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今日のお話もとても良いお話でした。ありがとうございます。私は家庭教師ですが、こんなことを生徒から言われたことがあります。「さあ、先生はどうやって私をやる気にさせてくれる?」本当に驚きました。最近、お客様感覚の子が多いように思います。彼らが社会人になった時、上司が優しく導いてあげないと一歩も動くことができない大人になるような気がして怖いです。私は時々市民大学で年配の方に音楽を教えたりもしていますが、そのような方々に教える時に何をゴールにすれば良いのかということにもとても悩んでいます。「とにかく生徒さんを褒めて気持ちよくさせるのが良いですよ」とアドバイスをしてくれる人もいますが、私はそのような考えが好きではなくて、もやもやしています。
客気分で教えを乞うているようでは進歩はおぼつかないということが良くわかりました。ご教示ありがとうございます!
この話を日本全国に広めるべき。
日本には「お客様は神様」という概念が未だに根強く残っている気がします。これは三波春夫さんが言った言葉が間違って広まった結果です。三波春夫さんは「お客様の前で歌う時は神に祈りを捧げるような気持ちで歌います。だからお客様は神様なんです。」と、あくまで歌う際の心構えを述べたんですね。言葉の意味が正しく伝わってほしいと共に、神に祈るような気持ちで演奏するということも意識してみたいですね。
本当にその通り!と叫びたくなる様なお話しですね。車田さんのしっかりと芯のある生き方、考え方、まさに、素晴らしい教えになりますね。それと奥様お菓子作りのプロでしょうか?いつも感心し、そしてそれを、いかにも美味しそうに感謝されて召し上がるお姿にコチラまで嬉しくなります。いつも有難うございます。
優しく懇切丁寧な教え方をされて、プロの世界でやって行くスキルは身につかないのは、どの世界においても同じだと思います。
お金には換えられないものを教えてくれるのが、本当の師だと、私は思います。そういう意味では、すべての人が師になり得るものだと思います。でも、それを言えるようになったのは、自分が良い師に恵まれてきたからかもしれません。
わたしもそう思います。音楽も言葉と同じようにその人が全て表現されて出て来ますものね。自分の合った師に出会得ることは幸運です。わたしはもう10年以上一人でやってて時にはとても自律出来ず苦しいです〜。教わる方が全くラク、😅⭐️
私は音楽に関係する「生徒」の身ですが、「お客様」概念を一度も持ったことがない為、「お客様」概念を持たれる方もいらっしゃる事にただただ驚きました。車田さんのおっしゃる通り、サービスという、日本人風な考え方故なのですかね。私は「この先生へ同じようにお金や時間をかけている他の生徒さんよりも、沢山の技術や知識を得よう」という考え方です。「師匠(先生)」の対義語は「お客様」ではないはずですからね。「生徒」であるからには、学ぶ姿勢を大切にすべきと思いました。
今回も考えさせられる良いお話しでした。有難うございます💕それは、そうと。アフター講座のコーヒータイムも楽しみです。私は糖尿病なので、お砂糖を使った物は食べられません(甘味料での甘さはOK)昔、若い頃は何でも美味しく頂いていたのを懐かしく思い、車田先生があんなにも美味しそうにスイーツを召し上がるのをみて「ああ、糖尿病でなくてよかったですね」と心から言って差し上げたいです。これからも、お話しもお菓子も楽しみにしております!
生八つ橋まで自作するとは、驚きました!異国の地で食する和菓子は、さぞ別格ですね。
今回も非常に深い内容の話題ですね。近年は義務教育以降あらゆる教育システムが少子化や経営優先主義の影響もありメディアまで使った過剰なうたい文句や広告によるサービス化の多様性やパワハラだモラハラだと権利ばかり主張する享受のバランスが変化したり逆転現象が起きている状況が当たり前のようになり更に複雑になっている気がします。日本ではサービス業的価値観が多様化し過ぎてしまいサービスと判断するかしないかの線引きが多業種間で曖昧かつ乱用されておりその概念が教育にも波及しているのは非常に残念だと思います。先生がお話された自分が選択した専門的教育に対する対価は一般的概念でのサービスとは異なるものかと思います。また海外におけるサービスの価値観の違いについてもグローバルな時代なら尚更再認識するべきかと思いました。今回の問題提起は音楽だけでは無いはずですので社会的に更に議論され認識されるべきですね。八つ橋は日本を代表するシナモンを使った和菓子ですがまさかドイツで入手出来るとは…。良い時代になりましたね(笑)青森県にはシナモンを使った『うんぺい餅』が有りますよ。シナモンには血糖値の上昇を抑えたり殺菌作用があるので声楽をやる方は喉のケアには良いと思います。次回はシナモンティーとシナモンロールでも如何でしょうか?
もう20年くらい前の話ですが、うちの娘たちをピアノ教室に入れた際、知人を通しての紹介だったのでやや緊張してお伺いしたら、先生いわく、最近はうちは電子ピアノしか買えません。置けませんので。ピアノは上達しなくてもいいから、「ちゃんと挨拶が出来るように」教えて下さい。なんて言われるんですよー。とのこと。僕は愕然!として、娘たちに「こんにちは、お邪魔します、靴をそろえて、お願いします、ありがとうございました」と教えました笑。もちろんピアノも購入して…。お陰様で?、娘たちは先生がお嫁に行くまで楽しく教室に通えました。学校の合唱の伴奏者に選ばれたりしましたので、それなりに上達出来たのだろうと思っています。毎週送迎した甲斐があったとは親バカですが、今となっては娘共々楽しい思い出です。
西洋音楽を担う車田先生の分析を聴いて良かったと思いました。しかし、音楽文化の伝統継承に関しては徒弟制度が最も能率が良いのです。落語、歌舞伎でも通い弟子の時代が来ていますが、現実的には弟子入りせずにプロになれません。話は変わります。歴史的に見て、西欧伝統古典音楽文化は「崩壊の時期」に既に来ていると、西洋音楽史的には考えねばならないという事に尽きるのです。車田先生のこのファイルは、大きな集合の中の一要素に過ぎないと考えねばならない…流れに棹差そうと「批判をしても」しても流れに飲み込まれて流されていくことは間違いありません。BBCが数あるスーパーオケを減らそうとしている事、クラシックCDの売り上げが減っている事、カラヤンがBPOのクラリネット奏者に「君の名前を付けたリードを発売すると儲かるからやりなさい」と勧めた事、このようなファイルがRUclipsに掲載されている事・・・すべて同じ社会現象の中に納まります。『西欧伝統古典音楽文化崩壊』を一人の人間の力で止めることなどできるはずはないのです。単純に言うと「経済」に支配され金儲けの手段に堕ちていて、本当に音楽的才能がある人間はポピュラー(人気の取れより効率的に金儲けができる)音楽へ向かうしかないという事です。巨大な視野でみると、世界の民俗音楽はポップスの強い影響に拉致されて、統一の様式下にあるのは否定できません。例を挙げれば、邦楽器の演奏の音程は五音音階だと学校では教えますが、それは全くの嘘。オクターブを十二に分けた平均律の音程から五つを選んだ形になっていて、日本音楽の古いものの録音を聴くと、天才宮城道夫は平均律に拉致されていないのを感じますし、全国各地にある大念仏の古い録音はペンデレツキーのようなクラスターを聴かせていたのですが、現在では音程が揃って聴こえます。この説に理論的に反論する人はおらず、盲目的な批判ばかりがあるか、スルーされるに違いありません。時間を掛けて考えた現在の私の結論です。
私学学校講師をやっていましたので痛感です。先生方は経営者の方針と生活、車田先生の仰る真理の狭間で苦悩され教育への情熱を失っていく姿を観てきました。先生をすることで生徒に育てていただいた一面もありますが、今、教育現場を離れて人間としてのアタリマエを取り戻しています。
車田先生今日も素晴らしいご投稿ありがとうございます(^_^)毎回毎回、こんなふうに言えたらどんなにいいかと思う素晴らしいお話!私は、生徒よりも父兄との関係に疲れていた時期があります。それで、大人ばかりに絞った時期もあります。生徒にやる気を起こさせるようにクラシック音楽に興味を持ってもらえるようにこのフレーズに疲れ違和感をどうひょうげんしていいものか困っておりました。。。私立の勉強の嫌いな子達が多い学校で、反抗的な男子生徒を音楽以外の事で態度を注意すると必ず「高い授業料を払っているので大事にされて当然だ」と繰り返す生徒が一定数いました。完全に自分はお客様で親も毎日そう言っているのだなと感じていました。現勤務校は、進学校で、一応生徒達は先生を先生として見る事が出来る子達なので続いています。資本主義に生きる上で折り合いを付けて行くべきではありますが営業・集客芸術家にとって、最もなじまない言葉だなと思いますm(_ _)mいつも、考えをまとめさせて頂けて有り難いです(*^_^*)これからもますますご投稿楽しみにしております(*^O^*)現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
車田先生の話に同意します。私もピアノを習っていますが・レッスンの場を提供する楽器店・レッスンを行う先生・レッスンを受ける生徒この三者の適度な距離感と緊張感が良い方向に向かうものだと思っております。故に月謝は、のし紙に包んでお渡しするものだと思っております。今担当の先生は、生徒の意向を尊重してくださいます反面、生徒の言いなりには絶対になりません。実は毎年年度始めに「春闘」と言うべき話し合いがあり、その年度の方向を決める「師弟協定」なるものがあります。それでも先生は時には鬼に時には仏になって指導してくださいます。確かレッスン時間帯は30分ですが、60分以上の時もあります。一方で、私の仕事関係の知人が同じ楽器店にお子さんが習いに行っているそうですが、話を聞くと…「上から目線云々」「レッスンを休んでも代替してくれない云々」「そのくせ月謝が云々」…。そりゃ…100%生徒側に問題ありだと思います。
イギリスでピアノを教えています。イギリスの私立校の授業料は非常に高額ですので、学校に様々な要求をするのは当然だと思っている親が多く、気に入らないと、ころころ転校させます。兄弟全員学校が違うというケースも珍しくありません。子供はいい迷惑でしょうが、そういう私立頭の親の中には、ピアノ教師にもいろいろ注文を付け、受け入れないならやめると脅す人がいます。そういう方には喜んでおやめ頂いているのですが、信じられなかったのは、レッスンをやめる時に何も言わずにこちらの電話番号をブロックする親がいることです。関係が険悪になってのことではありません。前の週には「また来週」と言って機嫌よく帰ったのに、レッスンに来ないので電話をすると通じなくなっている。最初にされた時は切り捨てられたような気がしてショックでした。他の教師に聞いてみると、珍しくはないそうです。無礼極まりないと思うのですが、携帯世代のマインドなのでしょうか、それとも国民性?
今回の話を耳にした人は大きなヒントに触れることができて、とても幸運だと思います。今や教育も仕事に至っても、カリキュラム的な育成と出来るだけ人をフラットに扱うきらいがあります。その結果、希薄なタイプが菱形のようなピラミッドを形成する気がしてなりません。元々、教える側と教わる側の関係はかけ算九九だと思います。あくまで理想ですが、どちらも一生懸命で大人になるのが望ましいですし、育たないなど失敗した原因と責任は双方にあると思います。たとえば一回のレッスンにいくらかかるとしても、車田さんも仰るように自ら読み解いたり、そこにあるマイナス面も含む読解力を持たなければ、先生はエレベーターの操作係・生徒はただの乗り手にしかなりません。根本的な話をすると煙たがられるのはどこの世界も同じかと思いますが、その世界を少しでも良い形で守ったり残したりする気持ちがあるからこそ、少しずつの変化を受け入れつつも高くて柔らかい矜恃が保たれるのかと思います。
とても難しいですね先生がそう考えていても、生徒側が自分をお客さんだと思っていると、本当に辟易してしまいますね。
某楽器店勤務、講師をしておりますが、楽器店からは生徒はお客様なので「生徒様」です。と言われます。私はやり取りの時、できるだけその言い方をしたくないので、避けるようにしています。おかしいですよね。
サービスというのはレストランで食事するときみたいにお金さえ払えば客は座っているだけで金に見合った料理を自動的に出してくれるいわば受動的なものだけど、レッスンの場合金さえ払えば自動的に金に見合ったものを手に入るというわけではなく、生徒の側も先生の教えを理解するためにそれなりに努力が必要な点が単なるサービスとは違う、ということかな
門下生の動画と共に、とてもためになる動画でした…というのも、音楽ではないのですが、ある習い事をひょんなことから2人の先生から習うことになりまして、その2人の指導や考え方は正反対だったため、ちょうど先生との関係性に悩んでいたタイミングだったからです。元々習っていたA先生は、生徒をお客様と思っているようで、やたらと私のことを褒めてくる先生で、できていないこともほとんど指摘してくれず、3年間通い続けても全く上達しませんでした。そして上手くならないのは自分のせいと思っていました。しかし後から習い始めたB先生は、レッスン中は全く褒めてくれませんし、できてないところはビシバシ指摘、たま〜にお説教までしてくる人ですが、数ヶ月通っただけで格段に上達しました…おまけに、「自分で上手くなったと思わない?」と言いながらハイタッチまでしてもらいました😭また、大人になると説教してくれる人は減るので、むしろありがたかったです。また、習い事に関する知識も、圧倒的にB先生の方がたくさん持ち合わせていました。A先生とB先生はお知り合いだったため心苦しかったですが、結局完全にB先生にのみに習うことにしました。この選択で良かったと思っています。
😊😊
すばらしい👍お話をありがとうございます。
生八橋を手作りされたのですか?美味しそうに召し上がるので 口の中にツバがたまってしまいました。
いいお話でした。
最近、グラインドボーン音楽祭のオペラ公演中に環境団体の抗議活動で演奏が中断との残念なニュースが流れて来ましたが先生のご意見などありましたらお聞かせ下さい。
徒弟制、門下となると初心者には遠すぎて想像がつきません。日本では初心者と音大コースとに音楽にふれる機会が厳格に分けられます。初心者は音楽教室で1レッスン30分の広告で入会します。講師は開始と終わりの荷物を出す2分間は「チューニングしといて」とスマホ持って消えます。これですと先生も生徒も技術を売る側と買う側ではないですか。生徒はうまくなると思い込んで行くのが大抵でしょう。それは生徒のレベルにあわせたトレーニングを次回までの課題として与え、必要な知識も理解させるか入手法を教え、生徒がそのとおりやって次回は添削を受ける、の安定的な長期間の繰り返しで実現可能でしょう。たぶん年齢は関係がありません。生徒に好きな曲を弾き先生が言えることだけ言い「何か質問あるw?」と言って終わるスタイルですと生徒を振り回し時間とお金だけ奪い取る構造になるでしょう。下手なのは無知なせいです。知らないことを質問できるわけありません。ほとんど西洋中世のラテン語が読める聖職者と無知な農奴(自分)です。以上は初心者からの意見です。
車田先生がおっしゃる通り、先生を人として尊敬できるかが一番大切ではないでしょうか。素晴らしい先生に出会い、習うと決めたなら、先生の貴重なお時間や培われた努力の成果の一部を享受している、という大きな自覚が生徒には必要かと思います。まだ子供なら親が信頼できる先生かを見極めるのが大切ですね。(結局は縁や運の要素も大きいですが。)子供のレッスンは人格形成に大きく関わること、大人のレッスンは素直であること、生徒が自己流で突っ走らないことが大切かと思います。クラシック音楽の学びは人生全てに繋がります。特に本質を見抜き、俯瞰して見る冷静さ(ミクロ、マクロ、両方の視点)をくれました。感情、知性や理性のバランスは仏教の中道にも繋がるように思います。
にっきといえば、ドロップでにっきが入ったのがあります。子供の頃、それが苦手でした💦今日のお話・・・・昨今は生活の糧にしてる先生も多く、お客様=生徒という人もいるかも(カルチャーセンターに多いかな)レベルがそれなりに高い先生だと、そんな感じはないイメージ。やはり、教えてもらう、教えてあげましょうという師弟関係が健全ではないぁと。というわけで、私も1年休んでた声楽のレッスンを今月から再開です✨上手くなるには、教えを乞うしかない😄
興味深いお話ありがとうございました!知り合いのオーストラリア人の写真家が「日本はcustomers' paradiseだ」と言っていた意味が分かったような気がしました(笑)
興味深いお話ありがとうございました😊そうですね、同感致します。ここ南カリフォルニアでコンサートピアニストの先生に教えてもらうのに彼の経歴にしては余りにも安い値段でショパン一冊全曲弾いて次曲を選曲したり熱意のこもったレッスンにわたしから値段を上げさせてもらった事思い出します。後のイタリアのご自宅に家族で呼ばれてマスタークラスを何度か学ばせていただきましたが本当の音楽家一家と生活して素晴らしい音に溢れた毎日の経験をさせていただきました。だんだんと音楽をする人が少なくなって来たり、安易に簡単な方法で音楽が手に入る一方で常にホンモノを目指したいと思います。その人の人間味に魅力ないと芸術は響かないですよね(まだまだ勉強中のわたしですが、出来ることから頑張っていきます。ありがとうございました♪
車田さん、ピンクのピオニー(?)の香りとシナモンの八ツ橋の香りが微妙に伝わって来て良い感じですね横の双眼鏡のboy置物もとってもステキです〜😊💓
意味合いが違うけれど、病院側が患者さんと言っていたのがいつの間にか「患者様」って言うようになりましたね。自分はレッスンを受ける側ですが「生徒様」っておかしな日本語で呼ばれたくないなあ…。
物品等を買うために支払う瞬間は客、レッスンを受講中は生徒。しっかり区別しなければなりません。
教師と生徒の関係性も色々ですね。お金が絡むから、より複雑にならざるを得ませんね。英語圏で、師事する事を「study with ○○」と言うそうですが、「with」が付くと、日本人から見ると、教師と生徒がフラットな関係にある様に聞こえて、ステキだな~、と、思います。個人的に、先生方に対して希望する事は、厳しくても良いからキツい教え方はしないでほしい…、と言う事です。(八つ当たりみたいな態度は、勘弁です😭)子供の頃「ニッキ飴」を食べた事がありますが、和菓子とはちょっと違いますね。😅
私も先生と生徒は技量、知識の差もあり、教える、教わる立場であり対等ではないと思っています。そして教わったことに対する対価はサービスに対するものではなくレッスンに対して支払うものなのと思いますが、多くの人が曲解しているようですね。もっとも接客業においても対価とサービス及び商品のやり取りなので、どちらが偉いなどはないというのが私の考え方です。そこで「対価を払っているのだから客の方が偉い」と考える方々は心が貧しいと思います。
お久しぶりです!深く考えさせられるお話ありがとうございます♪昔ピアノを習ってたので、習い事における自分と先生を思い出しながら拝聴しました。自分に見合う先生(優しい先生、厳しい先生)は人それぞれだと思いますので、先生に過剰に求めるよりも生徒の練習方法や量を見直したほうがよろしいではないかなと思います。話が蛇足しますが、教える側からしたら部活とかで情熱が尽きたらすぐに辞めるよりもお休み期間を頂くのがベストなんですかね?
私は20年以上DTMや作曲、音楽制作を教えていますが、激しく同感です。ただ、実績に胡座をかいて、「教える」能力が低い教師も、目の当たりしてきました😂。
そりゃ『お客様』でしょうね。でないと商売出来ないと思います。
「こなし」という蒸菓子の松ぼっくりの形にしたものはシナモンをまぶします。あと薩摩芋、男爵芋という焼き菓子もシナモンをまぶします。全て白こし餡を使った和菓子です。シナモン好きなら一度御賞味下さい。
お客の方が偉いと思ってるのは、現代の日本人(それも、バブルの終わり頃から)だけの様な気がします。私が若い頃は、お店が客を選ぶ事がよくありました、マナーの悪い客には「金は要らねぇから帰れ」とか。今は良しも悪しきもネットで拡散するようになったので、店が思い切ったことが出来なくなったせいもあろうかと思います。 音楽教室もほぼ同じではないでしょうか? 余談ですが、ニッキとシナモンは違いますよ。八つ橋はニッキが使われています。 生八つ橋(昔は無かった)美味いですよね、私も好きです。糖尿病ですが誘惑に負けます。。。。
大阪の堺市にニッキ餅という和菓子がありますよ。とても美味しいです!
教師と生徒の関係は、上司と部下、親と子、でも同じかも知れませんね。
動画を拝見していつも思うのですが、本当におっしゃるとおりではないかと思います。ところで、まさかとは思いましたが、ついに八ツ橋まで自家製とは、恐れ入りました。
そうですね。もし、その誰かが将来ステージに立ち素晴らしく価値ある表現をするようになると仮定するならば、教育や師弟関係などホッテおけば良いと思います。現に、非民主主義的な社会の中からも時代を画するような表現者は数多く出てきているわけです。それを決定つけるのは、才能 と言う何物もはねつけるだけの力と巡り合わせでしょう。一般的な音楽教育と言うことになると、日本と西欧の音楽 に対する価値観があまりにも違うので、同列には語れないと思います。いづれにしろ、教えられると思った人にはそれなりの責任があるし、教わりたいと思った人にはそれなりのビジョンが必要だと思います。経営のために、生徒をお客様とみる、だれも咎められないと思います。サービスと言うことになると、日本では同じ民族国民どうしの緩やかで曖昧な思いやりや了解が基本になっていて、出来る範囲のことはしてあげたい、そのほうが楽しいよね。と言うのが基本になっていますが、西欧では、様々な民族や階級や宗教感の違いから、お互いの立場を表明し、もし問題があれば、お金のやりとりではっきりさせ、混乱や衝突をさけてきたと思います。どちらが良いのか、その人しだいです。くらべられませんね。
人手不足になるとお客様扱いはなくなるのでしょうね。ドイツに近づくと嬉しいです。
洋風の皿とフォークに八つ橋w (●´ω`●)
今までの動画の論点と合わせて考えさせられました。何回かカルチャーセンターの声楽講座に参加したことがあります。先生方は指導することより、ご自分の演奏会のチケット販売の方が熱心で嫌になってしまいました。恐らく場数を踏む機会が少ないのでしょう。車田さんのトークの魅力は、本場ドイツでの出演回数の多さとそれに至る迫力です。今回のお話の後のコーヒータイムはまた絶妙です。八つ橋を作るのはあまりなじみがないので驚きました。特にドイツで購入・代替できる材料を考える手間暇を考えると、このレシピは間違いなく有料ですね。日本の名器の菓子皿を使うとそれはサービス料として付加されるという理解になるのでしょうか。見様見真似で作るのは無料ということになるのでしょうか。
神様は買い物しません。客と神は全く別物です。
音楽家を目指している方々にとって、先生は、自分の能力を伸ばしていくために、必要ですが、たくさん生徒がいるために、なかなか真剣に教えてもらえないこともありますね。あと、このたくさんの生徒さんの中から、見込みがある方を見いだして、その方々を真剣に教えていかないと、時間がいくらあっても、足りないですね。なかなか難しいお話だと思います。私自身がアマチュアだから、わかりにくいかもですね。それだけ、プロの音楽家になることが大変だと私は思いました。
ちょっと状況がよくわかりません。生徒が多いとなぜ真剣に教えられなくなるのでしょうか。イギリスではレッスン時間が決まっているので、何人教えられるのかは前もって分かりますし、レッスンを延長すると次の生徒の時間を取ってしまうことになりますから、基本的に延長することはありません。時間が足りないとはどういうことなのでしょうか。
日本でサービス過剰な嫌いがあるのは、国民を消費者と考えているからではないか?とドイツ在住の方の意見がありました。ドイツでは労働者として捉えているので、奴隷的なサービスをしなくても良いのでしょう。なので車田さんの意見には同意しつつも、生徒がお客様でも良いのでは?と考える点もあります。理由は、生徒のうちモノになるのは1/100くらいなものでしょうから、後の99人はお客様、つまり1/100のための【養分】で良いのではないでしょうか?音大も定員割れとかで大変そうですから、音楽を後世に残す、繋げる意味でもコストを購うための養分…じゃなかった、お客様(笑)は必要でしょう。
すごい割り切り方ですね。その99人はモノになるつもりは無いけれど、好きで習っているんじゃないんでしょうか。そういう人たちには手を抜くんですか。音楽を楽しむのに上手下手は関係ないと思います。日本の過剰サービスは、おもてなし精神の表れでは?
@@gooseberrygreen7238 書き方の語弊というか、足りない点があったようです。私も好きで習ってる人間ですが、年齢や能力からプロにはなれませんし、またなる積もりも無く。(私も養分の一人で良いのです)私が言いたいのは、手を抜けってんじゃなくて、音楽レベルが低くても楽しむ権利はあるし、そんな【お客様】が居ても良い、ということです。つまりは、音痴でもカラオケを楽しんで良い。そんな人でも来てくれなければカラオケボックスの経営は成り立たないから、ってことです。おもてなし精神?そんなものは相手次第で出したり引っ込めたりするもんです。(酷い)客なんてね、サービスはしろ、金は出さん、てなもんですから。
おもてなしって外国人観光客を集めたい為の宣伝文句ってぐらいの認識で、なんだか実生活からは違和感のある言葉でしたけど、海外では珍しい過剰サービス、お客様扱いするって事を押し出していたんですね〜つまり、外国人観光客をお客様扱いして日本経済の養分にしたかたって考えると、納得です。
サービスということばをどう捉えるかにもよると思うのですが、生徒が求めているものと教師の教授しようとするものが一致していないとお互い、不満がたまる気がします。生徒はお客さまとは違うし、サービスするものとは思いませんが、そういう歩み寄り?はあっても良いように思います。。
ホテルでムチャなクレーム入れるお客はほぼ日本人のお客さんです。
今日のお話もとても良いお話でした。ありがとうございます。
私は家庭教師ですが、こんなことを生徒から言われたことがあります。
「さあ、先生はどうやって私をやる気にさせてくれる?」
本当に驚きました。
最近、お客様感覚の子が多いように思います。彼らが社会人になった時、上司が優しく導いてあげないと一歩も動くことができない大人になるような気がして怖いです。
私は時々市民大学で年配の方に音楽を教えたりもしていますが、そのような方々に教える時に何をゴールにすれば良いのかということにもとても悩んでいます。
「とにかく生徒さんを褒めて気持ちよくさせるのが良いですよ」とアドバイスをしてくれる人もいますが、私はそのような考えが好きではなくて、もやもやしています。
客気分で教えを乞うているようでは進歩はおぼつかないということが良くわかりました。ご教示ありがとうございます!
この話を日本全国に広めるべき。
日本には「お客様は神様」という概念が未だに根強く残っている気がします。
これは三波春夫さんが言った言葉が間違って広まった結果です。
三波春夫さんは「お客様の前で歌う時は神に祈りを捧げるような気持ちで歌います。だからお客様は神様なんです。」と、あくまで歌う際の心構えを述べたんですね。
言葉の意味が正しく伝わってほしいと共に、神に祈るような気持ちで演奏するということも意識してみたいですね。
本当にその通り!と叫びたくなる様なお話しですね。車田さんのしっかりと芯のある生き方、考え方、まさに、素晴らしい教えになりますね。それと奥様お菓子作りのプロでしょうか?いつも感心し、そしてそれを、いかにも美味しそうに感謝されて召し上がるお姿にコチラまで嬉しくなります。いつも有難うございます。
優しく懇切丁寧な教え方をされて、プロの世界でやって行くスキルは身につかないのは、どの世界においても同じだと思います。
お金には換えられないものを教えてくれるのが、本当の師だと、私は思います。そういう意味では、すべての人が師になり得るものだと思います。でも、それを言えるようになったのは、自分が良い師に恵まれてきたからかもしれません。
わたしもそう思います。
音楽も言葉と同じように
その人が全て表現されて出て来ますものね。
自分の合った師に出会得ることは幸運です。
わたしはもう10年以上一人でやってて時には
とても自律出来ず
苦しいです〜。
教わる方が全くラク、😅⭐️
私は音楽に関係する「生徒」の身ですが、「お客様」概念を一度も持ったことがない為、「お客様」概念を持たれる方もいらっしゃる事にただただ驚きました。車田さんのおっしゃる通り、サービスという、日本人風な考え方故なのですかね。
私は「この先生へ同じようにお金や時間をかけている他の生徒さんよりも、沢山の技術や知識を得よう」という考え方です。
「師匠(先生)」の対義語は「お客様」ではないはずですからね。「生徒」であるからには、学ぶ姿勢を大切にすべきと思いました。
今回も考えさせられる良いお話しでした。有難うございます💕
それは、そうと。アフター講座のコーヒータイムも楽しみです。私は糖尿病なので、お砂糖を使った物は食べられません(甘味料での甘さはOK)
昔、若い頃は何でも美味しく頂いていたのを懐かしく思い、車田先生があんなにも美味しそうにスイーツを召し上がるのをみて「ああ、糖尿病でなくてよかったですね」と心から言って差し上げたいです。
これからも、お話しもお菓子も楽しみにしております!
生八つ橋まで自作するとは、驚きました!異国の地で食する和菓子は、さぞ別格ですね。
今回も非常に深い内容の話題ですね。
近年は義務教育以降あらゆる教育システムが少子化や経営優先主義の影響もありメディアまで使った過剰なうたい文句や広告によるサービス化の多様性やパワハラだモラハラだと権利ばかり主張する享受のバランスが変化したり逆転現象が起きている状況が当たり前のようになり更に複雑になっている気がします。
日本ではサービス業的価値観が多様化し過ぎてしまいサービスと判断するかしないかの線引きが多業種間で曖昧かつ乱用されておりその概念が教育にも波及しているのは非常に残念だと思います。先生がお話された自分が選択した専門的教育に対する対価は一般的概念でのサービスとは異なるものかと思います。
また海外におけるサービスの価値観の違いについてもグローバルな時代なら尚更再認識するべきかと思いました。
今回の問題提起は音楽だけでは無いはずですので社会的に更に議論され認識されるべきですね。
八つ橋は日本を代表するシナモンを使った和菓子ですがまさかドイツで入手出来るとは…。
良い時代になりましたね(笑)
青森県にはシナモンを使った『うんぺい餅』が有りますよ。
シナモンには血糖値の上昇を抑えたり殺菌作用があるので声楽をやる方は喉のケアには良いと思います。次回はシナモンティーとシナモンロールでも如何でしょうか?
もう20年くらい前の話ですが、うちの娘たちをピアノ教室に入れた際、知人を通しての紹介だったのでやや緊張してお伺いしたら、先生いわく、最近はうちは電子ピアノしか買えません。置けませんので。ピアノは上達しなくてもいいから、「ちゃんと挨拶が出来るように」教えて下さい。なんて言われるんですよー。とのこと。僕は愕然!として、娘たちに「こんにちは、お邪魔します、靴をそろえて、お願いします、ありがとうございました」と教えました笑。もちろんピアノも購入して…。お陰様で?、娘たちは先生がお嫁に行くまで楽しく教室に通えました。学校の合唱の伴奏者に選ばれたりしましたので、それなりに上達出来たのだろうと思っています。毎週送迎した甲斐があったとは親バカですが、今となっては娘共々楽しい思い出です。
西洋音楽を担う車田先生の分析を聴いて良かったと思いました。しかし、音楽文化の伝統継承に関しては徒弟制度が最も能率が良いのです。落語、歌舞伎でも通い弟子の時代が来ていますが、現実的には弟子入りせずにプロになれません。話は変わります。歴史的に見て、西欧伝統古典音楽文化は「崩壊の時期」に既に来ていると、西洋音楽史的には考えねばならないという事に尽きるのです。車田先生のこのファイルは、大きな集合の中の一要素に過ぎないと考えねばならない…流れに棹差そうと「批判をしても」しても流れに飲み込まれて流されていくことは間違いありません。BBCが数あるスーパーオケを減らそうとしている事、クラシックCDの売り上げが減っている事、カラヤンがBPOのクラリネット奏者に「君の名前を付けたリードを発売すると儲かるからやりなさい」と勧めた事、このようなファイルがRUclipsに掲載されている事・・・すべて同じ社会現象の中に納まります。『西欧伝統古典音楽文化崩壊』を一人の人間の力で止めることなどできるはずはないのです。単純に言うと「経済」に支配され金儲けの手段に堕ちていて、本当に音楽的才能がある人間はポピュラー(人気の取れより効率的に金儲けができる)音楽へ向かうしかないという事です。巨大な視野でみると、世界の民俗音楽はポップスの強い影響に拉致されて、統一の様式下にあるのは否定できません。例を挙げれば、邦楽器の演奏の音程は五音音階だと学校では教えますが、それは全くの嘘。オクターブを十二に分けた平均律の音程から五つを選んだ形になっていて、日本音楽の古いものの録音を聴くと、天才宮城道夫は平均律に拉致されていないのを感じますし、全国各地にある大念仏の古い録音はペンデレツキーのようなクラスターを聴かせていたのですが、現在では音程が揃って聴こえます。この説に理論的に反論する人はおらず、盲目的な批判ばかりがあるか、スルーされるに違いありません。時間を掛けて考えた現在の私の結論です。
私学学校講師をやっていましたので痛感です。先生方は経営者の方針と生活、車田先生の仰る真理の狭間で苦悩され教育への情熱を失っていく姿を観てきました。
先生をすることで生徒に育てていただいた一面もありますが、今、教育現場を離れて人間としてのアタリマエを取り戻しています。
車田先生
今日も素晴らしいご投稿ありがとうございます(^_^)
毎回毎回、こんなふうに言えたらどんなにいいかと思う素晴らしいお話!
私は、生徒よりも父兄との関係に疲れていた時期があります。
それで、大人ばかりに絞った時期もあります。
生徒にやる気を起こさせるように
クラシック音楽に興味を持ってもらえるように
このフレーズに疲れ違和感をどうひょうげんしていいものか困っておりました。。。
私立の勉強の嫌いな子達が多い学校で、反抗的な男子生徒を音楽以外の事で態度を注意すると
必ず「高い授業料を払っているので大事にされて当然だ」と繰り返す生徒が一定数いました。
完全に自分はお客様で親も毎日そう言っているのだなと感じていました。
現勤務校は、進学校で、一応生徒達は先生を先生として見る事が出来る子達なので続いています。
資本主義に生きる上で折り合いを付けて行くべきではありますが
営業・集客
芸術家にとって、最もなじまない言葉だなと思いますm(_ _)m
いつも、考えをまとめさせて頂けて有り難いです(*^_^*)
これからもますますご投稿楽しみにしております(*^O^*)
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
車田先生の話に同意します。
私もピアノを習っていますが
・レッスンの場を提供する楽器店
・レッスンを行う先生
・レッスンを受ける生徒
この三者の適度な距離感と緊張感が良い方向に向かうものだと思っております。故に月謝は、のし紙に包んでお渡しするものだと思っております。
今担当の先生は、生徒の意向を尊重してくださいます反面、生徒の言いなりには絶対になりません。実は毎年年度始めに「春闘」と言うべき話し合いがあり、その年度の方向を決める「師弟協定」なるものがあります。
それでも先生は時には鬼に時には仏になって指導してくださいます。確かレッスン時間帯は30分ですが、60分以上の時もあります。
一方で、私の仕事関係の知人が同じ楽器店にお子さんが習いに行っているそうですが、話を聞くと…「上から目線云々」「レッスンを休んでも代替してくれない云々」「そのくせ月謝が云々」…。そりゃ…100%生徒側に問題ありだと思います。
イギリスでピアノを教えています。イギリスの私立校の授業料は非常に高額ですので、学校に様々な要求をするのは当然だと思っている親が多く、気に入らないと、ころころ転校させます。兄弟全員学校が違うというケースも珍しくありません。子供はいい迷惑でしょうが、そういう私立頭の親の中には、ピアノ教師にもいろいろ注文を付け、受け入れないならやめると脅す人がいます。そういう方には喜んでおやめ頂いているのですが、信じられなかったのは、レッスンをやめる時に何も言わずにこちらの電話番号をブロックする親がいることです。関係が険悪になってのことではありません。前の週には「また来週」と言って機嫌よく帰ったのに、レッスンに来ないので電話をすると通じなくなっている。最初にされた時は切り捨てられたような気がしてショックでした。他の教師に聞いてみると、珍しくはないそうです。無礼極まりないと思うのですが、携帯世代のマインドなのでしょうか、それとも国民性?
今回の話を耳にした人は大きなヒントに触れることができて、とても幸運だと思います。
今や教育も仕事に至っても、カリキュラム的な育成と出来るだけ人をフラットに扱うきらいがあります。
その結果、希薄なタイプが菱形のようなピラミッドを形成する気がしてなりません。
元々、教える側と教わる側の関係はかけ算九九だと思います。
あくまで理想ですが、どちらも一生懸命で大人になるのが望ましいですし、育たないなど失敗した原因と責任は双方にあると思います。
たとえば一回のレッスンにいくらかかるとしても、車田さんも仰るように自ら読み解いたり、そこにあるマイナス面も含む読解力を持たなければ、先生はエレベーターの操作係・生徒はただの乗り手にしかなりません。
根本的な話をすると煙たがられるのはどこの世界も同じかと思いますが、その世界を少しでも良い形で守ったり残したりする気持ちがあるからこそ、少しずつの変化を受け入れつつも高くて柔らかい矜恃が保たれるのかと思います。
とても難しいですね
先生がそう考えていても、生徒側が自分をお客さんだと思っていると、本当に辟易してしまいますね。
某楽器店勤務、講師をしておりますが、楽器店からは生徒はお客様なので「生徒様」です。
と言われます。
私はやり取りの時、できるだけその言い方をしたくないので、避けるようにしています。
おかしいですよね。
サービスというのはレストランで食事するときみたいにお金さえ払えば客は座っているだけで金に見合った料理を自動的に出してくれるいわば受動的なものだけど、レッスンの場合金さえ払えば自動的に金に見合ったものを手に入るというわけではなく、生徒の側も先生の教えを理解するためにそれなりに努力が必要な点が単なるサービスとは違う、ということかな
門下生の動画と共に、とてもためになる動画でした…
というのも、音楽ではないのですが、ある習い事をひょんなことから2人の先生から習うことになりまして、その2人の指導や考え方は正反対だったため、ちょうど先生との関係性に悩んでいたタイミングだったからです。
元々習っていたA先生は、生徒をお客様と思っているようで、やたらと私のことを褒めてくる先生で、できていないこともほとんど指摘してくれず、3年間通い続けても全く上達しませんでした。そして上手くならないのは自分のせいと思っていました。
しかし後から習い始めたB先生は、レッスン中は全く褒めてくれませんし、できてないところはビシバシ指摘、たま〜にお説教までしてくる人ですが、数ヶ月通っただけで格段に上達しました…
おまけに、「自分で上手くなったと思わない?」と言いながらハイタッチまでしてもらいました😭
また、大人になると説教してくれる人は減るので、むしろありがたかったです。
また、習い事に関する知識も、圧倒的にB先生の方がたくさん持ち合わせていました。
A先生とB先生はお知り合いだったため心苦しかったですが、結局完全にB先生にのみに習うことにしました。この選択で良かったと思っています。
😊😊
すばらしい👍お話をありがとうございます。
生八橋を手作りされたのですか?美味しそうに召し上がるので 口の中にツバがたまってしまいました。
いいお話でした。
最近、グラインドボーン音楽祭のオペラ公演中に環境団体の抗議活動で演奏が中断との残念なニュースが流れて来ましたが先生のご意見などありましたらお聞かせ下さい。
徒弟制、門下となると初心者には遠すぎて想像がつきません。日本では初心者と音大コースとに音楽にふれる機会が厳格に分けられます。初心者は音楽教室で1レッスン30分の広告で入会します。講師は開始と終わりの荷物を出す2分間は「チューニングしといて」とスマホ持って消えます。これですと先生も生徒も技術を売る側と買う側ではないですか。生徒はうまくなると思い込んで行くのが大抵でしょう。それは生徒のレベルにあわせたトレーニングを次回までの課題として与え、必要な知識も理解させるか入手法を教え、生徒がそのとおりやって次回は添削を受ける、の安定的な長期間の繰り返しで実現可能でしょう。たぶん年齢は関係がありません。生徒に好きな曲を弾き先生が言えることだけ言い「何か質問あるw?」と言って終わるスタイルですと生徒を振り回し時間とお金だけ奪い取る構造になるでしょう。下手なのは無知なせいです。知らないことを質問できるわけありません。ほとんど西洋中世のラテン語が読める聖職者と無知な農奴(自分)です。以上は初心者からの意見です。
車田先生がおっしゃる通り、先生を人として尊敬できるかが一番大切ではないでしょうか。素晴らしい先生に出会い、習うと決めたなら、先生の貴重なお時間や培われた努力の成果の一部を享受している、という大きな自覚が生徒には必要かと思います。
まだ子供なら親が信頼できる先生かを見極めるのが大切ですね。(結局は縁や運の要素も大きいですが。)
子供のレッスンは人格形成に大きく関わること、大人のレッスンは素直であること、生徒が自己流で突っ走らないことが大切かと思います。
クラシック音楽の学びは人生全てに繋がります。特に本質を見抜き、俯瞰して見る冷静さ(ミクロ、マクロ、両方の視点)をくれました。感情、知性や理性のバランスは仏教の中道にも繋がるように思います。
にっきといえば、ドロップでにっきが入ったのがあります。子供の頃、それが苦手でした💦
今日のお話・・・・
昨今は生活の糧にしてる先生も多く、お客様=生徒という人もいるかも(カルチャーセンターに多いかな)
レベルがそれなりに高い先生だと、そんな感じはないイメージ。やはり、教えてもらう、教えてあげましょうという師弟関係が健全ではないぁと。
というわけで、私も1年休んでた声楽のレッスンを今月から再開です✨
上手くなるには、教えを乞うしかない😄
興味深いお話ありがとうございました!
知り合いのオーストラリア人の写真家が「日本はcustomers' paradiseだ」と言っていた意味が分かったような気がしました(笑)
興味深いお話ありがとうございました😊
そうですね、同感致します。
ここ南カリフォルニアでコンサートピアニストの先生に教えてもらうのに
彼の経歴にしては
余りにも安い値段で
ショパン一冊全曲弾いて次曲を選曲したり
熱意のこもったレッスンに
わたしから
値段を上げさせてもらった事思い出します。
後のイタリアのご自宅に
家族で呼ばれてマスタークラスを何度か学ばせていただきましたが
本当の音楽家一家と生活して
素晴らしい音に溢れた
毎日の経験をさせていただきました。
だんだんと音楽をする人が少なくなって来たり、安易に簡単な方法で音楽が手に入る一方で
常にホンモノを目指したいと思います。
その人の
人間味に魅力ないと芸術は響かないですよね(まだまだ勉強中のわたしですが、出来ることから頑張っていきます。
ありがとうございました♪
車田さん、ピンクのピオニー(?)の香りとシナモンの八ツ橋の香りが微妙に伝わって来て良い感じですね
横の双眼鏡のboy置物もとってもステキです〜😊💓
意味合いが違うけれど、病院側が患者さんと言っていたのがいつの間にか「患者様」って言うようになりましたね。
自分はレッスンを受ける側ですが「生徒様」っておかしな日本語で呼ばれたくないなあ…。
物品等を買うために支払う瞬間は客、レッスンを受講中は生徒。しっかり区別しなければなりません。
教師と生徒の関係性も色々ですね。お金が絡むから、より複雑にならざるを得ませんね。英語圏で、師事する事を「study with ○○」と言うそうですが、「with」が付くと、日本人から見ると、教師と生徒がフラットな関係にある様に聞こえて、ステキだな~、と、思います。個人的に、先生方に対して希望する事は、厳しくても良いからキツい教え方はしないでほしい…、と言う事です。(八つ当たりみたいな態度は、勘弁です😭)
子供の頃「ニッキ飴」を食べた事がありますが、和菓子とはちょっと違いますね。😅
私も先生と生徒は技量、知識の差もあり、教える、教わる立場であり対等ではないと思っています。
そして教わったことに対する対価はサービスに対するものではなくレッスンに対して支払うものなのと思いますが、多くの人が曲解しているようですね。
もっとも接客業においても対価とサービス及び商品のやり取りなので、どちらが偉いなどはないというのが私の考え方です。そこで「対価を払っているのだから客の方が偉い」と考える方々は心が貧しいと思います。
お久しぶりです!深く考えさせられるお話ありがとうございます♪昔ピアノを習ってたので、習い事における自分と先生を思い出しながら拝聴しました。自分に見合う先生(優しい先生、厳しい先生)は人それぞれだと思いますので、先生に過剰に求めるよりも生徒の練習方法や量を見直したほうがよろしいではないかなと思います。話が蛇足しますが、教える側からしたら部活とかで情熱が尽きたらすぐに辞めるよりもお休み期間を頂くのがベストなんですかね?
😊😊
私は20年以上DTMや作曲、音楽制作を教えていますが、激しく同感です。ただ、実績に胡座をかいて、「教える」能力が低い教師も、目の当たりしてきました😂。
そりゃ『お客様』でしょうね。でないと商売出来ないと思います。
「こなし」という蒸菓子の松ぼっくりの形にしたものはシナモンをまぶします。あと薩摩芋、男爵芋という焼き菓子もシナモンをまぶします。全て白こし餡を使った和菓子です。シナモン好きなら一度御賞味下さい。
お客の方が偉いと思ってるのは、現代の日本人(それも、バブルの終わり頃から)だけの様な気がします。私が若い頃は、お店が客を選ぶ事がよくありました、マナーの悪い客には「金は要らねぇから帰れ」とか。今は良しも悪しきもネットで拡散するようになったので、店が思い切ったことが出来なくなったせいもあろうかと思います。 音楽教室もほぼ同じではないでしょうか? 余談ですが、ニッキとシナモンは違いますよ。八つ橋はニッキが使われています。 生八つ橋(昔は無かった)美味いですよね、私も好きです。糖尿病ですが誘惑に負けます。。。。
大阪の堺市にニッキ餅という和菓子がありますよ。とても美味しいです!
教師と生徒の関係は、上司と部下、親と子、でも同じかも知れませんね。
動画を拝見していつも思うのですが、本当におっしゃるとおりではないかと思います。
ところで、まさかとは思いましたが、ついに八ツ橋まで自家製とは、恐れ入りました。
そうですね。
もし、その誰かが将来ステージに立ち素晴らしく価値ある表現をするようになると仮定するならば、教育や師弟関係などホッテおけば良いと思います。
現に、非民主主義的な社会の中からも時代を画するような表現者は数多く出てきているわけです。
それを決定つけるのは、才能 と言う何物もはねつけるだけの力と巡り合わせでしょう。
一般的な音楽教育と言うことになると、日本と西欧の音楽 に対する価値観があまりにも違うので、同列には語れないと思います。
いづれにしろ、教えられると思った人にはそれなりの責任があるし、教わりたいと思った人にはそれなりのビジョンが必要だと思います。
経営のために、生徒をお客様とみる、だれも咎められないと思います。
サービスと言うことになると、日本では同じ民族国民どうしの緩やかで曖昧な思いやりや了解が基本になっていて、出来る範囲のことはしてあげたい、そのほうが楽しいよね。
と言うのが基本になっていますが、西欧では、様々な民族や階級や宗教感の違いから、お互いの立場を表明し、もし問題があれば、お金のやりとりではっきりさせ、混乱や衝突をさけてきたと思います。
どちらが良いのか、その人しだいです。
くらべられませんね。
人手不足になるとお客様扱いはなくなるのでしょうね。ドイツに近づくと嬉しいです。
洋風の皿とフォークに八つ橋w (●´ω`●)
今までの動画の論点と合わせて考えさせられました。何回かカルチャーセンターの声楽講座に参加したことがあります。先生方は指導することより、ご自分の演奏会のチケット販売の方が熱心で嫌になってしまいました。恐らく場数を踏む機会が少ないのでしょう。車田さんのトークの魅力は、本場ドイツでの出演回数の多さとそれに至る迫力です。今回のお話の後のコーヒータイムはまた絶妙です。八つ橋を作るのはあまりなじみがないので驚きました。特にドイツで購入・代替できる材料を考える手間暇を考えると、このレシピは間違いなく有料ですね。日本の名器の菓子皿を使うとそれはサービス料として付加されるという理解になるのでしょうか。見様見真似で作るのは無料ということになるのでしょうか。
神様は買い物しません。客と神は全く別物です。
音楽家を目指している方々にとって、先生は、自分の能力を伸ばしていくために、必要ですが、たくさん生徒がいるために、なかなか真剣に教えてもらえないこともありますね。あと、このたくさんの生徒さんの中から、見込みがある方を見いだして、その方々を真剣に教えていかないと、時間がいくらあっても、足りないですね。なかなか難しいお話だと思います。私自身がアマチュアだから、わかりにくいかもですね。それだけ、プロの音楽家になることが大変だと私は思いました。
ちょっと状況がよくわかりません。生徒が多いとなぜ真剣に教えられなくなるのでしょうか。イギリスではレッスン時間が決まっているので、何人教えられるのかは前もって分かりますし、レッスンを延長すると次の生徒の時間を取ってしまうことになりますから、基本的に延長することはありません。時間が足りないとはどういうことなのでしょうか。
日本でサービス過剰な嫌いがあるのは、国民を消費者と考えているからではないか?とドイツ在住の方の意見がありました。
ドイツでは労働者として捉えているので、奴隷的なサービスをしなくても良いのでしょう。
なので車田さんの意見には同意しつつも、生徒がお客様でも良いのでは?と考える点もあります。
理由は、生徒のうちモノになるのは1/100くらいなものでしょうから、後の99人はお客様、つまり1/100のための【養分】で良いのではないでしょうか?
音大も定員割れとかで大変そうですから、音楽を後世に残す、繋げる意味でもコストを購うための養分…じゃなかった、お客様(笑)は必要でしょう。
すごい割り切り方ですね。その99人はモノになるつもりは無いけれど、好きで習っているんじゃないんでしょうか。そういう人たちには手を抜くんですか。音楽を楽しむのに上手下手は関係ないと思います。
日本の過剰サービスは、おもてなし精神の表れでは?
@@gooseberrygreen7238 書き方の語弊というか、足りない点があったようです。
私も好きで習ってる人間ですが、年齢や能力からプロにはなれませんし、またなる積もりも無く。(私も養分の一人で良いのです)
私が言いたいのは、手を抜けってんじゃなくて、音楽レベルが低くても楽しむ権利はあるし、そんな【お客様】が居ても良い、ということです。
つまりは、音痴でもカラオケを楽しんで良い。そんな人でも来てくれなければカラオケボックスの経営は成り立たないから、ってことです。
おもてなし精神?そんなものは相手次第で出したり引っ込めたりするもんです。
(酷い)客なんてね、サービスはしろ、金は出さん、てなもんですから。
おもてなしって外国人観光客を集めたい為の宣伝文句ってぐらいの認識で、なんだか実生活からは違和感のある言葉でしたけど、海外では珍しい過剰サービス、お客様扱いするって事を押し出していたんですね〜
つまり、外国人観光客をお客様扱いして日本経済の養分にしたかたって考えると、納得です。
サービスということばをどう捉えるかにもよると思うのですが、生徒が求めているものと教師の教授しようとするものが一致していないとお互い、不満がたまる気がします。
生徒はお客さまとは違うし、サービスするものとは思いませんが、そういう歩み寄り?はあっても良いように思います。。
ホテルでムチャなクレーム入れるお客はほぼ日本人のお客さんです。