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御所⇔和歌山を結ぶ[近鉄和歌山線]…夢のある構想です😂
昔、多分まほろば鉄道という名前でミニ鉄道を走らせていたと思いますあと、今から20年ぐらい前に五新線の城戸から先の未成区間が開放されて行く機会があり行った事がありますとにかく暗くてだだっ広いトンネルが連続していました(写真のオレンジの橋梁の上も入った記憶があります)ちなみこの五新線の区間、映画「萌の朱雀(河瀬直美監督)」の舞台になって当時使われていた国鉄時代からの西日本JRバスが映っています
近鉄・南海が出資する第三セクターででも開通させて欲しかったなぁ
昭和の頃、五新線は、中学や高校の教科書の付属の地図帳には必ず計画線として載っていた。写真の付いているものもあった。ある程度の橋梁や線路用地(一部は線路等がほぼ完成状態。)もできていた。あと何らかの要件でも整えば、実際に紀伊半島の中間あたりくらいまでは着工される寸前くらいまでは行っていたようなところもある。はじめての着工は戦前だから意外と古い。紀伊半島は広大であるため、元々、ルート選定に争いがあり、バスであれば、いろんなところにバス停も設置できうる点からして、その他、採算性の悪さや、その後の延伸されるべき、長大であり、山深い部分の難工事等が予想されうることなどから、計画は流れた。また、この辺りを縦貫するための道路の方は、もう既に完成していた点も計画中止に拍車をかけた。モータリゼーションの波が押し寄せていたのは、ここも例外ではない。乗り入れを予定して、出資、建設等に関係していた、南海電鉄や近鉄に譲渡する手もあったが、国鉄紀勢線などの収益が下がることなども考えれば、国鉄の思惑としては、そのまま計画を中止した方がよかったのだろう。それにしても、実際にそれまでにつくってきた、多くの橋梁やトンネル等の設備が水の泡に帰したことは、厖大な無駄を出してしまったことになる。国鉄だからこういう無駄を出しても素知らぬ顔で収束させてしまった。 近年、「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」が土木学会選奨土木遺産に選定されるなどしており、いかにこの計画線が、当時、本腰であったのかがうかがわれる。やはり、この辺りは、古い時代に散見された計画の主張通り、バスやトラックなどの方が理にかなった地域であったという方が、より適切だったのだろうと思われる。
うp主さんの記憶は間違いありません。配線探索ブームになった2010年以降、幻の五新鉄道を走らせる会なる有志の方々がコンクリート橋の上にレールを敷き、ミニSLを使ったイベントを催した日がありました(もちろん市か町の許可を取っていたと思います)。その時はまだ国道上の橋も繋がっていて、レールは途中までの折り返し運転でしたが吉野川堤防手前まで歩いて行けました。SLのりばには五新線の予想時刻表なんかも展示されていましたね。国道拡幅工事でコンクリート橋が分断された今は残念な姿になってしまいました。
コメントいただきありがとうございます.やはりそうだったのですね.たまたま居合わせただけなのに,ここまで記憶に残るとは当時は思っても見ませんでした.もう河川敷まで行けないことは,とても残念なことです,,,
和歌山線近鉄化構想は和歌山に近鉄百貨店があるのが答え。
御所⇔和歌山を結ぶ[近鉄和歌山線]…夢のある構想です😂
昔、多分まほろば鉄道という名前でミニ鉄道を走らせていたと思います
あと、今から20年ぐらい前に五新線の城戸から先の未成区間が開放されて行く機会があり行った事があります
とにかく暗くてだだっ広いトンネルが連続していました(写真のオレンジの橋梁の上も入った記憶があります)
ちなみこの五新線の区間、映画「萌の朱雀(河瀬直美監督)」の舞台になって当時使われていた国鉄時代からの西日本JRバスが映っています
近鉄・南海が出資する第三セクターででも開通させて欲しかったなぁ
昭和の頃、五新線は、中学や高校の教科書の付属の地図帳には必ず計画線として載っていた。写真の付いているものもあった。
ある程度の橋梁や線路用地(一部は線路等がほぼ完成状態。)もできていた。あと何らかの要件でも整えば、実際に紀伊半島の中間あたりくらいまでは着工される寸前くらいまでは行っていたようなところもある。はじめての着工は戦前だから意外と古い。
紀伊半島は広大であるため、元々、ルート選定に争いがあり、バスであれば、いろんなところにバス停も設置できうる点からして、その他、採算性の悪さや、その後の延伸されるべき、長大であり、山深い部分の難工事等が予想されうることなどから、計画は流れた。
また、この辺りを縦貫するための道路の方は、もう既に完成していた点も計画中止に拍車をかけた。モータリゼーションの波が押し寄せていたのは、ここも例外ではない。
乗り入れを予定して、出資、建設等に関係していた、南海電鉄や近鉄に譲渡する手もあったが、国鉄紀勢線などの収益が下がることなども考えれば、国鉄の思惑としては、そのまま計画を中止した方がよかったのだろう。
それにしても、実際にそれまでにつくってきた、多くの橋梁やトンネル等の設備が水の泡に帰したことは、厖大な無駄を出してしまったことになる。国鉄だからこういう無駄を出しても素知らぬ顔で収束させてしまった。
近年、「旧国鉄五新線(未成線)鉄道構造物群」が土木学会選奨土木遺産に選定されるなどしており、いかにこの計画線が、当時、本腰であったのかがうかがわれる。
やはり、この辺りは、古い時代に散見された計画の主張通り、バスやトラックなどの方が理にかなった地域であったという方が、より適切だったのだろうと思われる。
うp主さんの記憶は間違いありません。
配線探索ブームになった2010年以降、幻の五新鉄道を走らせる会なる有志の方々がコンクリート橋の上にレールを敷き、ミニSLを使ったイベントを催した日がありました(もちろん市か町の許可を取っていたと思います)。その時はまだ国道上の橋も繋がっていて、レールは途中までの折り返し運転でしたが吉野川堤防手前まで歩いて行けました。SLのりばには五新線の予想時刻表なんかも展示されていましたね。国道拡幅工事でコンクリート橋が分断された今は残念な姿になってしまいました。
コメントいただきありがとうございます.
やはりそうだったのですね.
たまたま居合わせただけなのに,ここまで記憶に残るとは当時は思っても見ませんでした.
もう河川敷まで行けないことは,とても残念なことです,,,
和歌山線近鉄化構想は和歌山に近鉄百貨店があるのが答え。