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男性バージョンの英語アナウンスも懐かしいですね。
子供の頃、よく乗りました。冷房化される前、夏場にこの電車が来たときの絶望感は凄まじいものがありました。
津田英二氏になったのは92年8月から、天下茶屋延伸は93年3月だから数か月間だけ聞けた貴重な放送。
非冷房車時代に乗ったことが有り、30系を含めその時のシートの座り心地が硬すぎてビックリしました。
めっちゃ探してたー。バリ懐かしいなぁ、子供の頃よく乗ってたわぁ。天下茶屋まで行ってたかなぁ
いや、この当時はまだ動物園前止まりでしたよ?天下茶屋延伸開業はこの後に開通となりますね。
0:58終点の放送が流れてから座るお父さんw
夏場にこれが来たら地獄だったな…
僕にとっては、60系も30系も地獄だけど好きです。唯一運転操作が見れましたから。
この頃に戻りたいですね・・・・・・・・
終盤の回送は延伸前によくある予行運用ですね.けいはんな線や阪神なんば線でも同じ試運転が行われていました.
動物園前駅は今と雰囲気が変わらないけど改装工事しているからこれも過去のものになるんでしょうね?
1:43 当駅止まりなのに何故か発車メロディーは鳴らすとは。
たぶん、もうすでに開業寸前間近だったこともあってか、恐らくそのための準備をしていたんでしょうね。
この直前までは天六、堺本、日本橋、動物園前のそれぞれで違った丁寧でなかった頃のベル音(それ以外はベルも何もなし)だったので、天茶開業前の試運転代わりの予行演習でしょうね。夢洲延長が目の前に見えてきた今のコスモスクエアと同じ感じです。
これは英語が入って、まだ親切な頃です。親切でない頃の乗り換え放送は肉声でも自動放送でも「谷町線は 乗り換え!」でした。
次は堺筋ホンマチィ~チューオーセンオーサカコーナガタホウメン・近鉄東オーサカセンイコマホーメン乗り替えッ!
津田英二氏の前は堺筋線だけ他線とは違う感じでしたね。他線は丁寧だったんですが。
津田英治のアナウンスがかっこいい
津田英治さんの放送はまだ、近鉄けいはんな線や、ニュートラムの駅で聞けますよね。
冷房改造と同時に66系と同じ内装になったのには驚きでした。
大阪市の地下鉄なんか昔、営団地下鉄(現在の東京メトロ)と同じような小窓のドアでした。
1970年鉄道友の会ローレル賞を受賞した大阪市営地下鉄(当時)60系だけど、次点が小田急電車の5000形だったから成る程だなと思います。
60系の車内をしっかり見たのは初めてです。子供のころはまだ走っていましたが、知らなかったもんで。
60系に乗った事あった2003年に全滅となって残念
男性の自動放送が大阪の地下鉄らしくてよかったんですけどね男性の英語放送ってかなり短い期間でしたよねそれ以前は乗換案内はJR線は環状線・関西線乗換って感じで線名で言ってましたね
92~99年までですね
懐かしいです。阪急沿線在住でしたから子どもの時にはシルバーとかみんな言うてましたわ。
この頃は、動物園前が終点だったのは既に知りましたが、阪堺電車の案内がない代わりに南海電車の案内がありますね。今は、御堂筋線で阪堺電車の案内がされてますね。
堺筋線の動物園前駅の最寄り駅が新今宮駅だからです。御堂筋線の動物園前駅はジャンジャン横丁側にあります。
2番線から発車しますと書かれている掲示板のような物は何ですか?
動物園前どまりもなくなりましたね
大阪市地下鉄夏場のガッカリ列車1 大阪市30系2 大阪市50系3 大阪市60系おまけ 北大阪急行 2000系ああ、なつかしい…
非冷房って、夏場は結構きつそうです。でも、大胆な節電は見込めそうです。
しかし、その分一年中、窓も扉もガタガタガタとガタつき音が鳴り響いて閉めていても滅茶苦茶うるさかったです。
これでよく日本橋行きました。
ドア窓の高さが東京メトロ6000系を想像する!
「見ても何もない地下区間が主だから、ドアに窓はいらんだろ」という考えで、1970年代までの各地の地下鉄はこういったスタイルが主でした。さすがにそれはダメということで、60系が冷房化された末期はドアエンジンがわずかに緩められ、ドア窓も高いのをやめていた気がします。
地下鉄ドアも今は副都心線と長電と名鉄に残るのみ🙄
子供が窓を覗くことに気をとられてドアに挟まるっていう理由もありましたよね。
国鉄も201系、203系、山手線205系でやってましたね。こちらも転属車含め数が減ってます
関西でいえば、JR奈良線を今もなお現役バリバリで走ってますね。 by205系
大阪メトロの特徴ステッカ、扉に注意も現在みたいに黄色のステッカじゃなく非冷房車までの車両で見られた赤プレートも味を出してます。
乗ったことあるわ
男性バージョンの英語アナウンスも懐かしいですね。
子供の頃、よく乗りました。
冷房化される前、夏場にこの電車が来たときの絶望感は凄まじいものがありました。
津田英二氏になったのは92年8月から、天下茶屋延伸は93年3月だから数か月間だけ聞けた貴重な放送。
非冷房車時代に乗ったことが有り、30系を含めその時のシートの座り心地が硬すぎてビックリしました。
めっちゃ探してたー。
バリ懐かしいなぁ、子供の頃よく乗ってたわぁ。
天下茶屋まで行ってたかなぁ
いや、この当時はまだ動物園前止まりでしたよ?天下茶屋延伸開業はこの後に開通となりますね。
0:58終点の放送が流れてから座るお父さんw
夏場にこれが来たら地獄だったな…
僕にとっては、60系も30系も地獄だけど好きです。
唯一運転操作が見れましたから。
この頃に戻りたいですね・・・・・・・・
終盤の回送は延伸前によくある予行運用ですね.けいはんな線や阪神なんば線でも同じ試運転が行われていました.
動物園前駅は今と雰囲気が変わらないけど改装工事しているからこれも過去のものになるんでしょうね?
1:43 当駅止まりなのに何故か発車メロディーは鳴らすとは。
たぶん、もうすでに開業寸前間近だったこともあってか、恐らくそのための準備をしていたんでしょうね。
この直前までは天六、堺本、日本橋、動物園前のそれぞれで違った丁寧でなかった頃のベル音(それ以外はベルも何もなし)だったので、天茶開業前の試運転代わりの予行演習でしょうね。
夢洲延長が目の前に見えてきた今のコスモスクエアと同じ感じです。
これは英語が入って、まだ親切な頃です。
親切でない頃の乗り換え放送は肉声でも自動放送でも「谷町線は 乗り換え!」でした。
次は堺筋ホンマチィ~チューオーセンオーサカコーナガタホウメン・近鉄東オーサカセンイコマホーメン乗り替えッ!
津田英二氏の前は堺筋線だけ他線とは違う感じでしたね。
他線は丁寧だったんですが。
津田英治のアナウンスがかっこいい
津田英治さんの放送はまだ、近鉄けいはんな線や、ニュートラムの駅で聞けますよね。
冷房改造と同時に66系と同じ内装になったのには驚きでした。
大阪市の地下鉄なんか昔、営団地下鉄(現在の東京メトロ)と同じような小窓のドアでした。
1970年鉄道友の会ローレル賞を受賞した大阪市営地下鉄(当時)60系だけど、次点が小田急電車の5000形だったから成る程だなと思います。
60系の車内をしっかり見たのは初めてです。子供のころはまだ走っていましたが、知らなかったもんで。
60系に乗った事あった
2003年に全滅となって残念
男性の自動放送が大阪の地下鉄らしくてよかったんですけどね男性の英語放送ってかなり短い期間でしたよねそれ以前は乗換案内はJR線は環状線・関西線乗換って感じで線名で言ってましたね
92~99年までですね
懐かしいです。
阪急沿線在住でしたから
子どもの時にはシルバーとかみんな言うてましたわ。
この頃は、動物園前が終点だったのは既に知りましたが、阪堺電車の案内がない代わりに南海電車の案内がありますね。今は、御堂筋線で阪堺電車の案内がされてますね。
堺筋線の動物園前駅の最寄り駅が新今宮駅だからです。
御堂筋線の動物園前駅はジャンジャン横丁側にあります。
2番線から発車しますと書かれている掲示板のような物は何ですか?
動物園前どまりもなくなりましたね
大阪市地下鉄夏場のガッカリ列車
1 大阪市30系
2 大阪市50系
3 大阪市60系
おまけ 北大阪急行 2000系
ああ、なつかしい…
非冷房って、夏場は結構きつそうです。
でも、大胆な節電は見込めそうです。
しかし、その分一年中、窓も扉もガタガタガタとガタつき音が鳴り響いて閉めていても滅茶苦茶うるさかったです。
これでよく日本橋行きました。
ドア窓の高さが東京メトロ6000系を想像する!
「見ても何もない地下区間が主だから、ドアに窓はいらんだろ」という考えで、1970年代までの各地の地下鉄はこういったスタイルが主でした。
さすがにそれはダメということで、60系が冷房化された末期はドアエンジンがわずかに緩められ、ドア窓も高いのをやめていた気がします。
地下鉄ドアも今は副都心線と長電と名鉄に残るのみ🙄
子供が窓を覗くことに気をとられてドアに挟まるっていう理由もありましたよね。
国鉄も201系、203系、山手線205系でやってましたね。こちらも転属車含め数が減ってます
関西でいえば、JR奈良線を今もなお現役バリバリで走ってますね。 by205系
大阪メトロの特徴ステッカ、扉に注意も現在みたいに黄色のステッカじゃなく非冷房車までの車両で見られた赤プレートも味を出してます。
乗ったことあるわ