3分でわかるエド・ロバーツ【アルテア8800の開発者】

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • アメリカの起業家であり、アルテア8800の開発者として知られるエド・ロバーツを紹介します。
    ***
    こんにちは。人からわかる3分技術史。
    今日はエド・ロバーツについて勉強していきましょう。
    ヘンリー・エドワード・ロバーツ。1941年生まれ。アメリカの起業家であり、アルテア8800の開発者として知られます。
    ロバーツは、32代大統領フランクリン・ルーズベルト時代のアメリカ合衆国、フロリダ州のマイアミに生まれました。
    ロバーツの父親は家電修理の仕事を営んでいました。ロバーツははじめ医者になることを志しましたが、周囲の勧めに従いマイアミ大学で電気工学を学びました。
    しかし、学生結婚をした妻が妊娠したため、大学を中退。家族を養うため、1962年、21歳の頃にアメリカ空軍に入隊します。続いて空軍から奨学金を得てオクラホマ州立大学で工学の学位を取得すると、兵器開発の仕事を務めることとなりました。
    ロバーツの転機となったのは、1969年、同僚のフォレスト・ミムズとともにMITS社を創業したことでした。MITS社の初期の製品は、おもちゃのロケットをセンサーで追跡して撮影するというものでした。そして、1974年、33歳頃のロバーツが売り出したのが、個人向けのコンピュータの制作キットであるアルテア8800でした。
    当時までに、IBMのSystem/360やDECのPDP-8をはじめとしたコンピュータが普及していました。しかしそれらは企業や研究機関に向けた大型で高額でものであり、個人にはほとんど手が出せませんでした。
    そんななかロバーツは、インテルの新作マイクロプロセッサであるインテル8080を用いることで、最低限の機能を持ったコンピュータが製造できることに気づきます。そして開発されたアルテア8800は、256バイトのメモリしか持たず、わずかなスイッチとLEDしかインターフェースを持ちませんでした。しかし、個人に広く流通した最初のコンピュータとなり、現在では、最初のパーソナルコンピュータの一つとして評価されています。
    2010年、ロバーツは68歳で亡くなります。アルテア8800は数々の拡張キットや模倣製品を生み出し、それ以後のハッカー文化を牽引しました。ロバーツは後年になると起業家を引退し、49歳で医者になる夢をかなえました。現在においても、アルテア8800の開発者として、また、パーソナルコンピュータの父の一人として知られています。
    以上!

Комментарии • 3

  • @nekomimiz5559
    @nekomimiz5559 5 месяцев назад +1

    NHKの電子立国で出て来ます。
    故ポールアレンとビルゲーツがBASIC作ってマイクロソフトの一発目の飛躍したマシン。

  • @user-uy7mm2mh8e
    @user-uy7mm2mh8e 5 месяцев назад +1

    とても興味深い動画でした✨
    アルテア8080なのでしょうか?
    アルテア8800なのでしょうか🤔

    • @人からわかる3分技術史
      @人からわかる3分技術史  5 месяцев назад +1

      申し訳ありません!
      アルテア8800が正しく、8080は誤読です。マイクロプロセッサはインテル8080のため、混ざっておりました。