンとビルゲーツがBASIC作ってマイクロソフトの一発目の飛躍したマシン。
30年前にNHKで作られて新・電子立国に出て来てビルゲーツと戦った。 技術者としては有能だかビジネスのセンスはビルゲーツに劣る。
ヴォーバンとやらが作ったんじゃなくてタルタリアのスターフォート 嘘だらけの動画
とても興味深い動画でした✨ アルテア8080なのでしょうか? アルテア8800なのでしょうか🤔
申し訳ありません! アルテア8800が正しく、8080は誤読です。マイクロプロセッサはインテル8080のため、混ざっておりました。
次はマツダ創業者である松田重次郎さんをお願いします
堀越次郎は単なる凡才。戦闘機の防御力を無視した軽量化で多くの飛行機乗りを戦死させただけ。本当の天災は鶴野正敬だけ。
要求性能な
分かりやすかったです。こういうまとめ動画は少ないイメージがあるのでもっと増えてほしいですね!
本田宗一郎さんが自転車にエンジン付けて造ってなければ 原付は無かったのかも、、 原動機付自転車と言う名前は 本田宗一郎さんが自転車に原動機を付けたから出来たのかな?🙄
キルドールにはゲイツのような商才がなかったという視点もあるだろうが、私はちょっと違った見方をしている。CP/Mは、当時のOSとしては8080/Z80~8086、6800、6502・・・これらCPUに対してパフォーマンスに見合った重さの適切なOSだったと思う。8080系にUNIXライクな形態を採らせたCROMIXなどもあったが、やはり無理があるように思う。かろうじてUNIX系の版図にはいるのは80286や68000からであり、86系なら386からが無理なくUNIXを実装できるパフォーマンスを有していた。UNIXCPUとしては非力な80系CPUの身の丈に合った、使い勝手のよいOSを開発したキルドールは、まずエンジニアとしてのセンスは一流であったと私は思う。その上で、インテルの開発マシンのOSとして開発を依頼されながら、インテルに取り込まれることなく、自立OSとしての権利を手元に留保したのは、優れた商才も同時に持っていたというべきと思う。なぜなら、当時のコンピュータ世界の背景事情としては、バッチ処理を中心にした大型機から、ワークステーション指向のミニコンに移りつつある趨勢のなかで、マイクロコンピュータシステムの開発もミニコンが主流と考えられていたし、マイクロコンピュータ上で動くOSがどれほどのものか・・・という雰囲気はあった。しかしそういう穿った見方を覆してCP/Mは大ヒットを記録し、キルドールは巨万の富を築くことになる。キルドールが唯一失敗したのは、PCDOSを巡るIBMとの折衝であり、不運なタイミングも重なって、結局IBMはゲイツにDOSの開発を託すことになったのだが、もちろんそれはキルドールに商才がなくゲイツに商才があったから・・・という問題ではない・・・と私は思うのです。晩年のキルドールが、自宅にしつらえたサーキットコースでF1マシンを孤独に走らせる・・・この映像が放映されたとき、すでにマイクロCPUの世界はCP/Mを見向きもしなかったが、私は「栄枯盛衰」という言葉をかみ締めながらTV画面を見つめていたことを思い出す。
東芝キヤリアの元ネタの人かあ(人名だったのか)。
サイクロイド曲線を描く振り子と描かない振り子 具体的にはどんな構造なんですか?
サイクロイド振り子時計は、サイクロイド曲線を描いた板で振り子を挟むことで、それに沿って振り子が動く仕組みでした。円は普通に振り子を振れば円になりますね。結局のところサイクロイド振り子時計は普及せず、円振り子に調整機能を持たせた時計が普及します。本動画の解説は主にシモン・G. ギンディキン著『ガリレイの世紀』という本を参照しておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。
こちらからすみません❗ 意義あり❗「日本」の「航空先駆者」というなら「江戸時代」の浮田幸吉「ハングライダー」こそ先では?
そういや早川電気ってのがあったな。三洋電気や松下電気なんてのも。
你好
凄い人ですね!! ありがとうございます😊 ノーベル賞取って欲しかったな〜❤
ご先祖の情報ありがとうございます。鳥潟家としては3偉人の1人として有名です。 TYK式無線電話機の実物は、いまはスカイツリーのところの郵政博物館にあったんじゃないかな?子供の頃は上野の科学博物館にあって1回見た記憶があります。 ちなみにコンセントをLANとして使うPLCも開発しています。
なんと!貴重なご情報、ありがとうございます。 私はいち技術者として過去の技術者の足跡を調べておりますが、明治大正期の技術者の情報は少なく、たいへん助かります。
リクエストで、日本海軍の戦闘機である「紫電改」の設計で有名な「菊原 静男」(きくはら しずお)も検討願います。
アマチュア無線でお世話になっております。
東芝が大変ですよ。
江戸時代からある会社なのに残念😢
マルコーさんありがとう。アマチュア無線で世界と交信しています。73/88
一コメ
今週、評論家の山田五郎さんが自身のRUclipsチャンネルでパンチカードを紹介していました。 そこで山田さんは「パンチカードはコンピューターの元祖」と言っていましたが、まさかIBMの創設者がパンチカードを集計に応用した人だとは知りませんでした。
3;39「”ゆにっくしゅたい”は有害とみなされる」と聞こえたのですが。”ゆにっくしゅたい”とは何だろう?
ホレリスが生きた年代表記が遡ってないですか?
おっしゃるとおりですね!没年が100年ずれてました。ご指摘ありがとうございます。
新幹線🚅素晴らしいですね
何で変なところで区切るの?違和感があり過ぎて聞いててイライラする。
ありがとう。バイオリンの歴史も教えてくださいませ?
読み方下手くそだね。頑張れ。
素晴らしいです!ありがとうございます! 森周一の曾孫です。 昭和鉄工の森周一 氏も紹介していただけないでしょうか?
なんと!そうでしたか。ご覧いただきありがとうございます。 森周一さんは本動画の参考にもさせていただいた名著「遊戯機械産業の先駆者たち」にも掲載されていらっしゃいましたね。なにぶん資料が少なくどこまで正確にまとめられるかわかりませんが、そうおっしゃっていただけることは大変ありがたく、検討させていただきます。
読み方がヘタクソだね。区切る場所がおかしいよ。
見物に訪れた際、水路閣を知り流れが「左」から「右」に、水路である事を知りました。 この水路は支線との事、また、インクラインの舟の通過には狭くて無理だと思います。 「哲学の道」の流れは「右」から「左」でした。 蹴上の乗船場へのインクラインで上る状況は理解しています。 水路閣が支線だとすれば本線はどこら辺か分かれば教えて下さい。 支線だとすれば何の為のものだったんでしょうかね。
①琵琶湖から流れて来た第1疏水と第2疏水が、蹴上の乗船場の少し東付近で合流します。この付近から北方向へ「疏水分線」が分かれ、途中で南禅寺付近で東に方向を変えます。そこが「水路閣」と呼ばれ橋のような構造をしています。今度は北方向に流れを変え山にぶつかりトンネルにはいります。ここまでは歩いて行けます。②この疏水分線は2つ~3つのトンネルを経て、途中から「哲学の道」と呼ばれ、最終的には北方にある「松ヶ崎浄水場」へ水道用水を運びます。この疏水分線は幅2mほどしかありませんので船は通れません。③蹴上の乗船場付近の東の山側には疏水の合流点や分線の出発点があるのですが、近づくのは難しく、水路の合流・分離などの構造がかなり複雑そうで、また、一般向けのパンフレットには地図などの詳しい情報を載せた物はないと思われます。④蹴上付近から水を降ろし、西方向には「蹴上浄水場」があり水道水を市内に供給し、西北方向には関西電力の発電所があります。
@@gulgul8865 詳細な解説に感謝いたします。 私の先入観、思い込み、でご迷惑をかけています。 保津峡のトロッコの記憶が、いい加減な思い込みなどで、水路閣の水音で流れを知った30年もの先の思い出ですが、一笑に伏して下さい。