3分でわかる早川徳次【シャープの創業者】

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  • Опубликовано: 6 сен 2024
  • 大正から昭和にかけての発明家であり、シャープの創業者として知られる早川徳次を紹介します。
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    こんにちは。人からわかる3分技術史。
    今日は早川徳次について勉強していきましょう。
    早川徳次。1893年生まれ。大正から昭和にかけての発明家であり、シャープの創業者として知られます。
    徳次は、明治26年に、東京日本橋に生まれました。
    徳次の家は、江戸期には大名の御用達を務めた商人に連なる裕福な職人でした。しかし徳次が生まれて間も無く、両親が病気に倒れたため、徳次は肥料を売る貧しい商人の養子となります。
    徳次は義理の母親から冷遇され、幼い頃から内職をして家計を支えました。
    8歳になると、徳次は金物職人の坂田芳松のもとで丁稚奉公をすることとなりました。
    当時、日清戦争後の好景気のなかで、製造現場の機械化がはじまっていました。芳松は昔堅きの腕利きの職人であったため、はじめは機械化には抵抗していました。しかしある時、鉛筆製造機械を借金をして購入したところ、事業に失敗。
    芳松の店は破産し、徳次ら残された数人の職人は、貧しいなかで店を立て直すこととなりました。
    徳次の転機となったのは、1912年、19歳の頃に徳尾錠を発明したことでした。当時は洋服が富裕層のなかで普及をはじめていました。徳尾錠は洋服のベルトのバックルであり、穴の場所に関わらずベルトを締めることができました。
    徳尾錠は評判を呼び、徳次の工場は拡大。これ以後、徳次は様々な新製品を発明していきます。
    1915年、徳次が22歳頃に発明したのが早川式繰出鉛筆です。商業的に成功した初期のシャープペンシルとして知られます。早川式では、芯の交換が簡単であったこと、金属製で丈夫であったことから、海外でも人気を博しました。
    しかし間も無く、徳次の工場は関東大震災に罹災。妻と二人の子供が亡くなり、やむなく工場も解散することとなり、シャープペンシル製造は事業譲渡しました。
    その苦境の中で徳次は再起を図り、1924年、早川金属工業研究所を創業します。そして1925年に開発したのが国産初の鉱石ラジオです。アメリカ製のラジオを分解し、研究することで、国産化を実現。ラジオ事業は成長し、シャープは次第に巨大電機メーカーへと発展してきました。
    1980年、徳次は86歳で亡くなります。現在においても、シャープの創業者として、また、昭和を代表する技術経営者の一人として知られています。
    以上!

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