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井沢元彦さん大好きで逆説の日本史を読んでから歴史好きに拍車がかかりました。取り上げられて嬉しかったです。
めっちゃ地元なので、余りにも身近過ぎて凄いとも思わなかったし、旅行でわざわざ行くほどか?なんて思っていたけれども、実は凄いことがわかりました、、
ある意味めちゃくちゃタイムリーなテーマやね
大社高校すごいよね、出雲大社すきだから応援してる!
出雲大社が必勝祈願の神様になってしまいそうな雰囲気あるw
大国主命が求婚に行ったのは、因幡国(鳥取県)の八上比売です。その縁談を取り持ったのが因幡の白兎なので、本当の縁結びは因幡の白兎を祀った鳥取市の白兎神社であるべきです。ちなみに八上比売は大国主命が権力者須佐之男命の娘の須勢理毘売命と婚約した事を憤り、生まれた赤子を大木の木の股に引っ掛けて実家に帰ってしまいます(その赤子が木俣神)。つまり大国主命は縁結びの神と言うよりは、不倫と政略結婚と結婚詐欺と離婚の神と言えます。
大陸から渡ってきた遊牧民スサノオが今の出雲市東部(黄泉の国)を治めた。
縁結びで有名だが、必勝祈願で参拝者が爆増しそうな出雲大社さん。ワイも行こうかなって思ってる。
なんで明治になって杵築大社から出雲大社に名前が変わったんだろう
創健716年。元出雲王家の神門家と富家が協力して造営、落成して創健した。
大社の読みは「おおやしろ」が正式だけどねw
それが何なんだ?
@@user_794 え?? 読み方すら分からないやつがイキるって、どういうこと?
21:36
@@油揚げ-o2p はいはいボクちん読めて偉いでちゅねー って言われたいのか。それがイキる理由?www
うp主は正式な名称は知っていて、多分読上げプログラムが、タイシャと「出雲のおおやしろ」を読み分けられないので😢😂しょうか?
「てんしんくに」って天津飯じゃあるまいし。
出雲は大陸と面し、『表日本』であり、太平洋側は『裏日本』でした。
稲佐の浜は”いなさのはま”ね。。。こういうのを作るならきちんと調べて作ってください
出雲口伝を読んでから作るべき!
大国主神が西向きの理由は「大国主=三輪山」だからだと考えています旧御本殿の復元模型も三輪山の形と一致しています
古文書ベースであるのなら、正しい見解です。ですが、出雲大社を取り巻く超古代の歴史はもっとドラマです。出雲大社は大国主命の本拠地ではありません。出雲とは超古代の交易専門集団で最終的にも国を持たなかった集団(民)と考えています。現在の島根県の出雲は日本海側最良の港を持つ所でした。ここは出雲の交易拠点の一つなのです。ですが、縄文時代から続く交易で主要生産国が東日本側に集中していたと考えられるのを考察すると、本社を西日本の島根に置くことは考えられません。東日本の各地…特に諏訪、三峰、鹿島、香取、塩釜、氷川が重要国と考えられ交易を専門とする出雲の他、海洋系民族とされる穂高、隼人、熊襲と共に日本列島と大陸を対象に交流を行っていたと考えます。交易が人々の生活を潤す事に重要としていれば、出雲は日本列島で尊敬される存在へとなっていくはずです。縁結びと云うキーワードを出てきましたが、交易集団は基本的に人力で大量の荷物を集団で運びます。集落から集落へ…集団は男だけの集団です。年に数度程度だと考えられる集落への訪問。集落には若い女の子達が待っているのです。狭い集落、近所と併せてもたかが知れてしまいます。寿命の短い古代ですが、「濃くなってしまう血統を防ぐ」と云う方針は集落の未来を創る上で重要です。それが交易でやってくる男達なのです。そして出雲の者達だからこその積重ねた信頼が「子種の提供」と云う事にも繋がるのです。それが縁結びの起源と考えています。当然交易による他の地域(国)との交流も縁結びです。国譲りと云う記述は…残念ながら真実ではないと考えます。まず記紀が基本的に漢語で書かれていると云う事です。日本書紀が中華向けと云う事もありますが、日本語記述のモノを漢語に翻訳したと云う記述や伝承はありません。最初から漢語の書物なのです。そしてその書物の編纂を中華系渡来人子孫の朝廷官吏が担ったと考えるのです。この渡来人系官吏は先祖から中華時代の苦難、難民として渡海して来た後の日本列島での苦汁の歴史を。出雲大社とは元交易拠点の一つだったのだが、地政学的に「対大陸」を考えた時に重要拠点となったのです。巨大神殿は超古代における軍事的ランドマーク。いわゆる「城、天守閣」だったのです。はるか遠くからでもここに超巨大建築物が存在する事によって、渡来人達に威嚇の存在となるからです。その効果が渡海して来た者達は日本海を海岸線に沿って東に向かうことを阻止できたのです。この出雲大社の巨大建築物は鎌倉の世となっても存在していたと考えられるため、この時でも国防に多大な影響をもたらしたと考えます。渡来人の渡海同様、元寇の渡海でさえ九州北岸以外の選択肢を許さなかった影響です。東に流れれば、巨大建築物を有する軍事的有力拠点と真っ向から対決しなければならなくなる。元に協力していた朝鮮も実態は知らないものの、大昔から力を持っていた者達とだけは伝説上で知っていたから東に流れる事は避けさせた。神話はあくまでもフィクションである。だがそこには遺恨による出雲、諏訪、鹿島、穂高、熊襲、吉備への復讐劇が隠されている。
全国の神が出雲に集まるのは出雲神道だけの話ですよ伊勢神宮の対になるのは倭大国魂神社では?
築地大社が出雲大社になったのは明治から。以前は亀岡市にある出雲大神宮が出雲だった。
@@morinokinoco2619 築地じゃなくて杵築じゃない?
ズーズー弁が島根、そして建御名方神の諏訪より東(一部北陸)に残っているのは何か関係があるのだろうか?
諏訪の紋は梶ですが、梶って中部地方以西に分布してる植物なんですよね……なんで諏訪の紋になってるんでしょうね建御名方神と建御雷神の国譲りの神話………おやおや?
遺伝子から見てみると、古代出雲族のDNAは縄文人の特徴が色濃く出ている事は有名ですね。現在日本列島の遺伝子サンプルを見ると、渡来系DNAの濃いエリア(富山〜岐阜〜愛知)とやや薄いエリア(新潟〜長野〜静岡)と境界線が出来ているのが興味深いです。諏訪…というか遺伝子サンプルは長野全体としてになりますが、建御名方が諏訪に逃げてきたのは、縄文人と渡来系の住み分けという時代背景があったのかも知れませんね。
出雲は朝鮮から渡来すると海流に乗って辿り着く位置にある。このことと何か関係があるのでは?
何故、韓国の写真が出るのですか❓
出雲族が渡来系だと考える集団がいるのです。冷静に考えたら半島は騎馬民族なので渡海は不得手だし、日本は縄文時代からの海洋民族で半島南部までを支配下ににおいていたから、そんなことあるはずがないのに。
「たいしゃ」って読ませてる時点でなあ…
某公立高校は毎年必勝祈願に訪れていみたいです!
稲作(いなさ)なんだよなぁ
某公立高校が旋風起こしてます
そっかー出雲大社(たいしゃ)の謎🤔💭出雲大社(オオヤシロ)なら知ってるんだけどなぁー
序盤になんの説明も無しが酷すぎて見てられない
井沢元彦さん大好きで逆説の日本史を読んでから歴史好きに拍車がかかりました。取り上げられて嬉しかったです。
めっちゃ地元なので、余りにも身近過ぎて凄いとも思わなかったし、旅行でわざわざ行くほどか?なんて思っていたけれども、実は凄いことがわかりました、、
ある意味めちゃくちゃタイムリーなテーマやね
大社高校すごいよね、出雲大社すきだから応援してる!
出雲大社が必勝祈願の神様になってしまいそうな雰囲気あるw
大国主命が求婚に行ったのは、因幡国(鳥取県)の八上比売です。
その縁談を取り持ったのが因幡の白兎なので、本当の縁結びは因幡の白兎を祀った鳥取市の白兎神社であるべきです。
ちなみに八上比売は大国主命が権力者須佐之男命の娘の須勢理毘売命と婚約した事を憤り、生まれた赤子を大木の木の股に引っ掛けて実家に帰ってしまいます(その赤子が木俣神)。
つまり大国主命は縁結びの神と言うよりは、不倫と政略結婚と結婚詐欺と離婚の神と言えます。
大陸から渡ってきた遊牧民スサノオが今の出雲市東部(黄泉の国)を治めた。
縁結びで有名だが、必勝祈願で参拝者が爆増しそうな出雲大社さん。
ワイも行こうかなって思ってる。
なんで明治になって杵築大社から出雲大社に名前が変わったんだろう
創健716年。
元出雲王家の
神門家と富家が協力して造営、落成して創健した。
大社の読みは「おおやしろ」が正式だけどねw
それが何なんだ?
@@user_794 え?? 読み方すら分からないやつがイキるって、どういうこと?
21:36
@@油揚げ-o2p はいはいボクちん読めて偉いでちゅねー って言われたいのか。それがイキる理由?www
うp主は正式な名称は知っていて、多分読上げプログラムが、タイシャと「出雲のおおやしろ」を読み分けられないので😢😂しょうか?
「てんしんくに」って天津飯じゃあるまいし。
出雲は大陸と面し、『表日本』であり、太平洋側は『裏日本』でした。
稲佐の浜は”いなさのはま”ね。。。こういうのを作るならきちんと調べて作ってください
出雲口伝を読んでから作るべき!
大国主神が西向きの理由は「大国主=三輪山」だからだと考えています
旧御本殿の復元模型も三輪山の形と一致しています
古文書ベースであるのなら、正しい見解です。ですが、出雲大社を取り巻く超古代の歴史はもっとドラマです。
出雲大社は大国主命の本拠地ではありません。出雲とは超古代の交易専門集団で最終的にも国を持たなかった集団(民)と考えています。
現在の島根県の出雲は日本海側最良の港を持つ所でした。ここは出雲の交易拠点の一つなのです。ですが、縄文時代から続く交易で主要生産国が東日本側に集中していたと考えられるのを考察すると、本社を西日本の島根に置くことは考えられません。東日本の各地…特に諏訪、三峰、鹿島、香取、塩釜、氷川が重要国と考えられ交易を専門とする出雲の他、海洋系民族とされる穂高、隼人、熊襲と共に日本列島と大陸を対象に交流を行っていたと考えます。交易が人々の生活を潤す事に重要としていれば、出雲は日本列島で尊敬される存在へとなっていくはずです。
縁結びと云うキーワードを出てきましたが、交易集団は基本的に人力で大量の荷物を集団で運びます。集落から集落へ…集団は男だけの集団です。年に数度程度だと考えられる集落への訪問。集落には若い女の子達が待っているのです。
狭い集落、近所と併せてもたかが知れてしまいます。寿命の短い古代ですが、「濃くなってしまう血統を防ぐ」と云う方針は集落の未来を創る上で重要です。
それが交易でやってくる男達なのです。そして出雲の者達だからこその積重ねた信頼が「子種の提供」と云う事にも繋がるのです。それが縁結びの起源と考えています。当然交易による他の地域(国)との交流も縁結びです。
国譲りと云う記述は…残念ながら真実ではないと考えます。まず記紀が基本的に漢語で書かれていると云う事です。日本書紀が中華向けと云う事もありますが、日本語記述のモノを漢語に翻訳したと云う記述や伝承はありません。最初から漢語の書物なのです。そしてその書物の編纂を中華系渡来人子孫の朝廷官吏が担ったと考えるのです。
この渡来人系官吏は先祖から中華時代の苦難、難民として渡海して来た後の日本列島での苦汁の歴史を。
出雲大社とは元交易拠点の一つだったのだが、地政学的に「対大陸」を考えた時に重要拠点となったのです。巨大神殿は超古代における軍事的ランドマーク。いわゆる「城、天守閣」だったのです。はるか遠くからでもここに超巨大建築物が存在する事によって、渡来人達に威嚇の存在となるからです。その効果が渡海して来た者達は日本海を海岸線に沿って東に向かうことを阻止できたのです。
この出雲大社の巨大建築物は鎌倉の世となっても存在していたと考えられるため、この時でも国防に多大な影響をもたらしたと考えます。渡来人の渡海同様、元寇の渡海でさえ九州北岸以外の選択肢を許さなかった影響です。東に流れれば、巨大建築物を有する軍事的有力拠点と真っ向から対決しなければならなくなる。元に協力していた朝鮮も実態は知らないものの、大昔から力を持っていた者達とだけは伝説上で知っていたから東に流れる事は避けさせた。
神話はあくまでもフィクションである。
だがそこには遺恨による出雲、諏訪、鹿島、穂高、熊襲、吉備への復讐劇が隠されている。
全国の神が出雲に集まるのは出雲神道だけの話ですよ
伊勢神宮の対になるのは倭大国魂神社では?
築地大社が出雲大社になったのは明治から。
以前は亀岡市にある出雲大神宮が出雲だった。
@@morinokinoco2619 築地じゃなくて杵築じゃない?
ズーズー弁が島根、そして建御名方神の諏訪より東(一部北陸)に残っているのは何か関係があるのだろうか?
諏訪の紋は梶ですが、梶って中部地方以西に分布してる植物なんですよね……なんで諏訪の紋になってるんでしょうね
建御名方神と建御雷神の国譲りの神話………おやおや?
遺伝子から見てみると、古代出雲族のDNAは縄文人の特徴が色濃く出ている事は有名ですね。
現在日本列島の遺伝子サンプルを見ると、渡来系DNAの濃いエリア(富山〜岐阜〜愛知)とやや薄いエリア(新潟〜長野〜静岡)と境界線が出来ているのが興味深いです。
諏訪…というか遺伝子サンプルは長野全体としてになりますが、建御名方が諏訪に逃げてきたのは、縄文人と渡来系の住み分けという時代背景があったのかも知れませんね。
出雲は朝鮮から渡来すると海流に乗って辿り着く位置にある。このことと何か関係があるのでは?
何故、韓国の写真が出るのですか❓
出雲族が渡来系だと考える集団がいるのです。
冷静に考えたら半島は騎馬民族なので渡海は不得手だし、日本は縄文時代からの海洋民族で半島南部までを支配下ににおいていたから、そんなことあるはずがないのに。
「たいしゃ」って読ませてる時点でなあ…
某公立高校は毎年必勝祈願に訪れていみたいです!
稲作(いなさ)なんだよなぁ
某公立高校が旋風起こしてます
そっかー出雲大社(たいしゃ)の謎🤔💭
出雲大社(オオヤシロ)なら知ってるんだけどなぁー
序盤になんの説明も無しが酷すぎて見てられない