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先生、どうする家康Tシャツお似合いです‼️😊
はい、とてもお似合いです❤
笑 tシャツ素敵です❗先生も番宣❗
「ようやく武士になれたな」「...それがし、以前から武士でござる」山田孝之、やっぱりカッコいい。あの殺陣、どれだけ練習しているんだろ。
先生、解説ありがとうございます。以前に放送され先生がご出演された、英雄たちの選択も見直しました。勉強になりました。そして徳川家康公の持つ、運というのが非常に大きいという実感でした。
本編見れなかったのに、こっちを先に見てしまう程に楽しみです。
先生のTシャツ👕良いですね、欲しいです買います😊
伊賀越えのルートが何通りもあるのは、一行が分散し追手をまく陽動作戦のためもあるかもしれませんね。実際複数ルートをそれぞれの隊が、進んだ可能性もあります。宿泊地も、安全面からも分宿の方が危険を回避できますし。文書は、どちらも正しいのかもなあと感じました。
これだけ複数ルートが説として出るのはそれだけ光秀に対して最大限の警戒をしていたとも見れますね、仮に光秀が家康を本気で討ちたいと思っていたなら複数の場所から家康を見たと言う情報が届いてさぞかし苛ついたでしょうね。
そのTシャツ、素敵ですね。
中井均先生によると「中世の山城で人が生活できる場所はないため家康は泊まっていないと思っていた。戦国武将が寺に臨時に泊まるのは当たり前だった。幕府が命じて作られた資料なので極めて信頼性は高く、貴重な発見だ」とあり、小川城だけではなく、周辺には小川中ノ城、小川西の城、小川西ノ城西之城などの甲賀独特の複数城跡があり、妙福寺はその中心地にあり、宿泊するならば寺になるのでしょうね。甲賀地域の城跡に宿泊することは無いのでしょう。ちなみに現在は清光寺、滋賀県甲賀市信楽町小川になるそうです。
本能寺の変後の家康一行が取った行動もタイトルにある「どうする」の一場面ですよね、神君の逃避行のルートも諸説あるので伊賀だけではなく甲賀なのか大和なのか白子から船の行き先も尾張国知多半島なのか三河国に直接戻ったのかよくわかりませんね。本多正信が帰り新参になった時期がその直後だったんですね。
いろんな説のあることが紹介されており、よくわかる解説です。他の動画では「白子」を「しらこ」と読んで説明していたり、無茶苦茶感があるが、小和田氏はちゃんと「しろこ」と読んでおり、小和田氏のこの動画は理解しやすい。上島説は、関町から亀山、鈴鹿の石薬師、そして四日市へ行き、そこの港で船を調達しようとしたが果たせず、人家の多い日永、塩浜の街道を通って南下して鈴鹿へ戻ったというが、それなら、家康一行は当時まだ橋が架かっていなかった一級河川の鈴鹿川を渡って南下せねばならないはず。家康一行が鈴鹿川をどうやって渡ったのか疑問。しかも、その記録は何一つ見つかっていない。また、当時の港は白子が有名。ただ、江戸後期の安政の大地震で白子港は壊滅的打撃を受けて遠浅の海になってしまったものの、家康伊賀越えの当時なら、白子港は室町時代からの繁栄もあって、出入りする船から入港料をとれるほど有名で、船の調達を考えるのなら関町から最短ルートで鈴鹿の白子の港を目指したはず。わざわざ当時はまだ港としてはたいしたことのない四日市の港を一旦目指したというのは大急ぎの逃避行だったはずなのに悠長過ぎて疑問。
合戦ならまだ行政もやったりして明確な資料も残りやすいが、通っただけだからね。しかも行幸のようなものでもなく、こっそり逃避行だし。
誰も、家康の顔なんて、見た事ないでしょうしねえ
今回の大河ドラマは家康が主役だから「伊賀越えは大ピンチだった」と言うのも理解できるのですが、光秀の立場で考えた場合、まずは細川幽斎や筒井順慶を味方にすることが先決だし、敵として考えるなら、織田信孝の動向が一番気になって、家康どころではなかったんじゃないでしょうか⁉️
信長、信忠親子が光秀なら京を完全封鎖していると考えて逃げて捕まる事を良しとしなかった様に(実際は京を完全封鎖出来ていなかったので長益とかが逃げ切っている)家康も光秀に対して「必ず自らの命を狙ってくるであろう」と考えても不思議ではない程光秀と言う人物が有能だったと言う事だと思います(実際に光秀が懸賞金を掛けたりして手配しているから穴山梅雪が討たれたと言う解釈も出来ると思います)
今回も感動回でした。一番の感動ポイントは、穴山殿が家康の身代わりとなったところ。瀬名の夢に共感していた穴山殿が家康に天下泰平の国作りの実現を託したのだろう、すごく感動しました。それにしても、光秀は非道い人物である。家康ではなく穴山殿だったとしても、せっかく首級を上げて来た家臣を足蹴にしていた。首を持って行って褒められるどころか罵倒されるとは。これでは誰も光秀のために戦う気など失くすだろう。誰も光秀の味方をしなかったのも納得で、光秀が秀吉に敗れたのも当然の結果である。すべては光秀の人間性の問題ですね。
天海僧正に、酒向さんを再び使ってもらいたい。NHK殿。
一体どれが本当だったんだろうね、そのルート。
明智光秀、織田信長には詳しいけど、徳川家康には詳しくなかった。このどうする家康を見て、徳川家康の人生の整理をしている。
伊賀など行かなさそう。大和から伊勢に出たんだろう。
あんな数名で伊賀越えするとは? 野伏り200人を殺しながら三河に戻った、という書物もありましたし、今回、信長を暗殺するために500人の忍びを本能寺周辺に潜伏させた,とか、2回に及ぶ伊賀の里殲滅戦争で2回目では主力になった徳川軍が命を救い、家臣にした100人もの伊賀忍者の活躍も描かない、とは? 昔武士だったという茶屋四郎次郎が馬に乗って堺の家康に信長暗殺を知らせるのなら分かるが、「いだてん勘九郎」として、3人目のマラソンランナーとして走って知らせるのも不可思議です。 創作は創作で良いですが、前後の辻褄合わせや視聴者を納得させる描き方を指導して下さい!
元·大河主人公があっけない退場やった
「麒麟が来る」とは大違いでした。
今回の大河はある意味、敵と味方をハッキリさせる部分があったり、大まかな流れは旧来の説を採用したりで昔の大河に回帰している部分があったりしますね。光秀に関しては謎の部分が多いので人物像としては両方あり得るんですよね、個人的には今回の光秀の振り切った演技は物凄く好物です。
明智光秀は、史実では、大勢に殺されたのではない。竹やりが1本当たり、それが致命傷だった、らしい。古沢は、史実から離れ過ぎて、使いもんにならん大河ドラマだな。
ゆめゆめその時々の大河の勝手な解釈に惑わされぬよう。明智光秀の描き方は今回酷すぎる。
最後が情けなかったよねー。役者も、イケメンが多いのに、なんかつまらない地味なオジサンで、浮いていたと思うけど。
先生、どうする家康Tシャツお似合いです‼️😊
はい、とてもお似合いです❤
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「...それがし、以前から武士でござる」
山田孝之、やっぱりカッコいい。
あの殺陣、どれだけ練習しているんだろ。
先生、解説ありがとうございます。以前に放送され先生がご出演された、英雄たちの選択も見直しました。
勉強になりました。そして徳川家康公の持つ、運というのが非常に大きいという実感でした。
本編見れなかったのに、こっちを先に見てしまう程に楽しみです。
先生のTシャツ👕良いですね、欲しいです買います😊
伊賀越えのルートが何通りもあるのは、一行が分散し追手をまく陽動作戦のためもあるかもしれませんね。実際複数ルートをそれぞれの隊が、進んだ可能性もあります。宿泊地も、安全面からも分宿の方が危険を回避できますし。文書は、どちらも正しいのかもなあと感じました。
これだけ複数ルートが説として出るのはそれだけ光秀に対して最大限の警戒をしていたとも見れますね、仮に光秀が家康を本気で討ちたいと思っていたなら複数の場所から家康を見たと言う情報が届いてさぞかし苛ついたでしょうね。
そのTシャツ、素敵ですね。
中井均先生によると「中世の山城で人が生活できる場所はないため家康は泊まっていないと思っていた。戦国武将が寺に臨時に泊まるのは当たり前だった。幕府が命じて作られた資料なので極めて信頼性は高く、貴重な発見だ」とあり、小川城だけではなく、周辺には小川中ノ城、小川西の城、小川西ノ城西之城などの甲賀独特の複数城跡があり、妙福寺はその中心地にあり、宿泊するならば寺になるのでしょうね。甲賀地域の城跡に宿泊することは無いのでしょう。ちなみに現在は清光寺、滋賀県甲賀市信楽町小川になるそうです。
本能寺の変後の家康一行が取った行動もタイトルにある「どうする」の一場面ですよね、神君の逃避行のルートも諸説あるので伊賀だけではなく甲賀なのか大和なのか白子から船の行き先も尾張国知多半島なのか三河国に直接戻ったのかよくわかりませんね。
本多正信が帰り新参になった時期がその直後だったんですね。
いろんな説のあることが紹介されており、よくわかる解説です。他の動画では「白子」を「しらこ」と読んで説明していたり、無茶苦茶感があるが、小和田氏はちゃんと「しろこ」と読んでおり、小和田氏のこの動画は理解しやすい。上島説は、関町から亀山、鈴鹿の石薬師、そして四日市へ行き、そこの港で船を調達しようとしたが果たせず、人家の多い日永、塩浜の街道を通って南下して鈴鹿へ戻ったというが、それなら、家康一行は当時まだ橋が架かっていなかった一級河川の鈴鹿川を渡って南下せねばならないはず。家康一行が鈴鹿川をどうやって渡ったのか疑問。しかも、その記録は何一つ見つかっていない。また、当時の港は白子が有名。ただ、江戸後期の安政の大地震で白子港は壊滅的打撃を受けて遠浅の海になってしまったものの、家康伊賀越えの当時なら、白子港は室町時代からの繁栄もあって、出入りする船から入港料をとれるほど有名で、船の調達を考えるのなら関町から最短ルートで鈴鹿の白子の港を目指したはず。わざわざ当時はまだ港としてはたいしたことのない四日市の港を一旦目指したというのは大急ぎの逃避行だったはずなのに悠長過ぎて疑問。
合戦ならまだ行政もやったりして明確な資料も残りやすいが、通っただけだからね。
しかも行幸のようなものでもなく、こっそり逃避行だし。
誰も、家康の顔なんて、見た事ないでしょうしねえ
今回の大河ドラマは家康が主役だから「伊賀越えは大ピンチだった」と言うのも理解できるのですが、
光秀の立場で考えた場合、まずは細川幽斎や筒井順慶を味方にすることが先決だし、敵として考えるなら、織田信孝の動向が一番気になって、家康どころではなかったんじゃないでしょうか⁉️
信長、信忠親子が光秀なら京を完全封鎖していると考えて逃げて捕まる事を良しとしなかった様に(実際は京を完全封鎖出来ていなかったので長益とかが逃げ切っている)家康も光秀に対して「必ず自らの命を狙ってくるであろう」と考えても不思議ではない程光秀と言う人物が有能だったと言う事だと思います(実際に光秀が懸賞金を掛けたりして手配しているから穴山梅雪が討たれたと言う解釈も出来ると思います)
今回も感動回でした。一番の感動ポイントは、穴山殿が家康の身代わりとなったところ。瀬名の夢に共感していた穴山殿が家康に天下泰平の国作りの実現を託したのだろう、すごく感動しました。それにしても、光秀は非道い人物である。家康ではなく穴山殿だったとしても、せっかく首級を上げて来た家臣を足蹴にしていた。首を持って行って褒められるどころか罵倒されるとは。これでは誰も光秀のために戦う気など失くすだろう。誰も光秀の味方をしなかったのも納得で、光秀が秀吉に敗れたのも当然の結果である。すべては光秀の人間性の問題ですね。
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一体どれが本当だったんだろうね、そのルート。
明智光秀、織田信長には詳しいけど、徳川家康には詳しくなかった。このどうする家康を見て、徳川家康の人生の整理をしている。
伊賀など行かなさそう。大和から伊勢に出たんだろう。
あんな数名で伊賀越えするとは?
野伏り200人を殺しながら三河に戻った、という書物もありましたし、今回、信長を暗殺するために500人の忍びを本能寺周辺に潜伏させた,とか、2回に及ぶ伊賀の里殲滅戦争で2回目では主力になった徳川軍が命を救い、家臣にした100人もの伊賀忍者の活躍も描かない、とは?
昔武士だったという茶屋四郎次郎が馬に乗って堺の家康に信長暗殺を知らせるのなら分かるが、「いだてん勘九郎」として、3人目のマラソンランナーとして走って知らせるのも不可思議です。
創作は創作で良いですが、前後の辻褄合わせや視聴者を納得させる描き方を指導して下さい!
元·大河主人公があっけない退場やった
「麒麟が来る」とは大違いでした。
今回の大河はある意味、敵と味方をハッキリさせる部分があったり、大まかな流れは旧来の説を採用したりで昔の大河に回帰している部分があったりしますね。
光秀に関しては謎の部分が多いので人物像としては両方あり得るんですよね、個人的には今回の光秀の振り切った演技は物凄く好物です。
明智光秀は、史実では、大勢に殺されたのではない。竹やりが1本当たり、それが致命傷だった、らしい。古沢は、史実から離れ過ぎて、使いもんにならん大河ドラマだな。
ゆめゆめその時々の大河の勝手な解釈に惑わされぬよう。明智光秀の描き方は今回酷すぎる。
最後が情けなかったよねー。役者も、イケメンが多いのに、なんかつまらない地味なオジサンで、浮いていたと思うけど。