【消えゆく昭和の鉄道シーン】 東北本線 黒磯駅 機関車交換 EF65 501 → ED75 758

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  • Опубликовано: 21 авг 2024
  • 日本で唯一、地上切換設備によって直流と交流を切り替えている黒磯駅。まもなく、駅構内の完全直流化工事によって、交流機関車の進入ができなくなります。この地で行われてきた直流機関車から交流機関車への交換も見納めとなります。客車は、磐越東線100周年号の送り込みとなっています。

Комментарии • 39

  • @mimichannnopapa
    @mimichannnopapa 4 года назад +9

    還暦の機関車マニアには、懐かしさの余り感涙ものの
    EF65 Pの、それもトップナンバー
    小学〜中学生の頃に夢中になって追いかけたものです。

  • @tetsusuzuki8937
    @tetsusuzuki8937 4 года назад +10

    黒磯かぁ。田舎が郡山で毎回のように黒磯を通りましたね。新幹線上野開業前までは黒磯以北は旧型客車がメインでした、小学生だったので探検がてら車内散策して楽しんでた記憶が。あと急行は長時間停車して電流切替?で一瞬電気がおちましたね、そして昼時は必ずといっていいほど駅弁を購入しました。今は新幹線で味気なくなりました。

  • @user-zt6ch5pb5p
    @user-zt6ch5pb5p Год назад +1

    昭和の時代がまたひとつ消えていきました。黒磯駅は交流と直流の電気を地上で切り替えしていたため、交流と直流の機関車同士の顔合わせが見られました。黒磯駅構内が直流に切り替えられた為この風景も過去の思い出となってしまいました。貴重な映像を大変ありがとうございました。

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  Год назад

      ちょっと不思議なシーンでしたね。コメントありがとうございます。

  • @user-ih7dy3ji1w
    @user-ih7dy3ji1w 4 года назад +7

    直流化された黒磯駅に行って来ました。
    あれだけいた機関車は0でした。
    寂しい限りです………。

  • @user-ix1co6ic6x
    @user-ix1co6ic6x 2 года назад +3

    チャンネル登録させていただきました🎵国鉄時代は、黒磯駅での機関車交換がよく見受けられました。

  • @8001ify
    @8001ify 5 лет назад +6

    改めて、交流機関車と直流機関車が同じ場所を走るってきわめて珍しいシーンでしたよね・・・今もなお交流20KV対応のガイシと直流電車が一緒に見れる面白い場所です。

  • @keizo4784
    @keizo4784 4 года назад +6

    いいな~この旧客の発車シーン、何回見ても感動します。

  • @user-jw3yi3vz8z
    @user-jw3yi3vz8z 6 лет назад +8

    数年前までは普通な見ることが出来た光景でした。
    国鉄型の機関車も激減し時代の流れで
    残念ながら間も無く見る事が出来なくなってしまう光景。
    最後にとっておきのプレゼントになりました。
    ありがとうございます。

  • @user-nh1sc9gv7e
    @user-nh1sc9gv7e 5 лет назад +6

    60.3改正直前、最初で最後1回だけ黒磯から旧型客車乗ったことあります。小学2年でしたかね・・・親からこの子は旅行中ですと、証明の手紙を持って全国を飛び回っていましたww。
    最初で最後の旧型客車,ED75が着回しされて連結、トンボがホースの間に挟まってつぶれていました、ドアが開きっぱなしですが、小学生2年がドアから身を乗り出しても車掌やお客は知らん顔です。JRと違って国鉄はおおらかな時代だったと思います。1420発一関行き、木張りで高級感があってへたげなグリーン車より落ち着きがあり、どっしりとした重み。今でもわすれませんW。

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  5 лет назад +1

      「可愛い子には旅をさせよ」を実践されていた親御さんだったのですね。小学2年生とはこれまた驚きです。良き思い出を共有させていただきました。ありがとうございました。

    • @akabeko45
      @akabeko45 5 лет назад +1

      私も家出ではありませんと証明をもらって一人旅したことがありました。
      証明書は、故種村直樹さんの汽車旅相談室で読んだことがあります。

    • @sunami808
      @sunami808 4 года назад

      昭和50年代小学生の頃うろちょろして良く鉄道公安官に声かけられていました。逆手に取ってタダで家に連絡する機会にしてました。

  • @user-mh9qf9lc5b
    @user-mh9qf9lc5b 6 лет назад +6

    よく実家(仙台)に帰るときに始発の5時46分発の仙台行きに乗りましたが、もう無くなってるですね。残念です。

  • @KEIKYU-dp1zq
    @KEIKYU-dp1zq 5 лет назад +7

    黒磯駅の線路が交直切替だったことで、
    色々な機関車や719系、701系、e721系が関東
    ギリギリまで行けば見ることができたので、
    見れなくなって残念です。
    でも、安全性が高まり、
    e531系などを栃木県に行けば見られる(僕は
    埼玉県民なので、水戸まで行くのが遠くて辛い。)
    ようになったし、e531系と701系やe721系の
    乗り換え駅に「新白河駅」がなったので、
    知名度が上がって、福島県第4?の都市に
    なるといいなとも思いますね。

  • @kumagoo23
    @kumagoo23 2 года назад +2

    一度だけ黒磯でE721系に乗り換えたことがあります。交直切り替え拠点だった黒磯も、ただただ広い構内があるだけになってしまいました。今でも直流電車と交直流電車の乗り換えは必須ですが、那須への玄関口も那須塩原へ移り、寂しい交直境界駅という感じですね。

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  2 года назад +1

      広い構内には寂しさを感じます。客車全盛の頃を見ることはできなかったにせよ、せめてJR貨物のED75が走っていた頃にもう少し黒磯に足が向いていたら・・・と思うことがあります。駅前も少し寂しいですね。
      JR貨物の直流機が入らなくなったあたりから機関車交換も激減で、末期はこうした客車の通過時だけの機関車交換となってしまいました。長いホームも何か寂しさを増長している気がしますね。
      コメントありがとうございました。

  • @micheldenis6362
    @micheldenis6362 3 года назад +3

    I am a fan of loco changes....thank you very much

  • @user-jw7ge3ib6u
    @user-jw7ge3ib6u 6 лет назад +2

    この風景ももうすぐで見納めになりますね、寂しいです

  • @mohtyan1
    @mohtyan1 Год назад +2

    157系のラストランを撮る為に、夜行急行で初めて関東へ行った時、青や茶色の大きな機関車が車窓から見え、”いよいよ来たんだな”と実感したのを覚えています。
    牽引機はEF577でしたけど・・

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  Год назад

      素敵な思い出のお話をありがとうございます。
      過去か未来かどちらかを見に行けるなら、絶対過去の鉄道を見に行きます!! (^^ゞ

  • @b747246
    @b747246 6 лет назад +12

    こういう不便さもまた風情の一つですよね。。。。。

  • @Kamui785
    @Kamui785 6 лет назад +5

    信号機の下にあるやつなにかと思いましたけど、直流か交流なのか判別するための機器だったんですね

  • @hokutoseiexpress372
    @hokutoseiexpress372 2 года назад +2

    大昔、黒磯駅通過の特急電車は交直の車上切り替えもやっていた訳で複雑な構内配線ですね。。。
    EF65の退避線とホームの本線では分岐後の途中に架線のデッドセクションがあるはずですが、画像からは確認できませんでした。

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  2 года назад +1

      新幹線開通前の時代とか、客車列車全盛の時代とかの黒磯を見てみたかったですね。構内は本当に複雑で興味深いです。そこにもデッドセクションがあるはずですよね。
      下り線下り方の地上切り替え設備も気にしていたのですが、結局わからず仕舞いだった気がします。
      コメントありがとうございました。

  • @akabeko45
    @akabeko45 5 лет назад +8

    現在では黒磯駅に交流車両入れないですからね( ; ; )

  • @user-fo6ny2yo2v
    @user-fo6ny2yo2v 2 года назад +1

    確かに味や風情はあるけど…。
    交直流電車や交直流機関車に代わって、効率化される運命にあったんだろうな…。

  • @user-ht6zt1xd9p
    @user-ht6zt1xd9p 3 года назад +4

    素晴らしい動画ありがとうございます。
    入れ換えの時にEF65のパンタグラフが片方だけになるのは何か意味があるのでしょうか^^;
    どなたかご存知の方、教えてくださいm(_ _)m

    • @hokutoseiexpress372
      @hokutoseiexpress372 2 года назад +3

      こんばんは、
      EF65は待避線に入りまして、その後ED75が進入しましたので、この退避線とホームの本線間に架線デッドセクションがあるはずです。
      なので、もしパンタが2つ挙っていますと、架線電源切り替えのミスが起きた場合、このデッドセクションを2つのパンタが跨ってしまう(短絡する)
      という状態を未然に防ぐための回避予防措置ではないのか?と想像します。。。

  • @user-hl6fo3uu9u
    @user-hl6fo3uu9u 6 лет назад +2

    見れなくなってしまうのか…
    見納めしないとな〜

  • @user-zj3pc3pw3z
    @user-zj3pc3pw3z Год назад +1

    good.job!

  • @trapics91
    @trapics91 4 года назад +1

    直流と交流が同じ架線で走れるのですか?

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  4 года назад +1

      はい、走れました。同じ架線で直流と交流を切り替えていました。

  • @REMIRIA
    @REMIRIA 6 лет назад +2

    以前は、那須塩原側に大量の直流機関車が3重連くらいで留置されてたのに・・・

  • @123hitoshi
    @123hitoshi 6 лет назад +1

    EH500に統一された現在では 機関車の付け替え作業はすでに廃止されましたが

  • @user-sw4vz2ol6w
    @user-sw4vz2ol6w 3 года назад

    黒磯駅の件。私自身失敗だと思っています。

    • @tobby-train3915
      @tobby-train3915  3 года назад +1

      事故防止、設備の更新の問題、人件費と・・・時代の流れもあるかと思います。
      構内直流化でいろいろな不便もありますね。

    • @user-sw4vz2ol6w
      @user-sw4vz2ol6w 3 года назад

      @@tobby-train3915 さん。以前は455系、701系、715系、719系、417系、E721系が乗り入れていて、白河、郡山、福島、仙台、一ノ関方面と行っていました。今のE531系が東北本線に乗り入れには、もの凄く違和感あります。