Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
広セキG編成の各先頭車は國鉄広島の究極の迷車だった、鉄道ファンはともかく一般利用客にとっては超外れ編成だっただろう。
流石 寄せ集めのガラクタがGの意味 禁じ手まで使って運用する西日本のクオリティ全開なのが面白いです
懐かしのチクビーム
常に最新鋭の新型でキレイ、キレイな東京の山手線に対して関西との違いですかね? 自分関東生まれですが父親が関西人なんで理解出来るし、いわゆるケチでなく使えるモノは徹底的に使う合理的という、けど関東人はカッコつけしいで、ちと古くなると簡単に捨ててしまうという、プロ野球の阪神と巨人に例えると解りやすいかもですね。ちなみに自分は神奈川県川崎市生まれで古い時代からの大洋ホエールズからの横浜DeNAベイスターズのファンで川崎駅から横浜スタジアム行くのに様々な型式の電車乗れるのを楽しみにしてたし、もちろん東急や小田急、京急、横浜市営地下鉄などもワザワザ遠回りして乗ったもんです😌
広セキには両端クハ115-3000に111系中間車を挟んだのもいたように記憶する。弥彦線や越後線にも寄せ集めがいたが一応全部115系だった。
冬季でもドア全開😲😲温暖な山口県だからね😄😄
実にオモロイです❗昔からのオールド鉄道ファンには興味深い話ですね😄 ちなみに自分の地元の南武線は旧型国電の墓場的で、あの国鉄電車新性能型の元祖の101系の試作型(モハ90)900番台の4両編成が最期に定期運用されていたのを覚えておりますし、101系の冷房改造車もありました。確かソレは自分中学生の1976年頃だったと🤔 その2年後の1978年に旧型72系が完全淘汰され、華々しく装飾されたサヨナラ運行を撮った写真は今も保存してます❗🥹
《訂正》3:15頃の写真はクハ111-268(G-01の上り方先頭車)です。クハ115-605は1:55などに登場しています
普通に通学でつかっていました。だから、当たり前と思っていました。
3:58 この塗りドアの存在を求めて新潟まで足を運ぶ人がいた訳が分かります
よくよく考えれば、クハ111-139もクハ111-268も震災がなければ1995年の段階で運転台供出の対象となってとっくに廃車になっていた車両。さらに播但線の電化というイベントもなければ、103系4連3本(ヒロB-06、ヒロB-13、ヒロB-15)は残されており、他の車両もとっくに廃車になっていた。そう考えると、セキG編成(特にセキG-01、セキG-02)は世情に左右されまくった車両たちだったんだなと思う。
G編成、面白かったです
確か、113系と115系、併結可能ですよ。ただ、115系のノッチ戻し勾配抑速ブレーキが使えなくなるだけで。
GetemonoのGとはよく言ったものでHen’na…じゃなかったセキH編成の解説もできるならお願いします
うぽつですG編成存命時は最末期以外は他の編成もろとも常に扉全開だったんで、言われるまでそんなに気にならなかった印象です
JRになる前後から115系は各地で地方色に塗り替えられましたが、私はクリームに青帯の塗装(瀬戸内色)が一番好きでした。
国鉄時代にクハ111をクハ115に改造編入した番代が600番代。通常なら正式に編入改造して600番代の追番にでもすればよかったものを、そうしなかったのは単に面倒くさかったのか、金欠だったんでしょうねぇ。
懐かしい
セキG編成がクハ111を繋げていたのに、何故網干にいたK11,12編成はクハ111先頭ながら中間115系に出来たのかが気になります。それぞれのクハには抑速ブレーキは付けてたのかどうかも気になるところです。
懐かしきボロクハーズ
国鉄227系に置き換えられてしまいました。
職員にとってはG編成は厄介者でしか無かったのだろうな😅
西はまたボロを寄越す❗今日もクソダイヤ乱れと戦い
いわゆるデカ乳輪ヘッドライト編成なのか
コレよく考えたらクハ111を神戸方に繋げばセノハチ対策の抑速制御改造要らなかったのでは
なんで広島って昔から正面幕 白なの? 正面側面一斉指令の103系なんて改造してまで。で、なぜ105系だけ正面も表示があるの?
105は側面に幕無いから
でなんで103は改造してまで正面無表示にするの?
ドアが少ない
乗ったことあるわ
逢田梨香子の、らららじお
広セキG編成の各先頭車は國鉄広島の究極の迷車だった、鉄道ファンはともかく一般利用客にとっては超外れ編成だっただろう。
流石 寄せ集めのガラクタがGの意味 禁じ手まで使って運用する西日本のクオリティ全開なのが面白いです
懐かしのチクビーム
常に最新鋭の新型でキレイ、キレイな東京の山手線に対して関西との違いですかね? 自分関東生まれですが父親が関西人なんで理解出来るし、いわゆるケチでなく使えるモノは徹底的に使う合理的という、けど関東人はカッコつけしいで、ちと古くなると簡単に捨ててしまうという、プロ野球の阪神と巨人に例えると解りやすいかもですね。ちなみに自分は神奈川県川崎市生まれで古い時代からの大洋ホエールズからの横浜DeNAベイスターズのファンで川崎駅から横浜スタジアム行くのに様々な型式の電車乗れるのを楽しみにしてたし、もちろん東急や小田急、京急、横浜市営地下鉄などもワザワザ遠回りして乗ったもんです😌
広セキには両端クハ115-3000に111系中間車を挟んだのもいたように記憶する。弥彦線や越後線にも寄せ集めがいたが一応全部115系だった。
冬季でもドア全開😲😲
温暖な山口県だからね😄😄
実にオモロイです❗昔からのオールド鉄道ファンには興味深い話ですね😄 ちなみに自分の地元の南武線は旧型国電の墓場的で、あの国鉄電車新性能型の元祖の101系の試作型(モハ90)900番台の4両編成が最期に定期運用されていたのを覚えておりますし、101系の冷房改造車もありました。確かソレは自分中学生の1976年頃だったと🤔 その2年後の1978年に旧型72系が完全淘汰され、華々しく装飾されたサヨナラ運行を撮った写真は今も保存してます❗🥹
《訂正》3:15頃の写真はクハ111-268(G-01の上り方先頭車)です。クハ115-605は1:55などに登場しています
普通に通学でつかっていました。だから、当たり前と思っていました。
3:58 この塗りドアの存在を求めて新潟まで足を運ぶ人がいた訳が分かります
よくよく考えれば、クハ111-139もクハ111-268も震災がなければ1995年の段階で運転台供出の対象となってとっくに廃車になっていた車両。さらに播但線の電化というイベントもなければ、103系4連3本(ヒロB-06、ヒロB-13、ヒロB-15)は残されており、他の車両もとっくに廃車になっていた。
そう考えると、セキG編成(特にセキG-01、セキG-02)は世情に左右されまくった車両たちだったんだなと思う。
G編成、面白かったです
確か、113系と115系、併結可能ですよ。
ただ、115系のノッチ戻し勾配抑速ブレーキが使えなくなるだけで。
GetemonoのGとはよく言ったもので
Hen’na…じゃなかったセキH編成の解説もできるならお願いします
うぽつです
G編成存命時は最末期以外は他の編成もろとも常に扉全開だったんで、言われるまでそんなに気にならなかった印象です
JRになる前後から115系は各地で地方色に塗り替えられましたが、私はクリームに青帯の塗装(瀬戸内色)が一番好きでした。
国鉄時代にクハ111をクハ115に改造編入した番代が600番代。通常なら正式に編入改造して600番代の追番にでもすればよかったものを、そうしなかったのは単に面倒くさかったのか、金欠だったんでしょうねぇ。
懐かしい
セキG編成がクハ111を繋げていたのに、何故網干にいたK11,12編成はクハ111先頭ながら中間115系に出来たのかが気になります。それぞれのクハには抑速ブレーキは付けてたのかどうかも気になるところです。
懐かしきボロクハーズ
国鉄227系に置き換えられてしまいました。
職員にとってはG編成は厄介者でしか無かったのだろうな😅
西はまたボロを寄越す❗
今日もクソダイヤ乱れと戦い
いわゆるデカ乳輪ヘッドライト編成なのか
コレよく考えたらクハ111を神戸方に繋げばセノハチ対策の抑速制御改造要らなかったのでは
なんで広島って昔から正面幕 白なの? 正面側面一斉指令の103系なんて改造してまで。
で、なぜ105系だけ正面も表示があるの?
105は側面に幕無いから
でなんで103は改造してまで正面無表示にするの?
ドアが少ない
乗ったことあるわ
逢田梨香子の、らららじお