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その愚直で粗暴な流派だからこそ、今の剣道の祖になっているのは皮肉な話。柳生新陰流はその考え方から流派としての強さ、純度を保つことができなかったんだろう。
日本の時代で幕末期ほど日本刀での近接戦闘をやった時代はないと日本刀研究家の牧氏が仰っていますが、この時代、流派別でいくと一刀流の使い手の武士の死亡率が顕著に高かったという研究があります。ちょっと聞きかじったかぎりでは、実戦での防御面で課題があったとか。示現流にはかなわなかったとか。新陰流もこの弱点があって、たしか柳生利厳の代で工夫を加えたってことになってるかと思います。もっとも幕末期は、本家新陰流は、庶民の間では習えなかったんでしょうから。
強かったでしょうが、丸目蔵人、それに匹敵する腕前と言われた神後伊豆守、これまた海内無双と言われた奥山公重などには及ばなかったのではないでしょうか。丸目蔵人と同世代になりますが、丸目蔵人が立てた高札(内容は、自分こそ天下無双の兵法者、異議のある方は名乗られいというもの)に呼応したものは誰一人いなかった歴史的事実から、この方も呼応しなかった一人であることは言うまでもありませんね。上泉伊勢守をはじめ新陰流高弟は、生涯無敗という信じがたい言い伝えを残していますね。それでもこの流派の特色でその強さを誇らなかった人たちが大勢いたということに敬服いたします。心正からざればすなわち剣正しからずの原則から言って、心の正しくなかった真の剣豪なんて存在しないんじゃないかと思いますね。
ジャーナリストやま本みか😊
この人の逸話は講談にもなっててRUclipsにも上がってるのでぜひおすすめしたい
ありがとうございます!
警視庁は警視流で、小野派一刀流とは構など違うように思うが。素人考えですが。
歳を取ってくると人の好みも変わる.今では自分の意見を通し切る一刀斎のような人の方が小気味良い。
確か、火附盗賊改方、長谷川平蔵も、小野派一刀流だったような。鬼の平蔵😅
千葉から東京職業安定したよ。
切り落としは使い手が少ないというが、本当は理合いとしては日本の武道ではむしろ全ての基本だと思う。剣道だけでなく、日本の他のものでも取り入れられてる。基本の中に極意が有るってやつ?
小野派一刀流は「三匹が斬る!」の高橋英樹演じる殿様こと八坂平四郎の流派に設定されてますね
武蔵や柳生一族が武術に興味が無い人達も聞いた事があるのは書に残したからだと思います。
やはり奥義は「カウンター」なんですね^^「気で後手を踏み」「動で先手を取る」どの格闘技・武術であってもこれを超えるものはないですね。
正統派ヒーロータイプではないけど狷介孤高なダークヒーローとして小説やマンガにしたら現代ではウケそうな予感
成田在住なので,散歩がてらにお墓に行ってみたことがあります(けっこうキツイ坂を上がったところにあります)が,どんな人なのかわからなかったので,そのときは特に何の感慨もありませんでした…。こんなすごい人だったとは!今度また行ってみます!
「野蛮」な一刀流の正統を継いで無刀流を開いた山岡鉄舟が、動乱の幕末にあって生涯一人も斬らず、江戸無血開城の立役者になったのがなんとも皮肉な話
一刀流は現代剣道の祖になるくらいですから、無数の分派に分かれているので、あくまで鉄舟は中西派からの流れの正統ですので、他の一刀流の剣士の中には、幕末期に血刀を振るった者もいたでしょう。
@@山下直樹-o5b さん、山岡鉄舟さんは、刀を心とし、刀を抜く必要をなくしてしまう、「究極の兵法」に長けていらっしゃいましたから。
@@山下直樹-o5b 一刀流の後継たる鉄舟が、元々柳生宗矩が唱えた「剣禅一如」に傾倒していたというのも面白い話です。
柳生真陰流も学んでますから剣禅はそっちの影響かと
@@隆浩-p4i 柳生新陰流学んでいたのは初耳ですね。幼少期に直心影流かと
小野忠明は、元の名を神子上典膳と言い、里見家の家臣として合戦にも参加し数々の武功を上げている。里見家出奔後に伊藤一刀斎に出合い弟子入りし、一刀流の後継者となる。家康に見出され徳川家の剣術指南役に。大阪冬の陣と夏の陣にも参戦。ただ、トラブルメーカーとして有名で、石高は低かった。
もう少し強烈なまたは面白いエピソードがあったら、小説か漫画の主人公になったかも。
そうだその通り、世界に日本の武道を教える意味無し。
ドンナに技と心を鍛えても生物としての老いには…でも人がヒトであり続ける為には高見を目指しちゃうんだよね…
柳生十兵衛の子孫俳優柳生博ハンターチャンス
いまの格闘家では誰だろうとかよく思う。この人は青木真也かな。
小野次郎右衛門といえば。お亡くなりなられた、峰隆一郎先生の書かれた時代小説、小野次郎右衛門が好きです。
同じくだ
「シグルイ」って漫画で聞いたことがある名前だったけどこの人だったのか
念流では一一念をもって戦う流派だがそれと同じなのかも
まあいろんな批評はありますねタイトル見たら「子連れ狼」を想像しました。
何といっても、無敵の萬屋錦之介
@@武玄-s4t 拝一刀なら北大路欣也より萬屋錦之介間違いない
@@西田裕治-z7j 北大路欣も良もかった! 映画では、若山富三郎も渋かったですね。
@@武玄-s4t いや〜若山富三郎さんまでは知りませんでした。劇画調のメイクが似合って殺陣の上手い人だいぶ減りましたねしかも、闇を抱えて生きている役柄役所広司さんや真田広之さんなど良いかもしれませんね
新陰流の高弟たちを無手であしらいあまつさえ「魔法使い」とまで言わしめている。相手も素人ではなく戦国の気風の残るバリバリのプロ格闘技者。
野が黒に似てるから黒人の血が入ってるという証拠だなw
この方のお墓が成田市の成田山近くにありますが、こんな地元の近くにあるとは驚きでした(^o^)。
塚原では無いな
伊藤一刀斎の子孫、イラストレーターの故伊藤彦造先生ですよね
十兵衛とは、初代からの幼名です
幼名じゃなくて通称です大人になっても使います
ロッ〇リー「こんなに強いなら、、、、弥助の子孫かもしれない!!黒人だった!!」
忠明が本当に強い剣豪と評価されていたことは、例えば『徳川実紀』に「世に並びなき撃剣の達者」と評されていたり、近臣が記録した秀忠の言葉として柳生宗矩と甲乙つけがたい達人と評するものが残っていたりと疑いようがありません。ただし動画のタイトル画面にあるような柳生一族を全滅させただとか、コメントにある柳生宗矩を叩きのめしただとかの逸話は全て忠明の死後だいぶ経ってから、一刀流の門弟が残した流派内文書によるもので、他の史料との間に時系列などに矛盾もあり、信憑性という点では著しく低いと言わざるを得ません。一刀流に限らず、江戸初期に生まれた流派には「うちの流祖は江戸柳生に勝った」という伝承があるところがものすごく多いですが、結局のところ当時江戸柳生の権威がずば抜けて高かった証明でしかないです。忠明自身は動画の通り政治的な地位や立場に拘らない人物だったと思いますが、二代忠常以降、柳生家に将軍家指南役を独占された後世の門弟達は必ずしもそうでもなかったのでしょう。
柳生一族のワード以外、聞いたこともないお方ですが皆さん詳しいのね。このように全く興味も知識もなかったものにRUclipsで出逢えることは、とっても良いと思っています。コメからもいろいろ得るものがあるし。
中村主水(必殺仕事人の主人公)も、小野派一刀流の免許皆伝でしたな。「切り落とし」は、宮本武蔵の「紅葉の打ち」と同じ理論でしょうな。
たぶん違うと思う・・・なんか変な名前の流派だったはず。 小野派一刀流は鬼平犯科帳の長谷川平蔵のほうだと思う。 当時の一刀流は刃引きの刀で稽古していて流行らず、絶滅危惧種だったとか。一刀流が隆盛を極めたのは江戸後期の中西派一刀流が防具と竹刀試合を確立してから。諸藩・諸流派もこれにならったので、幕末の流派を超えた剣術試合ができるようになった。千葉周作も田舎剣法の跡取りだったが中西派の道場に学びに来て北辰一刀流を新設した。
柳生新陰流にも同じ原理の技がありますね!
一刀流は刃引きの真剣で練習をしています。柳生流は袋竹刀の練習ある時将軍と稽古してめためたにしています。その時私は将軍だと言ったら稽古に身分は関係ないと言った憎まれますよ。
一刀流は通常木刀で稽古します。小野次郎衛門ともあろうものが生徒相手に打ち込むような稽古をしたのなら指南役として下の下としか言いようがないですね。勿論将軍だろうと関係ないです。剣術の教え方とか稽古の実態とか知らない人が書いた小説ではそんな描写なんですかね。逸話にもそんなのがあった気もしますが。
子供の頃短期間だが警察で剣道を習っていたからその流祖というのは一寸驚いた。確かに血も涙もない実戦的な剣道だと思う。いや見ているだけで怖かったから素振りの段階で辞めたんだけどw
現代剣道のベースとして一刀流の影響が強いということと、その剣道を最初に公式に採用したのが警視庁というだけで、警察剣道が荒っぽいのは一刀流の影響というより、単に仕事柄実戦的なだけだと思います。柔道も、警察柔道は一般の柔道より荒っぽいみたいですし。
伊東一刀斎は小野次郎衛門に切られた説
BGMが良くなった
甕割典膳、神子上典膳甕割とか話で聞いた事が有ります小野忠明じゃピンときませんでした、私感ですが神子上典膳って名前がカッコよかったから覚えてるのかも
昔の知り合いに御子神さんっていう人がいたけど…千葉で。関係あるのかな〜🤔
戦いたかったんだろうな
剣の強さと自分の流派を残せるのは別の才能って感じですね。どんなに強くても才能が有っても、自分が体得したものを後進の者達に解り易く教授出来る才能が無いと大樹の枝葉が育たない。TPOを弁える社交術も必要だし。柳生十兵衛も逸話を読む限りでは小野忠明と似たキャラだったかも。果たして、意気投合するか同族嫌悪になったか。
一刀流が伊東一刀斎の「一刀」に由来するものとは、知りませんでした。刀一本で戦うという意味ではないんですね。
一刀で倒すからという説もある
一刀流の伝書によればそれは違う。流名は仏教用語の「阿字の一刀」から来ている。すると一刀斎という名前も阿字の一刀に由来するのが道理。あと一刀流で有名な言葉に「一刀即萬刀」がある事で分かるが、刀が一本だからとか一太刀で倒すとかいう説は全くの出鱈目。
拝一刀のモデル😮当に講談立川文庫で在る
すいません。わたしは、小野さんか、塚原さんの血脈のつながりがあるようです。山岡鉄舟さんは、その親の姉妹の子どもです。
柳生裸身剣って週刊ポストでやってる漫画で出てきましたが別格で強かったです。
お茶目な逸話があったり人を助けた逸話がある塚原卜伝とか上泉信綱の方が好きだなぁ
小野忠明は結構有名だ。武蔵とどちらが強いかと言うレベル。
オガミ一刀の元の人かと思ったわ
俺は無敵の萬屋錦之介かと思った!
@@武玄-s4t おもしろい🤗
@@倉本康春 本物の剣豪は、加藤鷹とチョコボ-ル向井だ! なにしろ千人斬りだ!
@@武玄-s4t オレは、絶対にやられ無い市川雷蔵だと思う。
@@倉本康春 眠狂四郎だね
既にいくらか言われている様に、一刀流内部伝書(三祖伝、三代記等)を資料とするのはやってもいいですがどうしても浅い考証と言わざるを得ないですね。他にも宮本武蔵を持ち上げる為に渡辺幸庵筆記持ち出してきたりとか実によくあることです。同じ書院番格200石でも2000石領主の子と浪人上がりで同じわけ無いですし、宗矩の出世は先ずは取り上げられていた柳生家の本領の返還の意味があったこと、一万石を超える出世は家光の近臣だったこともあるが官僚(政治と言うのは普通若年寄以上の家老職が取り仕切るもので奉行のような行政官僚も有ったが大目付など裁量権の比較的低い役目で政治などと言うのは言いすぎ)としての出世で人の好き嫌いが激しい家光の統治下で嫌われずに能吏として評価されていたという事はなかなか出来ないことですよ。小野忠明の600石と言うのは秀忠が将軍宣下を受けたのでそれに伴い直臣全員石高一律2倍加増になったというだけです。要するに、指南役と言う役目と武士としての能力評価は別にあったと言うことです。世渡り上手とか事なかれ主義もよくわからない言説です。戦国時代に上級武士と兵法者を兼ねる者は居ましたが兵法で出世した武士と言うのはいましたか?言っときますが、人の上に立つ武士は手柄首の数では評価されません。小野家が指南役を世襲できなかったことの根拠は史料に明確な理由はないが本人の数少ない傍証(上田合戦の論功行賞でもめて、恐らくは秀忠の贔屓で勝訴したこととか、そう言う派手な物語に見られない本当の人柄から何となく察せられますよね。
「かみいずみ」。
いつの世でも我を通すことができるのは強者だからだ。弱者には無理。
中二病みたいな名前してんな
御子神典膳の方が遙かに流布している名前と思うがね。あと、小野派一刀流は典膳の息子、忠常から名乗りだした流儀。
かつての日本では、講談やそれに基づく時代劇に登場する「御子神典膳」でお馴染みでしたねただ、近年のゲーム等では「小野忠明」で出てくることが多いです今時の若い歴史ファンには、御子神典膳だと通りが悪いかも…💦
小野派一刀流だけの技かは知らないが打ち込む前に相手の意図を読み取る「奉心の目付」を日テレの番組で見たことあるバラエティでクソバカになる前の報道の日テレのプライドがあった頃の話です。
この人村上弘明の佐々木小次郎に負けてますが、、、
武蔵よりも強かったのは確かなようですね!同じ時代の剣豪としては。劇画の「子連れ狼」は柳生宗矩の末っ子、列堂義仙(実際は生臭坊主)が白髪のジジイになった元禄時代(五代将軍綱吉の御代)だから百年後の話で、モデルではありませんね!少なくとも裏柳生を1人で全滅させたなんて、まるで主人公の拝一刀を連想させますが!主人公の名付けだけ小野派一刀流の小野忠明を参考にしたのかもしれませんね。
@@長谷川良行-w2e 拝一刀の一子大五郎が東郷重位の庇護を受け柳生烈堂に仇討ちしました。烈堂は大五郎を抱き寄せて「我が子よ」って言って絶命する何か複雑な心境になりました。
違うな~我が孫だった子連れ狼で柳生烈堂死んでる新子連れ狼とごちゃごちゃになってるもう1回読み直そう
30年ぐらい前にあった携帯版信長の野望で特技「一騎」(一騎討ち)の所持者だったが確か武力81しかなくて役に立たなかったコミュニティではみんなチュウメイチュウメイって呼んで宇都宮とか里見と戦う時しか使えないみたいな扱いしかし30年を経たいま、俺の中でチュウメイの名誉は回復されました
タイトルが違う‼️😤。
柳生は、他流試合禁止なので、全滅は、しないと思います。
せっかくの題材がこの二匹のパターンで台無しバイバイ
江戸に出てきた忠明、柳生道場へ試合を求め、腰の大小取られ道場へ、この時屋敷中何かないかと目を配らせる、(のちにこれが二つの目付として伝えられている)待つことしばし、刀を持った宗徳将軍家指南役の我に試合を所望など無礼と手打ちに懸けるもさっと飛び出し庭に積んであった薪を手に戻り真剣を持つ宗徳のからだ中に炭を付けた、宗徳ちょっと待っていろとあわてて大久保彦左衛門を呼んできてこの者相当使えると将軍家に紹介したともある、のちにそろそろどっちが強いか決めようぜと十兵衛以下弟と尾張の利かね、〈十兵衛以下高弟三人という説もある)面倒だからまとめて来いと4対1,忠明勝ってしまう、その後十兵衛が小野先生に弟子入り、半年通ったという説もある。まるで小説のような話である。
丁度時間となりました。この続きは次回のお楽しみ。
冒頭だけ「房総市」になってる。それ以外は「南房総市」と正確だ。
戦国時代の剣豪、武蔵や小泉幕末の人斬りで有名人とどちらがホントは強いだろう。剣術も進化したり逆に退化したりしてるよね。武将として有名な山県昌景とか柴田勝家とかは剣豪では無いもんね。剣道とも違う。槍使いのがもしかして強い可能性も…うん。分からん(爆)
町道場で暴れて島流し? 江戸時代に囲碁の名人(『名人』とはそもそも囲碁の名手の事)の中でも強さが特別に際立っていたり政治力が有ったりすると特別に囲碁界をとりまとめる役職の碁所に任命された。そうすると「名人お止め碁」と言って公式戦は一切打てなくなったとか 同じような感じかな?尚、初代本因坊 算砂は将棋も強かったので将棋どころも兼務していたとか いつの世も将棋はオマケ的扱い
確か将棋の名人(大橋宗慶?)が囲碁&将棋の両方で囲碁のトップを負かしたとか。将棋の初代名人は信長が任命したはずだから、それ以前は無かったのだろう。なので囲碁のトップが裁量することになっていたのでは。また、貴族たちの間では中将棋のほうが一般的だった。
将棋を囲碁と対等の地位に引き上げたのは「14第・木村名人」だと言われる。関根・坂田三吉時代の後で、舛田・大山時代の前の人
小野はは私の田舎のど田舎にも「小野派一刀流」として承継しているのがあるが「ただ刀は脇差で室内には重宝」とか言ってたんですけど〜????。
元々一刀斎は短い刀だったし、その師匠は小刀使いだし・・その相手を任されて長刀を振ってたのが佐々木小次郎少年、という俗説もあるぐらいだしw
他の説として、小野善鬼がそのまま小野忠明だったという話もありますね。剣の力のみを信じる豪胆粗暴な善鬼と、武士だった御子神典膳を考えると確かに問題行動も理由がつきます。
家名は変えないよね。といつも思う。それも倒した相手の家名。
作家の峰 隆一郎氏(紛らわしいんですが、「花の慶次」の隆慶一郎氏とは違う方です)は小野善鬼→小野忠明説で小説を書かれてましたね。その作品では師の伊藤一刀斎は粗暴な善鬼では無く御子神典膳に後を継がせたかったけど、善鬼が勝ってしまったと描かれてました。
@@宮川佳大-u3cその後一刀斎も斬った為に、生没年どころか晩年の一刀斎がどうなったか解らない理由としてましたね。一般的に神子上典膳が小野姓を名乗るようになった理由は、小野善鬼が典膳との一刀流二代目を決める試合に負けた後に、一刀流の秘伝書を咥えて大瓶の中に隠れてしまった為に、神子上典膳が瓶ごと一刀両断したが、それでも秘伝書を咥えて離そうしなかったので、一刀斎が「お前を一刀流の二代目とし、典膳を三代目としてお前の姓を名乗らせる」と説得したらやっと秘伝書を離したとか。以来神子上典膳は、小野忠明と名を改めたということらしいです。
全滅って…拝一刀じゃないんだから笑
もしかしたら❓柳生十兵衛7番勝負の中に出て来る〜戸田勘解由の(一刀流の達人で、駿河大納言忠長の剣術指南役)‼️モデルかも知れないね⁉️
甲冑姿で集団戦の戦国時代には剣豪なんて多分糞の役にも立たなかった🤔切るより刺す!脚を狙う!なので剣豪伝説は戦国時代末期や江戸時代平安の世?になったら護衛としては役に立ったかも(´・ω・`)現代史(に近い)ならスナイパーは役立つ。情報策略家はもっと役立つ弓の名手の話しがあまり史上出てこないのはスナイパーと同じで暗殺者だったから?柳生は剣豪ってより組織としてCIA的な役割を担っていたんじゃない?
伊東、一刀斎😢定まさささ😅😊
今、自分はテンカイチというマンガを読んでますがそのマンガのストリーに小野忠明氏を加えて欲しかったです。マンガの内容的にはうってつけなキャラクターになるのではと思いました。徳川家の家臣も登場するのでその中で様々な他の武芸者との絡みが演出できそうで更に話が盛り上がるのではとおもいました。
で?「柳生一族を一人で全滅」って話は?タイトル詐欺?
この人の動画はタイトル詐欺ばっかりだから気にするな
柳生一族を全滅? このタイトルって問題あるんじゃないのかな。柳生新陰流の正統は、柳生宗徳・十兵衛の江戸柳生でなく、尾張柳生の柳生兵庫介がその強さゆえ継いでいるのにね。全滅してないじゃん。
試合をしたのよ、それで全敗が続き、遠回しに雑魚は纏めて掛かって来いと侮辱的な事を言われて、全員で行ったら兵庫、与三、十兵衛に術が掛かっている事に気づいた柳生宗撻が中止させた。そのままやっていたら、同士討ちで3人ともに死んでいた。十兵衛、兵庫も関心して、以後、術の教授を受けた🙃。
尾張柳生が正統って当の尾張柳生内部の言い伝えしかソースが無いから、信憑性として微妙ですよ。一番古い記録で昭和になってから当時の尾張柳生当主が出版した本ですし。
@@アーミーバタリアン後世の一刀流の弟子がまとめた「一刀流三祖伝」の逸話ですね。宗矩と断交していたはずの兵庫助がその場にいたりと、胡乱な話です。「三祖伝」はほかにも忠明が徳川家に仕官したのは先に仕官していた柳生宗矩と試合して勝ったから(実際に仕官したのは忠明が先)だとか、こと柳生関係の逸話は整合性がとれていない。「三祖伝」が書かれた当時、将軍家指南役に小野家からの登用はなく柳生家が独占していました。動画にもあるように忠明自身は政治的な地位や立場に無頓着でしたが、後世の一刀流剣士達はそうではなかったのでしょう。
@@takashikitasima6828 忠明は一回も仕官していないよ。余計な事を言うから江戸祓い。兵庫は当時の将軍秀忠の上意によって召集された。
@@アーミーバタリアン 兵庫がその場にいた理由は「三祖伝」に記載がないので小説か何かの設定でしょうか?忠明が徳川家に仕えていた痕跡は動画でも紹介の通り色んな記録として残っているので否定することは難しいかと思います。
日本刀は「剣(つるぎ)」とは言わないぞ。話の内容から他の表現に置き換えるなら「刃(やいば)」又は「刀身(刀身)」ではないか?「日本刀」に対し反りのないものを「剣」と呼ぶはず。
拝一刀じゃなくて!??
俺は最強の剣豪は、無敵の「萬屋錦之介」と思っている!w
小野次郎右衛門はずっと柳生宗矩にケンカを売ってたみたいですね。しかし、同じ指南役とはいえ、宗矩は大名扱いで諜報活動も行う軍師ともいえる幕臣なんで、早々ケンカを買う訳にも行かないし、勝てる自信もなかったようですね。同じように、柳生宗矩には、前田家に仕える富田流の "名人越後" と言われた、富田越後守にも、ずっと手合わせを申し込まれて、逃げてたようですね😅
そのような「うちの流祖は柳生より強い」という逸話は富田流、一刀流を問わず色んな流派にありますが、どれも同時代に第三者に書かれたものではなく、その流派の弟子が後世になってまとめた流派内部の伝書がソースです。流祖を持ち上げるための相手に使われるくらい、当時の江戸柳生の評価が高かった証明にしかならないと思います。
@@takashikitasima6828 宗則の弟子で武蔵とも知り合いだった人は、「碁で言えば、セイモクも武蔵強し!」と言ったそうなw
@@ybb4295 『渡辺幸庵対話』ですね。かつて徳川秀忠に仕えた旗本の渡辺茂だと名乗る幸庵老人の談話を加賀藩士が書き留めたとされるものですが、本当に渡辺茂本人なら談話時点で130歳にもなること、他の記録にある渡辺茂の事績と幸庵老人の語る経歴とに差異が大きいことから、本当に宗矩や武蔵と面識があった渡辺茂の証言ではないと考えられています。結局のところ武蔵を持ち上げるための道具に宗矩を利用している構図は変わりません。
裏柳生を壊滅せしめたのが水鴎流の拝一刀だってのは知ってるー!
それは小説です。
水鴎流の拝一刀は漫画『子連れ狼』だよwちなみに水鴎流そのものは実在の流派(漫画での描写は創作)で一時期は宗家自らが演武会で「水鴎流は皆さま御存じの通り拝一刀の使った流派でございまして」などと述べて観衆の笑いを誘っておられたという。
萬屋錦之助の武蔵の時の佐々木小次郎は高倉健さんでしたね。
実在の剣豪は、加藤鷹とチョコボ-ル向井だ! なにしろ千人斬りだ!
小金原の決闘😮
柳生は梶原一騎の斬殺者のせいで悪いイメージしかないです。
勘違いかもしれないが、主人公の二刀使いを引き立ててやったのが宗則だったんじゃないか?
宗矩が小野忠明とは絶対に争わなかったのは、大人の対応とも言えるが、本当は自分が弱い事を知っていたからである。
「恐るべき眼力の持ち主というのだ」(大猿大介 「サスケ」)
宗矩の頃の新陰はまだベタ足だからなぁ 剣術職人の忠明の敵じゃないでしょ
そうね、一刀流の最高秘伝の切落を小野忠明が出来たし、それを戦場や下手人の介錯で見てたからね。切落には欺剣やカウンターは一切通用しない死角の無い剣技🙃。
塚原卜伝、鹿島の太刀🎉
○○派というのは弟子であって一刀斎からの本流なので一刀流というべきでしょう。後の弟子が派を名乗った事と混同それているのかと思われます。本流は山岡鉄舟まで続きました。彼は一刀正伝無刀流と名乗りました。これが正統で他の派は弟子ですね。山岡鉄舟は後継を指名しないで死んだので以降は高弟が名乗ってはいるけど正式な印可は受けていません。よって型は残りましたが精神的な技は失伝していると言わざるを得ないでしょう。
中西派一刀流の寺田宗有は各一刀流をまとめて天真正伝一刀流を名乗ったな
一刀流は現代剣道の祖になるくらいですから、無数の分派に分かれてそれぞれが流儀を継承してますから、鉄舟の正統もあくまで中西派からの流れですので、その解釈もちょっと違うのでは?
小野派一刀流て奴か?
出世に興味なかったんやろうな
出鱈目な画面の文言は止めましょう。柳生を全滅って???、直ぐ消しますね。
「スーパー伊忍道・打倒信長」というゲームに神子上典膳が登場しますね~。普通にゲームをやっていると、大体、一番最初に仲間になってくれるのですね~。
漫画天上天下で初めてしった
弟子に「どうすれば強くなれますか?」と問われて「(人を)斬り慣れよ」と答えた一言が彼の全て。禅の精神が云々などと言い始めた柳生に対し彼の剣はただ人を斬る為のものであった。尚 剣の流派は元々は念流・一刀流など五指に満たない。当時は言ったモン勝ちだから我流の流派が何百と発生する事になる
最後は名も無き妙剣術の達人?に斬られて、老後、考えたとさ、その時に言われたのが人の心を持たない無人剣って🙃。
@@アーミーバタリアン つまり刀を抜いた瞬間「死の覚悟」ができるか否かという事でしょう。そして余裕を見せてまだ刀を抜かないうちに斬られてもそれは卑怯でも何でもなく斬られたヤツがただの間抜けだ、という事。ここが禅云々と言った柳生と一番違っている点です。尚 故峰隆一郎氏は最強の剣士に彼を挙げており 書いたチャンバラ小説はほとんどこういった精神で書かれています 長文失礼いたしました
@@アーミーバタリアン コメント消えた💦彼の教えは刀を抜いた瞬間「死の覚悟」ができるか否か。余裕を見せて刀を抜かないうちに斬ってもそれは卑怯でも何でもなくただ斬られた相手が間抜けなだけ という事。ここが禅が云々と言った柳生と一番違った点です。尚 故峰隆一郎氏は彼を最強剣士に挙げており書かれたチャンバラ小説は全て他の時代劇小説とは全く違うテイストになっております。長文失礼いたしました
@@アーミーバタリアン コメントが消えまくってる💦彼の教えは刀を抜いた瞬間に「タヒの覚悟ができるか否か」余裕を見せてまだ刀を抜かない相手を斬っても卑怯でも何でもなく斬られた相手が間抜けなだけ という事尚 故峰隆一郎氏は最強の剣士に彼を挙げており峰氏が書いた小説はこのような考えを基にした「人を如何にして斬るか」的なチャンバラ小説になっております 長文失礼いたしました
鬼一の京八流が刀術の元祖だから鹿島の剣術を加えて(関東7流だっけ?)だと15流派はあったことになるw 防人の教練として教えたのが鹿島の剣術ということになっているが、当時日本刀は存在していない。京八流は日本刀誕生直後にできたみたいだ。いまの剣術・剣道は実は「刀術・刀道」w 筏焼きが蒲焼の名前を乗っ取ったのと同じようなモノ。
なんで宗矩やねん、柳生は石舟斎か連也斎だろうに
当時の評価、剣術に及ぼした影響など柳生の代表を一人選ぶとしたら、やはり柳生宗矩になると思います。実際の切り合いの強さは確かめようもないですが。
渡辺幸庵によると柳生宗矩より宮本武蔵の方が井目も強い(プロとアマ位大差ある)と書き遺してるな
@@MC-si5kn 『渡辺幸庵対話』は、かつて徳川秀忠に仕えた旗本の渡辺茂だと名乗る幸庵老人の談話を記録したとされるものですが、本当に渡辺茂本人なら談話時点で130歳にもなること、他の記録にある渡辺茂の事績と幸庵老人の語る経歴とに差異が大きいことから、本当に宗矩や武蔵と面識があった渡辺茂の証言である可能性は低い考えられています。この対話からは、宗矩と武蔵の死後何十年かたって、両者のどちらが強かったかということが世情の話題になっており、談話の作者が武蔵推しだったことは分かりますが、逆に宗矩の方が上という逸話(後世のものなので信憑性はありません)もあるので、それを以てどちらの評価が高いみたいな話にはならないでしょう。
剣豪、剣術家など呼び方があります戦国時代では戦場での強さが全てだった時代は簡単でした江戸幕府が日本を治めるようになり太平の世が来ると道場での強さ=剣術の強さと変わっていきます道場で強くても戦場で強いかが分からないですが剣術の強さと売り込む営業力と政治力が必要です柳生家は営業力と政治力に抜群の強さを持っていたから今の時代にも語り継がれています小野忠明は営業力も政治力もない為に売れなかった江戸時代は剣術家は芸人扱いを受けていた為に身分も低かったのです徳川将軍家の剣術指南や各大名の剣術指南は数百石程度の下級武士並みの給料でした柳生家が万石を得たのは政治力に支払われていたのです太平の世が続いて剣豪、剣術家は仕事がなく江戸郊外の浅草や両国で大道芸人として客に剣術という芸を見せていました
正に剣客商売か‼️
名将は必ず強運なモノ。悲運の名将などありえない(司馬遼太郎) 武蔵は戦運が無くて落石くらって落下。養子・伊織は城壁を登り切って一帯を制圧し、武蔵流の武威を示した。「修羅の刻」ではその話は出てこないw
1897 Itto Ryu filmで検索すると明治時代の小野派一刀流の演武が見られるけど現行の形とはかなり雰囲気が異なるんだよねとくに一番重要であるはずの切り落としとかまったく違う
型が伝書と違う事は山岡鉄舟も疑問に思って小野だか伊藤の宗家の型と比較したとか聞いた事がある
訳わからんサムネつけたらあかんよ。いつ小野忠明が柳生全滅させたの?
武勇伝武勇伝武勇伝伝で伝伝借っ金ぃ〰️ん✨
いわゆる武芸者や剣術家ではないため「最強剣豪比較」に名前が挙がることはないが、この時代の「戦場での最強」は「可児吉長」ではないだろうか。
笹の才蔵の事かな可児さん
@@青木祐太郎-b3g さんそうです。才蔵が関ケ原で獲った首級は計20。20人の兜首を獲ったということは、彼らを護る手下や雑兵を含めれば何人を屠ったのか。どこから矢弾が飛んでくるかわからない戦場で目立つ笹の指物。しかも当時才蔵は44、5のオッサン。
@@TAIRA_TAKAMORI仏生寺弥助とかもそうだけど武士や道場の跡取りでもないのに化け物みたいに強い奴いるよな。
吉川英治の小説には、秀忠に稽古をつける時に忠明は一切の手加減をせずに秀忠を打ち据えて稽古が終わると「全然なっていない」と言って去っていった。一方、世渡り上手の宗矩は適当に手加減して「上達されていますね」と褒めた。それもあって秀忠は忠明が嫌いで両者の中は次第に険悪になっていたとか・・・・
秀忠は忠明のことを気に入っていたと思いますよ。「忠」の偏諱を与えていますし、動画にも紹介されてる大阪の陣の後に忠明が同僚を侮辱して起きた騒動の際も、同僚からの直訴を最初は黙殺し、最終的な処分も同僚の代表者は改易に処したのに対して忠明は閉門留まりとかなり忠明に甘めの裁定を行っています。忠明が武に一途なため秀忠に嫌われたという逸話のソースは後世の一刀流の門弟がまとめた伝書です。忠明自身は政治的な立場に無頓着でしたが、弟子達はそうではなかったようで、将軍家指南役を柳生家に独占されている状況について自己正当化を行わざるを得なかったのでしょう。
@@takashikitasima6828 将軍と腰本が剣術の話をしている時に余計な事を言っちゃった訳だ。何を言っても座乗の睡蓮、脇差しを抜いて決着してから語る事と。まあ事実なんだけど、結局寸での処で宗撻が止めたけど。その前の時は相当悲惨だったからね。秀忠もそういう処は嫌っている。
それは柳生兵庫介の本ではないですか?
@@アーミーバタリアン その話のソースが本人の死後だいぶ経ってから弟子が編纂した編纂した流派内文書で、「そういう理由で忠明は嫌われたので柳生みたいに出世できませんでした」と続くわけですが、現実には嫌われていた様子は無いので信憑性が微妙、というのが上のコメントの趣旨です。
@@takashikitasima6828 嫌われていたというより、恐れられていた。宗撻はハクイン禅師にも教えを受けていた。
一刀流が出るまでは戦場で刀を使うときは両手で二刀で戦うのが常識だったが一本の刀を両手で持ち相手を鎧ごとぶった切る一刀流が登場し、これが主流に成った
当時の絵に両手で刀を持って戦ってるやつなんて一人もいないぞ、武蔵をのぞいて。
講談の類だと佐々木小次郎の引き立て役にされてますよね
その愚直で粗暴な流派だからこそ、今の剣道の祖になっているのは皮肉な話。
柳生新陰流はその考え方から流派としての強さ、純度を保つことができなかったんだろう。
日本の時代で幕末期ほど日本刀での近接戦闘をやった時代はないと日本刀研究家の牧氏が仰っていますが、
この時代、流派別でいくと一刀流の使い手の武士の死亡率が顕著に高かったという研究があります。
ちょっと聞きかじったかぎりでは、実戦での防御面で課題があったとか。示現流にはかなわなかったとか。
新陰流もこの弱点があって、たしか柳生利厳の代で工夫を加えたってことになってるかと思います。
もっとも幕末期は、本家新陰流は、庶民の間では習えなかったんでしょうから。
強かったでしょうが、丸目蔵人、それに匹敵する腕前と言われた神後伊豆守、これまた海内無双と
言われた奥山公重などには及ばなかったのではないでしょうか。
丸目蔵人と同世代になりますが、丸目蔵人が立てた高札(内容は、自分こそ天下無双の兵法者、
異議のある方は名乗られいというもの)に呼応したものは誰一人いなかった歴史的事実から、
この方も呼応しなかった一人であることは言うまでもありませんね。
上泉伊勢守をはじめ新陰流高弟は、生涯無敗という信じがたい言い伝えを残していますね。
それでもこの流派の特色でその強さを誇らなかった人たちが大勢いたということに敬服いたします。
心正からざればすなわち剣正しからずの原則から言って、心の正しくなかった真の剣豪なんて存在
しないんじゃないかと思いますね。
ジャーナリストやま本みか😊
この人の逸話は講談にもなっててRUclipsにも上がってるのでぜひおすすめしたい
ありがとうございます!
警視庁は警視流で、小野派一刀流とは構など違うように思うが。素人考えですが。
歳を取ってくると人の好みも変わる.今では自分の意見を通し切る一刀斎のような人の方が小気味良い。
確か、火附盗賊改方、長谷川平蔵も、小野派一刀流だったような。鬼の平蔵😅
千葉から東京職業安定したよ。
切り落としは使い手が少ないというが、本当は理合いとしては日本の武道ではむしろ全ての基本だと思う。剣道だけでなく、日本の他のものでも取り入れられてる。基本の中に極意が有るってやつ?
小野派一刀流は「三匹が斬る!」の高橋英樹演じる殿様こと八坂平四郎の流派に設定されてますね
武蔵や柳生一族が武術に興味が無い人達も聞いた事があるのは書に残したからだと思います。
やはり奥義は「カウンター」なんですね^^
「気で後手を踏み」「動で先手を取る」どの格闘技・武術であってもこれを超えるものはないですね。
正統派ヒーロータイプではないけど狷介孤高なダークヒーローとして小説やマンガにしたら現代ではウケそうな予感
成田在住なので,散歩がてらにお墓に行ってみたことがあります(けっこうキツイ坂を上がったところにあります)が,どんな人なのかわからなかったので,そのときは特に何の感慨もありませんでした…。こんなすごい人だったとは!今度また行ってみます!
「野蛮」な一刀流の正統を継いで無刀流を開いた山岡鉄舟が、動乱の幕末にあって生涯一人も斬らず、江戸無血開城の立役者になったのがなんとも皮肉な話
一刀流は現代剣道の祖になるくらいですから、無数の分派に分かれているので、あくまで鉄舟は中西派からの流れの正統ですので、他の一刀流の剣士の中には、幕末期に血刀を振るった者もいたでしょう。
@@山下直樹-o5b さん、
山岡鉄舟さんは、刀を心とし、刀を抜く必要をなくしてしまう、
「究極の兵法」に長けていらっしゃいましたから。
@@山下直樹-o5b 一刀流の後継たる鉄舟が、元々柳生宗矩が唱えた「剣禅一如」に傾倒していたというのも面白い話です。
柳生真陰流も学んでますから剣禅はそっちの影響かと
@@隆浩-p4i 柳生新陰流学んでいたのは初耳ですね。幼少期に直心影流かと
小野忠明は、元の名を神子上典膳と言い、里見家の家臣として合戦にも参加し数々の武功を上げている。
里見家出奔後に伊藤一刀斎に出合い弟子入りし、一刀流の後継者となる。
家康に見出され徳川家の剣術指南役に。大阪冬の陣と夏の陣にも参戦。
ただ、トラブルメーカーとして有名で、石高は低かった。
もう少し強烈なまたは面白いエピソードがあったら、小説か漫画の主人公になったかも。
そうだその通り、世界に日本の武道を教える意味無し。
ドンナに技と心を鍛えても生物としての老いには…でも人がヒトであり続ける為には高見を目指しちゃうんだよね…
柳生十兵衛の子孫俳優柳生博
ハンターチャンス
いまの格闘家では誰だろうとかよく思う。この人は青木真也かな。
小野次郎右衛門といえば。
お亡くなりなられた、峰隆一郎先生の書かれた時代小説、小野次郎右衛門が好きです。
同じくだ
「シグルイ」って漫画で聞いたことがある名前だったけどこの人だったのか
念流では一一念をもって戦う流派だがそれと同じなのかも
まあいろんな批評はありますね
タイトル見たら
「子連れ狼」
を想像しました。
何といっても、無敵の萬屋錦之介
@@武玄-s4t
拝一刀なら
北大路欣也より
萬屋錦之介
間違いない
@@西田裕治-z7j
北大路欣も良もかった! 映画では、若山富三郎も渋かったですね。
@@武玄-s4t
いや〜
若山富三郎さん
までは知りません
でした。
劇画調のメイクが
似合って殺陣の
上手い人
だいぶ減りましたね
しかも、闇を抱えて
生きている役柄
役所広司さんや
真田広之さんなど
良いかもしれませんね
新陰流の高弟たちを無手であしらいあまつさえ「魔法使い」とまで言わしめている。相手も素人ではなく戦国の気風の残るバリバリのプロ格闘技者。
野が黒に似てるから黒人の血が入ってるという証拠だなw
この方のお墓が成田市の成田山近くにありますが、こんな地元の近くにあるとは驚きでした(^o^)。
塚原では無いな
伊藤一刀斎の子孫、イラストレーターの故伊藤彦造先生ですよね
十兵衛とは、初代からの幼名です
幼名じゃなくて通称です
大人になっても使います
ロッ〇リー「こんなに強いなら、、、、弥助の子孫かもしれない!!黒人だった!!」
忠明が本当に強い剣豪と評価されていたことは、例えば『徳川実紀』に「世に並びなき撃剣の達者」と評されていたり、近臣が記録した秀忠の言葉として柳生宗矩と甲乙つけがたい達人と評するものが残っていたりと疑いようがありません。
ただし動画のタイトル画面にあるような柳生一族を全滅させただとか、コメントにある柳生宗矩を叩きのめしただとかの逸話は全て忠明の死後だいぶ経ってから、一刀流の門弟が残した流派内文書によるもので、他の史料との間に時系列などに矛盾もあり、信憑性という点では著しく低いと言わざるを得ません。
一刀流に限らず、江戸初期に生まれた流派には「うちの流祖は江戸柳生に勝った」という伝承があるところがものすごく多いですが、結局のところ当時江戸柳生の権威がずば抜けて高かった証明でしかないです。
忠明自身は動画の通り政治的な地位や立場に拘らない人物だったと思いますが、二代忠常以降、柳生家に将軍家指南役を独占された後世の門弟達は必ずしもそうでもなかったのでしょう。
柳生一族のワード以外、聞いたこともないお方ですが皆さん詳しいのね。このように全く興味も知識もなかったものにRUclipsで出逢えることは、とっても良いと思っています。コメからもいろいろ得るものがあるし。
中村主水(必殺仕事人の主人公)も、小野派一刀流の免許皆伝でしたな。
「切り落とし」は、宮本武蔵の「紅葉の打ち」と同じ理論でしょうな。
たぶん違うと思う・・・なんか変な名前の流派だったはず。 小野派一刀流は鬼平犯科帳の長谷川平蔵のほうだと思う。 当時の一刀流は刃引きの刀で稽古していて流行らず、絶滅危惧種だったとか。一刀流が隆盛を極めたのは江戸後期の中西派一刀流が防具と竹刀試合を確立してから。諸藩・諸流派もこれにならったので、幕末の流派を超えた剣術試合ができるようになった。千葉周作も田舎剣法の跡取りだったが中西派の道場に学びに来て北辰一刀流を新設した。
柳生新陰流にも同じ原理の技がありますね!
一刀流は刃引きの真剣で練習をしています。柳生流は袋竹刀の練習ある時将軍と稽古してめためたにしています。その時私は将軍だと言ったら稽古に身分は関係ないと言った憎まれますよ。
一刀流は通常木刀で稽古します。小野次郎衛門ともあろうものが生徒相手に打ち込むような稽古をしたのなら指南役として下の下としか言いようがないですね。
勿論将軍だろうと関係ないです。
剣術の教え方とか稽古の実態とか知らない人が書いた小説ではそんな描写なんですかね。逸話にもそんなのがあった気もしますが。
子供の頃短期間だが警察で剣道を習っていたからその流祖というのは一寸驚いた。
確かに血も涙もない実戦的な剣道だと思う。いや見ているだけで怖かったから素振りの段階で辞めたんだけどw
現代剣道のベースとして一刀流の影響が強いということと、その剣道を最初に公式に採用したのが警視庁というだけで、警察剣道が荒っぽいのは一刀流の影響というより、単に仕事柄実戦的なだけだと思います。
柔道も、警察柔道は一般の柔道より荒っぽいみたいですし。
伊東一刀斎は小野次郎衛門に切られた説
BGMが良くなった
甕割典膳、神子上典膳甕割とか話で聞いた事が有ります
小野忠明じゃピンときませんでした、私感ですが神子上典膳って名前がカッコよかったから覚えてるのかも
昔の知り合いに御子神さんっていう人がいたけど…千葉で。
関係あるのかな〜🤔
戦いたかったんだろうな
剣の強さと自分の流派を残せるのは別の才能って感じですね。どんなに強くても才能が有っても、自分が体得したものを後進の者達に解り易く教授出来る才能が無いと大樹の枝葉が育たない。TPOを弁える社交術も必要だし。
柳生十兵衛も逸話を読む限りでは小野忠明と似たキャラだったかも。果たして、意気投合するか同族嫌悪になったか。
一刀流が伊東一刀斎の「一刀」に由来するものとは、知りませんでした。刀一本で戦うという意味ではないんですね。
一刀で倒すからという説もある
一刀流の伝書によればそれは違う。流名は仏教用語の「阿字の一刀」から来ている。すると一刀斎という名前も阿字の一刀に由来するのが道理。あと一刀流で有名な言葉に「一刀即萬刀」がある事で分かるが、刀が一本だからとか一太刀で倒すとかいう説は全くの出鱈目。
拝一刀のモデル😮
当に講談立川文庫で在る
すいません。わたしは、小野さんか、塚原さんの血脈のつながりがあるようです。山岡鉄舟さんは、その親の姉妹の子どもです。
柳生裸身剣って週刊ポストでやってる
漫画で出てきましたが別格で強かったです。
お茶目な逸話があったり
人を助けた逸話がある塚原卜伝とか上泉信綱の方が好きだなぁ
小野忠明は結構有名だ。武蔵とどちらが強いかと言うレベル。
オガミ一刀の元の人かと思ったわ
俺は無敵の萬屋錦之介かと思った!
@@武玄-s4t
おもしろい🤗
@@倉本康春
本物の剣豪は、加藤鷹とチョコボ-ル向井だ! なにしろ千人斬りだ!
@@武玄-s4t
オレは、絶対にやられ無い市川雷蔵だと思う。
@@倉本康春 眠狂四郎だね
既にいくらか言われている様に、一刀流内部伝書(三祖伝、三代記等)を資料とするのはやってもいいですがどうしても浅い考証と言わざるを得ないですね。
他にも宮本武蔵を持ち上げる為に渡辺幸庵筆記持ち出してきたりとか実によくあることです。
同じ書院番格200石でも2000石領主の子と浪人上がりで同じわけ無いですし、宗矩の出世は先ずは取り上げられていた柳生家の本領の返還の意味があったこと、一万石を超える出世は家光の近臣だったこともあるが官僚(政治と言うのは普通若年寄以上の家老職が取り仕切るもので奉行のような行政官僚も有ったが大目付など裁量権の比較的低い役目で政治などと言うのは言いすぎ)としての出世で人の好き嫌いが激しい家光の統治下で嫌われずに能吏として評価されていたという事はなかなか出来ないことですよ。
小野忠明の600石と言うのは秀忠が将軍宣下を受けたのでそれに伴い直臣全員石高一律2倍加増になったというだけです。
要するに、指南役と言う役目と武士としての能力評価は別にあったと言うことです。世渡り上手とか事なかれ主義もよくわからない言説です。戦国時代に上級武士と兵法者を兼ねる者は居ましたが兵法で出世した武士と言うのはいましたか?言っときますが、人の上に立つ武士は手柄首の数では評価されません。
小野家が指南役を世襲できなかったことの根拠は史料に明確な理由はないが本人の数少ない傍証(上田合戦の論功行賞でもめて、恐らくは秀忠の贔屓で勝訴したこととか、そう言う派手な物語に見られない本当の人柄から何となく察せられますよね。
「かみいずみ」。
いつの世でも我を通すことができるのは強者だからだ。弱者には無理。
中二病みたいな名前してんな
御子神典膳の方が遙かに流布している名前と思うがね。あと、小野派一刀流は典膳の息子、忠常から名乗りだした流儀。
かつての日本では、講談やそれに基づく時代劇に登場する「御子神典膳」でお馴染みでしたね
ただ、近年のゲーム等では「小野忠明」で出てくることが多いです
今時の若い歴史ファンには、御子神典膳だと通りが悪いかも…💦
小野派一刀流だけの技かは知らないが
打ち込む前に相手の意図を読み取る「奉心の目付」を日テレの番組で見たことある
バラエティでクソバカになる前の報道の日テレのプライドがあった頃の話です。
この人村上弘明の佐々木小次郎に負けてますが、、、
武蔵よりも強かったのは確かなようですね!
同じ時代の剣豪としては。
劇画の「子連れ狼」は柳生宗矩の末っ子、列堂義仙(実際は生臭坊主)が白髪のジジイになった元禄時代(五代将軍綱吉の御代)だから百年後の話で、モデルではありませんね!
少なくとも裏柳生を1人で全滅させたなんて、まるで主人公の拝一刀を連想させますが!
主人公の名付けだけ小野派一刀流の小野忠明を参考にしたのかもしれませんね。
@@長谷川良行-w2e
拝一刀の一子大五郎
が東郷重位の庇護を
受け柳生烈堂に
仇討ちしました。
烈堂は大五郎を
抱き寄せて
「我が子よ」って
言って絶命する
何か複雑な心境に
なりました。
違うな~
我が孫だった
子連れ狼で
柳生烈堂死んでる
新子連れ狼と
ごちゃごちゃに
なってる
もう1回読み直そう
30年ぐらい前にあった携帯版信長の野望で特技「一騎」(一騎討ち)の所持者だったが確か武力81しかなくて役に立たなかった
コミュニティではみんなチュウメイチュウメイって呼んで宇都宮とか里見と戦う時しか使えないみたいな扱い
しかし30年を経たいま、俺の中でチュウメイの名誉は回復されました
タイトルが違う‼️😤。
柳生は、他流試合禁止なので、全滅は、しないと思います。
せっかくの題材がこの二匹のパターンで台無し
バイバイ
江戸に出てきた忠明、柳生道場へ試合を求め、腰の大小取られ道場へ、この時屋敷中何かないかと目を配らせる、(のちにこれが二つの目付として伝えられている)待つことしばし、刀を持った宗徳将軍家指南役の我に試合を所望など無礼と手打ちに懸けるもさっと飛び出し庭に積んであった薪を手に戻り真剣を持つ宗徳のからだ中に炭を付けた、宗徳ちょっと待っていろとあわてて大久保彦左衛門を呼んできてこの者相当使えると将軍家に紹介したともある、のちにそろそろどっちが強いか決めようぜと十兵衛以下弟と尾張の利かね、〈十兵衛以下高弟三人という説もある)面倒だからまとめて来いと4対1,忠明勝ってしまう、その後十兵衛が小野先生に弟子入り、半年通ったという説もある。まるで小説のような話である。
丁度時間となりました。この続きは次回のお楽しみ。
冒頭だけ「房総市」になってる。
それ以外は「南房総市」と正確だ。
戦国時代の剣豪、武蔵や小泉
幕末の人斬りで有名人とどちらがホントは強いだろう。
剣術も進化したり逆に退化したりしてるよね。
武将として有名な山県昌景とか柴田勝家とかは剣豪では無いもんね。
剣道とも違う。
槍使いのがもしかして強い可能性も…
うん。分からん(爆)
町道場で暴れて島流し? 江戸時代に囲碁の名人(『名人』とはそもそも囲碁の名手の事)の中でも強さが特別に際立っていたり政治力が有ったりすると特別に囲碁界をとりまとめる役職の碁所に任命された。そうすると「名人お止め碁」と言って公式戦は一切打てなくなったとか 同じような感じかな?
尚、初代本因坊 算砂は将棋も強かったので将棋どころも兼務していたとか いつの世も将棋はオマケ的扱い
確か将棋の名人(大橋宗慶?)が囲碁&将棋の両方で囲碁のトップを負かしたとか。将棋の初代名人は信長が任命したはずだから、それ以前は無かったのだろう。なので囲碁のトップが裁量することになっていたのでは。また、貴族たちの間では中将棋のほうが一般的だった。
将棋を囲碁と対等の地位に引き上げたのは「14第・木村名人」だと言われる。
関根・坂田三吉時代の後で、舛田・大山時代の前の人
小野はは私の田舎のど田舎にも「小野派一刀流」として
承継しているのがあるが「ただ刀は脇差で室内には重宝」
とか言ってたんですけど〜????。
元々一刀斎は短い刀だったし、その師匠は小刀使いだし・・その相手を任されて長刀を振ってたのが佐々木小次郎少年、という俗説もあるぐらいだしw
他の説として、小野善鬼がそのまま小野忠明だったという話もありますね。
剣の力のみを信じる豪胆粗暴な善鬼と、武士だった御子神典膳を考えると確かに問題行動も理由がつきます。
家名は変えないよね。といつも思う。それも倒した相手の家名。
作家の峰 隆一郎氏(紛らわしいんですが、「花の慶次」の隆慶一郎氏とは違う方です)は小野善鬼→小野忠明説で小説を書かれてましたね。その作品では師の伊藤一刀斎は粗暴な善鬼では無く御子神典膳に後を継がせたかったけど、善鬼が勝ってしまったと描かれてました。
@@宮川佳大-u3c
その後一刀斎も斬った為に、生没年どころか晩年の一刀斎がどうなったか解らない理由としてましたね。
一般的に神子上典膳が小野姓を名乗るようになった理由は、小野善鬼が典膳との一刀流二代目を決める試合に負けた後に、一刀流の秘伝書を咥えて大瓶の中に隠れてしまった為に、神子上典膳が瓶ごと一刀両断したが、それでも秘伝書を咥えて離そうしなかったので、一刀斎が「お前を一刀流の二代目とし、典膳を三代目としてお前の姓を名乗らせる」と説得したらやっと秘伝書を離したとか。以来神子上典膳は、小野忠明と名を改めたということらしいです。
全滅って…拝一刀じゃないんだから笑
もしかしたら❓柳生十兵衛7番勝負の中に出て来る〜戸田勘解由の(一刀流の達人で、駿河大納言忠長の剣術指南役)‼️モデルかも知れないね⁉️
甲冑姿で集団戦の戦国時代には剣豪なんて多分糞の役にも立たなかった🤔
切るより刺す!脚を狙う!
なので剣豪伝説は戦国時代末期や江戸時代
平安の世?になったら護衛としては役に立ったかも(´・ω・`)
現代史(に近い)ならスナイパーは役立つ。
情報策略家はもっと役立つ
弓の名手の話しがあまり史上出てこないのはスナイパーと同じで暗殺者だったから?
柳生は剣豪ってより組織としてCIA的な役割を担っていたんじゃない?
伊東、一刀斎😢定まさささ😅😊
今、自分はテンカイチというマンガを読んでますがそのマンガのストリーに小野忠明氏を加えて欲しかったです。マンガの内容的にはうってつけなキャラクターになるのではと思いました。徳川家の家臣も登場するのでその中で様々な他の武芸者との絡みが演出できそうで更に話が盛り上がるのではとおもいました。
で?
「柳生一族を一人で全滅」って話は?
タイトル詐欺?
この人の動画はタイトル詐欺ばっかりだから気にするな
柳生一族を全滅? このタイトルって問題あるんじゃないのかな。柳生新陰流の正統は、柳生宗徳・十兵衛の江戸柳生でなく、尾張柳生の柳生兵庫介がその強さゆえ継いでいるのにね。全滅してないじゃん。
試合をしたのよ、それで全敗が続き、遠回しに雑魚は纏めて掛かって来いと侮辱的な事を言われて、全員で行ったら兵庫、与三、十兵衛に術が掛かっている事に気づいた柳生宗撻が中止させた。そのままやっていたら、同士討ちで3人ともに死んでいた。十兵衛、兵庫も関心して、以後、術の教授を受けた🙃。
尾張柳生が正統って当の尾張柳生内部の言い伝えしかソースが無いから、信憑性として微妙ですよ。一番古い記録で昭和になってから当時の尾張柳生当主が出版した本ですし。
@@アーミーバタリアン後世の一刀流の弟子がまとめた「一刀流三祖伝」の逸話ですね。宗矩と断交していたはずの兵庫助がその場にいたりと、胡乱な話です。
「三祖伝」はほかにも忠明が徳川家に仕官したのは先に仕官していた柳生宗矩と試合して勝ったから(実際に仕官したのは忠明が先)だとか、こと柳生関係の逸話は整合性がとれていない。
「三祖伝」が書かれた当時、将軍家指南役に小野家からの登用はなく柳生家が独占していました。動画にもあるように忠明自身は政治的な地位や立場に無頓着でしたが、後世の一刀流剣士達はそうではなかったのでしょう。
@@takashikitasima6828
忠明は一回も仕官していないよ。余計な事を言うから江戸祓い。兵庫は当時の将軍秀忠の上意によって召集された。
@@アーミーバタリアン 兵庫がその場にいた理由は「三祖伝」に記載がないので小説か何かの設定でしょうか?
忠明が徳川家に仕えていた痕跡は動画でも紹介の通り色んな記録として残っているので否定することは難しいかと思います。
日本刀は「剣(つるぎ)」とは言わないぞ。
話の内容から他の表現に置き換えるなら「刃(やいば)」又は「刀身(刀身)」ではないか?
「日本刀」に対し反りのないものを「剣」と呼ぶはず。
拝一刀じゃなくて!??
俺は最強の剣豪は、無敵の「萬屋錦之介」と思っている!w
小野次郎右衛門はずっと柳生宗矩にケンカを売ってたみたいですね。しかし、同じ指南役とはいえ、宗矩は大名扱いで諜報活動も行う軍師ともいえる幕臣なんで、早々ケンカを買う訳にも行かないし、勝てる自信もなかったようですね。同じように、柳生宗矩には、前田家に仕える富田流の "名人越後" と言われた、富田越後守にも、ずっと手合わせを申し込まれて、逃げてたようですね😅
そのような「うちの流祖は柳生より強い」という逸話は富田流、一刀流を問わず色んな流派にありますが、どれも同時代に第三者に書かれたものではなく、その流派の弟子が後世になってまとめた流派内部の伝書がソースです。流祖を持ち上げるための相手に使われるくらい、当時の江戸柳生の評価が高かった証明にしかならないと思います。
@@takashikitasima6828
宗則の弟子で武蔵とも知り合いだった人は、「碁で言えば、セイモクも武蔵強し!」と言ったそうなw
@@ybb4295 『渡辺幸庵対話』ですね。かつて徳川秀忠に仕えた旗本の渡辺茂だと名乗る幸庵老人の談話を加賀藩士が書き留めたとされるものですが、本当に渡辺茂本人なら談話時点で130歳にもなること、他の記録にある渡辺茂の事績と幸庵老人の語る経歴とに差異が大きいことから、本当に宗矩や武蔵と面識があった渡辺茂の証言ではないと考えられています。
結局のところ武蔵を持ち上げるための道具に宗矩を利用している構図は変わりません。
裏柳生を壊滅せしめたのが水鴎流の拝一刀だってのは知ってるー!
それは小説です。
水鴎流の拝一刀は漫画『子連れ狼』だよw
ちなみに水鴎流そのものは実在の流派(漫画での描写は創作)で一時期は宗家自らが演武会で「水鴎流は皆さま御存じの通り拝一刀の使った流派でございまして」などと述べて観衆の笑いを誘っておられたという。
俺は最強の剣豪は、無敵の「萬屋錦之介」と思っている!w
萬屋錦之助の武蔵の時の佐々木小次郎は高倉健さんでしたね。
実在の剣豪は、加藤鷹とチョコボ-ル向井だ! なにしろ千人斬りだ!
小金原の決闘😮
柳生は梶原一騎の斬殺者のせいで悪いイメージしかないです。
勘違いかもしれないが、主人公の二刀使いを引き立ててやったのが宗則だったんじゃないか?
宗矩が小野忠明とは絶対に争わなかったのは、大人の対応とも言えるが、本当は自分が弱い事を知っていたからである。
「恐るべき眼力の持ち主というのだ」(大猿大介 「サスケ」)
宗矩の頃の新陰はまだベタ足だからなぁ 剣術職人の忠明の敵じゃないでしょ
そうね、一刀流の最高秘伝の切落を小野忠明が出来たし、それを戦場や下手人の介錯で見てたからね。切落には欺剣やカウンターは一切通用しない死角の無い剣技🙃。
塚原卜伝、鹿島の太刀🎉
○○派というのは弟子であって一刀斎からの本流なので一刀流というべきでしょう。
後の弟子が派を名乗った事と混同それているのかと思われます。
本流は山岡鉄舟まで続きました。
彼は一刀正伝無刀流と名乗りました。
これが正統で他の派は弟子ですね。
山岡鉄舟は後継を指名しないで死んだので以降は高弟が名乗ってはいるけど正式な印可は受けていません。
よって型は残りましたが精神的な技は失伝していると言わざるを得ないでしょう。
中西派一刀流の寺田宗有は各一刀流をまとめて天真正伝一刀流を名乗ったな
一刀流は現代剣道の祖になるくらいですから、無数の分派に分かれてそれぞれが流儀を継承してますから、鉄舟の正統もあくまで中西派からの流れですので、その解釈もちょっと違うのでは?
小野派一刀流て奴か?
出世に興味なかったんやろうな
出鱈目な画面の文言は止めましょう。柳生を全滅って???、直ぐ消しますね。
「スーパー伊忍道・打倒信長」というゲームに神子上典膳が登場しますね~。普通にゲームをやっていると、大体、一番最初に仲間になってくれるのですね~。
漫画天上天下
で初めてしった
弟子に「どうすれば強くなれますか?」と問われて「(人を)斬り慣れよ」と答えた一言が彼の全て。
禅の精神が云々などと言い始めた柳生に対し彼の剣はただ人を斬る為のものであった。
尚 剣の流派は元々は念流・一刀流など五指に満たない。当時は言ったモン勝ちだから我流の流派が何百と発生する事になる
最後は名も無き妙剣術の達人?に斬られて、老後、考えたとさ、その時に言われたのが人の心を持たない無人剣って🙃。
@@アーミーバタリアン
つまり刀を抜いた瞬間「死の覚悟」ができるか否かという事でしょう。
そして余裕を見せてまだ刀を抜かないうちに斬られてもそれは卑怯でも何でもなく斬られたヤツがただの間抜けだ、という事。ここが禅云々と言った柳生と一番違っている点です。尚 故峰隆一郎氏は最強の剣士に彼を挙げており 書いたチャンバラ小説はほとんどこういった精神で書かれています 長文失礼いたしました
@@アーミーバタリアン
コメント消えた💦彼の教えは刀を抜いた瞬間「死の覚悟」ができるか否か。余裕を見せて刀を抜かないうちに斬ってもそれは卑怯でも何でもなくただ斬られた相手が間抜けなだけ という事。ここが禅が云々と言った柳生と一番違った点です。
尚 故峰隆一郎氏は彼を最強剣士に挙げており書かれたチャンバラ小説は全て他の時代劇小説とは全く違うテイストになっております。長文失礼いたしました
@@アーミーバタリアン
コメントが消えまくってる💦
彼の教えは刀を抜いた瞬間に「タヒの覚悟ができるか否か」余裕を見せてまだ刀を抜かない相手を斬っても卑怯でも何でもなく斬られた相手が間抜けなだけ という事
尚 故峰隆一郎氏は最強の剣士に彼を挙げており峰氏が書いた小説はこのような考えを基にした「人を如何にして斬るか」的なチャンバラ小説になっております 長文失礼いたしました
鬼一の京八流が刀術の元祖だから鹿島の剣術を加えて(関東7流だっけ?)だと15流派はあったことになるw 防人の教練として教えたのが鹿島の剣術ということになっているが、当時日本刀は存在していない。京八流は日本刀誕生直後にできたみたいだ。いまの剣術・剣道は実は「刀術・刀道」w 筏焼きが蒲焼の名前を乗っ取ったのと同じようなモノ。
なんで宗矩やねん、柳生は石舟斎か連也斎だろうに
当時の評価、剣術に及ぼした影響など柳生の代表を一人選ぶとしたら、やはり柳生宗矩になると思います。実際の切り合いの強さは確かめようもないですが。
渡辺幸庵によると柳生宗矩より宮本武蔵の方が井目も強い(プロとアマ位大差ある)と書き遺してるな
@@MC-si5kn 『渡辺幸庵対話』は、かつて徳川秀忠に仕えた旗本の渡辺茂だと名乗る幸庵老人の談話を記録したとされるものですが、本当に渡辺茂本人なら談話時点で130歳にもなること、他の記録にある渡辺茂の事績と幸庵老人の語る経歴とに差異が大きいことから、本当に宗矩や武蔵と面識があった渡辺茂の証言である可能性は低い考えられています。
この対話からは、宗矩と武蔵の死後何十年かたって、両者のどちらが強かったかということが世情の話題になっており、談話の作者が武蔵推しだったことは分かりますが、逆に宗矩の方が上という逸話(後世のものなので信憑性はありません)もあるので、それを以てどちらの評価が高いみたいな話にはならないでしょう。
剣豪、剣術家など呼び方があります
戦国時代では戦場での強さが全てだった時代は簡単でした
江戸幕府が日本を治めるようになり太平の世が来ると道場での強さ=剣術の強さと変わっていきます
道場で強くても戦場で強いかが分からないですが
剣術の強さと売り込む営業力と政治力が必要です
柳生家は営業力と政治力に抜群の強さを持っていたから今の時代にも語り継がれています
小野忠明は営業力も政治力もない為に売れなかった
江戸時代は剣術家は芸人扱いを受けていた為に身分も低かったのです
徳川将軍家の剣術指南や各大名の剣術指南は数百石程度の下級武士並みの給料でした
柳生家が万石を得たのは政治力に支払われていたのです
太平の世が続いて剣豪、剣術家は仕事がなく江戸郊外の浅草や両国で大道芸人として客に剣術という芸を見せていました
正に剣客商売か‼️
名将は必ず強運なモノ。悲運の名将などありえない(司馬遼太郎) 武蔵は戦運が無くて落石くらって落下。養子・伊織は城壁を登り切って一帯を制圧し、武蔵流の武威を示した。「修羅の刻」ではその話は出てこないw
1897 Itto Ryu filmで検索すると明治時代の小野派一刀流の演武が見られるけど現行の形とはかなり雰囲気が異なるんだよね
とくに一番重要であるはずの切り落としとかまったく違う
型が伝書と違う事は山岡鉄舟も疑問に思って小野だか伊藤の宗家の型と比較したとか聞いた事がある
訳わからんサムネつけたらあかんよ。
いつ小野忠明が柳生全滅させたの?
武勇伝武勇伝
武勇伝伝で伝伝借っ金ぃ〰️ん✨
いわゆる武芸者や剣術家ではないため「最強剣豪比較」に名前が挙がることはないが、この時代の「戦場での最強」は「可児吉長」ではないだろうか。
笹の才蔵の事かな可児さん
@@青木祐太郎-b3g さん
そうです。
才蔵が関ケ原で獲った首級は計20。20人の兜首を獲ったということは、彼らを護る手下や雑兵を含めれば何人を屠ったのか。
どこから矢弾が飛んでくるかわからない戦場で目立つ笹の指物。しかも当時才蔵は44、5のオッサン。
@@TAIRA_TAKAMORI
仏生寺弥助とかもそうだけど武士や道場の跡取りでもないのに化け物みたいに強い奴いるよな。
吉川英治の小説には、秀忠に稽古をつける時に忠明は一切の手加減をせずに秀忠を打ち据えて稽古が終わると「全然なっていない」と言って去っていった。
一方、世渡り上手の宗矩は適当に手加減して「上達されていますね」と褒めた。
それもあって秀忠は忠明が嫌いで両者の中は次第に険悪になっていたとか・・・・
秀忠は忠明のことを気に入っていたと思いますよ。「忠」の偏諱を与えていますし、動画にも紹介されてる大阪の陣の後に忠明が同僚を侮辱して起きた騒動の際も、同僚からの直訴を最初は黙殺し、最終的な処分も同僚の代表者は改易に処したのに対して忠明は閉門留まりとかなり忠明に甘めの裁定を行っています。
忠明が武に一途なため秀忠に嫌われたという逸話のソースは後世の一刀流の門弟がまとめた伝書です。忠明自身は政治的な立場に無頓着でしたが、弟子達はそうではなかったようで、将軍家指南役を柳生家に独占されている状況について自己正当化を行わざるを得なかったのでしょう。
@@takashikitasima6828
将軍と腰本が剣術の話をしている時に余計な事を言っちゃった訳だ。何を言っても座乗の睡蓮、脇差しを抜いて決着してから語る事と。まあ事実なんだけど、結局寸での処で宗撻が止めたけど。その前の時は相当悲惨だったからね。秀忠もそういう処は嫌っている。
それは柳生兵庫介の本ではないですか?
@@アーミーバタリアン その話のソースが本人の死後だいぶ経ってから弟子が編纂した編纂した流派内文書で、「そういう理由で忠明は嫌われたので柳生みたいに出世できませんでした」と続くわけですが、現実には嫌われていた様子は無いので信憑性が微妙、というのが上のコメントの趣旨です。
@@takashikitasima6828
嫌われていたというより、恐れられていた。宗撻はハクイン禅師にも教えを受けていた。
一刀流が出るまでは戦場で刀を使うときは両手で二刀で戦うのが常識だったが
一本の刀を両手で持ち相手を鎧ごとぶった切る一刀流が登場し、これが主流に成った
当時の絵に両手で刀を持って戦ってるやつなんて一人もいないぞ、武蔵をのぞいて。
講談の類だと佐々木小次郎の引き立て役にされてますよね